狂言師・野村萬斎が、古典の知恵と洗練を現代に還元したいというアイデアから2003年にスタートした『現代能楽集』シリーズ。世田谷パブリックシアターの芸術監督就任以来、狂言師という視点を活かして企画・監修を務めてきたものだ。
今秋9回目を迎える同シリーズで、構成・演出を手がけるのは、「フィジカルシアターの旗手」と称され、マイムをベースとした独自の演出を得意とする小野寺修二。小林聡美、貫地谷しほりらを迎え、日本最古の物語『竹取物語』を紐解き、新たな物語として見せるという。
古典『竹取物語』と、身体表現を得意とする小野寺との化学反応は、一体どのような「現代」を浮かび上がらせるのだろうか? 作品の構想段階にいるという小野寺と萬斎に話を聞いた。
能楽的な身体の動きを小野寺さんにぶつけてみることで、どんな化学反応が起きるかなぁと。(萬斎)
—2003年から始まった『現代能楽集』シリーズも、今回で第9弾です。世田谷パブリックシアターを預かられる身となってからのご自身の「核」でもあると思うのですが、それを立ち上げ始めた頃の話を先にうかがって良いでしょうか。
萬斎:能、狂言含めて能楽と呼びますけれども、自分自身いろいろな現代劇や現代的なコンテンポラリーパフォーミングアーツと関わってきた中で、古典と現代劇の融合ができないかと考えたのが、アイデアのきっかけです。
僕が能楽にあるアイデアを使った作品を取り扱うことはこの劇場(世田谷パブリックシアター)の色でもありますが、それだけではなくて、現代の作家、振付家、演出家など、コンテンポラリーパフォーマンスをやっている方に、能楽的な発想や機会を付加することで新しいものができないかということも考えていました。
—今回、『竹取物語』という古典を題材にされたのは、どういった考えがあったのでしょうか?
萬斎:『現代能楽集』ですから、今までは能の作品から取っていたんですけど、今回は、小野寺さんからの提案で『竹取』をやることになりました。能楽的な身体の動きを小野寺さんにぶつけてみることで、どんな化学反応が起きるかなぁと。
—異質なものを取り入れていくことは、シリーズが固定化しないためにも必要なことです。どんなアーティストと一緒に作っていくかというのは、萬斎さんも考えるところですか?
萬斎:そうそう。いろんな切り口、アプローチができると作品が広がりますからね。
—自分にないものを持っている方と出会えば出会うほど、切り口として大きくなるわけですものね。やはり、マイムという身体表現をやってこられた、ある意味異質な表現を得意とされる小野寺さんへの期待感は大きい?
萬斎:はい。まぁでも、恐れずにバンバンやってほしいです。
小野寺:はい……隅の方で頑張ります(笑)。
『桃太郎』とか『竹取物語』って、なぜお父さんとお母さんが登場しないんでしょうね。(萬斎)
萬斎:今日も考えていたことなんですが、日本の昔話の『桃太郎』とか『竹取物語』って、なぜお父さんとお母さんが登場しないんでょうね。
小野寺:たしかに。
萬斎:変な話、捨て子なんじゃないかとか、ハーフだったんじゃないのかと考えますよね。桃が、どんぶらこどんぶらこと流れてくるのは、妊娠した女の人が溺れてるのを、おじいさんとおばあさんが助けたら子供が生まれたんじゃないかとか。
『竹取物語』も、竹を割ったような色白の女の子ってことは、外国の女の子が漂流してきたのを捕まえたりしたのかな、とかね。わからないですけど、やっぱりおじいさんとおばあさんしか出てこないのは、なぜなんでしょうね。
—昔話は、だいたいそういった設定ですね。
萬斎:その頃は、他民族と混じり合うことは良くないというような意味だったのかもしれないし。
—だいたい、おじいさんとおばあさんは山里に暮らしてますしね。村から離れたところにいる人達なんです。
小野寺:そこにも意味があるって話を聞きました。思ってもいない観点だったので驚きました。ただ、今回作品を作るうえで、そういう史実を伝える方向に行き過ぎるのは惜しいかなと。ステージでは、もっと視覚的なものを見せていかないと、全部言葉で説明しちゃいそうで。
—それだと、マイムをやる小野寺さんが作る意味が無くなっちゃいますね……。
小野寺:そうなんです(笑)。
—このシリーズは、「説明する」っていう、今どのエンターテイメントでも過剰になっている方向の、真逆を行くシリーズだと思うんです。想像力を駆使して、作る側も見る側もそれを相互に往還させることができるのが、このシリーズの魅力のような気がします。
小野寺:そうですね。演出はまだ構想段階なのですが、僕がやると、きれいにまとまっちゃいがちなんです。だけど、今お話ししていて、コミカルさとか、異質な要素や生っぽさみたいなものをどんどん取り入れていきたいと思いました。
マイムも、能・狂言、歌舞伎、と、アプローチの仕方は遠くないんじゃないかという気がしてるんです。(小野寺)
—小野寺さんは、シアタートラム、世田谷パブリックシアター両方でコンスタントに作品を発表されていらっしゃるので、このシアタートラムは、ある種、ホームのひとつですよね。
小野寺:そうですね、やらせていただくチャンスは多いです。ただ毎回緊張します。世田谷パブリックシアターにしてもシアタートラムにしても、新しいものを求めている空気がある気がします。上演作品の演目を見ても、すごく充実していますし。だから、そこに立つことに対しての「誇り」みたいなものを感じる劇場なんですよね。
—世田谷パブリックシアター、シアタートラムは、劇場自体のファンも多いですしね。
小野寺:だから今回のお話をいただいたとき、正直尻込みしました(笑)。劇場の柱となる『現代能楽集』シリーズなので、「これ、僕で大丈夫ですかね?」って、何度も萬斎さんにもお聞きするぐらい(笑)。
—小野寺さんがそんな弱気とは、珍しいです。
小野寺:いやいや。「普遍性」という大きな意味で言うと、僕は最近、マイムも、能・狂言、歌舞伎と、アプローチの仕方はそんなに遠くないんじゃないかなという気がしてるんですよね。だから、それをふまえた上で、今回はマイムのエンターテイメント性を強く出していくことが求められているんだな、という解釈でお受けしました。
—ちょうど「水と油」(1995年に結成された、小野寺修二が所属するパフォーマンスグループ)が活躍し始めた頃とか、ダンサー、振付家の方達が演劇のジャンルにも関わるようになって、そのクロスオーバーの創作が始まったのが20年弱くらい前です。
小野寺さんはその文脈の中でも、ダンスではなく、マイムから入った、シアトリカルな要素を持った作り手として、これまでのアプローチとまた違うことができるのではないかという期待感が、萬斎さんの中にもおありではないかと。
萬斎:例えば、狂言は舞ではなくて、「仕草」といわれる型だったりするわけですね。それは非常にマイム的なものだと僕は思うんです。ですから、マイムという視点から、今までやったことのない、新しいことや尖ったことにトライしていただければと思っています。
小野寺:はい。
萬斎:今回は古典ですし、しかも小野寺さんということで、少しコミカルになっても全然構わないと思うんですよね。
小野寺:少なくとも『能楽集』と言っている以上は、能に対して何らかのアプローチをしたいと思っていて。それをどう取り入るかを考えたときに、僕は物語よりも体で取り入れたいと思っています。
お能的に、面というのはキャラそのものなんですが、狂言的には、変身の道具だったりするんです。(萬斎)
—先日キャストの方にもお話をうかがったのですが、小林聡美さんは、「私が嫗で貫地谷(しほり)さんが姫というわけでもあるまい」というお話をしてらして、何をさせられるのか分からないという覚悟をしていらっしゃいました。それは見る側の私たちも同じで、どんなものが立ち上がってくるか、まるで想像できないです。
現代能楽集IX『竹取』メインビジュアル(撮影:久家靖秀)(サイトで見る)
小野寺:そうでしょうね(笑)。この間やった別の作品で、初めて面を取り入れてみたんですね。可能性をとても感じました。だけど、面って昔から色んな人が使っているし、迂闊に手を出すとモノマネみたいになっちゃう。だから、なかなか手が出しにくい。
萬斎:『まちがいの狂言』(2001年に初演された、野村萬斎演出・出演の狂言作品)などをご覧いただくと、ヒントになるかもしれません。面の効用は、自分もいろいろトライしてきたので。(笑)
お能的に、面というのはキャラそのものなんです。でも狂言的には、面は変身の道具だったりする。だから、お能の人が面を道具として使うなんてことはほとんどないんですよ。僕ら狂言師は、鬼の面をつけると急に鬼に変身する。だから、メイクにも近いようなものですね。
小野寺:面をつけると体の動かし方が難しくて、自分の顔で演技してるときの体と、面をつけて人前に立ったときの体とでは随分感覚が違うってことは感じました。初歩的なことですけど、下を向いちゃうんですよね。
萬斎:下を向かれるのは、足元を見るということですね?
小野寺:それもありました。
萬斎:僕らは足元を見ないんですよ。目線がどうしても下がっちゃうから。だから、狂言師はすり足をするんじゃないか、という話もありますね。
小野寺:おぉ、そういうことですか。
萬斎:足元を見ないで進むと、ステージから落ちるかもしれないでしょう(笑)。だから、すり足にも多少必然があると思います。
小野寺:なるほど。マイムの体のあり方って、全身で表現しているように思ってたんですけど、随分顔の演技に頼っていたんです。だから、面で顔を消した途端、感覚が変わってしまってこれまで通りの動きが取れなくなるっていうことがありした。
—そう考えるとすごいですね。面がある / なしっていうのが、表現よりもっと前段階の体のあり方とか精神のあり方を左右している。
囲われた方が自由を求めるし、それが複雑化するともっと面白くなる。(萬斎)
—萬斎さんは、お題で縛ったり、持っているものから逸脱して次の表現につなげたりして一つの作品を作り出すことがとても得意に思えるのですが、ご自身が飛び込んでいくことにも、すごく積極的でいらっしゃる。これは性分ですか?
萬斎:そうですね(笑)。今までにないものを作るというのが、ある種、世田谷パブリックシアターの劇場の色だと思うので。そういう意味で、異文化をぶつけたり、お題で縛ったりするから逆に面白くなる。囲われた方が自由を求めるし、それが複雑化するともっと面白くなる。
だだっ広いところで「何しても良いよ」と言われるとみんな困るのではないかと思いますけれど、「この中でやれ」と言われた方が、遊びとしては面白くなる気がするんですよね。
だから小野寺さんには、古典というお題の中で、古典を壊してほしいんです。これは、自虐的にどろんこになってみたいというところもありますけど、やっぱり自分たちがやっていることは何なのかというとこを、解体し相対化したいんです。我々古典芸能をやっている者も学ぶべきところだと思うので。だから、恐れずにどんどん壊しにかかってもらって……。
小野寺:はい。どれだけ抵抗できるかなぁ(笑)。
- イベント情報
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- 現代能楽集IX『竹取』
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構成・演出:小野寺修二
脚本:平田俊子
音楽:阿部海太郎
企画・監修:野村萬斎出演:
東京公演
小林聡美
貫地谷しほり
小田直哉(大駱駝艦)
崎山莉奈
藤田桃子
古川玄一郎(打楽器奏者)
佐野登(能楽師 宝生流シテ方)2018年10月5日(金)~10月17日(水)全14公演
滋賀公演
会場:東京都 世田谷パブリックシアター シアタートラム
料金:一般6,000円 高校生以下・U24券3,000円 ほか プレビュー公演5,000円
※10月5日はプレビュー公演2018年10月21日(日)全1公演
兵庫公演
会場:滋賀県 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 中ホール
料金:S席5,000円 A席3,000円2018年10月23日(火)、10月24日(水)全2公演
会場:兵庫県 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
料金:A席5,000円 B席3,000円福岡公演2018年10月27日(土)、10月28日(日)全2公演
熊本公演
会場:福岡県 福岡市立東市民センター なみきホール
料金:S席3,500円 A席2,500円2018年11月2日(金)全1公演
会場:熊本県 熊本県立劇場 演劇ホール
料金:S席4,000円 A席3,000円
- プロフィール
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- 野村萬斎 (のむら まんさい)
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1966年生。祖父・故六世野村万蔵及び父・野村万作に師事。重要無形文化財総合指定者。「狂言ござる乃座」主宰。2002年より世田谷パブリックシアター芸術監督。国内外で多数の狂言・能公演に参加、普及に貢献する一方、現代劇や映画・テレビドラマの主演、舞台『敦―山月記・名人伝―』『国盗人』『子午線の祀り』など古典の技法を駆使した作品の演出・出演で幅広く活躍。芸術祭新人賞・優秀賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞、朝日舞台芸術賞、紀伊國屋演劇賞等受賞。2017年の『子午線の祀り』再演で毎日芸術賞千田是也賞、読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞。「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」では開会式・閉会式のチーフ・エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターに就任している。
- 小野寺修二 (おのでら しゅうじ)
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日本マイム研究所にてマイムを学ぶ。1995年~2006年、パフォーマンスシアター水と油にて活動。06年、文化庁新進芸術家海外留学制度研修員として渡仏。帰国後、カンパニーデラシネラを設立。マイムの動きをべースとした独自の演出は、親しみやすさとアーティスティックなムーブメントを併せ持ち、幅広い世代から注目されるとともに、ミュージシャンやデザイナーなど異なるジャンルのアーティストからも熱く支持されている。第18回読売演劇大賞最優秀スタッフ賞受賞。主な演出作品に、『異邦人』(13年/世田谷パブリックシアター)、『カラマーゾフの兄弟』(12年/新国立劇場)、『変身』(17年/静岡県舞台芸術センター)、『あの大鴉、さえも』『ロミオとジュリエット』(以上、16年/東京芸術劇場)など。「瀬戸内国際芸術祭2013」では、野外劇『人魚姫』を発表するなど、活動の場は劇場内にとどまらない。また、ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出『キネマと恋人』、白井晃演出『ペール・ギュント』など、舞台作品の振付やステージングも手掛ける。2015年度文化庁文化交流使。
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