テキサス州オースティン出身のインディーロックバンド、SPOONのニューアルバム『Hot Thoughts』がリリースされた。前作『They Want My Soul』同様、NUMBER GIRLやTHE FLAMING LIPSなど数多くのバンドを手がけるデイヴ・フリッドマンを共同プロデューサーに迎えた本作は、THE BEATLES(特にジョン・レノン)やプリンス、デヴィッド・ボウイなどを彷彿させるメロディーと、1980年代UKポストパンクや90年代USオルタナティブを通過した、ソリッドかつスリリングなバンドアンサンブル、そしてなによりブリット・ダニエルのカリスマ性あふれる歌声が魅力。様々な音楽的要素がタペストリーのように織り込まれたサウンドプロダクションは、聴くたびに新たな発見がある。
本国では揺るぎない人気を誇るSPOONだが、日本ではまだまだ知名度が低いのは歯がゆいものがある。そこで今回、音楽評論家であり、現在は「The Sign Magazine」のクリエイティブディレクターを務める「タナソー」こと田中宗一郎に、SPOONの魅力や楽しみ方について訊いた。90年代後半に音楽雑誌『snoozer』を立ち上げ、当時の音楽ファンにひとつの「指針」を示してきたタナソー。彼は今、音楽シーンをどのように捉え、どこへ向かおうとしているのだろうか。
海外のポップミュージックが日本で浸透していないという現状に関しては、いろんなレイヤーがあると思うんです。
―難解なところはなく、グッドメロディーが詰まっているSPOONが、なぜ日本と海外での評価に温度差があるか? ということを田中さんに伺いたいと思っています。まずは前提として、SPOONに限らず海外の音楽そのものが、今あまり聴かれなくなってきている問題がありますよね。
田中:SPOONが浸透していない、海外のポップミュージックが日本で浸透していないという現状に関しては、いろんなレイヤーがあると思うんです。まずひとつ、大きなレイヤーとしては、日本国内が今、政治も文化も経済も、全部内向きになっているということ。
たとえば、映画を吹き替えでしか見ないという人が普通にいる現状ですよね。それって、外国語圏から発せられた外国語ネイティブの表現に、そもそも直接アクセスする必要性も、好奇心も、欲望もないってことじゃないですか(笑)。
―昔に比べて、今のほうがよほど海外の情報や作品へのアクセスが楽になり、様々な国の文化に触れやすい状況のはずなのに、なぜそうなってしまったんでしょうね。
田中:僕らの世代が子どものころ、つまり1960年代後半から70年代前半というのは、テレビから普通にロシアやイタリアの音楽が流れていたんですよ。カンツォーネ(イタリアの大衆歌曲)やコサック的なリズムに無意識に接していた。チャンネルを回すと『万国びっくりショー』(1960年代から70年代に放送されたテレビ番組。世界各国の参加者たちが芸を披露した)のような番組がやっていたし、南米のキューバンジャズとかに当たり前に触れていたんです。
―そういえば昭和の歌謡曲にも、60年代ロックや南米音楽、ジャズやシャンソンなど世界中の音楽の要素が混じっていましたね。そういう音楽を意識せずとも聴いていたのが、後に洋楽へハマっていく下地を作っていたのかも。
田中:そう。ロックンロールのなかには、ヒルビリー(カントリー音楽の一種)もブルーズも、ラテン音楽も入っている。THE BEATLESがカバーしている“Twist And Shout”(1963年)なんかまさにそうですよね。
THE BEATLES『Please Please Me』収録曲田中:日本の民謡やコテコテの演歌は当然のこと、テレビから流れてくる世界各国の民族音楽やクラシックよりも、THE BEATLESやパンク、ディスコ音楽を聴くほうが自分たちの日常の感覚に近かった。食から何から戦後のあらゆるアメリカ文化に浸かって、育った世代ですから。
自分の周りの限られた世界よりも、THE BEATLESやオーティス・レディングを聴いているときのフィーリングのほうが、自分にとって圧倒的にリアルだと感じる。それって、RCサクセションの“トランジスタ・ラジオ”(1980年)の世界ですよね(笑)。<ベイ・エリアから リバプールから このアンテナが キャッチしたナンバー>が、<彼女 教科書 ひろげてるとき ホットなメッセージ 空に溶けてった>って。自分が恋している少女が知るよしもない、まったく別の世界の扉がここにあるんだってことに気づかされるわけです。
以前は存在した権威や権力、パワーの、底が抜けたような現象が、いろんな局面である。
―そういう海外の音楽や文化に触れることで、「自分」というアイデンディティーを形成していったところもきっとありましたよね。
田中:今まで全く知らなかったものを見たり、聴いたり、読んだりすることで、新しい自分自身を発見できた。そういう体験が今、圧倒的に少なくなっていますよね。しかも、内向きになっているのは日本だけじゃない。全世界的な現象です。アメリカでは排外主義を掲げるトランプ政権が生まれ、イギリスはEU離脱を正式通知した。それ以上に、以前は存在した権威や権力、パワーの底が抜けたような現象が、いろんな局面であります。
―たとえば?
田中:まずマスメディア。朝日新聞へのロイヤリティーなんて、30年前と比べたら全くないと言っていい。テレビ局への信頼も地に落ちましたよね。極端な話、朝日だろうが読売だろうが、フジテレビだろうがNHKだろうが、ある程度の権威は存在したほうが「便利」じゃないですか。なぜなら、権威や権力が存在すれば、それを基準に相対的に物事を考えることができるから。
でも、今はあらゆるパワーが底抜けしている。『snoozer』という雑誌を作っていたときはわりと楽で、90年代~00年代にはメインストリームのポップというのがあって、それに対して媚びる大手のメディアという構図があった。僕たちは、それとは別の体系を「オルタナティブ」として提示しているんだということを、わりとクリアに打ち出せたんですよ。
―2003年にブッシュ政権がイラク戦争を始めたとき、皮肉にもカルチャーは盛り上がったじゃないですか。それと同様に、トランプ政権が誕生したことによりアメリカのカルチャーが活気づくこともあるんじゃないかと見ているのですが……。(コラム:トランプ大統領誕生の日に全米のアート機関がスト? 著名美術家も賛同)
田中:わからないなあ。今はブッシュ時代とは社会そのものが違っているから。ただ、トランプにしても安倍にしても、言い方は悪いですけど、ヒトラーに比べたら圧倒的に小者ですよね(笑)。ああいった小者の為政者が誕生するのは、今言ったようなあらゆるシステムが瓦解して、たとえ小者だろうが、なにがしかのわかりやすいパワーを求める人たちがいるからなのかなと。そこに対する処方箋の提示の方法というのはすごく難しい気がします。分断が進むだけ、という可能性もある。
雑誌では簡単にできて、ウェブではどうにもできないことがある。
―2011年8月号をもって雑誌『snoozer』を終刊され、現在はウェブサイト「The Sign Magazine」のクリエイティブディレクターを務めている田中さんですが、雑誌からウェブに移行したことで、音楽メディアとして情報を発信する際の意識も大きく変わったのではないでしょうか。
田中:雑誌では簡単にできて、ウェブではどうにもならないことがあります。それは、「『面とヒエラルキー』を用いて『文脈と体系』を伝える」ということ。どういうことかというと、雑誌というのは書店に並んだ表紙を見た瞬間に、なにをメルクマール(指標)としているのかが一瞬にしてわかる。そして、手に取ってパラパラとページをめくっていけば、巻頭8ページの記事があり、後ろには2ページの記事がある。この雑誌にとって、どの記事が重要なのかが10秒でわかりますよね。
―そうですね。
田中:さらに音楽雑誌なら、ディスクレビューのコーナーがあって。合評で複数人が批評しているアルバムもあれば、1人が書いているアルバムもある。文字数も、後ろのページに進むに従って少なくなっていく。つまりヒエラルキーが存在しているわけです。
それを年間続けてチラ見していくだけで、「あ、なるほど。この1年間の音楽シーンを、この雑誌はこういうパースペクティブ(視座)で見ているんだな」というのが伝わる。それに賛同するにしろ、しないにしろ。「文脈と体系」が手に取るようにわかるわけです。でも、ウェブでそれと同じことをやろうと思っても、非常に難しい。
―記事を相対化しつつアーカイブしていくということに関しては、ウェブは雑誌よりも長けていますけどね。
田中:CINRAさんや「The Sign Magazine」がどんなに頑張って体系を作ろうとしても、ユーザーはSNSを使って個々の記事を断片的にピックアップしていく。CINRAさんが記事を10本作って「文脈と体系」を見せようと思っても、読者は全体を把握することなく「断片」にアクセスする。つまり、そこから文脈が剥がされてしまい、雑誌のように一瞬にして全体の体系が伝わることにはならない。なかなかに難しいんです(笑)。
だから僕らは、記事を10本上げるときには、それぞれ共通の文脈を持てるようにしています。あるいはひとつの記事のなかに、様々なリファレンスを埋め込む。たとえば、SPOONの記事のなかに、アーティストの名前を20個ぐらい出すわけです。そうやって文脈を伝えようとするし、10本の記事にはなにかしらの連続性があって、「文脈と体系」を提示していることを伝えようとしている。だけど、これはほぼ徒労に終わるんですよ(笑)。どの程度伝わっているのか、さっぱりわからない。
―うーん、なるほど……。
田中:本にしたとき、台割り / ページネーションだけで伝えることのできた「文脈と体系」が、ウェブだとなかなか伝わらない。SPOONというバンドの魅力を伝えようとしても、タイトルだけ見て、自分とは関係ないと思ってしまう。SPOONそのものの魅力を伝えるには、じゃあエド・シーランと比べるとどうなのか、RED HOT CHILI PEPPERSやスフィアン・スティーヴンス、あるいは星野源と比べたときに、どういう接点があるのか、相違点からなにが見えてくるのか。文脈や体系のなかから、個々の魅力を浮かび上がらせる。本当はそういうやり方が一番適切なんだけど、そういう記事がウェブだと作りにくいんですよね。
SPOONの音楽には、英米の歴史、1990年代のオルタナティブ、80年代のポストパンク、2000年代のUSインディーの歴史が、全て網の目状に入っている。
―たしかに、ウェブで気軽に情報収集ができるようになったことに加えて、サブスクリプションも普及して、受け手は好きな情報や作品にいくらでもアクセスできるようになっていますよね。その結果か、最近は「文脈と体系」を意識しながらインプットしていく行為自体が、難しくなっているように思います。それは音楽だけじゃなくて、映画やアートでも。
田中:特にSPOONのようなバンドは、「文脈と体系」を意識したほうが、リスニング体験も豊かになるんです。「俺は、どのバンドよりもSPOONが好きだ」「SPOONだけ聴いていれば満足」という聴き方よりも、SPOONの音楽の向こう側にある、ジョン・レノンやプリンスを感じたほうが絶対に楽しい。
田中:彼らの音楽には、英米の歴史、1990年代のオルタナティブ、80年代のポストパンク、2000年代のUSインディーの歴史が、全て網の目状のタペストリーとなって入っている。だからこそ、聴けば聴くほど面白いんですよ。日本だと、たとえばceroの音楽を聴けば、そういうリスニング体験ができますよね。
―そういう意味でSPOONは、音楽や映画、アートなどを紐づけ、体系化していくCINRA.NET読者にぴったりのバンドだと思います。
田中:なにより、ボーカルのブリット・ダニエルは超かっちょいい(笑)。今、ロックのボーカリストで、あんなにハスキーな声で、バリトンからファルセットまで歌える人はいない。彼はジョン・レノン的とも言えるし、アル・グリーン的という言い方もできるんです。
―様々な音楽的要素が絡み合っているSPOONの魅力を解き明かしていただきたいのですが、SPOONを聴いた田中さんの第一印象はどんなものでしたか?
田中:初めて聴いたのは、2ndアルバム『A Series of Sneaks』(1998年)だったと思います。印象としては、グランジ以前のたとえばHUSKER DUやPIXIESらの流れに位置しつつ、WIREやGANG OF FOURら、70年代後半のUKポストパンク勢に何かしらの回答を出すようなサウンドで、同時期で言えばMODEST MOUSEやTHE DISMEMBERMENT PLANなどと同じ系譜に位置するバンドだなと思いました。ただ、彼らと比べると少々地味に感じましたね。
『A Series of Sneaks』収録曲PIXIES『Doolittle』(1989年)収録曲
―最初は、さほどインパクトがなかった。
田中:そう。SPOONはそのあとメジャーをドロップして、2001年から2005年にかけて、『Girls Can Tell』(2001年)、『Kill the Moonlight』(2002年)、『Gimme Fiction』(2005年)と3枚のアルバムを出すんですね。それぞれにいいアルバムだし、出すたびに確実にマイナーチェンジしていく冒険的なバンドではあるんだけど、たとえばRADIOHEADのようにドラスティックな変化があるわけではない。そういう意味でも、やはり強いインパクトはなかったんですよね、2007年の『Ga Ga Ga Ga Ga』が出るまでは。
一つひとつのアルバムに対して、ここまで具体的なプロダクションのアイデアを持って、それに即した楽曲を書いているロックバンドは思いつかない。
―『Ga Ga Ga Ga Ga』は全米10位を獲得した作品ですが、やはりあのアルバムが彼らのターニングポイントという印象ですか?
田中:先の3枚を僕は「インディー3部作」と呼んでるんですけど、サウンドは硬質、歌詞も曖昧で抽象的な作品だったんですよ。「明確なメッセージを乗せたエモーショナルなメロディーを歌う」ということに、興味はありつつも技術が追いついていない感じ。それが、『Ga Ga Ga Ga Ga』で1960年代ソウル、R&B、ロックンロールにつながる、ソングオリエンテッドな、つまり楽曲志向へとシフトした。アナログな音質で、楽器数も細かいパーカッションや管楽器などがグッと増えて。
『Ga Ga Ga Ga Ga』収録曲『Kill the Moonlight』収録曲
―サウンドプロダクション的にも、それまでの流れとはかなり違うことをやっていますよね。
田中:バンドメンバーのブリットとジム・イーノ(Dr)の、セルフプロデュースに対する意識もここから高まっていったんだと思います。二人ともプロデューサーとしても一角なんですよ。停滞気味だった!!!(Chk Chk Chk)を復活させたのは、ジム・イーノがプロデュースを買って出たからですし。それに2007年は優れたアルバムが本当にたくさんリリースされた年ですが、なかでも『Ga Ga Ga Ga Ga』は非常に印象に残りましたね。いい意味で完全に異質だった。このアルバムを含めたここ最近の3枚、『Transference』(2010年)、『They Want My Soul』(2014年)ついては、どれもリリースされるごとに驚かされました。
―『Ga Ga Ga Ga Ga』は、フィオナ・アップルなどを手がけたジョン・ブライオンが1曲プロデュースしています。他のアルバムのマイナーチェンジも、プロデューサーによるところは大きいのではないでしょうか。
田中:おっしゃる通りだと思います。SPOONというバンドは、ソングライティングの部分だけでなく、サウンドプロダクションの部分をどう更新させていくかをすごく意識的に考えている。『Girls Can Tell』からずっと一緒に仕事をしているマイク・マッカーシーがほぼハウスエンジニア的な立ち位置になって、そこにジョン・ブライオンや、ここ最近の数枚を手がけるデイヴ・フリッドマンの力が加わって、音色的な部分を含めての更新がなされているのだと思います。
―同感です。
田中:今、一つひとつのアルバムに対して、ここまで具体的なプロダクションのアイデアを持って、それに即した楽曲を書いているロックバンドは、そんなに思いつかないんですよね。たとえばRADIOHEADにしても、意外と楽曲ありきで、あとから「さて、プロダクションをどうしよう?」って考えているような気がするし。そしてRADIOHEADには、ナイジェル・ゴドリッチという、バンドと絶妙な距離感を持っているプロデューサーがいますからね。実質彼を入れた6人体制でアルバム制作を行っているというのも、メンバー内にプロデューサー的な存在が二人もいるSPOONとは、大きく違うのかもしれないですね。
音楽をいろいろ聴いていくと、どこかで「音楽って結局、歴史なんだ」って壁にぶち当たっちゃうんですよ。
―それと、ここ最近のブリットのボーカルは、プリンスにも近いものを感じてて。特に『Hot Thoughts』においては、その色が強いように思います。
SPOON『Hot Thoughts』(Amazonで見る)
田中:どこから話したらいいだろう……。僕、ここ最近のSPOONに対して、新しいアルバムが出るたびに半分ゲームのような「見立て」をしてるんですね。たとえば、『Ga Ga Ga Ga Ga』のことを「CORNELIUSがプロデュースしたTHE KINKS」といったふうに。で、今作の作品像を掴むための作品としてふさわしいのは「デヴィッド・ボウイの『Lodger』(1979年)と、Kompakt(ドイツのテクノレーベル)が2000年代以降に出したコンピレーション」だと思って(笑)、それを本人に会ったときにぶつけてみたんですよ。
―へえ! なんて言ってました?
田中:今回のレコーディング中は、とにかくデヴィッド・ボウイとプリンス聴いていたんだそうです。最終的な彼の答えは、「ボウイの『Low』(1977年)とプリンスの『Dirty Mind』(1980年)」だったんですけど、それを聞くとかなり腑に落ちますよね。ドープな空気感は『Low』に由来するものだし、リズムオリエンテッドでドンシャリなサウンドは、ボウイとプリンスどちらにも共通する。
デヴィッド・ボウイ『Low』収録曲田中:と同時に『Ga Ga Ga Ga Ga』ぐらいから顕在化したポイントとして、もともとはポストパンクリバイバル的なところから出発しつつも、60年代のオーセンティックなソウルやR&B、もしくはそれに影響を受けた初期のTHE BEATLESや60年代英国のロックバンドへの愛着がものすごく大きいんだと思います。
それに、ここまでに僕が挙げたバンドやアーティスト以外に、SPOONはエルヴィス・コステロと比較されることも多くて。コステロのバックグラウンドにも、いろんなブラックミュージックがあるじゃないですか。そういう系譜に位置するバンドでもあるんだと思いますね、SPOONは。
―楽曲の構造はシンプルなのに、1曲のなかに含まれる情報量がものすごく多いですよね。いろんなバンドやアーティストの影響が散りばめられているから、聴く人のバックグラウンドによっても、聴こえ方が変わってくるのかなと。
田中:まさに。リスナーそれぞれにとって、作品自体がまるで映し鏡のように、自分を投影することもできる。なので、「SPOONはこういう音楽だ」って言いにくいんですよ。一言で語るにはあまりにも多面的すぎる。
たとえばRADIOHEADの『KID A』(2000年)だと、AutechreやAphex Twinらが属する「Warp Records」系のIDM(インテリジェントダンスミュージック)と、ジャズ畑のベーシストでありながら、コンテンポラリーなバレエ音楽もコンポーズしたチャーリー・ミンガスのような特異なソングライターのかけ算である、という言い方でわりと誰もが腑に落ちるわけです。
―たしかにそうですね。
田中:でもSPOONに関して言うと、RADIOHEADのような、わかりやすい、誰もが共有できる方程式みたいなものが成り立たないくらい、いろんなかけ算でできているんです。だから、様々な音楽をたくさん聴いている人ほど、すごく面白い音楽なんだけど、ざっくり聴いてしまうとその微細な要素まで読み取れないのかもしれない。リスナーの引き出しの多さが試される音楽というか(笑)。
―なるほど。そこで思うのが、田中さんの場合、音楽の引き出しが豊富なのは前提で、音楽を音楽としてのみ聴いていらっしゃるわけではないですよね? 今回お話を伺っていて、そう感じたのですが。
田中:音楽をいろいろ聴いていくと、どこかで「結局、音楽って歴史なんだ」って壁にぶち当たっちゃうんですよ。アミリ・バラカ(リロイ・ジョーンズ)っていう黒人音楽評論家がいるんですけど、彼の著作の1行目が「音楽は歴史だ」から始まっていて。
「音楽に政治を持ち込むな」って言っている人たちがいたじゃないですか? でも、作品を買った時点で、聴いた時点で、音楽は政治的な行動になるんですよ。
―「音楽は歴史だ」というのは、どういうことなのでしょうか?
田中:そもそも音楽って時代や社会、政治や経済の問題と切り離せないんですよ。特にロックの場合、その源泉であるブルーズそのものが象牙海岸から始まるアフロアメリカンの歴史とは不可分ですよね。あるいは、THE BEATLESがアメリカで爆発的に売れたのは、『エド・サリヴァン・ショー』というテレビ番組によるところがあるし、そのあとTHE WHOやLED ZEPPELINっていうブリティッシュバンドが売れるようになったのは、アメリカ中にDIYのFMラジオ局がたくさんできて影響力を持ったから。産業の変化とも不可分なんです。
マイケル・ジャクソンが初めて黒人ミュージシャンであれだけ売れるようになったのは、全米中のFM局で「ブラックミュージックはNO」と言われていたなかで、新興のメディアだった『MTV』が取り上げたからですし。
―メディアの発展という視点で見ると、政治の歴史も大きく関わっていると。
田中:そうなると、あらゆる音楽は、すべて政治や経済とつながっているという事実に直面せざるを得ない。だから単純に自分自身の快楽のために音楽は聴けなくなってしまうんです。たとえば、ロックの定義ってなんだと思いますか?
―……様々なレイヤーがあるので、一言で表すのは難しいですね。
田中:いろいろありますけど、アール・パーマーが発明した2拍4拍を強調したバックビートのことを言うんだっていう考えがひとつあります。アール・パーマーがリトル・リチャードやファッツ・ドミノのバックで例のバックビートを叩かなければ「ロック」は生まれなかった。これは絶対的な事実なわけです。
田中:でも、「俺たちはロックだ!」って言っている「J-ROCK」のバンドの大半は、アール・パーマーが8ビートを生み出したから、今の時代に「ロック」と呼ばれるサウンドがあるということを知らないですよね? おそらくファンもそう。これ、極論すると、ヒロシマ / ナガサキのことを知らないのと同じなんですよ。少なくとも知っておいた方がいい。もちろん、知っていることで足かせになることもあるんですけど、歴史や背景に目を向けることで視界が開けるんですよね。
そうなると、音楽を音楽としてだけ聴いていられなくなっちゃうんです。産業の問題としても聴いちゃうし、政治や経済と関わるものとして聴いてしまう。ただ同時に、現実から目を背けさせてくれる逃避主義的な音楽は大好きなんですけどね。それこそがまず音楽の大切な役割だとも思うから。
―歴史や政治的背景を知ることで「視界が開ける」、そして作品を受け取るための解像度が上がるっていうのは大事なことですよね。
田中:一方で、去年「音楽に政治を持ち込むな」って言っている人たちがいたじゃないですか?(『FUJI ROCK FESTIVAL』に「SEALDs」の元代表・奥田愛基の出演が発表された際、SNSを中心に議論が巻き起こった) 俺もそう思うんです。政治的な主張を持っているメッセージソングはノーサンキュー。工夫のないものは特に。
―音楽をプロパガンダの道具にされることに対しては、拒否反応があるということですね。
田中:ただ同時に、これも極論かもしれないけど、ある作品を聴いた時点で、買った時点で、それも政治的な行動なんですよ。そこからは逃れることができない。それが意識されていないというのは、今の社会において音楽というアートが趣味の慰みものに堕している証明だと思います。
―音楽がこの世に生きる人によって作り出されるものであり、お金を支払って楽しんでいるものである以上、それは政治や経済活動の一端で。つまり突き詰めると政治的行動でもある。だからこそ、音楽を聴くことを通して、作品の向こう側にあるものにも目を向けざるを得なくなると。では最後になるのですが、田中さんが今後やろうと思っていらっしゃることを教えていただけますか。
田中:やろうと思ってることは山ほどあるんですけど、とにかく自分がキャパシティの低い小者なので(笑)。数年前から「やりたい!」って言ってることの20%も手をつけていないという状況なんですよ。残り80%を、60歳を迎えるまでのあと6年でどれだけできるか……。それ以降にやりたいこともたくさんありますしね。
ただ、まずこの6年でいろんな若い方にバトンを渡していきたいんです。もう俺、50代でしょ? 50代の人間がテイラー・スウィフトやヘイリー・スタインフェルドについて語っても、なにも面白くない。やっぱりリスナーやアーティストと同世代の人が、その視点からでしか見えないことを語ったりしたほうが面白いじゃないですか。
―ええ。
田中:そうやって、10代から40代まで、それぞれの視点を合わせれば、音楽を捉える視座も豊かになる。そういうことを、テキストベースでも編集ベースでも、産業ベースでも作れないかなという思いは、常に軸としてあります。それを具体的にどう落とし込んでいくかは、様々なところでトライアルしようとはしてるんだけど、一人じゃどうにもならない。二人でもどうにもならない。だからCINRAさん、協力してください(笑)。
- リリース情報
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- SPOON
『Hot Thoughts』日本盤(2CD) -
2017年3月17日(金)発売
価格:2,376円(税込)
OLE-11372[CD1]
1. Hot Thoughts
2. WhisperI'lllistentohearit
3. Do I Have to Talk You Into It
4. First Caress
5. Pink Up
6. Can I Sit Next To You
7. I Ain't The One
8. Tear It Down
9. Shotgun
10. Us
[CD2]
1. Hot Thoughts(David Andrew Sitek Remix)
2. Can I Sit Next To You(Tyler Pope of LCD Soundsystem Remix)
3. Can I Sit Next To You(ADROCK Remix)
- SPOON
- イベント情報
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- 『club snoozer』
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2017年4月14日(金)
会場:大阪府 CLUB CIRCUS2017年4月15日(土)
会場:愛知県 名古屋 Live & Lounge Vio
- プロフィール
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- SPOON (すぷーん)
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1993年、ブリット・ダニエルとジム・イーノにより結成。バンド名はドイツのバンド、CANの曲名“Spoon”より命名された。1996年、「Matador」と契約し、1stアルバム『Telephono』をリリースすると、PixiesやWireを引き合いに各プレスで高い評価を獲得。以降、『A Series of Sneaks』(1998年)、『Girls Can Tell』(2001年)、『Kill The Moonlight』(2002年)とリリースを重ね、2005年にリリースした5thアルバム『Gimme Fiction』で全米44位の好セールスを記録。6thアルバム『Ga Ga Ga Ga Ga』(2007年)では全米10位、7thアルバム『Transference』(2010年)と8thアルバム『They Want My Soul』(2014年)はともに全米4位にチャートインし、名実ともにUSインディーシーンにおけるトップバンドの地位にのぼりつめる。2017年3月、共同プロデューサーにデイヴ・フリッドマンを迎えた9thアルバム『Hot Thoughts』をリリースした。
- 田中宗一郎 (たなか そういちろう)
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編集者、音楽評論家、DJ。1963年、大阪府出身。雑誌『rockin’on』副編集長を務めたのち、1997年に音楽雑誌『snoozer』を創刊。同誌は2011年6月をもって終刊。2013年、小林祥晴らとともに『The Sign Magazine』を開設し、クリエイティブディレクターを務める。自らが主催するオールジャンルクラブイベント、『club snoozer』を全国各地で開催している。
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