森山未來が、12月27日から3日間にわたって、音楽とダンスによる公演『SAL -Dance and Music Installation- By Ella Rothschild and Mirai Moriyama』を開催する。同公演は、青葉市子、阿部海太郎、堀つばさ、U-zhaan、吉井盛悟らミュージシャンが日替わりでタッグを組み参加するという、なんとも異例かつ贅沢な内容だ。
今回CINRA.NETでは森山と、ミュージシャンとして参加する阿部の対談を行なった。二人の対話の中で、文化庁の文化交流大使としてイスラエルに1年間ダンス留学していた森山が、音楽とのコラボレーションをテーマに公演を行なう理由が見えてきた。二人の交流が本格的に始まったイスラエルでのエピソード、日本とイスラエルの意外な共通点やヨーロッパで受けた衝撃、さらには「即興」についてなど、テーマは多岐にわたり大変興味深い内容となった。
未來さんが身体だけを武器に何かを表現している姿にゾクゾクしました。(阿部)
―森山さんは2013年10月から2014年10月までの1年間、文化交流使としてイスラエルにダンス留学されていましたが、何かカルチャーギャップのようなものは感じましたか?
森山:「ギャップ」ということで言えば、イスラエルへ行く前に滞在したベルギーの方が感じましたね。
―具体的にどういったことでしょう?
森山:ヨーロッパって、様々な民族や宗教が混じり合った雑多な雰囲気なんです。クリエイションもそういった文化のうえに成り立っているというのを、現地の振付師シディ・ラルビ・シェルカウイと『TeZukA』(手塚治虫作品からインスパイアされたコンテンポラリーダンス)という舞台をやった時に感じました。
それに比べてイスラエルは、思想や宗教で統一されていて、その混じり気のない感じが日本と似ている気がします。日本は島国ですし、イスラエルはアラブ諸国に囲まれ、地政学的に孤立せざるを得ない状況ですからね。
―となると、イスラエルには日本との共通点も感じました?
森山:うーん、「暗黙の了解」みたいなものは日本と同じように多いのかもしれない。他のヨーロッパ諸国は、民族も言語もバラバラの人たちがいるから、それぞれ違ったルーツを持っていることを前提として、お互いを思いやらないといけないんです。
―「私は敵ではありません」という意思表示を握手やハグなどで示すことが、すごくシビアな意味を持っていますもんね。
森山:そうそう。とりわけベルギーは、ドイツやフランス、オランダに囲まれていてアイデンティティーが危うい。イスラエルも、さっき言ったように地理的にも政治的な意味でもアイデンティティーが危うく、だからこそ国内で独特なコンテンポラリーダンスが活発化していったのかもしれないです。世界的に見ても、コンテンポラリーダンスといえばベルギーとイスラエルのシーンが注目されているんですよ。
―そうなんですね。お二人は『100万回生きたねこ』(2013年、東京芸術劇場)の公演がきっかけで知り合って、その後イスラエルで本格的に交流が始まったそうですね。
阿部:はい。未來さんがイスラエル滞在中に拠点にされていたインバル・ピント&アブシャロム・ポラックカンパニーの『WALLFLOWER』という作品で、僕を含めた三人の日本人(権頭真由、中村大史)が音楽を手がけることになり、現地で一緒に制作の時間を過ごしました。考えてみれば、権頭さんも中村さんも、『100万回生きたねこ』にミュージシャンとして参加していたし、今回未來さんと公演を共作するエラ・ホチルド(イスラエルの振付家・ダンサー)も振付助手だったから、あの舞台は僕たちにとってかなり意義深いものでしたね。
森山:『100万回生きたねこ』の時は、海さんとロケット・マツさん(作曲家。PASCALSのメンバー)の共同作業という感じだったよね。マツさんが打楽器とか割とフィジカルな楽器を使った作曲をしていて、海さんは旋律の美しさが前に来るような作曲をしていた。そのバランスがすごく良かったんですよね。『WALLFLOWER』は、ミュージカルでも演劇でもなく「ダンス作品」という括りだったし、美術館で上演したときも、館内の空間を利用した現代アートっぽい内容だった。それで、音楽も旋律の美しさを残しつつも抽象的だったんです。
そこで『100万回生きたねこ』の時とはまた違う、海さんの魅力を知ることになって、「海さんって、こっちの引き出しもあるんだ!」とびっくりした記憶があります(笑)。「そっか、海さんもホースを回したり、マイクスタンド叩いてノイズを出したりするんだ!」って(笑)。
―振れ幅が大きかったんですね(笑)。阿部さんは、単身イスラエルに渡り、通訳なしで活動する森山さんの様子をどのように見ていましたか?
阿部:『100万回生きたねこ』でご一緒してからずっと未來さんのことが気になっていて。日本で俳優の仕事をしている方が1年間イスラエルへ行くというのはとても大きな決断だったと思うし、どういう事を考えているのかすごく興味があったんです。
で、僕自身もイスラエルへ行ってみたら、なんていうのかな……、言葉が見つからないんですけど、未來さんがあの場所で過ごしている姿を見て嬉しくなったんですよ。「未來さん、今きっとすっごい楽しいんだろうな」って。
森山:ふふふふ。そういうふうに見えてたんだね。
阿部:『WALLFLOWER』は「ダンス作品」だからセリフも歌もないし、唯一あるのは未來さんの絶叫くらいで、「どこからあんな声が出てるんだ?」って驚いたんですけど(笑)、未來さんが身体だけを武器に何かを表現している姿にゾクゾクしましたね。
音は作者の血肉で、他人と共有できないと思っていたけど、「ロジック」さえあれば誰とでも共有可能になる。(阿部)
―阿部さんはヨーロッパに留学されていたんですよね。森山さんのおっしゃるように、イスラエルとはかなり違いますか?
阿部:僕はパリにいたのですが、ヨーロッパではいわゆる「ロジック」というものが最終的にとても大切なのだなと痛感します。「ロジック」というのは、より多くの人と共有するために余計なものをそぎ落とし限りなくシンプルにしていくことなわけじゃないですか。
そうすると削ぎ落とされた中には、匂いとか気配とか、言語化できない、ロジックに落とし込めない要素がたくさん含まれている。イスラエル人と日本人は、その削ぎ落とされた部分でさえ共有できるんじゃないかって、アブシャロムやインバルたちと仕事をしていて思いました。
森山:そう! そうなんですよね。さっきも言ったように、日本もイスラエルも孤立した環境にあって、外に向けてメッセージを発信するための「ロジック」が必要ない。イスラエルは70年くらいの歴史しかなくて、民族もロシア系やスペイン系など本当にバラバラ。
日本は島国という物理的な要因もあり、独自の文化形成をしていると思います。しかも千年以上もそれが続いているのは非常に珍しい。そんな環境の中で「阿吽の呼吸」みたいなものが形成されていったのかもしれないですよね。
―そうやって考えてみると、日本もイスラエルも世界的に見ても不思議な国ですね。
阿部:そう思います。逆にヨーロッパの音楽がかなりロジカルで数学的に出来ているというのは知識として学んでいたのですが、以前、マイケル・ナイマン(ロンドン出身のミニマルミュージックの作曲家)の舞台の仕事に携わった時にすごく衝撃を受けたんです。
その舞台というのが、『エレンディラ』(ガブリエル・ガルシア=マルケス原作)を蜷川幸雄さんが演出したものなのですが、その時に僕はナイマンの音楽助手を務めることになったんです。ナイマンと蜷川さんの間に入って橋渡しする仕事をしていたのですが……(笑)。
森山:それは大変そう(笑)。
阿部:でも、ナイマンのスコアを世界で最初に見られるというのはとても幸せで(笑)。で、その時に作曲の工程を見たら、主旋律はナイマン本人が書くんですけど、方法論を伝えたうえで、彼の助手がアレンジしていくんです。驚いたことに、それが紛れもなく「ナイマンのサウンド」になっていた。
それまで僕は、音楽というのは音の一つひとつが作者の血であり肉であり、他人と共有できるものではないと思っていたんですよ。でも、そこに「ロジック」さえあれば誰とでも共有可能なものになる。そんなことをまざまざと見せつけられたし、ヨーロッパにおける「ロジック」の凄みを実感しました。それが自分の中ではかなり大きい出来事で、「じゃあ、日本人である自分はどうしよう?」と深く考えさせられましたね。
森山:で、どうしようと思ったの?
阿部:ナイマンは絶対にやらないような、ホースを回したり、マイクスタンドを叩いたりしようかなと。
一同:(笑)
僕、即興には一家言あって(笑)。だからこそ興味があるとも言える。(阿部)
―今回の公演は、『JUDAS, CHRIST WITH SOY ユダ、キリスト ウィズ ソイ~太宰治「駈込み訴え」より~』の再演にあたり実施される連携公演ですが、阿部さんのほかに、青葉市子さん、堀つばささん、U-zhaanさん、吉井盛悟さんなど各日で異なるミュージシャンが出演します。この人選はどのように決めましたか?
森山:即興を中心とした企画になった時点で、海さんには絶対参加してほしかったし、内子座での『JUDAS, CHRIST WITH SOY~』の時に一緒だった吉井盛悟さんとも、『TeZuKa』で一緒だった堀つばささんとも、またやりたかった。
U-zhaanは、仕事はしたことないけど面識はあって、川越のおすすめスポットとか色々教えてもらってました(笑)。彼は毎年春くらいになると、タブラの師匠に会いにインドに行っているんですよね。「イスラエルにいるなら、暇だったらインドにもおいでよ」みたいな会話もしていて、いつか舞台でも一緒にやってみたいと思っていたんです。青葉市子ちゃんは今まで全く面識がなかったけど、センスむき出しな感じがすごくいいなと思いました。
―じゃあもともと繋がりのある方や気になっていた方が多いのですね。そして、今回は音楽にもダンスにも即興が含まれると。
森山:海さん、即興って普段やりますか?
阿部:僕、即興には一家言あって(笑)。だからこそ興味があるとも言えるのですが、基本的にはあまり即興というものが好きじゃないんです。なぜ好きじゃないかというと、即興っていうのはどこまでいっても自分の内側から出てくるものであり、限りなく身体的な行為であって、身体を超えるものを生み出しえない。
―自分の今ある引き出しからしか出てこないような。
阿部:そうですね。乱暴に言えば「手グセ」の世界というか。そこを超えていくには、即興ではなくコンポジション——つまり譜面に書いて何度も推敲し、手グセを意識的に超えていくしかないのかなと。
たとえばピアノという楽器は、今は88鍵が標準ですが、昔はもっと鍵盤数も少なく高音から低音までなかなかキレイに出なかった。それが、技術の発展とともにだんだん鍵盤数が増えていく。そんな過渡期に活躍したベートーベンのピアノソナタを聴くと、鍵盤数が少なかった初期に比べてどんどん音楽が深化していくんですよ。
―技術の発展に伴って、音楽そのものも進化していったわけですね。とても面白いです。
阿部:さらに面白いのは、その頃のベートーベンのピアノソナタの中には、本当はもっと高い音を鳴らしたいのに、鍵盤数が足りず不自然な形で折り返しているようにしか思えない旋律が結構あるんです。
つまり楽器という「身体」を、超えようとしているわけですよね。コンポジションの可能性や醍醐味って、そこにあるのではないかと。「今ある身体を、どう超越していくか?」っていう。対して即興=インプロヴィゼーションは、身体の限界を感じることが多い気がするのです。
―とはいえ、即興に興味はあるということですが。
阿部:そうですね。最近は即興について改めて考えるようになってきました。書かれた譜面を今度は身体がいかにして乗り越えていくか。ロジックと即興とが永遠に互いを乗り越える関係や、乗り越える時に生じるハプニングに興味があります。それは『100万回生きたねこ』や『WALLFLOWER』でインバル・ピントたちと仕事をしたことも影響していると思います。
即興って、まさにダイアローグなんです。(森山)
―スパイラルでの公演『SAL -Dance and Music Installation- By Ella Rothschild and Mirai Moriyama』はどんな内容になりそうですか?
森山:僕自身、まだどんな形で即興をやるかはっきりと決めてなくて。ただ、エラとの話し合いの中で出てきたのは、内子座や横浜・HONMOKU AREA-2で実際に行なったフルパフォーマンスの中から、いくつかのフォーマットを抜き出し、それを組み直しつつ即興を織り交ぜていくというものです。
『SAL -Dance and Music Installation- By Ella Rothschild and Mirai Moriyama』メインビジュアル
―全くゼロからの即興ではなく、ある程度フォーマットがあって、それを毎回違うミュージシャンとやることでどんな違いが出てくるかを楽しむわけですね。
森山:ええ。あくまでもフォーマットはフォーマットで、厳密に流れを決めているわけではないので、その時の気分でどんどん変わっていっても面白いかなと。だって、たとえば市子ちゃんだったら、歌い出したり喋り出したりすることも出来るわけだからね。
阿部:どうなっていくんでしょうね。何一つ決まっていない今の段階では、「うまくいくといいな」としか言えない……(笑)。
森山:(笑)。なんていうか、お互いの持ち札を「バーン!」「どうだ!」とぶつけ合うのではなく、もっと絡み合ってお互いの肌ざわりをちゃんと感じながら、侵食し合っていくような、そんなステージにしたいです。そういうオーガニックさは常に持っていたい。
―スパイラルという空間でやるわけだから、あのスロープとか通路とか、客席自体もイレギュラーです。
森山:その空気感も大事にしたいですね。お客さんも見る場所によってかなり印象が変わると思う。とにかく、全体的に有機的で温かいものにしたいです。
―即興って、会話っぽいイメージもありますしね。
森山:そうそう。即興って、まさにダイアローグなんです。
―あと、今日お話しされている森山さんの動きを見ていると、美しい身のこなしや所作が、時間を引き延ばしたり縮めたり自在にコントロールしているようで、その辺り音楽とダンスは似ている部分があるなと改めて思いました。
阿部:ああ、それは面白いですね。確かに未來さんの動きは時間を自在にコントロールしているようで、そういう時間感覚を変化させるという意味では、音楽とダンスは同じかもしれない。
森山:そう、先日ベネッセアートサイト直島で、チェルフィッチュの岡田利規さんとの共作『in a silent way』というパフォーマンスをやったんですけど、その時は100人くらいお客さんを入れた密室状態で、独裁者の演説みたいなことをやったんです。そういう空間と音響の効果で、音がものすごく回ってワンワン鳴り響くんですよ。
岡田さんの身体の捉え方っていうのは、普段の所作の延長線上なんだけど、セリフとのズレによって意味も変容していく。言葉と体の距離感をコントロールすることで、今おっしゃっていたように時間感覚も変わるんです。思えば、僕はそういうことを一通りやってきたばかりだったんですね。
―森山さんが帰国したばかりの時のインタビューで、ダンスと芝居の境界について「『曖昧なままでいい』という答えは一つ見つかった」とおっしゃっていました。そう思えたからこそ、今回のような境界線を壊していく活動に拍車がかかったといえますか?
森山:そう思います。僕は相変わらずダンサーなのか役者なのかよくわからないところにいるから、岡田さんみたいな人がいるのは本当に励みになったし、出会えたことが嬉しかったです。もちろん、海さんやアブシャロム、エラを見ていても感じることは多かった。エラも本当にいろんな要素を使いながら、それを有機的に構築して舞台を作っていく人なんです。そこは本当に信頼していますね。
―そういう活動の流れの一つかもしれないですが、森山さんは最近、所属事務所を離れてフリーになったそうですね。
森山:はい。イスラエルから帰国して以降、それこそ今回のイベントもそうですが、自分で企画して自由にやらせてもらう時間がどんどん増えてきていて。
もちろん、今まで所属していたオフィス作さんには本当にお世話になったし、大好きな人たちばかりなんですけど、やはり事務所にいると守られているというか。そういうものを取り払ったところで、地に足つけて活動できないか考えた時に、独立した方がいいと思ったんです。
阿部:社会に対しての役割というものが、30代半ばにして変わりつつあるのかもしれないですね。イスラエル行きに続き、またしてもすごく大きな決断だと思います。
森山:特に決意表明というわけでもなく、何か目論見があるわけでもないですけど、どこまで自分で背負い込んでやっていけるか試していきたいです。
- イベント情報
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- 『SAL -Dance and Music Installation- By Ella Rothschild and Mirai Moriyama』
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2016年12月27日(火)~12月29日(木)
会場:東京都 表参道 スパイラルガーデン(スパイラル1F)
演出・振付:エラ・ホチルド
共同制作:森山未來
出演:
エラ・ホチルド
森山未來
12月27日音楽・演奏:
阿部海太郎
青葉市子
12月28日音楽・演奏:
堀つばさ
U-zhaan
12月29日音楽・演奏:
吉井盛悟
青葉市子
U-zhaan
料金:前売 各公演4,500円
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- 『JUDAS, CHRIST WITH SOY ユダ、キリスト ウィズ ソイ~太宰治「駈込み訴え」より~』
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2017年1月4日(水)~1月6日(金)全3公演
会場:神奈川県 横浜赤レンガ倉庫1号館 3Fホール
企画・共同制作:森山未來
演出・美術・振付:エラ・ホチルド
音楽・演奏:蓮沼執太
出演:
森山未來
エラ・ホチルド
料金:
前売 一般4,000円 学生・高校生以下3,000円
当日4,500円
- プロフィール
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- 森山未來 (もりやま みらい)
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1984年兵庫県生まれ。数々の舞台・映画・ドラマに出演する一方、近年ではダンス作品にも積極的に参加。文化庁文化交流使として13年秋より1年間イスラエルに滞在、インバル・ピント&アヴシャロム・ポラックダンスカンパニーを拠点に活動。近作として、カールスルーエ・アート&メディアセンター(ZKM)にてソロパフィーマンス、同年8月に直島・ベネッセハウスミュージアムにて岡田利規×森山未來『In a Silent Way』、名和晃平×ダミアン・ジャレ『vessel』、李相日監督作品映画『怒り』、串田和美演出『Metropolis』など。第10回日本ダンスフォーラム賞2015受賞。
- 阿部海太郎 (あべ うみたろう)
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1978年生まれ。作曲家。幼い頃よりピアノ、ヴァイオリン、太鼓などの楽器に親しみ、独学で作曲を行うようになる。東京藝術大学と同大学院、パリ第八大学第三課程にて音楽学を専攻。自由な楽器編成と親しみやすい旋律、フィールドレコーディングを取り入れた独特で知的な音楽世界に、多方面より評価が集まる。2008年より蜷川幸雄演出作品の劇音楽を度々担当したほか、舞台、テレビ番組、映画、他ジャンルのクリエイターとの作品制作など幅広い分野で作曲活動を行なう。現在放送中のNHK『日曜美術館』のテーマ曲を担当。2016年12月21日に5枚目となるオリジナルアルバム『Cahier de musique 音楽手帖』を発表。
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