ディジュリドゥ奏者のGOMAが初の書籍『失った記憶 ひかりはじめた僕の世界――高次脳機能障害と生きるディジュリドゥ奏者の軌跡』を刊行した。2009年に交通事故により高次脳機能障害を負った彼は、過去10年間の記憶の多くを失い、アーティスト活動の休止も余儀なくされた。本書には、彼の日記を中心に、妻・純恵の日記、事故後に描きはじめた点描画も収められ、事故直後の絶望の淵から、懸命なリハビリや周囲の人間のサポートによって、日常を取り戻し、音楽活動を再開させていくまでの模様が赤裸々に綴られている。「これで一つの区切りにしたかった」というGOMAが本書に込めた想いを、これまでの道のりを振り返りながら語ってもらった。
たとえ昨日、一昨日の記憶が消えてしまうとしても、明日の自分を前向きにしてくれる言葉を日記に殴り書いてたんです。
―GOMAさんのInstagramを拝見したのですが、更新頻度も多くて、最近の充実した活動が伝わってきますね。
GOMA:ありがとうございます。ウェブ上で記録を残そうと思ったときに、いろんなSNSのなかで、Instagramが一番シンプルだし覚えやすいって教えてもらって。楽しかったことを写真ごと記録できるので、いいですね。
―Instagramに限らず、交通事故で「記憶障害」を含む高次脳機能障害を抱えてしまったGOMAさんにとって、記録ツールというのはすごく重要なものだと思います。今回、事故後からつけ始めた日記をまとめて本にされましたけど、その時々の気持ちがストレートに綴られていて、とくに事故直後の記述は生々しいですね。
GOMA:本当の病気を見つけてもらえるまで半年以上かかり、そこが苦しみのスタート地点だったんです。救急搬送先のお医者さんに頭部打撲だから大丈夫だって言われて家に帰されたんだけど、何かおかしい。自分でも「お医者さんが言ってるし、大丈夫なのかな?」と思うんだけど、やっぱり周囲からもおかしいと言われ続ける。その繰り返しが自分を追い込んでいったんです。そのうち、だんだん自分に自信がなくなってきて、家に閉じこもるようになってしまったんです。
―その後もいろんな病院で検査を受け続ける日々が続きます。何かがおかしいけど、その理由がわからないという状況はかなり苦しいですよね。医者に診断されたら、それを疑うのは難しいですし。
GOMA:自分の症状を言っても伝わらないし、受け入れてもらえなかったのは大きかったですね。それから別の病院の検査で「脳に怪我をしたから、こういうことが起きている」っていう理由が分かってきて、それからは少しずつ状況を受け入れられるようになっていくんですけど。でも、最初から「なんか違うぞ」っていう直感だけはずっとあったんです。精神科のお医者さんに薬を処方されても、「この薬、オレには違うんちゃうかな?」って。その直感が僕自身を引っ張っていってくれました。
だから、日記の最初のほうを読み返してみてもわかるんですけど、受け入れてもらえないことで行き場がなくなって、自分で自分を奮い立たせるしかなかったんです。そういう言葉がすごく多い。たとえ昨日、一昨日の記憶が消えてしまうとしても、明日の自分を前向きにしてくれる言葉を日記に殴り書いてたんですよね。
―要所要所で奥さんの純恵さんの日記も挟まれます。こちらもかなり赤裸々に書かれていますね。GOMAさんが家の壁に穴を開けるような修羅場も出てきて。
GOMA:そういう攻撃的な状態になっているときって、僕自身は全く覚えていないんです。完全に神経が切れちゃっているというか。
―発作で意識を失ったまま、気がついたら3日間経っていたという記述もありました。
GOMA:なんていうか、「意識の向こうの世界」にいってしまっていることがあるんです。「向こうの世界」では全然違うことが見えたり、聞こえるようになったり、例えばコンピューターのメモリがまるまる入れ替わったような、全く違った感覚がある。それで、意識が「こっちの世界」に戻ってくるときは、いつもまぶしい光が見えるんです。ホントに毎回見るので、たぶん脳の何かと関係してるんじゃないかと思うんですよ。
GOMAが「こっちの世界」に戻ってくる時に見えるという光を描いた『ひかり BLUE』
―興味深いですね。絵も、事故前にはまったく描いたことがなかったのに、急に描けるようになったんですもんね。
GOMA:事故のあと、どうやって絵を描き始めたのか、自分でも覚えていないんです。最初の1、2か月は日記も書けるような状況じゃなかったのに、気づいたらものすごい数の絵を描き上げていた。当時は、絵が自分を鼓舞したり、安心させる手段でもあったんでしょうね。
―誰かに見せるために描いた絵ではなかったわけですね。
GOMA:そうなんです。だから、友達や家族が、僕の絵で個展をやってみようと言ってくれたときも、初めは「僕が描いた絵なんて誰が見にくるんやろ?」と思ってました。でも、やってみたら、来てくれた人が「感動した」とか「元気をもらった」と言ってくれたので、そこで初めて「いまの自分にもできることがあるんだ」と思えたんです。いまもこうして新しいチャレンジをしようと思えるのは、やっぱり応援してくれる人たちや、家族やスタッフの存在が大きいですね。
いろんな葛藤を出し切って、閉じ込めたかったんです。この本を出したことで、次の新しい世界に飛び込みたい。
―個展は、絵を通して他人とコミュニケーションをとる場にもなったでしょうし。
GOMA:ホント人とのつながりは大事ですね。それまでは、完全に人生終わったと思っていましたから。医者にも「残された余生をどう過ごすかを考えたほうがいい」って言われたんです。人とのつながりという意味では、映画『フラッシュバックメモリーズ 3D』(2012年 / GOMAのドキュメンタリー映画)も本当に大きかった。
―あの映画で、GOMAさんのことや、抱えている障害のことを知った人は多かったと思います。
GOMA:最初に監督の松江(哲明)さんとプロデューサーの高根(順次)さんが家にきてくれたとき、実は映画を撮ってもらうことが自分にとっていいのか悪いのかも、まだわからなかったんです。障害を公表した時点で付き合いがなくなった人たちもけっこういて、障害と共に生きる現実を見始めていた頃だったので。でも、結果的に、あの映画があって、僕は救われたんです。
―3D映画の表現としても、素晴らしい作品でしたしね。
GOMA:映画の力は本当にすごいなぁって、いまでも思います。あの映画で松江さんが僕の日記を使ってくれて、映画を見た人が、その言葉にすごく反応してくれた。それに、映画をきっかけに、いくつかの出版社から「本を出しませんか?」という話をいただいたんです。そこからまたかなり時間がかかってしまったんですけど、ようやく今回の本になったという感じで。
―本を作るうえで、どのあたりが一番大変でした?
GOMA:もう、どういう本にしたらいいのか? っていう基本的な方向性ですよね。でも、いろいろ考えていくうちに、まずは僕と同じような境遇にある人たち——僕は「新人類」と呼んでますけど、そういう人たちに届けたいと思うようになったんです。
―「新人類」というのは?
GOMA:事故にせよ病気にせよ、かつてなら死んでいたかもしれない人たちが、医療の進歩によって助かるようになりましたよね? 僕だってその一人で、僕のように、助かっても障害は残るかもしれない。そういう「死んでいたかもしれない人たち」を「新人類」と呼んでいます。医療が進歩する以上、これからもそういう人たちはどんどん増えると思う。だから、そういう当事者やご家族が路頭に迷ったときに、「がんばろう」と希望を持てるような本を作りたかったんです。
―映画に引用されていた日記は、陽の部分が多かったんだなと思いました。本のほうは、陰の部分も含む内容になっていたので。
GOMA:ひとつのけじめとして、いろんな葛藤を出し切って、閉じ込めたかったんです。この本を出したことで、今の脳で作ることができる、次の新しい世界に飛び込みたい。事故の前にやっていたこととか、途中で終わっているプロジェクトとか、そういうことに対して申し訳ないなぁと思ってしまうところもあるんですけど、でも、もうできなくなったことを追いかけるのを止めよう、と。
―前に走っていたレールに戻るのは大変ですしね。
GOMA:そうですね。前のレールに戻ろうとするのは、いろいろできなくなった自分を受け入れるのが怖いからだと思うんですけど、以前のレールに戻るには時間がかかりすぎるし、できるようなフリをしても仕方ないじゃないですか。エネルギー使うのは、もう、そこじゃないなと。見渡してみると、新しいレールがもう目の前にあるんです。それなのに、それに乗らずに昔のレールばっかり磨いていても、もったいないじゃないですか。
―次のワンマンライブの名前も『事故にサヨナラ!』ですし、復帰ではなくて、新しい方向へ進んでみようと。
GOMA:そう、『事故にサヨナラ!』。今の自分がいる世界でしっかり地に足をつけて歩いていきたい。ペースはゆっくりになるでしょうけど、そのほうが自分にも無理がないし、いい作品も作れるんちゃうかな? と。
―GOMAさんは、かつてディジュリドゥと出会い、アボリジニ(オーストラリアの先住民)のコミュニティーに飛び込んでいったときもそうですが、未知の領域に飛び込んでいく勇気がすごいですよね。そこは事故の前後でも一貫している。
GOMA:たしかに(笑)。大怪我をすると、そういう部分を失ってしまう人が多いらしいんですけど、僕の場合、不思議とそういう直感やガッツは残っていてくれたんです。失った脳の機能をそういうものがカバーしてくれてる。「現場に戻る」というのが最初のひとつの目標だったので、そこにも直感力が役立ったし、そのおかげで進んでいけるので、そこは本当に良かったと思っています。リハビリの過程で他の人たちを見ていても、諦めた時点で一気に弱ってしまうことが分かったし、漠然とした「希望」がほんのちょっとだけど自分の中にあったから、とにかく「この希望を育てるしかない。諦めたらあかん」と。
単純にいまのこの瞬間をいい時間にすることだけ考えて、実行していけば、それが確実に未来につながっていくと思うんです。
―最近の音楽活動についてはいかがですか。
GOMA:音楽に関しては、いまだに自分でもよくわからないんです。
―バンド(GOMA & The Jungle Rhythm Section)も、他のミュージシャンとのセッションなども充実しているように見えますが。
GOMA:アルバムもすごく出したいんですけど、事故からもう7年近く経つのに、まだ1枚も新しいアルバムを出せていないですからね。そこはすごく葛藤があります。曲を覚えるのに時間がかかってしまうから、どうしてもその場のセッションみたいな感じにならざるをえなくて。
―ライブならいけるけど、レコーディングで曲を仕上げるのは難しい?
GOMA:そうですね。ひとつの曲を同じように繰り返すことができないんです。1回スタジオに入って録音して、それを聴き直して、身体の中の記憶として落とし込むんですが、それをスタジオでまた同じように演奏できるかどうか? っていう。そういう音楽の部分の打開策がまだ見つけられていない。視覚より、聴覚的な記憶が結びつく神経がまだちゃんと繋がっていないのを感じます。
―聴覚よりも視覚的な情報のほうが記憶できるんですか?
GOMA:うん、視覚のほうが強いですね。「あ、ここ来たことある」とか、「この人の顔、なんか見たことある」っていうのは最近わりと頭に残る感じがします。絵を描き出したことも、たぶん、その影響じゃないかな。聴覚的に入ってくるものは、いまだに残りづらいです。
―当たり前かもしれませんけど、聴覚と視覚でぜんぜん違うんですね。
GOMA:皆さんあまり意識していないと思うけど、目の機能ひとつとっても、文字を見る機能と、その文字の意味を理解するって機能は違いますからね。脳の中の「見る」という部分、それを「理解する」という部分、さらに、それを理解した上で「言葉に発する」っていう三点が別々に働くのを、普通の人は瞬時にやるわけですけど、僕の場合は「見えているんだけど、理解できない」とか、「理解はしていても、言葉として発することができない」というケースがあるんです。
―これまでの間で、ご自身の脳との付き合い方は洗練されてきましたか?
GOMA:方程式みたいなものはちょっと掴めてきましたね。いくつも同時に処理させずに、できるだけ自分が使いたい部分に脳の働きを集中させれば、多少スムーズになるんです。例えば、聴覚に集中したいときは、なるべく目をつぶる。すると、視角を処理するメモリの容量を、聴覚の処理に回せるようになるんです。
―GOMAさんの本を読むと、脳とは別に、身体に蓄えられた知識というものもあることに気づかされます。
GOMA:それはすごく感じます。リハビリの先生からも「身体の記憶を上手に使えるようになれ」と言われたことがあって、最初はその意味がよくわからなかったけど、事故から6、7年目にして、やっと身体の使い方というか、記憶の引っ張り出し方が分かってきました。ディジュリドゥも、あんまり脳で考えちゃうと演奏が止まっちゃうから、さっきのメモリの話じゃないけど、持っているスペックを全部、身体に寄せ集めるんです。そうすると身体が勝手に演奏するんですよ。
―脳や身体についてもそうですけど、GOMAさんの言葉ってすごくわかりやすくて、かつ、誰しもの日常にも届くようなところがありますね。いまも日記は書かれているんですか?
GOMA:そう言ってもらえるとありがたいです。日記も書いていますよ。
―最近はどんなことを?
GOMA:まぁ、そんなに変わってないですね。必ず押さえるのは、「いつ・誰と・どこに行った」ということ。またその人に会ったときに、悲しい思いをさせたくないので。「日記」って、つまりは単純に記憶装置が身体の外に飛び出しているだけの話なんです。
―Instagramの話じゃないですけど、いまはいろんな記憶方法もありますからね。
GOMA:いやぁ、ネットやコンピューターが進展しててホントによかった。僕らより前の世代で脳を怪我した人たちは、大変だったと思いますもん。これからさらに機器は進展していくでしょうしね。もうちょっと僕がいろんなことを乗り越えられたら、その体験をそういう機器の発展にも生かせる日がくるんじゃないかと。
―そういう分野への広がりもすごく考えられますよね。これからの未来に対して、なにか期待することはありますか?
GOMA:うーん、未来のこととかは、あまり考えなくなりましたね。単純に、淡々と生きたいです。いいこともなくていいから、悪いことも起こらんといて! っていう(笑)。なんかそんな気分です。
―淡々とっていうことが、GOMAさんの場合、当たり前ではなかったりもしますしね。
GOMA:ええ、まずは「生きる」ということにハードルをおいて、自分の足でそれをちゃんと越えていきたいです。震災もそうだったけど、いつなにが起こるかわからへんっていうのを体験したし、とにかくいま自分のいる場所を気持ちいいと感じたい。目の前にあることを一つひとつこなして、人と会ったり、話している時間を、一つひとついいものにしていければと。これからどうなるかなんて、答えが出ないし、考えれば考えるほど不安になってくる。でも、単純にいまのこの瞬間をいい時間にすることだけ考えて、実行していけば、それが確実に未来につながっていくと思うんです。
- 書籍情報
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- 『失った記憶 ひかりはじめた僕の世界』
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2016年7月末発売
著者:GOMA
価格:1,728円(税込)
発行:中央法規出版
- イベント情報
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- 『JUNGLE MUSIC presents. GOMA初書籍出版記念 GOMA & The Jungle Rhythm Section LIVE 2016「事故にサヨナラ!」』
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2016年9月9日(金)OPEN 18:30 / START 19:30
会場:東京都 WWW X
出演:GOMA & The Jungle Rhythm Section
ゲスト:中村達也、AFRA
料金:前売4,000円 当日4,500円 25歳以下2,500円2016年10月30日(日)OPEN 18:00 / START 19:00
会場:大阪府 NOON+CAFÉ
出演:GOMA & The Jungle Rhythm Section
料金:前売4,000円 当日4,500円(共にドリンク別)
- プロフィール
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- GOMA (ごま)
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オーストラリア先住民族アボリジニーの伝統楽器ディジュリドゥの奏者・画家。98年アボリジニーの聖地アーネムランドにて開催された「バルンガディジュリドゥコンペティション」にて準優勝。ノンアボリジニープレイヤーとして初受賞という快挙を果たす。帰国後全国の野外フェスティバルや海外にも活動の幅を拡げ勢いに乗っていた09年交通事故に遭い「外傷性脳損傷による高次脳機能障害」と診断され活動を休止。事故後間もなく描き始めた点描画が評判となり、全国各地で展覧会を開催。11年には再起不能と言われた音楽活動も苦難を乗り越え再開した。GOMAの復帰を描いた映画「フラッシュバックメモリーズ3D」が第25回東京国際映画祭にて観客賞を受賞。現在は音楽、絵画、講演会と多岐に渡り活動中。
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