SNSの発達に伴うようにして、ここ数年の間に、よく聞くフレーズがある。それは、「これからは『個人の時代』である」というもの。これから先は、個人が組織に頼らず、それぞれのスキルを磨き、自分自身をブランディングしながら生きていく時代になるのだろう、と。
ただ、「人間って、そんなに強くないんじゃないか?」とも思う。そもそも、社会とは本来、様々な人々がそれぞれの役割を担うことで循環しているものだ。食べ物を作る人がいれば、衣服を作る人がいる。のび太くんみたいな人もいれば、出木杉くんみたいな人もいる。それぞれが、それぞれのできることをギブ&テイクしながら、社会は回っていく。もちろん、一人で生きていける強い人もいるだろう。でも、みんながみんな、そんなに強いわけではない。
愛知出身の4ピースバンド、緑黄色社会。この若くフォトジェニックな四人は、「個人の時代」と言われる現代においてもう一度、人と人とが共に生きる「社会」を、ポップソングを通して再定義しようとしているように思える。一人で生きろ――そんなサバイバル環境のなかで、人の欲望は際限なく加速するだろう。しかし、「他人と自分を比べなくてもいい」「小さな幸せがあればいい」――そう語る緑黄色社会が提示する「音楽」という名の社会、ここには確かにひとつの希望があるのではないだろうか。
自分はすごく「一般的な存在」。どんなに有名な人も私たちも、実は悩みは同じだと思う。(長屋)
―皆さん、1990年代半ば~後半生まれなんですよね。前作『Nice To Meet You??』(2017年)の最後の曲“丘と小さなパラダイム”を聴いたとき、驚いたんですよ。あの曲のなかで、<あなたは世界を変えることしかできない>と歌うじゃないですか。あれがすごく衝撃的だったんです。
小林(Gt):あの部分は、僕が高校1年生ぐらいの頃から温めていた言葉なんですよ。
―そうなんですか! <あなたは世界を変えることしかできない>……この言葉を言い切れるのが、すごいなと思って。
左から:小林壱誓(Gt)、peppe(Key)、長屋晴子(Vo)、穴見真吾(Ba)
小林:自分としては、決して何かを言い切りたかったわけではなくて。この言葉って、プラスにもマイナスに捉えることもできると思うんです。<あなたは世界を変えることしかできない>っていうのは、「僕らはどう頑張ったって世界に関与してしまうんだ」っていう捉え方もできるし、「こんな僕にだって世界を変えられるんだ」という受け取り方もできる。その捉え方は、その人が聴く時と場合によって変わると思うんです。
―なるほど。僕は今、30歳なんですけど、世代的に銀杏BOYZがドンピシャなんですよ。彼らの曲のタイトルに、“僕たちは世界を変えることができない”というものがあるんです。これは、「世界」に自分たちのテリトリーを浸食されないための言葉だと思うんですけど、緑黄色社会が提示するのは、それとは真逆なんですよね。能動的であれ受動的であれ、「世界」と関わっていくことが前提としてある。高校生の小林さんのなかから、この言葉が生まれてきたのはどうしてだったのでしょうか?
小林:どうしてだったんだろう……。覚えているのは、そのときサンボマスターを聴いていて。サンボマスターって、強い言葉を言い切るじゃないですか。でも、自分には、そうやって強い言葉を言い切ることができないなっていう感覚があったんです。それよりも、「あなたにとって、この言葉はどういうふうに捉えられますか?」っていう問いかけをしたかったというか。
―なるほど。「主張」ではなく、あくまでも他者に対する「問い」なんですね。
小林:音楽の捉え方って、その人が聴く時や場合によって変わると思うんです。僕は、「悲しいから音楽を聴こう」みたいなことは思わないんですよ。でも、たまたま聴こえてきた音楽が心に沁みてしまった、みたいな奇跡をすごく信じていて。たとえば最近、エド・シーランを聴くと、僕自身、特に何も考えていなくても、あの声の抑揚だけでグッとくる。そういうことが、僕らの音楽でも起こったらいいなと思うんです。
―「たまたま聴こえてくる音楽でありたい」というのは新鮮ですね。皆さんぐらい若いバンドだと、「自分だけは特別でありたい」という自己顕示欲だけで表現に向っていてもおかしくないし、それも健全なことだと思うんですけど。
長屋(Vo):もちろん、自分の気持ちも大事にしたいけど、同時に、私は自分がすごく「一般的な存在」だとも思うんです。結局、人ってみんな、同じようなことで悩んだり困ったりしているものじゃないですか。どんなに有名な人も、私たちも、実は考えたり悩んだりしていることは同じだと思う。高校生ぐらいの頃は「自分をわかってほしい」「自分が自分が」っていう気持ちが強かったなって思うんですけど、今は、「みんな一緒なんだな」って思うことが増えてきています。
―「みんな一緒である」ということは、長屋さんにとっては、大きな発見だったんですか?
長屋:うん、そうですね。人と話す機会が増えるたびにそう思います。だからこそ、私の作る曲は、聴く人にとって共感できるものであってほしいし、「自分のため」のものであり「誰かのため」のものでもあってほしいと思うんですよね。
段々、人とすれ違うことから生まれる面白さに気づけるようになってきて。(長屋)
―緑黄色社会は元々、長屋さん、小林さん、peppeさんが通っていた高校の軽音楽部で結成されたんですよね?
長屋:そうですね。私は、高校でバンドをやるって決めていたんですよ。昔からピアノを習っていたり、吹奏楽部に入っていたりしたんですけど、中学校の頃にRADWIMPSさんやチャットモンチーさんを通して「バンド」という存在を知って。そこから、軽音部がある高校を探したんです。壱誓(小林)も同じなんだよね?
小林:うん、そう。僕は最初、歌いたかったんですよ。学校内の合唱コンクールで、「壱誓くん上手いね」って言われるタイプだったし、それが心地よくて(笑)。でも、軽音部で長屋と知り合っていざ彼女の歌を聴いたとき、「あ、負けた」と思いました。「このバンドで俺は、ボーカルはできないな」って思ったんです。
長屋:初めて訊くけど、そのとき、自分がボーカルとしてできる別のバンドを組もうとは思わなかったの?
小林:考えなかったね。このバンドをよりよくしていくためには、長屋をメインで歌わせた方がいいに決まっているっていう発想に変わって。俺、長屋に出会っていなかったら、バンドも続けていなかったんじゃないかなって、今となっては思うよ。
―peppeさんと穴見さんがバンドに入った理由は?
peppe(Key):私は高校の入学式で、長屋に「バンドやらない?」って誘われて、ピアノなら弾けるしいいか、と思って入りました。私は、バンドと言えばRADWIMPSさんくらいしか知らなくて、むしろ、西野カナさんみたいなJ-POP寄りの音楽を聴いていたので、二人のようにバンドに執着していたわけではないんですけど。
長屋:だから、SEKAI NO OWARIのCDを貸したりしたよね。コピーもしたし。
小林:で、真吾(穴見)は同じ軽音部ではないんですけど、僕の幼馴染なんですよ。オリジナル曲を作ろうと思い始めたタイミングで軽音部のベースが辞めたので、誘ったんです。
穴見(Ba):中学の頃、運動部に飽き飽きしていたときに、軽音部にベースとドラムが足りないって聞いて、ベースを始めたんです。ベースって地味だし、ミーハーな人からしたら何のためにあるのかわからないじゃないですか。でも、中2のときにRed Hot Chili Peppersに出会って、ベースの地味なイメージとか、弾いていて達成感がない感じが覆されたんですよね。形にとらわれず、やりたいことをベースでやっている感じがして。
―そうやって集まった四人が、緑黄色社会であると。話を聞いていると、バンド内でのそれぞれの役割を強く自覚されていますよね。
小林:この四人は、本当にバランスがいいんですよ。ぽわ~んとしているようでしっかりしているpeppeとか、本当にぽわ~んとしている真吾とか(笑)。
一同:ははははは(笑)。
peppe:集まるべくして集まった四人だなって思うよね。
―皆さんにとって緑黄色社会をやっている時間は、他の友達や家族の人たちと過ごす時間とは違うものだと思いますか?
長屋:友達より深いし、ずっと一緒にいるし、すごく大事な関係だなって思います。もちろん、メンバー間で意見が食い違うことや、喧嘩をすることもあるけど、そもそも私はこれまでの人生のなかで、人と争ったり、怒られたりしてこなかったんですよ。でも段々と、人とすれ違うことから生まれる面白さにも気づけるようになってきていて。
小林:やっぱり、直接向かい合って、メンバー間で話し合うことの大切さは感じるよね。だって、LINEで話し合っても何も解決しないじゃん?
長屋:うん、解決しない。直接話した方がいいよね。
peppe:私、友達とはLINEをしないって決めてる。それより、直接、会いに行くから。
穴見:人と会話したり、意見を出し合ったりすることで、人が持っている自分にない部分を見ることができるじゃないですか。「広がり」って、自分以外の誰かが持たせてくれるものなんだって思います。
<それなりにね>っていう言葉に救われる人は、たくさんいるんじゃないかなって思う。未完成でいいっていうことだから。(peppe)
―新作『ADORE』は、すべて長屋さんが作詞作曲されていますけど、なかでも“want”“キラキラ”“恋って”といった曲を聴くと、「恋愛」がモチーフとして重要なのかなと思ったんですけど、どうですか?
長屋:私は、恋愛も、友情も、家族愛も、「人が集まる」っていう点で通ずるものはあるんじゃないかと思う。だから、当てはめ方は自由だと思うんです。聴く人がそれを恋愛に当てはめるのか、友情に当てはめるのか。そこは、自由に捉えてくれたらいいなって思います。
緑黄色社会『ADORE』ジャケット(TOWER RECORDSで見る)
―“キラキラ”で、<あなたがわたしをつくってしまった / わたしがあなたをつくってしまった>と歌いますよね。これまでのお話を聞いていても感じるのは、緑黄色社会はバンド全体の指針としても、四人それぞれの考え方としても、あくまで「他者がいてこその自分」みたいな感覚が強いのかな、と。これは、さっき小林さんが話してくれた「結局、世界と関与しなければならない」という感覚に通じるものだと思うんですけど。
長屋:“キラキラ”は特に、さっき言ったような、人と人がすれ違ってしまうことって、実は素晴らしいことだなと思って書いた曲なんです。それって、「人間らしさ」だなって。別に誰が悪いとか、自分が正しいとかじゃないですよね。みんな違う考えを持っているのは当たり前じゃないですか。
―そうですよね。
長屋:私は、性格的にも、自分の悩みを人に話したり、自分の気持ちを出したりするのが恥ずかしくて苦手だったんですよ。他の誰かの話を聞くことはできるし、それにアドバイスしたりすることもあったんですけど、自分のことは本当に話さなくて。メンバーにも話さなかったし。
穴見:……(深く頷く)。
―穴見さん、めっちゃ頷きますね(笑)。
長屋:思い当たるフシがあったみたいです(笑)。でも、話してみたら意外とわかってもらえるものだし、打ち解けることで人に甘えたり、身を委ねたりするのは、簡単だし楽になれることなんだなって、段々と思えるようになったんです。だからこそ、今はもっといろんな人と関わることで、自分のなかの感情を広げたいなって思う。まだ知らない感情がたくさんあると思うから。
―“want”で、<あなたに会いたい / ただそれだけでいい>と歌っていますけど、たとえば、いわゆるJ-POPのラブソングって、「<会いたい>しか歌わねぇな」みたいに揶揄されることもあるんですよね。
長屋:そうですね(笑)。
―ただ、“want”の歌詞は、<アイスクリームが食べたい>とか、<子供のように生きたい>とか、具体的なものから観念的なものまで、様々な願望が歌われたうえで、その全てを凌駕する願望として、<あなたに会いたい / ただそれだけでいい>と歌う。この<会いたい>に行き着くまでの切実さって、すごいと思うんです。欲しいものはたくさんある。でも、結局は「あなた」がいればいいんだっていう。
長屋:結局、ここに行き着いちゃうなって思うんですよね。もちろん、やりたいことはたくさんあるけど、結局、<会いたい>が満たされてしまえば解決することってたくさんあると思う。「簡単だな、自分」って思ったりもするんですけどね(笑)。あれだけ「あれ食べたい!」とか「これやりたい!」って言っていたのに、結局、「あなた」に会えれば解決する……でも、それだけで幸せになれるのって、すごくシンプルで素敵なことだとも思うし。
―裏を返すと、そこにはきっと「シンプルな幸せを見つけることほど難しいことはないんだ」という前提も存在していますよね?
長屋:そうですね。どうしたって人間は贅沢をしたくなってしまうし、人を羨んでしまうし。私自身、そういう気持ちが強くあったんです。でも、ものすごく高い場所にある大きなものを掴むより、私は、目の前に転がっている小さな幸せを集めたい。本当に、日常に潜んでいる小さな「嬉しい」とか「楽しい」とか「幸せ」とか、そういうものに気づけた瞬間って、自分のなかで世界が広がる瞬間なんです。たとえば、アイスで「当たり」が出たとか、アイスをわけ合って食べるとか……アイスばっかりだけど(笑)。
小林:(笑)。でも、小さい子を乳母車に乗せて歩いているお母さんを見たりすると、すごく幸せだよね。
長屋:そうそう。贅沢なんていらない。「普通」が一番いいなって思う。だって、すごく幸せじゃないですか? 家庭がある光景、子供がいる光景、天気がいい光景……そういう、普通のことが私は嬉しい。
最初にも言いましたけど、私は、自分がすごく一般的な人間だと思っているし、みんなだって普通の人じゃんって思う。でも、なんで、人は人が持っているものを羨ましく思ってしまうんだろう? なんで、人間って、ないものねだりをするものなんだろう?……そう思っちゃうんです。
―周りを見渡してみても、「みんな贅沢だなぁ」って思いますか?
穴見:贅沢だよね。
peppe:うん、そう思う。
長屋:みんな、贅沢だよ。昔の曲で、<贅沢だ、お前は>ってサビで歌っている曲があったんですけど(笑)。それは自分に向けて歌っていたんです。今のままで十分なのに、なんで贅沢したがるんだろう? って。シンプルが一番だと思う。
―今作の最後に収録された“それなりの生活”は、タイトルからしても、そういった「シンプルな幸せ」に対する長屋さんの向き合い方が赤裸々に歌われている歌なのかな、と思いました。
長屋:一度、一人で弾き語りをする機会をいただいたんですけど、この曲は、それに向けて書いた曲なんですよね。それまでは、自分の気持ちを伏せて、悟られないような歌詞を書いていたんですよ。でも、より素直に、自分に向き合って歌詞を書くようになったきっかけの曲ですね。
peppe:私はこの曲を聴いたとき、サビの<上手くやってくよ それなりにね>っていう歌詞に、「もう、すべて共感!」っていう感じでした。私の友達にも、“それなりの生活”の、この部分の歌詞を好きな人が多いんですよ。<それなりにね>っていう言葉に救われる人は、たくさんいるんじゃないかなって思う。未完成でいいっていうことだから。
長屋:さっきの話に繋がるんですけど、人は欲張ってしまうけど、でも、もっと目の前にある「今」を大事にすればいいのになっていう気持ちで書きました。がむしゃらに頑張っていろいろ掻き集めてみても、上手くいかないことが私には多くて。でも本当は、「それなり」でいいのになっていう。
―なるほど。<それなり>という言葉が、皆さんにとってはとても大事なんですね。
長屋:うん、そうですね。
―<犠牲を増やして 前を向いていれば / いつか明るい風が吹くって勘違いしながら>とか、<これといって辛くもない / 命を捨てたい訳でもない / だけど何が足りない>とか……この曲の歌詞って本当にキラーフレーズだらけで、全てのセンテンスの意味を捉えたくなっちゃうんですけど。
長屋:ありがとうございます(笑)。
―この曲の最後は、<光る未来は見えないけど / だからこそ行け>というフレーズで締めくくられていて。長屋さんにとって、未来とは、簡単には見えないものですか?
長屋:というより、想像できなかったんです。この曲の歌詞を書いた頃は、自分の未来に明るい光が見えていなかったから、「大人になんてなりたくない」と思っていて。でも今は、昔に比べて、素の自分を好きになれているから。素直になれるようになってきたし、もっともっと、自分のことを好きになりたいと思うんです。昔は、未来を想像するだけで動こうとしなかったけど、今は、自分から動くことで未来を変えたいなって思えるようになったし。
―なるほど。人って、たくさんの欲望を持ち、それを叶えることで未来を描こうとする生きものでもあると思うんです。でも、長屋さんは、「それなり」の幸せに気づくことで、未来を描けるようになった。長屋さんにとってバンドをやっていくことは、自分の殻を剥ぎ取って、素直になっていくことでもあるのかもしれないですね。
長屋:そうですね。それもあるし、私が素直になることが、きっと、周りにも影響するだろうと思ってやっています。さっきも言いましたけど、私が思っていることは、きっとみんなも思っていることなので。自分が変えていくことで、それで、また違う誰かが変わればいいなって思いますね。
- リリース情報
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- 緑黄色社会
『ADORE』(CD) -
2017年8月2日(水)発売
1. 始まりの歌
価格:1,620円(税込)
HPP-1008
2. want
3. キラキラ
4. 恋って
5. それなりの生活
- 緑黄色社会
- プロフィール
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- 緑黄色社会 (りょくおうしょくしゃかい)
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2012年活動開始。Vocal長屋晴子の力強く透明で時に愛らしい独特な歌声、キーボードpeppeの型にはまらないフレーズ、Guitar小林壱誓の柔らかいコーラス、バンドを支える最年少、穴見真吾のBass Line。同級生3人と幼馴染で組まれ、お互いを知り尽くした四人がそれぞれの個性を出し合い、様々なカラーバリエーションを持った楽曲を表現し続けている。2013年 SCHOOL OF LOCK × Sonymusic 10代音楽フェス「閃光ライオット」準グランプリ。2017年1月11日初の全国流通盤となる1st Mini Album「Nice To Meet You??」をタワーレコード限定でリリースし、4月7日には初のワンマンライブをell.FITS ALLにて開催、Sold Outとなる。
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