日雇い労働者が集う国内最大規模の街、大阪・西成の釜ヶ崎。ここは「あいりん地区」とも呼ばれ、簡易宿泊所(ドヤ)が軒を連ねている。勝手なイメージがひとり歩きしがちなこの街にある施設「こどもの里」を舞台に、並みいる劇映画よりもドラマにあふれた一本のドキュメンタリー映画『さとにきたらええやん』が撮られた。
「誰でも利用できます。子どもたちの遊び場です。お母さんお父さんの休息の場です。いつでも宿泊できます。利用料はいりません」など、驚くほど誰しもに開かれた姿勢で運営されている「こどもの里」。そこに集まる様々な家庭環境を背負った子どもたちの日常を、7年の月日をかけて丁寧な取材を重ねた重江良樹監督、そして映画の音楽を担当したヒップホップアーティストSHINGO★西成の二人に語ってもらった。
なお今回の対談前には、SHINGO★西成の提案で、釜ヶ崎の三角公園で行わわれている炊き出しにも参加。取材陣もボランティアの方に混じって手伝いながら、釜ヶ崎の空気を肌身に感じた上で対談をスタートさせた。
この街はいろんな人がおるけど、他愛もない小さな言葉が、相手の心の窓を開くきっかけになる。(SHINGO★西成)
―まずは炊き出しおつかれさまでした。およそ700食があっという間に配られていきましたけど、何から手伝ったらよいか右往左往の私たちを前に、さすがSHINGOさんは、最前線で声を出して行列の交通整理をされていましたね。重江監督はずっと丼を洗っていて。
重江:怒涛のごとくまわってくる丼を、ただただ必死に洗うだけでしたけど楽しかったですね。実は炊き出しに参加するのは初めてだったんですよ。
SHINGO:ほんまに? そうか、シゲくん(重江監督)は、これまでずっと「こどもの里」の取材に張りついてたからな。炊き出しは、いろんな方が手伝いに来てるけど、誰がどんな配置でという指示もないし、何も言われないでしょ。昔からそうなんですよ。俺も20代から30代の初めまでは、素性も一切聞かれへんかったし、「ただの近所に住んでる手伝いに来る奴」と思われていた。それがこの街の愛ですやん。
重江:そうですね。炊き出しの現場って「こどもの里」にもすごく似ているなと思いました。周りからは、「すごくいい活動をやってるね」と言われるけど、現場にいる人たちはそんなことよりも、とにかくやることをやっているだけ、という感覚なんです。
この日のメニューは、味噌味の豚汁をご飯にかけた「ぶっかけ飯」
約300人の日雇い労働者に対して、700杯程度の炊き出しがおこなわれた
SHINGO:この街独特の距離感やな。「手伝ってぇや」とは自分らから言わない。だけど、こっちから声をかけたりすると、「あっ、ほな、兄ちゃんこれやってくれや」って。
―たしかに、初めはどうしたらいいかわからずうろたえていたんですけど、「何をすればいいですか?」と声をかけたら、次々仕事を頼まれました。
SHINGO:そうやろ。そういう他愛もない小さな言葉が、相手の心の窓を開いて、一歩近づくきっかけになる。逆に誰かから話しかけられたときも、「どうしよ!?」ってびびるんじゃなくて、自分の気持ちを伝えるチャンスだと思えばいい。この街はいろんな人がおるから、そういう出会いを大事にしていけば自分の器がどんどん大きくなると思います。俺は、出会いはパワーやと思ってるよ。
「瞬間」に集中して自分のできることをやりきるってことを、この街で学んだ。(SHINGO★西成)
―炊き出しの現場では、この街で暮らしている人たちのことをどこまで撮影していいのか判断が難しいと感じました。重江監督は『さとにきたらええやん』を撮るにあたり、「こどもの里」や釜ヶ崎の街にカメラを持ちこむことに困難はありませんでしたか?
重江:いや、ごく普通のやり方ですよ。僕はずっと一人で撮っていたので、そのへんの兄ちゃんがカメラ持って来ているだけという見られ方だったと思います。「何撮ってるの?」って言われたら、「こどもの里」に密着していると説明をして、怒られたら「すいません!」と謝って、時間を置いて。カメラを持っていることで地元の人に話しかけられて、ポロッといいことを言われることもあるんですよ。そしたら「もうちょっと話、聞かせてください!」ってさらに寄っていく。そんなやり方でしたね。
SHINGO:ばっちりの距離感やね。撮影のことはニュアンスが難しいところで、今日の炊き出しの現場だったら、食事をしたい方が集まってくるキッチンという場所なので、あくまでも主役は向こう側で、我々じゃない。そこで写真を撮って自分たちの活動の宣伝にしてしまうとおかしいし、とはいえカメラを向けたらアカン場所も実際にはあります。けど、「SHINGOと一緒に炊き出しを手伝っている」という事情を自分の言葉で説明できるなら、ちゃんと許可を得ようと動けばいい。
―決まったルールを与えられるのではなく、その場で自ら判断すると。
SHINGO:そこで萎縮してしまうカメラマンもいるけど、それは違うと俺は思う。さっき炊き出しの場で「カメラで撮るのも直感や」って言ったのは、「瞬間」に集中して自分のできることをやりきるってことを、俺もこの街で学んだからなんですよ。
「こどもの里」と偶然出会って、好きになりすぎて、映画として撮りたくなった。(重江)
重江:SHINGOさんが「こどもの里」を知ったのはいつからですか?
SHINGO:小学校1年か2年の頃ですね。俺の住んでいた学区とは違ったから、積極的に通うことはなかったんやけど、ちょうど「こどもの里」ができたくらいに、ベッタン(メンコ)をしに行きました。ただ、俺にとって今の「こどもの里」は、表現が難しいんやけど……行かない、じゃなくて「行けない」んですよ。
―なぜですか?
SHINGO:やっぱり「こどもの里」の主役は子どもやし、レギュラーでがんばってるスタッフの方々もいるから、いいタイミングだけ俺が行くのは嘘っぽい。だけど、映画を見て、昔から全然変わってないなと思いました。だって、あんな狭い部屋の中でサッカーしたり、フルスイングで野球したりする子どもたち、他の場所で見たことないで(笑)。
重江:僕もそれが最初の衝撃でした(笑)。部屋の中で思いっきり野球をしてる子がいるかと思えば、その間で平然と楽器を弾いてる子もいて。
SHINGO:そうそう。シゲくんは「こどもの里」のそういう日常をずっと撮影し続けて、しかもその先のことまで撮ってるやん。たとえば、通ってくる子どもたちのお母さんの話もそうやし、「こどもの里」に夜泊まってる子らのこともしっかり取材してる。俺も全然見たことのない「こどもの里」が、息遣いを感じる映像や言葉で映されていて、すごく発見がありました。
―「こどもの里」にただ密着して撮っているというだけではなくて、子どもたちの家庭にまでカメラが入っていくので、そこまで取材するんだと驚きました。
重江:そもそも、僕には取材という考えはまったくなくて、「こどもの里」と偶然出会って、好きになって、好きになりすぎて、映画として撮りたくなったんですね。
SHINGO:すごいシンプル。ほんまにアホっすね(笑)。
重江:そうです(笑)。だからこれ、僕の自慢映画なんですよ。「こどもの里」ってこんな面白いんやぞって。
―それは本当によく伝わってきました。だけど、SHINGOさんが言う「その先のこと」まで撮影するかどうかは、かなり撮り手のスタンスに委ねられていますよね。
重江:「こどもの里」へ泊まりに来る子や住んでる子というのは、それぞれに事情があります。例えば高校生の女の子は、近くに住むお母さんと一緒に暮らせてはいないけど、お母さんのことが大好き。それを「この子は事情があって親とは離れて暮らしている」とか字幕を入れて、うまくごまかすこともできます。でもそうやってただ状況を説明するよりも、「どんな母ちゃんなんやろう?」「そこにどんな思いがあるんやろう?」ってことのほうが気になってしまう。
『さとにきたらええやん』より はなればなれに暮らす母との関係性が描かれている
―それで、7年の月日をかけてじっくり追っていった。
重江:時間をかけて見てみると、釜ヶ崎という街もそうだし、「こどもの里」に通う保護者の方もそうですけど、不器用な方が多いことに気づいて。不器用なんだけど、すごく思いがある。強い思いがあるのに、うまく伝えられなかったり、うまくできなかったりするところを撮りたかったんです。そういう気持ちで撮影を終えて、映画を見たSHINGOさんから、最初にご連絡いただいたときのひと言がすごく嬉しかったんですよ。
SHINGO:……「金出せぇ」って言ったんやったっけ?(笑)
重江:いえいえ(笑)。「里の奴ら、すげぇな!」って言われたんです。
SHINGO:それはほんまに素直な感想やね。
重江:これは、僕の自慢が成功したなと思って。まさに伝えたかったのはそこなので。
子どもたちの「できたての言葉」と「できたての表情」がこの映画には収められている。(SHINGO★西成)
―『さとにきたらええやん』は、さきほどの高校生の女の子を含む、主に3人の子どもの1年間を追いかける形で撮影されています。SHINGOさんが「里の奴ら、すげぇな!」と言った話に通じますが、すごく大人びていたり、正直だったり、子どもたちの言葉や振る舞いには何度もドキッとさせられました。
重江:大人の世界の圧に対して、ひとつずつ対応しながら育ってきた強さやしなやかさを感じさせられますよね。本人たちはまったく意識してないでしょうけど。
SHINGO:「こどもの里」の子どもらって、いい悪いは別にして、いろんな大人を見て、自分なりに吸収して育ってんやろうなと。俺が久しぶりに「こどもの里」へ行くと、「あ、SHINGO来てるやん」とか、折れた爪楊枝未満の扱いをされたりしてね(笑)。
―この映画に登場する子どもたちを見ていると、子どもだからといって侮れないというか、対して大人であるはずの自分はどうなのかと、自分を省みるきっかけにもなりました。
SHINGO:俺も子どもらの言うことはすごく心に残ったし、影響されたとこもあります。子どもってかわいいし、トゲもあるし、無邪気やし。その無邪気さってすげえ罪なところもありますやん。ハゲた人に平気でさらっと「ハゲ」って言ってしまったり(笑)。その、できたての言葉と、できたての表情というのがこの映画には収められているんですよね。
問題ばかりが取り上げられがちな街ですが、釜ヶ崎の懐の深さが「こどもの里」につながっている。(重江)
―SHINGOさんと子どものやりとりも劇中、名場面のひとつですよね。主要な登場人物のひとり、中学生の男の子に「おまえのこと気にしてるし心配もしてるし、それ以上に期待してねんからな」と肩を抱いて。
重江:彼にとって、SHINGOさんは常にそばにいるわけじゃないけど、同じ街に住んでる身近なヒーローなんですよ。自分がものすごく憧れている人が同じ街にいて、たまに会うことができて、元気づけられるひと言をもらうこともある。この距離感がほんとにいいなあ、この街らしいなと思いました。
―劇中の音楽をSHINGOさんが手がけられていますが、SHINGOさんの歌う歌詞が、どの曲もこの映画のために作られたかのようにピッタリでしたよね。
重江:ほんとに僕も、どうしてこんなにハマるのかと思っていたんですけど、単純なことに気づいたんです。だって、SHINGOさんの歌はどれも、この街のことを見つめて歌っている歌ですから、ハマらないわけがない。
SHINGO:映画で曲を使いたいと言ってもらったとき、嬉しい話やけど、「いっちょかみ」みたいなのは嫌やと思ったんですよ。でも、シゲくんが使いたいようにやってもらったら、それがすごくよくて。結局、俺、何も言うてないよね。
重江:そうでしたね。
SHINGO:そこはやっぱり、お互いにこの街を感じて作ったという愛じゃないですか。この街は、いろんな歩く速さの人がおる街なんです。自転車の人、車いすの人、ありえんような歩き方をする酔っぱらい……その間を子どもらが走ることもできる街。
―自転車で街を走る少年の背中越しに釜ヶ崎を撮った映像が映画のオープニングですけど、まさにいまSHINGOさんが言った、この街の姿が映されていますよね。背景には、<近所のオッチャンに習った。ここではこうして生きなさい>というSHINGOさんの “諸先輩からのお言葉”という曲が流れていて。
SHINGO:あの最初の映像はこの街をすごく表現できていると思います。
重江:「こどもの里」の内側だけで映画を構成することもできましたけど、やっぱりこの街だからこそ「こどもの里」が生まれたんですよ。問題ばかりが取り上げられがちな街ですが、釜ヶ崎の懐の深さが「こどもの里」にもつながっているということは、どうにか表現したかったんです。
人はひとりじゃ生きていかれへんから。それは、この街におったら自然に学ぶこと。(SHINGO★西成)
重江:僕が最初、この街に来た動機もそうなんですけど、やっぱり釜ヶ崎には怖い街、危ない街という偏見が根強くあります。だけど、この映画が完成した今、この街に来たことがない人ってもったいないなぁと思うんですね。偏見を取っ払おうと考えているわけでもなくて、こんなにも多様な人がいて、面白い人が多くて、もちろん、しんどいことや変わらない現実もあって、それらを含めてこの街には魅力があるんです。
SHINGO:ええことも悪いこともひっくるめて、この街なんですよ。だから、西成に来て、自分の目で見てもらったらいいんやけど、「西成に観光に来てくれ」ってわけじゃない。「こどもの里」に来て、記念撮影してほしいわけじゃない。そうじゃなくて、なんかひとつその街のために行動してほしい。それは西成でもいいし、映画を見た人それぞれの地元でやれることもあると思うんですよ。自分の人生の価値観が変わるくらいのもんは、この映画に入っているはずなので。
―それぞれの地元でもやれることがあるというのは、映画のタイトルからも感じられることです。
重江:単なる「こどもの里」賛美だととられたくなかったので、すごく悩んでつけました。『さとにきたらええやん』の「さと」が意味するものは、映画を見た人それぞれが自由に置き換えてもらいたいんです。誰にとっても「さと」みたいなところがあったらいいし、「さと」にいるような人と出会えたらいい。
SHINGO:「ええやん」っていうのが、いい言葉ですよね。来てもええし、来んでもええ。この映画もみんな見たらええやん、でいいんじゃない。絶対に見ろ! じゃなくてね。
重江:そもそも「さとにきたらええやん」って、「こどもの里」の子どもたちがよく言う言葉なんですよ。それは、「こどもの里」が自分の家のような感覚だからだと思うんですけど。
SHINGO:そういえば俺も言われた気がするわ。もう40ファッキン4歳やけど、「SHINGOもさとにきたらええやん」って(笑)。俺もいろんな人と接するけど、息しにくい世の中ですやん。だから、ほっとできる場所、心の拠りどころが必要なことにもっと気づいてもらいたい。そういう意味では、「こどもの里」におる子らは、「居場所」が必要だってことを身体レベルで、ええ感じでわかってる。
―取材前に体験させてもらった炊き出しにしても、映画の中で描かれる「こどもの里」にしても、まさに居場所であり、人と人の関わりあいが生きがいにもなるということが強く感じられました。
SHINGO:人はひとりじゃ生きていかれへんから。それは、この街におったら自然に学ぶこと。俺は「補う」って言葉が好きなんやけど、足りない部分は周りが補ってくれるから、自分がいま存在できてる。ポジティブに言い換えると、「持ちつ持たれつ」ってことですね。この映画は、ものすごい現場主義で、ネットにはないリアルがここに入ってると思う。しかも、添加物も保存料も入ってない。
重江:「こどもの里」のことも、西成という街のことも、ただ、しんどい人たちの集まりだって伝えるようなドキュメンタリー映画は作りたくなかった。そこは見る人に委ねないとダメなんですけど、でも見終わった後に笑ったり、元気になってくれたらいい。もちろん、映画の中で描かれていることは社会全体の問題でもあるので、ひとつの問題提起として受け取られる側面があってもいいとは思うんですけど。
SHINGO:まあ、ええ具合にまとまってないのがいいと思いますわ。それぞれの価値観でいろいろ考えられる。正義の味方登場、最後は勝つ! で、エンディングという映画じゃないよね。トゥ・ビー・コンティニュードな感じなのがすごくいい。
重江:まあ、実際はまとめきれないところも多かったんですけどね……(笑)。
SHINGO:それがいい決断じゃないですか。いまはなんでもきれいにまとめてしまいがちやのにね。続編を見たい気もするけど、それ以上にシゲくんやこの映画に関わった方が、これから先に意味のあるものとして今回の映画が育っていけばいいですね。
―まずは重江監督の第1作として、ぜひ多くの人に見てもらいたい作品ですね。
SHINGO:えっ、これが最初の映画なん? 俺もさっきの炊き出しの人らと一緒で、人の素性とか細かく聞かへんから、全然知らんかった。そんな作品に関わらせてもらって逆に恐縮です。
重江:いえいえ、右も左もわからない状況で飛び込んだのに、こちらこそありがとうございました。
- 作品情報
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- 『さとにきたらええやん』
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2016年6月11日(土)から東京・ポレポレ東中野、大阪・第七藝術劇場ほか全国順次公開
監督:重江良樹
音楽:SHINGO★西成
配給:ノンデライコ
- プロフィール
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- 重江良樹 (しげえ よしき)
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1984年、大阪府出身。ビジュアルアーツ専門学校大阪卒業後、映像制作会社勤務を経てフリー。2008年に「こどもの里」にボランティアとして入ったことがきっかけで2013年より撮影し始める。本作が初監督作品。
- SHINGO★西成 (しんご にしなり)
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大阪府大阪市西成区出身のラッパー。昭和の香りが色濃く残る「ドヤ街」、西成の釜ヶ崎・三角公園近くの長屋で生まれ育つ。1990年代半ばよりライブ活動を開始。2005年よりCDリリース、地元での平坦ではない生活をリアルな言葉でつづり、精力的にライブ活動を行っている。節目となるワンマンライブでは、通天閣下のSTUDIO210(現在は閉館)や、笑いの殿堂としておなじみのなんばグランド花月など、地元の色濃い場所にて開催。三角公園の炊き出しや西成WAN、堀江ゴミ拾いなど、「自分の街は自分で作る」を体現しつつ、現在ニューアルバム制作中。
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