取材中も変顔連発な画家・松井えり菜が刺激されまくった海外留学

文化庁による「新進芸術家海外研修制度(旧・芸術家在外研修)」とは、若手アーティストを主な対象とした支援制度のこと。1967年度よりスタートしたこのプログラムで海外留学を行なったアーティストは約3千3百人にものぼり、現在各方面で活躍を見せている。

東京・六本木の国立新美術館にて12月10日から2月5日まで開催される『19th DOMANI・明日展』は、これまでに海外研修を終えた13名のアーティストによる成果展だ。絵画、写真、映像、インスタレーションなど多彩な表現が集まる本展から、今回は参加作家のひとりである画家の松井えり菜にインタビューを行なった。

エビチリを目の前に白目を剥く自画像『エビチリ大好き』が『GEISAI#6』で金賞を受賞し、画家デビュー。宇宙などの壮大なモチーフを背景に描かれる巨大な「変顔」の作品などで知られる松井に、これまでの活動、2012年のドイツでの生活、そして海外での生活がもたらした変化について訊いた。

美化されたり、誇張されていることには歪みがあるから、自分の目で見たものを信じてほしい。

―松井さんは、大学の交換留学制度でフィンランド、2012年には新進芸術家海外研修制度でドイツと、2度の留学を経験されています。海外で生活してみてよかったことは、どんな部分ですか?

松井:自分の使える「デバイス」が増えたところですね。今の人って、大げさに言うと「スマホ=自分」で、スマホが割れたときに、その人自身もだめになるという感じがして、ものと人との主従関係が逆転していると思うんです。でも留学すると、そんな従属的な自分から解き放たれ、選択肢が増える。それが「視野が広くなった」ということなのかもしれません。何か、通信教育のCMみたいなことを言っていますが……。

松井えり菜
松井えり菜

―(笑)。スマホを介した世界で満足できる部分は多いにあるかもしれません。月並みな言い方にはなりますが、インターネット上にはあらゆる情報がありますし。

松井:もう「ネットで見られるし行かなくてもいいや!」ってなりますよね。それは美術館も一緒で、多くの美術作品はネットで見られるじゃないですか。でも足を運んで見ていただきたい。ネットではひとつの方向しか見えないけど、実際は、その後ろに見えるものもあるし、三次元だからこそ伝わってくることがある。

―松井さんは少し前まで美術大学で教鞭をとられていたので、「作品はネットで見られるし」といった、現代の10代後半~20代前半特有のムードを身近に感じることもあったんでしょうか。

松井:そうですね。学生には実際に美術館に行ってほしいです。あと学生たちを見ていると、自撮り文化にも少し思うところがありますね。ちょっと陰気というか……。

松井えり菜

―いわゆる「承認欲求」が醸し出す陰気さというところでしょうか。

松井:「認められたい」という欲求が簡単に解消できるようになったからこそ、作品制作がおろそかになってしまう側面もあるんじゃないかと感じています。「婦女子が顔を出すのははしたない」と言われながら初めてミスコンが行なわれた明治時代を経て、今は自撮り全盛の時代。その文化は承認欲求を満たすだけでなく、もっとおかしな発展をしてもいいと思うんです。

―自分の顔をユニークな方向性で活かすこと。その方法のひとつが、松井さんがこれまでに描かれてきた様々な自画像であったりするのかもしれません。

松井:そうだと思います。あ、ちなみに私先日、ディズニーランドでコスプレした写真をInstagramにアップしたのですが、そのうちの1枚、見てみますか?

―はい。

松井:これです。何かおかしな点に気づきませんか?

―あ、片方はすごく腕が細くなってますね。背景にある柱もゆがんでしまっています(笑)。

松井:そう。これ、現代特有の表現です。ディスプレイを通してしまうと、本来のものが歪んで見えると思う。これは言葉も一緒で、どんどん補正されて、何かが歪んでいく。だからみなさんには、トークイベントでもいいし、同時代を生きる人間が話している現場に立ち会ってもらいたいですね。生の言葉を聞いてほしい。

―ディスプレイ越しではだめだと。

松井:やっぱり美化されたり、誇張されていることには歪みがあるから、自分の目で見たものを信じてほしいです。画像や文字情報の二次元のデータでは伝わってこないものもあるので。それは、留学をして強く実感したことのひとつです。

自画像は私が今どこにいるのか教えてくれる。「目は口ほどにものを言う」というように、顔が物語ってくれる。

―そもそも、松井さんと美術との出会いはどのようなものだったのでしょうか? 松井さんは美術予備校生時代『GEISAI#6』に出品した『エビチリ大好き』をきっかけに20歳の若さでデビューを果たしました。

松井:私は岡山県出身なのですが、実家から徒歩10分圏内に大原美術館があったんです。それで幼少期から何度か訪れているうちに「いつか油絵を描いてみたいな」と思いました。それが美大進学のきっかけです。

松井えり菜『エビチリ大好き』(2003年)
松井えり菜『エビチリ大好き』(2003年)

―大原美術館といえば、日本で初めて西洋美術・近代美術を紹介した本格的な美術館として有名です。

松井:そこで見た西洋画から受けた影響はとても大きいです。所蔵作品のクロード・モネの名画『睡蓮』に描かれた池の中からウーパールーパーが出現するイメージが子供の頃からあって。

―なかなかユニークなイメージですね(笑)。

松井:というのも、京都の東映太秦映画村に、池の中から突然恐竜が出現するエリアがありまして。それを見ていて「この池からはウーパールーパーも出てくるはず」って。

―松井さんの作品には、度々ウーパールーパーが登場しますよね。

松井:ウーパールーパーは、私が子供のころから似ていると言われる動物なので、幼少時のメタファーでしょうか。ウーパールーパーの被り物をかぶって各地を訪れる『ドコヘデモイケマス』という写真シリーズは、水槽の外に出られないウーパールーパーの代わりに外に出てあげる、というイメージの作品です。

松井えり菜『ドコヘデモイケマス』(2008年)
松井えり菜『ドコヘデモイケマス』(2008年)

―世界各地で撮影されていますね。ときにはベルサイユ宮殿にも……。

松井:「ここは大道芸をする場所じゃない!」って怒られたり、ウーパールーパーの頭を持っていたので、空港の荷物検査では度々警戒されながら、各地を訪れてきました。

―そうした作品シリーズも、自画像の発展版のひとつなんですね。

松井:そうです。例えば『なりきりヴィーナス センターはいつだってプレッシャー』も、一見すると自画像に見えないかもしれないですが、私の顔を描いています。

松井えり菜『なりきりヴィーナス センターはいつだってプレッシャー』(2016年)
松井えり菜『なりきりヴィーナス センターはいつだってプレッシャー』(2016年)

―これはどういった作品なんですか?

松井:古典絵画における中心軸はだいたい真ん中で、中央にいる人物を中心に色々な出来事が起こっているんですね。さらに、その真ん中の人物は同じ画面に描かれた他の人物からも鑑賞者からも常に見られる立場であると。そのプレッシャーに「耐えられない!」と感じているヴィーナスの顔が、私の顔になっています。

―なぜ松井さんはシチュエーションを変えつつも、自画像を主軸に描き続けてきたのでしょうか?

松井:それは自画像が、私が今どこにいるのかを教えてくれるGPSのようなものだからです。私がその時々にどういうことに興味を持って、そしてどういうことを訴えたいのかを教えてくれるダイアリーのようなものなんですよ。「目は口ほどにものを言う」というように、顔が物語ってくれるような気がして、顔というモチーフにとても興味があります。

松井えり菜

―自画像によって、松井さん自身の現在地を確かめるという。

松井:そうですね。毎日の生活、あるいは絵を描いているときに、自分を見失う瞬間があるんですよ。そのときに過去の作品を見返して気がつくこともあります。

―そこで気づくことは、自分自身のこと、あとは周りの環境や社会のことも含まれますか?

松井:はい。肌のコンディションや興味の範疇、時代の流行、今はもう使えない画材。変化と喪失の気づきですね。今回の『19th DOMANI・明日展』では、過去作から初公開の最新作までを網羅的に展示することになりました。ひとりの作家の人生や興味の移り変わりとモチーフへの向かい方が見えるので、みなさんにも楽しんでいただけると思います。

次の興味の対象を探しにいくとき、インターネットでは補完できない。

―留学時代の自画像にも、その当時の生活や変化が表れているのでしょうか?

松井:そうですね。海外への長期滞在はフィンランドのヘルシンキが初めてだったのですが、ヘルシンキは間接照明ばかりなので、顔が黄色く見えるんです。なので、そのときに描いた自画像はやけに顔が黄色いです。あとは、フリーマーケットで見つけた人形を顔の周りに描いたりしていました。

松井えり菜

―生活がかなり反映されていますね。2012年からは1年間、新進芸術家海外研修制度でドイツに滞在されています。それはフィンランドでの経験に基づく決心だったんですか?

松井:私、基本的に日本大好きなんですよ。日本の文化が大好きで、食べ物もおいしいし。それで、フィンランドに留学してちょっと海外生活にも満足したんです。「もうこのまま日本にいてもいいか」とちょっと守りに入っていて、大学院を出たあと1年ほど国内でズルズルと生活をしていたら、東日本大震災が起こって。

―2011年。ちょうど留学の1年前ですね。

松井:そう、そこで時間って無限にあるわけじゃないし、興味を持ったらすぐに動くっていうことを忘れないようにしなきゃいけないと強く思って。悔いなく生きようと決心したんです。

―ドイツを選ばれた理由はなんなのでしょうか?

松井:憧れという病の治療ですね(笑)。先ほど話に出た大原美術館の影響もあるかもしれないのですが、私は幼少期から西洋画への強い憧れがあるんです。西洋画といえばいくつかモチーフがあるわけですが、そのひとつ、「お城」のあるドイツがいいかなって。ちょうどベルリンのクンストラーハウス・ベタニエンにパーミッションをいただいたのと、ドイツ製のおもちゃも大好きなのでタイミングに恵まれていた。

ベルリンのクンストラーハウス・ベタニエンでの個展『Road Sweet Road』Photo by shinji minegishi
ベルリンのクンストラーハウス・ベタニエンでの個展『Road Sweet Road』Photo by shinji minegishi

―好きなものを追いかけてドイツを選ばれたんですね。

松井:そうですね。ドイツには私の好きなものの源流や、モチーフとなるものがたくさんありました。

―ドイツでは、実際にどういった作品を作られたのでしょうか?

『Nightmare before New Year』(2013年) ©Erina MATSUI Photo by Keizo Kioku Courtesy of YAMAMOTO GENDAI
『Nightmare before New Year』(2013年) ©Erina MATSUI Photo by Keizo Kioku Courtesy of YAMAMOTO GENDAI

松井:たとえばこれは、私が実際に経験したベルリンでの年越しの様子を元に制作した作品です。ベルリンは普段は過ごしやすくアートに溢れた素敵な町なのですが、年末はがらっと雰囲気が変わるんです。みなさん日頃の鬱憤を晴らすように、見たことのないくらい大きいロケット花火を、なぜか横向きに撃ち放つんです!

町中が戦争映画のように爆発音、爆煙で包まれ、挙げ句の果てに町を象徴するブランデンブルグ門の周りも火柱で包まれて……。「怖い!!」と思った時に、私が地球になって、叫んでいるというイメージが浮かびました。びっくりしすぎて絵の中の木星も飛び出してしまいました(笑)。

―とても刺激的だったのですね。

松井:そうですね。でも、私は一所に留まって、どこにも取材に行かずに、同じ場所で毎日のように絵を描いていると、好きなものへの興味が消耗されていくんですよ。

―消耗ですか?

松井:そう。ゆるやかに興味が薄れていくので、次の対象を探しにいかなければいけない。で、それはやっぱりインターネットでは補完できないんですよね。例えばフランスのシュノンソー城は潤沢な維持費によって、常に新鮮なお花が生けてあるんですよ。その新鮮な花の香りの素晴らしさが、作品の一要素になるんです。逆に、ベルサイユ宮殿は「意外と砂利ばっかりだ!」っていうおもしろさもあったり。

―ドイツを拠点に、フランスなど近隣の国も訪れたんですね。

松井:『GEISAI#6』で金賞を受賞した翌年に、パリのカルティエ現代美術財団のグループ展に参加したのですが、そこでお世話になった方々や友人、あとは、恩師の辰野登恵子先生(画家・版画家)が使用したこともあるパリのリトグラフ工房「IDEM」に行ったりもしました。各地でフリーマーケットを訪れて、それぞれの国の違いも実感しました。

―フリーマーケットで入手した一部のおもちゃは、作品中でモチーフとして描かれていますね

松井:はい。フリーマーケットの文化は本当におもしろいですよ。バルト三国やロシアでは必ずスポンジ製の人形を発見するし、木製のおもちゃが特徴的なスイス、金属製のものが多いフィンランド、「こんなもの売るんかーい」と突っ込みたくなるようなものが売っているフランス。本当に多彩です。

―作品を制作して、お城を訪れて、フリーマーケットにも行き、すごく充実した1年だったんですね。

松井:そうですね。楽しみや好奇心を蓄積するためにドイツに留学したような気がします。私は西洋画の一方で、オタク第1世代の父の影響で『キャンディ・キャンディ』や『ベルサイユのばら』、その他マニアックなものも含めて、西洋を舞台とした1970~80年代の少女漫画も大好きなんです。好きなことや、やりたいことの集大成が私になり、芸術になると思っています。

松井えり菜

―実際、近年発表された作品は、これまでの松井さんによる自画像とは少し異なるように見えます。たとえば、2015年にギャラリー「山本現代」で開催した個展『マンガ脳夜曲(マンガノウセレナーデ)~絵画の続き~』で発表された『コマ割りの受胎告知』。これは漫画のコマ割りを思わせますが、それらは「好き」を追求した結果でもあるのでしょうか?

松井:そうです。西洋文化→少女漫画→私、その奇妙な伝言ゲームに気づいて描き始めたのが、『コマ割りの受胎告知』をはじめとした最近の西洋美術のインスパイアシリーズなんです。自分の好きなものを追求してみた結果、少女漫画自体が西洋文化、絵画の影響を強く受けていることに気づきました。

―影響とは、たとえばどういうところですか?

松井:漫画の扉絵の構図で、1枚の画面に大きい人間がいたり小さい人間がいたり、そして同時多発的に色々な出来事が起こっているっていうものがありますよね。それが古典絵画にすごく似ているように思えて。そして、その漫画の構図の影響を私自身も受けているんです。

松井えり菜

―そういった発見や自覚は、最近得たものなんですね。

松井:昔はもっと無意識に描いていたんです。でも2014年、恩師が亡くなったことをきっかけに自分のことを考えていたら「あれっ、どうやって描いたんだっけ?」「どうして私は作品を作っているんだっけ?」って一瞬見失って、描けなくなってしまって。そのときにルーツを考えたんです。

―ルーツをたどることで、新たな展開が生まれたと。

松井:はい。恩師や友人の死など、いろいろな変化が同時多発的に起きて「私は変化するべきじゃないのか?」と考えると同時に、自然とルーツに向かっていきました。今はこれまでの画風を残し、自画像の系譜も踏まえつつ、いろんな可能性を開拓している最中です。時代や時代に合わせてスタイルを変えていくことが、今を生きているペインターの役目なんじゃないかって。

―これから訪れてみたい国はありますか?

松井:アメリカですね。ドイツ留学時に発表した作品のレビューがアメリカの美術雑誌に載ったことをきっかけに、アメリカの方にたくさん興味を持っていただけた。時間は限られているから、行くなら少し急がないといけないですね。後悔のないように、生きていかないといけません。

松井えり菜

イベント情報
『未来を担う美術家たち「19th DOMANI・明日展」文化庁新進芸術家海外研修制度の成果』

2016年12月10日(土)~2017年2月5日(日)
会場:東京都 六本木 国立新美術館 企画展示室2E
時間:10:00~18:00(金、土曜は20:00まで、入場は閉館の30分前まで)
参加作家:
池内晶子
岡田葉
南隆雄
秋吉風人
保科晶子
松井えり菜
曽谷朝絵
三原聡一郎
山内光枝
今井智己
折笠良
金子富之
平川祐樹
休館日:火曜、12月20日~1月10日
料金:一般1,000円 大学生500円
※高校生、18歳未満および障害者手帳をお持ちの方と付添者1名は無料

プロフィール
松井えり菜 (まつい えりな)

画家。現代美術家。1984年、岡山県出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了。自画像やウーパールーパーをモチーフとした作品を多く制作する。2004年に自画像『エビチリ大好き』で『GEISAI#6』金賞を受賞。同作品はパリ・カルティエ現代美術館のコレクションとして収蔵される。平成24年度文化庁新進芸術家海外留学制度研修員。



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