リアル脱出ゲームも有名フェスも育て上げた飯田仁一郎の波乱万丈

音楽配信サイトのOTOTOY、『リアル脱出ゲーム』で有名な株式会社SCRAP、京都のDIYフェス『ボロフェスタ』、そして3年ぶりのニューアルバム『ALL AGES』を発表するバンドLimited Express(has gone?)。このすべてに中心人物として関わっているのが、本稿の主役・飯田仁一郎である。何か面白いことが起こっている場所に出かければ、必ずその顔を見かける、「いま日本の音楽業界で最も面白い人物の一人」と言っても、決して大げさではないはずだ。

今回の取材はそんな飯田の波乱万丈の半生を振り返ってもらい、彼の行動原理に迫ったもの。日本独自のオルタナ音楽を詰め込んだ『ALL AGES』を世界に向けて鳴らす一方で、アンダーグラウンドからの突き上げによって日本の音楽業界に刺激を与え続ける。飯田仁一郎という生き方に、ぜひ触れてみてほしい。

2つ上にくるりとかキセルがいて、それまでの僕の音楽的な知識や教養が、一切通用しなかったんですよ。

―まずは、少年時代の話から聞かせてください。飯田さんはどんな家庭環境で育ったのでしょうか?

飯田:兵庫県の尼崎生まれ西宮育ちで、父親は哲学をやっていて、母親は当時女性では珍しい司書教諭(学校図書館のための教員)だったので、母親が一生懸命働く姿を見て育った感じですね。

―アカデミックな家系だったんですね。

飯田:そうですね、どっちも大きい括りで言うと先生だったんで。教育っていう意味で母親が見事だったのは、門限を設けなかったことで。両親とも仕事をしてたから僕はずっと鍵っ子だったけど、反抗しなくても夜遊びが許されてた。中学くらいからは家に帰らなくても何も言われなくて、その分自分で何かを開拓していかないといけない環境でした。それは今の自分に大きく影響を与えてると思います。

―音楽はやっぱり、昔からお好きだったんですか?

飯田:ずっと遊んでたし、割と早熟な方だったとは思います。中高でブルーハーツからハイスタ、あとは洋楽でOASISとかNIRVANAも好きで、早くからX JAPANを聴いてバンドもやってたから、高校まではそれだけで天狗でした(笑)。

でも、立命館大学のロックコミューンってサークルに入って、その鼻をへし折られた。2つ上にくるりとかキセルがいて、それまでの僕の音楽的な知識や教養が、一切通用しなかったんですよ。

飯田仁一郎
飯田仁一郎

―そうか、くるりが先輩だったんですね。

飯田:めっちゃいきって、「ジョンスペ最高だと思うんです」とか言っても、「そんなん聴いてて当たり前やん」みたいな(笑)。それがめちゃくちゃ悔しくて、もっと音楽のこと詳しくなりたくて、TSUTAYA西院店で働き始めたんです。そこはものすごく品揃えがよくて、音楽を聴き漁りましたね。

―Limited Express(has gone?)(以下、リミテッド)はそのサークル内で、1998年頃に結成されたわけですよね。

飯田:そのサークルはとにかくオリジナルをやれって雰囲気だったんで、何もわからないまま始めて。最初はそれこそくるりとかWEEZERとかにも影響されたし、模索しながら始まったんですけど、大きかったのが僕らの一個上にいた越後屋ってバンドと、あとは京都のCONVEX LEVEL、それと東京のKIRIHITOでした。その3バンドはざっくり言うと、「くるりじゃなかった」んです。

―それほどまでに、くるりの存在が大きかったんですね。

飯田:僕らが3回生のときにくるりがビクターと契約したんですけど、そこからサークルの定期演奏会をメジャーの人が見に来るようになって、キセル、つじあやの、ママスタジオ、YOGURT-poohとか、2年くらいで界隈のバンドが7個くらいメジャーに行ったんですよ。

最新アルバム『ALL AGES』収録曲

―だからこそ、逆にそことは違う道を模索したと。

飯田:もちろん、それぞれのバンドに個性はあったんですけど、今思い返すとみんな歌もので、ギターロックで、京都のノリがあってって、ちょっと似ている部分はあって。なので、その人たちと同じことをやってもダメだって気持ちがどこかにあったし、当時の僕からすると、そのくるり世代がメジャーで、自分たちはそれに対するアンチテーゼみたいな気持ちもありました。

飯田仁一郎

飯田:そういう流れで、さっき話した3バンドのような、オルタナとかパンクの方に入っていったんですよね。ただ、悔しかったのは、彼らは売れているわけではなかった。ライブをしても、クアトロを埋めているわけでもなかった。「こんなかっこいいバンドたちが売れてないなんておかしい」っていう想いの原体験がそこにはあって、音楽業界を目指すきっかけになったんです。

ツアーから帰ったら彼女はいないし、メンバーは抜けるって言うし、『ボロフェスタ』が西部講堂から追い出されるし……「みんなが言う自殺する歳ってこれか」って思いました。

―大学を卒業してすぐの2002年には、『ボロフェスタ』をスタートさせています。

飯田:その頃にはメジャーの人たちの青田買いも終わって、京都は焼け野原になっていたんですよ。でも、これから自分たちがデビューしたいと思っているのに、京都がこんな状態でどうすると。『ボロフェスタ』を一緒に始めたゆーきゃんやロボピッチャーの加藤隆生(株式会社SCRAPの代表取締役)も、そういう気持ちを共有できる仲間で、京都には(京都大学)西部講堂っていうロックの聖地があるんだから、ここでフェスをやって、もう一度人を京都に振り向かせよう、それは俺たち自身のためなんだって気持ちでしたね。

―実際、『ボロフェスタ』は上手く行って徐々に規模が大きくなったし、リミテッドも2003年にファーストアルバム、2005年にセカンドアルバムを出して、海外ツアーも行うなど、順調に活動範囲を広げていきました。しかし、2006年末に突然解散していますよね。

飯田:当時はいろんなことがあって……。まず、大学を卒業した頃は、アンダーグラウンドのバンドも音楽で食えてるんだと思ってました。なので、自分たちが一歩踏み出しさえすれば、物事は回ると思ってて、実際海外ツアーに行けたりはしたんですけど、でも全然食えなかったんです。当時はヒモみたいな生活だったし、とにかく焦ってて……。

当時のLimited Express (has gone?)@『ボロフェスタ』野外ステージ
当時のLimited Express (has gone?)@『ボロフェスタ』野外ステージ

―結果的にバランスが取れなくなり、解散せざるを得なかった?

飯田:2005年は9月にアメリカツアー、10月にジャパンツアー、11月にヨーロッパツアーを回ったんですけど、帰ってきたら、同棲してた彼女がいなくなってたんですよ……。それに輪をかけるように、3週間後には初代ドラマーがもう無理ってなって、2代目を見つけたんですけど、バンドの状態は既にボロボロになってた。2006年は何とか活動を続けたんですけど、これはもう続けられんと思って解散したのが、その年の末でした。

―ツアーから帰ってきたら彼女がいないって、ホントにドラマみたいですね……。

飯田:その帰ってくる日が彼女の誕生日だったんですよ。これは運命やと思って、ヨーロッパツアー中に国ごとのプレゼントを買ってたんです。指輪なんて買えないから、ヨーロッパ中の素敵なものを買って、それを誕生日プレゼントとして渡して、プロポーズしようと思ってて。

ツアー自体はすごくいい状況で、1000人クラスのショーが10日間続いて、「MELT-BANANAとの2マンがドイツで売り切れ」みたいな、結構すごいことになってたんです。でも、そのファイナル10日前から彼女と連絡が取れなくなってて、これはヤバいと思ってたんですけど、帰ったら案の定誰もいない。慰めるべきメンバーは抜けるって言うし、あげくのはてには『ボロフェスタ』が西部講堂から追い出されるし……「みんなが言う自殺する歳ってこれか」って思いました。

―あ、27歳だったんですね……。

飯田:みんな若い頃はエネルギーがあるから無茶できるけど、それが止まるのが27歳なんだなって、ホントに実感しましたね。

TSUTAYA西院店では、宇多田や浜崎を売る一方で、うちの店だけKIRIHITOが妙に売れてた。それをOTOTOYでやろうと。

―しかし1度は解散したものの、リミテッドは翌2007年に東京で復活してますね。

飯田:京都でいろんなバンドをやってみたんですけど、素直に「やっぱりリミテッドがやりたい」って思うようになったんです。それと、「いまが東京に出るタイミングかも」って思ったのも大きかった。

―京都に限界を感じた?

飯田:あまりにもいろいろありすぎて、そのときはさすがに一回環境を変えようと思って。あと呑み会の席で、東京の文句ばっかり言っている自分が嫌だったっていうのが一番大きな理由かな。YUKARIちゃんは先に東京に行ってたので、僕もまずは一回行ってみようと思って、機材車に生活道具なんかも詰めて、高橋健太郎さん(音楽評論家であり、リミテッドのリリース元レーベルの主宰者。OTOTOYの創設にも関与している)の家に10か月くらい家賃も払わず住ませてもらいました。

飯田仁一郎

―それは恩人ですね(笑)。そして、おそらくは健太郎さんの紹介で、OTOTOYの前身であるレコミュニに入ったわけですか?

飯田:はい。それに関してはTSUTAYAで働いてたのも大きくて、CDを売るのはすごく楽しかったんです。ただ、宇多田ヒカルと浜崎あゆみのWリリースがあった2001年を目の当たりにした後、CDの売り上げがどんどん落ちていくのをリアルに体感して、その一方では音楽配信っていうのが出てきたのが気になってて。なので、仕事をするなら配信サイトに関わりたいと思ってたんですよね。ただ、最初に携帯の配信サイトに関わって、ふざけんなと思ったんですよ。

―それはなぜでしょう?

飯田:TSUTAYAのときは宇多田と浜崎が売れて、店に人が集まるし余裕も生まれるから、京都のアンダーグラウンドも推せるっていう当たり前のビジネスモデルができてたんですけど、携帯だと1曲400円で、売れてる曲しか買われないから、アルバムなんて売れっこない。「絶対これじゃない」と思ってたときに、OTOTOYの代表の竹中(直純)が「PCで音楽配信をやりたくない?」って言って、OTOTOYが始まったんです。タワレコがフリーペーパーを出してるみたいに、ちゃんと音楽を紹介する記事が読めて、試聴ができて、買える。そんなサイトを作ろうってコンセプトで。

―TSUTAYAでのアルバイト経験がとても大きかったわけですね。

飯田:それもそうだし、結局大学のときにKIRIHITOとかを見て、「俺はこういう音楽を推したい」って思ったのが続いてるんですよね。海外ツアーを回って、DEERHOOFとかWHY?があの音楽性で食えてるのに、日本のバンドは食えないっていうのもすごく不満で。

飯田仁一郎

飯田:TSUTAYA西院店では、小っちゃいレベルですけどそれができてたんですよ。宇多田や浜崎を売る一方で、うちの店だけKIRIHITOが妙に売れてた。それをOTOTOYでやろうと。なので、OTOTOYではアンダーグラウンドだけをやるつもりは全然なくて、メジャーとアンダーグラウンドを一緒にして、その中からホントにいいものをプッシュしたい。それって、実は『ボロフェスタ』も同じ考えなんですよね。

―確かに、全部が繋がってますね。

飯田:もともと0を1にするのが好きなタイプで、OTOTOYも『ボロフェスタ』も『リアル脱出ゲーム』もそう。0を1に、1を10に、10を100にってことが好きで、自分がプロデューサー気質なんだなっていうのは、最近やっとわかってきました。

最近「OTOTOYとSCRAPでビジネスをやろうとしてるんだ」って強く思うようになったんです。逆に言えば、「リミテッドや『ボロフェスタ』はビジネスじゃない」ってこともはっきりした。

―『リアル脱出ゲーム』で一躍有名になったSCRAPはロボピッチャーの加藤さんの会社ですが、飯田さんはいまどの程度関わっているのでしょうか?

飯田:どちらも取締役で、OTOTOYとSCRAPと半々ぐらいです。僕は不思議と20時間くらい働けるんで、OTOTOYで8時間、SCRAPで8時間働いてもまだ4時間あるから、大丈夫なんです(笑)。

―SCRAPはどんなふうに始まったんですか?

飯田:僕がリミテッドであがいていたように、加藤も自分の人生の中であがいていて、最初は『SCRAP』っていうフリーペーパーを京都でやっていたんです。『リアル脱出ゲーム』に関しては、ポッと出たアイデアを加藤が具現化したもので、それを東京でやろうって言ったのが僕でした。

2015年にサンフランシスコ・AT&Tパークで開催された『リアル脱出ゲーム』
2015年にサンフランシスコ・AT&Tパークで開催された『リアル脱出ゲーム』

飯田:東京ではひとまずOTOTOYが主催してやってみたら、あれよあれよと人気が出て。それでいよいよSCRAPが独立することになって、そのとき「飯田はOTOTOYとSCRAPどっちがやりたいんだ?」って話になったわけです。

―当然、そうなりますよね。

飯田:でも、何度考えても「申し訳ないけど、どっちもしたい」と思って、それでさっきの20時間の理論を話して、加藤も竹中も仕方ないって首を縦に振ってくれた感じです。今や非常に大変で後悔もしてるけど、両方やることで、常にフレッシュな気持ちを持てたし、徐々にスタッフも増えてきて……そうしたら、いま副業って流行ってるじゃないですか? やっぱり正しかったんだなって思って(笑)。

―いや、飯田さんの場合はどっちも本業みたいなものですけどね(笑)。

飯田:僕は今年38歳なんですけど、最近「僕はこの2つでビジネスをやろうとしてるんだ」って強く思うようになったんです。逆に言えば、「リミテッドや『ボロフェスタ』はビジネスじゃない」ってこともはっきりした。結局つい最近まで、くるりの衝撃を引きずってたんです。

―というのは?

飯田:谷さん(谷ぐち順。リミテッドのベーシストで、レーベル「Less Than TV」代表)って、売れることなんて想像したこともないっていう人で、そういう人のかっこよさとか音楽が、僕は好きなんですよ。でも大学時代に「売れる」っていうのを間近で見ちゃって、自分がそのかっこよさを出せなくて悔しかった。

東京に来て、Less Than TV(アンダーグラウンドの重要作品を多数リリースしている)の人たちと仲良くなったり、谷さんがメンバーになったりして、仕事と音楽の両立を何十年もやってきた人を身近で見てたら、「売れたい」っていう想いがスッと消えていったんです。ビジネスはビジネスで、リミテッドはそこを目指さない楽しさがあるなって。

Limited Express (has gone?)。左から谷ぐち順、小森良太、JJ(飯田仁一郎)、YUKARI、もんでんやすのり
Limited Express (has gone?)。左から谷ぐち順、小森良太、JJ(飯田仁一郎)、YUKARI、もんでんやすのり

―2014年にドラムのもんでんさんと共に谷ぐちさんが加入して、そこも大きな転機だったわけですね。

飯田:そこからさらにサックスの小森くんが加入して、変な話、これがラストメンバーでもいいやって自然に思ったんですよ。メンバーみんな、バンドをやるってことに対して、すごく力を抜いてて―それは手を抜いてるってことじゃなくて、人生をちゃんと進めながら、その軸にリミテッドを置くってことが不思議とできてるんです。

なんてすごいメンバーなんだろうと思いますね。まあ、自分がそうなれてなかったってだけかもしれないですけど。「音楽で食う」ってことに対して、どこか抜け切れてなかったから。

―じゃあ、いまはバンドとビジネスと、それぞれが明確になったと。

飯田:リミテッドと『ボロフェスタ』とOTOTOYとSCRAPとって、バランスが取れてないのは自分でも理解してるし、トゥーマッチ感はあるんだけど、少なくとも、リミテッドを無理やり続けてる感じはもうないです。「必然」って絶対にあるものだから、終わるときは終わるっていうのをどこかで理解したし、逆に言えば、必然が来るまでは続けられる。だからそれまでは余計なことを考えない方がいいし、無理にウジャウジャ考えちゃうと、必然じゃないのに違う判断をしちゃうと思うんです。

(今のリミテッドは)「こんなにかっこいいライブをするバンドはそういない」って、OTOTOYの編集長としても言い切れるくらい、刺激的で面白いと思います。

―『ALL AGES』は3年ぶりのニューアルバムで、もちろん現在の編成になってからは初のアルバムですが、どのようなモチベーションで制作に臨んだのでしょうか?

飯田:ひさびさに、ホントにリミテッドのことを広めたいと思いました。「こんなにかっこいいライブをするバンドはそういない」って、OTOTOYの編集長としても言い切れるくらい、刺激的で面白いと思います。

飯田:リミテッドの最初の頃も同じように思ってて、実際日本でも世界でも「何だこれは?」って言われた。そこからだんだんと珍しさや新鮮味が失われていったのはわかってるんですけど、いまのリミテッドはまたものすごいことになってると思う。じゃあ、それを僕が知ってる枠組みの中で知ってもらうにはって考えたときに、アルバムを出して、ツアーをして、ワンマンをやるっていう、当たり前のところにたどり着いたんです。

飯田仁一郎

―さきほど「OTOTOYの編集長として見ても」という話があったように、ちゃんといまの音楽を聴いて、他にはないものを作り出そうとする意欲をすごく感じました。1曲目の“NO MEAN”が揺れるビートのヒップホップ風のナンバーだっていう時点で、これは聴く価値のあるアルバムだなってすぐにわかる、そこにまずグッと来ました。

飯田:僕的にも、ロバート・グラスパーとかジャズの新しい解釈にはひさびさに興奮してるし、北海道のHAPPENING STYLEとか、名古屋のthe act we actとかはパンクにジャズを取り入れてて、かつてのThe Contortions(1970年代後半、NYパンク全盛期のバンド)みたいなことをこの時代にもう一回やる人たちが出てきたことにも注目しています。

―確かに『ALL AGES』には、そういうチャレンジが感じられますよね。

飯田:うちももんでんくんが新しいジャズが好きだったり、音楽的にそういうことがやりたかった。だから今の日本のシティポップの流れには全然興味なくて(笑)、やっぱり斬新なものが好きだし、音楽を前進させようとする人たちに対しては常にワクワクしますね。

―『ALL AGES』というタイトルにはどのような想いが込められているのでしょうか?

飯田:これはYUKARIちゃんがつけたタイトルで、「広い人に聴いてほしい!」っていう強い主張というよりは、もっと自然な感じなんですよね。

自分らも、見に来てくれる人も世代が上がってくる中で、30歳過ぎたらあんまり音楽は聴かない、ライブハウスにも行かないっていうのはちょっとつまんないし、もちろん若い子にも来てほしい。そのためにはライブハウスのタバコ問題をちゃんと解決していかないととか、すごく自然にそういうことを考えられているんですよね。

Limited Express (has gone?) 『ALL AGES』ジャケット
Limited Express (has gone?) 『ALL AGES』ジャケット(Amazonで見る

―もちろん、リミテッドをあらゆる世代に聴いてほしいというのもありつつ、一音楽人として、みんなにもっと音楽を楽しんでほしいという願いも込められている?

飯田:それは常にあるし、やっぱり最終目標は、アンダーグラウンドがもうちょっと広まってほしいって気持ちなんですよね。もちろんTHE BEATLESは最高ですけど、もっと面白いものがいっぱい出てきてるんだから、新しいものにみんなでワクワクして、探したり、掘ったりしないと、音楽を聴くのが止まっちゃうと思うから。

僕もグラスパーを聴いたときはワクワクしたし、『リアル脱出ゲーム』に出会ったときはゾワッとしたし、そういう新しい刺激を大人が提案していかないといけない。そういう提案をどんどんしていきたいんですよね。

―じゃあ、飯田さんはこれからも止まらずに、いろんなことを手掛けていくと。

飯田:変わらないでしょうね。ちょっと前に母親から「あんたもうすぐ40歳だけど、40歳超えて新しいことやれたら本物だよ」って言われたんですよ。なんちゅうこと言うねんって思ったけど(笑)、そっちの方にいきたいですね。いま『リアル脱出ゲーム』って、世界で3000社がやってるんですよ。一個のアイデアでそうなることがあるんだから、音楽の世界でも、iTunesやSpotifyじゃない、新しい何かを生み出していきたいです。

リリース情報
Limited Express (has gone?)
『ALL AGES』(CD)
2016年10月12日(水)発売
価格:2,160円(税込)
ch-158

1. NO MEAN
2. MOTHER FUCKER
3. インダストリア
4. それはずるい
5. This world is too small for me
6. ギャーギャー騒げ
7. Good night kids
8. Looking for INSPIRATION
9. Discommunication
10. PSYCHO ME
11. METEO DAYDREAM

イベント情報

2016年10月23日(日)
会場:福島県 郡山 studio tissue box+PEAK ACTION

2016年10月30日(日)
会場:京都府 KBSホール

2016年11月6日(日)
会場:東京都 dues新宿

2016年11月30日(水)
会場:東京都 大塚 Hearts+

2016年12月4日(日)
会場:大阪府 心斎橋 火影 -HOKAGE-

2017年1月14日(土)
会場:東京都 新代田 FEVER

プロフィール
飯田仁一郎
飯田仁一郎 (いいだ じんいちろう)

Limited Express (has gone?)リーダー、音楽情報・音源配信OTOTOY(オトトイ)編集長、リアル脱出ゲームSCRAPの取締役、BOROFESTA(ボロフェスタ)代表、JUNK Lab Records主催、Less Than TVをリスペクト。

Limited Express (has gone?) (りみてっど えくすぷれす はず ごーん)

2003年、US、ジョン・ゾーンのTZADIKから1st albumをリリースし、世界15カ国以上を飛び回る。その後、高橋健太郎主催のmemory labより2nd album、best albumをリリース。WHY?、NUMBERS、そしてダムドの日本公演のサポートを行うなど、名実共に日本オルタナ・パンク・シーンを率先するバンドになるも、2006年突然の解散宣言。半年後、突然の復活宣言。ニュー・ドラマーには、JOYのTDKを迎え2枚のアルバムを制作。TDK脱退後は、ふくろ/GROUNDCOVER.等でもプレイするもんでんやすのりが、ベーシストにはLessThanTVの谷ぐち順が加入。またサポート・メンバーとしてSAXに小森良太を迎え第3期がスタート。限定7inch『SCIENCE FICTION EP』、Have a Nice Day!とのスプリット・アルバム『Heaven Discharge Hells Delight』、耳栓が同封されたガチャ音源『MUSIC WITH THUNDER PLUGS』、2MUCH CREWとの合体音源『CHAMPURU OF DOOM』(ch-157)を発売し、満を持して5thアルバムをリリースする。



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