Twitter界の著名人であり、2017年に初小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』がヒットした燃え殻が、『SNS展 #もしもSNSがなかったら』(以下、『SNS展』)のキュレーターのひとりとしてクレジットされている。5月19日より、3331 Arts Chiyodaで開催される同展には、自身が手がけた作品も展示される予定だ。
もしもSNSがなかったら、世界はどうなっていただろう――そんなテーマで開催される本展を目前にした今回のインタビューで、「僕はそもそも、SNSありきの人間じゃない」と彼は口にした。そんな燃え殻が語るSNSの魅力とは? 展覧会をバックアップするLINEモバイルの福島広大と共に、いま一度、SNSのことをゆっくり考えてみよう。
去年の夏に小説を出して、「私とあなた」感が戻ってきたようなところがある。
—燃え殻さんのTwitterアカウントを見ていると、すごく静かといいますか、まったくケンカはしないですよね。
燃え殻:絶対にケンカしないです。たとえどんなに仕掛けられても(笑)。
—どんなときにSNSを開きますか? 呟くのは昼前とか深夜、あるいは明け方が多いようですね。
燃え殻:仕事がひと段落したり、寝る前だったり……、SNSを開いて、ゆるく、会ったことがある人もない人も含めた今日の日常というか、世の中のことを見ます。そして「自分はこんな具合だよ」とつぶやいて、行き倒れのようにパタリと寝る(笑)。
—(笑)。でも、それにしても穏やかだなと思います。
燃え殻:それでも、昔とは変わってきているんですよ。以前はもっと1対1のメディアというか、「インターネットの画面の前の誰かとあなた」みたいな感じだった。
Twitterにしても、深夜ラジオに近い雰囲気だったんですね。ちょっといいづらいんですけど、自分のアカウントを見てもらえる人が多くなっていくうちに、そうした「1対1」感が薄れていって……。
—今ではフォロワーが20万人を超えてますね。
燃え殻:去年の夏に小説を出したとき、不思議なんですけど、その「1対1」感を取り戻せたんです。SNSも含めて「私とあなた」感が戻ってきたような感覚がある。
ー原点回帰というか、ずっと一貫して、SNSは「1対1」感の強いものだと思っているんですね。
燃え殻:1対1の関係で、来年になったら忘れているような、自分のちょっとした吐露がアーカイブされていく、という感じ。だから、わざわざケンカをする場所じゃない気もしていて。
—だから燃え殻さんのアカウントは静かな印象を受けるんですね。
みんな、直接会いたくなっているんじゃないかな。もうちょっと、コミュニティとして会いたくなってきている。
—SNSがなかった頃を振返るといかがですか?
燃え殻:僕はいま44歳で、SNSが「ある」と「ない」の狭間の時期を生きてきた身からすると、「なかった」ときって、何かを発信するってすごく重いというか、一大事でしたよね。僕、『ROCKIN'ON JAPAN』に一生懸命ライブレポートを送ったり、『週刊プロレス』にプロレス観戦記を送ったりしていたんですよ。
ーすごいエネルギー量ですね。
燃え殻:誰にも頼まれていないのに締め切りがある、みたいな(笑)。それがSNSではもっと軽くなってきて、最初の頃は、時代の空気がとても合っている気がしていました。
ただ、発信するハードルが低くなった分、一気に炎上したり、事故ったりということも増えていますよね。当初は、いろんな人たちが意見をいえるような、自由な場所が立ち上がるんだ、と思っていた。でも結果、そのいろんな人たちに隔たりが出てきているじゃん、というのが正直な印象です。
—その隔たりを越えて、原点を見つめるための『SNS展』という感じがします。
燃え殻:そうですね。ある意味で、僕は「SNSありき」という感じじゃないんです。たとえば好きな人が遠く離れてしまったとしたら、SNSがなくても絶対に見つける、くらいの気持ちで僕は生きてきたんですよね。
キュレーター、アーティストには、のん、「ゆうこす」こと菅本裕子、小山健、能町みね子、最果タヒ、たなかみさき、塩谷舞などが参加する / サイトを見る
—燃え殻さんの小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』もそういう世界観でしたよね。「遠く離れてしまった人とも、きっとどこかで繋がっている」という感覚。その人と人がリンクしていくきっかけとしてSNSがある。
燃え殻:そうなんですよね。SNSによって、人との出会いが軽くポップになっていった一方で、SNSがなかった頃の、距離があるからこそ、またいつか会えるかもしれないと勝手にロマンチックになる感覚もある。僕は、その両方を持って生きていたような気がします。
それこそ『SNS展』って、ちょっとポップに寄りすぎてしまった結果として隔たりが生まれているいま、「みんなで一緒に集まってみようよ」みたいな、揺り戻しなのかもしれませんね。みんな、コミュニティとして直接会いたくなっているんじゃないかな。
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—LINEモバイルの福島さんは、どういう想いでこの『SNS展』をバックアップされているんでしょうか。
福島:SNSは、この時代の通信の大きな要素のひとつだと思うんですが、根本的には言葉のキャッチボールですよね。言葉を投げかけて、レスポンスがあって……そこで何か温かみであるとか、相手の存在を感じるということに、すごく意味がある。その部分をきちんとフィーチャーして、SNSのゆるい繋がりを「集まる場」として残してみたいと思ったんです。
—きっとそこで生まれる空気は、燃え殻さんにとっては懐かしいものですよね。
燃え殻:そう。そういう懐かしい空気がちゃんと満ちていったときに、初めてSNSが軽薄なものではなくて、きちんと当たり前のものになっていく。本当にカルチャーになっていく気がするんですよね。
SNSって、「趣味もビジュアルも違うのに気が合う」みたいなことが可能になる場ですよね。
—SNSが当たり前のものになった現代のコミュニケーションをどう感じていますか。
燃え殻:リアルな現実だけだとできないこともあると思うんです。SNSって、「いろんな人が世の中で生きている」ということが確認できるわけで、「趣味もビジュアルも違うのに気が合う」みたいなことが可能になる場ですよね。
—たしかに。
燃え殻:先日、『フリースタイルダンジョン』(即興のラップで競い合うテレビ番組)で審査員をされている作家のLilyさんとお会いしたら、全然違う人間同士のはずなのに、めちゃくちゃ気が合ったんです。たぶんそれは、SNSがあったからこその気の合い方なんですよね。僕のTwitterを見て「あんた、面白いね」ってずっといってくれていたので。
—会ってみて、どうでしたか?
燃え殻:特に映画『バッファロー'66』(1998年)の話ですごく盛り上がって。
—ヴィンセント・ギャロが監督・主演の映画ですよね。
燃え殻:僕が当時、渋谷のシネマライズで観たといったらLilyさんが、「え、私も観た!」って。あのセクシーな格好で(笑)。「その当時、筑波に住んでいて、初めて彼氏とエッチして、テンション上がって、筑波から渋谷まで行って観た」と。
—公開当時、渋谷でニアミスしていたんですね。
燃え殻:Lilyさんは当時アムラーでしたし、お互いにまったく違うところで生きていたはずなのに、同じように『バッファロー'66』を見て感動していた、ということがわかった。それはきっと、SNS的な出会い方ですよね。
人は基本、A面で会いますよね。ちょっとカッコよく自分を見せたり、取り繕ったりして。でもSNSでは、最初からB面で会うんです。
—本来は繋がりにくい人やものをSNSが繋げてくれる、ということは、たしかにありますよね。
燃え殻:だって、僕が高校でLiLyさんと同じクラスだったら、口利いてないもん(笑)。それこそ、映画『桐島、部活やめるってよ』(2012年)みたいに、Lilyさんはイケメンと付き合い、僕はゾンビ映画を撮るわけですよ。でもそれが、SNSがあることによって「あんた、面白いじゃん。あれ観たの?」「観ました」みたいな感じになる。それがSNSのすごくいいところだなと思っている。
何ていうんでしょうね。裏側で会うというか、「B面で会う」みたいな。人は基本、A面で会いますよね。ちょっとカッコよく自分を見せたり、取り繕ったりして。でもSNSでは、最初からB面で会う。「あー疲れた」なんていってて、「あー疲れた、とかいってるわコイツ」と思う(笑)。でも、そのB面だからこそ出会えた人たちがいるんです。
福島:SNSがきっかけの新しい出会いはありますし、『SNS展』も、そういった意味で良いきっかけになると思うんです。SNSをめぐる問いの投げかけがあって、それについてじっくり考える。それを経由してまた新たな人に出会ったり、ゆるい繋がりができたり。そこに価値がある気がします。
SNSでの投稿を見ていると、まさにB面というか、その人の人となりがいろんな形で見えてきますよね。その新たな一面を見て、お互いまた刺激を受け合うことがある。それは、コミュニケーションの本質的な部分に近づいていくことなのではないかと感じます。
—『SNS展』には、燃え殻さんも自ら作品を出展されますが、どんな作品を展示するのでしょうか? 複数のブラウン管テレビが積み重なった作品と伺っていますが……。
燃え殻:いや、まだ全然できてないから、当日までに変わっちゃうかもしれないけど……(笑)。僕が書いたテキストを、シンガーのBOMIさんに読んでいただいて、猥雑な喧騒の街中を複数のモニターに流すんです。それらのテキストが、ある瞬間ひとつの文章になる、というようなことを考えています。
—BOMIさんは、まさに街中にひとりで立っているような空気の似合う方ですよね。
燃え殻:生っぽくて……、いまの女の子の集合体、という感じがすごくしますね。何でもやっちゃうし、歌もすごく上手いんだけど、普通にボンヤリもするし、ちゃんと悩んでいる。そんな彼女が、SNSをイメージした僕の文章を読んでくれたら嬉しいな、と思って頼みました。
「しみったれさせてくれよ」と思いますよ。元気なときはSNS開かないから。
—『SNS展』で燃え殻さんが表現したいものは、どんなことですか?
燃え殻:SNSって、それこそ別に残すほどのことでもない、「今日は疲れたな」みたいな話を投稿しますよね。それに対して、離れて住んでいる誰かが、「私も疲れた」と呟く。そうやって、「みんなで生きている」ことがわかった瞬間に、自分も「まあ、別に生きていてもいいな」と思えるんじゃないか。発信する内容はポジティブでもネガティブでもいいんです。ただ「自分と同じようなことを思っている人がいるんだ」と思うことでその日は乗り切れるというか。
—そうですよね、だから疲れたときにSNSを開くわけですし。
燃え殻:そういうSNSの使い方をするから、よく「しみったれたこと呟いてるんじゃねえよ!」といわれるんです。でも、「しみったれさせてくれよ」と思いますよ。「元気なときはSNS開かないから」と(笑)。
—お話を伺っていると、すごく根本的なところで、燃え殻さんはSNSのことを信用しているんだと思います。
燃え殻:これはよく話すことなんですけど、僕が一番SNSに入り込んだのは、東日本大震災のときなんです。普段はテレビの美術製作の仕事をしているわけですが、そのときは行方不明者に関するものとか、精神的にとても厳しいテロップ(字幕)の発注がたくさんきたんですね。まともに眠ることもできずに作業していて、ツイッターを見ても、「この地域が大変だ」「それはガセだ」と、みんながささくれ立っているのが手にとるようにわかった。
そんなときに、「フィッシュマンズの“ナイトクルージング”という曲があるから、それを聴くとよく眠れるんじゃないか」と呟いたんです。そうしたら、「フィッシュマンズって知らない」という人がいたり、YouTubeを貼りだす人がいて……、みんなでフィッシュマンズを聴く夜があったんです。
—みんなで、一緒にフィッシュマンズを……。
燃え殻:「クラムボンのカバーもいいよ」と僕に教えてくれる人もいて。あの殺伐とした、余震も続く夜に、“ナイトクルージング”を聴いていたんですよ……。あのときは涙が出てきましたね。それが僕のSNSの原点なんです。だから、僕にとってはSNSが悪いものに思えないし、今もそういう繋がり方ができるといいなと思っているんです。
SNSがなかったら出会えなかった人も、たしかにいる。でも「SNSがなかったとしても俺は君に会ってたよ」というべきだと思うんです。
—SNSを介して同時にいろんな人が聴いていた、というところが大事かもしれませんね。今回の『SNS展』の会場も、きっと多種多様な人たちが集まる場になるでしょうし。
燃え殻:ある種の混沌を、どう作れるか、ということなのでしょうね。いろんな人がいる場所に自分もいて、そこで話しかけてみる、とか……。だから、SNSって「最先端」という気はしないんですよ。公立高校っぽいっていえばいいのかな(笑)。
—(笑)。いろんな人がいる、多様性があるということですね。
燃え殻:僕が高校生や中学生だったら、この『SNS展』に行くと思う(笑)。1991年に鳥栖で行われた、FMW(かつて存在した日本のプロレス団体)のロックジョイント興行みたいなものですよ!?
—そのたとえは、プロレス好きにしかわからないのでは(笑)。
燃え殻:プロレスのイベントに、ブルーハーツや筋肉少女帯が出てきて。ロックバンドとプロレスが融合しちゃうんですよ!
—観に行って、混沌具合にビックリする(笑)。でもそれは、福島さんの先程の想いともどこかで繋がっているのかもしれません。
福島:混沌の海を泳いでみることで、通信の会社の人間も受け止められることがあると思うんです。壮大な話になりますけれど、そうした混沌から、より良い価値が生まれていき、社会全体が良くなっていくんじゃないかな、と思います。
通信というのは、そうした環境を支えるものだと思うんです。表面的なビジネスではなく、「通信って何なんだろう?」ということに、『SNS展』を通じて改めて正面から向き合ってみたいと思っています。
—いろんな人たちが一緒にいることを、SNSのなかと、リアルな場を行き来しながら体感する場が『SNS展』なのかもしれません。
燃え殻:SNSがなかったら生きていられない、ということもあるでしょうし、SNSがなかったら出会えなかった人も、たしかにいるんです。でもそこで自分の太ももをつねって、「いや、SNSがなかったとしても俺は生きていた」し、「SNSがなかったとしても俺は君に会っていたよ」というべきだと、僕は思います。
—そうした姿勢こそが、SNSがある現在を豊かにするのでしょうね。
燃え殻:そうだと思います。そのうえで、「SNSがあるから、出会えてよかったね」といえる……、そういうことなんじゃないかな。
- イベント情報
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- 『SNS展 #もしもSNSがなかったら』
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2018年5月19日(土)~5月27日(日)
会場:東京都 秋葉原 3331 Arts Chiyoda メインギャラリー時間11:00~20:00
参加アーティスト・キュレーター:
のん
菅本裕子
小山健
能町みね子
燃え殻
濱田英明
たなかみさき
最果タヒ
塩谷舞
UMMMI.
藤原麻里菜
東佳苗
- プロフィール
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- 燃え殻 (もえがら)
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神奈川県在住。テレビ美術制作会社で企画・人事担当として勤務。会社員でありながら、コラムニスト、小説家としても活躍。『文春オンライン』にて人生相談コーナーを担当。雑誌『CREA』にエッセイを発表。2017年6月30日、小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』(新潮社)が発売された。
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