昨年末にデビュー作『hollow world』をリリースし、その出色の言葉選びとリリックで瞬く間に大きな注目を浴びた「ぼくのりりっくのぼうよみ」。高校を卒業し、この春から大学に通い始めた18歳が、早くもEP『ディストピア』を発表する。
CDというフォーマットの終焉を伝えるべく、CDを遺影にして掲げた挑発的なアーティスト写真も公開された。そして、ディストピアの輪郭を漂わせるかのように記された書き下ろし小説『Water boarding』が封入される本作。この野心的な姿勢は一体何に裏打ちされているのか、それとも理由などないのか。はぐらかされながらも、その企図を掘り起こしていく。
論理的に完璧なものって、つまらなくなりがちです。飛躍しませんから。
―デビュー作『hollow world』の大きな反響をどのように受け止めていますか? 下世話な言い方になりますが、さぞかしチヤホヤされているのではないかと。
ぼくのりりっくのぼうよみ(以下、ぼくりり):いや、そうでもない、っていうのが正直なところですね。「売れてるみたいですごいね、お金持ってるんだろう」って言われるくらいですかね(笑)。
―リリース当時のインタビュー(変幻自在に言葉を操る、ぼくのりりっくのぼうよみという名の17歳)で、自分で自分のことを眺める監視カメラがある、と言っていたのが印象的でした。歌詞を書くときには、その「監視カメラ」な目線が強く出るのだと。その監視カメラに映る「ぼくのりりっくのぼうよみ」の姿に、どのような変化がありましたか?
ぼくりり:ぼくのりりっくのぼうよみの「全体」っていうのが存在しない、という感覚があります。「全体らしきもの」は存在するんですけど、それが本当の姿なのかどうか、というか。 たとえば、僕がエゴサーチして見られる感想がありますよね。「めっちゃいいね!」みたいな感想のなかに、ときたま「微妙じゃね?」といった感想も入ってきます。僕の目にそういう風に映っていたとしても、それは実際の姿の一部でしかない。もっと大きな世界で見たら違うはずですが、その全体ってものを見ることはできないんです。
―全体を見ることのできないなか、自分の認知が広がっていくスピード感をどう捉えていますか?
ぼくりり:僕、あんまり比較材料というものを持ってないので、「まぁ、こういうものなのかなぁ」程度の認識しかないんです。iTunes最高何位だとか、そういった指標がいくつも出ますよね。実際に出た数字を理解できたとしても、その加速度はよく分かりません。考えるとやっぱりヒヨリがちになってしまうので、間違っているかどうかなんて気にせず、ドガガガガ、みたいな感じでやっていきたいなって。
―ドガガガガ。漫画の一コマみたいですね。
ぼくりり:そうなんです、最近、漫画読みすぎていて。
―理路整然とこうやる、ではなく、ドガガガガの勢いに任せると。
ぼくりり:そうですね。結局、その方が強いだろうな、とも思っています。論理的に完璧なものって、つまらなくなりがちです。飛躍しませんから。100円を持っていて50円払うと50円が残る、これは理路整然としていますけど、「だから何?」とも思います。そうではなくて、数式としては間違っていてもいいから、色々やろうと思って。
―100円玉で50円のモノを買うと、おつりはいつだって50円です。そういう、ひとつしか答えが存在しないものはやりたくない、ということですか?
ぼくりり:音楽的にということではなく、プロモーション的な話として、それって別に面白くないなと感じます。音楽に関しては、僕が面白いと思うことをやっているだけなので、この曲が社会にとってどうだとか、こういう影響を与えたい、という考えは特にないんです。今回のEPでは、届ける段階で、色々と面白いことを仕掛けたいな、という思いがありました。
もう明らかにCDの時代は終わろうとしている。だって、どう考えてもサブスクにはサービスとして勝てないですから。
―『ディストピア』の裏ジャケットには、強烈なメッセージが込められていますね。CDを遺影に見せている。しかもアーティスト写真では、実際に遺影に見立てたものをご自身で掲げている。これらについて、「『時が流れるに従い、様々なものが生まれたり失われたりしていく』ということの象徴として、CDというフォーマットの終焉を表現しようと思いました」とコメントされています。
ぼくのりりっくのぼうよみ『ディストピア』ジャケット(Amazonで見る)
ぼくりり:単純に、アーティスト側からこういうことを言う人がいないじゃないですか。変わるものは変わります。レコードだって廃れていったし、もう明らかにCDの時代も終わろうとしている。だって、月額いくらのサブスクに、どう考えてもサービスとして勝てないですから。そこに目を背けていても仕方がない。
―周りの同世代の人たちは、ほとんどCDを買っていないですか?
ぼくりり:まあ、買わないですよね。CDショップは、インストアライブとかやってるときとかくらいしか行かないです。観に行く、みたいな。
―こうやってパッケージや写真として提示されると、とてもラディカルな主張として受け取られます。もしも愉快犯との側面があったとしても、メッセージが先立つ可能性はありますよね。
ぼくりり:そうですね。僕自身は「別にCDを買う必要なんてない」って思っていますけど、もちろんそう思っていない人もまだたくさんいる。だから、せっかくCDを出すのであれば、「新しい試みをしてます感」を出したいなと思って。
―そもそも今回、アルバムから約半年で早くもEPを出すことになったのは、こうして、挑発的な作品を、との思いがあったからなのですか?
ぼくりり:いえ、僕、あんまりスケジュールに関与してなくて、「あっ、出すんですね」みたいな感じで締切日を聞きました(笑)。「○○日までですね、はい、じゃあ、書きます」って。それは別にネガティブな意味ではなく、締切に向けて作る、というのが、僕にとってはとてもやりやすいんです。
個々人の能力がどんどん落ちていくよ、という現象を書きたかったんです。
―今作の1曲目“Newspeak”では、ジョージ・オーウェル『一九八四年』をモチーフにされていますね。
ぼくりり:近年、人々の語彙が少なくなり、考えられる思考に限りが生じてきていますよね。それは多分、僕もそうなんだと思いますが。
―以前、お話を聞いたとき、「最近は何事に対しても『ヤバい』としか思わなくなってきました」と言っていましたよね。ジョージ・オーウェルが小説内で提示している「ニュースピーク」とは、全体主義国家の下で人々の思考を統率するために制限される言語のことで、言葉が排除され思考が奪われていく恐怖を書いています。でも、ぼくりりさんは「ヤバい」しか出てこないことを、すごく楽しそうにお話しされていましたよね。人々の言葉がしぼんでいる実感というのは、別に恐怖ではないんですか?
ぼくりり:恐怖かどうかというよりも、その恐怖という概念もなくなっていく、ということです。
―『一九八四年』は、現代社会の諸問題を考える上でも頻繁に持ち出されます。監視カメラや、最近ではマイナンバーの議論を受けて、国に監視される社会が来るぞと警戒するときに「あの小説世界みたいに……」として例示される。
ぼくりり:監視強化というよりも、個々人の能力がどんどん落ちていくよ、という現象を書きたかったんです。今、機械によって自分を高めることも簡単だし、機械に頼ることで自分の知性を大幅に低下させることも簡単ですよね。後者のほうに向かっている人たちが多いのではないかと感じています。簡単に手に入るもので満たされてしまう。
―でも、オピニオンを込めるのではなく、「そうなっちゃうよね」とだけ伝えたい?
ぼくりり:はい、「そうなるよね」です。そういう歌詞に行き着くことが多いですね。「こうしろ」などとは、あんまり言えないんです。だって、その人の人生だし、って思ってしまう。引き気味というか、及び腰というか……「生きろ!」「お前の人生には価値がある!」みたいなことなんてなかなか言えないじゃないですか。
―ぼくりりさんの歌詞は、メッセージを消しているとも言えるわけで、意地悪な言い方ですが、消すという作業って、とても作為的なことですよね。
ぼくりり:そうですよね。あったものを消すわけですから。でも、その消すことも含めて、勝手に思ってもらう分には何でも構わないですし、誤解が生じるのも面白いなって思っています。どんどん知らぬ間に解釈が広がっていったりするんです。それをTwitterで見て、ああ、こんな風に受け取られるんだ、と思ったり。
―ぼくりりさんの場合、ひとつの問いを投げても「面白いから」という答えだったり、何かの意図を問うても「そこに意味はないです」って返してくることが多いですよね。そうすると、前回の自分も含めインタビュアーは、やっぱり歌詞を勘繰るしかねぇ、となる(笑)。歌詞の一部分を抽出して、「ここはこういう意味なんじゃないんですか」と問われることが多かったはずですが、その問いかけってどう受け止められたんですか?
ぼくりり:ほほう、なるほど、そうなんですね、みたいな(笑)。やっぱり人それぞれですよね、みたいな感じ。
―そこでまたかわされてしまう。
ぼくりり:ただ今回のEPに限っては、分かりやすく伝えられるものにしようという意識はありました。実際に分かりやすくなっているのかは分からないですけど。
―またしても歌詞から分析するならば、新曲が3曲入っているなかで、「クオリア」(感覚質)という言葉が重ねて出てくる。このあたりは極めて意図的なのかなと感じました。これは作品全体に覆われているものですか?
ぼくりり:はい。前回の作品は意図というものはさほどなかったんですが、歌詞自体をどれだけ正確に読み取ってくれている人がいるのかな、と気にしつつも、今回はちょっと寄せてみよう、少しは分かりやすくしてみよう、という意識がありました。
―『一九八四年』の「ニュースピーク」では、A群・B群・C群と、言葉を3つの群に区分けします。ぼくりりさんの言葉の選び方も、区分けしたところから言葉を選び、繋ぎ合わせていく感覚がありますよね。
ぼくりり:そうですね。意識している言葉と、そうではない言葉を繋ぎ合わせていくことをやっています。でも、シチュエーションに合わせた言葉選びは、誰もがやっていることではあると思いますよ。友達といるときと、こうしてインタビューに答える場では、使う言葉が異なりますからね。
色々な人が持ってる咎というか、原罪の象徴みたいな感覚を書いてみました。
―今回、CDに付加価値をつけるとの意味も込め、小説『Water boarding』を書かれたわけですが、小説を書いたのは初めてですか?
ぼくりり:はい。これまでも書こうと思ったことはあって、1ページくらい書いて飽きてやめる、みたいなことが2、3度ありました。
―歌詞を書くのと、小説を書くのとでは、頭の使い方が違うものですか?
ぼくりり:まったく逆でしたね。歌詞は、書きたいことの中から選んで削って書くんですけど、小説は文字数を多くして、説明していく必要がありました。よりディテールを想像させなければ、というような意識が芽生えたんだと思います。歌詞を考えるときには飛ばしていた部分を、ちゃんと描写しないといけない。
―とはいえ、頭の中に浮かんだ世界を全て説明するわけではないでしょうから、小説ならではの引き算もあったのではないですか。
ぼくりり:どうなんでしょう……僕の思う引き算というのは、特に情景描写の話です。歌詞のときは、「どんな景色を思い浮かべてもらってもいい」という感じだったので、そこには大きな違いでしたね。
―以前、歌詞の中に特定のイメージが想起される固有名詞を入れたくないと言っていましたが、これだけのボリュームのある小説の中でも、固有名詞を入れようとしないですよね。
ぼくりり:そうですね、そこは抽象的にしたかったんです。こういう人が実在する、ではなく、色々な人が持ってる咎というか、原罪の象徴みたいな感覚を書いてみました。
―ブログで今回の小説について「別にぼくがこの小説に書いてあるように思ってる!という訳ではなく、、、あくまで架空の話としてなので、、、」と、架空の物語であることがことさらに強調されていますね。なぜでしょう?
ぼくりり:たとえば、まだまだ純粋な気持ちを持つ中学生が読んで、ディストピアかぁ、人生なんて意味ないんだぁ、とかになったら嫌だなと思って。
―なぜそんなに「これは自分が考えていること」として受け止められることを避けたがるんですか?
ぼくりり:いや、単純に、小説が思ったより暗くなっちゃったので……まぁ一応言っておこう、くらいの感覚です。この小説、東横線の中で書いていたんです。隣の人に読まれたら恥ずかしいな、と思いながらも、締切が近づいてるからそんなこと言ってる余裕ない、って(笑)。
―この小説を打ってるところを隣の人が見たら、「この人相当ヤバい」って思うでしょうね。
ぼくりり:そう思います、液晶画面の明るさを落とすことで対応しました(笑)。
知られていないよりも、誤解されている方がまだいいかなって。
―前回、自分の頭の中にあるネガティブな事象からインスパイアされて曲を書くことが多いと聞きましたが、それはライブでお客さんと接する機会が増えた後でも変わりませんか?
ぼくりり:ずっとそうですね。『文學界』(2016年3月号)に書いたエッセイ「地盤沈下」では、カテゴライズされることの安直さや怒りみたいなものを書いたんですけど、それともやや近いのかもしれません。思考を放棄するには2つの方法があって、ジャンル分けすることでその他について思考することを放棄するのか、もしくは「私は頭が悪いです」って言うことで思考を放棄するのか、その違いだけだと気付きました。
―朝のワイドショーに出演されているのを見かけしましたが、ジャンル云々ではなく、どうしても「普段はほんわかした男の子」みたいな、そういう特性を引っ張り出されてカテゴライズされることもありますね。
ぼくりり:いや、もう、テレビって、全部そうじゃないですか。
―(笑)。
ぼくりり:こういう枠の人、こういう立ち位置の人です、っていうのありきじゃないですか。分かりやすくするためにはしょうがないんですけど、「それ、つまんないなぁ」とは思いますよね。
―メディアへの露出が増えると、あちらがあらかじめ用意してきた箱の中に自分の身体を無理やり詰め込まなきゃならない場面も増えてくるでしょうね。
ぼくりり:そのときに誤解が生じていたとして、新たに自分の意を正確に伝え直すのと、そのままにしておくの、どっちがいいのかなって思うんですよね。できるだけ誤解を生まないようにやってはいきたいんですけど、多少はしょうがない、とも思う。知られていないよりも、誤解されている方がまだいいかなって。
―創作そのものでは、誤解されることを恐れないし、全てに汎用性を持たせなきゃいけないなんて、一切思っていないですよね。
ぼくりり:そこを意識して変えるようではもう終わりだろうな、という感覚はあります。最後の砦みたいな。
―言葉の自然抽出は守りたいと。
ぼくりり:はい。枯渇するんじゃないかって感じもあるんですけども。
あまり何かに一生懸命になったことがないんですけれど……。
―言葉が出ないときはどうするんですか?
ぼくりり:もう一生音楽できないのかなぁ、もう引退しようかなぁ、レコード会社に電話しようかなぁ、みたいになる瞬間があり(笑)、でもまあいいかと思って遊んだりしているうちに、「あっ、これ書きたいかも」みたいに言葉が浮き上がってくるので、今はまだセーフなのかな、と思っています。
―その枯渇に恐怖を覚えることもあるんですか?
ぼくりり:たまにありますけど、でもその恐怖と向き合うためにも、色々なことをやろうとしています。今回の小説もその一環です。何かひとつで失敗しても大丈夫なようにしておきたいというか。ひとつのことに縛られたくないし、新しいことへのハードルは自分の中で低くしておきたいんです。「どうせ自分にはできない」じゃなく、「実はやってみたらできる」ってこと、ありますよね。とはいえ、あまり何かに一生懸命になったことがないんですけれど……。
―「頑張るのが一番楽だ!」みたいなシチュエーションに置かれるときってありますよね。そこでも懸命になってこなかったんですか。
ぼくりり:あっ、そういうときには頑張ります(笑)。
―前回のインタビューで、「自分が何か書いたり歌ったり何かをすることで、人のビジョンが変わるとは思わない」という話もされていました。こうして、デビュー作が多くの人に届き、テレビに出て、ライブにも出て、その感覚に変化は生じましたか?
ぼくりり:いや、そんなに変わりはしないかな。僕の音楽を聴いてくれていても、別にそれは僕じゃなくてもよかったんだろうなって思います。別のバンドの人がその位置にあって、そのタイミングで聴いていたら、その人たちを好きになったのでは、って。もちろん、「好きだ」と言ってもらえるのは嬉しいですけど、「別にそんなにウェイト高くないでしょう」とも思います。
―今回、初回限定盤に「次作アルバム・アイデアノート」が封入されていますけど、その最後にも「適当にぱらぱらめくってもらえたら嬉しいです」なんて書かれている。そういう、はぐらかして引く感じが常にありますよね。
ぼくりり:押し付けるのが怖いんですよね。拒否されたら嫌だなぁ、みたいな。
―はぐらかして引くことが続くと、相手側で突然、不信感に変わってしまう可能性もありますよね。そちらの方が怖くないですか?
ぼくりり:でも僕はコンテンツ自体を用意するだけで、どう味わうかは任せます、っていう考えなんです。
―極端な話をしますが、死にたいと思うほど悩んでいたけれど、ぼくりりさんの曲聴いて生きようと思いました、みたいな話が届いたとしたらどうですか? つまり、自分の曲や言葉によって誰かの感情が大きく動かされたとしたら。
ぼくりり:「わぁ、すごい」です。でも、むしろ、僕の歌詞や小説を読んだら暗い気分になるんじゃないんですかね……。
―いや逆に僕は、ただひたすら前向きな歌を耳にするほうが暗い気持ちになりますよ。
ぼくりり:めっちゃウケる(笑)。
―提示されている言葉って、反比例というか、反作用というか、想定していた間逆の作用をもたらす可能性がありますよね。
ぼくりり:どう受け取っても構わない、とても自由です。とにかくあまり、他人をどうこうしようとは思っていないんです。自由に受け取って欲しいな、と思います。
- リリース情報
-
- ぼくのりりっくのぼうよみ
『ディストピア』初回限定盤(CD) -
2016年7月20日(水)発売
価格:1,728円(税込)
VIZL-10121. Newspeak
2. noiseful world
3. Water boarding
4. sub/objective(remix)
※書き下ろし短編小説、次作アイデアノート封入
- ぼくのりりっくのぼうよみ
-
- ぼくのりりっくのぼうよみ
『ディストピア』通常盤(CD) -
2016年7月20日(水)発売
価格:1,296円(税込)
VICL-371991. Newspeak
2. noiseful world
3. Water boarding
4. sub/objective(remix)
- ぼくのりりっくのぼうよみ
- プロフィール
-
- ぼくのりりっくのぼうよみ
-
この春高校を卒業したばかりの大学一年生、18歳。早くより「ぼくのりりっくのぼうよみ」、「紫外線」の名前で動画サイト等に投稿を開始。高校2年生の時、10代向けでは日本最大級のオーディションである「閃光ライオット」に応募、ファイナリストに選ばれる。提携番組であるTOKYO FM『SCHOOL OF LOCK!』で才能を高く評価されたことで一躍脚光を浴び、高校3年生だった2015年12月、1stアルバム『hollow world』でメジャーデビューを果たす。その卓越した言語力に裏打ちされたリリック、唯一無二の素晴らしい歌声、ラッパー/ボーカリストとしての表現力が大きな話題を集め、日本の音楽シーンに一石を投じる新たな才能の登場として、各方面から大きな注目を集めている。
- フィードバック 3
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-