映画体験などにも広がるVR(仮想現実)や、『ポケモンGO』で身近になったAR(拡張現実)などのテクノロジーが話題を集める今日このごろ。未来を待つまでもなく、私たちはすでに現実空間と仮想空間の境が曖昧な世界を生きている。情報収集もコミュニケーションも、手元のスマホから実現する時間が圧倒的に多くなった。インターネットについては、今や人間そのものが「常時接続」しているといえそうだ。
そんな現状にふみ込んだ、ちょっと変わった展覧会が『光るグラフィック展2』。デザイナー、画家、イラストレーター、メディアアーティストなど、世代も様々な10数組の作品展示をめぐるだけでも楽しいが、最後の部屋ではこれまで巡ってきた展示を3DCGで再現した(でも奇妙なズレも感じる)仮想空間を歩き回れる。
仕掛け人は、クリエイティブ集団「セミトランスペアレント・デザイン」を率いる田中良治と、自らのアバターが仮想空間をさまよう作品で知られるメディアアーティストの谷口暁彦、そして『インターネットヤミ市』などフィジカルとバーチャルを再接続するイベントにも関わるウェブディレクターの萩原俊矢。彼らに、日常に浸透したネットやデジタル世界の功罪から、フィジカルとバーチャルが溶け合う先の可能性までを語ってもらった。
今、個人情報がパブリックな空間にどんどん放出されているのが気になります。便利さと背中合わせの不気味さもありますよね。(萩原)
—「現実と仮想の境界が溶け合っていく世界」。これが『光るグラフィック展2』の背景にあるのかと感じます。そこでまずは、皆さんが普段感じている、現実とネットの関係について伺えますか?
田中:振り返ると、2007年にTwitterが注目され始めたときはやっぱり衝撃を受けました。最初のころは「今、自分のすぐ近くにセレブがいる!」という誰かのつぶやきで現地に人が押しかける騒ぎがあって、今や懐かしいですが、やがて社会が動くほどのプラットフォームになっていきました。最初から壮大な構造を考えるのとは違って、むしろシンプルな設計のものが、社会を大きく変えることがある。僕にとってSNSというのは、そういうことを気づかせてくれたものでしたね。
—逆に、そうした変化で消えていってしまったものは感じますか?
田中:例えば昔の僕は、音楽雑誌の新譜レビューを読んで、まだ聴けないその曲を頭の中でめっちゃ想像していました(笑)。今だとレビューより先にYouTubeなどで誰もが最新音源にふれられる、便利な世界です。そこにまた別の面白さがあるけれど、当然、変わったもの、失われていったものもあるとは感じます。
谷口:昔のインターネットは、ダイヤルアップで接続して、オルタナティブな世界に「ログイン」する感覚が強かったですよね。そして、多くの人が匿名で参加していた。でも今はスマホなどの常時接続されたデバイスがいつもポケットの中にあり、いろんな通知がやってきて、そのたびに自分の身体がブルっとするみたいな毎日がある。
僕にとって一番強烈だったのは、Googleマップやストリートビューの登場でした。それまでインターネットは現実とは違う場所にあったはずが、ネットの側から「あなたは今ここにいますよ」と教えられることになった。これは、ネットと現実の情報がどんどん接近して重なり合った先に生まれた、逆転現象にも思えました。
—ネットにおける匿名性をどう考えるかも、今はだいぶ変わりましたね。
谷口:かつては「ネチケット」って言葉があって。本名や素性を公開するとトラブルの元だからやめよう、という共通認識があった。でも今はFacebookのように、本名や生年、出身地などを公開することで色んな人とつながれますよという利便性が強調されていて、真逆と言える状態になっています。
自撮り写真をアップし続ける行為やSNSを通じたコミュニケーションもまた、「あなたは今ここにいますよ」というネットの側からの名指しや承認ですよね。物理的な場所に限らず、承認欲求にもつながる「位置」というか。それがさらに、現実とネットは一緒なんだという状態をどんどん強化しているように思えます。
萩原:今の話につなげて言うと、僕は今、ネットを通して個人情報がパブリックな空間にどんどん放出されているのが気になります。普通にネットを眺めているだけで、企業側にさまざまなことがほとんど勝手に解析されている、便利さと背中合わせの不気味さもありますよね。ソーシャルメディアやソシャゲが浸透する一方、ユーザはかつてのように「管理人さん」が何者で何をしているのか、誰も気にしなくなってきています。これに対してヨーロッパのEU一般データ保護規則(GDPR)など、個人情報を企業から取り戻そうという新しい動きも起こっていて注目しています。
—どんどん進む変化をただ受け入れるのではない、カウンター的な動きとも言えそうですね。萩原さんも関わってきたイベント『インターネット ヤミ市』などは、大手が確立したアプリや電子書籍などの流通プラットフォームに対し、より自由な流通を求める人たちがオルタナティブな場を探る動きとも言えそうです。
萩原:ちょっと視点を変えてグラフィックやデザインの話をすると、初代iPhoneって画面のボタン類がすごく本物ぽかったですよね。でも今は画面上での動きを前提にしたフラットなデザインが主流になっている。
他方、2010年代前後から、ファッション界ではシューズブランドのUNITEDNUDEがローポリゴンを現実に出力したようなハイヒールを出し、ANREALAGEによるピクセル画っぽいコレクションが登場してきた。そうして、UIデザイン側は「正しく」バーチャルっぽくなっていき、逆にバーチャルと感じていた質感が現実になる。そういうミックス具合は面白いし、今も進んでいると感じます。
もし実空間と仮想空間で同じ展覧会があったら、それは本当に「同じ」なのか?(田中)
—『光るグラフィック展2』の最後にある谷口さんの作品では、今まで見てきた展示を3DCGの仮想空間で体験できます。これは現実そっくりですが、風景画が3Dになって見えたり、イラストがGIFアニメのように動いていたりと、見え方が変わる作品もありますね。
田中:出展作は、エキソニモによるインパクトのあるものから、静かだけれど強さを持つものなど色々です。今、話にでた風景画については、作者の原田郁さんがもともと自分のパソコンの中で3D空間を10年以上作り続けていて、その風景を絵画にするという面白いアプローチをしている人。だから実空間と仮想空間について考えるこの展示においては、シンボリックな作品でもあります。
田中:大島智子さんはイラストや漫画で活躍していますが、僕が彼女を最初に知ったのは、Tumblrから流れてきた、どこか凶暴さのあるグリッチ的なGIFアニメだったんです。彼女のルーツはその辺りにあるのではと想像して今回依頼しました。そんな感じで、全体的に世代もジャンルもバラバラですが、この企画だからこその組み合わせとも言えます。
—実展示を観終わった後に、今度はほぼ同じバーチャル展示をコントローラーで歩き回る、という仕掛けの狙いは?
田中:もし実空間と仮想空間で同じ展覧会があったら、それは本当に「同じ」なのか? という関心がありました。もちろん違うはずですが、じゃあその「同じじゃなさ」は全作品に等しいレベルで起きるのか、それとも作品によって異なるのか?
例えばジョー・ハミルトンの映像作品は、モニターの枠や壁の「現実」の方が高解像度なので、どうしても比較してしまって荒く見えます。でもバーチャル空間では、空間と作品含めた世界全体が同じ解像度なので、現実以上に作品に入り込めるような気がしました。そうした実空間と仮想空間の可能性を探ってみることは、ヒントになると思ったんです。お客さんも、ふだん思いつかないことをいろいろ考える面白さがあると思います。
現実と仮想空間の融合が強化されるということは、危うさもはらんでいる。(谷口)
—谷口さんはこれまでも、バーチャル空間を自身のアバターがさまよう作品などを手がけていますね。作家としてはどんな考えがあるのでしょう?
谷口:僕の3DCGの作品群は、フィジカルとバーチャルの世界がいつも微妙にズレています。今回の作品では、バーチャル空間で自撮りをすると、「今、写真を撮っているわたし」として、作者である僕の姿が写り、鑑賞者の「私」と作品内の「私」の同一性がすこし否定されるところがあります。仮想空間も、実会場のG8ギャラリーに極力似せているけれど、現実とは違うところもあります。
—なぜ「ズレ」を発生させるのでしょう?
谷口:現実と仮想空間の重なり合いって、危うさもはらんでいると思っていて。ネット上に存在するものって全て何らかのデータでしかなく、移動することと複製が同義だったりして、操作や維持のコストが極めて低いんですよね。
これが良い使われ方をするとクリエイティブコモンズのようなポジティブな可能性を生み出すけど、他方では監視社会や、特定の人の情報を低コストにコントロールできる点で、権力の側に使われる可能性も十分あると思います。だから、現実とネットが重なっていく中で便利になることもたくさんあるけど、そこに意図的にスキマやズラしを考え続けることは、アーティストとしてやるべき作業なのかなとも思っています。
萩原:まさに今回の谷口くんの3D空間は、すぐ隣にリアルな展示空間もあるのが重要。「あ、今みてきた展覧会が丸々バーチャル空間にコピーされてる!」という驚きからもう一歩踏み込んで、双方を比べられるからこそ際立つ「作品の存在」への洞察につながれば、より面白い体験になる。例えば、バーチャル空間での絵のあり方ってどういうものなのか? とか、エキソニモの作品については「物質感のなさ」ってどういうことなんだろう? とかですね。
うわべだけじゃない「芯をとらえた表現」はどのように可能か、ということを求めてきた。(田中)
—最初の話題に戻ると、これからの世界を「こんなふうに眺めたら面白いんじゃないか」というのがあれば教えて頂けますか。たとえば、田中さんがこうした展覧会で、領域を「またぐ」もしくは「つなぐ」試みを続ける理由は何でしょう?
田中:理由はいくつかありますが、自分たちの活動に絡めて言うと、セミトランスペアレント・デザインの契機となった仕事のひとつに、2007年、今はもうなくなったソニービルを使った広告の仕事があります。これはビルの壁面にセットした無数のLED照明を、インターネットからコントロールする大規模なものでした。
田中:ただ、デジタル表現が広告の世界にも重用され、発展していった流れにおいて、特に初期はテクノロジーの目新しさにばかりが注目されがちだった。かくいう自分もそこに関わってきたのですが、その中でグラフィックデザインの人たちが積み上げてきたような長期的な視点をもった実践は軽視される傾向を感じました。でもそこに、デジタル表現の側では持ち合わせていない重要な視点があるのだろう、という問題意識がありました。
—後の山口芸術情報センター[YCAM]でのインスタレーション展『tFont/fTime』(2009年)などは、田中さんたちのそうした意識が反映されていた?
田中:YCAMで展示したのは、グラフィックデザインの基本要素である2次元の「書体(フォント)」に、「時間軸」を加えるというコンセプトの作品でした。たとえばそのひとつ『tFont』では、一見でたらめな光の点滅に見える映像が文字の軌跡を描画していて、シャッタースピードを落としたカメラなどで撮影すると初めて読むことができます。そうした活動からグラフィックデザインの人たちと接点が生まれ、学ぶことが多くあったのが今につながっています。
田中:でも、もともと僕の表現のベースにはデジタルやネットがあるし、だからこそグラフィックデザインの世界と交わることができたとも言える。それらを振り返って自分が何を求めてやってきたかと思うと、時代や流行に左右されない「芯をとらえた表現」はどのように可能か、ということだと思います。そこは根源的なテーマなので、メディアの違いは関係ないだろうということと、そういうものの橋渡し的な役割を自分は担うべきだろうという思いで、2014年に第1弾を企画担当した『光るグラフィック展』は生まれました。
ジワジワと「あれって何だったんだろう」と考えてもらったり、遅れて発見があるような機会になればいい。(田中)
—前回の『光るグラフィック展』は、印刷ベースのグラフィックデザインと、モニターベースのデジタル表現、双方の領域からクリエイターを招いたものでしたね。そのうえで、全員に同じサイズのモニター(一部の作品はライトボックス)で表現してもらうという試みでした。
谷口:前回は、グラフィックデザインとデジタル表現、つまりRGBとCMYKという対比で、どちらの側の作家さんたちも同じサイズの「枠」の中で自分たちの表現をしていました。今回の『光るグラフィック展2』ではその枠がどんどん広がっていって、ギャラリーの空間自体が枠というか、一見すると枠自体がなくなってしまったような状態だと思います。作品や作家のあり方が、ひとつの平面上だけにあるのではなく、実物があったり、その画像や映像があったり様々な有り様で成り立っている。今は、そうした複数のメディアの中での作品のあり方、置かれ方というのも考えなくてはいけないような気がしています。
萩原:枠がどんどん広がり、なくなってしまうという話は、身近な例で言えばレスポンシブWebの考え方にもつながりそうです。つまり、パソコンで見てもタブレットで見ても、スマホで見ても、それぞれ最適なレイアウトで表示されるサイト。あるいはボーカロイドの初音ミクや、『Splatoon』のゲームキャラクターがn次創作されたり、現実にライブをしたりするのもそうで、枠組みが広がるなかで、個々には全然違う見え方になっていくけれど、存在としては同一視されている。それって何なのだろうと考えるのも、結構面白いんじゃないかと思っています。
田中:1回目の『光るグラフィック展』では「何がやりたいのかは良くわからない」という反応も結構ありました(苦笑)。これは展示の性質に加えて、観客のほうは派手な演出に慣れていた時代の空気感もあったと思う。でも、まさにそういう状況で改めて立ち止まって考えよう、という展示でもあったし、そこは今回も一緒ですね。
田中:実は今回も、以前と似たような感想も割とあって(苦笑)。ただ、逆に「前回はすごく良かった」みたいな感想も見ると、当時はわからなかったけど結構評価してくれた人もいたんだ、という気づきもあります。だから、ジワジワと「あれって何だったんだろう」と考えてもらったり、遅れて発見があるような機会になればという気持ちもあるんです。
—瞬間風速的にパッと皆を楽しませて消費されるのではなく、皆がじっくり感じていく展覧会になると良いですね。会期中のトークイベントなどもありますし。
田中:そういう良い風が吹くのを祈っています。今回、呼べなかった作家も沢山いて、3回目がやりたいという気持ちもあるので、暴風の方が良いのかも(笑)。「芯をとらえた表現」という話もしましたが、フィジカルとバーチャルみたいなテーマが、そうした本質的なことを考えるための補助線になればと考えています。だから「オレはこの補助線、ちょっと気に入らないな」という意見も含め、見てもらう人を色々刺激できたら嬉しいです。
- イベント情報
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- 『光るグラフィック展2』
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2019年2月22日(金)~3月28日(木)
会場:東京都 銀座 クリエイションギャラリーG8時間:11:00~19:00
参加作家:
藍嘉比沙耶
エキソニモ
大島智子
葛西薫
亀倉雄策
カワイハルナ
北川一成
groovisions
小山泰介
佐藤晃一
ジョー・ハミルトン
鈴木哲生
谷口暁彦
永井一正
永田康祐
ネイツ・プラー
長谷川踏太
原田郁
UCNV
休館日:日曜、祝日
料金:無料
- プロフィール
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- 田中良治 (たなか りょうじ)
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ウェブデザイナー / セミトランスペアレント・デザイン代表。同志社大学工学部 / 岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー卒業。企業ブランディング、広告の企画・制作から国内外の美術館・ギャラリーでの作品展示までウェブメディアを核としながら様々なメディアで活動。近年ではG8での『光るグラフィック』展の企画、gggでの『セミトランスペアレント・デザイン退屈』展などがある。
1984年神奈川生まれ。プログラムとデザインの領域を横断的に活動しているウェブデザイナー / プログラマ。2012年、セミトランスペアレント・デザインを経て独立。ウェブデザインやネットアートの分野を中心に企画・設計・ディレクション・実装・デザイン・運用など、制作にかかわる仕事を包括的におこなう。2015年より多摩美術大学統合デザイン学科非常勤講師。IDPW.org正会員として文化庁メディア芸術祭新人賞を受賞。
メディア・アーティスト。多摩美術大学情報デザイン学科メディア芸術コース講師。メディア・アート、ネット・アート、映像、彫刻など、さまざまな形態で作品を発表している。主な展覧会に『[インターネット アート これから]——ポスト・インターネットのリアリティ』(ICC、2012年)、『』SeMA Biennale Mediacity Seoul 2016』(ソウル市立美術館、2016年)、個展に『滲み出る板』(GALLERY MIDORI。SO、東京、2015年)、『超・いま・ここ』(CALM & PUNK GALLERY、東京、2017年)など。
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