親子はいつだってすれ違う。「育児放棄」が描き出した家族への愛

『第57回カンヌ国際映画祭』で、柳楽優弥が『最優秀主演男優賞』を受賞した『誰も知らない』(監督:是枝裕和)は、母親に置き去りにされた子どもたちを描いた物語だった。この作品のベースとなっているのは、1988年に起こった「巣鴨子ども置き去り事件」。人で溢れかえる都会の片隅で、誰にも気づかれずに生活を送っていた子どもたちがいたというこの事件は、かつてセンセーショナルに報道された。

巣鴨からほど近い東池袋の劇場「あうるすぽっと」で、育児放棄(ネグレクト)を題材にした演劇『TUSK TUSK』が上演されるのは、もしかしたらそんな背景が招いた必然なのかもしれない。1986年生まれのイギリス人劇作家・ポリー・ステナムが描くのは、東京と同じ大都会ロンドンで、母親にネグレクトされた子どもたち。14歳、15歳、そして7歳という登場人物を、演出家の谷賢一は、ほぼ同じ歳の俳優たちを起用して上演する。

この作品に携わるアーティストたちは、親子関係、生育環境、貧富格差など、さまざまな要因が絡まって幼い子どもたちに牙を剥く虐待という現実をどのように捉えているのだろうか? そして、子どもたちへの虐待が報道され続ける日本においてこの作品はどのように響くのだろうか? 谷賢一とともに、今作に出演する14歳の「はるかぜちゃん」こと春名風花に話を聞くと、「虐待」というテーマを超えて、現代の社会が抱える問題について話が展開された。

※本文中に元発言と異なる記載があったため、一部文章を修正しました。

漫画や小説、ノンフィクションで、よく「虐待モノ」の作品を読んでいたんですけど……。(春名)

―『TUSK TUSK』は、19歳でデビューしたイギリス人劇作家・ポリー・ステナムによる作品です。谷さんは別のインタビューで、「この題材で、自分が書きたかった悔しさがある」とおっしゃっていましたが、それはどういうことだったんですか?

:メインの登場人物として、三人の子どもたちが登場します。彼らがどうやって、育児放棄に置かれた状況を乗り切るかを話し合うんですが、それぞれ鼻っ柱が強かったり、感情が豊かだったり、跳ねっ返りの強い部分があったりして、感情移入するところが多いんです。それに、14、15歳という年齢は、人間の核ができあがっているのに、世の中からは大人としては認めてもらえない微妙な時期。そんな年頃の子が、社会のなかにぱっと置かれて、対峙しなきゃいけないという状況もすごくおもしろい。登場人物のマギーのセリフで「こんな大きい町で、私たちなんてゼロに近い」と語られます。それぞれの考えと命を持って生きているのに、社会から無視され放り出されているんです。

『TUSK TUSK』メインビジュアル
『TUSK TUSK』メインビジュアル

―14歳の春名さんはこの戯曲を読んでいかがでしょうか?

春名:漫画や小説、ノンフィクションで、よく「虐待モノ」の作品を読んでいたんですけど……。

:そんなジャンルがあるの?(笑)

春名:『親なるもの 断崖』で有名な曽根富美子先生の描いた虐待モノの漫画『死母性の庭』『子どもたち!~今そこにある暴力~』などを、よく読んでいます。『TUSK TUSK』の台本を手にしたとき、いままで見てきた、そういった世界をより深く描いたものがあると思いました。

―春名さん演じる14歳の少女・マギーは、母親から育児放棄され、子どもたちだけで生きていかなければならない状況に置かれます。そんな特殊な役に対して、どのようにアプローチしているのでしょうか?

春名:あえて、最初から「理解しよう」とせずに稽古しています。育児放棄という状況に置かれていることは一旦無視して、たとえばマギーの「気性の荒さ」だったり、セリフの言い回しから彼女の性格を考え、そこから育児放棄という状況を考えているんです。自分のなかにもマギーのような「粗い部分」が隠れていると思うので、そういう要素を見つけ出せればと思っています。

左から:春名風花、谷賢一
左から:春名風花、谷賢一

―今作の脚本には、「可能な場合には子どもの登場人物の設定年齢と同年の、あるいはそれに非常に近い年齢の俳優が演じることとする」というト書きがあり、谷さんはそれを忠実に守ったキャスティングをされました。通常なら演出の幅を狭くしかねない、無視されてもいいこのト書きを順守したのはなぜだったんでしょうか?

:じつはオーディションの段階ではさまざまな人に会いました。10代だけでなく、設定から外れている20代の役者とも会ったんです。けれども、やっぱりなにかが決定的に違う。登場人物たちを演じるためのいちばん重要な「核」のようなものが、違ってしまう感じがしたんです。仮にすごく上手な役者が14、15歳の人物を表現しても、それは「表現されたもの」になってしまいます。この作品ではもっと、むき出しにしていった先に見えてくるものが必要だと感じたんです。

―いちばん重要な「核」とは?

:言語化することが難しいんですが……、そもそも、演劇は男性が女性を演じてもいいし、若い女性がおばあさんを演じてもいいもの。けれども、演技をする上での、人間の核になるものは必ずつながっていなければならないと思うんです。それは、もしかしたら技術や工夫では手に入れられない、その人が持っているものであり、歌舞伎なら「仁(にん)」という部分、ロックンロールなら「魂」という部分かもしれません。その核が、今回の作品では「年齢」に現れているのではないでしょうか。

僕が14歳のころって、ちょうど『新世紀エヴァンゲリオン』が放送されていて、主人公のシンジと同じ年齢だったんです。(谷)

―思春期のまっ只中である14歳というのは、特別な年齢でもありますよね。その年頃の俳優を演出することに、難しい部分もあったりしますか?

:そうでもないんです。「核」はすでに本人たちが持っているので、それが現れるのを待つだけです。舞台で演じることの工夫や、見せ方としてのワンポイントをアドバイスすることはできるし、戯曲の解釈やステージの美術効果といったサポートをすることもできる。けれども、最終的には俳優が舞台を背負うものです。「核」の部分に、演出家はタッチできないので、彼らの服を1枚ずつ脱がしていくという作業になるでしょうね。

谷賢一

―「核」がしっかりと見えるよう、サポートをすると。

:それはどんな舞台でも同じです。演出はあくまで裏方であり、裏方はみんな俳優を「魅せる」ために仕事をしています。最終的にそこに生きている人々の豊かさを見せる意味では、普段の現場と変わらない。だから今回は、観た人から「あんなに若い子たちなのにすごい!」って褒められるのがいちばん嫌なんです。それを言われたら負けだと思っています(笑)。

―春名さんは、14歳のマギーを演じながら、自分の年齢と向き合うこともあるのでしょうか?

春名:いろんな人から、「14歳は人生の区切りだね」と言われるんですが、まっ只中にいる私としては、あまりそういう実感がわきません。この台本をいただいたときにも、登場人物が14歳でいることにどんな意味があるのかよくわからなかったんです。

―今の年齢だからこそできる演技や表現については考えますか?

春名:たとえば、台本のなかに生理の話題が出てきます。14歳ではそういうことが恥ずかしいという意識がありますが、大人になるとその恥ずかしさも薄れますよね。そういうことに過敏になる時期が14歳なのかなとは思います。私自身は、けっこう「なんでもござれ!」なところがあるので例外なんですが(笑)、周りの同級生を見ていて、そういう感情はわかります。

春名風花

:僕が14歳のころって、ちょうど『新世紀エヴァンゲリオン』(テレビ東京系)が放送されていて、主人公のシンジと同じ年齢だったんです。その前は、楳図かずお先生の『14歳』(小学館)という漫画もあって、あれも子どもと大人について考えている作品でした。演劇で有名な14歳といえば、ジュリエットですよね。ロミオが16歳でジュリエットが14歳だから、ポリー・ステナムは意識して配置しているんでしょう。

―14歳は、イギリスの演劇史においても象徴的な年齢なんですね。

:ジュリエットの母は28歳なので、ジュリエットを産んだのは14歳のころ。少し前の世界では、14歳は立派な大人としてみなされていたんです。日本でも元服は15歳でした。けれども、市民社会が成熟しきって、14歳が「まだまだ子ども」と言われるようになります。現代ではたまたま子ども扱いされていますが、精神的にも肉体的にも成熟した年齢なんです。そのギャップがおもしろいんでしょうね。

虐待を受けている子たちって、身の回りのことを全部自分で考えなきゃいけないから、すごく賢い子が多いんです。(春名)

―今作は、「育児放棄」というテーマを取り扱っています。谷さんはどのようにこのテーマと向き合おうとしているのでしょうか?

:僕の周囲には育児放棄とは言わないまでも、それに近い境遇で育ってきた人がいたので、それほど遠いテーマだとも思いませんでした。たとえば、サッカー部のキャプテンで、金髪だったクラスのヒーローTくんは、お母さんと二人暮らしで、お母さんもほとんど家に帰ってこないような人だった。他にも、親が帰ってこないという話をけっこう聞くような環境だったんです。また、高校・大学の友人が育児放棄(ネグレクト)の子どもたちの支援をやっているので、話は何回も聞かせてもらっています。

『TUSK TUSK』稽古場の様子
『TUSK TUSK』稽古場の様子

―春名さんは、「ネグレクト」というテーマについて、どのように考えていますか?

春名:私自身は経験がないし、友人でもそういった状況に置かれている人はいないんです。ただ、ネットでいじめについて発言したら、いじめられている子や虐待を受けている子たちからの反応がたくさんあって、なんとなく共通したものを感じることはありました。虐待を受けている子たちって、身の回りのことを全部自分で考えなきゃいけないから、すごく賢い子が多いんです。その反面、子どもっぽい一面もあったり。

―まさにマギーのキャラクターと近い部分がありますね。春名さん自身の環境との距離感はいかがですか。

春名:遠い距離の話ではないと思います。そもそも、親と子どもは別の人間で、考え方の違いはどの家庭にもあって、どうってことのないようなすれ違いでも、子どもにとっては「精神的な虐待」になることもある。「あなたのために」と勉強ばかりさせて、感情を持てない人間になったという話も少なくありませんよね。愛情だって、押しつけると虐待になってしまうんです。広い意味で「虐待」と考えたら、もしかしたらどこにでもある、誰でも経験するような話なのかもしれません。

子どもたちは母親が絶対に帰ってくると思っている。「自分たちは普通の家族なんだ」と信じ込もうとしているんです。(谷)

―「意見のすれ違い」という意味では、春名さんも経験があるのかもしれませんね。

春名:この仕事を続けさせてくれているし、親には感謝していることばかりです。けど、意見が違うというようなことはありますね。すっごいくだらないことで大ゲンカしたり……。

左から:春名風花、谷賢一

:どんなケンカ?

春名:冷蔵庫にあったお菓子を勝手に食べたら、母親に「楽しみにしてたのに!」って言われて大ゲンカになったり、耳かきがなくなって「どこにあるのよ!」って叫ばれたりします(笑)。それで言い返すからケンカになっちゃう。

:たしかにくだらない(笑)。平和ってことだね。

春名:はい、ウチは本当に平和です(笑)。

:マギーもエリオットもお母さんとケンカしたいだろうからね。ママが帰ってきて「なんでプリン買ってきてくれなかったのよー!」みたいなことに憧れているんだろうな。

春名:だから、マギーはお母さんに怒る代わりに、お兄ちゃんに怒ってるのかなって思うんですよ。

春名風花

―春名さんの家は平和なようですが(笑)、貧富の差が拡大し、育児にも手が回らない家庭は日本でも少なくありません。ある意味、この作品はイギリスを舞台にしながらも、これからの日本を予見するような作品であるように感じます。

:学生時代、イギリスに留学していたんですが、日本と似ている部分がすごく多くて、日本の5年後、10年後の状況がたくさん起きているんです。貧困が拡がり、格差が広がって、グローバリゼーションが流入していくなかで、地域のコミュニティーもどんどんと壊されていく。メトロポリタン化してしまったせいで、街から頼れる人がいなくなってしまったロンドンの状況は、まさに日本のちょっと先、もしかしたら現在進行形の問題なのかもしれません。

―演出において、そういった社会状況も意識されているのでしょうか?

:『TUSK TUSK』に描かれているような貧困やつながりの薄さを日本に置き換えて考えると、戦後の世の中の動きになるのではないかと思います。みんな自由になって個人主義的に生きることで、面倒な世間の付き合いからも開放されました。それがよかった部分もありますが、いまはそれだけではなく負の側面みたいなものが出てきている。昔に戻れと言うことはできませんが、なにをどうしたらいいのか考えていかなきゃいけないんです。そのためにも、まずはこういう状況があることをお客さんに実感してもらわなきゃならないと思います。

―ネグレクトのリアリティーを実感するために、演劇作品として提示する、ということですね。

:先日もマンションで、深夜4時くらいにずっと子どもの泣き声が聞こえてきて、「ついに虐待に遭遇してしまった!」ってなったんです。その部屋のドアの前まで行ったんですが、「万が一、猫の鳴き声で大きなお世話だったらどうしよう?」と考えてしまった自分がいた。いざ身近で問題が起きたときでも、バーン! とドアを開けて「どうしたの!?」というお節介を発揮することができないんです。個人主義といえば聞こえはいいけど、逆に言えば自己責任で生きていかなきゃならない。そのあたりをどう癒していくのかは、われわれの世代が考えなければならないと思います。

左から:谷賢一、春名風花

―ネグレクトというセンセーショナルな状況を描く一方で、この作品は、母親を求めている子どもたちの、普遍的な感情が描かれた作品であるように読むこともできます。そんな家族に対する想いは、イギリスでも日本でも、虐待を受けていてもいなくても共感できるのではないでしょうか。

:そう。周りから見たら異常な状況なんですが、当の本人たちは普通に暮らしていきたい、必死で普通に戻りたいと思っています。周囲がどんなに、彼らの母親を「育児放棄」と言っても、子どもたちは母親が絶対に帰ってくると思っている。「自分たちは普通の家族なんだ」と信じ込もうとしているんです。

―セリフの端々から、痛々しいまでにそんな感情が伝わってきますね。

春名:マギーはお母さんのことをすごく憎んでいると同時に、すごく好きなところもあるんです。それは、なにかをしてくれたからということではなく、育ててくれた人に対して絶対的に抱く愛情なのではないかと思います。赤の他人だったら「嫌い」ですむことかもしれないけど、母親だからこそ彼女たちは希望を捨てられないし、それが彼女たちをさらに苦しめている。その状況を私に置き換えることはできませんが、家族を求める感情はどの家庭でも一緒。たまたま置き去りにされたから、彼らはその思いがより強くなっているだけじゃないかな。

―そういった意味では、「家族の話」あるいは「つながりの話」なんですね。

:今回は家族であり親子ですが、人を求める気持ちは友人でも恋人でも変わらないと思います。この話における「お母さん」ってどういう存在なのかを考えたら、みんななんとなく思い当たる人はいますよね。「育児放棄」という特殊な状況がベースになっている物語ですが、きちんと人物を描くことができれば、きっと誰でも観て、感じることができる作品だと思います。

イベント情報
あうるすぽっとプロデュース
『TUSK TUSK(タスク タスク)』

2015年12月10日(木)~12月13日(日)全5公演
会場:東京都 池袋 あうるすぽっと
作:ポリー・ステナム
演出:谷賢一
翻訳:小田島恒志、小田島則子
出演:
春名風花
太田啓斗
渡邉心
花形光音
辻しのぶ
古屋隆太
ほか
料金:一般3,500円 学生2,500円 高校生以下1,000円 豊島区民割引3,000円 障がい者割引2,500円

プロフィール
谷賢一 (たに けんいち)

作家・演出家・翻訳家。1982年生まれ。DULL-COLORED POP主宰。Theatre des Annales代表。明治大学演劇学専攻、University of Kent at Canterbury, Theatre and Drama Studyにて演劇学を学んだ後、劇団を旗揚げ。ポップでロックで文学的な創作スタイルで脚本・演出ともに幅広く評価を受けている。2013年には『最後の精神分析』の翻訳・演出を手掛け、『第6回小田島雄志翻訳戯曲賞』『文化庁芸術祭優秀賞』を受賞。近年の作品に、KAAT『ペール・ギュント』(翻訳・上演台本)、PARCO『マクベス』(演出補)、東宝『死と乙女』(演出)、シアターコクーン『PLUTO』(上演台本)などがある。

春名風花 (はるな ふうか)

2001年生まれ。神奈川県出身。子役として多くの映画やCMなどに出演していた。現在、NHK Eテレ『おまかせ!みらくるキャット団』出演中。他にもNHKEテレ『ストレッチマンV』レギュラー。テレビ東京『ピラメキーノ』などに出演。また、日本テレビ『偽装の夫婦』では幼稚園のみどり先生として出演し、女優としての一歩を踏み出している。舞台への出演は、朗読劇『潮騒の祈り』(2014年12月・文化放送 メディアプラスホール)など。



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