世界には、一つのジャンルを極めるタイプと、さまざまなジャンルの境界線を横断して活躍するクリエイターがいる。クリープハイプのMVやドラマ『バイプレイヤーズ』、映画『私たちのハァハァ』(2015年)などで知られる松居大悟は、映画監督であると同時に、演劇シーンで活躍する演出家・劇作家でもある。そんな彼の新作映画は、まさに演劇を題材にした『アイスと雨音』だ。
とある作品の初舞台を前に、将来への希望に満ちた六人の若者たちが主人公。しかし、予想もしなかった上演中止という事態に直面し、彼女たちの夢は失われてしまう……そこから始まるストーリーを、松居は全編ワンカットの疾走感あふれる作品として形にした。
なぜ彼は、演劇を映画で描こうとしたのか? なぜ彼は、一度も止まることのない時間を捉えようとしたのか? 複数のジャンルに関わりながら、その境界線上で表現する気鋭のアーティストに話を聞いた。
僕は、これまで感じたことがないくらい悲しくて、つらくて、怒りを感じました。
—『アイスと雨音』で最も気になるのは、やはり全編ワンカット撮影、そして現実と演劇のシーンが瞬時に入れ替わる特殊な構成です。この手法を採用した理由はなんだったのでしょう?
松居:「狙ってやったんだよね?」ってよく聞かれるんですよ。でも、実はそうじゃないんです。自分の中ではかなりシンプルに「これしかない」って感じでたどり着いた。というのも、劇中の物語と同じように、僕が演出するはずだった舞台が実際に中止になったことがあるからです。
—そんなことがあったんですか。
松居:2017年の3月に上演予定だった作品が、その2ヶ月前に中止が告げられて……。映画では利重剛さんに言ってもらってますけど、「ガラガラの客席をみんなに見せるのは申し訳ないし、今後もみなさんとはよいお付き合いをしていきたいので」って、言われて。そのとき、僕は「この言葉は、一生忘れないぞ」と思ってました。これまで感じたことがないくらい悲しくて、つらくて、腹が立って……。
そのことを今回、音楽だけじゃなく出演もしてもらっているMOROHAのアフロに愚痴ったんです。そしたら、「いまのその感情って、半年くらい経って次の仕事が始まったらなくなっちゃうやつだよ。それでいいの?」と言われて、ハッとしました。いまの感情があるうちに何かしないと、きっと後悔するなって。ひょっとしたら全部忘れてしまうかもしれない。そういう思いから始まったのがこの『アイスと雨音』なんです。
『アイスと雨音』で音楽を担当し、出演もしたMOROHAのアフロ(左)とUK(右) / ©「アイスと雨音」実行委員会
—苦すぎる経験ですね……。
松居:もちろん、もしも自分に三谷幸喜さんくらい人を呼べる力があれば中止にはなってなかったはずで。だから、実力不足だったと思っています。とはいえ、使う予定だった劇場は2週間スケジュールが空いてしまっているので、何かできるかもしれない。時間もない中で、リーディング公演をするとか。
でも、それは負けを認めてしまったような気がするじゃないですか? だから、「舞台が中止になるって内容の映画を自主制作でもいいから作ってやろう」と思ったんですね。演劇って、そもそも始まったらカーテンコールまでノンストップの表現。だから、映画ももちろんワンカットになるだろう、と。
僕は「結局、映像の人なの? それとも舞台の人?」と、どっちつかずに思われている気がする。
—つまり本当なら上演しているはずの日程で、映画を撮られたということなんですね。でも、舞台の中止が決まったのが上演の2ヶ月前ですよね。スタッフやキャストのスケジュールをおさえるのもかなり大変だったのでは?
松居:演出助手、舞台監督、美術とか、舞台のスタッフには何人か残ってもらって、さらに映画の現場でお世話になっている撮影部や録音部などの映像チームにも声をかけました。混成チームですね。
キャストは、中高生限定・プロアマ問わずにオーディションを急遽行いました。技術は二の次。とにかく「やりたいことをやるんだ!」っていう気概を持っている人と出会いたかったんです。
—すごく不思議な質感の映画ですよね。映画だけど、演劇でもあるような。そして、そのどちらにも収まらない疾走感がある。
松居:完全に頭に血がのぼってたので、自分でも映画なのか演劇なのか、わからなくなってました(笑)。もちろん実際の製作段階に入れば、いかに作品をクオリティー高く形にできるかに気持ちはシフトしてますから、冷静に作ってもいるんですけど。
それでも、いまだにこの映画が何なのか、答えは出てなくて……。普段、僕は舞台と映像の仕事を切り離してるんです。それぞれのスタッフは自分の分野に誇りを持っていて、そのあいだを行き来している僕は「結局、映像の人なの? それとも舞台の人?」って、どっちつかずに思われている気がして、なおさら。
でも、今回は全員集合ですからね。稽古をした2週間は舞台モードだったし、撮影の段取りを考えて、撮影を終えるまでの後半は映画モードだった。奇妙な感覚ですけど、「いままでにないものを作れた」っていう確信ははっきりとあります。
僕の根っこはただただ「独りになりたくない」ってこと。
—『アイスと雨音』はいろいろな物事の巡り合わせで、映画でも演劇でもあるような作品になりましたが、そもそも松居さんは複数のジャンルに関わって作品を発表しています。10代の頃は、マンガ家を目指して投稿もしていたと聞きました。
松居:マンガは小学生の頃からですね。小学生で絵が上手いと、クラスメイトが素直に「面白いー!」って褒めてくれて嬉しいじゃないですか? それで調子にのって本気で取り組んだんですけど、誰かに見せるまでにとにかく時間がかかる。その長い孤独に耐えられなくて(苦笑)。でも演劇だったら、大勢と一緒に作るものだし、視覚面での創作もできる。それで大学で演劇を始めました。
—映画はいつ頃から?
松居:それも大学ですね。視覚的に世界を作れるのは映画も一緒だし、演劇サークルの先輩に映画に関わっている人がいるから、ときどき相談して。
なんだかんだ言って、人と作るのが楽しかったんだと思います。公演が終わると、一緒に作っていた人から連絡が来なくなるのが寂しいんです。それで、すぐに次の企画を立ててまた連絡する。演劇が終わったら映画、映画が終わったら演劇って感じで。
—「独りになりたくない」が原動力(笑)。
松居:根っこはただただ「独りになりたくない」ってこと。いまだに偉大な映画監督になりたいとか、優れた舞台演出家になりたいって野望はないんです。
正直に言えば、「ひとつのジャンルに絞ってその道を極めていこう」っていう自信がなかったんですよ。だから、演劇サークル内でも自主制作で映画を作ってるって事は内緒にしてて。ただ、「自分にはもっと向いているものがあるんじゃないか?」って気持ちはいまだに続いてますね。
(左から)田中怜子、森田想 / ©「アイスと雨音」実行委員会
—それを求め続けるっていうのは、かなり強靭な意志が必要ですよね。
松居:ひとつの道を極めていくのは難しいけど、「何者かになりたい」気持ちはすごく強いんですよ。もともと福岡の田舎で育って、ぱっとしない生活を過ごしてきたからかもしれない。思春期って誰もが「自分は何かをしてやるんだ」って気持ちを持つものですけど、それがいまも続いているんです。
だから他者からの評価もあんまり関係なかった。演劇も映画も、時間をかければかけるほど、稽古をすればするほど面白くなっていく実感が感じられる。そこが面白かったんですね。
—アーティストにとって「人から頼まれなくても、ものを作り続けられること」はとても大きな才能だと思ってるのですが、松居さんもそのタイプかもしれないですね。
松居:いやー、やっぱり「作りたいから続けてる」っていうより、「作らずに独りになっちゃうのが嫌だ」ってタイプです(笑)。何もしてないときは実は人と会いたくないんですよ。逆に、打ち上げとか、稽古中や撮影中の飲み会なら行けるので。
僕はたぶん……感情をわかりやすく描きたくないんです。
—『アイスと雨音』の前半で、松居さんは演出家役として登場しますね。そこで「(演劇は)巨大な生き物を作るようなものなんだよ」って役者たちに力説するけれど、ヒロインからは「意味わかんねーよ」って言われてるじゃないですか。その発言って、松居さんの本音ですか?
松居:うーん、実際、僕が演出するときも抽象的、感覚的なことばっかり言って「意味わかんない」って言われるんですよ。今回の稽古でも同じことを言われて(笑)。
ただ、意味はわからなくても「みんなで命の塊を作るのが演劇だ」っていう確信はあります。映画の中の松居大悟は、途中でそのことを諦めてしまう。でも、あの六人にバトンを手渡した、って作品にしたかったんです。だから、監督としては最後に「カット!」と言えたことが何よりも大きいです。
(左から)初舞台に挑む若手俳優役を演じた紅甘、戸塚丈太郎、田中怜子、森田想、田中偉登、青木柚の六人 / ©「アイスと雨音」実行委員会
—カットが言えた?
松居:作品として形にできた、ってことかなあ? 率直に言うと、世の中には諦めるしかないことはたくさんあると思うんです。大人の事情なんていくらでもある。自分だっていろんな局面で妥協してる。でも、今回はラストにカットを言うことが重要でした。あれで中止になった舞台に対して、自分なりのケリがついたんです。
—なるほど、その「なんとしても形にしよう」という思いが、映画に独特の疾走感を与えているのかもしれません。でも、それは『私たちのハァハァ』(2015年)などの過去作にも通じる感じがありませんか? ある種の荒削りさがある、というか。
松居:自分では、超丁寧に作っているつもりなんですけどね(苦笑)。そんなに荒いかなあ……。丁寧に作るポイントが人とズレているのかも。
僕はたぶん……感情をわかりやすく描きたくないんです。『私たちのハァハァ』の子たちであれば、最終目的地のライブ会場に着いて、嬉しいのか悲しいのかはっきりさせずに、一個の感情に着地しないようにしています。
『アイスと雨音』のラストシーンも同じ。世の中には「言語化されてない感情」って、絶対あるはずなんです。でも、大人はそれを勝手に言語化して、引き出しに分類してしまう。それはあまり好きなことではないんです。「映画を見ているときくらい、わけのわからない感情になってもいいじゃん」って思っているので。
—黒か白にはっきり分けたほうが世の中簡単じゃないですか。それこそさっきおっしゃっていたように、独りになるのが嫌であれば、多くの人に愛される作品を作る方向に舵を切ればいい。でも、松居さんはそれを選んでない。
松居:矛盾してますよね。「独りになりたくない」って言ってるわりには、モテなさそうなもの、ポップじゃないものが自分は好きで。
なんというか……笑わせたい、泣かせたいって作為を感じると、僕は一瞬で作品に入り込めなくなっちゃうんです。恥ずかしいし、冷めちゃう。だから制作者の意図が絶対に見えないようにしたい。MVだったら、バンドの演奏をかっこよく見せようと思っていることを視聴者に気付かれたら負けだって気持ち。ある展開にいくと見せかけて、いきなり急カーブを切るのも好きで(笑)。
—銀杏BOYZの“エンジェルベイビー”MVはまさにそうですね。主役は男の子だったのに、いつのまにかお父さんが中心になっている。
松居:たしかにそうでした。『私たちのハァハァ』も、自転車のロードムービーと思われてしまう前に、かなり早い段階でチャリを捨ててしまうし。そういう意味では、『アイスと雨音』は異質かもです。どこにたどり着くかは予想できなかったけど、最初のシンプルな衝動に従っていますからね。
別のジャンルで活動している人を結びつけるのは、自分の使命なのかなって思うことがあります。
—そんな異質な『アイスと雨音』は、最初は自主制作の予定だったんですよね?
松居:そうなんです。自主制作のつもりだったけど、オーディション情報を出したら熱い大人が「手伝うよ!」って言ってくれて、配給作品にすることができた。
『アイスと雨音』ポスタービジュアル(サイトはこちら) / ©「アイスと雨音」実行委員会
—そういう意味では、舞台の中止から始まったけれど、拾う神がたくさんいたんですね。
松居:「人と一緒に作ること」を大切にしてきた自分にとって、このメンバーじゃなきゃできないものになったことはかなり大きいです。例えば台本がすごくよかったとして、「あとは演じるだけ! 完成が見えたぞ」みたいなのは好きじゃない。
このスタッフ、このキャストが揃ったからこそ、この作品になったっていうのがいい。カメラマンも、いつも一緒に組んでいる方で。手持ち撮影が得意で、芝居を感情で撮る、彼らしい画になってます。
—音楽のアフロさんも、もとから面識のある友人ですね。
松居:5年ほど前にクリープハイプの尾崎世界観くんと行ったオールナイトのラップイベントで紹介された時に挨拶して。知り合いが知り合いを呼んでいまに至っている。
個人的に、別の世界で活動している人を結びつけるのは、自分の使命なのかなって思うことがあります。というのは、舞台をやっている人は舞台を愛しすぎているし、映画をやっている人は映画が一番だと思っている。
でも、それがどこか居心地が悪いんです。全部の表現が平等になってほしい。よい映画を作るためにはよい映画をいっぱい見るだけじゃなくて、舞台も音楽も絵も写真も、それこそ自然にだって触れたほうがいい。そうやって、ジャンルとジャンルの間に引かれた境界線を壊したいし、自分はその境界線上にいると思ってます。
—その気持ちは最近生まれた?
松居:そうですね。それも出会いから得たものです。クリープハイプの曲を聴いて「なんでこの感情を歌にできるんだろう、アウトプットの形がいいなあ」と思って。そして「いつか、この人たちみたいに自分は舞台を作れたらいいのになあ」と思っていたら、実際に一緒にやることになった。
—尾崎さんは小説も書いてますね。
松居:そんなクリープハイプがブレイクしたことも希望でした。自分の感覚を信用できて、「自分も感情のままに作ってみよう」って勇気を持てた。だから「映画らしくない映画」「演劇らしくない演劇」みたいな、新しい表現は追い求め続けたいです。
次に公開する映画が『君が君で君だ』ってタイトルで、池松壮亮さん主演になります。自分発信のオリジナル映画は初めてなので、公開が楽しみです。
あと2019年2月に予定しているJ-WAVEと組んでやる舞台は、ラジオ局と組むからこそ、ラジオ局が舞台の作品なんてやりたくないと思って。それでラジオでリスナーと話しながら内容を考えていこうと画策してます。
(左から)森田想、田中偉登 / ©「アイスと雨音」実行委員会
—いまのラジオの話もそうですが、松居さんならでの特徴のひとつとして、どの作品もどこかしらでコミュニケーションがテーマになっている気がします。しかも一個フィルターを介した、遠いようで近い関係のあり方。
松居:それは、これまで僕が圧倒的に受信者の側にいたからかも。2ちゃんねるもmixiも見てたし、Twitterも。だから受け手とは完全に無縁な、華やかな世界を描いている作品に接すると醒めてしまう。
僕が描く作品の真ん中にいるのは、いつもスポットライトの当たらない受信者であってほしいんです。光が当たっていない人たちがいい。当たる価値もないと思われている人にこそドラマがあるし、そういう人のドラマを描きたいし、描く価値があるなって思います。
- 作品情報
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- 『アイスと雨音』
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2018年3月3日(土)から渋谷ユーロスペースほか全国順次ロードショー
監督・脚本・編集:松居大悟
音楽:MOROHA
出演:
森田想
田中怜子
田中偉登
青木柚
紅甘
戸塚丈太郎
門井一将
若杉実森
- プロフィール
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- 松居大悟 (まつい だいご)
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1985年生まれ、福岡県出身。劇団ゴジゲン主宰。2009年、NHK『ふたつのスピカ』で同局最年少のドラマ脚本家デビュー。2012年に『アフロ田中』で長編映画初監督。その後、『スイートプールサイド』『自分の事ばかりで情けなくなるよ』など作品を発表し、『ワンダフルワールドエンド』でベルリン国際映画祭出品、『アズミ・ハルコは行方不明』は東京国際映画祭・ロッテルダム国際映画祭出品。枠に捉われない作風は国内外から評価が高く、ミュージックビデオ制作やコラム連載など活動は多岐に渡る。監督を務めるドラマ『バイプレイヤーズ~もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら~』が放送中。
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