この懐かしさは、どこからやってくるのだろう? かつて「may.e」と名乗り、インディーシーンで支持を集めてきたmei eharaは、数奇な縁から「カクバリズム」と巡り合い、シンガーソングライターとしての名義を一新。キセルの長男こと辻村豪文をプロデューサーに迎え、初のアルバム『Sway』を完成させた。詩情に満ちたメロディー、柔らかくも芯の通った歌声、まろやかな日本語の響きに、凛としたフォルム――1970年代の荒井由実を彷彿させるインターネット世代のニューミュージックは、ノスタルジーと新鮮な響きが豊かにブレンドされている。
写真やデザイン制作を行い、文芸誌『園』の主宰も務めるなど多方面で活動する彼女だが、今回のアルバム制作前にミュージシャンとしての危機に直面していた。ひとりぼっちの宅録から、立体的なバンドアンサンブルへの移行は『Sway』における大きなトピックだが、清々しい新境地に辿り着くまでには、いくつもの葛藤があったようだ。ユニークな感性が育まれた過程と、実り多きターニングポイントについて語ってもらった。
小学生のときは「歌手になりたい」と思っていたんです。だけど、現実的に考えたら無理だなって。
―「may.e」名義による最初のEP『Mattiola』が発表されたのが2013年。今回のタイミングで本格デビューということですが、早くからネット上で注目されていた印象があります。
mei:パソコンもインターネットも小さい頃から身近な存在だったので、最初から自分の作品をネットで公開するのも当たり前という感覚だったのは大きいかもしれませんね。1枚目のEPは、自分の誕生花(マッティオラ)から名づけました。
mei ehara / 『Mattiola』を試聴する(bandcampで聴く)
―その『Mattiola』では英語で歌っていましたが、同年リリースの『私生活』では日本語詞にシフトしましたよね。この作品を今振り返ってみていかがでしょう?
mei:うーん……。あの頃はミュージシャンになろうとは思っていなかったんです。だから『私生活』は手探りな部分もあったし、1日そこらの短い期間で作った曲が多くて詰めも甘いし。レコーディング環境もよくなかったから、音も悪いと思います。そういうのも今となっては思い出深いですけど(笑)。
―でも、この時期からYogee New Wavesやミツメ、シャムキャッツをはじめ、アーティスト写真を撮影しているTaiko Super Kicksといったバンドとの交流が生まれて、周囲のリアクションも大きくなったんじゃないですか?
mei:そうですね。でも、当時のことを振り返って思うのは、「みんな、褒めてくれるけど、本当かな」と首を傾げるような曲もあったことで。私の音源はやっぱり粗削りなところもあるし、「本当にいいのかな?」という気持ちのほうが強かったです。
『私生活』を試聴する(bandcampで聴く)
mei:ライブ活動に関してもそうで、アーティストとしてお誘いをもらって、出演料をいただいたとしても、当時の私は、本腰を入れて音楽をやろうというスタンスになれていなくて。周りの人たちに対して、それがすごく申し訳ないと思っていました。
―「申し訳ない」という気持ちがあった。
mei:きっと、自信がなかったんだと思います。将来どう生きていくのかも考えられていなかったし、自分の立ち位置が不安定だったというか。それにやっぱり……女性は難しい。子供のころ、一時期「歌手になりたい」と思っていたこともあったんです。だけど、大人になって現実的に考えてしまって、無理だなと思ったんです。
―それはどうして?
mei:女性シンガーの場合、容姿が美しかったり、恋愛のようなわかりやすいテーマを表現がすることが多いじゃないですか。そういうものが女性として求められているのもわかる。でもだからこそ、私が同じことをして音楽活動を立派に成し遂げるのはとても難しいなと感じていたんです。
『私生活』には恋愛の歌が多いんですけど、そこまでわかりやすいものでもないし。そういう私の作品が、たくさんの人に認められるとは思えなかった。音楽活動になかなか本腰を入れられなかったことには、そんな理由もありました。
(学生時代は)心の内を明かせずに、頭を使ってその場をやりくりするタイプだったと思います。
―「音楽業界において、女性は恋人について歌うシンガーソングライターとしてしか認められていない」というBjorkの言葉を思い出します。
mei:変なたとえですけど、男の人が下半身をふざけて露出したら、笑いがとれることもあるじゃないですか。でも、女の人の場合はありえないですよね? そういう感覚と近いところで、自分がやりたいと思う曲調が、女性ではやりづらいと感じることもあります。
歌詞の一人称も難しいですよね。「私」なのか「あたし」なのか。女の人が「僕」を使うと、途端に別の意味を持ちはじめてしまうし……私、こういうことをいろいろ考えてしまうタイプなんです。
―meiさんの生い立ちを聞かせてください。お父さんがバンドマンだったそうですね。
mei:そう。今はお勤めですけど昔はバンドをやっていたようで、家でもピアノやギターをよく弾いていました。父方の祖父はオペラを音大で教えたりしていて、祖母がピアノの先生をしていたこともあって、父は音楽一家なんです。母のほうは美術に強くて、デザインなどをやっていました。
小中学生の頃は、引越しが多くて全国いろんな場所を転々としました。常に新しい環境に馴染むのに精一杯だったから、「心からの友人」という関係は作れなくて。周囲からは慕われていたほうだと思うけど、子供だったのでとにかく必要以上に必死でした。心の内を明かせずに、頭を使ってその場をやりくりするタイプだったと思います。
―音楽はどんなものを聴いて育ってきましたか?
mei:父の影響もあって、1960~70年代の洋楽ばかり聴いていました。父が一番好きなのはビリー・ジョエルで、私も大好きです。日本の音楽が家でかかることはあまりなくて。ユーミンとか佐野元春くらいだったかな。
―楽器に自覚的に触れるようになったのは、いつ頃のことですか?
mei:3歳のときからピアノを習っていました。でも、私にとってピアノは「やらされていた楽器」で。クラシックを弾くのが嫌で練習せずに通っていたら、「明日から来なくていいよ」って中3のときに破門されました(苦笑)。常に色々なことがやりたかったんですよ。ピアノを練習する時間がもったいなく感じていたんでしょうね。
朝一番に学校に行って、終わればすぐ家に帰り、爆音で音楽を聴く毎日を繰り返していました。
―ギターを手にとったのはどんな経緯からですか?
mei:ギターは父のものが家に置いてあったので、小さい頃からコードもよくわからないまま触っていました。その後、小学5年のクリスマスにプレゼントで自分のものを買ってもらって。私と同じように親世代の音楽を聴いていた同級生が何人かいたので、その子たちとバンドを組んでいました。
―ギターで思い出したんですけど、The Smithsもお好きらしいですね。
mei:ギターというよりは、モリッシーの声が好きですね。あのボーカルがDNA的に落ち着くみたいで(笑)。そもそも、中学に入ってから3年生になるまではずっとパンクが好きで、Sex Pistolsとかばっかり聴いていたんです。でも卒業する間際に、The Smithsと出会って。そこから高校の3年間はほとんどThe Smithsばかり聴いていました。
―パンクには、ファッション面でも影響を受けました?
mei:指定校バックに安全ピンをつけたり、George Cox(パンクスやロックミュージシャンたち愛用のメーカーとして認知されているブランド)のローファーを履いて通学していましたよ。私服もガーゼシャツにボンテージパンツみたいな感じで。でも軟式テニス部だったので、日焼けして肌が真っ黒焦げなんです(笑)。そういう感じでママチャリを漕いでいる、やさしいパンクスだったと思います。
―同志はいました?
mei:いや、いなかったです。
―高校時代はひとりでいることが多かった?
mei:そうですね。高校で新しくできた友達もいなかったし。朝一番に学校に行って、終わればすぐ家に帰り、爆音で音楽を聴く毎日を繰り返していました。ただ、高校時代はブログを通じて仲良くなった人が何人かいて、それこそアニーちゃん(Annie The Clumsy)は当時イギリスに留学していたんですけど、お互いのブログを読み合うことで知り合いました。
ひとりのほうが効率や生産性はいいじゃないですか。家から出なくていいし。
―それから大学に入って、自分で音楽を作り始めるようになったきっかけが、自主制作の映画だったそうですね。それはどういう映画だったんですか?
mei:無声映画です。小学1年生のときに、妹が生まれるということで、里帰り出産で母の地元(愛知)に帰ったことがあって。近所に公民館があったんですけど、そこに何度も通うようになって……。
そこがとにかく変な空間だったんです。広い部屋に大きなトランポリンが設置されていて、片隅にある大きめのブラウン管で、(チャーリー・)チャップリンの無声映画がずっと流れているんです。だから、トランポリンで跳ねながら、ひたすらチャップリンを眺めていました(笑)。
―ものすごいシチュエーションですね(笑)。
mei:高校生になって進路を考え始めて、何を志すべきか悩んでいたんです。そのころチャップリンやバスター・キートン(チャップリンと並び、「世界の三大喜劇王」と呼ばれる)などの作品を見返したり新たに見てみたら、すごく感動して。
mei:それから映画監督になりたいと思うようになって、インターネットを通じて自主映画のグループを組んだり、ひとりで無声映画を作りはじめました。結果的にグループのほうは長続きしなくて、ひとりで作り続けていて。無声映画には音楽が必要なので、音楽も自分で作って、その作業が後の宅録に繋がっていきました。
―バンドをやった経験もあるのに、ひとりで音楽や映画を作ろうと思ったのはどうしてですか?
mei:大学時代は、趣味が合う人がいなかったんです。ひとりであれば打ち込めるし、妥協点も自分だけで決められるから、効率や生産性がいいじゃないですか。それに子供の頃、引越し先や転校先で自分を出せなかった経緯もあって、絵を描いたり文章を書いたり、集中して物を作っている間は自分と向き合うことができるから、楽しかったんだと思います。
音楽はやめようと思っていたんです。
―新作のこともお訊きしたいのですが、カクバリズムからリリースすることになった経緯を教えてください。
mei:このアルバムを出そうと思ったのは約2年ほど前なんですが、それよりも前、精神的にも肉体的にも辛いことがあったり、音楽に対して本腰を入れよういう気持ちにまだなれていなかったので、音楽はやめようと思っていたんです。
―「なんとなく」続けるのであれば、もうやめようと。
mei:そう。でも、あるときふと思ったんです。「私はもしかすると一番大事なことをやめようとしているのかもしれない」と。私は絵を描いたり写真を撮ったり、いろいろことを絶えずやってはいるんですが、音楽はなかでも一番集中していて、情熱をそそいで楽しんでいたことに気がついたんです。
そのことに気がついて、自分のやりたいことをやればいいと思えるようになって。そのあと、今も担当してくれている仲原(達彦)くんに相談をしたんですけど、当初はこれまで通り自主で作って、流通だけをしようと思っていたので、相談と言っても、CDがどんな流れで流通されるのかとか、お金がどのくらいかかるのかとか、基礎的なことを教えてもらっていました。その後、彼に相談するうちに、自分がどこでどのように活動するのがベストなのかも考えるようになって、どこかレーベルからリリースするのがいいと思うようになりました。
mei:アルバムは、バンドアレンジにしたいと思っていたから、自分でアレンジしたデモを用意して、彼に聴かせたんです。じゃあ次に、バンドメンバーを探そういうことになったんですけど、(プレイヤー的な視点で)誰がいいのか考えたことがなくて。
それを考えるのが実は大変で、どうしようかと思っていたとき、仲原くんがカクバリズムに移ったこともあって、レーベルのつながりから「(辻村)豪文さんのプロデュースはどうか?」と提案があったんです。ご挨拶をしてしばらく経った今年の年明けから、豪文さんが私のデモを元にアレンジをしてくださって、6月にレコーディングが始まりました。
―キセルに対してはどんな印象を抱いていました?
mei:私、キセルの音楽はすごく好きで。でも、プロデュースしていただけるなんて思ってもいなかったですし、本当に嬉しかったです。
キセル(左から:辻村豪文、辻村友晴)のアーティスト写真。撮影はmei ehara
―豪文さんとの共同作業は、どのように進められたのでしょう?
mei:デモとして全曲のアレンジを考えたんですけど、自分のなかの引き出しが少なかったので、納得のいくものができなくて。だから最初に、豪文さんがアレンジしてくださった音源が届いたとき、自分が思い描いていたイメージ以上のものになっていて、驚きました。基本的に豪文さんにお任せしつつ、手を引っ張ってもらうような感じでした。
自分が無知で無力だということを再認識したけど、その上で誰かの影響を受けるのが心地よくて。
―作詞作曲、デモ制作まではご自分でして、アレンジは豪文さんに委ねた部分が大きいと。
mei:はい。でも、アレンジに関して自分の意見がないというわけではなくて、「任せたい」という気持ちが強かったんです。もちろん、「この曲がどういう経緯で生まれた」とか、「この曲はこういうシーンで」という解説を全曲分用意してお送りした上でですが。結果的に、デモとはまったく異なるアレンジになった曲もあるんですが、私の平坦なアレンジが豪文さんのおかげでとても立体的になりました。
―そのアレンジによって、歌の魅力や奥行きも一層引き立っている気がします。「任せたい」という気持ちは、ひとりで宅録していた頃にはなかったものではないですか?
mei:正直に言うと、このアルバムをこれまでの節目のようなものにしたかったので、当初はこれまで通りアレンジも演奏もレコーディングも、ひとりでやろうと思っていました。でも、アルバムを作るために、自分の人生を振り返って考えてみたとき、子供の頃経験した引越しや進学、人との出会いに、様々な影響を受けてここまできたんだということに気がついて。
アルバム制作の間にも、自分が無知で無力だということを再認識したけど、その上で誰かの影響を受けるのが心地よくて。豪文さんとのやりとりや、レコーディングを経て、勉強しながらステップアップすることができたんです。人からの影響や環境を変えるということに楽しさとか心地よさを感じるようになったということは、昔の自分にはなかった心境です。
―そういう意識の変化が、アルバムの深みに直結しているのもいいですね。
mei:タイトルの『Sway』というのも、いろいろな影響を受けて「揺れる(=Sway)」というイメージからきていて。それは、心が「揺れる」のもそうだし、自分が正しいと思うものが変わっていったり……。
“戻らない”を試聴する(SoundCloudを開く)
―価値観が「揺れる」のも含まれると。そんなふうに変わろうと決断したアルバムの最初の一節が、<時は二度と戻らない>(“戻らない”)なのもすごいなと。
mei:このアルバムの舞台は、私が生まれてからこれまでを振り返ったときに一番印象に残っていた引っ越しがてらの道、「道路」にたとえていて、その出発からゴールまでが1曲目の“戻らない”から10曲目の“冴える”までなんです。だから、歌詞の内容は日々の暮らしや過去の思い出、今までの人生についてが主です。
無駄に過ごしてしまったと思う時間、ピアノの練習を怠って破門されたこと、引っ越し先でふれくされている過去の自分、音楽をやめようと思っていた日々などを振り返って、もっと瞬間瞬間を大切にすればよかったなと思ったんです。時間は戻ってこないから。
私、「女性の脳みそをしているな」と思うことがあるんです。
―<揺れるさ>と歌詞に出てくる“蓋なしの彼”は、どんなイメージの曲なんでしょう。
mei:蓋のない人っているじゃないですか。いろいろなものを吸収して際限がないというか。そういう人に手を引かれてしまったら、絶対的に変わらないと信じ込んでいた自分の価値観も揺らぐかもしれない。それはまだまだ変わっていけるといういい傾向かもしれないし、という意味が一部込められた曲です。実際にそういう人に出会って、すぐに曲が浮かんだんですけど、メロディーと歌詞は一発目からほとんど変わっていないです。
“蓋なしの彼”を試聴する(SoundCloudを開く)
mei:曲を作るときは大抵、メロディーと歌詞が一緒に出てくるんです。そういう作り方のほうが音と言葉が耳障りがよくてマッチするので。でもそういう作り方だから、歌詞があまり説明的ではないというか、考察しないと意味が理解できない部分もあるかもしれないんですけど。
―そのすべてを言い尽くさない感じ、解釈を委ねたり、行間から情感が滲み出てくるところが、meiさんの持ち味だと思うんです。同じようなことを、永岡裕介さんの手がけたアートワークにも感じました。
mei:永岡さんは、私が主宰している『文藝誌 園』の制作で知り合ったんです。(『Sway』のジャケを手にとりながら)不思議じゃないですか? これがどこなのかもわからないし、具体的なようで抽象的。
mei ehara『Sway』ジャケット(Amazonで見る)
mei:今回のアルバムジャケットも、これまで同様自分で描こうと思っていたんですけど、キセルのおふたりや担当の仲原くん、エンジニアの中村督さんら多くの人と協力してアルバムを作っているのだから、ジャケットも自分でなくていいと思っていたので、永岡さんにお願いすることにしました。
―音楽に写真、デザインに文筆といろんな表現に取り組まれていますけど、meiさんが携わったものには、いずれも一貫したトーンを感じるんですよね。もし、自分のなかで表現に一貫したものがあるとすれば、それは何だと思いますか?
mei:うーん……(考え込む)。私、「女性の脳みそをしているな」と思うことがあるんです。具体的なことを考えるのは苦手で、それよりは感覚的というか。フィーリングを大事にするというか、そういう感覚はもっと大切にしていきたいなとは思っています。
- リリース情報
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- mei ehara
『Sway』(CD) -
2017年11月8日(水)発売
価格:2,700円(税込)
DDCK-10531. 戻らない
2. 狂った手
3. サイン
4. 蓋なしの彼
5. 頬杖
6. 道路
7. 地味な色
8. 毎朝
9. 街の様子
10. 冴える
- mei ehara
- イベント情報
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- 『mei ehara「Sway」リリースパーティー』
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2017年11月11日(土)
会場:東京都 原宿 VACANT
出演:mei ehara(support by キセル)2017年11月23日(木・祝)
会場:京都府 京都UrBANGUILD
出演:
mei ehara
夏目知幸(シャムキャッツ)
guruGURU(And Summer Club)2017年11月26日(日)
会場:愛知県 名古屋Live & Lounge Vio
出演:
mei ehara
王舟
菅原慎一(シャムキャッツ)料金:各公演 前売2,500円 当日3,000円(共にドリンク別)
- プロフィール
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- mei ehara (めい えはら)
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1991年、愛知県生まれ。学生時代、自主映画のBGM制作のため宅録を始める。その後、歌唱を入れた音楽制作に移行し、may.eという名義で、これまでに計5作の自主制作作品を発表。Yogee New Waves、nakayaan(ミツメ)などのアルバムにゲストコーラスで参加。音楽活動のほか、文藝誌『園』主宰、写真やデザインなどの制作活動も行う。活動名をmei eharaと改め、2017年11月、カクバリズムより本格デビュー。
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