人間の本質をまざまざと見せつけて、それでも生きていかなきゃいけないと語りかけてくる映画が好きだ、と彼女は言う。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『ニンフォマニアック』など、センセーショナルな反響を巻き起こしてきた映画界の鬼才、ラース・フォン・トリアーの新作『ハウス・ジャック・ビルト』。シリアルキラーが過去の残酷な殺人を告白する、という衝撃作を、ネット上で人気を博し、近年はミュージシャンのCDジャケットや書籍の装丁でも活躍するイラストレーター・雪下まゆが鑑賞した。
ほの暗さが滲むそのイラストが人の心を掴むように、トリアーの陰鬱さもまた、人を惹きつける。私たちはなぜ、暗い世界に魅せられるのだろうか。ダークな映画に救われてきた過去を持つ雪下へのインタビューで、一緒にその暗がりを見つめてみよう。
みんなが必死でグループを作っていた日常はまるで監獄。雪下を救ったのは、映画『告白』だった
―『第71回カンヌ国際映画祭』で上映された際は途中退場者が続出、でも最後はスタンディングオベーションと、賛否両論の『ハウス・ジャック・ビルト』ですが、ご覧になっていかがでしたか。
雪下:楽しかった……です(笑)。
―よかったです、安心して伺えます(笑)。マット・ディロン演じるシリアルキラーのジャックが、12年間にわたる惨い凶行を振り返る、という作品でしたよね。
雪下:ラース・フォン・トリアー監督のコメントを読んでいると、マザー・グースの“ジャックの建てた家”という童謡から着想を得た、ってありましたよね。言葉が雪だるまのようにどんどん大きくなっていく、という。
―「ジャックの建てた家」というフレーズにはじまって、「そこに転がっていた麦芽」「それを食べたネズミ」「それを殺したネコ」と言葉を積み上げていく、英語圏のわらべ歌ですね。映画の主人公ジャックも、家を建てる技師です。
雪下:まさにあの歌みたいな感じでしたよね。主人公が初めて殺人を犯して、快楽に溺れ衝動を抑えられなくなり、最終的にヤバいことになっちゃう。マザーグースも、子ども向けなのに実は恐い、不気味さがあるじゃないですか。シリアルキラーの人も、普段は一般人を装っているけど、実は見え隠れする狂気があって、そこも歌の世界に通じる不気味さなのかなあ、って。
―ジャックが鏡の前で笑顔を練習するシーンもありましたね。
雪下:あと、潔癖症のくだりは笑えるところでした(笑)。
―殺した初老の女性の家から出たあと、椅子の脚の下などに血痕が残っているんじゃないか、と何度も戻っては、ない血痕をふき取るところですね。
雪下:同じように主人公が快楽殺人を犯す『アメリカン・サイコ』(メアリー・ハロン監督 / 2000年)もすごく好きなんですけど、自分の肉体美を愛する主人公が、セックス中に鏡に向かってマッチョポーズをするじゃないですか(笑)。ああいう、一見完璧そうな人が抱えるアンバランスさ、というのが面白いな、と思いました。
―雪下さんのイラストは、若い人々を描く中に、どこか暗さが漂う世界観ですよね。映画に関してもダークな世界を感じるものが好きだということですが(参照記事:『SNSでイラストの支持を集めた雪下まゆが語る、作風への葛藤』)、そうした作品を好きになるきっかけはなんだったんでしょうか。
雪下:私、小中高一貫の女子校に通っていて、ずっと陰々滅々とした日々をおくっていたんです。監獄だと思って暮らしていました。 基本的にそれぞれグループがあるのですが、中には1人トイレに言ったらその人の陰口を叩いたりするグループもあったりして、「人って信用できないな」と思いました。
そんな中3のとき、中島哲也監督の『告白』(2010年)を、家でDVDで見たんですが、すごく感動しました。冒頭で、ガヤガヤした教室のシーンがあるんですよ。これでもかっていうくらい、キャーキャーって生徒の声が響いていて、閉鎖的な教室の中で、すごく嫌な感じがする。それに感動したんです。「こうした作品が作られているということは、私が普段持っているこの感覚を、同じように抱いている人がいるんだ」って。
―それが、雪下さんにとっての原体験なんですね。
雪下:しかも、制作の裏側が描かれた映像を見ていたら、教室の窓にすりガラスのような加工をしていて、それによって閉鎖感を出していることがわかって。「映画すごい!」と思って、そこから映画に興味を持ちはじめたんですよね。
ただ、ちょうど映画館で『告白』が再上映されていたので、当時つきあっていた彼氏と観に行ったら、ボロクソにいわれました。「なんだこれは。すごく不快だ」って(笑)。私も「ああ、人それぞれなんだな」と思いましたね。
―ダークな映画が苦手な人もいる、と気づいた(笑)。
雪下:はい(笑)。そのあとですけど、俳優のジャック・ニコルソンをきっかけにアメリカン・ニューシネマにもハマりました。彼が出演する『イージー・ライダー』(デニス・ホッパー監督 / 1969年)など、世の中になじめなかった人たちが自分の生き方を探すんだけど、最後は破滅的に終わることが多いジャンルですね。
友人との楽しい旅行でも、客観的に見てしまう。
―トリアー作品を初めて見たのはいつですか。
雪下:『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年)を、DVDで見ました。高1のとき、「後味の悪いラストの映画ってありますか?」って、ヤフー知恵袋で聞いたんですよ(笑)。
―わざわざ聞いてしまうくらい、後味の悪い映画を欲していたんですね。
雪下:はい(笑)。それで答えてもらった一覧の中に『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が入っていて。トリアーという名前は知らずに見たんですが、すごく好きでした。ラストのシーンも、全然包み隠さず、そのまま映すじゃないですか。
―未見の方のために詳細は伏せますが、衝撃のシーンですね。
雪下:あれがいいなあ、と。あそこで想像の余地みたいなものを持たせるよりも、現実的な描写のほうが、私は心に刺さるんです。「ここまで描写しちゃう映画があるんだな」とそのときに思いましたね。
―次にご覧になったトリアー作品は?
雪下:『ニンフォマニアック』(2013年)ですね。そのときも実は、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と同じ監督だと意識していなくて。ポスターデザインがとても好みだったので観たのですが、大好きでした。
―シャルロット・ゲンズブール演じる色情狂の女性ジョーが、セックスに淫した自らの半生を、たまたま出会った中年の男性に告白する作品ですね。
雪下:『ハウス・ジャック・ビルト』と、映画の構成は似ていますよね。
―今作も、ジャックが過去の殺人を、謎の聞き手を相手にずっと告白していますね。
雪下:回想する本人と、アート文脈とかからの引用を交えて、相槌をうつ聞き手がいますよね。『ニンフォマニアック』も、主人公のとんでもない話を、聞き手が超まじめな解釈に無理やり落とし込んでいく感じが面白かったです。私も、最初はその解説を「なるほどな」と思って聞いていたんですけど、途中からだんだん鼻につく感じになってきて(笑)。でもラストの終わり方でスカッとする映画でしたね。なんだろう、『ハウス・ジャック・ビルト』も、どこか滑稽な感じがするんですよね。
―少し時期は戻りますが、暗い映画を見はじめた頃には、既にイラストは描きはじめていたんですか。
雪下:イラストは、小さいときからずっと描いていました。漫画やアニメの影響を受けた絵を描いていたんですが、映画を見はじめてから、他人のイラストを見ることがあまりなくなったんですよね。
特に最近の絵は、自分で撮った写真をもとに描いているんです。その切り取り方とか、この瞬間を撮りたいといった思いは、映画の影響を受けているかもしれません。
―映画は時間が流れますが、写真を元にしたイラストとなると、本来的には一瞬のものですよね。でも、雪下さんのイラストにはその瞬間、その人物をとりまく背景や時間の流れが感じられます。
雪下:昔から友だちと遊んでいるときに、楽しくても、どこか完全になじめず、傍から見ているような感覚が常にありました。 友だちと何人かで旅行に行ったときもそうです。その有限の時間を全力で楽しもうとしているみんなの姿を見て、「この人たちはこの時間が終わることがわかっているからこそ、こんなにめちゃくちゃ楽しもうとしているんだな」って感じて。客観的に見ていて抱くそういう感覚が、切なくて、すごくいい。そういう瞬間を描いているのが、最近は楽しいですね。
―瞬間の出来事なんだけど、ちょっと違う時間幅をもって客観的に捉えているんですね。そういうふうに見える瞬間が好きなんですか?
雪下:好きというか、そうとしか見れないんです。描いているうちに、勝手にそうなっているのかもしれません。
希望を与えられるより、人間の本質を教えてくれる。雪下が暗い映画を見る理由
―そこで描かれる世界は、決して明るいものではないですよね。
雪下:そうですね。「俯瞰でみてしまう」感覚はずっと昔からあって、絵を描きはじめて、続けていくうちに、諦めがついたというか(笑)、もうこれが私の特性だ、って。
夢を見させられても、そこにうまくなじめないということと関係しているかもしれない。現実を現実のまま受け入れることの方が安心する感じがしますね。
―「安心する」というのはどういうことでしょう。
雪下:人間の嫌な本質とか、理想と離れた現実があることを改めて見せてくれる作品が好きです。そういった絶望を共有してくれる作品は自分に寄り添ってくれる気がするので安心します。
―雪下さんのイラストのリアルなタッチも、そうした感覚のもとにあるのでしょうか。
雪下:そうだと思います。写実はもともとの私のタッチでもあるんですけど、完全にその場にいる人間の姿ではなくて、客観的に見ている人間の視点で描けたらいいなと思っているんです。アニメや漫画を読んできた人間なので、顔にはアニメっぽいテイストも融合している。ある瞬間のことを思い出したり、その記憶に自分の想像を加えたりして、ちょっと表情の口角をアニメっぽく変えつつも、全体的に見ると写実的というバランスで仕上げています。
―そうして再構成しているときに、ほの暗さが紛れ込むのかもしれませんね。
雪下:私の絵はトリアーの映画みたいに残酷な描写はないですけど、かわいい女の子の絵とか、男友だちが楽しそうにしている絵でも、見た人から「悲しさを感じる」といわれることが多くて。自分の感覚を嗅ぎ取ってくれているんだなと思って、それはとても嬉しいことなんです。
―暗い感情を他の人が持っていることに、SNSでみんな気づきやすくなったんでしょうか。
雪下:それはあるかもしれないですね。誰しも少しは薄暗い面を持っているから、そういうものに魅かれることがあるのかな。私が中高生のときは自分の中でしかそうした感情を消化することができなかった。でもSNSが出てきてから、「みんなもそういうことを考えているんだ」という体験が生まれやすくなったかもしれないです。
でも、狭い空間で、暗い気持ちを抱えている時期もあって自分にとってはよかったんです。SNSでは、共感してくれる人に対してバーッと発散できちゃいますけど、私は孤独に過ごした時期があるから、いろんな映画を見るきっかけにもなったし、いまではよかったな、って思います。
ミッションスクールの生徒時代に嫌ったキリスト教。時間が経ってわかった信仰の価値
―昨年卒業された美大の卒業制作では、ホラー映画ですぐ殺されるモブキャラクターを描かれたとか?
雪下:はい。ホラー映画で死んでいくモブキャラが殺された瞬間の顔を、どアップで描きました(笑)。
―それはまた、なぜでしょう……?
雪下:実は私、それまではホラー映画が恐くて見られなくて。でも洋画なら大丈夫ということに気づいて、それまで見なかった分も回収しようと、めちゃくちゃ見ていた時期があったんです。そのとき、一瞬で死んでいく人たちの顔を集めたら面白いなと、ふとアイデアだけがまず浮かんで。
考えていくうちに、私のような若者も、そういうモブキャラと同じで、まだなにも名前がない存在だな、と思うようになりました。役者さんのクレジットを調べても、無名とはいわないまでも、あまり映画に出ていないような人たちばかりでした。そこになんだか共感したんですね。
そうして描いた油画を、シルクスクリーンでTシャツにしました。まだ何者でもない、なにも成し遂げられていない私たちが、何者でもないモブキャラを描いたシャツを着て歩くことで、頑張ろうと思えるかなって。
―自分たちへのエールでもあるんですね。
雪下:作品は大体DVDで見ていたんですが、それまでのシーンは長くても、殺される瞬間は一瞬なんですよね。殺された直後の顔も、本当に瞬間的にしか映らない。そんな切なさも、制作しながら感じました。
そうやってホラーの洋画は見れたし、グロテスクな描写にも耐性はあると思っていたんですが、今回お話をいただいて見てみたトリアーの『アンチクライスト』(2009年)は、直視できないところがありました。主人公の女性が自分の――(以下ネタバレにつき中略)。
―思わず目を背けちゃいますよね……(笑)。
雪下:うわーっていう感じで(笑)。でも、子どもを失った主人公夫婦が「楽園(エデン)」だといって逃げ込む森の描写はすごかったです。半分出産しかけている鹿だとか、カタカタと落ちてくるドングリだとか……森ってあんな不気味に描くことができるんだ、って感動しました。
『ハウス・ジャック・ビルト』も、終盤にジャックが地獄に向かっていくじゃないですか。あのときに、宗教画のようなイメージが出てきますよね。あれは本当にカッコよかった!
―圧倒的なビジュアルですが、どういう意味でカッコイイと思いますか?
雪下:私自身も、聖書のシーンを自分で描いて、コラージュしていた時期があるんです。聖書はいまではすごく好きなんですが、実は親戚の影響で子供の頃から教会にも通い、大人に言われて勉強をして洗礼も受けたんですよね。教会の子どもたちはみんな神を信じていたんですが、私は全然信じられなかった。「なんで人間を作ったんだ! 作らないでくれ」とかずっと思ってました。
―伺えば伺うほど、雪下さんはトリアーみたいですね……。
雪下:中学の途中で教会に行くのもやめてしまい、キリスト教の考え方については馴染めないままでした。しかし、時間が経って客観的に見ることができるようになってからは、聖書はすごく面白い考え方のひとつなんだな、と思うようになりました。
つらいことがあったときに、信じるものがあると人は救われるじゃないですか。私自身は無神論者ですが、心からすべてをささげて信じられるものがあるというのは、やっぱり人間にとって救いだよなと思えるようになってから、受け入れることができるようになりました。
『ハウス・ジャック・ビルト』のあのシーンは、そうした古典的な宗教画のイメージを、いまの映画でこういうふうに表現するという行為がカッコイイな、と思うんです。楽しい映画なんだけど、人を殺しまくるスプラッター映画の、「ブシャー!」「キャー!」みたいなお祭り的な楽しさとはまた違うんですよね。
―どこか考えさせられるものがあるのがトリアー作品でもありますよね。ダークな、エグい世界を描きながら、同時に世界中の人を魅了するトリアーのあり方は、雪下さんにとっても刺激的じゃないでしょうか。制作への悩みを、SNSで赤裸々に吐露することもありますよね。
雪下:そうですね。幸い、仕事を発注してくださる方も、私の作品をきちんと見て頼んでくださる方が多いので、自分の作風から大きく外れることは全然なく、本当にありがたい状況です。でも依頼されたイラストばかり描いていると、ふとした瞬間に自分にとって創作の源でもある、暗い鬱々とした感情が削ぎ落とされちゃう気がして、それが最近恐いなあと思っています。
だから、『ハウス・ジャック・ビルト』を見ることができてよかったです。これがきっかけで、またグイッと、自分をあるべきところに戻してくれた感じがしました。「こういう暗さを忘れちゃいけないな」って(笑)。
―もし、トリアーと知り合える機会があったら、友だちになりたいですか?
雪下:トリアーさんの人間性や性格はあまりわからないですけど、作品の印象だけでいうと、メッチャなってほしいです! 人間の本質を描くのがすごく上手い人だから、「こいつはこんな人間なんだな」ってすぐに見抜かれそうで恐ろしい部分もあるけど……。でも、友だちになれるなら、ぜひなってほしいですね(笑)。
- 作品情報
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- 『ハウス・ジャック・ビルト』
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2019年6月14日(金)から新宿バルト9、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開
監督・脚本:ラース・フォン・トリアー
出演:
マット・ディロン
ブルーノ・ガンツ
ユマ・サーマン
シオバン・ファロン
ソフィー・グローベール
ライリー・キーオ
ジェレミー・デイビス
配給:クロックワークス、アルバトロス・フィルム
©2018 ZENTROPA ENTERTAINMENTS31, ZENTROPA SWEDEN, SLOT MACHINE, ZENTROPA FRANCE, ZENTROPA KÖLN
- プロフィール
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- 雪下まゆ (ゆきした まゆ)
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1995年12月6日生まれ、多摩美術大学デザイン卒。イラストレーター。TwitterやInstagramといったSNS上にアップした、女の子をモチーフにしたイラストが、10代、20代の女子を中心に人気を集める。アパレル、CDジャケット、雑誌、またイベントでのライブペイントを行う。主な活動に、国府達矢「ロックブッダ」アルバムジャケットや渋谷PARCOでのライブペイントなど。
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