自分を偽らずに、作り続ける。それは、アーティストにとって、最も大切で、最も困難なことかもしれない。音楽、写真、文章と、多彩なフィールドで活躍する世代の異なる三人が集まり、それぞれの創作に対する姿勢を語り合った。
集まったのは、ベストセラー書籍の作家でも知られる、年末恒例のライブを控えた、TOKYO No.1 SOUL SETの渡辺俊美と、近頃はビックバンド編成から弾き語りまで、さまざまな活動で自分を表現し続けているミュージシャンKeishi Tanaka。そして福山雅治やジョー・ストラマーら、国内外のミュージシャンの肖像でも知られる写真家のハービー・山口。表現の世界で生きる者たちが見つめる、これからの生き方、創作活動とは?
人のため……。それを漢字で表すと「偽」って字になるんですけど……。(渡辺)
—まず2017年のトピックを振り返りながらのお話を。Keishiさんは地元北海道での小さなフェスがとても印象深かったとか。
Keishi:『宇宙の森フェス』のことですね。今年はアルバムのリリースツアーもあったし、37本の弾き語りツアーもやって、印象深いライブがたくさんありましたが、生まれた町で歌うというのは特別ですね。今年で2回目でした。
ハービー:大樹町には泊まったことがあります。素敵なところですよね。長男次男が中学生ぐらいまでは北海道旅行を毎夏していましたから。
左から:渡辺俊美(TOKYO No.1 SOUL SET)、ハービー・山口、Keishi Tanaka
Keishi:本当ですか! ラーメン屋が三軒、焼肉屋が一軒、みたいな小さな町なんですが、まさかそこで音楽フェスが始まるとは思わなかったから本当に嬉しかったですね。
きっかけは20代半ばの地元の女の子が「音楽フェスをやりたい」と連絡をくれたことで、若者のグループが実行委員会をやっているのがいいな思いました。それでアーティストのブッキングを協力したんですが、1年目はカジヒデキさんや荒井岳史さんが来てくれて、今年は曽我部恵一さんやbonobosの蔡さんも来てくれました。参加者が「すごくいいフェスだね」って言ってくれるのが嬉しかったです。
ハービー:なるほど。そういった活動を通じて、Keishiさんが人に伝えたいことはあるんですか?
Keishi: 20代の頃は流行りを意識することも必要だと思うのですが、歳を重ねると、そうじゃない部分で自分が何をしたいか、実際に何をしてるかということがどんどん重要になってくると感じてます。好きなことを続けるためにどうしたらいいか。挑戦し続けることで伝えられることがあると思っていて。いまは自分のために音楽をやっているけれど、それが人のためになるならば最高だなって。
ハービー:俊美さんは、人々に何を伝えるために音楽をやっています?
渡辺:人のため…。それを漢字で表すと「偽」(人為)って字になるんですけど…。
ハービー:ほー、それは深い。
渡辺:ええ。でも、それって本当の偽りなのか? 人のための活動は自分のためなのか? その葛藤が3月11日の東日本大震災までずっと心の中にありました。でも、震災以降、「人のため」なんて思わなくても行動に移しちゃっている自分がいて。
それまでいろんな情報を気にしていたけれど、それがなくなり、ギターや歌の上手さもどうでもよくなった。「どうやったら伝わるか」だけ考えるようになりました。
—福島県出身のメンバー(松田晋二、箭内道彦、山口隆、渡辺俊美)で構成された猪苗代湖ズでは、9月に福島の猪苗代湖で初ワンマンがありました。
渡辺:はい、1年前から準備しました。普段バラバラのメンバーが、ワンマンはたくさんの人を集めようと考えて、Twitterでの会話をぜんぶ福島弁でやったんですよ。そしたら、その輪に人がどんどん入ってきました。やっぱりバンドの仲がいいと人は集まるんだってまざまざとわかりましたね。
—バンドの活動も震災の前からだから、もう長いですね。
渡辺:7年になりますね。でも普段は会っていないし、これまでも四人で探り探りやってきました。だから僕らは活発な活動もしない代わりに、解散もしないかもしれない。そういうあり方も一つの形だなって。
人は皆、人の役に立てる特技や考えを持っているはずです。(ハービー)
—ハービーさんは、ルクセンブルクで撮影された写真集を12月に発売されました。
ハービー:ルクセンブルクと日本の国交90周年を記念した写真展を日本の大使館で開催して、大公さまをお迎えしました。国賓として11月に来日されたんです。
ハービー・山口の写真集『TIMELESS IN LUXEMBOURG 1999-2017』
—ルクセンブルクのアンリ大公は1999年以来、2度目の撮影だそうですね。
ハービー:今回、東日本大震災直後の人々の姿を撮った写真集『HOPE 311』をお見せしたら、「あなたはこういうときでも人の希望を撮るんですね」と言われました。まさしく「希望」は僕のテーマなんです。
—人々の素を撮ることで希望を生む……。
ハービー:ええ。かつて何度もリストカットを繰り返していた若い女の子が、僕の写真展に来てくれて、写真を見たら元気が湧いたと。「これからは自殺は考えず、できることを探して生きていきます」と伝えてくれた。
それを大公さまにお話したら「国を治める自分も、国民一人ひとりの幸せを祈っていますが、写真家も同じ気持ちなのですね。そして、あなたは心でシャッターを押しているから、人を救えるのでしょう」と。こんな素晴らしい言葉をいただいたんです。
ハービー・山口が撮影したルクセンブルクの写真(写真集『TIMELESS IN LUXEMBOURG 1999-2017』収録)
渡辺:うわー、素敵ですね。
ハービー:人は皆、人の役に立てる特技や考えを持っているはずです。それを見つけて一生懸命努力する。そうして人の役に立つのが人間として一番幸せなのだと思います。写真家だろうがミュージシャンだろうが、表現をしている人は、人の心を元気にするのが仕事なんですよ。
自由が一番難しいということも学びました。(渡辺)
—どうすれば、人の心に届く活動ができるんでしょう?
Keishi:狙ってやれることじゃないですよね。だから、子どもを見ているだけで、学ぶことってたくさんあります。何で子どもの絵には、これほど心動かされるんだろう? それはもう僕らにはできないのか? まだそうやって音楽を作っていたい、とよく思います。
渡辺:そうだよね。このあいだ福島のお祭りでソロライブやったんですけど、その前に子どもたちと雪合戦をして、本気で負かしちゃったんですよ(笑)。そしたら、俺のことは何にも知らないと思うんだけど、みんなライブですっごい応援してくれた。真剣に遊ぶと、それぐらい返ってくるんだと子どもから教わりました。
—皆さん、純粋な気持ちをずっとお持ちですよね。
渡辺:音楽も映画もそうですが、日本を越えて世界レベルで考えるという意識も、僕はずっと大事にしてきたことです。「どこかで誰かに見られている!」みたいな気持ち。それは、国内のレベルで考えるとヘンに小さくなっちゃう。
—原宿のアパレル時代にモヒカンだったのも、「誰かに見られている」という意識から?
渡辺:あはは。それは東京に出て来たときに、「原宿で成功しないやつはどこでも成功しない」と思って、とりあえず目立ってやろうと思ったんです。剣道を長くやっていて、国体にも出たけど、規則の厳しい世界で僕には合わなかった。そこからファッションやクラブの仲間たちができていって。でも同時に、自由が一番難しいことも学びました。
ハービー:僕はロンドンに10年いたんです。すごく貧しかったけれど、自由でしたね。自由は、「流行に乗らないと自分は売れないかもしれない」というプレッシャーからの自由。確かに流行に乗れば、日々の仕事は入ってくるかもしれない。けど、自分のスタイルを貫くことが大事なんです。
ただ、仕事がなかったので、初めてお金をもらったのは写真ではなく、ツトムヤマシタさん主宰の劇団からでした。オーディションに受かると若干のお給料が出てビザが伸びるんです。それで100回は舞台を踏みましたよ。それでも、写真こそが最重要だった。
Keishi Tanakaをモデルに写真を撮影するハービー・山口
—まだ無名のBoy George(Culture Club)と同じフラットに住んでいたんですよね?
ハービー:デビュー前に一緒に暮らしていた時期がありました。彼が大家さんに「電気代払いなさいよ!」と言われている姿を撮ったこともあります。その写真を、1983年に来日したときに、おそるおそる渡したんです。
「こんなもの見たくない」と破かれるかと思った。でも、「あのときのだよね! 僕は一朝一夕で有名になったんじゃない。みんな信じなかったけれど、いろんな苦難を経験してきたって証拠を、ハービーが残しておいてくれたんだ!」って見せてまわってました。
名もない頃、いわば女形の彼は人から唾を吐かれたり、石を投げられたりしていたこともある。新しいムーブメントを作るときは必ず保守的な社会から叩かれる。孤独だけど自分を貫いたからこそ、認められたわけですね。
渡辺:ハービーさんの本『良い写真とは?』もそうですよね。けっして自分の姿勢を崩さない。上から語るでもなく、撮りたいすべての人の気持ちにすごく寄り添っていると思いました。
ハービー:僕は小さい頃に腰を悪くして中学生までずっとコルセットをつけていた。体育の授業にも出られず、希望のない少年で。だから弱い立場の目線で生きていると思うんです。
渡辺:なるほど。だから「どうだ!」っていう高圧的な写真や言葉がないんですね。
ハービー・山口『良い写真とは? 撮る人が心に刻む108のことば』(詳細はこちら)
ハービー:ロンドンではこんなこともありました。1980年、The Clashのジョー・ストラマーさんに地下鉄の中で偶然出会って、たどたどしい英語で「撮っていいですか?」と正面からお願いしたんです。その態度に何か言ってやりたいと思ったんでしょう。「撮りたいものは撮るんだ。それがパンクだ!」と言ってくれた。なぜ言ってくれたのかをよく考えます。もう他界されたけど、「お前が真剣だったからさ」って言ってくれる気がしますね。
表現者は、楽しさも苦しさも全部作品になる。(渡辺)
—自由を得るには、自分自身を貫く必要があるんですね。なかなか難しいことだと思いますが。
Keishi:一方で「いま思えば」ということが最近は結構あります。バンド時代には、出たくないイベントがあったり、メジャーレーベルを断っていた時期がありました。けれど、それって自分たちが変わってしまうかもしれないから、ビビッていたから、ということもあるんじゃないかとふと思ったりします。けど後悔してるかと言われたらそれはなくて、このやり方でしか得られなかった感動の方が多かったと思ってるし、自分にはあっていた。だから、自分を貫くのは環境ではなく、自分次第ですよね。
—ほかの選択もあったと思えるのは、積み重ねがあってこそだと思います。
Keishi:近頃は音楽という選択肢のほかに文章を書く仕事も増えて、雑誌で連載を持っています。それが自分の中で音楽に活かせている気がするんです。内容というより、気持ちが外向きになることが重要だなと。なんでもやってみる気持ちが大きいですね、いまは。
Keishi Tanaka(Keishi Tanakaオフィシャルショップはこちら)
Keishi Tanakaの詩集「真夜中の魚」(詳細はこちら)
ハービー:僕はさっき言った舞台の経験が、自分の心に活かされています。それが写真にも反映されました。いろいろな分野の活動をするのは、絶対に心を豊かにしますよ。
渡辺:僕もかつてはレコーディングが終わったら洋服屋に戻るという、いいリズムで活動していて、40歳をすぎてからは音楽一本でやってきました。でもお弁当の本を出したりもしている。そういうリズムを自分で自然と作っている気がするんですよね。
—『461個の弁当は、親父と息子の男の約束。』はベストセラーになり、ドラマ化やコミックにもなりました。息子さんへのお弁当作りは音楽制作に影響があるんですね。
渡辺:あの本を出してから「お弁当のレシピ本は儲かるから、そちらに力を入れたら?」といつも言われるんだけど、それは違うなぁって(笑)。僕は弁当作りも何かの表現だと思ってやっていたから、無駄だとは思っていないんですけどね。
渡辺俊美著の『461個の弁当は、親父と息子の男の約束。』(詳細はこちら)
ハービー:確かにそうですよね。表現者にとっては、何でも糧になります。
渡辺:楽しさも苦しさも全部作品になっちゃう。Keishiがさっき言っていた、「若かった」とか「弱かった」ことも。ただし、それにはやりきる勇気がいりますね。ジョー・ストラマーがいってたんですが、「犬一匹でもファンがいたら俺はやる!」と。僕もそういう「やりきる人間」になりたい。
僕はいま67歳だけど、いまが一番楽しい気がします(ハービー)
—ご自身の成長ももちろんですが、俊美さんの世代になると、次の世代に対して「何かを残す」「つなげる」ということも意識されるのではないですか?
渡辺:自分の役割はつねに意識してますね。僕らの上の世代や、過去の映画や音楽に興味を持ち続けて、それを下の世代につなげようとはいまも努力し続けています。
渡辺俊美(渡辺俊美オフィシャルショップはこちら)
Keishi:俊美さんの次の世代が僕たちだと思うんです。俊美さんと同じくカジヒデキさんやCHABE(松田岳二、NEIL & IRAIZAのパーカッション担当)さんのように、いろんな音楽を聴き込んで生み出し続けている人たちが近くにいて、僕はとても恵まれていると思います。
—ハービーさんにとっての写真も同様ですよね。福山雅治さんが写真を撮るきっかけになったり、布袋寅泰さんとつながりがあって。
ハービー:福山さんは、もともとは1994年にジャケットを撮られた植田正治さん(鳥取県出身の写真家、1913年—2000年)に感銘を受けたようなんです。植田さんは当時80歳のおじいちゃんだけど、鳥取砂丘で楽しそうに自分を撮ってくれている姿を見て、「写真ってそんなに楽しいのか」と感心されたようで。それで、ツアーの撮影で同行していた僕に、色々と聞きに来てくれたので、一緒に中古屋さんでカメラを選んだり、暗室を貸したりしましたね。
布袋さんはBOØWY時代にベルリンやロンドンでの撮影が印象深いです。彼はいまロンドンに住んでいるけど、テムズ川にかかる鉄橋のそばに来たときに釘づけになったと、ブログで回想しています。それは僕が若い布袋さんたちをつれて撮影した思い出の場所。あの場所で未来を見つめていたんですね。
—他の活動や人の出会いがいまの活動につながっているんですね。そうした積み重ねを踏まえて、これからはどういった目標を持って活動していかれるのでしょう?
Keishi:お二人の話を伺って、「信じることを貫くこと」が重要だとすごく感じました。やり続ければ、まず自分が楽しんで生きていけるし、次に誰かに影響を与えることもできるかもしれない。
渡辺:「新しい自分を見たいのだ──仕事をする」。これは、人間国宝の陶芸家、河井寬次郎さんが残している言葉で。好きなことをやるのも仕事なんだろうけど、人に求められることをすることで新しい自分が見えたんですよね。これから、自分はその変化をどんどん見てもらいたいなと思います。
ハービー:僕は67歳だけど、いまが一番楽しい気がします。人間には、いくつかのロケットがあって。第1に、「青春」というロケットがある。第2のロケットは社会の中での自分が確立する40歳くらいの時期。それが60歳になって定年で終わりではなく、やってきたことすべてが燃料になり、第3、第4のロケットが飛ぶんです。
今年、ロンドン時代に撮ったパンクロックに関する写真を集めて、パリで個展を開く機会がありました。すると、それを見た人から「来年はロンドンで展示してほしい」と声をかけてもらって。生きている限り燃料は溜まります。だからこれからも、純粋に自分の心から出てきたものを創作し続けていきたいですね。
- リリース情報
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- 『良い写真とは?撮る人が心に刻む108のことば』
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2017年3月31日(金)発売
著者:ハービー・山口
価格:1,728円(税込)
発行:スペースシャワーネットワーク
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- 『Timeless in Luxembourg 1999-2017』
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2017年12月6日(水)発売
著者:ハービー・山口
価格:3,780円(税込)
発行:SUPER LABO
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- 『461個の弁当は、親父と息子の男の約束。』
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2016年2月12日(火)発売
著者:渡辺俊美
価格:1,620円(税込)
発行:マガジンハウス
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- 『真夜中の魚』
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2017年4月14日(木)発売
著者:Keishi Tanaka
価格:2,000円(税込)
発売:シンコーミュージックエンタテイメント
- イベント情報
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- TOKYO No.1 SOUL SET『IN THE ROOM』
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2017年12月29日(金)
会場:東京都 恵比寿LIQUIDROOM
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- 『YY NEW YEAR PARTY -ワイワイニューイヤーパーティー-』
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2018年1月13日(土)
会場:東京都 新宿LOFT
出演:
bonobos
Keishi Tanaka
Nabowa
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- Keishi Tanaka presents ROOMS
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2018年1月21日(日)
会場:東京都 原宿 VACANT -ONE MAN-
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- FRONTIER BACKYARD × KEISHI TANAKA
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2018年2月18日(日)
会場:東京都 新代田 FEVER
ライブ:
FRONTIER BACKYARD
Keishi Tanaka
DJ:
TGMX
TDC
Keishi Tanaka
- プロフィール
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- ハービー・山口 (はーびー・やまぐち)
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1950年東京生まれ。東京経済大学経済学部卒。長きにわたるロンドン生活を経て、アーティストとのコラボレーションから市井の人々のポートレートまで一貫した作風を見せる。エッセイ執筆、ラジオやテレビのパーソナリティーをつとめる。写真集、著作多数。近刊に『良い写真とは?撮る人が心に刻む108のことば』『TIMELESS IN LUXEMBOURG 1999-2017』など。
- 渡辺俊美 (わたなべ としみ)
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福島県川内村出身。TOKYO No.1 SOUL SETのVo&Gtであり、福島県人バンド「猪苗代湖ズ」でもBass担当として活動。2011年にはNHK紅白歌合戦に出場。2014年にエッセイ本「461個の弁当は、親父と息子の男の約束。」を発表し、ベストセラーに。翌年にはNHK BSプレミアムでドラマ化。さらにビッグコミックスよりコミック化。2016年、大根仁監督、福山雅治主演映画「SCOOP!」の主題歌を担当。さらに、東日本震災から5年。震災復興の活動で大空に飛ぶ花と復興への想いを表現したANA「東北FLOWER JET オリジナルソング」の作詞・作曲を手掛ける。2017年はフェスやイベントに出演し、11月にはKOYABU SONIC 2017に出演。年末恒例となったライブTOKYO No.1 SOUL SET presents「IN THE ROOM」が12月29日(金)恵比寿LIQUIDROOMにて開催される。
- Keishi Tanaka (けいし たなか)
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北海道大樹町出身のミュージシャン、田中啓史(たなかけいし)。 大学入学と当時に東京へ上京し、学生時代の仲間と共に5人組のインディーズバンド、Riddim Saunterを結成。ヴォーカルとして2002年頃より活動し、メンバーの脱退、新メンバーの加入などを経て、FUJI ROCK FESTIVAL、SUMMER SONICをはじめ、数々のフェスに出演。同時に、カジヒデキとリディムサウンター、THE DEKITSなど様々な名義でも活躍していた。そして2011年9月3日、中野サンプラザ公演をもってRiddim Saunterを解散。バンドの解散後、ソロのシンガーソングライターとしてKeishi Tanaka名義で活動をスタートし、細部にこだわりをみせる高い音楽性を持ちながら、様々なラジオ局でパワープレイに選ばれるなど、幅広い層に受け入れられる音楽であることを証明してみせた。最大10人編成で行われるバンドセットから弾き語りまで、場所や聴く人を限定しないスタイルで活動中。
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