古今東西を見渡せば、歌謡曲には写真について歌ったものは多い。個人的に印象に残っているのは、椎名林檎の“ギブス”。
<あなたはすぐに写真を撮りたがる あたしは何時も其れを厭がるの だって写真になっちゃえば あたしが古くなるじゃない>
これに続けて、恋人(?)がすぐ口にする「絶対」に、歌の語り手である女性は疑いを向けるわけだが、この考え方は自分が理解する写真の実体に近い。つまり、写真とは「過去」を撮るもので、それは絶対的な真実・事実を保証するものではないということ。SNSに溢れる写真が、そもそもの意図を離れて一人歩きし、曲解されたり炎上の火種になったりすることを思えば、現在の写真の移ろいやすさや危うさを理解できるのではないだろうか?
東京都写真美術館で開催中の『志賀理江子 ヒューマン・スプリング』展も、同様に「写真のうつろいやすさの正体は何か?」を考えるような展覧会である。ただし、かなり過激な方法で。
遺影がそうであるように、写真には、死者の存在を忘れない、記憶を残す、という役割がある。
—とても強烈な印象を受けました。巨大な箱がいくつも並んでいて、その表面を写真が覆っている。そしてそこに写されているのは廃墟や、泥の海を泳ぐ人や、赤く照らされた夜の風景だったりして、禍々しい印象を受けます。写真が、なんだか「墓」のように見えてきました。
志賀:3年前に展覧会のオファーをいただいて、このプランを考え始めたときから「墓のように見える」と言われるだろうとは思っていました。もちろん写真はイメージや記憶を扱うものだから墓になることは予想できるんです。でも、すべてが終わった後に作られることの多い「墓」になってはいけないんですよね。その手前の、もがり(殯)の空間でなくてはならない。私はこれまでにいくつかの展覧会をやってきましたけど、常に考えてきたのはそのことです。
志賀理江子がどんな写真家か、手短に説明しておこう。高校生の頃にカメラを手にして、身近な友だちを撮ったり、身の回りの日用品や人形を舞台のように並べ替えて撮ったりすることから写真を始めた志賀は、東京の写真大学を経て、ロンドン芸術大学に留学する。その後、とあるレジデンスプロジェクトで訪れた東北で大きなインスピレーションを得た彼女は、現在に至るまで宮城県を拠点に活動を続けている。
周囲の人の協力を仰いで、さまざまなシチュエーションを作り、撮影する。そのプロセスから生まれた作品は高く評価され、『Lilly』『CANARY』の2冊の写真集の発表で2007年には「写真界の芥川賞」とも呼ばれる、『木村伊兵衛写真賞』を受賞した。その後も国内外で精力的な活動を続けてきたが、ある大きな出来事が、志賀と彼女の友人知人たちを襲うことになる。2011年に起きた東日本大震災である。
今回の展覧会図録の中で、担当学芸員の丹羽晴美はこう書いている。
北釜の地は津波に呑まれ、住民53名が亡くなり1名は未だに行方不明だ。作家のアトリエや作品も含め、全住民の住居が流され、避難所を経て仮設住宅暮らしとなった。
そのような経験をした直後にもかかわらず、志賀は同年6月から全10回のレクチャープロジェクトを行い、そこでの対話の蓄積を踏まえた展覧会『螺旋海岸』を2012年に開催した。大きながらんどうの空間に、人物や石などを写した写真がゆるやかにグループ分けされて屹立する展示は、震災と、震災で亡くなった人たちへの「悼み」を否応なく感じさせるものだったが、今回の『志賀理江子 ヒューマン・スプリング』展にも同じ意識が感じられる。
志賀:亡くなった人を本葬するまでの期間、棺に遺体を仮に置いて、別れを惜しみながら、その死を確認するのが「もがり」の儀式です。例えば遺影がそうであるように、写真には、死者の存在を忘れない、記憶を残す、という役割がある。
だから私たちは写真と「死」を結びつけて考えると思うんですけど、だからこそ、この展覧会では棺の中に遺体は入っていてはいけないと思いました。ひとつだけ、写真で覆っていない躯体を置いていますが、これは「中には何もないんですよ」っていう意味。あれがたくさんの写真の中身なんです。だから、写真の前を人が歩くと、宙に浮いたようにゆらゆら揺れたりするんです。
春は生命で溢れるだけじゃなくて、死も当然出てくる。
ふたたび丹羽のテキストを紹介しよう。この展覧会の理由について、企画者はこう書いている。
(2014年に)企画準備が始まった。作家の第一声は「いつかやらなければと思っていた大きな題材がある。会期は絶対に春で」というものだった。(略)長く厳しい冬を唐突に打ち破るような春の息吹に、志賀は単なる季節の移り変わり以上の特別な意味を感じていた。
志賀:東北に住んでいると、冬のあいだは雪で覆われて肉眼では何も見えなくなるし、写真を撮ったとしても何も写らないんです。そうすると、次の春を待つ、みたいな時間が強く意識されます。その「待つ」感覚っていうのは、写真の「ボタンを押して、イメージが出てくる」のを待つということにも重なるように思います。だから東北に移住した頃から、つねに「春」は気にかかるテーマでした。
『螺旋海岸』展はコミュニティーや、見えるもの / 見えないもの、みたいなことがテーマだったので、今回は春を軸に考えたい……それがスタートです。ただ、具体的に構想を練っているうちに、だんだんと抽象度が上がっていった。
例えば「spring」には「ばね」の意味もありますけど、飛び跳ねて現在進行形の時間から垂直方向に逸脱するようなイメージにつながります。個人的に仲のよい、contact Gonzoを撮った写真がありますけど、彼らの人(human)同士が激しくぶつかり合うパフォーマンスは、まさに逸脱という感じがします。私自身、写真を撮るって行為は刻一刻と死に向かっていく過去・現在・未来という時間軸から外れる空間を、儀式的に作ることだと思っているんですが。
—春には、季節だけではなくて、観念的なイメージも重ねられているんですね。でも、「時間」というキーワードで結ばれてもいる。
志賀:そうですね。春は輝かしいものだけれど、同時に有機物が腐り始める時間でもある。だから生命で溢れるだけじゃなくて、死も当然出てくる。震災ということで言えば、津波に呑まれたまま遺体が見つかっていない人が大勢いて、そういった人たちのことをどうしても考えてしまう。2011年から8年が経って、きっともう白骨化して、海底や川の底で有機物に分解されている。そういった身体は、人間社会の中ではなし得ない死のかたちを成し遂げている。
—法的に死が認められて、戸籍が処理されて、墓に埋葬されて、というのが一般的な死のかたちですからね。
志賀:そこから外れた多くの死が、この8年間でたくさんあったということです。それは、春について考えるうえで大きな意味がありました。
私がやっているのは人間にとってクラシックな、普遍的なことのように思うんです。
—もうひとつ、特に強烈な印象を残すのが、入り口から見て、箱の裏側にある青年のたくさんの写真です。顔を赤く塗って、陶然とした視線をこちらに向けている。図録に収められた小原真史さんとの対談で、志賀さんは青年のことを「彼」と呼んでいるように受け止められたのですが、「彼」とはいったい何者なんでしょうか?
志賀:あまり詳しく書いていないですし、メディアに載ることを私は非常に怖れていますが……。いまの言葉で言えば「両極性躁鬱病」みたいなことでしょうか。極限的な精神状態になった人を、現代は病気としてとらえてしまいますが、思うにそれは、人間のものすごく正直な心身のありさまなのではないでしょうか。だからこそ、人間が語ってきた物語や共同体の祭礼の中に、精霊や鬼という存在が繰り返され描かれてきた。
私が思い描く「彼」とは、特定の人を指す場合もあれば、もっと広い概念的な存在でもあります。そして、私は身体の中に抱えている自然のバランスの問題について「彼」からたくさんのことを教えてもらった感じがあります。
作品撮影のためにチームを組むときって、みんなのテンションをむりやり躁状態に持っていくようなところがあるんですね。「躁」と言うと、すごく激しい感じに聞こえるかもしれないのですが、例えば集落とかに伝わるお祭りや儀式って、何者かを自作自演することで非日常を起こす、自らの意志で揺らぎを起こすようなことに近い。自分たちの内なる自然が暴れる前に、自分から「しならせる」ことでバランスを取るというか。
そして、その儀式性は写真行為の中にも強くある。三脚を据えて、カメラを置いて、人に立ってもらって、シャッターを切る。すごく儀式めいている。今回、偶然にも私の展覧会と同時開催で、19世紀のイギリスで撮られた写真を集めた『写真の起源 英国』展が美術館で開催されていますけど、この儀式性はひょっとすると写真が生まれたときからあって、その根源的な秘密は何も解明されていないんじゃないかって気がします。だから、一緒に2つの展覧会を見てほしいんですよね。ひょっとしたら約200年近く前のイギリスで撮られた写真のほうが未来に見えるかもしれないし、今年発表した私の写真のほうが昔のものに見えるかもしれない。
—志賀さんの言う「時間軸を外れた写真」のありようを感じられるかもしれないですね。今回の展覧会に限定した質問ではないのですが、志賀さんが東北に行って暮らし方を変えたり、人と出会って話したりする中で探りたかったこととは何でしょうか? もちろん、なぜ写真を撮るのか、ということも含めて。
志賀:そのことについて、一言でうまく言い表すのは難しいですが、やっぱり、死を恐れているからだと思います。だからこそ、真反対のことを求めて、自分の生とは離れた空間を作り出すことに何らかの望みをかけてるのだと思います。
写真の中の空間が「永遠」だとは言いませんが、ある種、永遠に近いような時間軸の空間ではある、というところに願を懸けている。それは、死を恐れた人間が芸術のような表象行為を始めたことにも近くて、その意味で、私がやっているのは人間にとってクラシックな、普遍的なことのように思うんです。これは科学的根拠のない、動物的な勘に近いけれど、しかし自分にとっては納得できるし、信憑性がある。そうでなかったら、こんなこととっくにやめているはずですから。
世界で起きている紛争をテレビを通して見てもピンとこなかったけれど、震災の経験を通じて想像できるようになりました。
—質問の内容について慎重になるべきだと感じるのですが、あえて聞きますね。志賀さんが生まれ育った故郷の愛知県岡崎はかなり人工的な暮らしが根付いた土地だったそうですね。そこから離れてたどり着いた東北で被災し、本当に生々しい、具体性を持った死に直面した。それはあなたにとってあらためて「世界を知る」経験だったのではないでしょうか?
志賀:汚いものは見えないように育てられ、大自然とも距離感のある中で生きてきた私にとって、生々しいのは自分の肉体だけ、という感覚は幼少時から強くありました。だから震災はその外にある自然や死の生々しさを知る経験でした。だから、震災に対して否定的に感じると同時に、自然とは何なのかを知れたという意味で、肯定的にも感じている自分がいます。
もちろんその後の原発のことなんかはまったく別ですが、それでも自然の力を「仕方のないこと」として受け入れている人は東北にかなり多くいるように思います。漁師のように自然相手の仕事をする人も多い土地ですから。
この経験を通して得たもうひとつのものが想像力です。例えば70年前の戦争や世界で起きている紛争をテレビなどを通して見てもピンとこなかったけれど、震災の経験を通じて「ああ、なるほど。こういう感じなのか」と想像できるようになりました。震災が起きた直後の夜に、低温状態で死にそうだった人たちが「あのときの夜空が綺麗だったんだよね」という記憶を語ることのリアリティーがわかるわけです。それに近い経験を自分自身もしてきたから。
—いまおっしゃった経験は、今回の作品のイメージにも反映している気がします。例えば図録の表紙になっている、海で溺れている人間たちの写真。
志賀:当然あると思います。身体に潜在するものをいかにパフォーマンスとして表すかというのは、現場の雰囲気として強いですから。これは泳いで渡ろうとしているのか、何かから逃げようとしているのか、もしくは溺れているのか。そういう複数の状態に引き裂かれて、宙吊りのような精神を導く経験が重要なんです。身内ではこの写真は「泥の助け合い」って呼ばれているんですけど(笑)。
—冒頭で写真を撮ることの儀式性について話していましたが、そう考えると、志賀さんにとって重要なのは最終的なアウトプットとしての「写真」ではなくて、写真を撮るという行為なのではないでしょうか? あるいは、その行為が成立する場を生み出そうとすること。
志賀:そう思います。今回は特に多いのですが、1枚の写真のために多いときは50回以上の行為を繰り返します。それはある完成のかたちを求めているからではあるのだけれど、かといって50枚目が展示に選ばれているわけではまったくない。むしろ、自分たちにとって予測不可能な瞬間をこそ求めていて、それは演劇を演じるのとも違うし、絵を描くのとも違いいます。それこそが写真の何よりも奥深いところだと思うんです。
現在の写真を代表するInstagramも、変容し続ける奥深いメディアだと思います。なんて恐ろしいものなのか。
あちらこちらに寄り道をしながら、どうやら「写真のうつろいやすさの正体は何か?」「写真とは何か?」という問いについての、作家なりの答えに近づいてきた気がする。しかしいっぽうでこんな疑問も浮かぶ。印画紙などの物質と分かちがたい表現技術であった写真は、いまやデジタル化され、InstagramやSNSなど情報やイメージが猛スピードで流れ去っていくものへと変わった。そんな現在の情報環境を、写真の儀式性を問う志賀はどう考えているのだろうか?
志賀:私自身iPhoneで写真を撮りまくりますけど、何よりもそういった写真にふと思うのは「忘却を許してくれないな」ということです。
—それは意外な答えです。量やスピードの増加と忘却の可能性の大きさは比例するように思います。
志賀:例えば亡くなった人のアカウントがいつまでもあったりすると、忘れることを許さない感じを私は受けます。それがいまの漂流物の漂い方というか。でもこの先、世界中にあるすべてのイメージがハードディスクに保存されるような状況になったときに、私たち自身が「宙に浮く」のだと思います。例えば強い風が吹いたときに何かを思い出したり、空を見上げて誰かを思うみたいなことが消えてしまうだろうなと思います。
つまり、体の中に抱えるイメージとは、一体どんなことだろうと思うというか……「二度と会えないかもしれない人の顔を忘れないように記憶しておこう」「そのために強く誰かを見つめよう」といった激しい精神の働きや経験と未来の情報環境がどのようにリンクしていくのか。そのことについて、私はこの先もずっと考えていくのだと思います。
—つまり「忘却を許さないことがどこへ行き着くのか?」ということですね。
志賀:例えば、ルーヴル美術館の『モナ・リザ』はこれまで数億の人の視線に見つめられて、複製され続けてきたけども……それでも彼女の秘密が解かれないのはなぜなのか、消費され尽くしたはずなのに、全くその気配すらないですよね。そういうことを考えると、表象イメージの奥深さとは計り知れないな、って思います。つまるところ、それはやっぱり個人が絶対に経験できない「死」に写真が関係しているからです。
—「されど死ぬのはいつも他人ばかり」というか。自分の死を自分で知ることはできない。
志賀:だから現在の写真を代表するInstagramなども、変容し続ける奥深いメディアだと思います。なんて恐ろしいものなのか。でも、同時にものすごく優しくもある。分け隔てせず、善悪の関係なく平等に写して発信する写真ですから。
- イベント情報
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- 『志賀理江子 ヒューマン・スプリング』
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2019年3月5日(火)~2019年5月6日(月・振休)
会場:東京都 恵比寿 東京都写真美術館 2階展示室
休館日:毎週月曜日(ただし、4月29日(月・祝)および5月6日(月・振休)は開館)
料金:一般700円 一般団体560円、学生600 学生団体480)円、中高生・65歳以上500円 中高生・65歳以上団体400円
※小学生以下、都内在住・在学の中学生および障害者手帳をお持ちの方とその介護者は無料
※第3水曜日は65歳以上無料
※当館年間パスポートご提示者無料(同伴の方1名様まで無料)
- プロフィール
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- 志賀理江子 (しが りえこ)
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1980年、愛知県生まれ。2000年東京工芸大学写真学科中退後渡英、04年Chelsea College of Art and Design(ロンドン)卒業。2008年より宮城県在住。11年東日本大震災で被災しながらも制作を続け、12年「螺旋海岸」展(個展・せんだいメディアテーク)開催。その他、15年「In the Wake」展(ボストン美術館)、「New Photography 2015」展(ニューヨーク近代美術館)、17年「ブラインド・デート」展(個展・猪熊弦一郎現代美術館)等多数。
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