寺山修司原作、菅田将暉とヤン・イクチュン主演で話題の映画『あゝ、荒野』に、BRAHMANが主題歌“今夜”を提供している。細美武士のコーラスも印象的なこの曲は、「今大切な人、今その瞬間」を描いた感動的なバラードナンバー。その優しい歌声や曲調は、「怒り」をテーマにした前作“不倶戴天”と真逆ながら、そこにある深い愛情と、その裏側の孤独という本質的な部分は、どちらも等しくBRAHMANらしいと言えよう。
「街角の小さな本屋で出逢った本に打ちのめされた30年後に 言葉という名の武器と出逢わせてくれたあの人を感じながら 俺達は出逢いの喜びと無情を懸命に歌うだろう リングの上で出逢うあの二人のように」というコメントを寄せているように、ボーカル・TOSHI-LOWにとって、寺山修司という存在はまさに言葉のルーツ。今回の取材では、寺山からの影響を深く掘り下げることによって、表現者として受け継がれているものを探った。
「バンドマンになりたい」と思う以前に「詩人になりたい」と思ってたからね。これ、恥ずかしくてほとんど言ったことないんだけど(笑)。
—“今夜”を書くにあたって、原作を読み返したりはせず、正式なオファーをもらう段階で、ほぼできあがっていたそうですね。
TOSHI-LOW:俺、頭悪くて、長編小説読めなくて。途中で誰が誰だかわかんなくなっちゃうの。特に『あゝ、荒野』って、「ノリで書いたんだろうな」って思うというか、使いたい言葉があって、それに対してどんどんパラレルワールドみたいに話が進んでいくから、「なんだったんだろう?」みたいになっちゃって。
—寺山修司自身も、「モダンジャズの手法で書いてみようと思った」と記していますよね。
TOSHI-LOW:だから、何度も途中で寝た気がする(笑)。もちろん、あらすじは掴んで、最後ぶっ壊れるまで戦い抜くことになにかがあるんだというのはわかってたから、“今夜”を作ってる肌触りとして、なんも遜色ないと思ったし、今さら自分が寺山修司に合わせる必要はないなって。
寺山修司の断片が体に入ってるからこそ、作詞をしてるわけだし。子どもの頃は「バンドマンになりたい」と思う以前に「詩人になりたい」と思ってたからね。これ、恥ずかしくてほとんど言ったことないんだけど(笑)。
—オフィシャルのコメントで、「30年前に街角の小さな本屋で出逢った」ということを書かれていましたね。
TOSHI-LOW:なんで手に取ったかはわかんないんだけど、『ポケットに名言を』(初版は1977年発行)を一番初めに買って。そこに載ってた井伏鱒二の「さよならだけが人生だ」とかが強烈に残って、好きな名言を真似したりとかしてたもんね。
高校受験のときに、県立に落ちて私立に受かったんだけど、それを先生に報告に行ったら、先生がすごく落ち込んじゃったの。でも、俺は別にどっちに行ってもよかったから、そのとき『ポケットに名言を』にあったゲーテの言葉を引用して、「『おのぼりなされ。 あるいはお下りなされ。 同じことじゃよ』って書いてありますよ」って言ったり(笑)。
—じゃあ、『ポケットに名言を』を入口に、寺山自身の作品に触れるようになったと。
TOSHI-LOW:うん。バンドもそうなんだけど、最初は「見ちゃいけない、でも覗いてみたい」って気持ちが大きかったんだと思う。天井棧敷(寺山修司主宰、演劇実験室を標榜した演劇グループ)の絵とかも、すごくインパクトあるじゃん? 見世物小屋感覚というかね。
当時は、萩原朔太郎とザ・スターリンを交互に読んだり聴いたりしてさ(笑)。もちろん、初めからダークなものが好きだったわけではなくて。歌でもなんでも最初はキラキラしたものから入るでしょ? でも、俺はそこに強烈な違和感を持ち始めて、『宝島』を読んだり、サブカルチャーというか、見ちゃいけないもののなかに本質みたいなものを探しにいきたくなったんだと思う。だから、寺山修司にのめり込んでいったのは、すごく必然だったのかなって。
—子どもの頃は詩人にも憧れつつ、結局はバンドの道を選んだと。
TOSHI-LOW:そう。そのうちバンドにのめり込むようになって、一時期寺山修司のことも忘れるんだけど、高校生のときにライブハウスで知り合った大学生がいて。俺、最終的にその人に勉強教わって、大学行くことになったの。
当時は学校のテストでビリみたいな点数を取ってたから、その人に「学校やめるわ」って言ったら、「ビリのまんまやめるのはかっこ悪いから、1位になってやめなよ」って言われて。そこから勉強したら、教わった科目で学年で一桁くらいの順位になって、「せっかく勉強したんだから、大学受けてみれば?」って。で、その人が青森出身だったの。
—ああ、寺山修司と同郷だったんですね。
TOSHI-LOW:それで夏休みに、一回実家へ連れてってくれたんだよね。
俺もはぐれ者みたいになってたから、ほっとけなかったのかなって、今考えると思うかな。
—青森に連れて行ってもらった記憶が、今も残ってるんですね。
TOSHI-LOW:俺、それまで平面の寺山修司しか見たことなかったんだけど、その年上の大学生がVHSでドキュメンタリー的な映像を見せてくれて、初めて動く寺山修司を見て。そのときに、地域性というか……こう言うと青森の人に悪いけど、鬱蒼とした重さに惹かれてしまったんだよね。
俺、その人のことがすごく大好きだったんだけど、奥に見える影みたいなものもすごく感じていて。「これってなんなんだろう?」と思っていたものは、もしかしたら、故郷の持つなにかなのかなって、そのときに思ったんだよね。
—その人と寺山を重ね合わせるような感覚があった?
TOSHI-LOW:うん、あった。その人もすごく賢くてさ、でもすげえパンクスで、いつもひとりでいて。だから俺みたいなのとも仲良くしてくれて、「うち来なよ」って言ってくれたんだと思う。俺もはぐれ者みたいになってたから、ほっとけなかったのかなって、今考えると思うかな。その人に寂しさも感じてたけど、それが嫌じゃなかったというか。
—そのまま『あゝ、荒野』とも重ねられそうな話ですね。
TOSHI-LOW:その人が俺にとっての片目だったのかもね。
寺山修司は役に立つなあって。言葉の力を信じてた人だと思うし、そこと戦ってた人でもあるんだろうね。
—最初は寺山修司の「見ちゃいけない、でも」という感覚に惹かれたとのことですが、そのあとは彼の作品に対する感じ方がどう変化していきましたか?
TOSHI-LOW:アングラなものを知るとさ、そこからもっとダークにいく人もいっぱいいるわけでしょ? 「山海塾」(天児牛大主宰の舞踏グループ)みたいな暗黒舞踏とか、もっといけば死体の写真を好きになったりとか。でも俺は、寺山修司くらいのアングラが好きで、行き過ぎるとピンとこなかったんだよね。
なんて言うか、あんなことをしてるのに、どこか健全な感じが好きなの。すげえダークな、きたねえこと言ってるんだけど、希望があったり、生きることに対する健全さがあるっていうか……すごく感覚的な話なんだけど。
—寺山は人間の本質を追求すると同時に、架空を愛する人でもあった。そういったバランス感が、ある種の「健全さ」を生んでいたのかなって。
TOSHI-LOW:ノンフィクションよりフィクションのほうがノンフィクションだっていうのはあると思っていて、それをリアルに感じたから、ああいう生き方だったんじゃないかとは思う。
「どこで生まれたんですか?」って訊かれて、「電車のなかで生まれたから、故郷がねえんだ」みたいな言い方をするのって、本当かどうかはわからない。でも、「人間はどこから生まれて、どこに行きつくのか?」みたいな、俺が本質だと思ってる命題があるとして、「どこどこの病院で生まれました」って言うよりも、そういう寺山修司の言い方のほうが「本質ついてるな」って、すげえ思うよね。
—まさに、フィクションだけどノンフィクション、というか。
TOSHI-LOW:みんな宮沢賢治好きでしょ? 俺、全然ダメなの(笑)。なんていうか、肉体を感じないんだよね。俺は肉体を感じる詩が好きで、そこには必ず痛みも伴うっていうか。
—なるほど。
TOSHI-LOW:それに、大人になってふと読み返すと、また昔とは違う言葉が響いたりして。30歳を過ぎたくらいのときに、「俺は鬼ごっこの鬼だ。けど、なにを追っかけてるんだろう?」っていう言葉を読んだときは、結構崩れ落ちたんだよね。それまでずっと「俺が俺が」でやってきて、でも家族ができたり、人生何巡目かに入ったときに、「あれ? 俺、なんのために生きてるんだっけ?」ってなって。
年代によって刺さる言葉が違うのってすげえなと思うし……寺山修司は役に立つなあって。言葉の力を信じてた人だと思うし、そこと戦ってた人でもあるんだろうね。
男の本質ってそうじゃん? 戦わないといけないなら戦うけど、お前にだったら殺されてもいい、とも思う。
—“今夜”に関しては、もともとどういったきっかけで書いた曲だったのでしょうか?
TOSHI-LOW:これはよく話してるんだけど、昔作った“PLACEBO”(2004年発売、3rdアルバム『THE MIDDLE WAY』収録曲)を、the LOW-ATUS(TOSHI-LOWと細美武士の弾き語りユニット)でやったときに、細美武士がコーラスをつけてきて。もともとこの曲は、バンド内でアレンジについてすごくもめて、ああでもないこうでもないって作ったんだけど、細美のコーラスが入った“PLACEBO”をうちのドラムのRONZIが聴いたときに、「やっと曲が完成したね」って言ったの。俺が19歳のときに、拒食症で死んだ友達のことを歌った曲なんだけど、その言葉を聞いて、「この歌と格闘する日がやっと終わったな」って思ったわけ。
—「やっと終わった」というのは?
TOSHI-LOW:それまで「その友達を置いてきてしまったんじゃないか?」とか、そういう自分のなかの罪悪感があったの。でも、そいつが映画の『ゴースト』の最後のシーンみたいに、笑顔で上にいくみたいなさ(笑)、一個の話が終わりに至ったというか。
じゃあ、自分が40歳を越えて、“PLACEBO”の続きを歌うとすれば、なにを歌いたいかを考えると……孤独感であったり、なにかを失ってしまったときの悲しさは、結局変わらない。大人になって、ちょっとそれに慣れただけ。だったら、やっぱり今隣にいる人、今という瞬間を、素直に歌いたいと思って……というのを、居酒屋でぶっつぶれてる細美武士を見て思った。こう言うとなんの感動もなくなるよね(笑)。
—<胸を張って 上を向いて 歩いてこれたなら たぶん俺ら 出逢ってないよ 誰かがヒソヒソ言ってた>という歌詞が印象的で、もちろん、物語の主人公である新次と健二とも重ねるし、聴き手としては、やはりTOSHI-LOWさんと細美さんにも重ねてしまいます。
TOSHI-LOW:まあ、無理に重ねるつもりはないけど、男の本質ってそうじゃん? 戦わないといけないなら戦うけど、お前にだったら殺されてもいい、とも思う。それが本当に認めたやつだし、親友だと思うし。だから、『あゝ、荒野』で書かれてることも本当だと思うしね。ボクサーだったら、あれが究極の愛の形なんだろうなって。
—物語のなかでは「繋がり」という言葉がキーワードになっていました。それは友情であり、愛であり、それを超えたなにかでもあったように思います。
TOSHI-LOW:俺は繋がりと縁だけで生きてるからね。あとはタイミングと勘だけ。やりたいからやるだけで、理由なんてないもん。今回の曲を細美と歌ったことだって、「なんで今なんですか?」って訊かれたら「今だと思ったから」だし、「なんであの人なんですか?」って訊かれたら「あの人だと思ったから」っていう、それだけ。ただ、そういうことに対して勘がよくはいたいよね。
俺たちは整った生活をしているように見えて、横から見たら狂ってるのかもしれない。
—映画に対してはどんな感想を持たれましたか?
TOSHI-LOW:愛の形はハッピーエンドだけじゃないっていうかさ。嫉妬で殺人を犯してしまうのも愛なら、親のいない子がお母さんに会いたいって思うのも愛じゃん? そういうものがすべて包括されていて、エグイ部分をいっぱい並べてるのに、でもやっぱり最後に愛を感じるっていうのが、寺山修司のすごいところなんだなって改めて思った。みんな偏ってて、狂ってる人たちの集まりみたいなパラレルワールドが一個に集まるわけで。
—そのなかでの出会いと別れが描かれていて……。
TOSHI-LOW:最終的には「さよならだけが人生だ」って言葉に集約されるわけだよね。でもそれは決してただの悲観ではないし、「それでいいんだ」って、ニヒリズムでもない。そこには愛情があるんだけど、単純にヒューマニズムということでもないと思ってて、もっとこの人の「野性」を感じるっていうか。
—野性?
TOSHI-LOW:俺たちは整った生活をしているように見えて、横から見たら狂ってるのかもしれない。「反対側から見たら、暗黒舞踏の白塗りと同じじゃん」っていう、そこが寺山には見えてるんだと思う。
満員電車とかそう思わない? 駅に向かって整然と流れていく人を上から見たら、「うわ」って思うと思うんだよね。それと白塗りで性器出して踊ってるのって、実は反対側じゃないっていうか。
—平日にライブやって、打ち上げして、朝帰りするバンドマンと、スーツを着て出勤するサラリーマンの構図っていうのも、一見真逆のようで、でも本質的にはそうじゃない。
TOSHI-LOW:そう。そこに正しさなんてなくて、どっちも狂気なんじゃないかと思うわけ。会社に行けばいいと思ってる人たちも狂気だし、朝まで飲んでるのも狂気。人間はそれを持ち合わせてるのが普通で、その狂気性みたいなところが寺山修司の作品には表れている。まあ、「狂気」って一言でも片づけられない……それが「野性」ってことかなって。
—なるほど。
TOSHI-LOW:人間がもともと持っていて、今みんなが隠してるもの。集団生活のなかでは隠さないと生きていけないのかもしれないけど、でも本当はみんな持ってるもの。それがずっと背中に映ってるような男が好きなのかもしれない。
どうせ死ぬってわかってるんだけど、鬼ごっこの鬼みたいに、なにかを求めて、やるべきことを探してる。それは寺山の言葉があったからなんじゃないかな。
—最後に改めて、表現をする人間としてTOSHI-LOWさんが寺山修司から受け取ったものについて、話していただけますか?
TOSHI-LOW:自分がこんな歪な人間に育ったひとつのきっかけなわけだよね。でも、今になれば、歪でよかったなって思う。周りと同じ形にされなくてよかった。
まあ、とにかくこの人は難しい人なんだよね。さっき言ったみたいに、ヒューマニズムだけじゃないし、ニヒリズムを感じることもあるけど、最終的には希望なのかなって思うし、でもそれって絶望でもあるし。そういう言葉の面白さを教えてもらったということでもあるんだけど。
—めちゃくちゃ複雑だし、答えはないけど、でもそれが人間というもので、言葉を通じてそこに迫ろうとした人なんでしょうね。
TOSHI-LOW:「あしたは きっとなにかある あしたは どっちだ」ってさ、あれに勝てる言葉書けたことないよ。でも、「じゃあ、幸せってなんだろう?」って考えたときに、決して一元的なものじゃなくて、「希望と絶望が一緒に向かってくる」みたいな感覚を持てたのはよかったなって思う。
『ポケットに名言を』を、これからもずっとポケットに入れて生きていくんだろうなっていうのは感じるかな。で、10年に1回くらいペラペラめくっては、そのときの自分に合った言葉が必ず見つかって、それに助けられたりしながら生きていくんだろうなって。でも、今回これで交わったから、次寺山にお会いするときは、もう寺山の歳を越えてしまうのかも。(亡くなったのは)50歳の手前でしょ?
—47歳ですね。その歳を越えたら、また感じ方が変わるのかもしれない。
TOSHI-LOW:そうだろうね。そう考えると、47歳までは生きてみたいと思うなあ。そのときにわかる言葉に出会ってみたいし、そこで生きていく言葉が見つかればその先も生きていくし、運命がそうじゃないと言えば、そこで終わるんだろうし。
これまでもずっとそうなんだけど、自分が短絡的な生き方をしてないのは、寺山の言葉があったからなんじゃないかな。「どうせ死ぬんだから、好きなことやろうぜ」って言っちゃえば、人生なんて簡単じゃん? どうせ死ぬってわかってるんだけど、鬼ごっこの鬼みたいに、なにかを求めて、やるべきことを探してる。そういうのって、きっと誰かの後押しがあるはずで。
—そのなかの大きなひとつが、寺山修司の言葉だと。
TOSHI-LOW:うん、間違いなくそうだろうね。
- リリース情報
-
- BRAHMAN
『今夜 / ナミノウタゲ』初回限定盤(CD+DVD) -
2017年10月4日(水)発売
価格:2,160円(税込)
TFCC-89633[CD]
1.今夜
2.ナミノウタゲ
[DVD]
Tour「戴天」 LIVE & DOCUMENTARY
1. 守破離 GUEST:KO (SLANG)
2. GOIN' DOWN
3. 賽の河原
4. SEE OFF
5. SPECULATION
6. EPIGRAM
7. ONENESS
8. 終夜
9. FOR ONE'S LIFE
10. 怒涛の彼方
11. NEW SENTIMENT
12. 警醒
13. 不倶戴天
14. ラストダンス GUEST:ILL-BOSSTINO (THA BLUE HERB)
15. 不倶戴天
- BRAHMAN
-
- BRAHMAN
『今夜 / ナミノウタゲ』通常盤(CD) -
2017年10月4日(水)発売
価格:1,080円(税込)
TFCC-896341.今夜
2.ナミノウタゲ
- BRAHMAN
-
- BRAHMAN
『今夜 / ナミノウタゲ』(7inch) -
2017年10月4日(水)発売
価格:1,080円(税込)
TFKC-38029[side A]
今夜
[side B]
ナミノウタゲ
- BRAHMAN
- イベント情報
-
- BRAHMAN
『八面玲瓏』 -
2018年2月9日(金)
会場:東京都 九段下 日本武道館
料金:6,000円(記念メダル付)
- BRAHMAN
- リリース情報
-
- 『あゝ、荒野』特装版(Blu-ray)
-
2017年11月1日(水)発売
価格:10,584円(税込)
VPXT-71558監督:岸善幸
脚本:港岳彦
原作:寺山修司『あゝ、荒野』(角川文庫)
主題歌:BRAHMAN“今夜”
出演:
菅田将暉
ヤン・イクチュン
木下あかり
モロ師岡
高橋和也
今野杏南
山田裕貴
河井青葉
前原滉
萩原利久
小林且弥
川口覚
山本浩司
鈴木卓爾
山中崇
でんでん
木村多江
ユースケ・サンタマリア
-
- 『あゝ、荒野』特装版(DVD)
-
2017年11月1日(水)発売
価格:9,612円(税込)
VPBT-14650監督:岸善幸
脚本:港岳彦
原作:寺山修司『あゝ、荒野』(角川文庫)
主題歌:BRAHMAN“今夜”
出演:
菅田将暉
ヤン・イクチュン
木下あかり
モロ師岡
高橋和也
今野杏南
山田裕貴
河井青葉
前原滉
萩原利久
小林且弥
川口覚
山本浩司
鈴木卓爾
山中崇
でんでん
木村多江
ユースケ・サンタマリア
- プロフィール
-
- BRAHMAN (ぶらふまん)
-
1995年、東京にて結成。メンバーは、TOSHI-LOW(Vo)、KOHKI(G)、MAKOTO(Ba)、RONZI(Dr)。ハードコアと民族音楽をベースにしたサウンドで、パンク/ハードコアに留まらず、ロックシーンの先頭を走り続ける。国内だけでなくアジアやヨーロッパでもライブを行う。2011年3月11日の東日本大震災以降よりライブ中にMCを行うようになり、震災の復興支援を目的とした活動を積極的に展開。2015年7月4日に箭内道彦が監督を務めるドキュメンタリー映画『ブラフマン』が公開。8月12日に20th Anniversary Album『尽未来際』を発表した。2018年2月には、武道館公演が決定。
- フィードバック 1
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-