もの作りに携わる者にとって、どこを拠点に活動するかは大切な問題。それは日々のワークスタイルに直接影響するし、周囲の環境や日々の出会いがインスピレーションを呼ぶことも少なくない。そんな背景を踏まえて、かねてよりアーティストやクリエイターを支援・誘致し、都市の新しい魅力を作り出すという「創造都市」の取り組みを進めるのが横浜市だ。今年も、市内で活躍するクリエイターのオフィスが特別に解放される交流できるイベント『関内外OPEN!』が開催される。
そこで今回は同イベントの参加クリエイター陣から、斬新な発想にユーモアと温かみが宿るデザインで知られる建築設計グループ・みかんぐみの曽我部昌史と、人の集う公共空間で「利用者」を「参加者」に変えていくランドスケープデザイン集団・stgkを率いる熊谷玄を訪ねることにした。横浜を拠点にする彼らが考える、もの作りと街作りの関係とは?
新建材に囲まれた綺麗なオフィスにちょっと飽きていたときに横浜の建物を見せてもらって、面白い使い方ができそうだと感じたんです。(曽我部)
―お二人はともに横浜を拠点にし、曽我部さんは建築、熊谷さんはランドスケープの領域で、全国各地や海外を舞台に活躍されています。それぞれ、この街にオフィスを構えたいきさつを伺えますか?
曽我部:みかんぐみは、10年前に市内のアートスペース「BankART Studio NYK」が誕生したのがきっかけで横浜に来ました。これは横浜市が歴史的建造物を文化芸術の発信地として再生する「BankART 1929」の動きから生まれた施設です。
「BankART Studio NYK」 photo:OONO Ryusuke
―BankART Studio NYK は、1953年竣工の「日本郵船横浜海岸通倉庫」を活用し、アート・デザイン関連の展覧会やアーティストの滞在製作の場として、意欲的な活動を続けています。みかんぐみは、この大きな建物全体のリノベーションを担当していますね。
曽我部:はい。僕らは最初、通りからは入口がわかりにくいこの建物へのアプローチを工夫する役割を担当したんです。「みんなで作る」という施設のテーマもふまえ、どこの家庭にもあるワイヤーハンガーを無数に組み合わせ、全長70mの「ハンガートンネル」を作りました。オープン前年から準備を進め、同時期に『横浜トリエンナーレ2005』の会場設計にも関わる中で、自然と横浜に通うことが多くなっていきました。
―そこから、さらに仕事の拠点までをも横浜に移すことにしたのはなぜですか?
曽我部:その頃、同じように歴史的建造物を活かしてクリエイターの活動拠点を作る「北仲BRICK&北仲WHITE」という試みが横浜で始まろうとしていて、「みかんぐみも入居しない?」と声をかけてもらって。建物を見せてもらうと、良い意味で絶妙なボロさと空間のムダさが魅力的で(笑)、これは面白い使い方ができそうだと感じたんですね。他のメンバーに相談したら、なぜか意外なほどすんなり「いいんじゃない」と話がまとまった。当時は東京・世田谷に事務所があったのですが、新建材に囲まれた綺麗なオフィスにちょっと飽きていて、その反動もあったかもしれません。
―北仲BRICK&北仲WHITEには約50組のクリエイターが入居していました。建築家では西田司さん率いるオンデザイン、アーティストの淺井裕介さんや曽谷朝江さんなど、後に大きく活躍する才能が集う場所になりましたね。
曽我部:ここは1年半の期間限定だったのですが、僕らはその後も近隣の空き物件を渡り歩き、今も横浜にいるというわけです(笑)。アーツコミッション・ヨコハマ(横浜に集う「創造の担い手」を支援するプロジェクト)に相談して、物件探しは毎回のように、横浜のクリエイター誘致活動を行う「芸術不動産事業」にお世話になっています。
―一方の熊谷さんは、もともと横浜ご出身。ただ、独立して現オフィスを横浜に構えるまでに、韓国のアーティスト・崔在銀(チェ・ジェウン)のアシスタントや、東京のランドスケープ設計会社、アースケイプ社などを経由していますね。
熊谷:横浜出身の人ってウザいくらいに地元愛の強い人が多い気がしますが(苦笑)、僕もそうなんです。だから自分が独立する際は、ぜひこの街で、という想いはありました。とはいえ見当はまったくついておらず、そこで今お話にも出た「芸術不動産」を訪ねてみたら、「古いけどいい建物ありますよ」「活用できる助成もあるし」と相談にのってくれて。紹介された物件の1つが、今入居している徳永ビルです。
―今日は、その徳永ビルにおじゃましています。中庭的な空間を囲むような建物に住居やギャラリーが混在し、「明るいミニ九龍城」とでも呼びたいユニークな場所ですね。熊谷さんたちのオフィスも、ビルの外観とのギャップに意外性があって素敵です。
曽我部:たしかこれ、全部スタッフのDIYでリフォームしたんでしょう?
熊谷:はい。もともとは「中華街医院」という病院だったそうです。実は大家さんも一級建築士資格を持つ方で「自由にリフォームしてOK。ただし、まず改装プランを見せなさい」と。家賃も直接相談して決めるなど、そうしたやりとり含め面白い経験でしたね。最初は同じ建物の小さな部屋を借りたのですが、場所も気に入ったので、今の部屋が空くのを狙って引っ越しました。ちなみにこの建物は、戦後の横浜で最初にネオンが灯った場所とも聞いています。
―それぞれ対照的なきっかけですが、味わい深い建物の存在や、それらを自分たち流に活用できる魅力に惹かれた点は、共通するようですね。
人って「与えられる場」はあまり大切にしない。愛着を生むためには自ら「関わること」が重要なんです。(熊谷)
―クリエイターの誘致や助成に加え、横浜市ではそうした人々と地元企業のコラボレーションをコーディネートし、ビジネスに新しい付加価値を生み出す「創造的産業の振興」にも取り組んでいて、その取り組みを広めるイベント『YOKOHAMA CREATIVE WEEK』が『関内外OPEN!』と同時期に開かれます。そこでは人と場所の結びつきによる可能性が探られていると感じます。お二人は仕事をするうえで、横浜を拠点にしたことで得たメリットや面白さはありますか?
熊谷:ランドスケープデザインの仕事では、「現場」は都市部中心というより、あらゆる場所になります。僕らも地元の案件に関わらせていただくと同時に、日本各地に加え、中国での仕事もしますし、やや特殊なケースではタイの世界遺産に登録された寺院の環境整備にも関わっています。なので、たとえば東京に拠点があったほうが有利、といった制限には捕らわれずに選択ができました。東京での打ち合わせにも気軽に対応できるし、横浜はそうした働き方において各地とちょうどいい距離感だと思う。
―みかんぐみも国内外の様々な場所でお仕事しつつ、BankARTや『開国博Y150 はじまりの森』など横浜でのお仕事も手がけていますね。
熊谷:曽我部さんは神奈川大学でも都市デザインを教えているし、ご自宅もたしか横浜市内ですよね?
曽我部:すべて偶然なんですけどね。でも1年半限定のつもりだったのに今もいる理由の1つは、この街には良い意味でのローカルな感じがあるからかも。それはたとえば、街の「顔」の変化が直に感じられることや、行政の人々の「顔」がよく見えるということです。こちらに移ってきたら、BankARTの関係者などを通じてしょっちゅう行政側の人と引き合わされて(笑)。特別な配慮というより、それが当たり前という感じもあった。東京にいた頃は、たとえば一度、子どもたちのワークショップを地域の行政側に提案したけど、あまり話を聞いてもらえなかったり(苦笑)。だから対照的な感じはありましたね。まあ、大都市ではそうならざるを得ないのかもしれないけれど。
―街との関わり方のスケールが心地よいということでしょうか。建築の世界でも、コミュニティーやつながりのデザインといったことが、近年より注目されているとも感じます。曽我部さんにとっては、これらの要素はお仕事のうえでどんな意義を持ちますか?
曽我部:これも「反動」と言って良いかわかりませんが(笑)、僕はもともと伊東豊雄さんという強烈な個性の建築家の下で働いていて、そこではいち所員の僕たちも伊東さんという存在に「成り代わって」仕事をするような感じがあったんですね。では独立したら自分は何ができるのかと考えた際、自分の中の「こうあるべき」をあらかじめ決めない作り方かな、と思ったんです。クライアントに対し、僕らはプロの知見や経験を持ってはいる。でも、打ち合わせで建築家側が気付かされることも絶対あるし、もっと言えば、あらゆるところに発見があるはずという想いがあった。みかんぐみのみんながそういう意識を共有していて、当時『非作家性の時代に』という文章を書いた。そうしたら、けっこう議論になっちゃったんだけど……。
―そうした、人と関わりながら作るというアプローチを実践していくうえでも、横浜の街のありようは魅力的だったということでしょうか。熊谷さんは、ご自分のお仕事と、街や人々との関係をどう考えていますか?
熊谷:ランドスケープのデザインでは、屋外の公共空間など、誰もが使える場をどうすれば魅力的なものにできるかを考えます。ただ、人って「与えられる場」はあまり大切にしないんですよね。そこへの愛着を生むのは、やっぱりその人たちが自ら「関わること」です。その点で、横浜で活動するうえでの意見のしやすさ、風通しの良さというのは僕らの仕事においてもすごく重要です。もともと、アーティストのアシスタントから今の仕事に転身したのも、そうした形で社会に関わりたいと思ったからなんです。
やる気の出る人たちと、やる気の出る仕事をしたい。そういう雰囲気を作ることが、仕事をしたくなる街としての魅力を育むことにもつながると思う。(曽我部)
―ところで、お二人はすでにお互い交流もあるようですね。横浜に移ってきてからのご縁でしょうか?
熊谷:きっかけは何でしたっけ? 横浜のイベントの打ち上げか何かで、初めてきちんとお話した記憶があります。学生時代にみかんぐみのお仕事ぶりを見て憧れていたので、嬉しかった。横浜を拠点に仕事をするという点でも、曽我部さんたちのほうが先輩ですね。
曽我部:熊谷さんを始めて見たのは、『関内外OPEN!』(横浜のクリエイターの活動を地域により開いていくことを目指すイベント)の関連企画だったかな。デザイナーが自分のもの作りについて公開プレゼンをする『デザインピッチ』という催しで、発表していたよね。熊谷さんの考えは、ランドスケープという領域からこぼれてる部分にまで増殖していくような面白さがあった。でも、面白い! と思っても特につながることもなく、それで終わり……なことも多いこの世界で、ふとした機会に知り合いになれるのも、横浜っぽい距離感なのかな。
熊谷:その後、コンペでご一緒したり、同じアートイベントにたまたま両者とも参加していたりというご縁がありましたね。横浜市内のことでは、僕らが東急東横線桜木町駅跡地の再利用に関わった際、先行して神奈川大の曽我部さん研究室がいろいろ調査・検討していて、その貴重な資料群を提供していただいたことがとても役立ちました。
「東急東横線桜木町駅跡地の再利用」イメージ図。横浜を代表する魅力的な遊歩道となる予定
―領域や立場を超え、そうしたクリエイター同士のつながりが生まれていく場というのも素敵ですね。横浜のこれからも含め、ご自身と、拠点とする街の未来についてお考えを聞かせてください。
曽我部:これは言い方が少し難しいけど、横浜は建物や都市に歴史があるといっても、ほどよく古過ぎない感じ、工夫の余地を留めているというか、「残っちゃってる感じ」が好きなんです。京都みたいな場所だと、もうとにかく保存・修復が重要という建物も多い気もする。でも横浜では街の各所で使い方を変えるなどして、ある意味で完成させないまま、ユルめの活用法を探れそうな面白さがある。
―「継承しつつ、作る」という事でしょうか。みかんぐみの最近のお仕事で言えば、東京・神田万世橋の高架下開発も、そうした試みについて大きなヒントをくれそうです。
曽我部:もちろん横浜は、大事に継承すべき場も多い街です。だからすぐ「もう壊そう」とするのではなく、形を変えても継承すべき部分については行政側にもぜひ良い判断を期待したい。何でも新しく作ることだけが、クリエイターのモチベーションになるわけではありません。やる気の出る人たちと、やる気の出る仕事をしたい。そういう雰囲気を作ることが、仕事をしたくなる街としての魅力を育むことにもつながると思う。
―今後この街にこんなクリエイター仲間が増えるといいな、というのはありますか?
熊谷:僕はむしろ、自分たちがまずそれをやらなきゃという想いが強いですね。この街を拠点にして約6年、それがまだ充分できていない。ここで知り合った方々とも手をとり合い、街に貢献できる仕事をもっとしたい。関連していうと、今、横浜駅とその駅ビルの大きな改修に関わっています。街の名を冠した大きな駅で、利用者もすごく多い。でも、その利用者が街への「参加者」になれる場ができたらと思います。改修の完了は2020年予定ですが、その間も工事の仮囲いを使い、巨大な「壁新聞」を編集・掲示するプランなどを相談しています。「もっと面白くしなさい!」とハッパをかけてくれる関係者の方がいたりして(笑)、ありがたいです。
曽我部:街に活力を与えてくれるのは、何も若い世代に限らないですよね。最近、みかんぐみの隣にある「宇徳ビル」に、大ベテランの建築家・丸山欣也さん率いるアトリエ・モビルが新規入居すると知りました。丸山さんは、建築の可能性を拡大しまくってきたような存在。そんな方が横浜にやってくるのは、また1つの契機になるかもしれません。でも、何にしてもたった1つのことで何かが大きく変わるわけではないですよね。むしろ、一つひとつの積み重ねでしょう。
―積み重ねといえば、先ほどお話に出た『関内外OPEN!』は、今年も間もなく開催です。前述・北仲BRICK&WHITEの入居クリエイターと地域の交流をテーマにした『北仲OPEN!』が前身で、今回も市内のクリエイター数十組の拠点が一般開放されます。クリエイター同士、また地域の人々との交流の機会にもなりそう?
熊谷:僕らはランドスケープつながりで、ベランダで植物を育てるのが得意なスタッフがワークショップも開催する予定です。市外の方も含め色々な人に「一度遊びにきてください」とお誘いする際、「他所もいろいろ見られますよ」と言えるのがいいんですよね。それこそ「みかんぐみのオフィスも行けます」って。むしろ僕らが行きたいですけど(笑)。
『関内外OPEN!』でstgkは誰でもベランダーになれるワークショップを開催
曽我部:僕らも決まった時間は、主要メンバー四人の誰かはいるようにします。北仲のときは同じ建物に皆が集まっていたけど、今や各地に分散しているからね。それもあってか今年は、タイムテーブル式で「今はここが開放中」という感じで訪問可能にしたようです。そのぶん、参加者同士でも訪ね合えるようになるかな。北仲のときがそうで、あれは面白かった。いっそ年に1度じゃなくても月2回開催とかにして、毎回、クリエイターの何割かが参加する形もいいんじゃない?
―取材中に新アイデアが(笑)。手作り感覚もありそうですね。
曽我部:ふだん接点の少ない地域の方とどう交流を生み出すかなど、継続した課題はあるでしょうね。でも、それも考えていけば、より良いやり方があるかもしれません。横浜はプロの手だけによる人工的な都市というより、住んでいる人々の手で作っていきやすい街ではとも思う。それは熊谷さんが言った「愛着」「関わること」にもつながるし、いわば自分たちがカスタマイズした街に住む感覚ですかね。そして、建築もランドスケープも、居場所を設計すること。だからそこにはずっと関心があるし、関わっていけたらと思います。
- イベント情報
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- 『関内外OPEN!7』<
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2015年11月7日(土)~11月8日(日)
会場:神奈川県 馬車道、元町・中華街、関内、桜木町、石川町各駅周辺のスタジオ
料金:無料(一部有料、詳しくは各イベント参照)
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- 『YOKOHAMA CREATIVE WEEK』
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2015年11月4日(水)~11月8日(日)
会場:神奈川県 横浜 YCC ヨコハマ創造都市センター
時間:11:00~22:00(最終日は20:00まで)
料金:無料
- プロフィール
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- 曽我部昌史 (そかべ まさし)
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1962年、福岡県生まれ。「みかんぐみ」共同主宰。設計だけでなく、ワークショップの企画運営やアートプロジェクトへの参加など、多彩な活動を展開。主な作品に、「北京建外SOHO低層商業棟」(2003)、「2005年日本国際博覧会トヨタグループ館」(2005)、京急高架下文化芸術活動スタジオ「黄金スタジオ」(2008)、「マーチエキュート(mAAch ecute)神田万世橋」(2014)の設計などがある。
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- 熊谷玄(くまがい げん)
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1973年横浜生まれ。株式会社スタジオゲンクマガイ代表。ランドスケープデザインを中心にまちづくりやアートワーク製作などを手がける。ランドスケープデザインを担当したプロジェクトに「日清カップヌードルミュージアム」(2011)、「三井アウトレットパーク木更津」(2014)、「三井ガーデンホテル 大阪プレミア」(2014年)などがある。
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