旧東ドイツ出身のピアニスト、ヘニング・シュミート。どこまでも優しく柔らかく、ノルタルジックともいえる耳触りの良いピアノメロディーが日本人の琴線に触れ、全ての作品がロングヒットを記録。これまで4度のジャパンツアーも、各都市の公演が続々ソールドアウトしている。
その人気の秘訣は、サウンドはもちろんのこと、愉快で温かく、チャーミングな彼のキャラクターにありそうだ。今回、最新アルバム『Schöneweide』をひっさげ来日、18都市の全国ツアー真っ最中のヘニングさんを捕まえ、ヘニングワールドへの扉を叩いた。
静寂の中に、アルバムになった全ての音楽があったんです。
—多岐に渡り活躍されているヘニングさんですが、ピアノとの出会いはいつですか?
ヘニング:7歳のとき。当時はあまりピアノが好きでなく、僕はサッカーがやりたくて逃げ出そうとするんだけど、牧師である父の肩に担がれて無理矢理ピアノのところまで運ばれたりしてね。
14歳くらいのときかな。気になる女の子が、僕がピアノを弾くのを見て「素敵ね」と褒めてくれて。それがうれしくて、自主的に弾くようになりました(笑)。
ヘニング:僕の家庭は東ドイツにあったので、当時の状況としてピアノの先生のところに通うことができなかったんです。それで、結果的に15、6歳のころから自分で作曲をするようになりました。
—『Wolken(=雲)』『Spazieren(=散歩)』『Schnee(=雪)』といったアルバム名にもあるように、身近なもの、身近で感じたことにインスピレーションを受けて作曲をされていますよね。
ヘニング:最初のアルバム『Klavierraum(=ピアノルーム)』は、妻が妊娠中、ちょっと興奮した状態だったので、落ち着けるようにと彼女のために曲を作ったのが始まりでした。妻へのプレゼントでもあり、同時にお腹の中の赤ちゃんへのプレゼントでもあって。
—赤ちゃんにも。素敵なエピソードですね。
ヘニング:お腹の中の赤ちゃんって、ちゃんと外の音が聴こえているんですよね。生まれた後に、同じ曲を聴かせたらきちんと認識していたんです。だからお腹の中にいるうちから、赤ちゃんに良い音楽を聴かせるのはとても大事なことだと思います。
—私も妊娠中にヘニングさんの『Spazieren』を聴いていました(笑)。作曲のインスピレーションは、どんなところから得るのですか?
ヘニング:それぞれスタートポイントは違いますが、共通点があるとすれば僕は曲を作るとき、まず目を閉じて、自分のために弾くんです。それで自分の中のバランスを取るような感覚があります。
例えば今年flau(日本の音楽レーベル。ヘニング・シュミートは1stアルバムからflauでリリースしている)からリリースした、ヴァイオリン奏者クリストフ・ベルクとの作品は、はじめ全く構想がなかったんです。お互い顔を突き合わせて座って、「さぁ、どうしよう?」といった具体に。
そこで二人で目を閉じて、静寂に耳を傾けた。その静寂の中に、アルバムになった全ての音楽があったんです。だからそれをただ作り上げていくような作業でした。
Christoph Berg & Henning Schmiedt『bei』ジャケット(Amazonで見る)
—静寂の中から、何かが降りてくるような?
ヘニング:言葉で表現するのは難しいですね……。そうだな、インスピレーションって、鏡のようなものなんじゃないかな。
—鏡ですか?
ヘニング:例えばausさん(flauのオーナーであり音楽家)の音楽で素晴らしい部分があったときに、私が素晴らしいなと思って共鳴する。その共鳴というのは、美しいと感じる要素が既に僕の中にあって、それがausさんの音楽を聴くことで発見されるんです。
ヘニング:インスピレーションというのはそういう意味で、自分の中に予めあるもの。鏡のように、その美しさが発見されていくような出来事なんだと思います。
—そういう感性が、ヘニングさんの中に育ったのはなぜでしょう?
ヘニング:若いころにショスタコーヴィチ、バッハ、キース・ジャレットの曲を聴いていたとき、ときどき魔法にかかったような瞬間があって。その瞬間に曲を書き起こしたりもしていたので、もしかしたら、それも影響しているのかもしれません。
歴史がある建物の中では、僕があまり音を出さなくても良い演奏ができるんです。
—毎朝1時間散歩をするとおっしゃっていましたね。
ヘニング:ゆっくりと歩くリズムは、私の音楽のリズムなんです。歩くことによって大地と繋がることができるし、体のストレスを大地に解き放して、良いエネルギーを得ることもできる。決して走ったりしません。走ったら蛙さんや雲さんにも会えません(どちらもヘニング・シュミートの曲の題材になっている)。
—そうした話でいうと今回、季節外れの台風を日本で初めて経験されたんですよね。
ヘニング:ちょうどその日、浜松・福嚴寺でのコンサートで、中止になるか心配でした。目を閉じて「浜松でのコンサートは1回だけなので、どうか到着を1日送らせてください」と台風さんにお願いしました(笑)。
浜松・福嚴寺でのコンサート風景(撮影:Takehito Goto)
—結果、コンサートは無事行うことができたのでしょうか?
ヘニング:はい。お寺でのライブだったので、その日僕は、台風さんと初のコラボレーション演奏をすることになりました(笑)。会話のように、まず相手の話を聞いて、それにピアノで応える、その繰り返しです。
台風さんはフレンドリーで楽しかったですが、とても疲れました。2、3歳の男の子がいるのと同じような感じ。息子と初めて遊んだときのような感覚に近いです(笑)。
—台風さえも仲間にしてしまうヘニングさん。さすがです。
ヘニング:例えばコンサートで台風の音とピアノの音がコラボレーションしたように、自然と人工物との融合が、音楽なのだと僕は思っているんです。
だから、演奏をする場所もとても重要です。今回のジャパンツアーでは初めてお寺で演奏をしたのですが、父が牧師で教会に馴染みがある僕にとって、教会と同じような感覚で、とてもスピリチュアルな気分になれました。僕の音楽を演奏するにはパーフェクトな場所です。
—私が見たのは目白の明日館でしたが、あそこもヘニングさんのピアノと建物、そして観客がオリジナルの空間を創り出し、演奏を引き立てていたように思いました。
ヘニング:歴史がある古い建物で演奏するのはとても心地良いです。僕が建物に入ってまずすることは、その建物の歴史を感じること。その感じたものに対して、反応する形で演奏をします。だから毎回違う音楽になっていくけれど、歴史がある建物の中では、僕があまり音を出さなくても良い演奏ができるんです。
岡山・蔭凉寺でのコンサート風景(撮影:Shinsuke Shinohara)
—音を出さなくても良い?
ヘニング:そう。反対に、新しくて今どきのクールな建物の中だと、まだ歴史がなくて空っぽなので、それを埋めるためにたくさん音を出さなければならない。鎌倉の西御門サローネやお寺のような歴史のある場所で、少ない音色で演奏するのが僕にはピッタリだと思っています。観客がそこからイマジネーションを広げることができるし。
サローネのピアノはおじいさんだから、ゆっくり一緒に歩いていくように、優しいタッチで弾きました。
—では、演奏する演目も、その会場によって変えているのですか?
ヘニング:そうですね。基本的な演目はausさんと決めていますし、ニューアルバムの曲を入れた方がもちろん良いのでしょうが、弾いている途中で変えてしまうこともあります。ausさんには心の中で「ごめんなさい」と謝りながら(笑)。あと、今回のツアーで行った富山・nowhereの方は友達なので、即興で曲を作ったりもしましたね。
—急に演目を変えるのは、どういうときなのでしょう?
ヘニング:西御門サローネで演奏したのはおよそ100年前のグランドピアノで、大変古いものでした。演奏というのは、ピアノと話すような感覚でもあります。
サローネのピアノはおじいさんだから走れないので、ゆっくり一緒に歩いていくように、優しいタッチで弾きました。もしここで、ピアノをバンバンと叩くように激しく弾いてしまったら、おじいさんは泣いてしまう。そのように、演目はピアノと会話をしてみて変えることもありますね。
—ピアノと会話をする、という技はヘニングさんにしかできないことなのでしょうね。
ヘニング:クラシックのピアニストには難しいかもしれないですね。The Beatlesでも、100年前のピアノを弾くことはできないでしょう。僕はどのピアノに対してもフレンドリーに接することを心がけています。
—ヘニングさんの演奏は、全身全魂で語りかけるような、心のこもった優しさが印象的ですが、今お話いただいたようなことを、演奏中に考えながら弾いているのでしょうか?
ヘニング:演奏が始まる前は色々と考えますが、始まってからは何も考えず、頭を空っぽにするようにしているんです。演奏中に思考してしまうと、音から美しさのようなものが失われてしまう。
実はコンサートのとき、ほとんど目を閉じて弾いています。ふと目を開けたときに観客が見えてびっくりすることがあります(笑)。
でも面白いことに、そうやって自分の内的な世界に入っていくと同時に、観客とも繋がることができるんです。エンターテイメントとしての音楽とはまた違う形ですが、観客との関係性を、僕はそうやって作っています。
ピアニストとしての視点だけだと、いつも同じアルバムになってしまう。
—ニューアルバムについても訊かせてください。ベルリン南東の地区名「Schöneweide」(シェーネヴァイデ)をタイトルにしたのはなぜですか?
ヘニング:ひとつの理由としては、僕が使っているスタジオがその地区にあり、今までリリースしたほとんどのアルバムをそこで制作したから。もうひとつは、1950年代くらいからそこにはたくさんの音楽を制作するスタジオや、国営放送局があって、あらゆる音楽の録音やラジオの収録がされていた、そういう歴史的な場所だからです。
—「Schöneweide」での出来事や思い出から着想を得ているのですか?
ヘニング:というより、スタジオに行くまでの道のりかな。自宅からスタジオまで散歩していくことが多いのですが、その途中に蛙さんの池がある。それがとってもうるさく鳴いていて(笑)。「どうしてなんだろう?」と考え、蛙さんは自分たちの曲が欲しいのではと閃いて、3曲目の“seegrün(池の緑)”という曲を作りました。
1曲目の“mondlied”は「月のうた」で、スタジオから帰るときに浮かんだ曲です。5曲目の“für sota”は13歳の息子を勇気づけるために作りました。
『Schöneweide』ジャケット(Amazonで見る)
—アルバムの中盤から電子音のようなものが混ざったり、違った展開が感じられます。
ヘニング:ピアニストというのは、いつも同じ姿勢で、同じ角度から鍵盤を見て弾いていますよね。だけどそのピアニストとしての視点だけだと、いつも同じアルバムになってしまう。違う要素を入れることで、新しい展開を提示したいんです。
—視点を変えて、新しいことにチャレンジしているわけですね。
ヘニング:そう。カメラだって、いつも正面から撮るのではなく、様々な角度から撮りますよね。同じように僕も、色々とポジションを変えて曲を作ります。
例えば僕が日本の蛙さんを見て、自分が知っている蛙と違う、という驚きや発見がある。そういった小さな心の動きを自分のソロワークに取り入れたいと思っています。
—なるほど。
ヘニング:他にも、ピアノの弦を指でミュートしたり、音響機器を使ったり。あくまでピアノの音だけを使い、それを加工して作っていますが、そのときもソニーの古いカセットテープレコーダーを使うので、Hi-Fiでなく、Low-Fiな音色になる。それが新しい視点になるんですね。
—アルバムをSide AとSide Bに分けているのはなぜですか?
ヘニング:僕はアナログレコードが大好きなんです。音が良いのはもちろんですが、20分ごとに面と裏と変えなければならない。side Bを聴くかどうか委ねられているのが良いですよね。もちろんこの作品はCDだから面と裏は変えられないけれど(笑)。
あと、僕が初めて聴いたシングルがThe Beatlesの『Let It Be』で、そのB sideが“Revolution 9”だったんです。Side Bがめちゃくちゃエクスペリメンタルだった。それと同じで、このアルバムのSide Bにエクスペリメンタルな展開を感じてもらえたらと思っています。
フランスのシンガーと、ポストシャンソンのリリースを予定しています。
—本国ドイツやヨーロッパでは音楽監督、編曲なども務められているようですが、最近の音楽活動について詳しく教えてください。
ヘニング:ソロコンサートはもちろん行ないつつ、コラボレーションもあります。今はギリシャのシンガー、マリア・ファラントリーと一緒に活動していて、次はヘルシンキでコンサートがあります。他に映画やテレビ番組用の楽曲制作もしますし、今度トルコのチェロプレイヤーと一緒に演奏する予定です。実にバラエティーに富んだ様々なプロジェクトがあります。
—中でも力を入れているもの、特に気に入っているプロジェクトはありますか?
ヘニング:うーん。それを答えるのは難しいですね。プロジェクトごとに、視点が色々と変えられるから。あるときはソロ、あるときはシンガーと一緒、あるときは曲のアレンジをしたりして視点を変えられることは面白いし、新しいインスピレーションが得られる。
例えばflauのオーナー、ausさんとのプロジェクト「HAU」だったら、また自分の違う部分が開いてくる。僕にとって、音楽とは会話のようなものなんです。
—ヘニングさんのソロアルバムはいかがでしょう? これまで通りのペースだと、2019年にニューアルバムの到着が期待できそうでしょうか?
ヘニング:今はまず、フランスのシンガー マリー・セフェリアンと「Nu(フランス語で「私たちという意味)」というユニット名で、ポストシャンソンのリリースを予定しています。もうデモはできているので、2018年には完成するかな。このアルバムで僕はハーモニウムとピアノを弾いています。また新しい挑戦ですね。
—ヘニングさんのボーカル入りのアルバムは、日本でのリリースは初めてではないでしょうか。楽しみに待っています!
- リリース情報
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- ヘニング・シュミート『Schöneweide』
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2017年9月20日(水)発売
価格:¥2,160(税込)01. mondlied
02. kühle lippen
03. seegrün
04. den hügel hinauf
05. für sota
06. plötzlich froh
07. behütet
08. blauer wind
09. barfuß laufe ich
10. aus voller Kraft
11. kann dich schon sehen
12. verstreute kirschen
13. immer noch
14. frühlingsregen fällt
15. weißer dunst (cd bonus track)
- プロフィール
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- ヘニング・シュミート (Henning Schmiedt)
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1965年生まれ、旧東ドイツ出身のピアニスト、作曲家、編曲家。早くからジャズ、クラシック、ワールドミュージックなどジャンルの壁を超えた活動を先駆的に展開。80年代中盤から90年代にかけて様々なジャズ・アンサンブルで活躍後、ギリシャにおける20世紀最大の作曲家と言われるMikis Theodorakis(ミキス・テオドラキス)から絶大な信頼を受け、長年にわたり音楽監督、編曲を務めている。今年バイオリン奏者Christoph Bergとのデュオ作「Bei」とソロアルバム「Schöneweide」と共に全国19公演のロングツアーを開催。名指揮者クルト・マズアも一目置くという個性的なアレンジメントやピアノ・スタイルは、世代を超えて愛されている。
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