「期待の大型SSW」という宣伝資料のコピーはダテじゃない。豪華ミュージシャンを迎えて制作された汽葉ケイスケのデビューアルバム『16番地のファンタジア』は、彼の底知れぬポテンシャルを示す傑作である。シルキーでハスキーなボーカルも、物語性の強い歌詞も、シンプルで穏やかなサウンドも、デビュー作とは思えぬ貫禄で迫ってくる。
今作の収録曲の中に、<沈黙で語る 多弁な東京>という一節がある。ここには静岡出身の汽葉が抱える、東京で暮らす中で感じてきた違和感が集約されている。東京の異常なまでのスピード感に晒されていると、人との距離感に居心地の悪さを感じたり、居場所を見失ってしまう瞬間は少なからずあるが、汽葉の歌声は、そんなときにこそ耳を傾けてほしいものだ。
そんな彼のデビューアルバムのプロデュースをしたのが、UA『JaPo』も手がけたLITTLE CREATURESの青柳拓次。東京で生まれ育ちながら沖縄に移住し音楽活動を行う彼は、東京と沖縄の違いをどのように見つめているのか。 レコーディングを振り返ってもらいつつ、二人に話を聞いた。
東京は、人との物理的な距離は近いのに、精神的には遠い感じがするんですよね。(汽葉)
―いきなりの質問なのですが、汽葉さんって出身はどちらなんですか?
汽葉:静岡県の静岡市ですね。大学進学とともに東京に出てきました。
―東京で暮らすことに微妙な違和感を滲ませている歌詞もありますよね?
汽葉:ああ、“Silence Talks”ですね。僕、未だに東京がどうしても好きになれなくて。「ここは自分の居場所じゃないだろう」みたいな想いがずっとあるんです。東京に出てきたときはその気持ちがより強くて……。あれはそういうことを書いた曲ですね。
―どういうところが合わないですか?
汽葉:なんだろうな。目の前に田んぼがあって、蛙がめちゃくちゃ鳴いてるような田舎で育ったんですよ。あと、東京には富士山もないし。あとはなんだろうな……。
青柳:やっぱり汽葉くん自体のスピード感が独特なので、今の東京とシンクロしてないんだろうなっていうのは思いますね。1970年代の東京とかだったら、また違ったのかもしれないけど。今の東京のスピード感はすごいじゃないですか。
汽葉:そうですね。僕、東京来てから明らかに性格が暗くなったんですよ(笑)。根は明るい方だと思うんですけど、外面がめちゃくちゃ暗くなっちゃって。ずっと家で悩んでる訳でもないんですけど、人との距離感がわからなくなったというか。東京は人との距離は近いのに、遠い感じがするんですよね。
―ああ。それが<沈黙で語る 多弁な東京>っていう“Silence Talks”のフレーズに集約されてるんですね。
汽葉:そうかもしれない(笑)。他人との距離が物理的には近いんだけど、精神的にはすごく遠くて、それが怖いんですよ。人との関わり方も自分の中でかなり変わったんです。この人は何を考えてるんだろう? みたいな相手の腹の中をすごく細かい言葉から探るようになって。それはたぶん歌詞にも出ているだろうし。僕は頭に映像を浮かべてから歌詞を書くんですけど、頭に浮かぶ映像も大体地元の風景なんですよ。心だけ向こうにある状態というか。
―帰省するとホッとします?
汽葉:それがまた不思議というか、帰省したら落ち着きすぎてまた居心地が悪いんですよ。所在ないというか、どうしようかなってなる。居場所がない感じですね。
―青柳さんが沖縄に移住されたのは何故だったんですか?
青柳:沖縄に通ってるうちにすごく好きになったっていうのが一番です。あとは沖縄の音楽ですよね。音楽が生活の中に普通にあるのがよくて、自分もその中にいたいなって思ったのは大きい。それに東京からすると文化が違うんですよね。日本語も通じるし、日本という国の中にあるけれども、文化圏として全然違う。だから、旅の途上にいる感じがするんです。
ただ面白いのは、沖縄にいるときは東京に対する郷愁はないんですけど、東京に来ると沖縄のこと考えてすごいホームシックにかかるというか、切なくなるんですよ。だから、魂があっちにいっちゃってる感じはありますね。
―それは、今の東京に居心地の悪さを感じているというのもあるんですかね。
青柳:日本の中で東京だけが特殊な感じがするんですよ。たとえば電車の中で小競り合いとか起きたりするじゃないですか。自分が頑張って「東京モード」に切り替えられればいいんだけど、もうちょっとぼんやり無防備なモードになっていると呑まれるというか、危うくなっちゃう。東京って基本的に仕事をするために全国から人が集まってくる場所でもあるから、そういう特殊な空気感はあるでしょうね。大きく経済も動いてる場所だし。
汽葉:青柳さんのスピード感は東京の感じじゃないですよね(笑)。沖縄ってすごくしっくりくる。
―でも青柳さんは生まれも東京のど真ん中ですよね?
青柳:はい、中野生まれなので。でも大人になってからは、1週間くらい東京の中心にいると精神的にもうダメですね。生まれた土地なのにもはや全然馴染めない。魂的な問題なのかもしれないですけどね。僕みたいに、東京に生まれて育ったけど、今の東京には馴染めないなって人はきっと一杯いると思います。
好きなシンガーに土臭い声の人が多かったんですけど、それに憧れて。喉に悪そうなことすればいいのかなって思って「劇物」でうがいしました。(汽葉)
―そもそものお話をおうかがいしたいのですが、汽葉さんが歌を歌い始めたきっかけってなんだったんですか?
汽葉:小学5年生のときに授業参観でカラオケ大会みたいなのがあって、それで優勝したのがきっかけです。歌がうまかったというわけじゃなく、パフォーマンスが評価されて。
―パフォーマンスって、どういうことをやったんですか?
汽葉:背広を着て、髪の毛をオールバックにして、新聞を手に持って風に吹かれてるフリしてMr.Childrenを歌ったんです(笑)。たぶん笑わせてやろうということだけ考えていたんですけど。
―今の汽葉さんからは想像がつきません(笑)。
汽葉:そうですよね。それまで何にも興味が持てなくて、何をやっても飽きちゃう子どもだったんですよ。そんな自分に小5ながら危機感を感じていて。その授業参観がきっかけで今までにない熱量で音楽にハマっていったから、大事な出来事だった気がしますね。
それから「音楽やりたい」「歌を作りたい」ってすぐ思ったんですけど、親が音楽反対派でギターをなかなか買えなかったんです。だからアカペラで歌ったものをカセットテープに録ってましたね。鼻歌で作曲してたんですけど、その期間がけっこう長かったんですよね。ギターを手にしたのが高3だったんで、それまでずーっとアカペラでしたね。
―相当長いですね。その時期に培ったものは、今の汽葉さんの作風や音楽性のベーシックな部分に影響がありそう。ちなみに、リスナーとしてはどういうものを聴いていたんですか?
汽葉:最初はミスチルとかスピッツとか、オリコンのトップ10をとりあえず借りて聴いていました。ただ僕、ラジオがかなり好きだったので、ラジオを聴いているうちに、ちょっとずつブラックミュージックにハマっていって。中学2年くらいから、ソウルとかブルースばっかり聴いていましたね。そのときはたぶんジョン・リー・フッカー(1940年代から、50年以上にわたって活動を続けたアメリカのブルースシンガー、ギタリスト)とかサム・クック(1940年代から60年代にかけて活躍したアメリカのR&Bシンガー)が好きで、ああいうふうに歌いたいなって思ってましたね。
―資料にはハスキーな声にすごく憧れて、「焼酎に豆板醤を混ぜた液体でうがいをおこない、そのまま布団を被り、何時間も叫び続け」ていたとあります。焼酎に豆板醤を混ぜた液体って、ちょっとした「劇物」ですよね。それはいつ頃の話なんですか?
汽葉:高2のときですね。好きなシンガーに土臭い声の人が多かったんですけど、それに憧れて。でも自分の声にそういう要素が全然なかったんで、誰かに聞いたわけでもなく喉に悪そうなことすればいいのかなって思ってやりましね。
―授業参観のときのエピソードもそうですが、汽葉さんは破天荒な少年時代を過ごされたんですね(笑)。実際声は変わったんですか?
汽葉:変わりましたよ、それは。
青柳:それまではすごい綺麗な高い声だったの?
汽葉:そうです。歌声よりも地声が変わっちゃいましたね。一週間くらい声が出なくなっちゃったんで、家族には怒られましたけど(笑)。やっぱりちょっとおかしかったと思います。思いきりがあったと言えばそうかもしれないですけど、全然躊躇なくやりましたね。
目の前にいる人に向かって思いきり放つんじゃなくて、すぐそばにいる人にそっと届ける。それは青柳さんから引き出してもらったことですね。(汽葉)
―『16番地のファンタジア』は青柳さんがプロデュースを務めています。今回、なぜ青柳さんに頼もうと思ったんですか?
汽葉ケイスケ『16番地のファンタジア』ジャケット(Amazonで見る)
汽葉:作品を作ろうってなったときに漠然とイメージがあって。弾き語りのニュアンスはちゃんと残しつつ、当時ハマっていたブラジル音楽のエッセンスが入った作品を作りたかったんです。ただ、それは自分だけじゃできないなって思って。そのときに青柳さんの顔が浮かんだんです。制作するにあたって、今までは気にしてなかった編曲のクレジットを見ていたら青柳さんの名前がいくつかあったので、これはお願いするしかないかなと。
―最初は音源を渡したんですか?
青柳:デモテープをもらいました。そのデモが、アレンジ的な部分とかも含めかなり作り込まれていたんですよね。ボーカルも、さっき言っていたギターを手にするまでの何年間かで培ったものが活きていて、その上にコーラスが緻密に乗せられていたんですよ。だから、デモに入っているちょっとしたフレーズもなるべく残すようにして。そのあたりのさじ加減は僕もわかるんですよね。たとえば間奏で差し込んだこのフレーズありきで2番にいくっていう、作曲者のストーリーが音楽では大切だったりする。
―LITTLE CREATURESの『未知のアルバム』(2016年)もシンプルで音数の少ない作品でしたが、汽葉さんのアルバムも最低限の音数で成り立っていますね。
青柳:そうですね。基本的にシンプルなものが好きっていう共通点はあるのかなと思います。一つひとつの音がちゃんと聴こえて、役割が聴き手にもわかりやすいもの。この音の抜き差しというか、そういうものが見える音楽が僕は好きなんです。クリーチャーズも汽葉くんも奥田(泰次)さんっていうエンジニアさんが録ってくれたんですけど、ドラムとベースだけでも空間をいい具合に埋めてくれる人なんですよ。
―汽葉さんはレコーディングを通して、自分の気づかなかったところを引き出してもらったみたいなことはありましたか?
汽葉:歌の歌い方や声の置き方は今までとは違う次元で考えるようになりましたね。目の前にいる人に向かって思いきり放つんじゃなくて、すぐそばにいる人にそっと届けるっていうような。それを意識しなくちゃ全体が台無しになるなっていうのは、レコーディング中に思って。それは指摘されたわけじゃないけど、青柳さんから引き出してもらったことですね。
誰かと一緒に何かを作るときって、ビジョンが何にもない状態のほうがそこで起こることが逆につかみやすいんですよね。(青柳)
―今作は参加ミュージシャンも錚々たる方たちですが、それは青柳さん主導で決められたんですか?
青柳:僕のほうでちょっと考えさせてもらって。ギターだったら普通のギタリストじゃないだろうなっていうのがあって、新世代のブラジル音楽も聴いてるし、レゲエもわかる小池龍平くん(bonobos、LITTLE TEMPO)にお願いしたり。あとは汽葉くんの持ってるソウルの要素を補うために、小林眞樹くん((仮)ALBATRUSほか)っていうシンプルなフレーズを絶妙なタイム感と音色で弾いてくれるベーシストを呼んできたり。
―作り込まれたデモがあったから、そのあたりもイメージしやすかったんでしょうね。
青柳:そうですね。あとは、やっぱりパーカッシブな要素があった方がいいだろうって思ったので、コスマス(・カピッツァ)さんという方に、全編パーカッションとドラムをお願いして。彼は世界中の音楽を演奏できるし、僕がデモで打ち込んだパターンをすぐ理解して、よりかっこよく演奏してくれたので、すごくやりやすかったです。ザ・打楽器奏者っていう感じの楽しく気配りの利く方で、本当にいいムードメーカーになってくれたし。
―LITTLE CREATURESの鈴木正人さんがベースじゃなくてピアノで参加っていうのも、また豪華な話ですよね。
青柳:困ったときの鈴木正人……って、言っちゃいけないんだけど(笑)。彼が弾く鍵盤、本当いいんですよね。まあいろんなことがツーカーで通じるっていうやりやすさもあるし。あと正人にも汽葉くんの音楽聴いてもらいたいからっていう想いもありましたね。
―青柳さんは汽葉さんの歌詞についてどう思われましたか?
青柳:物語性があって、ショートショートみたいな感じがありますよね。あと、突飛に言葉が並んでる絵本のようでもあって、独特ですよね。
―歌詞だけ読んでも、読みものとして面白いですよね。
汽葉:さっきも少し言いましたけど、作詞は頭に浮かんだ映像を言葉にしていくみたいな作業なんですよ。だから、いずれは絵本を書きたいと思ってるくらいで。
―その映像は青柳さんと汽葉さんの間で共有していたんですか?
汽葉:青柳さんの頭に浮かんでくる映像は、僕の頭の中にあるものとまた違って、しかも絶対面白いものだと思っていたから、そこまで共有したくなかったんですよね。必ずしも同じ映像を浮かべてやる必要はない気がしていましたし。
青柳:誰かと一緒に何かを作るときって、ビジョンが何にもない状態のほうがそこで起こることが逆につかみやすいんですよね。あまりにビジョンがはっきりしてるものって、イマジネーションが膨らみづらい。
たとえば汽葉くんから曲のイメージを説明されたとして、実際音を出すときにそれをメンバーがどれだけ理解できるかっていうのはけっこう難しいところで。音を録るときに逆に肉体が萎縮してしまうこともあるんですよね。その意味で、まっさらなほうがプレイヤーもスピーディーで柔軟に音楽に向き合える。だから、今回のセッションの場は、自由な空気がありましたね。真剣に音楽に集中してるんだけど、同時に楽しくもあるっていう。
―風通しのいい感じというか、そういうリラックスした空気はこのアルバムにも入っていると思います。
青柳:そうですね。レコーディングのときにすごく印象に残ってるのは、歌と歌の合間に少しスペースがあって、そこに何かが入れば次の展開にいい感じでいけるっていうときに、ベースの眞樹くんがより良いフレーズに差し替 えてくれたんですよ。そうすると、バンドが野球のチームみたいになってるから、「一発いいの打ってきたなー」みたいな感じで盛り上がるっていう(笑)。で、じゃあ次はお前がいってこいっていう感じになる。あれは楽しかったですね。
汽葉:チーム感ありましたよね、確かに。
青柳:普段はそれぞれ違うバンドをやっている人たちが集まってやるわけで、下手すれば寄せ集めになっちゃうんだけど、今回はそうならなかった。現場によっては、誰かが録音している間は他の人は休んで漫画読んでたりとかなりがちなんですけど、このアルバムに関しては自分のことのようにみんなでプレイバックを聴いていた。そういうのは面白かったというか、すごくよかったなと思いますよね。
―汽葉さんはそんなバンドメンバーの出す音に関してはどうでしたか?
汽葉:本当にお任せでプレイしてもらったんですけど、すごく良かったですね。みんな先輩ミュージシャンだったんですけど、僕があまりに何も言わないから、向こうからいろいろ提案してくれて。それがいいものばかりだったから、「いいっすね」しか言ってなかったですね(笑)。
―青柳さんはUAさんなどいろいろな方のプロデュースをされていますけど、汽葉さんのプロデュースをするにあたって役割として変わったところはありましたか?
青柳:今回は基本的にほとんど楽器を弾かないっていう前提で現場に入ったんです。自分が演奏しすぎると、プレイヤー目線で音楽を聴いてしまう難しさもあったんで、それは避けたいなと思って。そういう意味では今回、聴くことに徹することができましたね。メンバー間で何が起こっているのかがすごく捉えやすかったですし、「ただ聴いているだけの人」っていう客観的な存在が必要な気がしたんで、自分がその役割を果たしましたね。
―最後に、汽葉さんは、このアルバムを作り終えたことで、次に見えてきたこととかありますか?
汽葉:このアルバムでやりたいことはひとつ完全にやり終えた気がしていて。次は鍵盤を少し弾いてみようかなとか、エレキギター持ってみようかなとか、そんなことを考えてますね。今回アコギしか弾いてないので。
あと、ライブはアルバムとまったく違う編成でやろうかなと。もちろん音源に近づけてやるときもあると思うんですけど、そこはわりと自由度高くやりたい。弾き語りでもたくさん演奏していきたいし、今回のアルバムの曲を少人数の編成で咀嚼して演奏することも考えてます。アルバムを再現するというよりは、ここにある楽曲をいろんな表情でやってく方がいいかなとは思ってますね。
- リリース情報
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- 汽葉ケイスケ
『16番地のファンタジア』(CD) -
2016年11月2日(水)発売
価格:2,592円(税込)
PCD-245531. ラブソング
2. ゴーストノートに恋をして
3. 戯画ブルーズ
4. 化け物
5. Silence Talks
6. 銀河列車
7. リルニモ
8. 金ピカな世界
9. 表裏のマーチ
10. グッド・ナイト
- 汽葉ケイスケ
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- LITTLE CREATURES
『未知のアルバム』(CD) -
2016年7月13日(水)発売
価格:2,700円(税込)
CHORDIARY / TCCL-0011. 海原
2. 未知の世界
3. 夢ならば
4. 絡めとられて
5. かんちがい
6. 声なき者
7. 月の顔
8. 嘘の朝
9. 赤いスカート
10. 隼飛ぶ
11. わずかばかり
- LITTLE CREATURES
- プロフィール
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- 汽葉ケイスケ (きば けいすけ)
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静岡県静岡市生まれ。小学校の頃に歌を歌うことの楽しさに目覚め、以来、ミュージシャンの道を志す。小学校の文集にも「(将来の夢は)歌で飯を食っていきたい」と書いている。中学、高校時代からブルースやソウルに傾倒する。一方で、ブラック・ミュージックをそのまま模倣するのではなく、日本語詞で歌う日本ならではのポップ・ミュージックとして表現していく音楽性やヴォーカル・スタイルに強いこだわりを持っている。大学の仲間と組んだグリーン・ストロベリー、またシンガーソングライターとしての才能を開花させたソロプロジェクト、スーダラ少年(2013年12月にミニ・アルバム『「?」Question』(クエスチョン)をリリース)などの活動を経て、2015年、汽葉ケイスケとして新たな道を歩みはじめる。2016年11月、青柳拓次(LITTLE CREATURES)をプロデューサー/アレンジャーに迎えたデビューアルバム『16番地のファンタジア』をリリースする。
- 青柳拓次 (あおやぎ たくじ)
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1971年東京にて、古典楽器店を営む父とクラシック・ギタリストの母の間に生まれる。18才の時、LITTLE CREATURESでTVのオーディション番組に出演し、5週連続グランプリを獲得。メジャーデビューをするや否や渡英。帰国後は、ClubやラジオのDJ 、プロデュース、アレンジ、選曲(COMME des GARÇONS、tsumori chisato)、俳優、映画や舞台の作曲、絵本、詩、エッセイ、写真など、様々な分野で活動。同時に、LITTLE CREATURES、Double Famous、Music in ElevatorなどのグループやソロユニットのKAMA AINA、青柳拓次名義で国内外のレーベルから数々の作品をリリース。2010年に東京から沖縄へ移住。輪になり声が渦を巻く、参加型コンサート「CIRCLE VOICE」を沖縄のヤンバルからスタートさせる。2016年、絵本「かがり火」、UA『Japo』(プロデュース)、LITTLE CREATURESとしては約5年半ぶりとなるニューアルバム『未知のアルバム』をリリースした。
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