おとぎ話が今年、デビュー10周年を迎える。2007年、1stアルバム『SALE!』で「UKプロジェクト」よりデビューを果たし、曽我部恵一が主宰する「ROSE RECORDS」からも作品を発表、2015年には「felicity」へ移籍し、これまでに8枚のオリジナルアルバムをリリース。計3回のレーベル移籍を経験するなど、この10年はまさに紆余曲折だった。
おとぎ話といえば、映画監督・山戸結希が手がけた“COSMOS”の強烈なまでにきらめきを放つミュージックビデオで、その存在を知ったファンも少なくないだろう。“COSMOS”のビデオが公開されたのは2014年。この曲は彼らの新たな代表曲になったが、おとぎ話の全てを表しているわけではない。では改めて、おとぎ話のより本質的な部分を語る機会が必要なのではないか? ということで、CINRA.NETでは、盟友・踊ってばかりの国より下津光史を招き、フロントマンの有馬和樹との対談を実施した。
兄弟のように響き合う有馬と下津による対話は、おとぎ話の不思議な魅力を紐解く機会となったように思う。お互いの音楽観に始まり、最近の若手バンドに対する苦言や、彼らが理想の音楽をとことん貫ける理由など、腹を割って語り合ってもらった。
俺と下津の関係だけでなく、お互いのメンバー同士も意気投合したのが大きかった。(有馬)
―おとぎ話と踊ってばかりの国は、そもそもいつ頃からの知り合いなのですか?
下津:まだ俺らが神戸にいた頃ですね。おとぎ話がツアーで神戸にやってきたとき、ライブ後に音源を渡したのが最初です。有馬くんは俺のこと、「どこのヤンキーやねん」くらいにしか思ってなかったと思うけど。
有馬:そうそう。「怖そうな人が来た」って感じで(笑)。家に帰ってもらった音源を聴いて、「めっちゃいいな!」と驚きました。それが、のちに流通盤になる『おやすみなさい。歌唄い』(2009年)だったんです。
有馬:それは2008年頃だったと思うんだけど、当時って今のようにSNSも発達してないし、どうリアクションしていいかわかんなかったんですよ。それでそのままにしてたら、「なにも言ってくれない有馬くん、なんなんやろ」って下津は思っていたらしくて。それを数年後に対バンしたときに知りました(笑)。
下津:なんなら「いてもうたる!」って思ってましたからね(笑)。でも、再会して開口一番、「音源めっちゃよかったよ!」って言ってくれて一瞬で仲良くなりました。5分後には友達で、打ち上げのときにはもう親友になってたよね(笑)。ベロベロになるまで酔っ払って。
有馬:あの夜は最高だったよね。以降、一緒にライブをやることも多くなって。やっぱり、バンドってライブを観ないとわからないところあるじゃないですか? ライブを観ずに友達になっても、その人の音楽やライブがよくなかったら関係は続かないんですよ。踊ってばかりの国の連中と仲良くなったのは、俺と下津の関係だけでなく、お互いのメンバー同士も意気投合したのが大きかった。踊ってばかりの国のメンバーは面白かったし、おとぎ話の四人はバカだったし(笑)。
下津:そこはずっと変わらないよね。お互いバカだし面白い。おとぎ話とは心身ともに仲がいいって感じがあります。
―有馬さんは、下津さんのどんなところに惹かれたのですか?
有馬:下津は、俺からしたら常にカッコいい「ロックスター」のような存在なんです。ロックスター不在と言われる今、俺も諦めてたところに下津が現れた。ルックスもよくて、音楽も「本当に」カッコいいやつって貴重じゃないですか。
これはシーンやムーブメントと呼ばれるものから感じることだけど、同じ時代に好きだと思えるバンドがいるかいないかで、自分たちの音楽も大きく変わってくると思うんです。俺は踊ってばかりの国を聴いたとき、マジで久々に「誰とも違う音楽だ」と思った一方で、でも絶対にこいつは「俺と一緒だ」と思ったんですよ。
―というのは?
有馬:たとえば、好きなジャンルが同じだったり、世代が一緒だったりすると、「俺と(あいつは)似てる」みたいに思えることもあるんだけど、そういうことじゃないんです。踊ってばかりの国は、全く違うのになんか全部一緒だなと思えた。言葉にしづらい感覚的なことなんですけど。
―なるほど。音楽的なところよりも感覚的なところで結びついていると。
有馬:そう思える人ってほんと少ないんですよ。でもそういう人がいると自分が作った曲を全部聴かせたくなる。「この人がいいと思える曲を作りたい」って思うんです。
下津:それは俺も思う。俺なんて聴いてほしくもないやつばっかりなのに、有馬くんにはもう全部渡してしまうんですよ。
―それって、お互いものすごく貴重な存在ってことですよね?
有馬:そうですね。あとこれは、他の人が言わないからあえて俺が言っておきたいんですけど、Yogee New Wavesやnever young beachが出てきた土壌を作ったのは下津だと思うんです。今、誰もそのことを指摘しないのに、腐らずにいる踊ってばかりの国は尊いですよ。
俺たちは「歌手」じゃなくて、「シンガーソングライター」だから。(下津)
―踊ってばかりの国が土壌を作ったというのはどういうことなのでしょう?
有馬:大抵のバンドが「時代に合わせた音楽」を鳴らしているのに対して、下津が書く曲はあくまでも自分自身なんですよ。バンドでそれをやっているのが大きい。踊ってばかりの国以降のバンドにとっては、貴重な存在だったと思います。
それになにより、「俺のアティチュード」とか「俺のライフスタイル」みたいな歌を歌われたら、そこに賭けたくなるじゃないですか?
―なるほど。聴き手の気持ちに寄り添うというよりも、生き様を音楽に反映させるというか。
有馬:そうそう。俺もね、そういう友達がいる限りは、「歌を作り続けたいな」って思いますよ。
下津:俺たちは「歌手」じゃなくて、「シンガーソングライター」だからね。恋をしてないシンガーソングライターが、恋の歌なんて歌えるわけないじゃないですか。俺、夜の寂しさとか冬の朝の匂いを歌いたいですもん。
有馬:歌を作ることでしか生きられない人と、シーンに残りたくて歌を作る人は違うよね。今は器用な人が多いですけど、そこの違いがわかっているから、下津とは仲良くいられるのだと思う。
下津:やっぱり自分の歌を歌いたいからね。日本だとトモフスキーさんやthe pillowsの歌詞が、その極みだと思っています。俺は、売れる / 売れないってことよりも、みんなが口ずさんでくれる歌を作れることが一番だと思うんです。だって曲を書いて聴いてもらってその人の記憶に残るって、生きている証じゃないですか。
―下津さんから見たおとぎ話の第一印象はどんなものでしたか?
下津:初めてライブを観たとき、ぐっしゃぐしゃのサイケとかノイズみたいなことをやっていたんですけど、それを通過した先にあるメロディーにグッときたんです。有馬くんの涙腺を刺激するメロディーセンスに、若者の憂鬱を浄化するようなものを感じたというか。それに俺らが今、こうやって自由に活動できているのって、おとぎ話のような先駆者がいるからなんですよ。
―踊ってばかりの国にとっておとぎ話の存在はやっぱり大きい?
下津:おとぎ話はすごく親身だし、兄貴的存在なんです。俺らがOasisだとしたら、おとぎ話はThe Stone Rosesみたいな感じというか。さっき有馬くんが「同世代に好きだと思えるバンドがいるかいないか」って話をしてましたけど、マッドチェスターとかシューゲイザーが盛り上がったときって、おとぎ話や踊ってばかりの国のような個性の持ったバンドが連立していたんだと思うんですよね。
踊らないと救われない人、爆音に埋もれないと救われない人がたくさんいたんだと思う。そういう人たちは今もどこかにいるし、だからこそおとぎ話や俺たちが必要な存在であり続けていると思う。
有馬:俺もそう思ってる。というか、そう思わないとやれないしね。でもほんと、マッドチェスターって変なバンドしかいなかったから、その時代に俺たちがいたら面白かっただろうね。
おとぎ話って、ただただ「変な人たちが出てきた」っていう感じなんだと思う(笑)。
―今回、おとぎ話のデビュー10周年企画ということで、そもそもの話もしたいのですが、お二人の音楽的なルーツってどういうところにあるんですか?
有馬:うちは親父がブルース大好きで。下津の父ちゃんはThe Allman Brothers Bandが大好きなんだったっけ?
下津:そうだね。あとBob Marley & The WailersとかThe Police、Steve Miller Bandとか。
有馬:やっぱり親が好きな音楽ってなんか気になるじゃないですか? 俺は親父が好きだったブルースからLed Zeppelinを聴くようになって、プログレまで辿り着くんだけど、そうすると、たとえば大学生の頃にRadioheadが流行ったときも、「いや、あんなのプログレでしょ」って思えたんですよね(笑)。そこで周りよりも優位に立てたっていうか。小さい頃からの積み重ねで、新しい音楽を聴くための下地が出来上がっていたんですね。
ゆらゆら帝国を聴いたときも、Pink Floydのファースト(1967年リリースの『The Piper At The Gates Of Dawn』)を聴いていたからすぐわかったし、親父にゆらゆら帝国を聴かせると、「今こんなバンドがいるのか。じゃあ、FLOWER TRAVELLIN' BANDも聴いておけ」って教えてくれる(笑)。だから、親からの影響って大きいんです。無意識でも、車に乗っていると洋楽を聴いていたし、ずーっと何かしら音楽が流れてましたしね。
下津:そうだね。幼少期に音楽を浴びてたかどうかって、めっちゃ大事だと今になって思う。それを体験している人としてない人とでは、話にならんくらい差がつきますよね。
―おとぎ話と踊ってばかりの国には、サイケデリック的な要素を感じるのですが、それはどこからの影響なんでしょう。
有馬:たぶん自分たちではサイケにしようと思ってないんだよね。
下津:そうだね。「ディレイっていうエフェクターが売ってるから買おうか。かっこいい音だもんねー」みたいな感じというか(笑)。
有馬:完全にそう。だって、ゆらゆら帝国を真似したところでゆらゆら帝国には勝てないじゃないですか? 自分たちがやるんだったら、真似にならないようにするのが普通だと思うんだけど、最近平気で真似する人たちもいるからびっくりする。「なんでそんなこと出来るんだろう?」って。
下津:確かに。それって、他人のブランドの服を売ってるようなもんやと思うけどな。
有馬:しかも器用だから真似が上手いんだよね。そういうことで言うと俺と下津はなにも考えてないんです。奇を衒ってヘンテコなことをやっていたんだとしたら、アルバム4枚くらい出して終わってると思うし。
―じゃあ、自分たちの音楽を「サイケっぽい」と言われることに関しては?
有馬:サイケは大好きだから嬉しい。というか、目指してるわけでも狙っているわけでもないのに、結果サイケっぽくなってたら本物じゃないですか。実際、めちゃくちゃJ-POPっぽく仕上げたつもりの曲を「サイケだね」って言われることもあるし。
おとぎ話は、いわゆる「サイケ」のフォーマットを踏襲したバンドなのかというとそうでもないんです。俺たちがやっている音楽は、はっきりと「これ」ってカテゴライズできるものでもないし、でも、曲や歌詞だけ聴くとすごく真っ当なことを言っているはずなんですよね。だから、ただただ「変な人たちが出てきた」っていう感じなんだと思う(笑)。
今、サイケデリックなことを本気でやっているバンドは、ぶっちゃけ踊ってばかりの国くらいしかいないと思う。(有馬)
―サイケデリックの話で言うと、2017年はサマー・オブ・ラブ(1967年の夏、アメリカ合衆国を中心に巻き起こった、文化的、政治的な主張を伴う社会現象)から50年なんですよね。
有馬:さっき下津が、マッドチェスターと俺たちを比較してたけど、サマー・オブ・ラブの頃も、俺たちみたいなバンドばかりだったと思う。Jefferson AirplaneやGrateful Deadとか、あの時代に自分がいたら、面白かったのかなってたまに思うときがあるけど……。
まあでも、サード・サマー・オブ・ラブは日本に来ないと思いますよ。てか、日本はサマー・オブ・ラブもセカンド・サマー・オブ・ラブも知らないし、法律がしっかりしてる国だから(笑)。
有馬:でもおとぎ話って、夜中のイベントで演奏するとめっちゃ泣いてる人がいたりするんですよ。で、終わるとみんな酒を奢ってくれる(笑)。俺たちはただ、自分がやりたい音楽を誠実に、真剣にやっているだけなんだけど、「お前だけはわかってくれる!」って言いにくるんです。
下津:サイケはエスケーピズム(逃避主義)だからね。でも、日本でそういうことができるバンドってなかなかいないと思うんです。
有馬:そこは、おとぎ話と踊ってばかりの国の共通点だと思う。だって今サイケなことを本気でやっているバンドは、ぶっちゃけ踊ってばかりの国くらいしかいないですよ。
死にたいと思ってた時期に、BOREDOMSに出会って自分は救われたんです。あの音に呑み込まれている瞬間が全てだった。(下津)
―さっき下津さんは「サイケはエスケーピズム」とおっしゃいましたが、お二人はサイケデリックをどう定義していますか?
下津:俺は15歳で家を出て働きはじめたんです。そうすると、自分自身の心と社会とのギャップがどんどん大きくなって、正直死にたいと思ってた時期もあったくらいで。そんなとき、BOREDOMSに出会って自分は救われたんです。もう、あの音に呑み込まれている瞬間が全てだったというか。だから俺にとって音楽はエスケーピズムだし、サイケはエスケーピズムなんですよね。
有馬:俺は親父の影響で、小さい頃からウッドストックの映像も見ていたし、いわゆる「サイケデリックロック」と呼ばれる音楽も聴いていた。だからBOREDOMSも、ゆらゆら帝国も、のめり込むことができた。ただ、いざ自分がサイケデリックなことをやろうと思ったら、ここまで話してきたような「サイケの定義」からは想像もつかないようなことがやりたいし、それこそがサイケなのかなって思うんだよね。
下津:たしかに、「ファズをかけてトレモロかけたらサイケ(ファズもトレモロも、ともにエフェクターの一種)」って、そんな簡単なものじゃない。それだけがサイケじゃないって信じたいんです。
有馬:そうだね。だとすれば、ワケわからないことをやるのがきっとサイケだよね。おとぎ話を始めたとき、「みんなが言わないことを言うバンドになろう」と思ったんですよ。「お父さん、お母さん、昨日のご飯ありがとうございました」ってことを、どれだけ狂った表現で伝えられるか?――それを40近い男が真剣に突き詰めたら、結果サイケになるんじゃないかなって思う。
一緒に仕事をする仲間を「いい友達」って思えること、そういう人がそばにいるのは幸せなことだと思う。(有馬)
―ここまで、2組が「なぜ惹かれ合うのか?」ということを紐解いてきました。有馬さんと下津さんの共通点として、お二人とも自分たちの理想とする音楽を、自由に、個性を曲げることなく貫いているじゃないですか。それができるのはどうしてなんですかね?
有馬:それはやっぱり、レーベルのボスの存在が大きいんじゃないですかね?
下津:そうやと思う。俺、めっちゃ好きなようにやらせてくれるからもう離れられないです(笑)。
有馬:この前、ウディ・アレンのドキュメンタリーを見ていたら、彼の映画に出演したスカーレット・ヨハンソンが、「私はアレンの映画に出演できて、その夏はいちばん嬉しかった。でも、なにより嬉しかったのは、彼といい友達になれたこと」ってインタビューで言っていて。やっぱり一緒に仕事をする仲間を「いい友達」って思えること、そういう人がそばにいるのは幸せなことだと思いますね。
下津:お金とか立場を超えて、「人間」としてバンドと付き合ってくれる人って本当に少ないんですよね。その上で、音楽が本当に好きな人っていうのが大事。
有馬:そうだね。そういう人が身近にいるのは恵まれていると思う。
―なるほど。サポートしてくれる人が変わったという点でも、おとぎ話にとって今のレーベル「felicity」に移籍したのは大きな転機だったと。デビュー10周年ですが、これからのバンドの展望はいかがですか?
有馬:俺、ここで宣言したいんだけど、これからもっとやりたいように楽しくやりますよ。だって俺、もっと変なんだもん(笑)。今までもやりたいようにやってきましたけど、シーンに迎合することなく、これからも変なバンドで居続けたいと思います。
- イベント情報
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- おとぎ話
『10 YEARS CARAT TOUR』 -
2017年9月5日(火)
会場:東京都 渋谷 WWW2017年10月29日(日)
会場:広島県 4.142017年11月3日(金・祝)
会場:北海道 札幌 SOUND CRUE2017年11月23日(木・祝)
会場:福岡県 UTERO2017年12月10日(日)
会場:宮城県 仙台 FLYING SON2017年12月24日(日)
会場:大阪府 十三 FANDANGO2017年12月26日(火)
会場:愛知県 名古屋 TOKUZO
- おとぎ話
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- 『踊ってばかりの国 & GEZAN「of Emerald」August 2017 tours』
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2017年8月31日(木)
会場:東京都 代官山 UNIT
- リリース情報
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- おとぎ話
『10 YEARS CARAT』(CD) -
2017年9月5日(火)から『10 YEARS CARAT TOUR』ライブ会場で販売
価格:2,200円(税込)
PECF-91017 / felicity cap-2681. KIDS(Single ver.)
2. BOYS DON'T CRY
3. SMILE
4. ネオンBOYS
5. GALAXY(Single ver.)
6. WHITE SONG
7. GANG STYLE NO.1
8. THANK YOU(Single ver.)
9. NO SOS
10. COSMOS
11. 少年
12. JEALOUS LOVE(Original mix)
13. セレナーデ
14. 追憶に別れを
15. ファンファーレサーカス
- おとぎ話
- プロフィール
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- おとぎ話 (おとぎばなし)
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2000年に同じ大学で出会った有馬と風間により結成。その後、同大学の牛尾と前越が加入し現在の編成になる。2007年にUKプロジェクトより1stアルバム『SALE!』を発表、以後2013年までにROSE RECORDSからの2枚を含め6枚のアルバムを残す。2015年、おとぎ話にとって代表曲となる「COSMOS」が収録された7thアルバム『CULTURE CLUB』をfelicityよりリリース。従来のイメージを最大限に表現しながら、それを壊し新しい扉を開いたこのアルバムにより、おとぎ話はまさに唯一無二の存在となった。2016年10月、移籍後2作目となるアルバム『ISLAY』をリリース。また、ライブバンドとしての評価の高さに加えて、映画や演劇など多ジャンルに渡るアーティストやクリエイターからの共演を熱望する声があとをたたない。日本人による不思議でポップなロックンロールをコンセプトに活動中。
- 踊ってばかりの国 (おどってばかりのくに)
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2008年、神戸で結成。翌年より2枚のミニアルバムを発表、各地の大型フェスに注目の新人として出演。2011年、初のフルアルバム『SEBULBA』を発表。全国ツアーを行うなど活動の幅をさらに拡大させる。同年11月には2ndアルバム『世界が見たい』をリリース。2012年末、ベースの脱退と共に活動休止。2013年春、『COMIN'KOBE 13』のステージで活動を再開。2014年1月に新メンバーで録音した、セルフタイトルを冠する3rdアルバム『踊ってばかりの国』を発売。同年に限定アナログ盤シングルを2枚発売。2015年春、メンバー主導による最新フルアルバム『SONGS』を発売。11月、オリジナルメンバーの佐藤が脱退。同月、新ドラマー・坂本タイキ加入。2016年、『FUJI ROCK FESTIVAL '16』に出演。同年11月、林が脱退。2017年1月、新メンバー・丸山康太が加入し、活動再開。『2017年、春のワンマンツアー』中、5人目のメンバー・大久保仁が加入。
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