前作『What are you looking for』(2015年)と同じように、自身の書いた曲と、他のクリエイターに詞曲を依頼した曲が共存するニューアルバム『SHINJITERU』をリリースしたハナレグミは、その2枚を最後に次のフェーズに入るという。その新しいフェーズがなんなのか、現在はどこにいて未来はどこに行こうとしているのか、あるいはその現在にも、過去にも、きっと未来にもある永積崇の音楽の軸はどんなものなのか。『SHINJITERU』をとっかかりに、それらを訊けるだけ訊いたインタビューを、お届けする。
「今は抱えないといけない時期だ」って思っていた。
—思ったよりも早くニューアルバムができて、ちょっとびっくりしたんですけども。
永積:あの、なんか、「今年中に出さねば」っていうのが、自分の中にあって。前回の『What are you looking for』の時に、入れられなかった曲が何曲かあったんですよ。かせきさん(かせきさいだぁ)と沖さん(沖祐市 / 東京スカパラダイスオーケストラ)に書いてもらった“秘密のランデブー”とか、泰行くん(堀込泰行)に書いてもらった“ブルーベリーガム”とか。すごくいい感じにでき上がったんですけど、あのアルバムに入れると、他の曲とぶつかり合って、消し合っちゃうような気がしたんですよね。それで入れなかったんだけど。
なんかね、来年からほんとに変わる気がしてるんですよ、大きく。『What are you looking for』と、この『SHINJITERU』で全部終わったな、っていう気があって、ゼロの状態で次が始まりそうな気がしていて。だから、それを残したまま来年に行っちゃいけない気がしたんですよ。“秘密のランデブー”も“ブルーベリーガム”も、来年を迎えちゃうと、アルバムに入れられるタイミングがなくなるような気がして。
—来年から新しくこういうことをやろうっていうのが、もう見えている?
永積:いや、今の時点ではまったく見えてないけど……でも、すごくポジティブな方向に向かいそうな予感がしてる。今年の春のツアーで、ライブをやりながら何かを生んでいく、っていうことを初めてやったんですよ。ツアー中に地方でメンバーとスタジオに入って新曲を作って、すぐライブでやるとか。
あと、あのツアーで、僕、朗読やってたじゃないですか? あの朗読で、自分の中に溜まった澱みたいなものを全部出したっていうのもあって。「今は抱えないといけない時期だ」って思っていたんですね。
自分の中の憂いを、潜って潜って……叫びにして、ウワーッ! て出さないといけない気がしてたんですよ、この数年。それが終わったなあ、っていう気がしますね……。(アルバムジャケットを見ながら)だから燃え尽きて真っ白になっちゃったのかな(笑)。
ハナレグミ『SHINJITERU』ジャケット写真(Amazonで見る)
自分のまんなかにはクールさがあると思ってたけど、意外と、熱いパッション側の人間として俺がいるなあ、と。
—「SHINJITERU」という言葉は、どんなところから?
永積:今回、詞曲で関わってもらった阿部芙蓉美さんと詞のやりとりをしている時に、何十個も詞の断片みたいなものを彼女に送ったんですよ。その中に「SHINJITERU DASAI OYAJI」っていう一言があったの。
朝方、二日酔いで起きれない時に、パッと浮かんで。40いくつにもなっても、まだこういうことをやってて、ずっと音楽もやってて、その時々で落ち込むこともあるけど、でも今ものすごく「やっぱり音楽やりたい」って思ってる俺がいるな、みたいなことを、半分酩酊しながら思ってて。
ダサイことって、熱さとも言えるっていうか。クールでいるよりも、ブルースマンのように、顔からも皮膚からも熱さがはみ出してるようなものでいたい。僕らって、フリッパーズ・ギターとか通ったり、だんだんクールになってきた世代だったと思うんですよ。一見クールで、感情を込めないようにしようっていう……SUPER BUTTER DOGの時も、そう。
でも、意外と、熱いパッション側の人間として俺がいるなあ、と。その中で思いついた言葉が「SHINJITERU DASAI OYAJI」だと思うんです。
—そこでどういう感覚から「SHINJITERU」って言葉が出たんでしょうね。
永積:「信じてる」って、よく言う「俺、おまえのこと信じてるからな」っていうのとは全然違うっていうか。自分が信じたいものっていうのは、誰かに託すんじゃなくて、自分の内側にあるものだなと思ったんですよ。
—自分が信じたいものって、何なんでしょう?
永積:それは結局、今まで自分が歌の中に込めたいと思っていたことでもあるけど、余韻とか、感情が、言葉になって立ち上がる手前の何かなのかもしれない。
音楽は、目に見えないし、触れないし、音が鳴った瞬間に消えていくじゃないですか。その関係性がすごい好きなんですよ。だからこそ、自分がそこに入り込める、自分を投影できるものだからだなあっていう。
どれだけ自分をクールに静めるかっていうことで、自分の中を熱くさせてた。
—以前、是枝裕和監督の『海よりもまだ深く』(2016年)に楽曲で参加されましたよね。
永積:あの映画は、誰かが死んじゃったりとか、地球がどうにかなってとか、そういうドラマがあるわけじゃなくて。きっと誰もが過ごすであろう似たような時間や、似たような言葉を投げかけられたりとか、そういうものを描いた映画だと思うんですよ。だから、見ている人は、あの映画に自分を映してるんだろうなって思ったんです。映画を見ながら、自分と話している状態なのかもしれないなって。
永積:僕、ずっと「人に向かって、言葉にしてまで投げかけるものってなんだろう?」って、いつも自分に問うてるんですけど。あの映画を見た時に教わったのは、メッセージをこっちから投げかけるんじゃなくて、あっち側から入ってきて、映像とか音に向き合うことで、その向こうに自分を見つけてもらうっていうことで。それがもう「メッセージ」なんじゃないかなと思ったんですよ。
永積:そうやって考えてみると、今まで聴いてきたフィッシュマンズの佐藤(伸治)さんの歌詞も、(井上)陽水さんの曲も僕にとってはそうだったし。陽水さんの“白い一日”とか、「毎日君をこの陶磁器のように見てます」っていう歌なんですよ。「きみが好き」とかなんにも言ってない。でもあの声とあの少ないメロディーで聴くと、「俺だったら好きな人のことを思い出すなあ」とかなっちゃうんですよ。やっぱりそういう音楽が作りたいって俺は思ってるんだな、って気がついたんですよね。
佐藤さんの詞で<心の揺れを静めるために静かな顔をするんだ>って歌詞があるじゃないですか(“POKKA POKKA”)。まさにそうかもしれない。心がものすごい躍動してるんだけど、静かな顔をしてる。中指も立てないし、唾も吐かない。ただそこに静かに立ってるっていうことの熱さっていうか。
—佐藤伸治さん、「黙る」っていうことが大事だという話も、当時されていた記憶があります。
永積:きっと、ものすごい熱い人だったと思うんだよね。ものすごい情熱的で、「これがいい」「これが正しい」って、声を大にして言いたい人だったんだけど、もしかしたらそのことをわかりすぎてしまっていて。
むしろ、どれだけ自分をクールに静めるかっていうことで、自分の中を熱くさせてた。その感じがすごいわかるっていうか。その先には、無言になってしまう危さ、自分のすべてを消してしまう危なさっていうのがあるけど、でもその美しさはすごく感じるっていうか。
ほんとに今、やりたいって考えてるのは、ボーカリストに徹するっていうか。
—前々作はカバーアルバムだったし、前作と今作は人に書いてもらった詞曲と自分の書いた曲が混在しているアルバムですよね。人に書いてもらうっていうのは重要ですか。
永積:そうですね。ほんとに今、やりたいって考えてるのは、ボーカリストに徹するっていうか。「なんでシンガーソングライターじゃないといけないの?」みたいな。
もっと、「歌の声」になりたいっていうか。この先ハナレグミっていう名前なのか、まったく別の名前でやるのか、わかんないですけど。人の曲で、誰かの詞で、歌い手として成立する歌をやりたいとは思ってて。
—歌い手に徹したいというのは、なぜ?
永積:自分の言葉だけだと、世界が広がらない気もするんですよね。スカパラに呼ばれたり、松本隆さんのイベントに呼ばれて歌ったりすると、「やっぱりこういうふうにいろんな言葉を歌いたいな」と思って。自分たちのまわりのシーンに、そういう音楽がもっとあるべきとも思う。いつもみんな自分のことを叫んでるばかりじゃなくてもいいと思うんです。
—前にインタビューさせてもらった時におっしゃっていたのが、「わかってくれる人のところにばかりいすぎちゃいかん」と。自分のことを知らない人のところに出て行って、「どう?」「聴いて!」っていうモチベーションがないと、曲が鳴らないんだと。
永積:そうですね。もちろん、自分のことを知ってくれてる人の前でやるのも楽しいんですけどね。この間、たまたま母校に行くことがあって、その流れで「ちょっと放課後何かやってくれよ」って言われて。
教室のまわりにいた生徒を引き連れて、美術室で演奏したんですよ。ハナレグミの曲、知らないだろうなっていう子たちの前で。そうすると、手がものすごく震えるんです、怖いんですよ。「どう思われるんだろう」「かっこ悪かったらどうしよう」とか、すっげえ震えるんだけど、やっぱり伝えようとするんですよね。それを、みんなが一所懸命に、真剣に聴いてくれてることに、すごく感動して。
そういう時間で、自分が必死に何かになろうとしてるっていうのは、よかったなと思って。あと、何かは伝わっただろうなあって。真剣さとか、必死に目の前で手を震わせながらおっさんが歌ってるとかさ。その時に、自分がものすごく興奮して、活性化された感じがあったんです。
言葉にもならない、手にもされないけど確実にある、いちばん大事にしなきゃいけないもの。
—ほかにも、最近音楽をやりながらよく考えるようになったことってあります?
永積:このアルバムを作ってる時にも話してたのは、「音楽の権利ってなんだろう?」っていうこと。メロディー・歌詞・歌唱ってあるけど、権利になってるメロディーと歌詞だけでは、結局「音楽」になってない気がするっていうか。
それを奏でる人のパッションとか、気持ちとか、熱が入って初めて音楽になるけど、そのパッションは権利としてお金にはならない。でも、音楽を聴いてみんなが「これをそばに置いておきたい」って思うのは、そういうパッションの部分なんじゃないかな、そういう部分を大事にしないといけないな、っていうかね。
—それは、『SHINJITERU』というアルバムのタイトルにもつながってくるんですかね?
永積:そうです。自分が信じてるのは何かっていうと、そういうお金にならないところで。言葉にもならない、手にもされないけど確実にある、いちばん大事にしなきゃいけないもの。それが人に伝わっていって、共鳴させたり、気持ちを変えたり、ポジティブな方向に行くようなエネルギーを持ってるものだったら、やっぱりいいし。
本来は、よく見ると、まわりにそういう見えないけど大事なものはいっぱいある。たとえば愛とかね。そういう「割り切れないもの」を排除すると、どの時代も生きていけない気がするし、そこはずっと変わらないまま世の中は動いていくと思うから、それならはじめから、「割り切れない」っていうことを当たり前として生きてる方がラクチンだと思ったんです。この、割り切れないところに生まれて、割り切れないところに向かって死んでいくっていうことを手放したくないし、手放しちゃいけないっていうか。
—「割り切れないもの」と向き合いながら生きている、と。
永積:よくよく考えてみると、自分が感動してるものって、そういうコントロールできないところに向かってる音楽だったり、表現だったりしたな、と思うわけ。
だから、僕の曲がせつないのは、そういう「割り切れない」ものを自分が忘れたくないからだな、と思ったんだよね。ハッピーなことはその瞬間で消えるけど、せつなさってずっと残るじゃないですか。そういうものを自分のそばに置いとくことってエネルギーが要ることだけど、そいつと仲良くなると、昔の記憶をすぐそばに呼び寄せられたりとか、遠くの人と、目の前でしゃべってる以上に会話できたりする。っていう魔法を、僕はずっと好きなのかもしれない。
—ハナレグミの音楽って、まさにそういうものですよね。
永積:前に、ライブを見てくれた若い子としゃべった時に、「ハナレグミ初めて聴いたんですけど、一人にさせられるからすごくイヤなんです」みたいなこと言われことがあって。それ、すげえドキッとして。曲によっては、聴いて「そうなれ」って思ってるな、って。
それは、是枝監督の映画と同じで。その曲を聴いてる時間の向こうに、自分のせつなさとか悲しみと向き合う瞬間があったら、なんて熱いんだろうって。音楽でそういう気持ちが立ち上がってくる、っていうことを信じてるというか。もしかしたら俺は、曲をそういうふうに作用させたいと思ってるかもなあ、って。
自分の歌詞は、もしかしたら距離を歌ってるだけかも。
—今の話の中の、「ハッピーなことはその瞬間で消えるけど、せつなさはずっと残る」っていうことと、「音楽で一人になる」っていうことは、20年近く前にインタビューした時にも、永積さん、おっしゃってましたね(笑)。
永積:マジすか!(笑)本当? じゃあ俺変わってないんだ?
—その時は「うれしいことより寂しいことの方が信用できる、うれしいことはすぐ終わるから」っていう言い方でした。で、「最近クラブに行くのが好きになった、だってクラブってみんなひとりじゃないですか」と。「ああ、みんな一人ぼっちだ」って思いながらフロアを見てるって。
永積:(笑)。ずーっと俺、それをやってるんでしょうね、きっとね。でも、自分の中に「俺はずっとここにいるのに、なんでみんなどんどん動いてくんだろう?」っていうような感覚はあるかもな。みんなどんどん変わっていって、俺だけはずっと変われないっていう不安。「一人だなあ」っていうのはあったかもしれない、思い返すと。
それは変わんないし、もう当たり前になっちゃってるかもなあ。どうしよう(笑)。でも、そこでシニカルにはならないというか。むしろ、そういう気持ちでいると、景色がすごくきれいに見える、みんな美しく見える。人を近くに感じられるんですよ。
俺は、対面してしゃべってるときよりも、別れたあとに、さっきまでいたその人のことを思い返す時の方が、その人を間近に感じられて。人との距離が好きなのかもね。だから自分の歌詞は、もしかしたら距離を歌ってるだけかも。
—ハナレグミのデビューシングルの『家族の風景』には、<友達のようでいて 他人のように遠い 愛しい距離が ここにはいつもあるよ>って歌詞がありますもんね(笑)。
永積:はははは。そのまんなかは変わんないと思うし、それを使ってもっとまだいろんなことができるのかもしれないな。ハナレグミとしてやってると、それをまんなかに置いてやることになるんだけど、一回そういうものを遠ざけて別のことを歌ったとしても、最終的には音の端から、そういうものが立ち上がってくるのかもしれない。
だから、もっともっと人に託してよくて。僕の真ん中は動かないからこそ、たくさんの動いてる景色を歌っていいんじゃないかっていうかね。そういう気がこの数年、やっとしてきてるのかもしれない。
- リリース情報
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- ハナレグミ
『SHINJITERU』(CD) -
2017年10月25日(水)発売
価格:3,240円(税込)
VICL-648471. 線画
2. ブルーベリーガム
3. 君に星が降る
4. 深呼吸
5. My California
6. ののちゃん
7. 消磁器
8. 秘密のランデブー
9. Primal Dancer
10. 太陽の月
11. YES YOU YES ME
- ハナレグミ
- イベント情報
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- 『SHINJITERU』ツアー
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2017年11月7日(火)
会場:石川県 金沢 Eight Hall2017年11月10日(金)
会場:北海道 札幌 Zepp Sapporo2017年11月12日(日)
会場:宮城県 仙台 GIGS2017年11月14日(火)
会場:福岡県 福岡 DRUM Logos2017年11月16日(木)
会場:岡山県 岡山 CRAZYMAMA KINGDOM2017年11月17日(金)
会場:愛知県 名古屋 DIAMOND HALL2017年11月26日(日)
会場:大阪府 大阪 オリックス劇場2017年12月6日(水)
会場:東京都 東京 国際フォーラム ホールA
- プロフィール
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- ハナレグミ
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永積崇による、ソロプロジェクト。1997年、SUPER BUTTER DOG でメジャー・デビュー。2002年夏よりバンドと併行して、ハナレグミ名義でソロ活動をスタート。これまでにオリジナルアルバム6枚をリリース。2017年10月、2年ぶりとなる7枚目のオリジナルアルバム「SHINJITERU」をリリース。その深く温かい声と抜群の歌唱力を持って多くのファンから熱い支持を得ている。
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