運命とは、ときにとても残酷だ。「神様は乗り越えられる試練しか与えない」なんて言葉は、残酷な運命と対峙しなければならない人生の場面においては、単なる綺麗事でしかなくなってしまう。しかし、絶望に突き落とされたときにこそ、不貞腐されたり、エゴイスティックに生きたりするのではなく、「人のために生きたい」と思えたのであれば、その瞬間、人間は誰かの心を本気で救える偉大なパワーを発揮できるのではないだろうか。
BOOM BOOM SATELLITESは、これまで実に希有な人生を歩んできた。そしてその都度、自分たちの人生を音楽にリアルに反映させながら、ときに攻撃的に、ときに優しく包み込むようなサウンド、ビート、そして歌で、私たちに多彩な情感を湧き起こさせてくれた。川島(Vo,Gt)に初めて脳腫瘍が発見されたのは1997年、デビューを果たした年である。その2年後、同じ症状を再び患い2度目の手術を受ける。そして2013年1月、前作『EMBRACE』の発売と全国ツアーが始まる直前に3度目の発症が確認され、ツアーの中止を発表、川島は手術を受けて約4か月間の休養期間に入った。活動再開後は順調に前に進んでいるように見えていたが、昨年末にオフィシャルブログで発表された内容が、世間を驚かせた。約2年ぶりにリリースされるアルバム『SHINE LIKE A BILLION SUNS』の制作を進めながらいくつものフェスに出演していた2014年、川島は4度目の再発と闘い、さらには余命2年の宣告を受けていたことが報告された。
「聴いてくれた人のために」とインタビュー中に何度も発言しているように、エゴが一切ない川島が発する歌声と、川島と一心同体の存在としてバンドの未来を共にしながら、どうにも操れない現実に恐怖や孤独が襲いかかり、音楽に希望と救いを見いだそうとして作り続けた中野(Ba,Programming)のサウンドが融合し、命の儚さと尊さを表しながら神聖なサウンドスケープを描いた『SHINE LIKE A BILLION SUNS』がついに完成。この1枚が出来上がるまでのBOOM BOOM SATELLITESの生き様を、ここに綴る。二人が鳴らす音は、どんな暗闇にいても私たちの心に寄り添い、救いの手を差し出してくれる。BOOM BOOM SATELLITESのライフミュージックよ、この薄暗い世の中を照らせ、永遠に。
今までも僕たちは音楽と人生をセットにして生きてきて、このアルバムも僕たちにとってはリアルなんです。(中野)
前回BOOM BOOM SATELLITES(以下、BBS)に取材をさせてもらったのが、2014年8月。「アルバム全体の6~7割までは出来た」という制作真っ直中のタイミングだった。そのときが、川島が世界的にも珍しい治験段階の放射線治療を受けた直後であったということを、私は年末の報告で知ることになる。その取材の中で、アルバムに懸ける想いを語ってくれていた二人の真剣な眼差しは、あれから半年経った今も脳裏に焼き付いているほど力強いものだった。
―8月に取材をさせてもらったとき、「どんなアルバムになりそうですか?」と訊いたら、「曲を聴いてるスタッフは『明るい』って言う」とおっしゃっていて。そのときは、それがどういう明るさなのか想像もつかなかったのですが、完成した『SHINE LIKE A BILLION SUNS』を聴いて感じたことは、このアルバムに含まれている明るさというのは、暗闇や絶望に立たされた人たちが「人のために何かをしたい」と思ったときに発揮することのできる真の優しさ、放つことのできる希望の光だと思ったんですよね。
中野:そうですね。今までも僕たちは音楽と人生をセットにして生きてきて、人生を切り売りしながらそのときに見いだしたいものを作ろうと思って取り組んできました。だから、このアルバムも僕たちにとってはリアルなんです。自分たちの音楽をリアルと切り離してフィクションで描くタイプのアーティストもいますけど、ロックバンドの場合は、やっぱりリアルな方が伝わると思うんですよね。
―このアルバムの制作期間、BBSが見いだしたかったものというと?
中野:自分たちが救われたい気持ちとか、希望が欲しかったりとか……自然とそういうものが出てると思います。ちょっと強引でも前に進んでいこうっていうロックバンドのアジテーションが、このアルバムには入っていると思う。それが、優しさっていうものを印象づけたりとか、リスナーに寄り添う感じにつながっているんじゃないかな。
―リスナーに寄り添う感じっていう点で言うと、この作品は二人のエゴを一切感じさせないんですよね。
中野:エゴがないっていうのは、ひとつには川島くんの声にあると思うんですね。上手く歌おうとか、表現力豊かにしようとする感じがないのに、個性や表現に乏しいとか、人肌の体温感がないわけではない。自己表現の欲求に駆り立てられて、持っている能力をフルで使おうとするのがロックバンドのボーカルだってずっと思って生きてきたんですけど……珍しいボーカリストなんですよね。
―川島さんは、「エゴがない歌を歌おう」という意識はされてるんですか?
川島:意識してないです。むしろ上手に歌いたい(笑)。
中野:そう、全く自覚がないことなんですよ。「エゴをなくそう」って考えだすと、それが音楽に対して作為的なことが働いている状態になって、それ自体がエゴになりますからね。
音楽を受け取るほうには、何も着色せずに聴いてほしいんですよね。でも、ひた隠しにしているのもよくないと思ったんです。(中野)
ここまで読んでくださったあなたに、伝えておきたいことがある。次のページから、制作期間中に二人を襲った残酷な試練を深く訊いていくことになるが、川島自身も以前から「病気であることを美として、ネガティブな発言で共感を得ることはしたくない」と発言している通り、決して彼らのストーリーから涙や同情を誘いたいわけではなく、「病気を乗り越えたから感動的な作品ができました」みたいな安直な作品紹介をしたいわけでもない。音楽と人生をリンクさせて、常に嘘のない表現スタイルを選んできた二人のロックミュージシャンが、果てしなく誠実に「音楽」と向き合い続けて完成させた作品を、偽りなく伝えたいからである。
年末にブログで病状を公表したことも、アルバム発売前に公開された“A HUNDRED SUNS”のミュージックビデオで、それまでずっと手術跡を隠すために帽子をかぶって公の場に登場していた川島が帽子をかぶらずに映っていることからも、二人が音楽に対してどこまでも真摯かつ素直でいたいという想いが伺える。
中野:音楽を受け取るほうには、何も着色せずに聴いてほしいんですよね。でも、ひた隠しにして、川島くんが帽子をずっとかぶっているのもよくないと思ったんですよ。バンドのあり方としても、ファンに対しても、ちゃんと堂々としていたいなと思って。あとはもうアルバムの音楽力が勝ってくれさえすれば、何とかなるんじゃないかって。
暗さや闇から抜け出ようとする自分たちの境遇を、いい形で消化させたいって思いながら作ってました。音楽をやっている以上、やっぱり人に対して何かいいことを起こしたいという気持ちはすごく大きい。(中野)
2012年12月、川島は定期検査の結果、3回目の脳腫瘍の症状が確認され、翌年1月4日からの入院を余儀なくされた。二人は大きな悔しさを抱えながらも、やむを得ず年明けから予定していたツアーの中止を発表。1月9日に予定通りリリースされた8枚目のアルバム『EMBRACE』のプロモーション活動は、中野ひとりで動き回っていた。『SHINE LIKE A BILLION SUNS』の収録曲の中から“SHINE”“BLIND BIRD”“OVERCOME”は、川島が入院中に中野が作曲を始めた3曲だと言う。
―『EMBRACE』は、アルバムのテーマを定めずに作り始めたとおっしゃっていたと思うんですけど、今作は最初からテーマが見えた上で作られていたのでしょうか?
中野:音楽を作ること自体がテーマでした。音楽をやれるかどうかを確かめながら作っていくような状況でしたからね。だから、曲ができればそれはすぐ喜びに変わっていた。暗さや闇を経験して、そこから抜け出ようとする自分たちの境遇を、いい形で消化させたいって思いながら作ってました。音楽をやっている以上、やっぱり聴いた人に対して、小さな革命でいいから何かいいことを起こしたいという気持ちはすごく大きいから、自分たちがどういう境遇であれ、それをどう役立たせるかというのは考えますよね。
川島:『EMBRACE』のときも、包容力や優しさというのは十分兼ね備えていたと思うんですけど、今回はそれに加えて自分の軸を正してくれるようなサウンドの太さや音像に包み込まれていて、どこか燃えたぎるような楽曲が揃っていると思います。
―川島さんが入院中に中野さんが作り始めた3曲は、アルバムの中でもすごく神聖なサウンドが宿っていて、祈りにも近いような3曲だと思ったのですが……中野さんは、当時どういう想いだったのか訊かせてもらえますか?
中野:精神状態はですね、最低です。
―そうですよね……。
中野:やっぱり、自分が頑張れることがないじゃないですか。川島くんがよくなってほしいとは思ってはいるけど、自分が代わりに手術受けられるわけでもないし、自分がお医者さんに代わってうまくやってやることもできない。病状を世間に報告して、ツアーのキャンセルも発表して……TOKYO FMの公開収録を渋谷パルコのスペイン坂スタジオでやったときに、僕がひとりで出たら、心配してくれてる人がすごくたくさん来て。みんな祈るような想いでそこに来てるから、僕は川島くんの代わりに「川島は大丈夫ですよー」って言ってあげる役割になるんですよね。それはありがたいんですけど、いろんなことを考えてしまうというか、期待されているようなプレッシャーも感じてしまって。自分はそれでは全然救われないんです。そんな中で、何か手を動かしてないと全てが止まっちゃうんじゃないかと思ってアルバムの制作を始めているから、決して音楽家として褒められるような状態でスタートしてるわけではないんですよね。
―そして、川島さんは2月初旬に無事に退院されて、退院した3日後にはスタジオに戻ってきて、中野さんが作った曲に歌を入れていたそうですね。
川島:はい。病院から出てきて、自分がどんな状態でいるのかを確認するために、すぐにひとりでカラオケには行ったんですよ。そこで歌が歌えることは分かったけど、それがミュージシャンとしてクリエイティブな面においても確証が持てるのかどうかを早く確かめたくて、退院3日後にはここ(スタジオ)に来てましたね。
中野:そのとき、やっぱりまだ意識はしっかりしてなかったと思います。まだぼーっとしているような……開頭手術ですからね。「これ歌って」って言って、それに従うような感じでした。
―戻ってきたからと言って、中野さんの気持ちが一気に晴れたわけではなかった。
中野:そうですね。川島くんがそういう状態で、二人っきりで、ここで制作を始めるって……すごい孤独でした。だけど、やっぱり掴み取らないと、死んでも死に切れないっていうか。毎日何かひとつでもいいことを起こしてから眠りたいっていう感じだったから、とにかく手を動かして進めようって。正直な話、ああいうときに、誰かもうひとり、例えば能天気なドラマーとかいると、楽になってたのかもしれないけど。
基本的には笑ってる。僕は病気になるたびに、諦めない姿勢とか生き抜く佇まいを見せられる立場にいて、それを見せていきたいと思うから。(川島)
2014年1月に川島が約1年間続けていた抗がん剤治療を終え、「これからさらに全力で音楽活動に取り組もう」と意気込んでいた矢先、3月に4度目の脳腫瘍の再発が確認される。しかも「余命約2年」という宣告と共に。川島がミュージシャンであることを知る主治医は、2つの選択肢を告げた。身体を自由に動かすことは難しくなり音楽活動も止めざるを得ないが、延命をするために手術をする。もしくは、寿命は短くなるが、死ぬまでの身体が自由に動く時間を少しでも長く取るために、手術をしない――。
川島:最初、ひとりで再発の話を先生から受けたんです。そのときはまだ余命の話までは聞いてなかったんですけど、「科学の限界なので、ミュージシャンなのであれば、どのように生きるのかよく考えた方がいいですよ」ということを言われて。その後、3月30日の仙台のライブの帰りに中野やスタッフと一緒に先生のところに行ったときに、余命と選択の話をされたんですよね。僕の中では、最初に再発を告げられたときから、元気に動ける時間をなるべく長く取って音楽をやりたいっていう意志は固まっていました。
―川島さんがそこまでしてでも音楽を続けたかった理由っていうのは……?
川島:2年くらいでどうしても死んでしまうと言われたときに、やっぱり今作っているものを最後までやりたいなって。そうじゃないと、ここまで僕が生きてきたことがすごく中途半端なままで終わってしまうと思ったんです。中野やスタッフとか、途中まで関わってくれた人たちに申し訳が立たないまま死んでしまうのは心残りだし、待ってくれている人もいるから、どうせ死ぬんだったらちゃんと仕上げたいと思いました。だから、その病院の帰りにまっすぐここに来た記憶があります。
中野:もちろん自分は仕上げたいと思っているから、お願いしてでもやってほしいんですけど、それを僕が強制することはできない。でも、「どうしたい?」って川島くんに訊いたら、「アルバムを作りたいしライブもやりたい」って言うんです。だから、1日でも早く歌詞を完成させて歌を録音してしまおうと。「それができたら、あとは全部僕がやるから」って言って、僕も腹をくくりなおしてましたね。
―その後いろんな可能性を探り続ける中で、放射線治療で治せるかもしれないということが判明して。でも、それはまだ治験段階のもので、治療を受けた人は世界にたった8人しかいない。それを受けることはリスクも伴うものだと思いますが、その可能性を与えられたとき、それを選ばないという選択肢はなかった?
川島:うーん……なかったですね、やっぱり。
中野:いろんなリスクがあるから、僕は嫌でしたけどね。でも、選択肢が他にないから。それまで、他のお医者さんにあたる度に「やっぱダメですか? なんとかならないですか?」って訊くけど、全然いい方法が見つからなくて。ほら、ぬか喜びさせられたこともあったじゃん。
川島:あったね。「切れば治りますよ、割と簡単です」くらいに言われてね。
中野:それで一瞬希望を持たされたりしてね。また別の先生のところに行ったら、「いやー、これは残念ながら(激しく頭を抱えながら)」って言われたこともあって(笑)。
川島:激情型のお医者さんもいて、本当にそうやってね(笑)。
中野:そうそう、すごいサバサバと残酷に伝えてくる人もいれば、すごい情感たっぷりに話す人もいて。どっちにしたって結果は一緒なのにね(笑)。
―こんなこと言ったら失礼ですけど……それを今笑って話せるって、すごいですね。
中野:まあ、当時は笑えないですよ。でも、笑って過ごしてたよね。
川島:そうだね、基本的には笑ってる。僕は病気になるたびに、諦めない姿勢とか生き抜く佇まいを見せられる立場にいて、それを見せていきたいと思うから。そのために、まずは自分がしっかり立って明るくしなきゃいけないというのは、病人の役目だくらいに思ってるんですよ。
中野:このバンドで4回もそういう経験して、なんか変な言い方かもしれないけど、鍛えられたところがあると思う。4回も脳腫瘍やって生きてる人いないからね。なんかちょっと変態っぽいよ。
川島:ははは、そうだね(笑)。だから、この人生経験が僕の音楽制作に活きてないわけではない。言葉を操る人として必ず活かされていると思うんですね。そういう意味では、こういう経験もポジティブな側面でしかないのかな。あまりヒロイックな気持ちもなければ、感傷的な気持ちもないですし。
その一瞬だけあればいいようなものではなく、聴いた人にとって人生のマスターピースになるようなものを作りたいと思いますね。(川島)
川島は7月下旬に治験を受け、数か月の経過観察の結果、腫瘍の拡大を防ぐ事に成功したことが分かった。その結果を待つ間も、二人は音楽制作に精力を注いだ。結成から25年間、4度の試練を乗り越えながらストイックに音楽を作り続けてきた彼らが、「音楽」そして「作品を残す」ということに、どのような意味合いを感じているのだろうか。
中野:今って、CDがおまけみたいな感覚になっているじゃないですか。フェスとかの現場に行くと、そこで盛り上がるだけでは満足できない気持ちが出てくるというか。もちろんライブも貴重な時間だし好きなんだけど、そもそももの作りがしたくて、作品を作ることにものすごく魅力を感じて音楽を始めたんじゃないかって思い返すんですよね。だから今の若い子たちが、送り手側も受け手側も、CDをおまけアイテムとして捉えていることが寂しい。やっぱり作品は残っていくものだから、徹底的に作りたいと僕は思っています。一瞬で消えてなくなってしまう儚いエンターテイメントではなく、もっと人の人生に深く刺さっていくことがやりたい。
―今作は、1曲ごとに聴くのももちろんいいけど、アルバム全体を通してサウンドスケープに入り込んでいって、その中にある闇や光、命の儚さと尊さを感じてほしい作品ですよね。
中野:そうですね。いい曲ばかりが集まってできたアルバムだと思うけど、曲を切り離してしまうと、やっぱりその曲が持ってる力を発揮しきれないことがあるんじゃないかな。アルバム全体の長さも結構慎重に考えました。ほぼ50分、これが一番いいんじゃないかなって。
―特に、後半の“THE MOTH (attracted to the flame)”から最後の曲の“EMERGENCE”までの流れは、1本の映画を見ているような感覚になります。
中野:“THE MOTH (attracted to the flame)”からアルバムのエンディングに向かう部分は、映画で言ったら、中盤から「あれ? こんな映画だったの?」って思わせるような、違うところに引きずり込まれていって「終わったらすごいところに来ていた」みたいな感じはあると思います。音って立体的なものだから、ビジュアルをイメージしながらサウンドスケープを描こうとしてるんですよね。映画を1本見た感じになるようにっていうことはよく考えていて、今回はそれを結構やり切れたと思います。
―中野さんの中で、音楽と映画は近いものがありますか?
中野:いや、映画と音楽は、アートフォームとして全く別物で。音楽は、映画以上に耐用年数が長くて、繰り返し聴くことで、どんどん掘り下げていくことができるもの。
―なるほど。川島さんが目指す音楽や作品とは?
川島:レーザービームとか打ち上げ花火みたいな、その一瞬だけあればいいようなものではなく、聴いた人にとって人生のマスターピースになるようなものを作りたいと思いますね。音楽は、心や魂のところまで届くものだと自分は知っているので、自分もアーティストとしてそういうものを作りたいと思ってずっとやってきています。
―人生のマスターピースになる音楽って、どういう作品だと思いますか?
川島:ずっとそれを聴いて、何かあったときには立ち戻れる場所ですね。思い出も未来も引き受けてくれるような音楽だと思います。懐かしい曲を聴いたときに何年も前の気持ちが今の気持ちのように湧いてくる瞬間もあれば、それを聴いたときに「これから先どうしていこう」とか「今は頑張ろう、踏ん張ろう」って思いを新たにする曲もあると思うし。それの繰り返しで自分にとってのマスターピースが残っていくと思うんです。
理想のアーティストとしての姿は、諦めないで存在し続けている人っていうか……必ず安定感を持って、頼れる存在として居続けてくれている存在ってことだと思うんですよ。(川島)
冒頭で、「神様は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉はときに素直に受け入れることが難しいと述べたが、二人の音楽と笑顔に触れていると、もしこの世に「音楽の神様」がいるとすれば、いかなる運命も世の中の人々を救う表現に変換できる表現者たちに試練を与えていくのかもしれないと思わざるを得なかった。『SHINE LIKE A BILLION SUNS』は、暗闇に入り込んでしまった人にそっと寄り添い、「誰かのために前を向こう」と気持ちを新たにさせてくれる、完璧なマスターピースだ。しかし、彼らはこの先もずっとそれを更新し続けていくのだろう。これからも中野と川島の二人にしか表現し得ない希望の光で、私たちの足元を照らし続けてくれることを切に願う。
―最後に、BBSの今後の展望を訊かせてもらえますか?
中野:僕、占い師に100歳まで生きるって言われたんですよ。まだまだ長いなって(笑)。
川島:それが目標?(笑)
中野:「あと2年ですよ」って言われている人が隣にいながら、「あんた長生きするね、100歳超えだよ」って言われたんですよ(笑)。僕、そんなに長生きしそうには見えないでしょ?
―長生きして、表現し続けてほしいと思います。
中野:100歳までですか? 80くらいでよくないかな?
川島:80歳も結構長いよ。
中野:そうだね、43歳までも長かったもんな。こんなことばっかり経験してると、「1年があっという間だった」って感覚もやっぱりないから。今後の目標としては……やっぱり、もっともっといいアルバム作りたいと思う。
川島:そうだね。このアルバムは、聴いてくれた人の人生のマスターピースになり得ると思っているんですけど、それを更新し続けられるアーティストとして存在していたいなと思います。成長していく姿を、これからも諦めずに提供していきたいなと。それは、作品っていうその物自体もそうだし、ライブっていう現場もそうだし、僕たちっていう存在自体っていうことですよね。
―川島さんが理想として考えるアーティストとしての姿って、どういうものなのでしょう?
川島:諦めないで存在し続けている人っていうか……必ず安定感を持って、頼れる存在として居続けてくれている存在ってことだと思うんですよ。新しい作品を生み続けてほしいという期待を持ってくれている人に対して、そういうアーティストで居続けたいし、磨き続けていきたいですね。
- リリース情報
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- BOOM BOOM SATELLITES
『SHINE LIKE A BILLION SUNS』初回生産限定盤(CD+CD-ROM) -
2015年2月4日(水)発売
価格:3,780円(税込)
SRCL8688/91. SHINE
2. ONLY BLOOD
3. COMPLICATED
4. A HUNDRED SUNS
5. VANISHING
6. BACK IN BLACK
7. THE MOTH (attracted to the flame)
8. BLIND BIRD
9. OVERCOME
10. STAIN
11. EMERGENCE
※CD-ROMにはリミックスパーツを収録
- BOOM BOOM SATELLITES
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- BOOM BOOM SATELLITES
『SHINE LIKE A BILLION SUNS』通常盤(CD)/dt> -
2015年2月4日(水)発売
価格:3,240円(税込)
SRCL86901. SHINE
2. ONLY BLOOD
3. COMPLICATED
4. A HUNDRED SUNS
5. VANISHING
6. BACK IN BLACK
7. THE MOTH (attracted to the flame)
8. BLIND BIRD
9. OVERCOME
10. STAIN
11. EMERGENCE
- BOOM BOOM SATELLITES
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- 『FRONT CHAPTER Vol.4』
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2015年5月5日(火・祝)
会場:広島県 広島CLUB QUATTRO2015年5月6日(水・休)
会場:福岡県 DRUM LOGOS2015年5月13日(水)
会場:愛知県 名古屋CLUB QUATTRO2015年5月14日(木)
会場:大阪府 梅田CLUB QUATTRO2015年5月16日(土)
会場:富山県 MAIRO2015年5月20日(水)
会場:東京都 渋谷CLUB QUATTRO2015年5月29日(金)
会場:北海道 札幌 cube garden2015年5月31日(日)
会場:宮城県 仙台 RENSA
- プロフィール
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- BOOM BOOM SATELLITES (ぶん ぶん さてらいつ)
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1990年、中野雅之と川島道行によって結成。エレクトロニックとロックの要素を取り入れながら、新しい道の音楽を想像し続ける日本屈指のクリエイターユニット。1997年、ヨーロッパでデビュー。UK音楽誌『Melody Maker』は、「The Chemical Brothers、The Prodigy以来の衝撃!」と報じたことをはじめ、多くのメディアに大絶賛される。2004年には映画『APPLESEED』の音楽を担当、その後もリュック・ベッソン監督の映画『YAMAKASI』やクリストファー・ノーラン監督『ダークナイト』で楽曲が起用されるなど、多くのクリエーターから愛され続けている。2015年2月4日、9枚目のアルバム『SHINE LIKE A BILLION SUNS』がリリース。
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