青春。ひたむきに、振り返ることなく駆け抜ける日々の美しさを指して、人はこの言葉を使う。しかしこの魔法のような言葉は、使い方を誤ると呪いのようにのしかかる。いつまでも終わらない春に取り憑かれてはならない。生きている限り、私たちの時は流れ、季節は巡るのだから。
篠原良彰とナナによる男女デュオ、ラッキーオールドサンが3作目のアルバム『旅するギター』を4月17日にリリースした。本作のリリースを前に、ふたりは結婚し、東京を拠点にした活動を終えて篠原の地元に移住。人生も音楽活動も、次のステップに踏み出した彼らの「歌のかたち」はどのように変わったのだろうか? サニーデイ・サービスをはじめ、数々のバンドたちの青春を見つめてきた北沢夏音をインタビュアーに迎えて、本作に至るまでのドラマを紐解きたい。
ナナさんはきっと、フレディ・マーキュリーみたいには歌わないだろうって。(篠原)
北沢:僕がラッキーオールドサンのことを知ったのは、1stフルアルバム(2015年リリースの『ラッキーオールドサン』)が出たときなんです。ココナッツディスク吉祥寺店のブログでプッシュされていて、それで気になって聴かせていただいて、“ミッドナイト・バス”っていう曲がすごくいいなと思ったんですよね。
歌詞もメロディーもトランペットをフィーチャーした編曲も全てが素晴らしいんだけど、ビデオがすごく印象的だった。最初ナナさんが独りで夜道を歩いていて、一人ずつ同伴者が増えていく。みんなにこりともしないで、思い詰めたような表情で歩き続けている。未来を夢見て、「約束の場所」に向かって進んでいるんだけど、先行きが不透明な世界に呑み込まれそうで、夜が白むまでとにかく淡々と歩いていくしかない――そんな決意が感じられて。ふたりの反抗心みたいなものも伝わって、ビデオも含めて傑作だなあと思います。
北沢:2ndアルバムの『Belle Époque』(2017年)も味わい深い作品でした。僕は大好きな言葉なんだけど、「Belle Époque(佳き時代)」ってあんまり今の人たちは使わないでしょう? それでCINRA.NETのインタビューを読んだら、「平成」と書いて『Belle Époque』って読ませたいくらいの気持ちでつけたと言っていて(参考記事:ラッキーオールドサンが歌う、「今」という時代を肯定する歌)。それぐらい強い気持ちで「今」を肯定したくてつけたタイトルだと知って、また非常に興味を持って、どういう人たちなんだろう、ってずっと思っていたんです。
篠原(Vo,Gt):ありがとうございます。
北沢:それで今回、おふたりが結婚されたと聞いて……本当におめでとうございます。そういうタイミングで出たアルバムということもあって、特別な想いがこもっているんだろうなと感じました。今日はおふたりの出会いから話を聞けたら、と思っています。4月7日に東高円寺のU.F.O. CLUBで結婚披露宴的なライブをやると伺ったんですけど、「なぜU.F.O.で?」と思ったら、出会いの場所だったと。
篠原:そうですね。お互いラッキーオールドサンを組む前からやっているバンドがあって、U.F.O CLUBで対バンしたのが最初の出会いで。
北沢:何年に対バンしたんですか?
ナナ(Vo):……6年くらい前?
北沢:じゃあ2013年。
篠原:そうですね、そのくらいです。
北沢:そこからラッキーオールドサンはどのように結成されたんですか?
ナナ:当時私はキーボードだけで、歌ってはいなかったんですけど、そのバンドとは別に曲は作っていて。対バンからしばらくして、篠原さんから突然連絡が来たんです。
北沢:どうしてナナさんにコンタクトをとろうと思ったんですか?
篠原:パンクバンドを新しくはじめて、ライブをするタイミングでボーカルがいなくなってしまい、取り急ぎ歌う人が必要だったんです。そのとき、ラッキーオールドサンのサポートをしてくれている田中ヤコブくんと「歌わされてる感のあるボーカルが、すごくいい」って話をしていて、ナナさんはきっと、フレディ・マーキュリーみたいには歌わないだろうと。今はもちろんいい意味で歌そのものみたいな存在だと思いますが。
それでナナさんに声かけてみたら、歌がすごくよかったんですよね。もともと1回のライブで終わりの予定だったんですけど、それではもったないし、なにより曲を作っていると聞いたので、ゼロから新しいバンドを作ってみようということになって。それでラッキーオールドサンを組むに至った感じです。
北沢:ボーカルの誘いを受けたとき、どう思いました?
ナナ:本当に突然、夜に連絡が来て……たしか朝まで電話で話したんですけど。
北沢:朝まで! よほど気が合ったんですね?
ナナ:気が合ったというか、すごく話してきたから(笑)。それまでふたりきりで話したことがなかったから、最初は心配だったんですけど、スタジオに入ってみたら楽しかったんです。それで徐々に気が合うなって感じるようになって、今に至ると思います。
北沢:ナナさんが曲を書いていることを、篠原さん以外の人に話したことはあったんですか?
ナナ:ないです。
北沢:その電話で他の人に初めて伝えた、それがすべてのはじまりなんですね?
ナナ:そうですね。自分でもなにかしたいなとはずっと思っていたんですけど、なかなか動けなくて。だから篠原さんがすごくいいタイミングで、話をくれて嬉しかった。
音楽をするために上京をしているので、それを守るために他のことすべてやってきた。(篠原)
北沢:初めてスタジオに入ってから、ラッキーオールドサンに至るイメージが湧いたのはどのタイミングですか?
篠原:“海へと続く道”は最初のほうに作っているので、それができたのが大きいかもしれないですね。
北沢:自主制作1st CD-R(2014年)のタイトルソング。そのころはまだ大学を卒業する前?
篠原:自主制作盤のあと、1stミニアルバムを出したときはまだ大学生で、1stフルアルバムを出した2015年の春に自分が卒業しました。で、一度就職して、きっちり3か月勤めあげて風来坊になりました。
北沢:就職活動したのは、バンドだけでやっていこうって気持ちにはなれなかったから?
篠原:そうですね。東京にいたかったし、東京にいるための生活手段として就職をした感じです。だから東京以外の配属だったら、その瞬間に僕はたぶん辞めていたと思う。音楽をするために上京をしているので、それを守るために他のことすべてをやってきた感じなんです。
ただレコ発と仕事の日程がぶつかっちゃったことがあって。会社に対しては申し訳ない気持ちがありつつ、まだそのときはバランスの取り方がわかってなかったので、「日程被ってるし、これはもうどっちか諦めなきゃ無理だ」と思い込んで、会社を辞めて、レコ発を選んだんです。今だったらまた違う選択をとるかもしれないけど。
北沢:そのとき音楽で食べていこうと覚悟が決まった?
篠原:もともとサラリーマンが向いていなかったんですよね。自分のこと以外は頑張れなくて。
北沢:音楽なら頑張れると。ナナさんは、篠原さんが社会人になる姿を見ながら、これからどうなるのかな……と考えていたところもあった?
ナナ:そうですね。やっぱりすごくしんどそうで。私も一度就職をしたんですけど、入ったところがちょっと変な会社だったのもあって、周りもどんどん辞めていくなか1か月で辞めることにして。
北沢:その時点で、音楽で生きていくしかないなと。
ナナ:はい。
青春っていうのも季節っていうだけで、常に精一杯生きていくことは変わらないと思うんですよ。(篠原)
北沢:そのあと、2ndミニアルバム(2016年4月発表の『Caballero』)を挟んで『Belle Époque』が出るまで2年かかっていますが、リリース毎に自分たちが着実に前に進んでいるという実感はありましたか?
篠原:常に迷っていて、その迷いのなかでなんとか正解を出している感じなんですね。作っているときは毎回毎回必死で。我々の作品は簡単な思いつきからテーマが決まったりするんですけど、それと向き合うと今の自分たちを投影せざるを得ないんです。それに加えて、人間関係とか自分の置かれている環境とかいろんな要素が重なって……振り返ると積み重なっているように見えても、その瞬間瞬間は今がすべてというか。
それに作品を1枚出すたびに環境が変わっているのも大きくて。今回はまさに東京を離れたタイミングでもあるし。なにかひと続きの音楽活動というよりは、1枚ごとに完結させながらここまできた気がします。もっと踏み込んで言うなら、『Belle Époque』で我々の第一章が終わったような、終わらせたような感覚です。
北沢:「終わらせた」ということは、第二章に進みたいという強い気持ちがあった。
篠原:そうですね。まさに朱夏に入った感じというか、我々にとっては『旅するギター』はそれ以降という感じです。
北沢:朱夏というのは青春の次に来る実りの季節ですよね?
篠原:そうですね。この朱夏という感覚は、ポジティブな意味なんです。僕は、ひとつの季節に閉じこもるほうが欺瞞だと思う。たとえば、同じ場所に戻ったからといって、そこに同じ熱は宿らない。人間は今を精一杯生きることで輝くものだと考えていて。
北沢:ナナさんはどうですか?
ナナ:前作を作り終えた段階で、「そろそろ朱夏に入る時期だ」とふたりで話していたんですけど、当時、朱夏という感覚は私よりも篠原さんのほうが強くあったと思う。でも、今作の制作中に結婚と東京を離れるという転機があって、そのふたつを経て私も朱夏に突入した感覚は強くなりました。青春時代を過ごした街を離れる決断をしたことによって、もう同じ地点にはいないなと。
篠原:やっぱり、『Belle Époque』は青春の終わりのような感覚です。今回はそれを越えて東京で活動してる友達、京都で活動してる友達と一緒に音楽を鳴らして、大きな地図を作ってやろう、という気持ちがあって。そういう意味で、今作ははじまりのアルバム。
「青春」というのは季節のことだけで、常に精一杯生きていくことは変わらないと思うんですよ。単純に年齢をひとつ重ねふたつ重ね、ということと同じことだと思う。
お互いキリキリしているというか、いっぱいいっぱいになってきている感じはしていて……。(ナナ)
北沢:おふたりにとって、青春時代を過ごした東京を離れる、というのは今後の人生を左右する一大決心ですよね。篠原さんの故郷に帰られた理由はなんだったんですか?
篠原:すごくいろいろ悩んで、選択としてはこうなったんですけど……実際は音楽を優先したくて帰ったところが大きいんです。東京で生活していると、音楽というものにあまり向き合いきれない感じがあって、煮詰まってきてしまって。
北沢:東京にいることで、いちばん大事なものが守れなくなってきた?
篠原:そうですね。生活の部分も大きいですし、精神的な部分も大きいです。だんだんよくわからなくなっていくというか。
北沢:東京にいなくても音楽はできるんじゃないかと思えてきた?
篠原:いや、それはわかんなかったですけど……あさま山荘状態に突入していたというか(笑)。
北沢:ふたりで立てこもっちゃったんですか!?
篠原:東京でそういう感じになってきていたので。一度山を降りない限りは……。
北沢:それはかなり切羽詰まった状態に聞こえますが、ナナさんは自分たちの状態をどういうふうに感じていましたか?
ナナ:お互いキリキリしているというか、いっぱいいっぱいになってきている感じはしていて……。
篠原:音楽、音楽って言ってるけど最近ギター持ってないなとか、そういう状況が嫌で。「僕は今、本当に音楽をやっているのか?」みたいなことも考えて。音楽に対する気持ちはすごく純粋なものだったはずなのに、わからなくなっていく感じがあったんです。だから一度なにかを手放さないと、その純度を守れないなと思って。そのときはどうなるかわからなかったですけど、今はその判断は正しかったかなと思います。
東京で活動していたときは音楽を「現象」で見ているところもあって、聴いているようであまり聴いていなかったなと。(篠原)
北沢:生まれ故郷に帰って音楽を続けるという選択と、ご結婚のタイミングは重なったんですか?
篠原:先に自分が帰って、1年間はバンドとしても遠距離というかたちで活動していて。今作もその期間中に作ったものなんです。地元での生活が落ち着いて、「もう一度一緒に作ろう」という感じになったタイミングで、結婚しました。
僕は地元に帰って音楽をめちゃくちゃ聴くようになったんですよ。東京で活動していたときは音楽を「現象」で見ているところもあって、振り返ると聴いているようであまり聴いていなかったなと感じます。地方で暮らしていると、「現象」みたいなものって遠い話になるんですよね。それで昔聴いていた音楽や新しい音楽を普通に聴くようになって、大学の頃の、音楽をいろいろ聴いていた時期の感覚が戻ってきたんです。
北沢:思い切って状況を変えることによって、リフレッシュできたんですね。ナナさんにとってその1年間はどんな期間でしたか?
ナナ:私はその期間東京に残っていました。ずっと関東で生まれ育ったから、不安もあって悩みましたけど、今はいい決断をしたなと思います。今が一番いい状況なんじゃないかな。
篠原:家に簡易的な防音のスタジオを作ったんですよ。スタジオに行くのも面倒くさいので、そういう場所があるとやりやすいです。
北沢:思いついたらすぐにスタジオに入れるって理想的じゃないですか。音楽を続けることと、生活が行き詰まらないようにすることは、どんなアーティストにとっても最大の問題だと思います。それが解決できたということですよね。
篠原:明日のことはわからないですけど、そうですね。20代後半に差しかかると、みんなどうやって活動を続けていくかについて悩むと思うんですけど、今は、続いていくというか、続けるべきだと思っているので。
「人間ジョン・レノン」と同じ目で世界を見るというのがすごく大事だと思っていて。そこに謙遜する必要はない。(篠原)
北沢:今回のアルバム『旅するギター』はタイトルソングが1曲目にありますね。<他人の真似をしたって構いませんが / ジョン・レノンにはなれないよ>という挑発的なラインではじまりますが、これは「挑発してみよう」とあえて作った歌詞なのか、それとも自分のなかからスッとストレートに出てきたラインなのか、聞いてみたかったんですよ。
篠原:この曲自体は、元になった部分が随分前からあったんです。結果的には全然違う曲になったんですけど、僕の記憶が正しければ、ボブ・ディランの真似をしている人をライブハウスで見て、それがかっこ悪いなと思って(笑)。そこから着想を得て書いた記憶があります。
北沢:これは他のことにも置き換えが可能ですよね。音楽でもなんでも、真似からはじまるという見方もあると思うんですけど。
篠原:心をカバーするのが大事というか。ボブ・ディランという人に近づこうと思ったら、彼の内面を知るべきだし、彼と同じ目で物事を見ることが大事だと思っていて。それは甲本ヒロトとか、自分の好きな人たちも同じようなことを言っていて。あるいは今回、参考にした真心ブラザーズの“拝啓、ジョン・レノン”とか。
北沢:やっぱり“拝啓、ジョン・レノン”の影響もあったんですね。あの曲もあえて、ジョン・レノンを「バカな平和主義者」「現実見てない人」と夢想家呼ばわりして偶像を破壊すると見せかけて、偶像崇拝を否定する歌ですよね。でもものすごく好きなんだということが伝わってくる。
篠原:「人間ジョン・レノン」と同じ目で世界を見ることがすごく大事だと思っていて。そこに謙遜する必要はないし、本気で同じことができると思ってる。形も大事だとは思うけど、心をカバーするべきだと思うんですよね。
嘘をつかないように、音楽に欺瞞がないように正直でいたい。(篠原)
北沢:ラッキーオールドサンはバンドサウンドではあるけど、デュオであることの必然性も垣間見えます。というのも、“とつとつ”を聴いて、ふたりの組み合わせでないとこの音楽は生まれないことの証明みたいな歌だな、と感じたんです。ナナさんはこれをもらったとき、どんなふうに感じました?
ナナ:この曲は“ミッドナイト・バス”とつながっているような気がしました。あの曲の先というか……
篠原:自分も“ミッドナイト・バス”と同じくらい手応えがあって。一筆書きのようにできたときに、今言いたいことは全部言えた気がしたんですけど、それくらい強固な歌です。
北沢:<こころ とつとつ / あなたの言葉で話して / 夜が明けるまで>――すごくグッとくる曲ですよ、これは。たぶんラッキーオールドサンの全レパートリーのなかでも特別な曲になるんだろうなと。この曲と次の“愛はとこしえ”もすごくリンクしていますよね。全10曲のアルバムのなかで僕はこの流れが一番好きです。これはナナさんの作詞作曲ですけど、どういうふうにできた曲ですか?
ナナ:いつもタイトルは最後につけるんですけど、これはタイトルが先だから今までと違いますね。「とこしえ」って言葉を最近知って(ながく変わらないこと、いつまでも続くことの意)、曲で使いたいと思って。あまり今までそういうことはなかったんですけど、言葉の意味と響きに惹かれて書きました。
北沢:<愛はとこしえに歌をうたって / 旅するように生きていけたら / すこしの雨に傘はいらないわ / 見つめ合うこころも そのしるし>というラインがとても素敵だなと。そもそも、“愛はとこしえ”ってタイトルが抜群にいいと思う。ありそうでなかった、バシッと決まった曲名ですよね。
ナナ:たしかにいい言葉。
北沢:最後のフレーズもいいですね。<許し合うこころも そのしるし>。本当に素敵なラブソングだな、って聴き惚れていましたけど。
ナナ:ラブソング……そうかもしれないです。
北沢:今作では、これまでにない試みが多い印象があります。
篠原:そうですね。今までにない人間関係のなかで、正直に言うと、途中で空中分解しそうな危機もあったり。
ナナ:今回関わってくれた人はみんな個性が強くて、今までより一層バンドだな、って思いながら作ったアルバムなんです。
篠原:『Belle Époque』を作り終えたときから、次はこういうロックンロールのアルバムを作りたい、ってナナさんと話していて、この2年間はメンバーを探す過程でした。
北沢:メンバー探しの基準は?
ナナ:気が合うかどうか。一回スタジオに入ってばちっとくるかどうか。
篠原:アクの強い人が僕は好き。参加メンバーはそれぞれが曲を作るし、凡百のプレイヤーみたいな人は一人も参加していない。ギターの岩出拓十郎くん(本日休演)と、ドラムの西村中毒さん(渚のベートーベンズ)が京都を拠点に活動している人たちで、あとは東京からもサポートメンバーを呼んで、京都をメインに東京と行き来しながらレコーディングしました。もともと西村中毒さんの音楽をSoundCloudで聴いて、すごくいいなと思っていて、京都に行ったとき、いきなりDMを送ったら会ってくれて、それから彼に京都のいろんなバンドやライブハウスを教えてもらうようになって、本日休演と西院の「ネガポジ」で共演したのが転機になりました。
ちょうど彼らにとってもメンバーの埜口くん(埜口敏博)が亡くなってから一発目のライブだったこともあって。年齢も近いし、土地は違えどやってきたことや境遇にシンパシーを感じて、そこで一気にただのミュージシャンつながりではない、密な関係を築けたんです。そうやって東京と京都から集まったメンバーが一堂に会し、特別なバンドを結成して、ひと夏かけて、1枚だけアルバムを作って解散した――そんな感じの作品ですね。
北沢:次のアルバムでは一緒に集まれないかもしれない?
篠原:友達なんで、きっと一緒に演奏することはあると思うんですけど、そのときに宿った熱とは異なるものでしょうね。
北沢:“旅するギター”の<永遠みたいなロードムービー>という一節に象徴されるように、このアルバムは、ずっとこれからも音楽で旅していくんだという、おふたりの「誓い」をあらためて感じました。今作には、ご結婚されて四国に引っ越されたドラマが刻まれていますし、おふたりの歌のかたちというものが、これからどんなふうに変化していくのか今から楽しみです。
篠原:東京は今までも、これからも、魅惑的な街だと思っていますし、僕にとっては青春時代そのものなんですね。だからこそ帰郷の頃合いでは、“ミッドナイト・バス”のなかの自分と、また対話したような気がしたんです。その果てに今回の“とつとつ”という歌があると思う。
今は、なぜ、いつかの自分が“ミッドナイト・バス”を書いたのかがわかるんですよ。だから歌い続けることができる。僕のなかに今までのすべてが生きている感覚がするし、ラッキーオールドサンという生き方をこれからも歌っていくのだと思います。
ナナ:“愛はとこしえ”の<束ねる夢は船を進ませその次はどこへいこうか>という部分は、曲ができた当時違う言葉をあてていて、今回の決断をしたタイミングで今の歌詞に書き換えたんです。言うなれば、いろいろな転機で悩んだり考えたりした先に出てきた歌詞なのだと思う。結婚して新しい土地で暮らしはじめて、生まれ育った街や東京と見える景色も違うわけで、今まで見たり感じたりできなかったことが曲になっていくのが楽しみです。
北沢:きっと、いろんな人生の出来事によって、また新しい展開が生まれてくるんでしょうしね。
篠原:そうですね。次はニューヨークにいても全然おかしくない(笑)。
北沢:いいですね(笑)。
篠原:それくらい自由であってもいいかもしれない。そのときどきで僕らが真剣なのは間違いないですし、ラッキーオールドサンを好きでいてくれる人たちは音楽を評価してくれていると信じているんですけど、だからこそ嘘をつかないように、音楽に欺瞞がないように正直でいたい。大変なことだと思うんですけど、それもドラマチックなものと見てくれている人もいると思うので、これから作っていく音楽も嘘のない正直なものになっていくのかなって気はしますね。
それに僕たちは音楽でなにかを残したり、作品を作ることができる立場にいて。自分の身に起きることを、その都度、形を変えながら残すことができるので、それはすごく幸運なことだと思うんです。僕らは「生きる」ってことをずっとテーマにしているし、だからこそ、これからも真摯にやってくしかないかなという気分ですね。
- リリース情報
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- ラッキーオールドサン
『旅するギター』(CD) -
2019年4月17日(水)発売
価格:2,376円(税込)
LNCM-12731. 旅するギター
2. I wanna be your boyfriend
3. 夜は短し
4. とつとつ
5. 愛はとこしえ
6. ヤッホー
7. 渡り鳥と愛の薔薇
8. ワンモアチャンス!
9. Rockin' Rescue
10. Saturday Night
- ラッキーオールドサン
- イベント情報
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- ラッキーオールドサン
『ラッキーオールドサン 3rd full album release tour「旅するギター」』 -
2019年5月5日(日)
会場:愛知県 名古屋 K.D JAPON
出演:
ラッキーオールドサン
田中ヤコブ
いとうみお2019年5月25日(土)
会場:宮城県 仙台 誰も知らない劇場
出演:
ラッキーオールドサン
家主2019年5月26日(日)
会場:群馬県 高崎 WOAL
出演:
ラッキーオールドサン
家主
山崎つよし(DJ)2019年6月29日(土)
会場:長野県 松本 Give me little more.
出演:
ラッキーオールドサン
家主
コスモス鉄道2019年6月30日(日)
会場:栃木県 宇都宮 HELLO DOLLY
出演:
ラッキーオールドサン
家主
Lucie,Too2019年7月15日(月・祝)
会場:京都府 磔磔
出演:
ラッキーオールドサン
本日休演2019年8月11日(日)
会場:東京都 渋谷 WWW
出演:
ラッキーオールドサン
台風クラブ
- ラッキーオールドサン
- プロフィール
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- ラッキーオールドサン
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ナナ(Vo)と篠原良彰(Vo,Gt)による男女二人組。二人ともに作詞/作曲を手掛け、確かなソングライティングセンスに裏打ちされたタイムレスでエヴァーグリーンなポップスを奏でる。2014年12月にkitiより1st mini album『I'm so sorry,mom』でデビュー。 詩と歌のシンプルなデュオ編成から、個性的なサポートメンバーを迎えたバンド編成まで、様々な演奏形態で活動を展開。輝きに満ちた楽曲の数々は多くのリスナーを魅了し、またその確かな音楽性が多くの同世代バンドからも熱烈な支持を得る。
- 北沢夏音 (きたざわ なつを)
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1962年東京都生まれ。ライター、編集者。92年『Bar-f-out!』を創刊。著書に『Get back,SUB! あるリトル・マガジンの魂』(本の雑誌社)、共著に『次の本へ』(苦楽堂)、『冬の本』(夏葉社)、『音盤時代の音楽の本の本』(カンゼン)、『21世紀を生きのびるためのドキュメンタリー映画カタログ』(キネマ旬報社)など。ほかに『80年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)の監修、山口隆対談集『叱り叱られ』(幻冬舎)の構成、寺尾紗穂『愛し、日々』、森泉岳土『夜のほどろ』(いずれも天然文庫)の企画・編集、『人間万葉歌 阿久悠作詞集』三部作、ムッシュかまやつ『我が名はムッシュ』、やけのはら『SUNNY NEW BOX』などのブックレット編集・執筆も手がける。2017年8月、サニーデイ・サービスにとって初の単行本となる共著『青春狂走曲』(スタンド・ブックス)を上梓。
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