落語家・立川志の輔が「化け物」と言った桑田佳祐のスター性とは

今年の2月26日に60歳の誕生日を迎えるサザンオールスターズの桑田佳祐。その還暦祝いのメッセージとして、各界の著名人の方に話をうかがうこの企画。最初にご登場を願ったのは、落語界から立川志の輔。

2010年の入院時、桑田佳祐が病室で志の輔の落語DVDを熱心に見ていたというのは、退院後に本人によって明かされたエピソードとしてよく知られている。つい先日も、ラジオ番組(『桑田佳祐のやさしい夜遊び』)で桑田佳祐は『立川志の輔独演会「志の輔らくご in PARCO 2016」』にいたく感銘を受けたことを語っていた。いわく、「素晴らしいとか、かっこいいとか、すごいとか、そういう表現を全部取っ払って、落語というのは人間の色気だなとつくづく思います」。

志の輔は桑田佳祐よりも2歳年上。音楽界と落語界、活動のフィールドはまったく違うものの、ほぼ同じ時代の日本を生きてきた表現者同士だ。実は大の音楽好きでもある志の輔に、桑田佳祐との交流、その音楽との初めての出会い、そして音楽と落語の根底で響き合うものについて、じっくりと語っていただいた。

片やミュージシャン、片や落語家として、長いことずーっと繋がっていたような不思議な気持ちがします。

―志の輔さんが桑田さんと交流を持つようになったのは、いつ頃のことなんですか?

志の輔:交流というより、私はずーっと、それこそサザンがデビューした頃から勝手に大ファンだっただけなんですよ。だから、桑田さんが落語をよく聴いているということを知ったときにまず驚いたし、しかも、その中に私の作品もあるということに本当に驚きました。最初は、桑田さんが2010年に手術のために入院されて、退院後、『MUSICMAN』(2011年発売、桑田佳祐のソロアルバム)の中で一番気に入った曲について話すというWOWOWの企画でお声がけいただいて、「え? 私でいいの?」と(笑)。その後、2012年にはNHKの番組(『SONGSスペシャル“桑田佳祐の歌ってガッテン!”』)でご一緒させていただいたのですが、桑田さんならではの本当にバカバカしくて最高の番組でしたね(笑)。

立川志の輔
立川志の輔

―じゃあ、ご本人と顔を合わされたのはわりと最近なんですね。

志の輔:そうです。あとは、何度かライブを拝見して、その後に楽屋でご挨拶をさせていただいたりしたくらいで。だから、ご本人とお会いして直接お話したのは何回あるのかと言われると、本当に数回しかないんです(笑)。ただ、今になってみると、片やミュージシャン、片や落語家として、長いことずーっと繋がっていたような不思議な気持ちがします。もちろん、自分はずーっと桑田さんの音楽を聴いてきたただのファンなわけですけど。

―志の輔さんも桑田さんも広い意味で「芸の世界」で長年活躍してきた表現者だけに、もっと以前から接点があったのかと思っていたのですが、そういうものなんですね。

志の輔:落語界は芸能界とは違うんですよね。桑田さんがいる音楽界とももちろん違う。桑田さんは鋭い方だから、笑いやサービス精神といった要素だけでなく、落語の中にある音楽性を聴き取ってくださっているような気もしますが、やはり生きている世界は全然違います。

―志の輔さんは桑田さんより2歳年上ですが、サザンオールスターズとして桑田さんがデビューしたとき、自分より年下のバンドがバーッと華々しく活躍しているのをどのような思いで見ていたんですか?

志の輔:いやいや、とにかく大変な人が現れたなと。年下とか年上とか関係なく、完全に圧倒されましたね。これまでの日本の音楽の世界を変えてしまった存在というか、「これは音楽なのかな?」と思ってしまうくらいのインパクトがありました。「歌詞って聴き取れなくていいのか!」と。私は大学で落語研究会にいて、卒業してからも落語家になりたい落語家になりたいと思いながら、演劇をやってみたりしていた時期だったんですが、「こんな言葉の表現があるのか」って、もう目から鱗でしたね。私らの世代の大学生はみんな井上陽水や吉田拓郎のフォークミュージックを聴いていて、そこから海外のLed ZeppelinやPink Floydでロックの世界を知るようになっていったわけですけど、そのどれともまったく違った。

立川志の輔

初めて桑田さんのコンサートを見たときは、本当に腰が抜けるくらい驚きましたね。「この歳で、こんなにものすごいライブをやってるんだ!」って。

―志の輔さんの口からLed ZeppelinやPink Floydの名前を聞くのは新鮮です(笑)。

志の輔:音楽はずっと大好きでしたね。それこそ、The Ventures、The Beatlesの時代からずっと洋楽も聴いてきた。大学3年生のときにジャズに出会って、それも大きな衝撃だったんですけど、サザンとの出会いはそれと同じくらいの衝撃でした。下北沢にレディー・ジェーンというジャズバーがあって(現在も営業中)、当時はそこに入り浸っていたんですが、開店直後の夕方5時くらいにサザンのデビューシングルの『勝手にシンドバッド』を持って行って、ビル・エヴァンスやマイルス・デイヴィス、オスカー・ピーターソンなどがかかっている中で、「これをかけてくれない?」と仲の良かった店員さんにお願いして(笑)。自分の部屋で聴いたとき、あまりにもびっくりしたので、お店のいいステレオの大きな音でも聴いてみたくなっちゃったんですよ。それで「店長が来るまでですよ」って約束で、かけてもらったことを覚えていますね。

立川志の輔

―筋金入りのファンじゃないですか(笑)。

志の輔:いや、それほどまでにサザンのデビューは衝撃的だったんですよ。The Beatlesがデビューしたときに世界中の大人が眉をひそめたように、サザンがデビューしたときは日本中の大人がみんな眉をひそめていたんじゃないですかね。それが、“いとしのエリー”が出た頃になると、だんだん大人たちもそのすごさに気づくようになるわけですが。でも、当時の自分はお金もなかったし、何よりもまだ人生の行方が全然定まっていない時期だったから、レコードはずっと聴いていましたが、コンサートに行くような余裕はなかったんです。だから、2012年に横浜アリーナで初めて桑田さんのコンサート(『桑田佳祐 LIVE TOUR 2012 I LOVE YOU -now & forever-』)を見たときは、本当に腰が抜けるくらい驚きましたね。「この歳で、こんなにものすごいライブをやってるんだ!」って。

化け物みたいな人だなと。ちょっと、私の師匠の(立川)談志に近いところがありますね。

―落語のライブと音楽のライブの違いは大きいとは思いますが、同じように人前でライブをする立場として、なにか発見のようなものはありましたか?

志の輔:商売柄なんでしょうねえ(笑)。最初のうちはつい、ステージを知っている人間として、いろいろと思うんですよ。桑田さんとお客さんの絡みを見ながら、「こんなにうまく話が転がるってことは、もしかしてこれは仕込みなんじゃないか?」とか(笑)。でも、実際は仕込みでもなんでもないんですよね。見ているうちにどんどん夢中になっていって、そんなことどうでも良くなってしまう。ステージが進むにつれて、何万人といる客が一つになっていくのが、手に取るようにわかるんですよね。落語の世界では、大きな会場でやったから偉いということはまったくないということもあって、横浜アリーナや、あるいはサザンのときの京セラドームのような大きな会場を見ても別になんとも思わないんです。でも、ただ大きな会場でやっているだけではなくて、その大きな会場にいる何万人という客を桑田さんはすべて掌握して、一つにしてしまう。そこは本当に驚きでしたね。「一体これは何なんだろう?」って。

―京セラドームは、昨年のサザンの『LIVE TOUR 2015「おいしい葡萄の旅」』のときですね。

志の輔:はい、昨年も見させてもらいました。そのときも、いつも出囃子をやってもらっている弟子と一緒に行って、スタッフの方にお誘いを受けたので、折角なのでご挨拶しようと、終演後、楽屋裏にお邪魔したんですが、遠くから桑田さんが、ダンサーの方々やスタッフの方々、その一人ひとりを労っている声が聞こえてくる。なんて細やかな心遣いをする方なんだろうと思いながら待っていたら、私に気づいた桑田さんが、私の後ろに立っていた見知らぬ女性を指さしながらいきなりこう言ったんですよ。「この人が携帯落とした人ですか?」。えっ、携帯を落とした? この人って誰? 一瞬、何を聞かれてるのかわからなかったんです。

―……?

志の輔:あ、あなたもですか(笑)。それでちょっと戸惑っていたら、桑田さんが原坊(原由子)さんに向かって「あ、この人じゃないんだ、携帯落としたの(笑)」と言ってるのを聞いて、ようやく気がついたんです……。桑田さんは、このコンサートの2日前にWOWOWで放映されたパルコ劇場でやった落語——その1席目のまくらで披露した、「スタッフが雪の中に携帯を落とした事件」のことを言っているんだって(笑)。それで、またまた感動したといいますか、驚いてしまったんです。だってそうでしょう? これだけのステージを控えているのに、ご夫婦で私の落語を観てくださったばかりか、つい数分前まで何万もの客を前にあれだけすごいステージをして、きっとまだ大変な興奮状態にあるはずなのに、私の顔を見た途端、私がまくらで言ったことを瞬時に思い出して、ありきたりな感想なんか言わず、いきなり質問してきた。その感じって言葉では説明しにくいのですが、桑田さんの記憶力や頭の回転の速さ、機転の利かせ方や表現の仕方というのが、常人じゃない、とてつもないなあって。

―なんとなく、ニュアンスはわかります。

志の輔:言い方は変かもしれませんが、「化け物みたいな人」だなあ。ちょっと、私の師匠談志に近いものがあるなあと。

―あぁー。

志の輔:ただまぁ、うちの師匠の場合は、表現の仕方はさておき、発言の内容がほとんど悪口になっちゃうんですけどね(笑)。

立川志の輔

―(笑)。

志の輔:本当にね、桑田さんのあの一分の隙もないサービス精神っていうのがどこから湧いて出てくるのか、不思議でしょうがないですね。

いつの時代に生きていても良かった気もするけれど、やっぱり桑田さんと同じ時代に生きていて良かった。

―大変僭越ながら、桑田さんと志の輔の表現者としての共通点を考えたときに、自身が活動しているフィールドだけでない、他のジャンルまで見渡して精通した、その視野の広さというのが思い浮かんだんですけど。

志の輔:いやいやいや、レベルが違いますよ。まぁ、自分もそうでありたいと思いますけどね。落語の根底にあるものは「日本人」なんですよ。「言わなくたってわかるだろ、なぁ?」の、その西洋人にはわからない「それを言っちゃあ、おしまいよ」っていう感覚。そこの部分で、もしかしたら桑田さんの表現とも繋がっている部分はあるかもしれないと、勝手に思うところはあります。桑田さんやサザンの表現も、もちろん最初の衝動としてはThe Beatlesをはじめとする海外のロックも大きかったと思いますが、歳を重ねていく中で、結局のところ「日本」というものを自分なりに表現しようとしていて、そこで格闘をしているんだろうなというのは伝わってきますし。たとえば、うちの三番弟子は今、落語を英語に訳して、いろんな国で落語をやったりしていますが、「英語で落語をする」というのも、結局は「英語で日本人の感覚、日本人のものの考え方を広めている」ってことなんですよ。

立川志の輔

―なるほど。

志の輔:だから、音楽の分野であれだけ長く頂点に立ってきた桑田さんが、たとえば“声に出して歌いたい日本文学”(日本文学の名作10作品の詩や文章を抜粋し、書き下ろしの曲をつけて歌った曲)のような試みで、日本文学の魅力を音楽で伝えようとしている。そういう姿を見て、とても敬服するし、共感するところはありますね。

―志の輔さんは落語という伝統芸能の中で、これまでずっと新しいことにチャレンジしてきたわけですけど、もしかしたら今や、桑田さんがやってきたロックというものも伝統芸能になりつつあるのかもしれません。実際に海外では、もうロックというのは一つの型になっていて、もはやこれまでのような若者文化とは言えない時代になってきていると思うんですよね。

志の輔:いや、私からすると、テレビのCMであれだけサザンの曲がたくさん使われているのを見て、桑田さんの音楽やサザンの音楽というものに、ようやく日本人が追いついたんじゃないかと思うんですよね。もちろん、デビューしてすぐにサザンは人気者になったわけですけど、本当に世代を問わず「みんなの歌」のような存在になったのって、最近なんじゃないかって。だから、伝統芸能という感じは全然しないですね。昔サザンで育ってきた世代が歳をとって、その世代が今も支持しているだけだったらそれは伝統芸能かもしれないけれど、桑田さんの作る歌は今もたくさんの若者に聴かれているじゃないですか。

―確かに、うちの小学生の子どももよく歌ってます。

志の輔:それってやっぱり、すごいことですよ。デビューから40年近くも経っているから気づきにくいけれど、サザンっていうのはこれまで長い時間をかけてゆっくりとこの国の文化の真ん中に近づいてきて、やっとその中心にきたのが今だと思うんですよね。どこから聴いても、誰が聴いても、いい音楽だっていう。それは表現として丸くなったっていう意味ではなくて、まるでこの国の文化の中心にある球体のような存在になったということだと思うんです。音楽の専門家にとっては別の視点もあるんでしょうけれど、それがデビューからずっと桑田さんの音楽を聴いてきた、同年代の一人としての私の実感ですね。

―なるほど。

志の輔:談志の落語を聴いて、よくファンの人が「談志さんが生きている時代に自分も生きていて幸せだった」と言っていたんですけど、桑田さんの音楽をずっと聴いてきたことで、私にもその気持ちがやっとわかるようになりましたね(笑)。いつの時代に生きていても良かった気もするけれど、やっぱり桑田さんと同じ時代に生きていて良かったって。だから、今も過去の功績を振り返るとかそういう気持ちは全然なくて、同じ時代を生きていて、桑田さんの新しい活動を追っていきながら、少しでもそこから何かを吸収できたらいいと思うだけですね。

立川志の輔

―それでは最後に、還暦を迎える桑田さんに、2年前に還暦を迎えた先輩として何かメッセージをお願いします(笑)。

志の輔:いやいや、先輩なんてとんでもない。私としては、これまでゆっくりとお話したことがないので、一度じっくりお話を聞かせていただきたい。それだけです。大きな病を克服されたことで、きっと自分なんかよりもずっと、命のありがたさであったり、時間の尊さを知っている方だと思うので、そういう話もこっそりと聞いてみたい。世の中には「60代が最も輝いていた」と言われる表現者もいますし、一方で、「60過ぎたら残りの時間はおまけ」のような「長生きできて儲かった」といった考え方もある。だから逆に、桑田さんに「桑田さんはこれからどういう60代を送りたいと思っているんですか?」と訊いて、それを自分にとっての指針にしたいですね(笑)。



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