Aphex TwinやSquarepusher、映像作家のクリス・カニンガム、そして初音ミクまで。異なるジャンルの表現者との積極的な共同制作や、先端テクノロジーの舞台への導入によって、コンテンポラリーダンスの枠組みの拡大をリードしてきたイギリスの異色振付家、ダレン・ジョンストン。エレクトロニックミュージックにおけるリズムへの陶酔や、音響への同化、それが人にもたらすトリップや無心状態。彼が「瞑想」や「静けさ」の世界へと関心を持った一つのきっかけは、そんなクラブカルチャーの光景だった。
ダンス教育の名門「ラバンセンター」を卒業したエリートでありながら、ヒップホップやレイヴカルチャーをルーツに持つ彼は、1980年代以降のイギリスの若者文化から何を学び、どのように作品へ活かしてきたのか。そして、そんな彼が子ども時代から抱いていたという、「日本の静けさ」に対する親しみとは? 世界に先駆け6月に高知で初演される新作『ZERO POINT / ゼロ・ポイント』を控え、ダンスのみならず、音楽や美術の世界からも注目される気鋭の表現者を訪ねた。
高知の市場で新鮮なカツオを食べながら、酔っぱらった人と会話するのが楽しかった。
―今回の作品『ZERO POINT / ゼロ・ポイント』は、2013年の高知県での滞在制作をきっかけに生まれたそうですね。高知の印象はどのようなものでしたか?
ジョンストン:とにかく静かな場所で、制作にピッタリの環境だと感じました。2003年に初めて日本を訪れて以来、東京や京都、埼玉に行ったことはあったのですが、高知はそうした都市からほどよく離れており、ある意味で孤立している点が良かった。とてもリラックスした雰囲気がありました。自然と触れ合いながらアイデアを練り、また地元の人たちとワークショップも行いました。
―現地ではカツオにハマっていたとお聞きしました。
ジョンストン:そう、ぼくはカツオ中毒者です(笑)。高知ではいたるところで新鮮なカツオが食べられるんですね。そのなかの「ひろめ市場」というフードコートのような場所で、酔っぱらった人たちと会話するのが楽しかった。高知の人はフレンドリーなんです。宿舎とスタジオと街中、この3つを行き来するシンプルな暮らしがとても制作向きでした。東京もそうですが、ぼくが暮らしてきたロンドンやベルリンは、どんな文化にもアクセスしやすい。もちろん良い面でもあるけど、不要な刺激も多すぎます。
―創作活動には静けさが必要ということですか?
ジョンストン:『ZERO POINT』に関して言えば、高知のような場所でなければ生まれませんでした。この作品は、要素をそぎ落とす「ミニマリズム」の考え方や、瞑想的であることを大事にしています。こうした指向を持つようになったのは、2009年にロンドンからベルリンへ引越し、現地のミニマルアートやエレクトロニックミュージックに影響を受けたことも大きいです。
―瞑想も音楽の流れから興味を持ち始めたのですか?
ジョンストン:同じ時期でしたね。瞑想は思考から不要なものを取り除く作業ですが、それを始めたことで、散らかったスタジオにストレスを感じたり、モノをよく捨てるようになりました。高知にも最低限のモノしか持って行かなかったし、お遍路に興味を持って、県内のお寺を1週間かけて巡ったのも、アシスタントと二人だけの静かな旅でした。
―お遍路や瞑想など、東洋的な文化への関心をお持ちなんですね。
ジョンストン:子ども時代に柔道をやっていた影響かもしれません。お辞儀などの規律や、儀式的な身振りに興味があったんですが、それがいまの振付にも活きている。初めて日本に来たときは、静けさの感覚や、直接的ではない微妙な所作によって成立する感情表現に感銘を受けました。イギリスにも同じように、伝統を重んじる行儀の良い部分があるのですが、西欧社会では常に意見を求められるので、ただ黙っていることはなかなかできません。でも自分は内向的だったので、子どものころから静かな場所を求めていた。高知はまさにそんな場所だったんですね。
―そうした理想的な環境で、今回の作品の着想を得たと。
ジョンストン:ぼくが触れてきたパンクやアシッドハウス、スケートボードなどのサブカルチャーは、基本的に既存の権威を壊していこうとするものです。そこでは、たとえ他人の領域を侵してでも、アートを成立させることが良しとされますが、日本人は周囲の人々や環境との連続性を非常に大切にしますよね。そのような感性に惹かれるんです。
―今作のテーマ「Rebirth」も東洋的なイメージを連想させます。
ジョンストン:もともと輪廻や円環的な周期に関心があって、どこかで日本文化にも関連していると思っていました。それで高知を訪れたとき、プロデューサーに「お遍路文化」の存在を教えてもらい、実際に体験してみると、まさに浄化であり、生まれ変わりの儀式だった。そこで得た経験から、今回の作品は構想されたんです。
Aphex TwinやSquarepusherの音楽が、「瞑想的な静けさ」への関心を深めてくれた。
―ダレンさんの作品が面白いのは、研ぎ澄まされた「禅的」な精神性を扱いつつも、プロジェクションマッピングなどの新しいテクノロジーやエレクトロニックミュージックといった、さまざまな要素を混ぜ合わせた舞台を作られていることだと思います。
ジョンストン:それは面白い視点ですね。さきほども言ったように、ぼくは1990年代初頭にレイヴカルチャーに触れながら10代を過ごし、後にコラボレーションするAphex TwinやSquarepusherと出会うのですが、そもそもは、彼らの音楽が「瞑想的な静けさ」への関心を深めてくれたんです。レイヴ会場には踊り疲れた人が休むためのチルアウトルームがありますが、そこでアンビエントミュージックを聴きつつ、無心になる人々に惹かれていました。またトランスなどの激しいダンスミュージックも、踊りながら一種の瞑想状態に入ることを目的にしていた。なので、そうした要素が合わさるのは自然なことだったんです。
『ZERO POINT / ゼロ・ポイント』リハーサル風景(酒井はな、島地保武)
―ダンスミュージックでは、自らの身体を通して音楽に陶酔し、一種の「無」を経験することができますが、舞台芸術は観客にとって客観的な経験ですよね。その違いについてはいかがですか?
ジョンストン:レイヴも舞台芸術も、一種の集合的な経験だと思うんです。子どものころ、教会に通っていたのですが、そこでは大勢で讃美歌を歌うことでトランス状態になり、神様とつながっていたわけです。同様に日本でも、仏教の儀式を何度も見ましたが、言葉がわからないのにもかかわらず、やはりそこに「つながり」を感じることができました。ぼくの作品は、こうした集合的な儀式に近いもので、客席で誰かが急に踊り始めても構いません。以前、「パンクバレエ」の振付家、マイケル・クラークの舞台を観たときは、観客が自由に飲酒、喫煙をしていましたし、ジェフ・ミルズがクラシック音楽を演奏するコンサートホールでライブをしたときは、まさに踊っている観客がいました。それは素晴らしい体験で、そもそも「劇場で踊ってはいけない」というのは教育による刷り込みだと思います。
ヒップホップやレイヴの持っていたジャンルの融合性は、一種のアートの形態だったと思うんですよ。
―奇遇にもクラークは、かつて高知県立美術館が単独招聘した作家でもありますね。ところで、そもそもダレンさんがダンスに興味を持ったきっかけは何だったのでしょう?
ジョンストン:1980年代に最初のヒップホップムーブメントがあって、グラフィティとDJとブレイクダンスが流行し、若者が50人くらい集まってダンスバトルをやっていました。親に反対されながらも見に行ったら、急に「踊ってみなよ」と言われて。見よう見まねで踊ったらみんなが驚いてくれて、そのままパフォーミングアーツの学校に行くことになりました。
『ZERO POINT / ゼロ・ポイント』リハーサル風景(酒井はな、島地保武)
―ルーツはヒップホップのブレイクダンスだったんですね。
ジョンストン:1990年頃には、アシッドハウスやハードコアテクノと呼ばれる音楽に流行が移っていて、よりアンダーグラウンドな現場に顔を出すようになりました。そのときもあるフェスで踊っていたら「ステージに上がって踊りなさい」と言われて。当時16歳くらいだったのですが、スポットライトを浴びながら1万5千人の観客の前で踊る快感を知って、「ダンサーになりたい」と決心したんです(笑)。
―エピソードがどれもすごいです(笑)。
ジョンストン:でもこの後、ちょっと面白いことが起きたんです。というのも、ヒップホップやレイヴカルチャーは、音楽やダンス、グラフィックなど、いろんなジャンルが混ざり合ったムーブメントだったのですが、それらが1990年代を通して枝分かれし、洗練されていったんですね。そして、1990年代後半には、音楽は複雑で断片的なものになり、簡単に踊れるものではなくなりました。もちろんそうした音楽も好きなのですが、一方でヒップホップやレイヴの持っていたジャンルの融合性は、一種のアートの形態だったと思うんですよ。
『ZERO POINT / ゼロ・ポイント』リハーサル風景(酒井はな、島地保武)
―かつてのヒップホップやレイヴカルチャーにあった総合芸術的なあり方を、いまの表現として、ご自身の舞台作品にしていきたいということでしょうか? ダレンさんは1990年代後半に、世界的なダンス教育機関として知られる「ラバンセンター」に入学されています。
ジョンストン:まさにそうです。そうした変化のなかでラバンに通い始めたのですが、ルーツは総合的なアートだったので、あるジャンルだけに特化しようとは思いませんでした。ダンスはグラフィックデザインや演劇ともつながるはずで、ぼくのボーダレス的な側面は、そうした背景から来ているんです。ラバンの卒業制作では、Squarepusherの音楽に合わせて、自分で照明を操作し、サルサなどラテンの背景を持ったプエルトリコ人とコロンビア人のコンテンポラリーダンサーにお願いしました。いまの活動につながる一歩だったと思います。
―音楽シーンの変遷と、ダレンさんのダンス経験がシンクロしているのが面白いですね。
ジョンストン:ダンスを突き詰めていくと、コンテポラリーダンスに行き着くのですが、じつはそんなアカデミックな世界と、アンダーグラウンドシーンは交差することがあるんです。これは音楽の例ですが、Aphex Twinは自室で作られた「ベッドルームミュージック」と呼ばれていましたが、いまではアカデミックな教育を受けた人間が、彼の音楽を必死に解析しています。また近年では、ヒップホップやレイヴにおける諸ジャンルの融合の歴史を、ちゃんと研究してドキュメント化しようという動きもある。ぼくはジャンルが細分化されて専門化すると同時に、新たなかたちで結びつこうとしていた時代に活動を始めました。だから、その経験からしか生まれない作品を作りたいと思っているんです。
ビデオアーティストとして活動するなかで、ジャンルの規律に縛られない思考を学びました。『ZERO POINT』はその集大成的な作品です。
―さきほど、ご自身で照明を操作したというお話がありましたが、ベルリン移住後はビジュアルアーティストとしても活動されていますね。
ジョンストン:ラバンセンターを卒業してから約1年の間に3つの賞をいただいて、その後、憧れていたいくつかの劇場での公演の機会にも恵まれました。ただ、若い作り手がすぐに評価を得ることは危険な面もあって、長い期間をかけて自分のスタイルを醸成する機会を失ってしまうわけです。そのため、照明や空間デザインを学ぶなど、意識的に以前とは異なる方法論を取り入れていきました。また、ベルリンに移住したころは、ダンスの世界から少し離れたいとも思っていた。それで、ビデオインスタレーションを発表したんです。
―ダンスから離れたかったのはどうしてですか?
ジョンストン:やりたいことはある程度やれていたけど、業界のなかではアウトサイダーだったんですね。一方、ビデオアートの作品に、いわゆるダンスとは異なる動きの面白さを感じて、新しい世界に飛び込んでみたくなりました。それでもダンスの世界に戻ってきたのは、同じ時間芸術として、映像で得たものを舞台に応用できると考えたからです。振付家・ビデオアーティストとして活動するなかで、ジャンルの規律に縛られない思考を学びました。『ZERO POINT』はそうした経緯の集大成的な作品なので、親しみを感じています。
―今作の音楽は、カナダのエレクトロニックミュージシャン、ティム・ヘッカーが担当します。彼の音楽も、ダレンさんの振付と同じく、構築的かつ情緒的なものですよね。
ジョンストン:ベルリンであるミュージシャンと話していたとき、「君が求める音楽的特徴をすべて備えているのがティムの作品だ」と言われたんです。実際にその音楽体験は、超越的と言えるほどのものでした。感情的だけど、直接的ではなく、また音によって骨が振動しているのがわかるような身体性も持っていた。制作方法もユニークで、音響によるテクスチャーのパターンをいくつも作って、その断片を組み合わせることで、まるで空間を彫刻していくように音楽を鳴らすんです。ぼくが視覚的にやってきたことを、彼は音でやっている。すべての要素が反復的に融合した舞台になると考えています。
―出演者には、バレエのバックグラウンドを持つ酒井はなさん、そしてヨーロッパでの経験も豊富な島地保武さんがいらっしゃいますね。
ジョンストン:はなさんとは、前回の来日時にアーキタンツというスタジオから紹介されました。もともとクラシックダンサーの身体的な可能性に関心を持っていたのですが、彼女のダンスを見たとき、クラシックの素養に加えて、ほかのダンサーにはない柔軟性や流動性を感じたんです。身体のフォルムを通して、彫刻的に何かを作っていける雰囲気があった。そこに惹かれ、ぜひ一緒に作品を作りたいと思いました。
―彼女に限らず、多くの作品でアジア人のダンサーを起用されていますが、その理由は何でしょうか?
ジョンストン:アジアのダンサーへの興味は、ラバン在籍中から抱いていました。同級生に日本人のダンサーがいて、上手く言えないのですが、同じ動きをしているのに、彼女には明らかに自分たちと違う間や深みがあったんです。自分の作品も、舞踏や気功にたとえられることが多いので、どこか通じる部分があるんだと思います。
『ZERO POINT / ゼロ・ポイント』リハーサル風景(酒井はな、島地保武)
―高知で生まれた作品を、世界に先駆けて高知で初演する。それは、とても自然なことであると同時に、大きな意味があるとも思います。まさにダレンさんが経験したように、観客もさまざまな喧騒から離れ、精神と向き合うような体験ができそうですね。
ジョンストン:そう思います。この作品は高知での経験から生まれ、その後、ロンドンのバービカンセンターやオーストラリアの『パース国際芸術祭』など、各地での制作や、さまざまな機関の協力を得ながら進化してきたわけですが、初演は始まりの場所である高知でやりたかったんです。
―格安航空券の普及もあって、日本国内でも高知はぐっと身近になりました。
ジョンストン:手軽に行けるようになったとはいえ、都市部から時間をかけて高知に訪れることは、作品に対しても特別なコミットメントを生むはずです。それは単なる静寂の経験とは異なる、静けさに到達するための瞑想的な旅になるでしょう。ぼくの作品を通して、多くの人に静けさに対する敬意が伝わればいいと思っています。
- イベント情報
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- 高知パフォーミング・アーツ・フェスティバル 2016
日英豪国際共同製作 世界初演
『ZERO POINT / ゼロ・ポイント』 -
2016年6月25日(土)、6月26日(日)
会場:高知県 高知県立美術館ホール
振付・演出:ダレン・ジョンストン
作曲:ティム・ヘッカー
出演:
酒井はな
島地保武
近藤美緒
浅井信好
飯島望未
大手可奈
辻田暁
中間アヤカ
鈴木奈菜
水野多麻紀
安岡由美香
料金:
一般 前売2,500円 当日3,000円
学生 前売1,500円 当日2,000円
- 高知パフォーミング・アーツ・フェスティバル 2016
- プロフィール
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- ダレン・ジョンストン
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振付家、ビジュアルアーティスト。ヨーロッパ最大のコンテンポラリーダンス教育機関ラバンセンターにて『最優秀振付賞』を受賞し卒業。以降12年以上に渡り、ジャンル横断型の革新的なパフォーマンス作品を発表し続けており、テクノロジーと実験的な手法による、相互作用や知覚、没入型の体験が作品の重要な要素となっている。『Ren-Sa』(2005)は、『エディンバラ・フェスティバル』で『ヘラルド・エンジェル賞』を受賞。サウスバンク・センターやザ・プレイス、ラウンドハウスといったロンドンの主要劇場でのアーティストインレジデンスや、パルコ・デッラ・ムジカ音楽堂(ローマ)、『フェスティバルVEO』(バレンシア)など国際的な劇場やフェスティバルでの委嘱、上演を行なっているほか、Aphex Twin、Squarepusherなど、著名なミュージシャンとのコラボレーションも実現させている。近年では、ビデオインスタレーションの発表や、『CTMフェスティバル』(ベルリン)での初音ミクを題材としたコラボレーションへの参加など多岐に渡り活動している。
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