私たちにとって「国」とは何だろう? それは、個人のアイデンティティーのよりどころとなり得るものであると同時に、ときにその思想や行動に介入する脅威ともなる。金沢21世紀美術館において開催中の『西京人―西京は西京ではない、ゆえに西京は西京である。』展は、近年さまざまな意味で問われているそんな「国のかたち」へと思考を誘いながら、そこから自由になる術も教えてくれる展覧会だ。「西京人」は、それぞれ日本、中国、韓国出身のアーティストの小沢剛、チェン・シャオション、ギムホンソックによるユニットで、会場には彼らの架空の国「西京国」が築かれている。お互いの家族をも巻き込む活動から見えてきた、持続的な他者との交流の重要性とは? 展示会場で小沢とギムホンソックに話を聞いた。
日中韓の三人ということで、アジア情勢に結びつけられることが多いのですが、じつはあまり関係がないんです。(小沢)
―2007年に結成された「西京人」は、日中韓のアーティスト三人によるユニットです。今日は残念ながらチェン・シャオション(中国)さんの参加が叶いませんでしたが、そもそもこの活動はどんな経緯で生まれたのですか?
小沢:日中韓の三人ということで、アジア情勢に結びつけられることが多いのですが、そうしたことはあまり関係がないんです。ぼくの関心で言うと、非西欧のアート作品を集めてパリのポンピドゥーセンターで開催された『大地の魔術師』展(1989年)の後、ぼくも含めたアジアの作家がどんどんヨーロッパで紹介されるようになった。そんななか、隣のアジアの国々のアーティストとヨーロッパで初めて知り合うということがよくあって、だったら、直接アジアの作家同士で作品を作れないかなと思ったのがきっかけでした。
―じゃあ、結成以前からみなさんはお知り合いだった?
小沢:そうなんです。いろんな場所で顔を合わせていました。でも、文化交流などの名目でみんなが一つの会場に展示するわけですけど、単に同じ場所に作品を展示しただけで交流と呼べるのか? という疑問があって。それで、2005年にまず(チェン・)シャオションとユニットを組み、2007年に共通の知人だったギムホンソックを誘って「西京人」を始めました。
ギム:ぼくは1990年代のほとんどをドイツで過ごしたのですが、小沢さんも言った通り、当時のアートシーンでは反植民地的な思想が盛り上がりを見せていました。なので「西京国という新しい国を作ろう」というぼくたちのコンセプトはすんなり受け入れられた。一方、このコンセプトと実情に開きがあったのも事実です。特に現代化の遅れた韓国にとって、日本は半分「西洋」で、近くて遠い憧れの対象でした。また当然、歴史観の違いなどもある。
―協働作業を進めるなかで、そうした歴史観の違いは障壁にならなかったのでしょうか?
小沢:ぼくらは拙い英語でコミュニケーションしているのですが、議論できるほどの豊富なボキャブラリーを持っていませんからね(笑)。下手な英語で見切り発車のように計画を立て、作品を作っていく。誤解があったとしても、そうした経験の繰り返しで、どんどん距離感が狭まっていきました。
ギム:メンバーそれぞれの歴史観について、すれ違いや衝突が生まれるのはイヤでした。でも、日中韓のバックグラウンドを抜きに対話したことから、可能性が見えてきた。それは単純に「日中韓の違い」に触れないのではなくて、自分たち自身の話をしたわけなんです。
―国を背負って対話するのではなく、あくまで個人的に対話すると。
小沢:そうです。一方で食文化など、共通項も多くありました。今回の展覧会タイトル『西京は西京ではない、ゆえに西京は西京である。』は、仏教の考え方を参考にシャオションが提案してくれたのですが、そういった東洋的な思想も、学習したというより、お互いにいつのまにか身についているものですよね。
ギム:日中韓に限らず、義務教育の目的の一つは、愛国心を養うことだと思います。愛国心を教育してこそ人は所属感を獲得できるので、それ自体は悪いことではありません。でもぼくは、それよりも人間愛や、故郷愛のほうが重要ではないかと思っているんです。どうしても韓国は日本に偏見を持ちがちですし、その逆もありますよね。架空の国を作る「西京人プロジェクト」は、そんな誤解を乗り越えるためのツールにもなり得るし、そこすらも超えて、ぼくの人生プロジェクトのようなものになっているんです。
自分が正しいと信じている価値観が、決して自明ではなかったりする。ある国にいるだけでは、なかなかそれに気づけません。(ギムホンソック)
―「新しい国を作る」と聞くと、いわゆるユートピアを思い描く人もいるかもしれません。しかし「西京人」のみなさんは、それぞれの活動を通して、むしろ目を背けられがちな自国の歴史や姿にメスを入れてこられた。たとえば小沢さんは、多くのアーティストが西欧の後追いをしていた1980年代から、醤油を使った「醤油画」を描くなど、日本人のある意味では垢抜けない文化の土台を率直に見直し、作品にしていましたね。
小沢:大学時代から、周囲のやっていることに違和感がありましたね。とくにぼくは油絵をやっていましたから。直接的に「西洋を真似ろ」と言われたわけではないけど、やっぱりそうした雰囲気が強かった。よく言われますけど、明治のころは、パリにとりあえず留学をして、向こうで何もやっていなくても、帰国したら「洋帰り」と言われ一人前の画家の扱いを受けていた。そういう近代日本の姿を学ぶと「バカバカしい」と思うのですが、結局それがいまも続いている。そんな日本の姿を、考え直したかったんです。
『西京人―西京は西京ではない、ゆえに西京は西京である。』展示風景
『西京人―西京は西京ではない、ゆえに西京は西京である。』展示風景
―一方でギムホンソックさんは、長らく「翻訳」という問題に焦点を当てた作品の制作を続けてこられました。
ギム:韓国は1945年に独立した新しい国です。そして、新しい国にとって何が必要かを考えるなかで、とくにアメリカを参照、模倣して、その文化を翻訳することから自国のアイデンティティーを築き上げてきた。ぼくの関心は、その2つの文化の間にある可能性とオリジナリティーの問題なんです。たとえば、ある文章をハングルから英語、そして再びハングルへと翻訳したとき、その文章はもとの作家のオリジナルと言えるのかどうか? そうしたことを作品にしてきました。もちろん、その過程では誤読も起こります。ぼくにとっては、韓国人が西洋風の髪型と衣装を身にまとい、ハングルで歌うオペラは悪夢的なものでした。でもそんな雑種性を認めることも、一方では重要なわけですね。
小沢:今日来られなかったシャオションも、今回の展示で、この100年ほどの間に起きた各国の歴史的事件や、国家の暴力に立ち向かう人々の姿を描いたアニメーション作品を出品しています。また展示の入口では、笑顔を見せたり、踊ったりしないと会場に入れないという、一種の「入国審査」を設けていますが、じつはシャオションの故郷の中国では、これらの作品の展示が難しいんです。というのも、国家転覆罪にあたるかもしれないから。ぼくたちには直接話さないけど、そうした「西京人」への言い掛かりを一番経験しているのは、シャオションかもしれません。
『西京人―西京は西京ではない、ゆえに西京は西京である。』展示風景 入国審査
―そんなみなさんにとって、「国」とはどんな存在なのでしょうか?
小沢:それをモチーフにした作品も作ってきましたが、ぼくにとっての日本は、ときどきすごく否定したくなる対象ですね。とくに東日本大震災の直後は、地震も放射能もイヤだし、捨てたいくらいに思っていた。「西京国」は、いま日本に住んでいる自分にとっての、もう一つの住処という感じです。入国審査の作品も、入国には緊張感やシリアスさが付きものですけど、そもそも国境は誰が引いたのか、誰にとって都合がいいものなのか、という問題がある。そこを笑いながら通り抜ける経験は、大切だと思うんです。
ギム:自分が正しいと信じているものや、周囲で当然のように通用している価値観が、じつは決して自明ではなかったりする。韓国が経験したように、それは誰かによって選び取られた言葉なのかもしれないわけです。ある国のなかにいるだけではなかなかそれに気づけませんが、絶対化を疑う視線を常に意識しておくことが重要でしょう。
―会場では、2008年の『北京オリンピック』会期中に北京市内で開催した、「西京人」による架空のオリンピックの模様を描いた作品が展示されていました。しかもそこで行われているのは、勝ち負けのない、何をしているのかすらもわからない、珍妙な競技の数々です。また「西京人」は、2011年に現代アートの大舞台である『ヴェネチア・ビエンナーレ』の会場近くでも、それを相対化するような展示を行っていますよね。
小沢:オリンピックはもちろんですが、『ヴェネチア・ビエンナーレ』も、国ごとのパビリオンの戦いという面があって、アートを使って国同士の争いをするような考え方はいかがなものかと思っているんです。まるで代理戦争のようなものでしょう。国同士の勝負心や、その戦いから生まれる高揚感は、人間の本能にあるのかもしれないけれど、少なくともぼくは、それとは違う土俵でアートをやっていきたい。戦いとアートとは、本質的に一致し得ないと思っているんです。
ヘイトスピーチは無知の表れであり、偏見と思い込みだけでできていると思うんです。(小沢)
―小沢さんは近年、第二次世界大戦中に従軍画家が描いた「戦争画」をモチーフに作品を作られています。今回も展示されている『帰って来たペインターF』は、従軍画家の代表的存在、藤田嗣治の人生を下敷きにした作品ですが、戦争画への関心は何に由来するのでしょうか?
小沢:誰もが感じていると思うんですけど、この数年、時代がよろしくなくなってきていて、戦争ができる国になりつつある。ぼくは日本という文化の面白さをアートにしてきましたが、このような時代になって、国とどのように向き合えばいいか、あらためて考えるようになったんです。そのなかで、戦時中の画家がやってきたことを紐解いてみることを始めた。戦争画はずっとタブー視されていて、きちんと清算されてきませんでしたが、それを見直したいと思っているんです。
『西京人―西京は西京ではない、ゆえに西京は西京である。』展示風景 『帰って来たペインターF』
『西京人―西京は西京ではない、ゆえに西京は西京である。』展示風景 『帰って来たペインターF』
―醤油画などの作品は、社会環境と人の関係をユーモラスに表現していました。でも現在は、ユーモアが表現しづらくなってきたんでしょうか?
小沢:そう思います。それでもぼくは、作品にユーモアを込めたいんですけどね。『帰って来たペインターF』の場合も、戦争画をどう扱うか、はじめはなかなか突破口が見えませんでした。しかし、日本人の視点だけでなく、攻撃された国の人々と双方向的に戦争画を考え直すというアイデアが浮かんで、それなら自分にもできると思ったんです。実際、この作品はインドネシアの画家に依頼して描いてもらっているのですが、そうやって、創作を通してしか見えないものを拾い上げていきたいと思っています。
ギム:対話を通して、人々の意識を変えることの大切さには、ぼくもとても共感します。何かを変えようとしたとき、あまりにも性急な気持ちがあれば、革命が必要になってくる。実際に西洋では革命を通して社会を変えてきましたけど、ぼくはそうした急激な変化は望んでいません。他者との対峙は、一種の居心地の悪さや心安らかではない状況を生むことがあり、つい避けてしまいがちです。しかし、互いの違いを理解するためのコミュニケーションの方法を、考え続けないといけないと思います。
『西京人―西京は西京ではない、ゆえに西京は西京である。』展示風景
『西京人―西京は西京ではない、ゆえに西京は西京である。』展示風景
―そのお話とも関係がありますが、「西京人」の活動を通して、お三方の家族同士の交流も盛んになったというエピソードが印象的でした。
小沢:日中韓のアーティスト三人の関係だけではなくて、プロジェクトに家族を巻き込むなかで、ぼくたちの妻や子どもたち同士がとても仲良くなったんですね。ぼくの家でも「あの子、元気かしら?」とよく話題に上がります。まるで親戚みたいな距離感になって、国籍がどんどん関係なくなっていった。
ギム:ぼくが最初に「人生プロジェクトのようなもの」と言ったのは、まさにそのことなんです。「西京人」の最初のプロジェクトは「第1章:西京を知っていますか?」という映像作品で、三人がそれぞれの母国でいろんなところに出かけ、架空の国について人々に尋ねるのですが、当時独身だったぼくが一人で制作をしているのに、他の二人は家族を連れて出演しているんです。それが悔しくて、その後、ぼくも結婚することができました(笑)。なので、もちろん鑑賞者は作品を重要視しますが、われわれや、その家族からすると、プロジェクトの過程にある交流そのものが、とても大きな意味を持っているんです。
『西京人―西京は西京ではない、ゆえに西京は西京である。』展示風景
―そうやって始まった「西京人」ですが、今回初めて展示された「第5章:西京は西京ではない」のプロジェクトでは、さらに一般の人々も巻き込んで、その「国民」を増やされていますね。
小沢:国を「拡張」したというより、むしろ「拡散」というイメージに近いんです。その国が広がり、どんどん薄まっていく感じ。「西京人」のような国の考え方が、世界に浸透していって、見えなくなっていけばいい。その意味で西京は、最終的には消えるためにあるのかもしれなくて、それを展覧会名の『西京は西京ではない、ゆえに西京は西京である。』に込めています。そして西京が見えなくなったら、ふたたび第1章に戻り、西京を探す。全体では、そんな円環的なイメージを持っているんです。
―現実的にも、国という枠組みはますます流動的になっています。たとえば日本では外国人旅行者が話題になっていますが、週末だけアジア間を旅行する人も大勢いて、そうした行き来はどんどん当たり前になっていくはずです。「西京人」のプロジェクトは、そんな他者との接触が増える時代に向けた、一つのレッスンなのかもしれませんね。
小沢:その解釈はすごく嬉しいですね。だけど、そうした接触が増えることによって、異なる背景を持った人への不寛容を示す人も目につくようになった。ヘイトスピーチはその典型ですが、あれは無知の現れであり、偏見と思い込みだけでできているとぼくは思うんです。そもそもその人たちは、批判する国の人と一度でもしっかり話したことがあるのか。まさか一人でも友達がいる国を、攻撃したいとは思わないのでは。簡単なことですが、友達を持つこと。それが、国を超えた視点を持つきっかけになると思います。
- イベント情報
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- 『西京人―西京は西京ではない、ゆえに西京は西京である。』
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2016年4月29日(金・祝)~8月28日(日)
会場:石川県 金沢21世紀美術館
時間:10:00~18:00(金、土曜は20:00まで)
休場日:月曜(7月18日、8月15日は開場)、7月19日
料金:一般1,000円 大学生800円 小中高生400円 65歳以上800円レクチャー&ディスカッション
2016年7月2日(土)13:00~15:00
会場:石川県 金沢21世紀美術館 レクチャーホール
出演:
ホウ・ハンルウ
ギムホンソック
小沢剛
定員:90名
料金:無料
※当日10:00から整理券配布ワークショップ
『ふくろの国へようこそ』
2016年7月23日(土)10:00~12:00、14:00~16:00
講師:小沢剛
定員:各回先着20名(小学生以下対象)
※未就学児はワークショップに参加できる保護者の同伴が必要です
料金:無料
- プロフィール
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- 小沢剛 (おざわ つよし)
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1965年東京生まれ、埼玉在住。個展『同時に答えろYesとNo!』(森美術館、2004年)、『透明ランナーは走りつづける』(広島市現代美術館、2009年)、『帰って来たペインターF』(資生堂ギャラリー、2015年)。グループ展『第50回ヴェネチア・ビエンナーレ』、『第5回アジア・パシフィック・トリエンナーレ』(クイーンズランド・アート・ギャラリー、2006年)、『プロスペクト2』(現代美術センター、ニューオリンズ、2011年)など。
- ギムホンソック
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1964年ソウル生まれ、在住。個展『REDCAT』(ロサンゼルス、2004年)、アート・ソンジェ・センター(ソウル、2011年)、プラトー・サムソン美術館(ソウル、2013年)。グループ展『第50回、第51回ヴェネチア・ビエンナーレ』『第10回イスタンブール・ビエンナーレ』『第4回、第6回、第9回広州ビエンナーレ』『Brave New Worlds』(ウォーカー・アート・センター、2007年)、『Laughing in Foreign Languages』(ヘイワード・ギャラリー、2008年)、『Your Bright Future』(ロサンゼルス州立美術館、2009年)など。
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