アラーキーこと荒木経惟の爆進がとまらない。今年5月に喜寿=77歳を迎え、国内外で数多くの個展が目白押し。まさにアラーキー・イヤーとでもいうべき勢いだ。近年の前立腺ガンや右目失明も乗り越える、そのパワフルさを支えるものを探ろうと、このインタビューははじまった。
開口一番に語られたのは、自らのデジタル嫌いの告白だった。しかし、それは変化に追いつけないという意味での「老い」ではなく、むしろ鋭敏さゆえの流儀。陽子夫人ら愛する者との死別さえ写真の糧にした生き方は、非情の天才というより、写真とは人生だと覚悟した「私写真家」の道のりだった。
荒木の写真には、進行形の愛と情、そしてより濃厚になった生と死があふれている。優しさは弱さではないし、センチメント=関わりから生まれる感情こそ人生を豊かにする、と語りかけるかのように。
スマホや最新機器は、便利だからこそ使わない。いまの「才能あふれるカメラ」では、被写体の女たちがちゃんと見えにくいから。
―遅ればせながら、77歳のお誕生日おめでとうございます。今回は荒木さんの「生きざま」というか、この年齢になってさらに前進し続ける生き方について伺えたらと思っています。より若い世代が、元気がないと言われたり、いろいろ諦めてしまったりすることも多いように思うので……。
荒木:無理に元気だすことないし、諦めるときはそうしたらいいじゃない? 神様じゃないから、アドバイスみたいなこと言えませんよ、ハッハッハ。でもなにか言えっていうなら、そうだな、例えばアタシの場合、そこに置いてあるスマホみたいな最新機器をさ、使わずにいこうってことがある。もちろん長所もわかってるよ。写真だって、前なら10年修行して得るような技術が、いまはカメラのなかに機能として入っちゃってるからね。
―でも、それを使わない?
荒木:だからこそ、使わないの。いまの「才能あふれるカメラ」では、被写体の女たちがちゃんと見えにくいから。いや、カメラ自体には見えてるかもだけどさ、人間側に気づかせてくれない。みんな「こんなに整ってるはずない」ってくらい、おんなじ可愛さになっちゃうから。
それに、手の平に乗せたこの薄くて便利なのが自分の力みたいに感じはじめちゃうと、人の内側にある才能にも気付きにくいんじゃないかな。俺なんかは、ダメゆえのよさっていうか、綺麗なだけじゃないから人間は魅力的だって思う方だから。ま、俺もたまにコッソリ使うこともあるけどさ(笑)、デジタルカメラとかを。
―荒木さんの初期の写真に、銀座線の客席で思い思いに過ごす乗客を撮ったシリーズがありますね。あれも独特でしたが、いまは車内で揃ってスマホをいじる人だらけで、気づくと自分もそうだったり、違う奇妙さを感じたりしますね。
荒木:ちょっと危ないんだよ。精神的にも、価値観なんかにまで及ぶ勢いがあって。(スマホを指して)こういうのが持ち込んでくる、妙なスピード感もそうでね。ひと眠りしてからとか、トイレ行ってからもういちど見る、考えるって隙間さえなくなってくる。まあ俺も相当せっかちだけどさ、これはせっかち過ぎるっていうか。で、気づいたらそっちが普通になっちゃう。
―そうですね。本来もっと考えていいことが、いつのまにか「ふつう」になりがちだと感じます。
荒木:便利って、大変なんだよ。写真もさ、それを撮る、見るってことは、ホントはもっと深いはず。うわっつらの表皮だけじゃなくて、その裏まで見えるはずなんだ。
―写真を見ることって、本来はどういう経験だと思いますか?
荒木:アタシの写真について言えば「これはこういう写真だ」「これが真実だ、大切だ」なんて説明は押し付けない。どう解釈してもいいし、ぜんぜん違うことを思っても間違いじゃないから。なにか感じて、考える「とっかかり」になればそれでいいの。
でもたとえば裸の写真でも、やっぱりバランス取れてて足が長くて、ってのがイイ女だとか、世間があまりに同じ向きだけに走ってる。しかも、それがどんどん加速してるでしょ? 写真も補正機能で、とにかくツルんとした白い肌に撮れたりさ。でもそれ、もしかしたら間違った方向かもしれないじゃない?
―その反動なのか、修正しない、自然な美しさを見直す動きもあったりしますね。
荒木:同じように、人の考え方なんかも知らないうちにどんどん「違うメイク」をされちゃうかもしれない。自分が修正されちゃう快感みたいなものさえある。使い方によっては怖い道具だよ、いまのデジタルの流れは。だから使うなら気をつけないとね。
なにをやるにも頂点ってあるだろうし、それを目指すのもいいけど、頂点そのものには立っちゃいけないよ。
―今年の荒木さんは個展ラッシュで、なかでも大きな展覧会2つが、もうすぐはじまります。まずは東京オペラシティ アートギャラリーでの『写狂老人A』展ですね。
荒木:今年は国内だけでも10個ぐらいあって、全体で一本の筋を立てる感じなんだ。それもいまの話とつながると言えばそうで、スタートが1月の『荒木経惟 Last by Leica』だった。これはライカ(ドイツの老舗写真機ブランド)と、デジタルの登場以前から続いてきた銀塩写真へのオマージュでね。ここで使ったライカM7は、フィルムで撮れる最後のライカになったから。
―すると東京オペラシティでの大型展は、そこからさらに前へとふみ出すものでしょうか?
荒木:オペラシティでは、60年代に自作したスクラップブックから、最新作までを見せる。スクラップブックは、電通で働いてたころのもの。昼休みごとに出かけて、銀座の裏通りに地方から来る八百屋のオヤジを撮ってたんだ。で、スケッチブックに貼ってこれを作ってた。天才も若いころは努力するの(笑)。
荒木:それが数十年ぶりに倉庫から出てきて、見直したらやっぱり才能あるんだね~。ま、それはそれとして、精神の面でも昔っから同じなの、俺は。初期の『さっちん』のころからね。
―『さっちん』は、下町で暮らす少年たちをビビッドにとらえた、荒木さんの出世作ですね。
荒木:つまり、自分が写真の「なか」に入ってないとダメなんだな。その最初が『さっちん』で、あのやんちゃな子らのなかに、アタシ自身を見たってこと。この『八百屋のおじさん』もさ、つまんない冗談で無理に客を笑わせようとすてるところとか、なんか俺と似てんな~ってので撮ってるわけ。そういうのも「写真を見ること」のひとつのありようだし、疎かにしちゃいけないものだと思う。
『さっちん: オリジナル版』(2017年) (Amazonで見る)
―「緊縛ヌードの天才アラーキー」というイメージや、もしくはファッション誌などの著名人ポートレートで荒木さんを知った世代からすると、『さっちん』の写真は意外に感じそうですね。でも、被写体や手法は多様でも、芯は一貫している。その点で、荒木さんは最初から完成形だったのでしょうか?
荒木:いや、むしろ無駄とか完成しないこととかさ、それも大事じゃない? なにをやるにも頂点ってあるだろうし、それを目指すのもいいけど、頂点そのものには立っちゃいけないよ。
だって、なにが頂点かなんてわからないんだから。登山の八合目でのご来光はイイもんだけど、頂上からだと目がくらんで落ちちゃいそうだし(笑)。でも今年は、アタシもかなり頂上近いとこまで行っちゃいそうだね。
―いまはなん合目くらいの感触でしょう?
荒木:片足をね、もう火山口に突っ込むくらい。火山口ってのは、お棺だな、アッハッハ。まあそのぐらいイイ線まで行っちゃうというか。これは周りが応援してくれるのもあるね。足も腰も痛いし、片目も見えない、もうくたばっちゃいそうだからってことなのか(笑)?
だから俺、タイプとしては100メートル障害走が得意なタイプなんだけどさ。なんだか、マラソンランナーに変更させられそうだな~。まあピカソなんかは死んだあとも、いまだに美術館のなかで駆けてるしね。でも俺がなぜ焦るかっていうと、天から才能をもらい過ぎでさ、それを使い切れそうにないんだよ、早くやんないと(笑)。
やっぱり女はすごいよ。ハハーって、ひれ伏しちゃう。
荒木:いま撮ってるのは、花とか空が多い。朝起きると必ず空を撮るとかさ。今度のオペラシティでも、それぞれ『花百景』『空百景』として、ぜんぶモノクロの印画紙プリントで見せるんだよ。
『空百景』(2017年)自宅のバルコニーから日々の「空」を捉えたモノクロームプリント100点のシリーズ。タイトルは、葛飾北斎の『富嶽百景』にちなんでいる
―荒木さんの撮る花は官能的で、奥様の死後に撮り続けたという自宅からの空や、3.11後に撮りはじめたという東の空は、死生観が濃く漂います。
荒木:アタシも最近は、花とか空とか、悟りじゃないけどそういう方に行きそうな感じがあって。でも同時に「行っちゃダメだ!」ってので、人妻との不倫もしてるわけ。イケないことってのも、ひとつの魅力だろ?
―それは「アラーキー不倫写 人妻エロス」シリーズのことですね(笑)。『週刊大衆』誌上で、応募者のなかから荒木さんがヌードを撮るっていう。
荒木:彼女たちは、いわゆる美人とはまた違うかもしれない。そういう見方で言うなら、それぞれの人生において一番スタイルのいい瞬間でもない。でも、たとえ自分の体に好きじゃないとこがあっても「いや、そっちがいいんだ」って伝えながら撮ってるの。
こちらとの関係性を撮りたいから、バカバカしいこともやってみる。おっぱいの大きな人が来たら「ハイ、右あげて、左あげて」とかね(笑)。それを平気でやってくれる女性のおっぱいの大きさ……、もといスケールの大きさには負けますよ。
―旦那さんにはナイショで応募してくるんですかね?
荒木:そういう人もいるだろうけど、亭主にも面白いのがいるのよ。俺が今年77歳だと知って、奥さんに「お前、同い年だし撮ってもらえば?」って勧めた人がいてさ。それで奥さんも「もうお婆ちゃんだけど、おっぱいだけは自信ある」みたいな。そこがまた可愛いんだよな。やっぱり女はすごいよ。ハハーって、ひれ伏しちゃう。
オペラシティではそのシリーズから50人分を等身大で『大光画』として並べるから! 最近はすぐ若い娘に手を出す代議士とかいるけど、テメエのそばにいる女房のほうが美しいんだ、女神は自分のすぐそばにいるんだっていう、気づきと反省の機会にもなる展覧会だよ(笑)。
死んだらみんなが、棺桶のなかの顔を覗き込むじゃない。そこから手をニュッと出して、撮ってやろうかなんてね。
―最近は、「老い」に抵抗するのでなく、その変化も自信を持って示したいとも語っていますね。
荒木:むしろ「せっかく」老いるんだから、っていうさ。長く生きるって、つまり、どんどん経験することじゃない? おかげでシワが増えたとか、俺の場合はガンになっちゃったとかあるけどさ、それさえなにかのプラスになってるのかもしれない。
あの世で閻魔さまに「ちゃんとしたシワひとつ刻まないでこっちにきちゃったのか」って言われるのはシャクじゃない?(笑)それに、美しく生きるには、人生をさらけ出した方がいい。
―展覧会名『写狂老人A』からは、「画狂老人卍」を名乗った浮世絵師の北斎を連想します。75歳で名作『富嶽百景』を世に出した北斎は、そのあとがきで「まだまだ自分は上達するし、100才になったら……」という未来まで話しているのも強烈ですね。
荒木:当時でさえ、本人としては「まだ描けてない」感覚なんだろうね。それで俺も今回、北斎をもじってさ、さっき話した空を撮った『空百景』を並べるんだよ。だから、長く会場にいると吸い込まれちゃうかもね、空に。それくらいのものが、空ってものにはある。やっぱり「あの世」なんだろうな……。
―荒木さんはその北斎より踏み込むように「あの世で自分が撮る写真はどのようなものになるのか、探ろうとしている」とまで言っていますね(『東京墓情 荒木経惟×ギメ東洋美術館』展に寄せたテキスト)。その一歩手前というと怒られそうですが、この世で最後にシャッターを切る瞬間もイメージするのでしょうか?
荒木:死んだらみんなが、棺桶のなかの顔を覗き込むじゃない。そこから手をニュッと出して、撮ってやろうかなんてね。あとオペラシティの展覧会のチラシに写ってる俺、これもあの世に向かって撮ってるようなもんだよ。カメラを背中側に吊るして街に入って、セルフタイマーで15秒ごとにシャッターを切る。そういやこれは、デジタルカメラだな(笑)。どう? 15秒後の背後の世界を撮る、これが一番いい「最後の写真」だろ?
『荒木経惟 写狂老人A』メインビジュアル photo:野村佐紀子
―そして火山口に倒れていく、みたいな……?
荒木:バカヤロウ(笑)。でもまあ、きっと前のめりに倒れてくから、背中で撮るのも空だろな。ハハハハハ。それでアタシは自分の眼で、地面に咲いた花を最後にとらえますよ。
いまの俺の気持ちは、陽子(妻)が胎児のように見える。生まれて、これから生きていくっていうふうに。だから旅が続くってのは「再生」でもあるんだ。
―荒木さんが、人生や写真への「気づき」を得られるようになった転機はありますか?
荒木:そうね~、梅雨空かな。え、「天気」じゃなくて? アッハッハ。真面目に言うと、転機ってあとからじわじわと来るもんだよ。だから、毎日がターニングポイントなんだ。
―出会いで言うと、奥様の陽子さんは、荒木さんが「陽子によって写真家になった」と語るほどの存在ですね。もうひとつの大型展、東京都写真美術館の『センチメンタルな旅 1971-2017-』は、その陽子さんとの記念碑的な写真群を、いま改めて軸にすえると聞きました。
荒木:うん。俺のいまの写真はこの『センチメンタルな旅』で、自分の新婚旅行を写したことからはじまってる。この写真集で「私写真家宣言」もしてるからさ。
『センチメンタルな旅・冬の旅』(1991年) (Amazonで見る)
―その宣言にはこんな言葉がありますね。
自分の新婚旅行を撮影したから真実写真だぞ!と言っているのではありません。写真家としての出発点を愛にし、たまたま私小説からはじまったにすぎないのです。もっとも私の場合ずーっと私小説になると思います。私小説こそもっとも写真に近いと思っているからです。
荒木:最初はその『センチメンタルな旅』の総決算って感じで話が来たわけ。ところが俺としては、「センチメンタルはまだ続く」ってのをやりたい。どうもまだ終わりそうにないから(笑)。
そんな話をしてるうちに、個展タイトルも「1971-2017-」って、最後にも「-」を入れることにしてね、「ずーっと」って意味で。そう考えてたら、面白いことに「センチメンタルな旅」は71年に撮ったんだけど、今年はひっくり返って17年だろ。あと今年で77歳、陽子との結婚記念日は7月7日ってのもつながってきて。もし別れても、毎年この日は会おうって約束してた日なんだ。
―荒木さんが撮る陽子さんは、バルコニーでの屈託のない笑顔から、憂いのある印象的な一枚まで、彼女を直に知らなくても強く感じるものがあります。
荒木:彼女が死んだとき(子宮肉腫で闘病のあと、42歳で他界)にも撮ってるわけだけど、すごく極端なことを言うと、それすら俺にいい写真を撮らせるために彼女は死んでくれたって思うくらい、彼女への思いと彼女からの影響はあるね。
―荒木さんはご両親や愛猫チロとの死別も、写真に収めていますね。そのことを綴った文章はそれぞれ、とても印象的でした。
荒木:昔の人は死んだ者を「ホトケ」と言うけど、対峙するとやっぱり、より美しく撮ってあげたいという気持ちが働くわけ。母が死んだときは、綺麗に見える角度から撮ってあげようって、自然と被写体にそうさせられるっていうのかな。これは写真の技術的にはアングルの話だね。
親父のときは闘病もあって、もう生きてたときの一番好きな笑顔ではなかったら、顔は撮らずに、腕の刺青を浴衣の袖まくって撮ったわけ。これはフレーミングだね。あとになると、そういうシンプルなことも、一番愛しい者の死によって教えらたんだなって思う。
―写真は瞬間を切り取るとも言いますが、そこで完結ではない?
荒木:新婚旅行で陽子が舟の上で横になってる写真も、彼女が死んでからは、これは三途の川かって感じがあったりね。けど、いまの俺の気持ちはまたちょっと変わって、あれが胎児のように見えるんだよ。生まれて、これから生きていくっていうふうに。
荒木:だから旅が続くってのは「再生」でもある。胎児って、陽子もそうだけど、俺自身もなんだな。まあ上野でこないだ生まれたパンダみたいなもんで(笑)、77歳が0歳になるわけだ。あ、0歳じゃなくて天才か。アハハハハ。
ともかく、写真や被写体には、気づかされたり、励まされたりもする。もちろん、これは写真に限らないことだとも思うよ。皆にもあるでしょ、そういうものが?
―というと?
荒木:要するに「関係」だね。嫁でも恋人でもいいけど、誰かとの、なにかとの関係から生まれるもの。かっこつけて孤独の魅力とか言ってもさ、一人じゃ絶対に生きていけないし、生きたとしても面白くない。
やっぱりいろんな関係を持ったほうがいい。だから不倫もしていい! それは言い過ぎかな……。うん、言い過ぎた(笑)。
- イベント情報
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- 『荒木経惟 写狂老人A』
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2017年7月8日(土)~9月3日(日)
会場:東京都 初台 東京オペラシティアートギャラリー
時間:11:00~19:00(金、土曜は20:00まで、入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜
料金:一般1,200円 大高生800円
※中学生以下無料
※障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料
- 『荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017-』
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2017年7月25日(火)~9月24日(日)
会場:東京都 恵比寿 東京都写真美術館
時間:10:00~18:00(木、金曜は20:00まで、入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜(祝日の場合は翌火曜)
料金:一般900円 学生800円 中高生・65歳以上700円
※小学生以下、都内在住・在学の中学生、障害者手帳をお持ちの方とその介護者は無料
※第3水曜は65歳以上無料
※7月21日(金)~8月25日(金)の毎金曜日18:00~21:00はサマーナイトミュージアム割引(一般720円 学生・中高生無料 65歳以上560円)
- ふたつの荒木展を楽しめる! 東京オペラシティ アートギャラリー『荒木経惟 写狂老人A』と東京都写真美術館『荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017-』の相互割引
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東京都写真美術館『荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017-』にて、東京オペラシティ アートギャラリー『荒木経惟 写狂老人A』の入場券をご提示いただくと、本展入場券が団体料金になります。
また東京オペラシティ アートギャラリー『荒木経惟 写狂老人A』へご入場の際に東京都写真美術館『荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017-』の入場券をご提示いただいた場合も団体料金になります。(ほかの割引との併用不可、ご本人様1回限り有効)
- 『東京墓情 荒木経惟×ギメ東洋美術館』
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2017年6月22日(木)~7月23日(日)
会場:東京都 銀座 シャネル・ネクサス・ホール
時間:12:00~20:00
料金:無料
- プロフィール
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- 荒木経惟 (あらき のぶよし)
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1940年東京三ノ輪生まれ。おもな代表作に『センチメンタルな旅』『愛しのチロ』『東京物語』『エロトス』『花曲』『荒木経惟写真全集』(全20巻)『東京ラッキーホール』『人妻エロス』シリーズ、『ARAKI by ARAKI』『花緊縛』『愛のバルコニー』『72才』など、写真集約400冊。東川賞、日本文化デザイン会議賞、織部賞、オーストリア国最高位の科学・芸術勲章、安吾賞、毎日芸術賞特別賞など受賞多数。
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