春夏秋冬の4部作で「夜しかない街」を描き出したPoet-type.Mの壮大なプロジェクト「A Place, Dark & Dark」を2016年4月に完結させ、門田匡陽は岐路を迎えていた。BURGER NUDS~Good Dog Happy Men時代も含む、キャリアの集大成的な色合いもあった作品だけに、30代後半を迎えた門田にとって、そこが安住の地となる可能性はあったし、実際に彼はしばらく「独り」を選んでいた。
しかし、その後に起こった内外の変化によって、新作『Pocketful of stardust』は、ここに来てまた新たな門田匡陽像を打ち出す、開かれた転機作となった。アートディレクターで「sui sui duck」のバンドメンバーでもある高橋一生や、ダンサーで『ミスiD2019』ファイナリストの櫻井香純など、下の世代との出会いが門田にとって非常に大きな出来事になったという。クリエイターとしての真摯な姿勢は一切揺らぐことなく、しかし、かつての攻撃的な目線はやや影を潜め、30代後半になった自分自身が変化していることに戸惑いつつも、それを楽しみ、新たな美しさを生み出そうとする。フラットな門田の現在地がそこにはあった。
<君は独り 絶対独りで無敵さ>って言いながら、「俺、全然独りじゃなかったじゃん」って。
—今日は浅草花やしきでの撮影でしたが、実家がこのあたりだそうですね。
門田:そうなんです。小学校のときは1か月に15回くらい来てた(笑)。自分の中のイノセンスな部分と合うというか。他の遊園地に行っても全然そういう感じはしないんですけどね。なので、今日は来られて楽しかったな。
—来たのは久しぶりですか?
門田:あ、でも毎年Good Dog Happy Men(以下、GDHM)のメンバーと花火の日に来てたの。隅田川の花火大会の日に、1年に1回ここが夜までやってて、そのときGDHMの面子で集まって遊ぶんだよね。男4人でジェットコースター乗ったり(笑)。
—非日常の世界、ファンタジーの世界を子ども心に植え付けられた場所でもあるのでしょうか?
門田:確かに、そう言われたらそうかもしれない。昔から日常と非日常の境目が曖昧だったっていうのはあるかも。
—2015年から2016年の1年をかけて、「夜しかない物語」を描いた4部作の「A Place, Dark & Dark(以下、D&D)」を発表し、それが2016年4月の独演会で区切りを迎えたわけですが(参考記事:Poet-type.M(門田匡陽)、現代のクリエイターにNOを突きつける)、今振り返ると、あのプロジェクトは門田さんにとってどんな経験だったと言えますか?
門田:すごく楽しかったし、他のミュージシャンとの差異も出すことができたと思うから、「これが俺のやり方だな」って思った。そこで描いてた世界と現実の乖離が大きくなって、要は、帰って来られなかったんですよ。だから、「俺はこれからD&Dだけをやっていく人になるのかな」とか思ったりもして。
—じゃあ、すぐに新しい曲も作り始めていたわけですか?
門田:そう、曲は作り始めていて、俺はまたすぐ出したかったの。でも所属事務所の方で組織変更があって、前の社長がいなくなったりして、出せなかったんだよね。「1年は様子を見てくれ」って言われて。でも、ネガティブな気持ちはなく、「それまで好き勝手やらせてもらった分、1年の間に曲作ればいいや」くらいの気持ちでいて。
—その1年で書き溜めたものが、今回の『Pocketful of stardust』に繋がっている?
門田:『Pocketful of stardust』って、作ったばっかりの作品なんですけど、聴くのが結構つらいんですよ。というのは、今思い返してみると、「D&D」が終わってからこれができるまで、すっげえ孤独だったんです。
2016年4月に「D&D」が終わって、今年8月のレコーディングまで、Poet-type.M(以下、PtM)は俺の心の中にしかなかった。会社から「様子を見てくれ」って言われて、はっきりとしないまま、闇雲に24曲くらい作ってたんですよね。
—じゃあ、精神的には結構きつい時期だった?
門田:それがそうでもなかったんです。俺はこれまでバンドしかやってこなかった人間だから、PtMもできればバンド方向に持っていきたいと思ってたけど、この2年で「俺は独りだ」って再確認したんです。独りでいいし、独りがいい。独りだからこそできる音楽があるなって思った。
今回3曲で水野(雅昭)くんにドラムを叩いてもらってるけど、それ以外は全部自分で演奏していて。これまでPtMは俺のソロということでやってきたけど、楢やん(楢原英介)や水野くんやスタッフに頼ってる部分も多くて、ずっと支えられていたことに気づかされたというか。<君は独り 絶対独りで無敵さ>(“楽園の追放者(Somebody To Love)”)って言いながら、「俺、全然独りじゃなかったじゃん」って。なので、今回は独りであるということをもっと苛烈に、その孤独を突き詰めたいなって思って、自分以外の音は最小限にしたんです。前に人から言われた言葉で、その通りだなって思ったことがあって。
ネットは一過性のムーブメントを生み出しやすいけど、文化は即時性のものだけではない。
—それはなんでしょう?
門田:多くのアーティストのファンは「君は孤独かもしれないけど、俺も一緒だよ」という歌を求めていて、つまり、ファンは自分の似顔絵をアーティストに描いてもらいたい。でも、「門田くんの音楽は門田くんの自画像で、それに憧れて聴いてる人が多いよね」って言われて。
自分がそうだとはおこがましいから言えないけど、俺が好きなアーティストは確かにそういう人だなって。デヴィッド・ボウイやプリンスは「これは君の音楽だよ」とは言ってくれない。「お前がこっちに来い」って。俺がやりたいのはそれだって、心の底から思ったんです。
—じゃあ、『Pocketful of stardust』の「stardust」には、「Ziggy Stardust」(デヴィッド・ボウイ)へのオマージュが含まれてるわけですか?
門田:それもあるけど、今回「星屑」とか「瓦礫」みたいな言葉を使ってるのは、死んで朽ち果ててしまったもののフラジリティにものすごく親近感を持ったからなんです。
ネットは一過性のムーブメントを生み出しやすいなって思うんだけど、文化って即時性のものだけじゃないし、脊髄反射で全部が説明できるものでもない。「星屑」とか「瓦礫」になって初めて文化がわかるんじゃないかなって。朽ちた状態、終わった状態になって、初めて価値がわかることっていっぱいあると思う。「別れ」とかもそうだと思うんですよね。星屑になってみて、初めてそのときの眩しさがわかる。だから『Pocketful of stardust』って、和訳すると、「思い出がいっぱい」ってこと。
—SNSの即時性とは逆のベクトル、思い出や、積み重ねられた時間にいま一度想いを馳せてみようという試みだったと。
門田:うん、そういうことですね。
今回は映画版の『風の谷のナウシカ』がやりたいと思ったんです。
—昨年末から行われていた『Pocketful of stardust』の独演会と連動して、オフィシャルサイトには小説もアップされていましたが、物語の世界観やストーリーに関しては、どのように構築していったのでしょうか?
門田:さっき話した組織変更とかもあって、前までずっと一緒にやってきたスタッフもいなくなって、それも孤独だった要因のひとつなんですね。で、今回「はじめまして」だったA&Rから言われたのが、「とにかく今のPtMは外から見てわかりづらい」ということだったんです。それは前までのスタッフからは出てこなかった意見で、逆に「世界観を説明するために、時系列に沿って年表を作ろう」とか言いながらやってたの。
—「D&D」は架空の「夜しかない街」の物語と、門田さん自身のこれまでの歴史が折り重なったものだったわけで、それを細かく説明する方向だったと。
門田:でも、そんな内向的な活動をしてちゃいけないと思って。だから、「D&D」が漫画版の『風の谷のナウシカ』だったとしたら、今回は映画版の『風の谷のナウシカ』がやりたいと思ったんです。
—間口の広さを意識したということ?
門田:これまでのPtMの一番の弱点って、「次は6巻です。5巻のこの話はわかりますよね?」ってことを、俺から言っちゃってたことで。でも映画版はその1本を観たら話がわかるし、「『ナウシカ』を観た」ってことになる。そういう作品にしたかったんです。
だから、衣装も白くして、「D&D」とは違うんだってイメージを全面に出そうと思った。やめてしまった社長は「D&D」に対して、「門田のレガシーを作った」って言ってくれて、俺もそこには満足してたから、今度は俺のことを知らない人に聴いてもらいたいなって。
門田:今回、選曲も単独ではしてないんですよ。
—あ、そうなんですか。
門田:全部A&Rと一緒に選んで。俺だったら絶対にこうはなってない。特に“贖罪の夜、オーケストラは鳴り止まず(Modern Romance)”と“ただ美しく(Grace)”は20代に作った曲で、俺にとっては新しい曲の方が可愛いから、この2年で作った曲の方を入れたかったんだけど、A&Rが出してくれた曲順で聴いてみたら、バッチリだなって。
—“ただ美しく(Grace)”は今作のメインテーマと言ってもいい1曲ですよね。
門田:そうなんですよね。だから、もう前に、未来で拾う星屑を放り投げてたんだなって気がした。
苦手なことは苦手だからいいやって、心を閉ざしてしまうことは本当にくだらないことだなって心の底から思いました。
—“Star dust”“MoYuRu”“瓦礫のオルフェオ(Om br a mai fu)”では、アートディレクターの高橋一生くんと、ダンサーの櫻井香純さんを迎えて、インスパイアドムービーが作られています。若いクリエイターとのコラボレーションも新たな選択ですよね。
門田:めちゃめちゃ刺激になりましたね。自分より十以上若い子たちのもの作りに対する気持ちって、正直すっげえ勉強になりました。今の自分には彼らみたいな勇気がなかったなって。そこはすごく、今回自分の中で一番大きな変化だったかもしれない。
最近いろんなことを前向きにやるようになったんですよ。苦手なことは苦手だからいいやって、心を閉ざしてしまうことがあるじゃないですか?
—年齢を重ねれば重ねるほどそうなりますよね。自分のスタイルみたいなものもできてくるし。
門田:でも、それは本当にくだらないことだなって心の底から思いました。実は最近踊りを始めたんです。それは香純ちゃんを見たからで、自分の音楽を自分で表現できたら、こんな素敵なことはないなって。だから、次のライブでは踊ろうと思っていて。
—これまでの門田さんのライブからは想像できないですね。
門田:そういうことに少しずつ肯定的になってきた。自分にはわからないこと、得意じゃないことに自分を捧げるという行為を、もう少しやっていいんじゃないかって。
本のジャンルにしても、歴史書だったり、今まで読んでこなかったものを読み始めたりしてて。昔からあったものを、頑なに否定したり、わからないって言ったりするんじゃなくて、そのルールや分節を理解して、なんでそうなのかをわからないと次に行けない気がして。
—じゃあ、今まさに変化の最中というか……。
門田:そうなんです。過渡期ですね。それは無意識に今回のアレンジにストリングスをたくさん入れた要因にもなってると思って。これまではストリングスのルールやマナーを理解してなかったし、日本語に乗るストリングスがダサいと思ってたから、自分では上手くやれる気がしないというか、苦手意識があって。
でも、ちゃんとルールやマナーを自分の中で消化したら、意外とできたんですよね。文化の分節を見極める意味でも、歴史あるストリングスの要素を自分の音楽の中に取り入れたいと思ったんです。
—数量限定のパッケージ盤では8曲目に収録されていて、デジタルではエクストラとして3月に配信される“光の言語(Absolute Blue)”では、ダンサーの櫻井さんがボーカルとして参加していますね。
門田:もともと誰か女の子に歌ってもらいたいと思ってて、いろいろトライはしてみたんですけど、全然パッとしなかった中で、初めて香純ちゃんに会ったときに、「天使みたいな声してるな」って思ったんです。
天使って、両性具有なんですよ。女の子の声でも、男の子の声でもない、すごくいい声だなと思って、「歌ってみない?」って聞いたら、二つ返事で「やります」って。そのときが、さっき言った「知らない世界に飛び込む勇気」を垣間見た瞬間で、俺もこうじゃないとダメだなって。
表現することに関して、テヘペロは許されない。
—ここまでの話を聞いて、今回の作品は二軸あるなという印象です。内容的には、「思い出」がキーワードになっていて、これまで出会ってきた人や音楽が今の門田さんという「独り」を構成していることを改めて感じさせつつ、その一方では櫻井さん、高橋くんといった自分より下の世代との出会いによって、その培ってきたものが崩されようとしている。「過渡期」という言葉が出てたのも、そういうことなのかなって。
門田:うん、かなり崩されました(笑)。この作品を作ることではっきりと句読点を打って、そこから過渡期に入った気がしますね。本当は「D&D」で打ちたかったけど、その打ち方をずっと探してた。そうしたら、「こうやって打つしかないですよ」ってA&Rが言ってくれたり、かと思えば、ハッシー(高橋)や香純ちゃんみたいに、俺とは全然違う打ち方をする人と出会って、なるほどなって思ったり。そうやって揺れる自分を楽しんでた。
今までお願いしてたミュージシャンに頼まないで、「今回は俺独りでやるから」って意志表示するのも、結構大変なことだったんです。本当に今回は崩れたし、崩せたとも思う。
—「次は踊る」という話もありましたし、ライブもいい意味でこれまでとは違うものになりそうですね。
門田:10月にあった『アメリカン・ミュージック・アワード2018(以下、AMA)』を見て、正直悔しかったんですよね。表現することに関して、テヘペロは許されないなって。でも、俺も含めて、日本はテヘペロが好きで、自分の表現方法を許してくれる人のことをファンだと思っちゃってる。
ただ、どうやら俺の音楽を聴いてくれる人はそうじゃないらしく、「私は絶対GDHM」「俺はBURGER NUDS以外は聴かない」「PtMの方が絶対いい」みたいに意見が分かれてて、「なにをやっても門田が好き」という人は多くない。つまり俺は、もともとテヘペロが許されない人だったんですよね。それなのに、今までどんだけテヘペロに甘えてきたんだと思って。
—「テヘペロ」っていうのは、「人間性で許してもらう」みたいなこと?
門田:それもあるし、例えば、日本の有名なアーティストのライブって、彼らの曲に興味がない人は置き去りにしちゃってると思うんです。でも、『AMA』に出てるような人たちって、見てる人を自分の表現で殴りに行くんですよ。
俺は今までそれができなかった。ぶん殴りに行って、からぶったら、「20年やっててこの程度かよ」ってなるのが怖かった。でも、それもできないのにお金もらって音楽なんてやっちゃダメだと思ったし、「俺だからこれでいいでしょ」っていうのは絶対にナシだなって思ったんですよね。
—じゃあ、次のライブはダンスだけでなく、編成的にもかなり変わりそうですか?
門田:そうですね。『AMA』を見ていてすげえなって思ったのが、「それ普通成立しないでしょ?」ってことを、本気でやってるんですよ。例えば、ポスト・マローンなんて、あのスタイルなのに口パクで、でもそれを本気でやってる。レベルが低いわけではなくて、ちゃんとそれを仕上げてるんですよね。
門田:俺に今必要なのは「こうやりたい」って思ったことに対して、100%走れることだと思いました。それこそ“光の言語(Absolute Blue)”で香純ちゃんが歌ってるように、「難しいことは考えずに、今やりたいことに全部を賭けろ」って。ちょこちょこ猫パンチ打ってないで、「こういう表現をしたい」って思ったら、全身全霊でやれよって。もちろん、怖さはあるけど、この怖さはすげえ嬉しいんですよね。「俺、安心してねえな」って。
—それにしても、かなり大きな変化ですよね。同い歳として、自分を顧みる機会にもなったというか、勇気づけられた部分もあります。
門田:この歳になると、こういうタイミングが来たとしても、それに気づかないスキルも身についちゃってると思うんですよね。そのスキルを捨てられるかどうかだった気がします。「俺、つまんねえ人間になってるな」って認めましたもん。
俺の周りは20年来の付き合いばっかりで、それだとだんだん自分の世界が狭くなってくるから、絵や本や映画でチューニングをして、ずっとそれに助けられてきた。でもそれってやっぱり副次的で、人との関わりが一番ダイレクトだったんですよね。
—これからの門田さんがどうなっていくのか、楽しみです。
門田:今楽しくてしょうがないですよ。この歳になって、こういうモードになるなんて、自分でもびっくりしてるけど(笑)。
今やろうとしてる演出を遂行できたら、次はすげえ過酷なライブになると思うけど、でも頑張ります。「よくわかんなかったね」じゃ許されない、ダメならダメでもいいから、自分の表現で殴りに行く、そういうライブにするつもりです。
Poet-type.M『Pocketful of stardust』
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- Poet-type.M (ぽえと たいぷ どっと えむ)
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1980年1月30日、東京都生まれの音楽家・門田匡陽(もんでんまさあき)。BURGER NUDS / Good Dog Happy Men のボーカル&ギター。Poet-type.Mは門田のソロワーク名義。
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