天然記念物のヤンバルクイナの名の由来でもある「やんばる」(山原)とは、沖縄本島北部の自然豊かな一帯をさす呼び名。穏やかな山並みと亜熱帯の森、またマングローブや珊瑚礁の海に恵まれたこの地は、2016年から国立公園にも指定されている。
『やんばるアートフェスティバル』は、この地域で昨年から始まった芸術祭。今年は「ヤンバルネサンス」をテーマに、自然と共にある暮らしの場から、新しい芸術祭のあり方を発信する。また、かつて琉球王国が東アジアとの交易で独自の文化を育んだ歴史をもとに、国内の注目アーティストに加え、アジア各地のアーティストも招かれるという。
そこで今回、12月15日の開幕より一足先に現地を訪ね、アジアンアーティスト部門ディレクターの金島隆弘と、中国から参加するアーティスト、孫遜(スン シュン)に話を聞いた。孫は今回、海辺に建つ元小学校の家庭科室で「居酒屋」を開くという。なぜ芸術祭で居酒屋? という疑問への答えには、境界を超えてつながり、無常の世界を生きるヒントがあった。
居酒屋巡りの体験は、日本の人たちにも実際はいろいろな顔があることを感じさせてくれたのです。(孫)
—孫遜さんは、『やんばるアートフェスティバル』(以下『YAF』)のメイン会場となる、大宜味村 旧塩屋小学校の家庭科室を「居酒屋」にするそうですね。なぜ芸術祭で居酒屋なのでしょう?
孫:最初のきっかけは、私が初めて日本にきたときにいろいろな居酒屋に行ったのがすごく面白い体験だったことです。その案内役が、今日も隣にいる金島さんでした。
金島:彼は2009年から2010年にかけて、私が関わった「横浜市・北京市 アーティスト・イン・レジデンス交流事業」で滞在制作と個展を行いました。たしかにそのとき、いろんな居酒屋に案内しましたね。すごく安くて庶民的なチェーン店から、カウンターだけの渋いお店、ちょっと高級でとても料理の美味しいお店まで、いろんなタイプの居酒屋を巡りました。
—孫さんは、日本居酒屋のどこに魅力を感じたのでしょう?
孫:私の暮らす中国にも、似たものがないわけではありません。ただ最近は特に都市部において、そうした飲食店は西洋風のものばかりになってしまいました。たとえば寺院というのは、そこに納められる調度品や美術品がその国の文化を形成してきた面があると思いますが、同じように、居酒屋も日本文化をかたち作ってきたものだと感じたんです。
小津安二郎(日本の映画監督。代表作に『東京物語』など)の遺作『秋刀魚の味』など、映画の世界でも居酒屋はよく印象的な舞台となっています。さらに日本の歴史をさかのぼると、社会的に重要なことがしばしば居酒屋で起きている。たとえば政治的な重要な会議もそこで行われたりするのは、それだけ社会に根ざした存在ということでしょう。初来日のあともたびたび日本にきて、居酒屋が日本の文化における重要なものだという考えは強くなりました。
—近くにあると当たり前の存在ですが、言われてみると、たしかにそうですね。よく店内に貼ってある独特の格言とか、やたら粋のいい店員さんの挨拶も、一種の文化と言えなくもない。
金島:私も、居酒屋に連れ回していた当時は、彼の考えがそんな風にふくらんでいくとは思いもよりませんでした(笑)。ちなみに、孫遜は実際にきてみるまで、日本に対してあまりいいイメージを持っていなかったらしいですね。
孫:初めて日本にやってきたとき、街はどこも綺麗で、人々がとても礼儀正しいことに驚きました。率直に、とても素晴らしいと感じたのです。でも、しばらく滞在するうちに、どこか表面的で、ときに完璧主義的な感じを受けることもありました。
しかし、居酒屋巡りの体験は、日本の人たちにも実際はいろいろな顔があることを感じさせてくれたのです。そこは人々が自然な姿ですごせて、さまざまな緊張がほぐれていく場のようでした。居酒屋に一歩入ると、リラックスしておしゃべりできるのではないでしょうか。日本の神社にある鳥居に似た感じで、居酒屋もある種の「境」を超えた世界のように感じました。
—表の顔しか見えなかった日本の人たちの、より多様な姿に近づけたということですか?
孫:そうですね。来訪者としては公の場での姿にふれることが多かったけれど、居酒屋では自然とプライベートな姿を感じることができました。今回の作品は、そうした個人的な体験から感じたこと、考えたことを凝縮した小宇宙のようにしたいのです。
目に見えるものではなく、心のなかにこそ真実がある。(孫)
—まだ謎も多いものの、今回の孫さんの試みがとても楽しみになりました。
金島:今回のプログラムはオープニングの1日だけ、この家庭科室を居酒屋にし、料理や飲み物をふるまいます。芸術祭に出現した風変わりな空間として楽しんでもいいし、先ほど話のあったような日本文化と居酒屋の関係、さらに歴史や思想の話まで、いろんな読み解き方もできるものになると思います。ちなみに料理人は孫遜が自ら担当、私も店長として参加し、「安心の居酒屋」を目指します!
—つまり今日は、実は新しい居酒屋の店長と料理人にお話を聞いてたのですね(笑)。
金島:はい(笑)。なおオープニングの日以降は、ここはその居酒屋の「記念館」になります。記念館というのはいろいろな出来事を再現したり、記録を公開したりして伝える場所ですよね。以降はそうしたかたちをとって、居酒屋として共有された時間を人々に伝える。その方法は、いま孫遜を中心に考えているところです。
孫:ここはもともと小学校だったけど、いまはもう違う(2016年に4つの村立小学校が統合された結果)。では、ここは一体何なのでしょう? 建物同様、その意味は空洞になっているとも言えます。
そういえば、金島さんとは、伊勢神宮も訪ねましたね。神道の考え方は、そこに何もないけれど神がいると感じるものですが、皆が心のうちに感じているものは、人それぞれ違うものかもしれません。
孫:目に見えるものではなく、心のなかにこそ真実がある。この感性は、日本を含む東アジア文化に共通すると感じます。そこで今回、私はまず自分に問いかけました。「中国出身のアーティストである自分が、ここで日本式の居酒屋を作ろうとしている。それはなぜか? どんなものであったらいいのか?」。
そこには東洋的な文化や哲学も入り込んでくるでしょう。日本のみなさんが思う以上に、日本的なものも現れるのではと思います。そうして生まれる居酒屋は、私がこの地で自分の心を開いてみるようなものです。
沖縄にある文脈と、各アーティストの思想のようなものが出会い、表現として現れる。そんな芸術祭にしたいです。(金島)
—沖縄のやんばる地域で開かれる芸術祭という点には、どんな意義を見出していますか?
金島:いま芸術祭は日本各地で開かれていますが、その多くはテーマに合わせて「このアーティスト」「この作品」という感じで出展内容を決め、現地に集めて見てもらうものが多いと感じます。対して『YAF』は去年の初開催時から、いかに地元と協力して芸術祭を作っていくかという姿勢で始まりました。
—その際、やんばる地域の魅力をどうとらえていますか?
金島:ここには、沖縄のなかでも特に森と島という豊かな自然があります。歴史に目を向ければ、沖縄はかつて琉球として中国、日本、台湾など多くの国や地域と交流してきました。ですから、今回も孫遜のほかに、台湾や、日本でも北海道や鹿児島からのアーティストグループが参加予定です。ここでも、森と島というキーワードはつながりそうです。
—各国アーティストが集う日本の国際展も増えていますが、単なる華やかさや多彩さを超えた独自の意義を探りたい?
金島:東アジアの文化と歴史を巡る興味深いつながりは、ひとつの可能性だと思っています。たとえば『YAF』にはアート部門と共にクラフト(工芸)部門があります。沖縄の焼き物を見ると、そこには朝鮮半島の焼き物文化からの影響も感じたのですが、実際、むこうの焼き釜をこちらに持ってきた経緯もあると知りました。作品体験を通じて、その背景にあるさまざまなことにふれられるんです。アジア諸国の作家を招くのも、各国代表みたいなことではなく、そうしたつながりと、そこから生まれるものを感じられたらという思いがあります。
金島:台湾のアーティストとは、台湾の昔ながらの生活を学ぶことができる宿泊型ワークショップを実施する予定です。彼らの拠点である台東県は、多民族社会の台湾のなかで、原住民が多い地域ですが、長く続いてきた生活と表現、その延長に彼らの芸術活動もある。そして、やはり美しい森と海と島の風景があって、やんばると重なる部分も感じます。だからこそ、今回ここで協働したいと思いました。作る側も、観る側もこの場所からいろんなことを考える、そんな芸術祭にしたいですね。
—沖縄文化の特徴を「チャンプルー文化」と呼ぶことがあります。野菜や豆腐などいろいろな素材を混ぜ合わせて炒める沖縄料理「チャンプルー」になぞらえ、多種多様な文化が交差・成熟したものだとする考え方です。
孫:その言葉は知りませんでした。でも、ゴーヤーチャンプルーは中国にもほぼ同じものがあるので親しみを感じます。三線の演奏にのせた歌もそうで、まるで私たちの言葉で歌いかけられているかのように、自然に伝わってきました。ですから、あなたが言うチャンプルー文化も、今回の私の作品と通じ合うところはあると思います。
—そうした豊かなつながりの一方でというべきか、さまざまな「境」の交差がときに困難を生んできたのも、沖縄の歴史かと思います。
金島:たしかに。厳しい現実にも目を向ければ、アジア各地で今なおみられる、分断や支配 / 被支配と摩擦の歴史を通じて、この芸術祭をとらえることも可能でしょう。これついては考えもいろいろで、中国にも台湾にも難しい問題が横たわっていますが、自分たちがその内側にいるとかえって気づけないようなことも、異なる視点が入ることで再考できるかもしれません。
—なるほど。
金島:私自身、このやんばるで人々と交流しながら、ここで何ができるかを考えたい。「あの作品はよかったから、ここに持ってきて飾ろう」という進め方ではなく、さっき孫遜が話してくれたような本質的な話を、各参加者たちと一緒に議論しながら進めています。結果、現代の世界や日本、そしてここ沖縄にある文脈と、各アーティストの思想のようなものが出会い、表現として現れる。そんな芸術祭にしたいです。
変化を取り入れ続けるシステムを持っているものは、なくならずに残っていく。言ってみれば、変化するということだけは、不変なのです。(孫)
—なぜ芸術祭で居酒屋? という問いから始まり、いろいろな広がりのあるお話でした。地元の人や国内旅行者はもちろん、海外からの観光客も訪れてくれたらよいですね。
孫:もちろん、誰でも歓迎します。つながりの話をより広げると、私たちの世界は、誰かひとりが亡くなるとそのぶん何かが欠けてしまうようなものだと思います。たとえ遠くの知らない国に住む、直接的には無関係な人であってもです。ヘミングウェイの小説名にもなった、『誰がために鐘は鳴る』という言葉がありますね。誰かが亡くなったときに鳴らすあの鐘の音は、誰のために鳴らしているのか? それは人類すべてのためです。
—『誰がために鐘は鳴る』という言葉のオリジネイターである英国詩人、ジョン・ダンの詩には、<人は離れ小島ではない 一人で独立してはいない 人はみなひと続きの大地の一部である>という言葉もありますね。だからこそ鎮魂の鐘はすべての人のために鳴る。孫さんはそうした目に見えない広いつながりと同時に、この世界の無常さを強く意識しているのでしょうか?
孫:そうですね。常に何かが生まれ、何かが消えていくその連続のなかに私たちの世界があるのは確かです。また、誰でも若いときには未来へと自分の世界を広げていきますが、ある程度の年齢になると、ずっと付き合ってきた家族や友人たちが、ひとり、またひとりと先に他界していくでしょう。そして、最後は自身が亡くなる。
同じように、かつてここに琉球王国が興り、やがてその歴史を終えました。そして今、この場所は小学校ではなくなり、この冬には1日限りの居酒屋になったあと、それも終わりを遂げるでしょう。私はこれらすべてにつながる「無常」の感覚を見いだしています。
—そうした世界観のなかで、人生にどんな意義を求めていますか?
孫:アーティストは常に新しい自分、新しい世界を再考し続ける存在です。伊勢神宮が20年ごとに本殿を建て替えることで1000年以上も存続してきたように、変化を取り入れ続けるシステムを持っているものは、なくならずに残っていく。言ってみれば、変化するということだけは、不変なのです。
—だからこそ、変化をどう考えるかが大切なのでしょうね。孫さんが今回『YAF』でこのプロジェクトをやる意義も、そこに重なる気がしました。
孫:私自身、このやんばる地域で作品を作ることを考えるなかで、そうした変化についての感覚がより強く意識されるようになったとも思います。
—また、ここが居酒屋になった日に、ぜひ伺ってお話できたらと思います。
孫:(流暢な日本語で)「いらっしゃいませ!」(笑)。居酒屋スタイルでお迎えしますから、ぜひ遊びにいらしてください。
- イベント情報
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- 『やんばるアートフェスティバル』
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期間:2018年12月15日(土)~2019年1月20日(日)
会場:
沖縄本島 北部地域
大宜味村 大宜味村立旧塩屋小学校(大宜味ユーティリティーセンター)/大宜味村立旧喜如嘉小学校/芭蕉布会館
国頭村 オクマ プライベートビーチ & リゾート
名護市 マリオット リゾート&スパ/カヌチャリゾート/名護市市民会館前アグー像
ほか
- プロフィール
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- 金島隆弘 (かねしま たかひろ)
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1977年東京生まれ。2002年慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了、ノキア社、株式会社東芝、東京画廊+BTAP、ART iTを経て、2007年よりFEC(ファーイースト・コンテンポラリーズ)設立。FECでは、アーティストの制作支援や交流事業、展覧会の企画等を手掛ける。2014年には一般社団法人芸術と創造を設立し、東アジアの現代美術の調査研究事業を行う。アートフェア東京エグゼクティブディレクター(2010-15年)、アート北京アートディレクター(2015-17年)を経て、現在京都市立芸術大学大学院美術研究科芸術学博士過程に在籍。
- 孫遜 (すん しゅん)
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1980年生まれ、中国遼寧省阜新出身。北京在住。2005年に中国美術学院版画学科卒業。翌年、π格動画スタジオを創立。国内外の展覧会に多数参加し、ベルリン映画祭とベネチア映画祭などにも入選。隠喩的な絵、暗黒的手描きスタイル、そして跳躍的なプロットは個性的な視覚的言語である。近年、メディアアートを原点に、視覚的芸術の異なる領域に斬新な試みを始めている。新聞紙、書籍、木版画、水墨、トナー等、違った媒体による効果を探索しつつ、非線形で表す時間、空間概念を自身に対する社会や社会理論の見解と結合し、幻想的且つ現実的な表現を探求している。
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