社会に混ざり合う人々の幅広さを、私たちは普段、どれほど意識できているだろうか。「多様性」とやらを頭では理解していても、自分と似た立場や分野の人間とだけ関わることは、居心地がいい。しかし、果たしてそれは豊かな状態なのか。
2015年に始まったアートプロジェクト「TURN」は、人々の多様さを再発見して創造的に提示する、広い射程を持つ取り組みだ。『東京五輪』に向けた、東京都の文化プログラムの一環でもある同プロジェクト。アーティストが福祉施設などを訪れ、利用者との交流を重ねる「交流プログラム」を中心に、その発表の場『TURNフェス』も開催する。また今年、アルゼンチンの『ビエンナーレ・スール』に招聘されるなど、活動規模を世界に広げている。
今回は、アーティストの日比野克彦と建築家の伊東豊雄に登場してもらい、異なる人々の混在する場の可能性について語ってもらった。日比野はTURNの監修者。一方の伊東は、被災地での「みんなのいえ」プロジェクトや、「子ども建築塾」などの取り組みを通じて、建築と社会の新しい関係性を模索してきた。「日本社会はいま、あらゆる意味で壁ばかりになっている」と話す両者。壁を問い直すことの面白さ、難しさを訊く。
障がいを持つ人に手を差し伸べたいということよりも、失ってしまった発想に気づきたいという欲望がある。(日比野)
―日比野さんにとって、TURNはどんな目的を持つプロジェクトなのでしょうか?
日比野:最近、「アウトサイダーアート」や「アールブリュット」と呼ばれる表現が、日本の美術館でも多く取り上げられるようになっていますよね。そこでは障がいのある方たちの作品が紹介されたりするわけですが、TURNは、障がいの有無ではなく、みんなそれぞれ多数派とは異なる部分を持っているマイノリティーの集合体であるという認識から、アートを考え直してみようという試みです。アートには、人と違うことを楽しむという特性があるので、それぞれの人の差異を引き出すのにとても向いているんです。
伊東:そうですね。
―TURNでは、障がい者施設や高齢者施設などにアーティストが通いながら、利用者らと時間を過ごす「交流プログラム」という取り組みが行われていますが、その交流の先に、どんなことを見ようとしているのでしょうか?
日比野:施設の利用者と接すると、僕が失ってしまったであろう自由な発想や世界の見方があることに、気づかされるんです。たとえば、僕らは背丈1、2メートルくらいの観葉植物を描こうとしたら、当然のようにサイズを縮尺して、全体像を机の上の1枚の紙に収めますよね。
しかし施設の利用者は、1枚目の紙には実寸大の植木鉢だけを描き、そこに描ききれなくなったら、2枚目の紙を継ぎ足して木の根元を描き、それでも描ききれなくなったら、3枚目の紙を継ぎ足して、植物が下から上に成長するように全体を描いたりする。そうした表現を見ると、自分の方が間違っている気持ちになるんです。アーティストには、障がいを持つ人に手を差し伸べたいということよりも、そういった発想に気づきたいという欲望があるんです。
伊東:気づきたい、というのはわかります。僕は「子ども建築塾」という塾をやっているのですが、子どもたちの表現も想像以上なんですよ。去年、「動物と一緒にくらすいえ」というテーマを与えたのですが、常識的には犬や猫、せいぜいクマ辺りがくると思いますよね。
でも、ある男の子は生物5億年の歴史を紐解いて、始祖鳥と怪獣、むささびと人間が暮らす家という壮大なものを描いてきた。それらがレイヤー状の空間にいて、螺旋階段で交流するというね。それを見た建築学科の大学生たちが、圧倒されていました。
伊東が主催する「子ども建築塾」の参加児童が作った、始祖鳥と怪獣、むささびと人間が暮らす家
―伊東さんは、TURNの取り組みをどうご覧になっていますか?
伊東:TURNと同様に、ボーダレスな社会というのは、僕も建築で一番実現したいことなんです。いろんなヒエラルキーの壁を取り去っていきたい。世の中は本当に壁ばかり。どうしたら僕らのまわりに立ちはだかっているさまざまな壁を壊せるのか、ずっと考えてきましたが、なかなか壊せないんですよね。だから最近は、壁があっても回り込む方法や、乗り越える方法を編み出したいと考えています。
―ご自身の関心とも重なる部分があるということですね。
伊東:そうですね。そもそも、建築とは壁を作ることなんです。厳しい自然環境の中で、人間を守るために建築を作ってきた。しかしあるとき人間は、その建物自体を「すごいだろう」と思うようになってくる。その途端、建築は偉そうな顔をし始めてしまった。
どこかの線で外界から切らないと、「建築」と呼べるものにならないんだけど、完全に切るのではなく、自然と関係を保ちつつ、どこか自然とは異なる場所を作りたいんです。柔らかい壁というか、新しい関係の仕方を見つけたい。
「美術館では静かに」というルールはあっても、些細な部分を変えるだけで、人の振る舞いは変わる。(伊東)
―2015年に岐阜に開館した伊東さん設計の複合施設「みんなの森 ぎふメディアコスモス」の開館1周年記念展『みんなのアート』は、アールブリュット作品を紹介する展示で、日比野さんの監修でした。
日比野:その時は子どもから大人まで、50人くらいの参加者と絵を描くワークショップをやりました。さっきの壁の話につながるのですが、メディアコスモスの図書館は壁がないですよね。勉強したい人も遊びたい人もいるから、普通の図書館では仕切りを作るけど、伊東さんの設計にはない。
伊東さんに理由を訊くと、「公園で読書をしているとき子どもが走り回っていても、うるさいと感じないでしょう。そんなイメージなんだ」と。実際に壁がなくても問題は起きていません。まさに建築の力だと思いました。
伊東:むかし、東京オペラシティアートギャラリーで『伊東豊雄 建築|新しいリアル』展を開いたとき、ひとつの部屋だけ床を波打たせたのですが、それだけで子どもは走り出すんです。「美術館では静かに」というルールはあっても、そうした些細な部分を変えるだけで、人の振る舞いは変わってしまう。僕はそういう、動物的な感受性を大事にしたいのですが、世の中はまったく逆で、ただ壁を建てることばかりやっていますね。
日比野:なぜ壁を作るかというと、要するに管理ですよね。自然状態のままだと怖いから、壁を作って、「ここからこっちは私たち、向こうはおたく」と、責任の所在をはっきりさせたい。でも、そういう無機質な仕切りでは、動物的な感性は失われてしまう。
日本ももっとユルくなると、楽しいことがいっぱいあるはずですね。(伊東)
―壁を作ることによって得られる「安心、安全」が、何より優先される状況があると。
日比野:昨年の『リオ五輪』の際、「TURN in BRAZIL」という試みを行ないました。日本人と日系ブラジル人のアーティストたちがサンパウロの施設で交流してできた空気感持ってきて、その成果物をリオの美術館で展示したり、ワークショップを開催したのですが、その中で貧困地域にある障がいを持つ子どもの施設に行ったんです。面白かったのは、そこが障がいのない近所の子たちの遊び場にもなっていたこと。施設長は「両方の居場所を分けて作りたいけど、お金がなくて……」と後ろめたそうに言うのですが、僕はむしろ「日本より進んでいるのでは……」と思いました。
―ごく自然に混在している状態があったわけですね。
日比野:そう、本当に自然でしたね。街に目を向けても、工事現場とその周囲の境界に塀がない。「危ないな」とも思うんですけど、工事現場の作業員が昼休憩で道路で横になっているそばを、サラリーマンが歩いている。仕切りはなく、ぐちゃぐちゃなんだけど、それでも街は成立しているんです。
伊東:日本ももう少し規制がユルくなると、楽しいことがいっぱいあるはずですね。去年、10年がかりで作っていた、台中のオペラハウス「台中国家歌劇院」が完成したのですが、日本だと工事の間、仮囲いを作って近寄れないようにしますよね。
でも、台湾だと工事中でも、建築の壁まで触れられるようになっていて、夜には建物に映像を投影してコンサートやイベントが開かれていたんです。完成後も、建物前の広場に作った浅い池に子どもが入って遊んでいる。日本では起きないことが起きていました。
日比野:「パブリック」の考え方が違うのかな、と思います。公共空間はみんなのものであって、そこには自己責任も伴うという意識がある。でも日本だと、公共空間で問題が起きたら役所に責任を求めますよね。
―これまで物理的な壁のお話が中心でしたが、お二人が専門家以外の人々と積極的に関わろうとされる背景には、既存のアートや建築への危機感があるのでしょうか?
伊東:子ども建築塾などの背景には、建築が、建築家同士だけの言語に頼ることで、社会からの信頼が失われていることへの危機感があります。僕は台中で10年間、作品を実現するために、地元の人々と喧嘩もしながら、苦労を重ねてきたわけです。
実現不可能に思えたものが実現したときは、喧嘩した相手と抱き合って喜んだ。そのプロセスをすべて黙殺して、「空間が云々」という議論に終始しただけの批判を受けたことがあります。社会的な存在としての建築という面に目を向けず、そんな議論をしたら、ますます日本は尻つぼみだと思うんです。
日比野:アートの場合、危機感の一方、アートを通じたコミュニケーションが新しい文脈になっていることもあります。たとえば東京都美術館には、アートコミュニケーション事業を担当する、独立した部署がある。この部署が担うのは、作品を収集して文化を伝えるという従来の美術館の機能だけではなく、作品そのもののみならず、作品を通した人々との関わり合い方や、そこから発生する力をも発信していかないといけない、という意識から生まれてきた、美術館の新たな役割です。その役割はどんどん大きくなっている。アートと建築にまたがる領域でも、一昨年、イギリスの建築家集団「アセンブル」が、世界的な現代美術の賞である「ターナー賞」に選ばれました。
―「アセンブル」は、歴史的な街区の地域再生プロジェクトに取り組んでいる、15人のメンバーからなる建築ユニットで、最近、日本でも展示が話題になりました。
日比野:地域再生の取り組みに、現代アートの最高峰の賞が目を向けた。だから、ただ危機感から動いているというより、アートの役割も変わってきたということだと思う。コトを起こすことも、アートの領域になって、境界が絶えず動いている。でも、それはいまに始まった話ではなくて、つねに壁や仕切りを疑ってきた営み自体が、アートだと思うんです。
―日比野さんはいま、TURNに関わる人材育成の拠点も準備しているそうですね。
日比野:施設を訪れて、人と時間を過ごしながら何かを作ることは、決して誰でもできることではないんです。そこでは、コミュニケーションに対するそれなりの粘りが必要になる。では、大学にその力を育む場所があるかというと、いまは少ない。
そこで東京藝術大学に、施設でアーティストが活動するための学びの拠点となる場所を、今年4月から作ります。コミュニケーションの力は、現場でのトライ&エラーの経験が必要なんです。
現代は、異質なものに出会わない社会になってきている。(日比野)
伊東:僕が、仲間の建築家たちと東日本大震災後に始めたプロジェクト「みんなの家」にも、建築を外に開きたいという思いがありました。これは、仮設住宅エリアに簡易なリビングのような場所を作る取り組みなのですが、ここでは利用者の要望に応じて、庇や縁側を作る。だから、作品的な表現にはならないかもしれないけど、「建築を作る」ことの意味を考え直したかったんです。
―そうしたプロジェクトに対して、プロセスと作品のどちらに比重をおいているのかと疑問があがることもあります。台中国家歌劇院の場合、濃密なプロセスの果てに、結果として特異な建築が生まれたわけですが、TURNではコミュニケーションと成果物のどちらに重きがあるのでしょうか?
日比野:ひとつには、たとえば既存の高齢者施設なら、高齢の利用者と専門のヘルパーさんだけがいる。ある意図のもとに人が集まっているので、その場所は利用者にとっては居心地がいいんです。でも、同じ種類の人間しかいないという側面もある。
―一種、システム化された空間ができあがっているわけですね。
日比野:そうそう。そこでは外に出たくても、なかなかフォローしきれない。一方、そうした施設に縁がない人たちも、関わる機会の少なさゆえ、近づき難いイメージを持っている場合も多い。さきほどの壁の話ではないですが、現代は、そうした異質なものに出会わない社会になってきていると思うんです。
そこでアーティストに期待されるのは、単純なコミュニケーションや成果物ではなく、施設にいる人の特性を見つけて、外と繋いでいく役割。そうした人たちがいると知ることが、何より重要なんです。
伊東:人をシャッフルするということですよね。僕も日比野さんほどではないけど、できるだけさまざまな人を混在させるような場所を作ろうとしてきました。一緒の場所にいると人への見方も変わるもので、お年寄りなんかは、小さい子が走っているだけでうれしいんです。反対にその親も、そうしたお年寄りがいると分かれば、安心して子どもだけ残して本を読み、映像を見たりできる。混在させるということは大切ですよね。
壁があることによって燃えるのがアーティストだし、TURNもそんな場所でありたいです。(日比野)
―TURNは今年、アルゼンチンで行われる『ビエンナーレ・スール』に招聘され、参加が決まっています。この国外の展開に期待されていることとは何でしょうか?
日比野:100年以上続き、今年で57回目の『ヴェネチア・ビエンナーレ』など、多くの国際芸術祭では、国ごとにパビリオンを設けて展示を行ない、それがアートの主流につながる仕組みが定着しています。第1回目の『ビエンナーレ・スール』は、それに対して、南半球から新たな美術の潮流を起こそうというような取り組みなんです。
僕らにとくに期待されているのは、新しいアートの伝え方、広まり方を示すこと。今回はブラジル、ペルー、アルゼンチンで、僕たちの方法論をさまざまな場所に持ち込んで、同時多発的にプロジェクトを行う予定です。ブラジルでも感じたことですが、施設の問題は世界のあらゆる地域で共通しているんですよね。これまでの文化の伝播というと、シルクロードのように徐々にメタモルフォーゼしながら伝わるイメージでしたが、そうではなく、離れた複数の地域で同時に始まり、関係を持ち合うという新しい発信の仕方をしたいと思っています。
―日本人アーティストが外国に行くからこそ見える意義もありそうですね。
日比野:そうなんですよ。異国に行くと基本的には言葉が伝わらないので、その時点でひとつの不自由さを抱えることになる。すると、施設にいる人たちと条件が似てくるので、ちょうどいいコミュニケーションが生まれやすい。その方が、補い合う作用が自然に生まれて、TURNとしては進みやすいという不思議な現象が起こるんです。
―いま全国に芸術祭が増えたこともあり、アーティストと多様な人の交流が生まれたという話はよく聞くのですが、一方、さまざまな人が集うからこそ生まれる葛藤や衝突もあると思うんです。そうした難しさを感じた経験はありますか?
日比野:衝突は、やはりありますよ。僕もいろんな芸術祭に参加していますが、ある小さなコミュニティーに入ってすべての住民とコミュニケーションしていたつもりが、あとからじつは疎遠な関係の人もいたことが見えてくる、とかね。
伊東:僕の場合、「みんなの家」は特殊な状況で作られたものだから、衝突と呼べるものはなく、むしろ非常に和やかでした。ただ、僕らが対立するのはコンペのとき。コンペで勝ったあとに住民説明会をやると、かならず「何でこんなものを建てるんだ」という人は出てくる。僕は、コンペというシステムがあまり良くないと思っているんです。
建築家だけ最初に決めて、冒頭から住民とコミュニケーションを取った方がいい。それをやると、多くの建築家は「俺のオリジナリティーが失われる」「そんな場所からはクリエイティビティーは生まれない」とか言いますが、逆ですよ。僕らの中にあるイメージの力なんて大したことない。侃々諤々に巻き込まれながら、作った方がいいんです。
―むしろ、衝突や葛藤はあったほうがいいと。
伊東:20世紀的な作品主義が終焉を迎えている。それははっきりしています。台中のオペラハウスの広場に作られた噴水のある池を、子どもたちがプール代わりにして遊んでも放任しているくらいの鷹揚さが日本にもほしい。「池が子どものプールになってもいいじゃん」と言ってくれたら相当変わるのに、と思います。いまの日本はあまりに潔癖でピュアで、閉じています。
日比野:作品主義ではないというのは、本当にそうですね。TURNもよく、「これって日比野の作品なの?」と聞かれるんですが、僕の作品とも、そうじゃないとも言える。どんどん一人のものではなくなってきているところが面白いんです。
壁といえば、先日のNFLの優勝決定戦で、Lady GaGaがトランプ大統領のわかりやすい分断をむしろ力にして、力強いコンサートをやっていた。壁があることによって燃えるのがアーティストだし、TURNもそんな場所でありたいです。
- イベント情報
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- 『TURNフェス2』
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2017年3月3日(金)~3月5日(日)
開室時間:9:30~17:30(入室は閉室の30分前まで)
会場:東京都 東京都美術館1階 第1・第2公募展示室
- プロフィール
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- 日比野克彦 (ひびの かつひこ)
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美術家。アートプロジェクト「TURN」の監修を務める。1958年岐阜市生まれ。東京藝術大学大学院修了。大学在学中にダンボール作品で注目を浴び、国内外で個展・グループ展を多数開催する。近年は各地で一般参加者とその地域の特性を生かしたワークショップを多く行っている。作品集・著書に『HIBINO』『海の向こうに何がある』『日比野克彦アートプロジェクト「ホーム→アンド←アウェー」方式meets NODA[But-a-I]記録集』などがある。
- 伊東豊雄 (いとう とよお)
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建築家。1941年生まれ。東京大学工学部建築学科卒業。菊竹清訓建築設計事務所勤務。1971年アーバンロボット(現伊東豊雄建築設計事務所)設立。主な作品に「せんだいメディアテーク」、「多摩美術大学図書館(八王子キャンパス)」、「みんなの森 ぎふメディアコスモス」、「台中国家歌劇院」など。日本建築学会賞作品賞、ヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞、王立英国建築家協会(RIBA)ロイヤルゴールドメダル、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞、プリツカー建築賞など受賞。2011年に私塾「伊東建築塾」を設立。これからのまちや建築のあり方を考える場として様々な活動を行っている。
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