現代アートシーンの大きなうねりのなかで、自由の象徴にも見えるアーティストは、果たして自律的な活動を行えているのか。むしろそこには、暗黙のうちに制作を制限する「透明な網」があるのではないか。
そんな問いを掲げた展覧会『Interdisciplinary Art Festival Tokyo 17/18』(以下、『IAFT』)が、小金井アートスポット シャトーを中心とする複数の会場で3月16日より開催される。『IAFT』は、アーティストでディレクターの韓成南が、既成の枠から逸脱する作品を紹介しようと、2009年から自主的に組織してきた発表の場。「Transparent Nets」(透明な網)がテーマの今回は、日本、韓国、台湾、マレーシアの4か国から集められた13組のアーティストが、内容的にも形式的にも挑戦的な作品を展示する。
在日コリアンという「狭間に生きる存在」として、「名づけ難いものへの愛着がある」と語る韓。彼女が考える日本のアートの問題点とは? 展覧会の会場のひとつである「Musashino はけの森カフェ」で、その思いを訊いた。
本気で「現状や社会を変えたい」と思っている作り手を紹介したい。
—今回の『IAFT』は、東アジアの作り手を中心に集めた珍しい枠組みの展覧会ですね。2009年から活動を続けていますが、まずはその背景にある日本の現代アートへの問題意識をお聞かせいただけますか?
韓:21世紀に入ってから、特に顕著な傾向なのですが、欧米で先行する現代アートの理論をなぞった作品が評価されていますよね。もちろん文脈は重要ですが、それを教科書的に意識しすぎた作品が多いと感じます。
ある程度アートを知っている人なら、「これはあれを意識した作品だな」と、すぐにわかってしまう。「わかること」は鑑賞する楽しみのひとつでもあるのですが、元の作品を超えようとするわけでもなく、ひねりのない作品が目立っていると感じていて。
—ある種、評価のされ方を先取りして作られたものが多いということですね。
韓:そうですね。ひとつに、たとえば「美術館に展示されるには、こういう作品を作ればいいだろう」という発想がある。現代美術という枠組みへの媚びだと思うんです。
アーティストとは、システムのルールから逃れ、表現を通じて社会に問題提起をする存在だと思っています。作品を通じて、本気で「現状や社会を変えたい」と思っている作り手を紹介したいという思いが、『IAFT』の土台にあります。
『IAFT』が参加した台湾『OSMOSIS fest』での韓成南のアートパフォーマンス『人間を演じるということについて』
韓:もうひとつは、2009年に活動を始めた頃、演劇は劇場、映画は映画館という枠組みがある中で、アーティストが自分で拓いた表現を発表する場所がない状況をよく目にしたんです。たとえば私は映像作品を作るうち、次第にパフォーマンスや演劇と重なる表現になっていったのですが、同じようにアーティスト独自の表現が生まれることがある。そんな美術館では扱いにくい、名付け難い表現を見せたいという動機もあります。
—近年、「ジャンル横断的」という表現はよく聞かれますが、まだそれを受け止める環境は十分ではないということですか?
韓:ええ。昨年の『ヴェネツィア・ビエンナーレ』でドイツ館が金獅子賞を受賞した、アンネ・イムホフによる『ファウスト』という作品がありましたよね。会場にガラスを張り巡らせ、複数の生身の人間のパフォーマンス自体を「展示」したものですが、こうした作品を日本の美術館で展示できるかというと難しい。つまりハードルがあるんです。
韓:内容の面でも、今回『IAFT』に出品しているアーティストは、美術館で規制されかねないものを作っていたりします。また、日本の芸術祭で同じようなアーティストの顔ぶれが並んでいる点も、問題だと思います。
—たしかに芸術祭では、主催者が扱い易いアーティストが呼ばれる傾向があるように感じます。それがひとつの実績となり、「安心な存在」としてまた他の芸術祭にも呼ばれるという構造はありますね。
韓:そこには主催者側の、「集客したい」という意図がありますよね。芸術祭で「この人は見たことないから行ってみよう」という鑑賞者は少ないと思います。要するに、安心感がほしいのですが、じつはそのシステムから外れたアーティストにこそ、現代性があるのではないか。
今回の『IAFT』では、「規制の対象になりかねないけど、この人こそ現代アートの文脈に乗ったほうがいいと思う人」を取り上げているんです。他の芸術祭と同じことをやっても、意味がないですからね。
日本を飛び出してアートの世界に入る人が少なかったり、国外で活躍するための世界的な視野の乏しさはどうしても感じます。
—ラインナップで言えば、東アジアのアーティストを中心にしている点もユニークです。2017年に森美術館で開催された『サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで』展など、近年ではアジア圏の現代アートが紹介される機会も増えてきていますが、まだ日本や欧米のアーティストに比べると少ないように感じます。
韓:私は、アジアのアーティストがそこまで扱われていないという意識はないです。だけど単純な話、紹介されたとしても日本では注目されないんですよね(笑)。
—それはなぜだと思いますか?
韓:日本と世界のあいだに、認識のギャップがあるんじゃないでしょうか。今回の展覧会では韓国、台湾、マレーシアのギャラリーと共同キュレーションをしていますが、日本では知られていないアジアのアーティストが欧米でとりあげられることは結構あります。
日本を飛び出してアートの世界に入る人が少なかったり、国外で活躍するための世界的な視野の乏しさはどうしても感じます。欧米の有名アーティストの作品にはありがたさを感じるけど、近隣の国には興味を抱かない。言い方は悪いですが、「日本の方がいつまでも上だ」という意識がどこかにあるのかなとは思います。
『Interdisciplinary Art Festival Tokyo 16/17 Performance, Screening and lecture in Singapore』での韓成南のパフォーマンス『Blue on the face』
『Interdisciplinary Art Festival Tokyo 15/16』での瀧健太郎のパフォーマンス Photo by Miyuki Iwasaki
—でも、その認識は現状とズレている。
韓:マーケットは中国の方が大きいですし、欧米の大手ギャラリーがアジアに進出する場合、日本を飛ばして中国や韓国に行く状況がありますね。2016年にスイスの『アート・バーゼル』に行きましたが、海外のアートフェアでの存在感も中国や韓国の方が目立っている気がします。
韓国の場合、国を挙げてアートを応援しているということもありますね。国も狭いし人口も少ないので、危機感が強い。それに比べると、日本は文化予算の配分を平等にしようという意識が強いので、突出することが難しいのかもしれませんね。
自分の国を持たない存在だという意識は原点にあります。そういう存在だからこそできることをやりたい。
—東南アジアでは、アーティストが自ら発表の場を運営する「アーティスト・ラン・スペース」が増えているとも聞きます。その背景には、公共の美術館などが少ないという状況もありますが、そうした自主的な動きは世界的に見ても面白い傾向ですよね。
韓:変な表現ですが、東南アジアのアーティストはみんな意外としたたかなんです。内容的にも、自分たちの文化的な背景を踏まえたアプローチが多い。たとえば、今回出品しているアイシャ・ビンティ・バハラディンというマレーシアのアーティストは、イスラム圏の国として、その民族衣装を着てパフォーマンスをしています。彼らはバックグラウンドを見せずに洗練されたものを作ることもできるけど、むしろアイデンティティーを利用しようとしている。
韓:もちろん、これは欧米主体の価値観によるエキゾチズムと表裏一体ですが、そこに添いつつも、価値を転倒させるためには、アジアの国々で相互に盛り上げて、意識し合う努力は必要だと思うんです。欧米とアジアのどちらが上ではなく、面白いものは面白いという状況を醸成するためにも、何十年かけても虎視眈々とやらないといけない。
—その考えには韓さん自身のアイデンティが関わっているのでしょうか?
韓:それはすごくありますね。私は在日コリアン3世で、日本で生まれ育ちましたが国籍は日本ではない。隙間の存在であることが、『IAFT』の取り組みにも自分の作品にもつながっていると思います。
活動や生活の中では、助成金に応募するとき「日本国籍を有する者」という表記に困ることもあるけど、より小さなことで違いを感じることが多くて。サッカーの日韓戦のときに、「日本と韓国どっちを応援するの?」と聞かれたり(笑)。
—ベタな質問ですね(笑)。
韓:私は「弱い方」と答えるんです。弱い方が勝った方が面白いから。自分の国を持たない存在だという意識は原点にあります。でもそれを乗り越えて、そういう存在だからこそできることをやりたいですね。
『Interdisciplinary Art Festival Tokyo 16/17 Performance, Screening and lecture in Singapore』での西山修平のパフォーマンス『Audio-Visual Konfusion 』
アーティストの無意識の規制を外せたらいいなと思う。
—あらためてお伺いしますが、『IAFT』は基本的に、韓さん個人を中心にそのつどメンバーや発表の場所を変えていくというかたちで運営されているのですか?
韓:そうです。私は美術大学の出身者でもないので、仲間内で立ち上げたわけではないんですね。資金も毎回ゼロから集めています。場所も、前回の『IAFT 15/16』では都心の複数のスペースが会場でしたが、今回は駅でいうと武蔵小金井。中央線になじみがない方には、ピンと来ないかもしれませんが、散歩するととても楽しいところです。未公開エリアを含めた4会場がとても個性的なんです。
毎回、場所を探してお借りして……、というのは正直大変ですが、ひとつの場所を持たないからこその面白さもあると思うんです。場所を固定してしまうと、作品の大きさや適したアーティストも、ある程度は決められてしまうから。その点、今回は「はけの森美術館附属喫茶棟」にある茶室や屋外の森、廃墟のようなスペース、あるいは会場と会場のあいだの生活圏の路上を利用したりと、この場所でしか見られない大胆な作品に出会えるはずです。今回、映像作品が多いので、鑑賞していくと時間があっという間に過ぎてしまうと思います。
—アーティストにはどのようなオファーをしたのでしょうか?
韓:タブーに挑戦してほしいと伝えました。韓国は「性」、マレーシアは「環境」、台湾は「政治」というようにテーマはバラバラですが、本当に心から作りたいものを作ってほしい。やっぱり、アーティストの無意識の規制を外せたらいいなと思うんです。
リン・ウェイルン『sleeping practice: balloon & needle』(2016年)
アイシャ・ビンティ・バハラディン『CEMAR (POLLUTE)』(2018年)
—一貫しているのは、社会や開催者や会場の都合、あるいは、それこそ文脈に無闇に合わせるのではなく、あくまでアーティストの動機に寄り添う点だと感じます。
韓:それは、私自身がアーティストだからだと思うんです。「こういう作品なら売れる」とか、逆に「怒られるんじゃないか」「誰も見てくれないんじゃないか」とか……、そうした考えを取り払うことが、私がアーティスト寄りの人間としてできること。
たとえば今回、飯村隆彦さんは、時間についての映像作品を出してくれますが、普通の作り手なら躊躇してしまうほどストイックな作品なんです。フィルムもビデオも使うのですが、共通するのは物語を通してではなく、メディアの構造自体への問いかけによって社会について考える作品を作られている方ですね。
飯村隆彦『1 To 60 Seconds』(1973 / 2010年)
韓:普段は野外活動家の二名良日さんは、70歳半ばですが、無人島生活をしたりしている面白い方です。テレビ出演でも知られていますが、現代アートの分野でも活動していて、すごくスケールの大きな作品を作るんですよ。今回は植物を挑戦的に扱う作品を展示してくれます。
韓:他に日本では、過去の『IAFT』でオルタナティブ人形劇団「劇団★死期」の公演を一緒に行った岡田裕子さんなども参加してくれます。
岡田裕子『Right to Dry -洗濯物を干す権利-2016』(2016年)
ある逸脱したものを見たとき、「何かまずいんじゃないか」と感じさせたのは何なのか。それは私たちが勝手に設けたものかもしれない。
—韓さん自身は、どのような作品を?
韓:私は以前、某ファストファッションの短期派遣社員として働いていて、そこで経験した出来事をベースにした映像作品を展示します。日本では会社員の普段の生活に、直にアプローチする作品をあまり見かけないように感じているんです。
そうした生活の中の思いも、より社会的なテーマも、もっと多くの人が直接表現していいんじゃないか。アジアの現代アートが世界で認められていくには、批評性のある作品がもっと必要なのではないかと考えいています。
また、規制の話に戻ると、時代はそれとは異なる節目にあると感じますが、さまざまな規制の意識は、さまざまな立場から生まれ、変幻自在に変わるものだと思うんです。たとえばある逸脱した表現を見たとき、「何かまずいんじゃないか」と感じる。そう感じさせたのは何なのか。もしかしたら、それは私たちが勝手に設けたものかもしれない。
韓成南『Compliance Level 0』(2018年)
—まさに今回の『IAFT』のテーマとなっている「透明な網」ですね。
韓:「透明」という存在の想定は面白くて、「透明」と言った瞬間、逆に何かが目の前にあると感じさせてしまう。違和感を超えてしまうと、どこか笑えてくるものってありますよね。例えばホラー映画を見続けて慣れてしまうと、血しぶきが笑えるものになってしまうように。
その意味で今回の展覧会は、私たちが何気なく設けてしまっていたものに、新鮮に向き合ってもらえる場所になるんじゃないかなと思います。何か特別に、過激なことがしたいわけではなくて、真摯な気持ちで作家が作りたいものを見せられる場所。「これ」と決まっていないゆるやかな場所として、『IAFT』を育てていければと思っています。
- イベント情報
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- 『Interdisciplinary Art Festival Tokyo17/18』
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2018年3月16日(金)~3月25日(金)
会場:東京都 小金井アートスポット シャトー、Musashinoはけの森カフェ、美術の森、他
料金:800円
※3会場と特別エリア共通、再入場不可参加作家:
飯村隆彦
二名良日
岡田裕子
西山修平
韓成南
イ・ヨンジュ
ヨ・イニョン
リオル・シャムリッツ
リン・イーチ
ツァイ・ウェイティン
リン・ウェイルン
アイシャ・ビンティ・バハラディン
ゴー・リー・クァン
- オープニングパーティ
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2018年3月16日(金)18:00~20:00
価格:1000円(軽食・ドリンクあり、入場料別)
参加アーティストと共にリラックスした雰囲気でお楽しみください。
- 海外アーティスト、ギャラリストによるトーク
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2018年3月17日(土)18:00~20:00
1ドリンク制(入場料別)
韓国、台湾、マレーシアのアーティストやギャラリストが、アットホームな雰囲気で作品を解説します。
- IAFTセレクションのアーティストによるトーク
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2018年3月21日(水・祝)18:00~20:00
1ドリンク制(入場料別)
IAFTディレクターの韓成南氏や出品作家である岡田裕子氏等、作家自身が展示作品を中心に様々なことをお話します。主催:インターディシプリナリー・アート・フェスティバル・トウキョウ
- プロフィール
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- 韓成南 (はん そんなん)
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記号論(言語・色・音・映像)を踏襲し、映像作品やアート作品を制作。人間 / 性愛 / 宗教といったコードに対して暴発的なエフェクトで彩った作品を発表している。また、スーパーリニアという概念をもとに映像x演劇xダンスのアートパフォーマンスを上演している。Audio Visual作品、インスタレーション、アートパフォーマンス、ウェブアート等、活動は多岐に渡る。日本、韓国、オーストラリア各地で個展多数。2009年12月にアジア圏唯一のaudio visual festivalを大阪で主催、オーガナイズし、2014年よりInterdisciplinary Art Festival Tokyo代表を務める。ソウル国際実験映画フェスティバル、ローザンヌ・アンダーグラウンド・フィルム&ミュージック・フェスティバル、デトモルド国際フィルムフェスティバル等での上映や、ソウル国際ニューメディアフェスティバルにてメディア・アーティスト賞、マリックビル・コンテンポラリー・アートプライズでの受賞、Asia Anarchy Alliance(渋谷ワンダーサイト)でのオープニング・パフォーマンス等、MORI YU GALLERYやAsia Culture Center Creationでのグループ展等、個展・グループ展も多数。
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