スポーツ界に根付く性差別や人種差別に、小林勇輝が首を傾げる

2年に1度のダンスフェスティバル『Dance New Air 2018』では、スポーツをテーマにした作品が多く上演される。エアロビ、体育など上演作品のテーマは様々だが、パフォーマー自身が、かつてプロテニス選手を目指していたなんて作品はそうはないだろう。小林勇輝の『Chromosome』はそんな稀有な存在だ。

ロンドンを拠点に欧州で活動する小林は、大学に進学するまでテニスの強化選手として肉体を鍛え上げてきたアーティスト。しかし、ある時期を境にスポーツからアートへとフィールドを移した。将来を嘱望された彼を、アートの世界に駆り立てたものは何だろうか? 指導者による選手へのハラスメント、男女によって異なるペナルティーの厳しさなど、スポーツを巡る問題が続々と露わになる今だからこそ、彼の作品と言葉に心を向けたい。

今回の日本公演では、原宿のオルタナティブスペースVACANTで個展と公演を兼ねた新作を発表するという小林に話を聞いた。

人種、性別、障がい者、セクシャルマイノリティーなど、いろんな人たちが同じフィーリングでフラットにいられる時間と場所を作りたかった。

—小林さんが上演する『Chromosome』は、スポーツをテーマにしていますが、小林さん自身も10代はプロテニス選手を目指していたそうですね。何がきっかけでアーティストに転身を?

小林:子どもの頃から、ものを作ったり絵を描くのが好きだったんですよ。でも外で身体を動かすのも好きで、両方をやっているうちにテニスがどんどん上達して、高校時代はフロリダのテニスアカデミーの強化キャンプに参加するようになっていました。

小林勇輝

—身体をテーマにした映像作品で知られるマシュー・バーニーは学生時代にアメフト選手として活躍した経歴を持っていますが、アートとスポーツを両立する作家って珍しいです。

小林:僕も、アートとスポーツのどちらに進むべきか迷っていました。でも、リベラルアーツを方針とする海外大学なら両方やれる。それで、僕のコーチが選手をやっていて、知り合いも多いハワイの大学に進学したんです。留学と言っても、ハワイは日本人も大勢住んでいますからね。

最初のうちは大学でアートを中心に学び、学外でテニスの練習に打ち込む……という両立生活を過ごしていたんですけど、だんだんと気持ちはアートに傾いていって。それで思い切ってロンドンの美大に入学し直して、アートに集中することにしました。

—大決心ですね。周囲から反対の声は聞こえてきませんでしたか?

小林:コーチは「もったいない」って言ってましたけど、両親や身近な人たちは僕が子どもの頃から絵を描くことに夢中だったのを知っていたので、むしろ応援してくれて。

結局、今もスポーツとアートを合体させたようなことをやっているので、まあ結果オーライかなと。スポーツは観衆の前で競い合うものですし、パフォーマンスアートも舞台に立って自分の身体でお客さんに直接何かを表現するものですから、似ているところがあると思います。

—たしかに。でも小林さんの作品は必ずしもスポーツだけが題材ではないですよね。特に『New Gender Bending Strawberry』は、全身を銀色に塗って、真っ赤なイチゴのような生物に扮している。

小林:あれは現代アート作品としてのパフォーマンスです。自分のインスタレーション空間のなかでパフォーマンスを行って、お客さんと触れ合ったり体験を共有し合う、インタラクティブな内容。あれが僕の最初の作品です。

—いわゆる「客いじり」のようなインパクトがあります。

小林:「客いじり」のようなつもりはないですが、人に喜んでもらえることはいつも好きでした。なのでそういった意味での影響は大きいかもしれません。これは僕のすべての作品に共通するテーマなのですが、人と触れ合ったり、コミュニケーションを求めたいんです。

少しコンセプチュアルな話をすると、ストロベリーの作品みたいな自分だけの世界観を作って、そこで人種、性別、障がい者、セクシャルマイノリティーなど、いろんな人たちが同じフィーリングでフラットにいられる時間と場所を作りたかった。そのために、僕自身がジェンダーレスで、まるで未来からやって来たような、人間ではない、ちょっと異質な生物に扮装して、仲介者のような存在になる。つまりジェンダー(性区別)をベンディング(曲げる)して、まだカテゴライズされていない新しい性別を生み出す、ということ。

いちごにはフェミニンで、平和的で、おとぎ話のようなイメージがありますけど、そこに銀色のエイリアンのような身体を混ぜ合わせることで、既存の性差の観念を崩していくわけです。

—観客も、ストロベリーの作品がまさかプロテニス選手を目指していた人によるものとは思いませんよね。

小林:でしょうね(笑)。これが最初の作品だったということも僕にとってはかなり重要なんです。だからこの作品は、毎年必ず新作を制作します。それは、時代を反映する作品であってほしいからで、今目の前にある時代の変化、これからやってくる未来と関わり合うものでありたいんです。

性差別や人種差別に関して、スポーツはたくさんの問題を抱えています。例えば、男女のユニフォームを、なぜ自分でチョイスできないんでしょう?

—スポーツを作品に反映するようになるのは、もう少し後ですか?

小林:大学院に進学してからです。そこはパフォーマンスを中心とした学科で、舞踊史や批評性を重視するアカデミックな環境でした。それまでやってきた自分の活動が身体性に重きを置いていたとすれば、ここではもう少し抽象化する術を学んだように思います。

いちごの作品は自分を覆い隠してまるっきり他のものに見せるという意識がありつつも、自分を見てもらいたい、この作品を褒めてもらいたいという欲やエゴが強かった。でも大学院のアカデミックな環境は、歴史的な文脈を意識して、さらに自分の身体だけで作品を作る必要性を感じさせるものでした。

—影響を受けた作品や動向はありましたか?

小林:オノ・ヨーコさんも加わっていたフルクサスですね。

—1960年代に生まれた前衛芸術運動ですね。「イベント」や「ハプニング」など、パフォーマンス性の強い活動を行っていました。

小林:ハプニングの偶然性・即興性には強く刺激されました。2015年に、フルクサスのパフォーマンスを再現する展覧会に参加する機会を得て、オノさんの『ウォーター・ピース』に関連した作品を作りましたが、制作過程で様々なリサーチを進めることで、自分がたずさわっているパフォーマンスの領域の広さ・深さに感銘を受けました。その後2016年にはASAKUSAというギャラリーで、またオノヨーコさんに関連したパフォーマンスをさせていただく機会もありました。

書籍などの記録メディアと違って、パフォーマンスは身体性で他者につながることができるもの、経験によって価値を未来に渡すものです。それに関わっている以上、僕も歴史を背負う1人であり、経験を次に伝えることが存在理由の1つなんです。その時に浮かんできたのが、長年僕の身体が経験してきたスポーツでした。

—それが『Life of Athletics』シリーズにつながっていくんですね。最初の作品はテニスをモチーフにしています。

テニスをモチーフにした『Life of Athletics』シリーズ

小林:スポーツというパフォーマンスアートの外にある「身体性」をテーマにする際に難しいのは、自分に馴染みのないジャンルではどうしてもぎこちなくなってしまうことです。ですから、自分が経験したことのあるテニスから始めようと。

それ以外にも理由はあって、スポーツにまつわる社会性も気になっていました。性差別や人種差別に関して、スポーツはまだまだたくさんの問題を抱えています。例えば、男女それぞれのユニフォームを、なぜ自分でチョイスできないんでしょう?

あるいはマリア・シャラポワというロシアの有名選手は、プレイ中に出す声がとても大きいことが有名で、テニス場周辺から騒音苦情が来たり、彼女が登場するとテレビのボリュームを下げてしまう、なんていうジョークが笑いまじりに流布しています。しかし、女性が発する攻撃性、アグレッシブな感じは叩かれてしまうにもかかわらず、男性が声を出して荒げたりするパフォーマンスはOKとされる。そういった不思議なねじれは、作品において何らかのメタファーになると思いました。

—小林さんは女性プレイヤーの衣装でパフォーマンスしていましたね。

小林:スポーツにおけるマテリアル、ボールや衣装との関係も興味深い点です。テニスのパフォーマンスは、3時間くらいトレーニングし続けて倒れるまでやるという内容なんですが、汗ばめば汗ばむほど、女性のためのユニフォームが男性である自分の身体に張り付いていって、まるで一体化するような感覚を覚えます。

逆に、ラケットでボールを打つ瞬間までは自分でボールをコントロールすることができるという確信に満ちているのが、打ってボールが離れた瞬間、それがどこに飛んでいくのかわからなくなってしまう。そのように、離れることで自分のものではなくなる感覚、近くで一体化する感覚が面白いです。そこには即興的なハプニングの要素も重ねることができますね。

僕がいちばん大事にしたいのはストロベリーの作品のような、いろんな人たちが同居できる場なのだと思います。

—パフォーマンスでは、テニスの他にどんなスポーツを?

小林:卓球、ゴルフ、水泳、あとはチアリーダーとか。チアも面白くて、女性のセクシズムをテーマにしています。彼女たちは選手たちと同じフィールドでプレイしているのに、アスリートとは見なされず、ショーのためにセクシーな洋服を着てダンスをする人として、主に男性から視線を投げかけられます。

—身体性だけでなく、スポーツの政治性にも関心を向けているんですね。

小林:見る側の受け取り方次第だとは思っているので、コンセプトはあってもメッセージを強く打ち出すことはしないようにしているつもりです。「裸になっているな、気持ち悪いな」で終わる人もいるだろうし、深く考えてくれる人もいる。それでよい気がします。

やっぱり、僕がいちばん大事にしたいのはストロベリーの作品のような、いろんな人たちが同居できる場なのだと思います。『Life of Athletics』でバスケを題材にしたことがあるんですが……。

バスケットボールを題材にした『Life of Athletics』シリーズ

—すごい格好でバスケしてますね。レオタード?

小林:これはボディスーツですね。すごいハイレグでキンタマが出ているような状態。それでギャラリーの中でずっとバスケをするですけど、ゴールがないんです。だからひたすらドリブルをしたり、突然お客さんにパスしたり。観客には10代の女の子もいたりするんですけど(笑)。

—乱入してくる人も?

小林:いましたいました! 人間のダイバーシティーをかき回すようなパフォーマンスにしたかったので、これはなかなか成功でした。ボールが永遠にゴールすることはなく、ずっと人と人の間を動き続ける。そこには敵という概念がなく、僕の身体を介して、いろんな人が触れ合いつつ関係を持っていく。

アートとしてのスポーツには引退がありません。

—スポーツとアートの両方の身体性の間で活動している小林さんから見て、その2つにはどんな違いがありますか? あるいは似ているところはありますか?

小林:あきらかに違うのは、アートには勝ち負けがないこと。よいショットを確実に打つためにやっているわけではなくて、スポーツが持っている様々な要素を抽出している点は大きく違うところです。

技術的な研鑽は少し似ているところがあるかも。でも、自分のなかでパフォーマンスをしているときはスポーツをしている気持ちはありません。スポーツ選手を目指していた時期は勝ち負けにこだわっていましたが、アートでは自分が表現したいコンセプトの実現のために行動していますから。

—トレーニングの方法も違いますか?

小林:アーティストになってからはまったくトレーニングはしないんですよ。筋肉でムキムキになっている必要はなくて、むしろありのままのニュートラルな状態でいたい。だから全盛期の頃と比べて、筋肉はめちゃくちゃ落ちてます。

でも、だいぶ前にお医者さんに血液検査をしてもらってわかったことがあるのですが、僕は筋肉を増強する数値が普通の人よりも2~3倍くらい多いらしくて、ちょっと鍛えるとすぐに筋肉がつくそうなんです。自分はニュートラルな状態でいたいのに、すぐに筋肉がついてスポーツに向いた身体になってしまうっていうのも、なんだか不思議ですよね。

—スポーツでなくアートを選んだのに、小林さんのなかにはスポーツのための因子が備わっていて、ひょっこり顔を出したりする。

小林:ラケットを振ったら、自然によいフォームになっちゃったり(笑)。そういう意味でも、僕はダンス、アートにおけるパフォーマンス、そしてスポーツの中間に立っている気がします。全部のことがわかっているけれど、本当には何者にもなれない。そこが面白い。

スポーツをシリーズ化しようと思ったときに最初に思い描いていたのが、いつか自分だけのスタジアムを作るという構想です。もちろん本物のスタジアムではなくて、ギャラリーとかアートスペース内に作るって意味。いろんな種類のスポーツがひしめき合っていて、その中でパフォーマンスを行い、他の人たちとコミュニケーションを交わす。

今回『Dance New Air 2018』での公演は、1週間の展示期間があって、そのなかで3日だけパフォーマンスを行うので、最初に夢見たスタジアムの構想に近いかもしれません。

—最後に聞きたいのですが、スポーツを辞めてアートに来たことに後悔はありませんか?

小林:もちろんないです! アートに進んでよかったと思っていますよ。たくさんの素晴らしい人に出会えましたから。アートを作ることも僕の中では大事ですけど、人に会えることがいちばんの財産。そして、歴史的な文脈と結びつくことができたのも幸せです。

オノ・ヨーコさんもそうですし、ドイツではマリーナ・アブラモヴィッチさん(ユーゴスラビア出身のアーティスト。自らの身体を痛めつけたり、他者との緊張関係をテーマにしたパフォーマンス作品で知られる)の歴史的な回顧展に参加できて、よりいっそう、パフォーマンスアートの作家としての使命感、責任感を自覚しています。

—プロスポーツは全部がストイックですから、人とのコミュニケーションはどうしても薄まっていくのかもしれませんね。

小林:究極的には自分だけになっちゃいますね。テニスは個人スポーツだから、特に孤独に陥りやすい。それも自分には合ってないところではありましたね。

—それを聞くと、『Life of Athletics(運動選手の人生)』というタイトルも意味深く感じます。

小林:アスリートの人生には引退というリタイアがあって、その後の人生がうまくいく人もいれば、ちょっと自分を見失ってしまう人もいる。でも、アートとしてのスポーツには引退がありません。「身体を動かす」という枠組みでずっと取り組み続けることができる。

おじいちゃんになっても続けられますから、将来はゲートボールを作品にするかもしれないですね(笑)。

イベント情報
『Dance New Air 2018』

2018年10月3日(水)~10月14日(日)
会場:東京都 スパイラルホール、草月ホール、草月プラザ、ゲーテ・インスティトゥート 東京ドイツ文化センター、VACANT、シアター・イメージフォーラム、青山ブックセンター本店、スタジオアーキタンツ、リーブラホール、ワールド北青山ビル、THREE AOYAMA

小林勇輝
『Chromosome』

2018年10月8日(月・祝)〜2018年10月10日(水)
会場:東京都 原宿 VACANT

プロフィール
小林勇輝 (こばやし ゆうき)

ヨーロッパを拠点に活躍するアーティストの小林による、パフォーマンスワークシリーズ「Life of Athletics」の最新作。自身のヴィジュアルアート作品を展示した空間で、様々なスポーツ競技がはらむ性差別の問題やコントロールされた社会の危うさを、自らの身体やスポーツのフォーマットを用いて浮き彫りにする。



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