大岩オスカール×宮沢和史 旅での「気づき」が確固たる自分を作る

ブラジルのサンパウロに日系二世として生まれ、東京、ロンドン、ニューヨークと、世界を旅してきたアーティスト、大岩オスカール。日本では会田誠らと結成した「昭和40年会」の一員としても有名だが、その本領が見られるのは何と言っても、独特な色彩と物語性、社会への洞察に溢れる大型の絵画作品だ。そんな彼の過去10年の作品を集めた『大岩オスカール 光をめざす旅』が、4月27日より金沢21世紀美術館にて開催されている。

今回、この展覧会のカタログに文章を寄せているのが、“島唄”“風になりたい”などの曲で知られる音楽家の宮沢和史(GANGA ZUMBA / ex. THE BOOM)だ。大のブラジル通で、やはり異国との出会いを作品に昇華してきた宮沢は、「オスカールさんの絵からは、匂いや気温、湿気まで伝わってくる」と話す。同年代の2人。ブラジルの国と人々のこと、絵画と音楽の違いと共通点、自分の表現を見つけるうえで大切なことまで。穏やかな空気の流れる対談となった。

ブラジルは貧しさや犯罪など負の部分もある国ですけど、それでも躍動的に生きている人たちの姿が刺激的だった。(宮沢)

—オスカールさんはこれまで、各国の都市を移動しながら活動を続けてきました。絵を描くとき、作品と場所の関係をどのように意識していますか?

大岩:作品を作るときは、あまりひとつの場所にいる感覚はないんです。ブラジルも日本もアメリカも「ホーム」という感じで、普段から母国語のポルトガル語と、あとで覚えた日本語と英語を使って生活していますが、そこにも違和感はない。ただ、いろんな場所を巡ってきたという自分のルーツは、積み重なって作品に現れていると思います。

僕はもともと、1950年代にブラジルに渡った日系人の両親のもと、サンパウロに生まれました。家で母親から日本語を習っていたのですが、当時、「日本語なんて一生使わない」と言って、兄弟でクーデターを起こしていました(笑)。でも、いま思うとこれだけ日本語が話せてよかった。

大岩オスカール(おおいわ おすかーる)
1965年ブラジル、サンパウロ生まれ。1989年サンパウロ大学建築都市学部卒業。1991年、東京に活動の拠点を移す。1995年デルフィナ・スタジオ・トラストのアーティスト・イン・レジデンスにてロンドンに滞在。2001年アジアン・カルチュラル・カウンシルおよびジョン・サイモン・グッゲンハイム記念財団フェローシップの助成を受け、2002年ニューヨークに拠点を移し、現在ニューヨーク在住。

—子供時代を過ごしたサンパウロの街は、どのような環境でしたか?

大岩:当時、ブラジルはとてものんびりしていて、世界からポツンと外れたような環境でした。外国人に触れる機会もほとんどなく、外国の情報も入ってこなかった。過度にアメリカナイズされていない、貴重な環境でした。もちろん、貧富の差が激しいので危ない場所もあったけれど、すごくローカルな環境で育ったんです。

—いっぽうの宮沢さんは、だいたい年に1回はブラジルを訪れるそうですね。

宮沢:1994年に初めて訪れて以来、25回以上は行っていますね。

大岩:何がきっかけだったんですか?

宮沢:最初はやはり音楽の勉強がしたくて、リオデジャネイロに1週間ほど行ったんですね。すると、曲がバンバン生まれた。“風になりたい”や、この曲が収録された『極東サンバ』(1994年)というアルバムはそこで生まれたものです。ただ、何回も訪れる理由はブラジルの人たちなんです。たしかに、貧しさや犯罪など負の部分もある国ですけど、それでもそれぞれの境遇で躍動的に生きている人たちの姿が刺激的だった。

宮沢和史(みやざわ かずふみ)
1966年山梨県甲府市生まれ。バンドTHE BOOMのボーカルとして1989年にデビュー。代表曲の“島唄”はアルゼンチンでもヒットし、世界各国のミュージシャンにカバーされている。2006年に世界各国のミュージシャンを集めたバンドGANGA ZUMBAを結成。2014年にTHE BOOMを解散、2016年1月に歌唱活動の休養を発表。現在、音楽活動と共に作家などあらゆるジャンルで活躍中
『極東サンバ』を聴く(Apple Musicはこちら

宮沢:それで旅の目的が、だんだんと日系人の人々との交流になっていきました。ブラジルの日系人には111年の歴史があって、オスカールさんのご両親は戦後移民だけど、1908年に笠戸丸(明治時代後期から終戦にかけて移民船や漁業工船などに使われた鋼製貨客船)で移り住んだ最初の移民はどん底の生活を送った。それが、100年でこれだけの地位と信頼を得てきた。そのエネルギーが非常に心地良いんですね。

オスカールさんを「画家」と呼ぶのは窮屈だと思っていて。映画監督や音楽家、建築家の作品のようでもある。(宮沢)

—ブラジルの印象は、オスカールさんの絵の印象ともつながりますか?

宮沢:そうですね。とくに僕が注目したのは緑色。やっぱり幼少期をブラジルで過ごした人の色だと思います。日本の緑とは違いますよね。

大岩:ブラジルの色彩感覚は、自分の身体に深く入っていると思います。日本人の絵を見ると紅葉のような渋い色がよく使われていますが、ブラジルは1年中夏なのでコントラストが強いんですね。僕は作品で光と影の対比をよく扱うのですが、それもブラジルが文化的、経済的にコントラストのある国であることが関係しているのだと思います。

左から:宮沢和史、大岩オスカール

金沢21世紀美術館『大岩オスカール 光をめざす旅』2019年4月27日(土)~8月25日(日)
金沢21世紀美術館『大岩オスカール 光をめざす旅』2019年4月27日(土)~8月25日(日)(サイトはこちらより

宮沢:僕はオスカールさんを「画家」と呼ぶのは窮屈だと思っていて。僕からするとこうした絵は、映画監督や音楽家、建築家の作品のようでもある。1枚の静止画なのにそこからいろんな物語が始まって、決して止まっていない。さらに匂いや気温、湿気みたいなものすら感じます。なかなか1枚の絵でそこまで感じるものはないですよね。

それはやっぱり、オスカールさんがいろんな都市、人間の良い部分も悪い部分も集まる渦みたいな場所で感性を磨いてきたからだと思います。非常にローカルな場所で育った人が、人種や文化の坩堝となる大都市を巡ってたどり着いた手法ではないのかなと。

『ゴースト・シップ』(2014年)作家蔵

大岩:僕は、見る人が参加できる絵画を描きたいと思ってきました。絵のなかにあまり人物を描かないのもそれが理由で、人物を描くと見る人が外の人になってしまう。だから宮沢さんが絵に入って、そこから始まる何かを感じてくれたのは嬉しいですね。

宮沢さんがさきほどおっしゃった「匂い」ということで言えば、20歳で初めて日本に来たとき、夏だったんですね。日本で飛行機を出て最初に嗅いだムワッとした匂いは、いまも覚えているんです。同じようにブラジルに着いたときも、日本とは異なる土の匂いがする。いろんな場所を旅するなかで感じた匂いや光や水の味といった環境の微妙な違いは、作品にも現れるものだと思います。

人生は、必ずしも美しくはない。でも、いろんな人がいることで生まれるエネルギーやドロドロした部分も含めて美しさを感じる。(宮沢)

—オスカールさんが母国を飛び出し、日本に行こうと思ったのはなぜですか?

大岩:僕は1980年代に『サンパウロ・ビエンナーレ』(南米を代表する国際芸術祭)のスタッフをしていたのですが、そこで世界中のアーティストと仕事をしたんです。川俣正や横尾忠則、キース・ヘリングやアンゼルム・キーファー。彼らを見て、自分も国際的なアーティストになりたいと思った。それが現代アーティストとしての出発点です。

同時にこの経験は、自分にとって同時代の日本人との初めての出会いでした。それまで日本のイメージは、『男はつらいよ』の寅さんや侍の映画、手塚治虫の漫画くらいだった。だから初めて同時代の日本人を見て、新鮮で好奇心が湧いたんです。

—そして1991年、日本に移り住みますね。

大岩:日本では生活のため、サンパウロで学んだ建築の仕事をしていました。当時住んでいた北千住の街の記憶は、いまも自分から離れないものですね。古い日本が残っていて、人間味がある面白い街だった。今回出品する『北千住』はその街にある馴染みの焼き鳥屋を描いたもので、ボトルキープの瓶に友人のエピソードを描いたり、いろんな思い出が詰め込まれた絵です。個人的な物語が絵になって、世界中の人に見られるのは面白いですね。

『北千住』(2010年)金沢21世紀美術館蔵

—移住されたのは、ちょうど宮沢さんが活躍を始めた時期とも重なります。

大岩:当時、宮沢さんのことはメディアで見ていました。年齢もほぼ同じで、分野も表現方法も違うけれど、したいことはよく分かった。何かを探して旅して、サンバや沖縄の音楽を積極的に取り入れたり、そこはクリエイターとして共通性を感じているところです。

宮沢:なぜ自分がいろんな土地の音楽に触れるのか考えると、「人間の交差点」みたいな場所に惹かれるからなんです。いろんな事情を抱えた人たちが混ざり合う場所。そこで生まれる嘆きや喜びを叫ぶ音楽が好きで。サンバやタンゴ、ジャズもそうでしょう。

大岩:うん。

宮沢:人生は、必ずしも美しくはない。でも、いろんな人がいることで生まれるエネルギーやドロドロした部分も含めて美しさを感じる。それを音楽で表現したいんですね。

あらゆることがデジタルでできる時代に、思い切りその真反対をやろうとしています。(大岩)

大岩:宮沢さんが今回のカタログに書いてくれた文章で面白かったのが、音楽と絵画の対比の話でした。宮沢さんは画家に嫉妬を覚えると書いています。なぜなら、音楽は時間のなかで消えるけれど、絵は残り続けていくからと。

でも、絵を描く人間からすると、音楽に羨ましさを感じてしまう。音楽は一瞬で人を盛り上げられるでしょう? それに比べて画家というのは、基本的に細かい地味な作業の連続だから(笑)。

宮沢:ふふふ(笑)。でも、音楽は突き詰めると空気の振動ですからね。実体も質量もなく所有することができない。いっぽうで、演奏が始まると人を巻き込む力があることは強みなのかなと。

—有名なエピソードですが、“島唄”はアルゼンチンで勝手にカバーされ、いつのまにか現地で流行していたとか。

大岩:あの曲はブラジルでも聴かれますよ。なぜ南米で流行ったんですか?

宮沢:カバーしたのはアフレッド・カセーロという人なんですが、沖縄の日系人の和食屋で“島唄”が流れていたそうなんです。それを彼が気に入って、急遽、レコードに入れてしまった。僕はアルゼンチンで歌が流行っているという噂を聞いて会いに行ったんですが、彼は老人が来ると思っていたらしい。

“島唄”を聴く(Apple Musicはこちら

大岩:沖縄の老人が来ると(笑)。

宮沢:そう(笑)。でもそのあと、現地の日本庭園で一緒にライブをやったら、5000人の観客が集まって、みんな日本語で“島唄”を歌ってくれた。

“島唄”は故郷の歌なんです。故郷を懐かしみ愛おしく思う気持ちは、宗教や言葉とは関係がないものですよね。そこが、国境を超えて共感してもらえた理由だと思うんです。

アルフレッド・カセーロとのライブ後、2004年に2人が再開した時の様子

—「音楽に憧れる」とおっしゃいましたが、以前はいろんな媒体を使っていたオスカールさんが、1990年代半ば以降、油絵を中心的な表現手段にしたのはなぜですか?

大岩:絵というのは、歴史が古いだけに、古いものより良いものを描くのが難しいんですよね。でも、短い自分の人生を賭けるのなら、なるべく挑みがいがあるものに集中したかった。その思いは近年さらに強くなっていて、今回の展示では大きな壁面にドローイングを描いたのですが、手とペンだけで描くことにこだわっています。

絵を描くことは、どんな土地にもあった古代からあった普遍的な行為ですよね。あらゆることがデジタルでできる時代に、思い切りその真反対をやろうとしています。

—絵画の根源性に触れたいと。

大岩:一番基本的な絵を描きたい。それはブラジルの音楽ともつながっていて、ボサノバなんかは声とアコースティックギターだけで作られる。技術的にいろんなことが可能になるなかで、そんな表現の基本をもう一度読み直したいという気持ちがあるんです。

どれだけ自分のやりたいことに時間を割くかによって、良い作品ができるかどうかが決まる。(大岩)

宮沢:オスカールさんは、絵の構図を下書きで決めるんですか?

大岩:絵画の場合は写真のコラージュを使うこともあるけど、ドローイングの場合はダイレクトに描きますね。何回もやっているから、身体が覚えているんです。

『大岩オスカール 光をめざす旅』展示風景 / Photo:Keizo KIOKU

宮沢:僕の「GANGA ZUMBA」というバンドにブラジル人が2人いるんですけど、彼らは練習を嫌がるんですよ(笑)。というのも、「音楽は即興だ」と言うんです。僕たち日本人は何回も練習したり、台本を作ったりして、本番はその再現をするという意識が強いんだけど、彼らは「本番でやるんだからいま出してどうする?」という考え方で。

大岩:ブラジルのサッカー選手も練習しないよ。「本番で勝てば良いでしょ」と。

宮沢:それで実際に勝っちゃうでしょう。オスカールさんの絵も、どこかから持ってきた感じがしなくて、その場で生まれていくような躍動感がありますよね。

大岩:僕も練習したくないタイプかも。バンドメンバーの気持ちは分かります(笑)。

—いっぽうでオスカールさんは、毎日決まった時間に制作するそうですね。

大岩:会社員みたいに朝スタジオに行き、夕方に帰っています。もちろん、気が乗らない日や疲れている日もあるけど、1日で1番良い時間を制作に当てないとアーティストは伸びないと思う。たとえば、ゴッホはクレイジーなイメージがあるけど、週に1枚くらいはきちんと描いているんですね。

よく若い人に言うのは、時間はみんな同じで、そのなかでどれだけ自分のやりたいことに時間を割くかによって、良い作品ができるかどうかが決まるということ。自分の絵画の言葉を開発したいなら、時間をかけることが必要だと思う。

大岩:買えるインクは大差ないんだけど、下手な人の絵は、買ったインクをそのまま使ってしまう。上手い人は同じ素材から出発しても、それをコントロールして、自分の色や味を見つけていきます。

宮沢:それは音楽も同じですね。演奏の上手さだけなら、その辺のプロより上手いアマチュアの人はたくさんいる。じゃあ、何が違うかと言えば、同じ音という素材を使いながらも自分の文体を持つことができるかどうか。そこが決定的な差になってくる。

大岩:とくに僕の場合、絵画を専門の学校で学んだわけじゃないから。本当に独学で、自分で考え込んで、過去の絵画を長い時間かけて見て、スタイルを作ってきました。

南米やアメリカを訪れて感じるのは、日本で言う「普通の人」がぜんぜんいないということ。(宮沢)

—2002年に渡ったニューヨークでは、どのような苦労がありましたか?

大岩:ニューヨークに行ったのは37歳。日本で大学教員の話ももらっていて、家族もいたからそのまま日本に住むこともできたけど、そういう現実よりやりたいことを選びました。経済的な苦労や言葉の壁はもちろん、9.11後で社会も不安定だったし、保険や教育などの社会の仕組みもわからなかった。でも、そんな「わからない」をクリアしたとき、それが自分の財産になる。いまは、3つの国にホームがあるのが自分の強みだと思います。

ニューヨークで感じたのは、当然だけど良い人も悪い人もいるということ。資本主義の考えがとても強い国で、最初は良い印象が持てなかったけど、なかには教育に惜しみなく寄付する人もいる。そうしたことは、日本では気づけなかったことです。

『大岩オスカール 光をめざす旅』展示風景 / Photo:Keizo KIOKU

宮沢:日本でブラジルに訪れていることを話すと、「ブラジルって変わった国だよね」と言われるけど、むしろ日本のほうが変わっていますよね。日本では、「平均」や「中庸」が良いと教えられるけど、南米やアメリカを訪れて感じるのは、日本で言う「普通の人」がぜんぜんいないということ。どちらが良い悪いじゃないけど、無難な人がいない。

大岩:ニューヨークだと、どんな変なことをしていても、目立たないです(笑)。

—お2人にとっては、やはりそうした旅の経験が表現の糧になっている?

宮沢:そうですね。でも僕は、そこで経験したものを自分で変換するんです。ブラジルの貧しい人が、年1回のカルナバル(謝肉祭)のときだけは主役になれる。その絶望や躍動をどんな風に日本語に置き換えられるのか。それが楽しいんです。たとえて言うなら、食材はいろいろ集めるけど、ダシはやっぱりカツオ出汁にこだわりたい。

大岩:たとえいろんな場所を渡り歩いたとしても、結局は一人の人間の仕事であるということが重要だと思います。もちろん、モチーフや色彩やかたちにその土地の影響が現れることはあっても、中身は自分自身が決めるしかない。

—いろんな場所を訪れた経験を、どのように自分のなかで作品に昇華するか。お2人のような確固たる「自分」を作るうえで、大切なこととは何ですか?

宮沢:僕は、人生の原動力は「気づき」だと思うんです。その発端は、自分が無知であると気づくことでしかない。いまはSNSでいろんな情報が入ってくるけど、手元だけを見ていたら何の発見も生まれませんよね。

人生の一番の敵は、思い込みと早合点。自分が無知であることを知って、ひとつでも驚いたり、知った方が楽しいと思う。

大岩:いまはあまりに機械に頼りすぎているけど、自分で悩んで考えて、いろんなところを巡ることで生まれる驚きや想像力がある。アーティストは、自分のなかにある情報を整理して、ぜんぜん関係のないたくさんのものを組み合わせて、新しい作品を作ります。自分一人で静かに考える時間がないと、そうした新しい物事は生まれないと思いますね。

イベント情報
『大岩オスカール 光をめざす旅』

2019年4月27日(土)~8月25日(日)
会場:石川県 金沢21世紀美術館
時間:10:00~18:00(金曜、土曜は20:00まで)
休場日:月曜(ただし4月29日、5月6日、7月15日、8月12日は開場)5月7日、7月16日
料金:一般1,200円 大学生800円 小中高生400円 65歳以上1,000円

『大岩オスカール 光をめざす旅』関連プログラム
宮沢和史 ブラジル文化をめぐるトーク、詩の朗読&弾き語りコンサート

2019年6月28日(金)
時間:開演19:00(開場18:30) 約90分
会場:石川県 金沢21世紀美術館 シアター21
定員:160名
料金:全席自由5,000円
※未就学児の入場はご遠慮願います

プロフィール
宮沢和史 (みやざわ かずふみ)

1966年山梨県甲府市生まれ。バンドTHE BOOMのボーカルとして1989年にデビュー。代表曲の“島唄”はアルゼンチンでもヒットし、世界各国のミュージシャンにカバーされている。2006年に世界各国のミュージシャンを集めたバンドGANGA ZUMBAを結成。2014年にTHE BOOMを解散、2016年1月に歌唱活動の休養を発表。現在、音楽活動と共に作家などあらゆるジャンルで活躍中。2016年4月より沖縄県立芸術大学音楽学部非常勤講師を勤める。『足跡のない道』『BRASIL-SICK』(ともに2008年)など著作多数。

大岩オスカール (おおいわ おすかーる)

1965年ブラジル、サンパウロ生まれ。1989年サンパウロ大学建築都市学部卒業。1991年、東京に活動の拠点を移す。1995年デルフィナ・スタジオ・トラストのアーティスト・イン・レジデンスにてロンドンに滞在。2001年アジアン・カルチュラル・カウンシルおよびジョン・サイモン・グッゲンハイム記念財団フェローシップの助成を受け、2002年ニューヨークに拠点を移し、現在ニューヨーク在住。主な展覧会に、1991年『第21回サンパウロ国際ビエンナーレ』、1998年『エデンの園』(上野の森美術館EXTRA)、2008年『大岩オスカール 夢みる世界』(東京都現代美術館)、2011年『大岩オスカール』(ブラジル国立美術館)、2018年『終わりのむこうへ:廃墟の美術史』(渋谷区立松濤美術館)等がある。



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