今年結成20周年を迎えたROVOがニューアルバム『XI』を発表する。勝井祐二、山本精一、芳垣安洋、岡部洋一、原田仁、益子樹という六人は、もともと主にアンダーグラウンドのシーンで活躍していたプレイヤーたちだ。
しかし、勝井の「ダンスミュージックを生演奏するバンド」というアイデアのもとに集まると、その特異な音楽性が徐々にオーバーグラウンドでも注目を集めていく。今では同じく今年20周年を迎えた『FUJI ROCK FESTIVAL』のFIELD OF HEAVENや、日比谷野外音楽堂といった彼らにとってのホームグラウンドで大勢のオーディエンスを熱狂的に踊らせているというのは、改めて考えると非常に感慨深い。
1999年発表のファーストアルバム『imago』に収録されている“KMARA”の再録から、元レーベルメイトで、昨年から共演を果たしているナカコーを迎えた“R.o.N”、いかにもROVOらしい20分超えの大曲“LIEGE”などを含む『XI』は、まさにこの20年の歩みを凝縮したような濃厚な一枚である。
11月からはリリースツアーもスタートする、そんなメモリアルイヤーに、なんとバンド結成以来初めてとなるメンバー全員インタビューが実現! プレイヤーとしても、パーソナリティーにおいても、それぞれの個性を持った六人の集合体であるROVOというバンドの実体を解き明かす、実に貴重なテキストとなった。
DJとクロスフェードしてバンドに変わるっていうアイデアを思いついた。そのときに「ライブハウスでやるのはやめよう」って。(勝井)
―まずは改めて、バンドの結成についてお伺いしたいと思います。プロフィールには「『何か宇宙っぽい、でっかい音楽をやろう』と、勝井祐二と山本精一を中心に1996年結成」とあって、今や「宇宙」はROVOの代名詞となっているわけですが、どんな構想があってバンドを結成したのでしょうか?
勝井(Vl):「ダンスミュージックとして機能する音楽をやろう」って決めたのが1996年で、このメンバーで最初にライブをしたのは1997年の2月なんです。そのライブはRHYTHM FREAKSというドラムンベースのDJチームと一緒に企画をしたものなんですけど、当時はまだバンドとDJが一緒にやるライブ形態が一切なかった。でも、DJから次のDJにプレイが繋がっていくように、DJからバンドに替わったら面白いんじゃないかと思いついて、そんなことを山本さんと話したのがスタートのポイントかな。
山本(Gt):全然覚えてないな……。例の「宇宙っぽい」っていうのは誰が言ったの?
勝井:俺だよ。あのプロフィール書いたの俺だもん。
山本:そうなの?(笑) 半分パロディーっていうか、冗談みたいなもんでしょ?
勝井:もちろん、もちろん。実際に「何か宇宙っぽい、でっかい音楽をやろう」っていう会話をしてるわけじゃないですよ。
益子(Syn):もともと太陽の塔(ROVOの前身バンド)のときにさ、「Hawkwind(イギリスのサイケデリックロックバンド)とかNEU!(旧西ドイツで結成されたロックバンド)みたいな、ああいうスペースロックをやろう」っていう話をしたんだよね。そのとき俺「宇宙っぽい音を出してほしい」って呼ばれたよ(笑)。
勝井:あ、「宇宙っぽい」って実際言ってたのか、ごめん(笑)。
―もともと山本さん、勝井さん、益子さん、原田さんがメンバーだった太陽の塔としてスタートして、後に芳垣さんと岡部さんが加入してROVOになったんですよね。
芳垣(Dr):僕は当時、勝井といろんなバンドをやっていたんです。二人とも渋さ知らズのメンバーだったことがあったりして。ROVOの形態に一番近かったのは、岡部と(原田)仁とかとやっていたKICKSというバンドで、それはわざとリズムをずらしたり、ポリリズム(ひとつの演奏の中で複数の異なる拍子が同時に用いられること)を使ったバンドだったんだよね。で、あるとき「似たようなメンバーでまた別のことをやってみたい」と呼ばれて行ったのが、ROVOの最初のリハーサルでした。
勝井:1996年に一度、芳垣さんと宗修司がドラムを叩くかたちで、高円寺の20000Vでライブをやったんだけど、そこにRHYTHM FREAKSのメンバーが遊びに来てくれて、彼らもすごく盛り上がって、一緒にパーティーをやることになったんです。
山本:当時は「ミニマルをやろう」ということだけ決まっていて、今よりダビーな演奏だったよね。僕はその頃BOREDOMSにも所属していたんですけど、BOREDOMSも、ちょっとスピリチュアルな感じが入りつつ、トランシーな世界にシフトし始めた頃だったから、自分の中ではそこでシンクロした部分もありました。
勝井:その20000Vのときはまだ「ダンスミュージックをやろう」とは考えてなかったんですけど、僕たちがやっていることは「ドラムンベースとビート感が近い」という話になって、そこで最初に話したDJとクロスフェードしてバンドに変わるっていうアイデアを思いついたんです。そのときに「ライブハウスでやるのはやめよう」って、恵比寿みるく(2007年に閉店したクラブハウス)を会場に選んで、音楽的な方向性も決まった感じですね。
山本:一緒にやってたのがハウスのDJだったら、ROVOはハウスになってたかも。
芳垣:ハウスじゃなくてよかった。ずっとバスドラ4つ踏まなあかんかった(笑)。
原田(Ba):それだったら2年で終わってたね(笑)。
岡部(Dr):その頃ってライブ始まるの何時くらいでしたっけ?
芳垣:深夜の1時とか。その頃からオールナイトのイベントが増えて、新宿のリキッドルームとかでもやるようになったんですよ。真夜中に演奏するのは面白いのとしんどいのと両方あったけど、それまで経験したことのないことだったから、いろんなことにびっくりしながらやっていた印象があります。
知っている人が知っている曲を再確認するんじゃなくて、「あそこで何か起こってる」と興味を持ってもらえることをやってきた。(益子)
―ROVOの歩みはフェス文化の隆盛とシンクロしてきた部分があって、『フジロック』も今年で20年目を迎えたというのはその象徴だと思います。
勝井:いわゆる普通のバンドがライブハウスでライブをするってだけじゃなく、DJとかも含めたミクスチャーなかたちになっていったのは、僕らや僕らの周りのアーティストがいたからだと思う。その意味ではフェスができていったのはお互いにとって良かったですね。特に『フジロック』に関しては感謝してます。
原田:当時ドラムンベースが盛り上がっていたのは運がよかったよね。勝井さんは計画的に「ダンスミュージックをやろう」って考えていたと思うけど、僕としてはダンスミュージックみたいなものに偶然出会って、「これだ!」っていうのを積み重ねてきた感覚なんです。フェスもちょうどその頃から盛り上がったし、僕らがこういうかたちになったのは、いろんな巡りあわせのひとつだったのかなって。
益子:知っている人が知っている曲を再確認するんじゃなくて、「あそこで何か起こってる」という感じで興味を持ってもらえることをやってきたと思うので、フェスって僕らの音楽の機能にすごく合った場だなと思います。
―「場所」という意味では、2003年からROVOが主催する『MDT FESTIVAL』がスタートして、もはや毎年の恒例行事となっていますね。
山本:『MDT』は東西のロックの殿堂でやろうってところから始めました。
勝井:京大西部講堂と日比谷野音っていう、やっぱり場所の力は大きいですよね。
―芳垣さんはフェスや場所の力についてどうお考えですか?
芳垣:やっぱり、『フジロック』に行くと、GREEN STAGEや他のステージに出たこともあるけど、FIELD OF HEAVENが一番自分たちに合っている感じがする。
ただ、フェスは自分の音が客席に届いてるかどうかがわからないから、その意味では僕はあんまり面白さは感じない。例えば、最近だと横浜のサムズアップでライブをしたんだけど、「音を出す」という意味ではそういう場所でやった方がダイレクトに届いている感じがして楽しいかな。
勝井:演奏する場所によって感覚が全然違いますよね。ホントはどの曲をやるかもその場に行ってから決めたいくらい。
益子:その場所の空気感ってすごく大切だから、そこに無理やりねじ込むんじゃなくて、その場の空気をちゃんと馴染ませて共有してからライブを始めたい。つまり、1曲目はライブ全体のイントロというか、チューニングみたいなものなんですよ。お客さんと自分たちとその場所のチューニング。だから、特に1曲目は当日その場で決めたいですね。
―その発想って、DJカルチャーとの接点を持ってスタートしたバンドならではかもしれないですね。
岡部:そうかもしれない。歌ものだと「1曲目はこれ」ってなると思うけど、ROVOはインストだから、メッセージがないじゃないですか? メッセージは、僕たちが提示したものに対して、お客さんがどう感じるかでしかない。でもそのぶん、僕らはその場でその瞬間の雰囲気を読んだり、場所によって変化できる。そこはすごく面白いですね。
山本さんが「抽象的なラテンやってくれ」って言ったら、芳垣さんが「ああ、わかった」って。「この人はすげえ」って思いましたよ(笑)。(勝井)
―20年の歴史の中で、メンバー全員が共有しているバンドのターニングポイントを挙げるとすると、いつのどんなタイミングでしたか?
原田:2001年に中西宏司くんが加入してるんですけど(2004年に脱退)、その前に“NA-X”と“SUKHNA”を始めたんですよ。それまではドラムンベースかシンプルな8ビートの曲だけだったんだけど、あの2曲はポリリズムを使っていたり……、そのタイミングは、楽曲にも変化があって大きかったですね。
山本:その2曲はいまもライブでやっていますしね。最初にできたのが“CISCO!”とかで、その後に“NA-X”と“SUKHNA”ができて、あのあたりの曲がロックフェスが始まる準備段階の曲だった。
原田:あと、そのときに「抽象的なラテン」とかいうキーワードが出てきて(笑)。個人的にも、ラテンとかのボキャブラリーはなかったから、「どうしよう?」って初めて思って。
山本:俺もなかったなあ。
芳垣:いま「俺もなかった」って言った人が「ラテンやってください」って言ったんですよ(笑)。しかも「どんな?」って聞いたら、「抽象的なラテン」って言うから、「はあ?」って。禅問答みたいな感じだったよね。
勝井:でも、芳垣さん「ああ、わかった」って言ったから、「この人はすげえ」って思いましたよ(笑)。確かに、あそこはターニングポイントだったかも。
―ツインドラムの役割もそのあたりで変わってきたわけですか?
芳垣:最初は左右に同じセットがあって、二人で同じことをやるところからスタートしたんだけど、“NA-X”“SUKHNA”あたりから、ひとつのリズムパターンを二人のドラムのかみ合わせで作るというかたちに移行していったんです。でも、それも「俺はこっちやるから、お前はこっち」みたいに決めるわけではなく、何となくやりながら作っていったかな。
益子:その前に、『imago』(1999年)を作ったのも大きいと思うんですよね。あのアルバムはバンドでせーので録音するんじゃなくて、それぞれのパートを重ねていく作り方だったから、その制作過程で、それぞれの「こういうことをやりたいと思ってる」っていうのを共有できたと思うんです。
例えば、“MATTAH”って曲は芳垣さんと岡部さんにアクセントの位置を指定して叩いてもらったんですけど、その曲以外はお任せして組んでもらうようになっていったので、『imago』はいまに至るバンドの原型だと思いますね。
ライブで毎回違う演奏になるかもしれないし、録音されているものがベストかどうかはまだ分からない。(山本)
―では、ニューアルバム『XI』についてお伺いしたいと思います。1曲目がタイトルトラックの“XI”で山本さん作曲ですが、実際スタジオの中ではどんなやり取りがあって、どのように曲が作られていくんでしょうか?
山本:最初はモチーフとかアイデアがあって、そのスケッチみたいなのから始まります。それを元にだんだんライブで肉付けしていくんですけど、各パートに関してはほとんどお任せです。最初のフレーズは決まっていても、展開していくプロセスの中ではもうお任せ。“XI”は変な曲ですけど、益子くんのシンセの音がすごく印象的で。
益子:このフレーズ、山本さんが弾くかと思ってたんだよね。最初に山本さんがテーマのフレーズを弾き始めて、「これ曲にしたい」って言うから拍を確認して戻したのに、今度は違う拍のを弾き出して、「やっぱりこれを当てはめたい」って。
山本:そうそう。で、最後の方でいきなりフュージョンみたいになるのも益子くんですよね?
益子:山本さんに「すごいコードつけてください」って言われたんですよ(笑)。
岡部:僕は、その部分を作った日に参加してなくて、次のリハに行ったら、「え?」っていう(笑)。
山本:まあ、こういうふうに、ひとつのフレーズからいろんな化学反応が起きるわけです。ROVOの音楽はその妙ですよね。「こうやってくれ」って譜面でやりとりするのとは違うから、それで奇妙な音楽ができるんです。
勝井:録音はしたけど、これで終わりじゃないかもしれないですしね。
山本:そう、ライブで毎回違う演奏になるかもしれないし、ここに録音されているのがベストかどうかはまだ分からない。
―先ほど話にも出た『imago』から“KMARA”が再録されているのも、曲が進化を続けていることの象徴と言えそうですね。
勝井:この曲はもう15年以上前の曲ですけど、今年のツアーでひさびさにやってみたら、また変わってきていたので、改めて収録することにしたんです。もしかしたら、ここからまた変わっていくかもしれないし、そういう曲はいっぱいありますね。
―さらには、中村弘二さんとの共作による“R.o.N”が収録されていて、これは昨年の『soundohb』における「ROVO×ナカコー」から生まれたわけですよね?
芳垣:そうですね。この曲は一番最初のモチーフをナカコーが作っているんです。
勝井:そういう意味でも、20周年記念曲みたいなすごく特殊な感じの曲です。「一緒に新曲作れたらいいですね」っていうのはナカコーから言ってくれたんだけど、いつもの僕らのやり方で、俺や山本さんが最初のモチーフを作って、そこにナカコーに入ってもらっても、単なるプラスワンにしかならない。だから、最初のモチーフをナカコーに作ってくれって頼んで、そこから一緒に作っていきました。
山本:この曲は結構ドラムンベースっぽいんで、初期の感じがする。ただ、俺はナカコーと楽器がダブるんで、やることないんですよ(笑)。あと、僕は“Bonten”がすごくいいと思った。
勝井:“Bonten”はもともとNYANTORA(ナカコーのソロプロジェクト)の曲で、今年の『RISING SUN ROCK FESTIVAL』に「ROVO×ナカコー」で出たときに一緒に演奏したんです。ナカコーはNYANTORAとしても出演して、最後に“Bonten”を演奏していたんだけど、すごくいいライブだった。
―リリースツアーの名古屋公演では「ROVO×ナカコー」でのライブもありますし、そこで聴けることを期待しています。そして、ラストには勝井さん作曲の20分を超す大曲“LIEGE”が収録されていますね。
勝井:初期のコンセプトというか原点に近いけど、今のROVOのバージョンを表している曲だと思います。ひたすら繰り返して、そこにメロディーがあるっていうかたちの曲です。これは何テイクもレコーディングしてるんですけど、何度やっても見事に演奏時間がほぼ同じでしたね。
山本:真ん中の長いソロパートとか結構フリーなんですけどね。
勝井:曲のサイズに関しては決め事が少ないんだけど、やっぱりこれだけ長く一緒にやっていると、「これくらいだ」という時間感覚の共通認識がみんなの中でできあがっているんだなっていうのをすごく実感します。
何かを表現するときには、人と人との関係が重きを占めていると思うので、このつながりはすごく意味があるし、これからも続けていきたい。(芳垣)
―では最後に、それぞれがいろいろな活動をされている中にあって、ご自身にとってROVOという場所にどんな意味があるのかを、お一人ずつ話していただけますか?
岡部:僕にとって、ROVOでの活動は結構異質なんです。普段やっている音楽とは音量感も全然違いますし。ただ、それを20年間やってきたということは、自分の中で何か違うものをやりたいという欲求があったんだと思う。それを、こうやって長く続けてこられたのは、すごく幸せだと思っています。
芳垣:僕も岡部と一緒で、ROVOの音楽は自分の中のスタンダードと比べるとちょっと特殊なんです。僕はアコースティックな楽器とやることも多いし、もっと極端にノイズの人とやったりもするので。
ただ、ROVOのメンバーは僕の音楽人生の中で一番長く付き合ってきた人たちなので、いろんなものを一緒に見てきているんです。人間が何かを表現するときには、人と人との関係が重きを占めていると思うので、このつながりはすごく意味があるし、これからも続けていきたいです。
―益子さんはいかがですか?
益子:僕は他の人に比べてバンドをたくさんやっていないということもあるんですけど、自分の中ではいつの間にかここがホームになってる。演奏していて、一番気持ちのいい場所がROVOですね。
原田:僕もROVOは特殊というか、本来ベーシストではなくて、ベースを弾くのはこのバンドだけなんですよね。
益子:あ、それ俺もそうだ(笑)。
原田:そう、益子くんはシンセサイザー奏者ではないし、自分もベーシストではないので、専門家じゃない人間が二人もいるバンドが20年も続いているのは面白いなと。僕はホントにROVOのベースしか弾けないんですよ。
一時期はベースで他のバンドに呼ばれることもあったんですけど、次第に周りも気付くようになって、ベーシストとしては一切呼ばれなくなりました(笑)。なので、自分にとってのROVOは単純にベースを楽しく弾く場所で、あとはお客さんに喜んでもらえればいい、そういう場所ですね。
―山本さんにとってはいかがでしょうか?
山本:とりあえず、音楽的にはカッティングがメインで、ギターでグルーヴを出すっていうのはこのバンドが初めてかも。いつもは大体暴れて、めちゃくちゃなことをして、狼藉を働いて、ひんしゅくを買うのが大好きなので(笑)。
僕あんまり音楽には興味がないというか、特にロックには興味がないんです。人間が発光する瞬間というか、わけのわからないことをやるのが大好きで、それをたまたまギターでやっている感じだった。でも、このバンドでは明確に、僕はグルーヴを出すための装置として、カッティングロボになるという自分の中のコンセプトがあるんです。その中でどう異常性を出すかっていうことを考えています。
―他のみなさん同様に、山本さんにとってもROVOは特殊な場所だと。
山本:そうですね。あとは大衆に向けた音楽の窓になってるっていうのはでかいかな。それまではずっとコアなお客さんの前でコアな音楽をやる、変態がやる変態のための音楽をやってきたけど、ROVOはそうじゃない。だから、あり方自体を抽象的な感じにしたかったっていうか、それまでに僕についていた妙なパーソナリティーを一回リセットしたくて、最初はホントに名前変えようと思ったくらい。
―なるほど、「抽象的なラテン」の真意は、自分を一回リセットするっていう感覚と結びついたものだったのかもしれないですね。では、最後に勝井さんお願いします。
勝井:僕はこのバンドがどう機能するかを一番に考えて、「ダンスミュージックをやろう」と始めているので、さっき山本さんも言ったように、このメンバーでできる一番間口の広い音楽をやって、どんな人にでも聴いてもらいたいし、踊ってほしいと思ってずっとやってきたつもりです。
あとは、もうこのメンバーで一緒にやるということ自体が目的になってる。このメンバーで音を出すこと自体にすごく意味があると思うので、そこに尽きます。当然ライブでもそれ以外でもこれまでにいろんなことがあって、事件もたくさんありましたけど、いま思えばその全部が大切な出来事だったと思っています。
- リリース情報
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- ROVO
『XI』(CD) -
2016年10月26日(水)発売
価格:2,916円(税込)
WRCD-701. XI
2. R.o.N
3. PALMA
4. KMARA
5. LIEGE
- ROVO
- イベント情報
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- 『ROVOニューアルバム「XI(eleven)」発売記念LIVEツアー』
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2016年11月9日(水)
会場:愛知県 今池TOKUZO
出演:
ROVO
NYANTORA
ROVO×ナカコー
料金:前売3,800円 当日4,300円(共にドリンク別)2016年11月10日(木)
会場:大阪府 梅田 Shangri-La
出演:
ROVO
PARA
and more
料金:前売4,000円 当日4,500円(共にドリンク別)2016年11月12日(土)
会場:東京都 代官山 UNIT
出演:
Koji Nakamura(バンドセット)
ROVO
料金:前売4,300円 当日4,800円(共にドリンク別) - 『ROVO結成20周年記念シリーズファイナルワンマンLIVE』
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2016年11月13日(日)
会場:東京都 代官山UNIT
出演:ROVO
料金:前売4,000円 当日4,500円(共にドリンク別)※11月12日と11月13日の前売通しチケット7,000円(ROVO結成20周年記念品付き)
- プロフィール
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- ROVO (ろぼ)
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「何か宇宙っぽい、でっかい音楽をやろう」と、勝井祐二と山本精一を中心に結成。バンドサウンドによるダンスミュージックシーンの先駆者として、シーンを牽引してきた。驚異のツインドラムから叩き出される強靱なグルーヴを核に、6人の鬼神が創り出す音宇宙。音と光、時間と空間が溶け合った異次元時空のなか、どこまでも昇りつめていく非日常LIVEは、ROVOでしか体験できない。国内外で幅広い音楽ファンから絶大な信頼と熱狂的な人気を集める、唯一無二のダンスミュージックバンド。
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