この秋、元パリ・オペラ座バレエ団エトワール(ダンサーの最高位)のジョゼ・マルティネズ率いる、スペイン国立ダンスカンパニーが、新しい芸術監督・振付家として彼を迎えてから初めての来日公演を行う。と言っても、バレエに詳しい人以外は、それがどれほど凄いことなのか、イマイチピンと来ない人も多いだろう。
そもそも、「ダンサー」と「振付家」というのは、まったく別の仕事と言ってもいいくらい、違う能力を要求されるものだ。自らの身体を鍛え上げ、コントロールする技術を磨くことによって、表現の精度を高めていくダンサーと、(時には複数の)ダンサーの身体を使って、作品全体の構成、演出を決めて表現する振付家。優れたダンサーが、そのまま優れた振付家や芸術監督になれるものではないことは、歴史上で繰り返し証明されてきた残酷な事実だ。
世界屈指のバレエ団でダンサーとしての頂上を極めた彼が、母国スペイン国立ダンスカンパニーの芸術監督として創作に打ち込んだ成果を見ることができる今回の来日公演。今後カンパニーをどのように導いていくのか、それは彼の表現にどのような変化を与えたのか? 来日公演を前にした彼に話を聞いた。
バレエ、ダンスにおいて、テクニックとは「文字」あるいは「言葉」のようなもの。それらを使って豊かな物語をつないでいくのです。
―今回、スペイン国立ダンスカンパニーの芸術監督として、初めての来日公演となるわけですが、あなたは、パリ・オペラ座にエトワールとして在籍していた頃から、振付作品も積極的に発表されていましたよね。
ジョゼ:オペラ座でダンサーとして作品を作っている中で、振付家に対して「なぜこうするのだろう?」「自分ならこうするのに」と感じることがたびたびありました。しかし、ダンサーは振付家には逆らえません。私にとって振付とはまずコンセプトがあり、すべての動きには「なぜこうするのか」という理由があって然るべきものでした。しかし振付家の考え方は様々です。だったら、自分の作品を作ってもいいんじゃないか、と思うようになっていきました。
―最初は、パリ・オペラ座バレエ学校の生徒たちに振り付けた作品からスタートされたとか。
ジョゼ:ずっと自分で振り付けたいと思いながらも、一歩を踏み出すのはなかなか難しかった。経験がないから、様々な振付家の作品の断片をコラージュしたような、「コピー作品」ができてしまうのでは……、と怖かったんです。
―パリ・オペラ座では、モーリス・ベジャールや、ウィリアム・フォーサイスといった歴代の巨匠はもちろん、ナチョ・ドゥアト、ジョン・ノイマイヤー、マッツ・エックなど現代の巨匠、さらに若手振付家の作品まで上演していますからね。
ジョゼ:ええ、そうなんです。生で偉大なアーティストに触れられる機会がありすぎるから、気が付かないうちに真似になってしまいかねない……。しかし、そんな悩みを、当時フィレンツェのバレエカンパニーの芸術監督をしていたダビデ・ボンバナという人に打ち明けたら、あっさりと「誰だってそうだ。最初の仕事はそういうことを考えずにまずやってみることだ」と言われました。「誰かの影響を強く受けたものしか作れなかったとしても、いつか自分の作品にたどり着きたいのなら、次々と作り出して自分自身で進んでいくしかない」「他人からの評価を恐れるな!」と。
―それで、最初に作った作品が『ミ・ファボリータ』なんですね。
ジョゼ:他人からの評価を恐れない、というのであれば、発想を変えて好きなものを全部入れてしまえ! というわけで(笑)、題名通り(ファボリータ=フェバリット)、それまで自分が好きだった要素を片っ端から詰め込んだ25分の作品を作ったのが2002年、33歳のときでした。今では、オペラ座のレパートリーの1つになっていて、グループ公演なんかでソリストたちが踊っていますよ。
―どんな作品に仕上がったのですか? バリバリのコンテンポラリー作品? それともクラシックバレエ的な作品?
ジョゼ:自分がよく知っているテクニックを使った作品になりました。つまり、クラシックバレエがベースです。だけど、「あっ、この部分はさすがにフォーサイスっぽすぎるかな?」とか、神経質になっていた部分はありましたね。
―影響を受けていたのは、主にどんな振付家たちでしたか?
ジョゼ: マッツ・エック、モーリス・ベジャール、フレデリック・フォーサイス、ルドルフ・ヌレエフ……、そして、ルイ14世! アントルシャやロワイヤル(クラシックバレエのテクニックの1つ)はやはり、彼の発案ですからね。
―一番恐れていた、周囲の反応はいかがだったのでしょう?
ジョゼ:高く評価されるなど、予期せぬ反応がたくさんありました。でも、そのときに知ることができたんです。反応、評価というものは、見る人のイマジネーションや感性によっていろいろ変わるのだと。
―評価を気にせず作品作りに向かえるようになりましたか?
ジョゼ:その後も自分の中で、いろいろ実験を重ねながら作品を作っていきました。コミカル、シニカル、様々な小作品をオペラ座のエトワールたちに振り付けました。中には悲劇も。
―昨年もオペラ座で、あなたの振り付けた『天井桟敷の人々』(同名のフランス映画が原作)が上演されましたが、まさに古い映画が色彩をまとって現代に蘇ったかのような印象を受けました。群衆の一人ひとりにまで細かな振付がされていて、それが1つの流れになったときに、美しいリアリズムを生んでいました。振付家ジョゼ・マルティネズの作風は、このような演劇的な作品が中心? それともフォーサイスやバランシンのようにテクニック重視で抽象的なもの?
ジョゼ:どちらも大好きですから、理想は両方のミックスです。バレエ、ダンスにおいて、テクニックとは「文字」あるいは「言葉」のようなもの。それらを使って豊かな物語をつないでいくのです。どちらかに偏るのでなく2つの側面がバランスよく融合することが私の目標です。
スペインのバレエ学校の先生が、私の親に「教えられることはもうすべて教えてしまった。この先もっと成長したいと思うなら、大きなバレエ学校へ行かなければ」と告げたのです。
―キャリアを振り返ってお伺いしたいのですが、スペインのバレエ学校から、パリ・オペラ座バレエ学校へ編入し、オペラ座バレエ団への道をつかみました。(イギリスのロイヤルバレエ団、ロシアのマリインスキーバレエ団と並ぶ)世界三大バレエ団に数えられるバレエ団の付属学校に、外国人が入学するのは至難の業です。しかもオペラ座では、ダンサーの最高位を意味するエトワールに任命され、2011年に退団するまでの14年間、その座に輝き続けました。
ジョゼ:スペインで生まれて、9歳でバレエを始め、12歳のときにカンヌのバレエ学校(国際ロゼリア・ハイトーバ)に入学しました。スペインのバレエ学校の先生が私の親に「教えられることはもうすべて教えてしまった。この先もっと成長したいと思うならば、もっと大きなバレエ学校へ行かなければ」と告げたのです。そして、必ず学業とバレエの両立を図ることを条件に、カンヌのバレエ学校に入学させてもらいました。この学校から『ローザンヌ国際バレエコンクール』に参加して『スカラシップ賞』をもらい、パリ・オペラ座バレエ学校の最終学年に編入したのです。
―パリ・オペラ座バレエ学校は、フランス国内からバレエの超エリートたちが集まる学校です。恵まれた容姿とバレエ向きの資質などを厳しくチェックされて狭き門を潜り抜けたとしても、その後の成長が思わしくなかったり、可能性が感じられなかったら、退学になります。また、無事学校を卒業できても、パリ・オペラ座バレエ団に全員が入団できるわけではありません。フランスのエリート学生たちと競争し、正式団員の座を獲得するのは並大抵のことではないと思うのですが。
ジョゼ:ダンサーにとってはとても困難な道です。ですから、私も努力する以外にありませんでした。初めは、(周りの学生と比べて)自分のテクニックの未熟さに焦りを覚えました。しかし冷静に考えてみたら、6、7歳のころからずっとオペラ座のスタイルを勉強している彼らと自分を比べるのは無理があります。彼らは私より4、5年も余計に、クラシックバレエのテクニックに向かい合ってきたキャリアがあるんです。遅れてこの環境に放り込まれた私は才能がないわけではなく、経験が少ないだけなのです。ですから、すぐに皆と並べないのは当たり前。そう理解できてからは冷静にオペラ座スタイルを身に着けるべく努力しました。特に私にはテクニックの面で弱点がありましたから、それを徹底的にやりましたね。
―その中で、逆に自分の「武器」だと思えるものは何かありましたか?
ジョゼ:ダンスについて、バラエティーに富んだ教育を受けていたことです。カンヌの学校ではバレエだけでなく、フラメンコやコンテンポラリー、ミュージカルダンスなども学んでいたので、幅広い舞踊スタイルに対応でき、振付家たちのクリエイションを理解することができたと思います。心を広く持って振付家たちの思想に耳を傾け、向き合うことができたのは、カンヌの学校での勉強が生かされてのことだったと思います。
―12歳でスペインのご両親の元を離れ、カンヌへ行くだけでも勇気がいることだと思います。加えて、パリのエリートバレエ学校に編入するというのは相当なプレッシャーだったと思うのですが。小さいころから自立心の強いお子さんだったんですか?
ジョゼ:スペインを離れ、一人でカンヌに行くことを決断したときはフランス語も話せなかったし、まったく未知の世界に飛び込む感じでした。でも「踊る」という目的があった。今も昔も私は、何かすると決めたら、目的に向かってひたすら前進、前進……、というタイプです。人の言うことを聞かない、という意味ではありません。1つの目的に向かって進んでいくために協力し合うことが必要ならば喜んでそうしますし、それが自分の道の妨げになるとも思っていません。……おうし座っぽいね、ってよく言われるのですが(笑)。
―おうし座なんですね? 星占いは信じますか?
ジョゼ:はい、4月29日生まれのおうし座です。星占いを信じているわけではありませんが、一度信じたら突き進む性格や、感情ではなく理性で説得される傾向は、なんだか牛っぽいと思っています。おうしには、角もありますしね(笑)。
―その角で突いたりすることもある?
ジョゼ:ありません。でも、角を使って頑固に押し通すことはたまにあるかも知れません(笑)。
スティーブ・ライヒによる打楽器のみの音楽“ドラミング・パートI”に合わせた表現は、イリ・キリアンのダンスの本質を感じさせてくれる代表作とも言えます。
―2011年からは母国・スペイン国立ダンスカンパニーの芸術監督として活動することになったわけですが、アーティスティックなコンテンポラリーダンサー集団であるスペイン国立ダンスカンパニーでの仕事に、クラシックバレエの頂点ともいえるパリ・オペラ座で培ったキャリアはどのように影響していますか?
ジョゼ:クラシックバレエは、型、フォーメーションなどを統一し、様式美を大切にします。また、テクニックにも厳格なルールがあります。一方、コンテンポラリーダンスには自由な表現の幅があります。クラシックからコンテンポラリーまで、幅広い選択肢が選べる中で、いろんな個性を持っているダンサーが活躍できるようなカンパニーになれればと思っています。
―今回の来日公演では、久しぶりにご自身も舞台に立たれるそうですね。今公演のプログラムについてうかがってもいいですか。
ジョゼ:スペイン国立ダンスカンパニーは、クラシック、ネオクラシック、コンテンポラリーダンスまで幅広いレパートリーを持っているので、そんな強みを多角的に楽しんでもらえるプログラムを考えました。まず『堕ちた天使』。世界的な振付家イリ・キリアンの代表作です。スティーブ・ライヒによる打楽器のみの音楽“ドラミング・パートI”に合わせた表現は、彼のダンスの本質を感じさせてくれる作品とも言えます。
―キリアンの作品は、音楽と親和性が高いのが特徴ですね。次の『ヘルマン・シュメルマン』は、最も先端的なバレエ振付家とも言われるウィリアム・フォーサイスの中では珍しい、クラシック寄りの作品です。
ジョゼ:トウシューズを履いたまま激しく身体を使い切って踊る、ダンサーにとっては非常に難易度の高い、過酷な作品です。フォーサイスとは、パリ・オペラ座時代にたくさん仕事をさせていただき、尊敬する振付家の1人です。
―スペイン国立ダンスカンパニーのダンサーたちは長らくトウシューズを履いて踊っていませんでしたから、彼らにとっては大きな挑戦を意味する作品となりますね。
ジョゼ:そうです。でもトウシューズを履いて踊ることで、つま先の使い方などが鍛えられ、裸足で踊る作品にも良い影響をもたらすと思いますよ。
―そして、イスラエルのコンテンポラリーダンスカンパニー・バッドシェバ舞踊団に関連する2作品『マイナス16』『sub』もありますね。
ジョゼ:『マイナス16』は、日本の観客にとっては非常に新鮮な演目として受け止められそうな気がしています。これはイスラエルのバッドシェバ・ダンスカンパニーの芸術監督オハッド・ナハリンがネザーランド・ダンス・シアターII(オランダ)のために創作したもので、身体からほとばしる情熱が、ダンスの底力を伝えて来るような作品だと私は思っています。『sub』はバッドシェバ・ダンスカンパニーやネザーランド・ダンス・シアターなどに数多くの作品を振り付けているイジック・ガリーリの作品で初演は2009年、日本では初公開になります。
―そして、あなたの作品『天井桟敷の人々』も上演されます。
ジョゼ:今回、この公演のために作品の一部を再構成して皆様にお見せします。私自身も踊ります。
―高度なテクニックを要するフォーサイスの世界、哲学的なキリアンの世界、パワフルで音楽性の高いナハリンの世界、多様なダンサーや振付家を輩出するイスラエルの振付家ガリーリの日本初演作品。現代のダンスの様々な表情を一度に並べて楽しむことができる上に、クラシックバレエの優美なテクニックを駆使した演劇的バレエ。コンテンポラリーダンスの縮図が浮かび上がるようなラインナップとも言えますね。
ジョゼ:日本公演のために特別にプログラムしたラインナップです。スペイン国立ダンスカンパニーの歴史と、私の個人的な歴史が重なり合ったプログラムとも言えます。
どんなに若く才能に恵まれていたとしても、才能だけに頼っていれば、いつか前へ進めない日がやってきます。そのときに自分を前進させるものが、情熱や努力です。そこに年齢はないと思います。
―あなた自身は、パリ・オペラ座引退後、日本で初めて踊られることになりますが、ダンサーとしてのスキルを保ち続けるためにどんな努力をされていますか? ダンサーとして引退を考えることなどは?
ジョゼ:バレエはどうしてもテクニックを無視できない世界ですから、ある程度の年齢の限界はあると思います。でも一方で、「ダンス」という表現において年齢の限界はないと思っているんです。いずれにせよ、人前で表現を続ける人間には「才能と努力」が必要不可欠であるということ、それだけは真実だと思います。どんなに若く才能に恵まれていたとしても、才能とはある種DNA的なものですから、それだけに頼っていれば、いつか前へ進めない日がやってきます。そのときに自分を前進させるものが、情熱や努力です。そこに年齢はないと思います。人生は変化し続けることで、進化し続けるものだと思いますから。
- イベント情報
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- 『スペイン国立ダンスカンパニー』来日公演
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名古屋公演
2014年11月30日(日)15:00~
会場:愛知県 名古屋 愛知県芸術劇場大ホール
演目:
『堕ちた天使』
『ヘルマン・シュメルマン』
『マイナス16』
『天井桟敷の人々』
『Sub』
料金:S席 12,000円 A席 10,000円 B席 7,000円 学生席 5,000円神奈川公演
2014年12月5日(金)19:00~
2014年12月6日(土)15:00~
会場:神奈川県 日本大通り KAAT神奈川芸術劇場 ホール
演目:
『堕ちた天使』
『ヘルマン・シュメルマン』
『マイナス16』
『天井桟敷の人々』
『Sub』
料金:SS席15,000円 S席12,000円 A席9,000円 B席5,000円 シルバー割引11,500円 U24(24歳以下)6,000円(枚数限定)
- プロフィール
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- ジョゼ・カルロス・マルティネズ
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9歳のとき、カルタヘナバレエでバレエを始める。1984年カンヌの国際ロゼリア・ハイトーバーに入学。1987年『ローザンヌ国際バレエ・コンクール』で『スカラシップ賞』を受賞し、パリ・オペラ座バレエ学校に編入。1988年に、ルドルフ・ヌレエフの選択により、パリ・オペラ座バレエ団へ入団。1992年にプリンシパル・ダンサーに昇格、同年『ヴァルナ国際バレエ・コンクール』で金メダルを受賞。1997年5月『ラ・シルフィード』公演後、エトワールに任命される。モーリス・ベジャールやピナ・バウシュ、ウィリアム・フォーサイスらの作品に出演する傍ら、自身の振付作品として『ミ・ファボリータ』『天井桟敷の人々』『マルコポーロ・ラストミッション』などを発表している。
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