これからAlfred Beach Sandalは、北里彰久になる。
2010年に1stアルバム『Alfred Beach Sandal』をリリース。個人の名前としてはとても謎めいたものだったが、作品を重ねながらその存在は徐々に知られていき、彼をよく知る友人たちがそう呼んでいた「ビーサン」という愛称はいつしかファンの間にも根強く定着した。高く澄んだ、しかし芯の強い歌声と、ザクザクとしたギターサウンドを軸としながら、しなやかなポップフィーリングと、異国や異時間へ普段着のまま越境する言葉のパースペクティブ。Alfred Beach Sandalの音楽は、唯一無二の魅力を放ってきた。
その愛されていた名前を解き放って本名へ。Alfred Beach Sandal時代をそれほど知らない人から見れば、北里彰久という新人シンガーソングライターの登場のようにも映るのかもしれないが、本人が語るように同じ人間がやっているものだから音楽としては地続きだ。北里彰久としての音楽活動を改めてはじめるにあたって、彼は何を見つけ、何を考えたのか。4年ぶりとなる新作アルバム『Tones』について、Alfred Beach Sandalから北里彰久への音楽の旅をたどりつつ、じっくりと話を聞いた。
(Alfred Beach Sandalは)そのうちバンドになってもいいようなプロジェクトを設定したという感じでした。
―Alfred Beach Sandalとしての最初のCD-R作品『Alfred Beach Sandal』が2010年でしたよね。そろそろこの名前で活動10年になろうというタイミングで、本名の「北里彰久」としての初のアルバム『Tones』をリリースするわけですが、そもそも「なぜ北里彰久はずっとAlfred Beach Sandalだったのか」という経緯を知らないリスナーもいるんじゃないかと思うんです。
北里:もともとソロをはじめる前にバンド(MOXA DELTA)をやっていたんです。それが解散して、音楽は続けたかったんですけど、一緒にやってくれる友達もいなかったので、とりあえずひとりでやることにして。とはいえ、シンガーソングライターみたいなことをするのはその時点では腑に落ちてなかったし、今考えればまだバンドがやりたかったんだと思うんですよね。
だから、そのうちバンドになってもいいようなプロジェクトを設定したという感じでした。Corneliusみたいなもので、これがそのままバンド名になればいいな、くらいの気持ちで。その名前がAlfred Beach Sandalになったのは、半分冗談みたいな感じで、本当に適当です。
―その名前の由来はいろいろありますよね。僕が初めて取材したときは、カリプソ歌手の芸名みたいな名前をイメージしたと言っていました。
北里:その答え、取材の直前くらいに思いついたんでしょうね(笑)。適当っていうのが一番正しいから、どの由来も間違いではないです。
―それが個人名になっていったのは、もちろんリリースが注目されたということもあるけど、当時よく出ていた七針(東京・八丁堀のライブスペース)とかで知り合った他のミュージシャンから「ビーサン」と呼ばれるようになって、自分のキャラと結びついていったことも大きいかもしれないですね。
北里:そうですね。友達付きあいでのあだ名が「ビーサン」になっちゃったから、自分が想定してたものとは違っていきました。でも、当時は弾き語りでやってたから、そりゃ「Alfred Beach Sandal=俺」になりますよね。
誰かにフィーチャリングされるようになったあたりから、自分とAlfred Beach Sandalの関係性がわけわかんなくなってきて。
―たしかにソロのファースト『Alfred Beach Sandal』(2010年)は弾き語りですけど、2作目の『One Day Calypso』(2011年)はバンド編成(MC.sirafu、一楽誉志幸、伴瀬朝彦らが参加)でした。
北里:そうなりましたね。最初に思い描いていたのはバンドだったし、他人のアイデアを入れて一緒に音楽を作ることがやりたかったので。
―その後、『Night Bazaar』(2012年)、『Dead Montano』(2013年)、『Unknown Moments』と作品を重ねるうちに、光永渉くん(Dr)や岩見継吾くん(Ba)が固定したメンバーとして集っていったじゃないですか。『Dead Montano』出したあとくらいから「バンドがAlfred Beach Sandalで、僕はそれをやってる北里彰久なんです」というようなことをライブでも言いはじめていた気がします。
北里:ああ、深く考えて言っていたわけじゃないだろうけど、それが当初に薄っすらと思い描いていたことでしたから。『Dead Montano』からトリオでやってきて、あの編成は自分にとって「バンド」になった感があったんです。
Alfred Beach Sandal『Dead Montano』を聴く(Apple Musicはこちら)北里:でも、『Unknown Moments』を出したあと、次に作るものは今回の『Tones』のようなシンプルでアコースティックで、歌がメインになるものっていうイメージがすでにあって。だから、バンドとしての活動もそのあたりでいったん止めてるんですよ。
―とはいえ、『Tones』に至るまでの間、2017年にはトラックメイカーのSTUTSとの連名で『ABS+STUTS』をリリースしています。
北里:『Unknown Moments』の次はすぐ作ろうと思っていたんですけど、STUTSと「一緒にやろう」って口約束してたプロジェクトが先に進む感じになったんで、その間は自分のことはちょっと棚上げしてました。一旦バンドでの活動をやめて自分のテンションが落ちかけてた時期だったんで、そのタイミングでSTUTSとやれたのはよかったですね。
北里:それにダブルネームでの作品だと、自分としての役割も半分じゃないですか。だから気楽にできたし、風通しもよかった。ただ、STUTSとの連名もそうなんですけど、誰かにフィーチャリングされるようになったあたりから、自分とAlfred Beach Sandalの関係性がわけわかんなくなってきて。「feat. Alfred Beach Sandal」ってクレジットされているけど、自分でも「これは何を指してるんだろう?」って(笑)。
バンドみたいに作ってきたことと、STUTSと一緒にやったこと、その両方の経験があれば、自分ひとりでもできるんじゃないかなって思えた。
―まるで、Alfred Beach Sandalというキャラを演じているような?
北里:でも、俺はそういうタイプじゃないから。そのくらいから自分のなかの「何て呼んだらいいのか」問題が加速していったんです。友達は「ビーサン」でいいんですけど、こういう取材の場とかで名義のことを聞かれても「どういうことなんでしょうね?」としか言えない感じ(笑)。
なので、いったん考えるのをやめました。強いて言えば、自分のなかでAlfred Beach Sandalを名乗る意味があるのは、誰かと一緒にやるときだけですね。誰かとアイデアを持ち寄って「Alfred Beach Sandal」という場所で何か一緒に作ろう、ということ。
―そういう経緯もあって、今回は「北里彰久」でやると決めていた?
北里:それも、そんなに強い決意じゃなかったんです。でも、今回は最初からある程度ひとりで曲を完結させるということからはじめているから、あえてソロプロジェクトみたいな名義を設定する意味もないなと思って。もちろん人に参加はしてもらっていますけど、最初に自分がAlfred Beach Sandalを名乗ったときとはやり方も変わっているんで、これはもう自分ひとりを冠にした作品ということでいいんじゃないかと思ったんです。
―なるほど。そういう意味ではブレてはいないですね。バンドでやりたかったからAlfred Beach Sandalだったし、ひとりで作るという自覚がはっきりしたから北里彰久になった。そう考えると、4年前の『Unknown Moments』はすごく象徴的なアルバムで、バンドサウンドの曲もあったけど、ひとりで成立してるフォーキーな曲の意味合いもすごく増していたと思うんです。その間にSTUTSとのコラボが入っているから、そのつながりがちょっと見えにくくはなっているけど、実は続いていた。
Alfred Beach Sandal『Unknown Moments』を聴く(Apple Musicはこちら)北里:それはありますね。それにSTUTSは完全にひとりでコントロールできる人だから、彼の作業を間近で見てると「へえ」と思うところもあったんです。バンドみたいに作ってきたことと、STUTSと一緒にやったこと、その両方の経験があれば、自分ひとりでもできるんじゃないかなって思えた。
「俺に注目しないでくれ。あんまり見ないで」って気持ちがあるんです(笑)。
―そういう意味でも、『Tones』は自分ひとりでいちから取り組んだアルバムと言えるんですね。
北里:もともとひとりの宅録で音楽をはじめているんですけど、今回やってることは当時とは違いますね。歌うことに対する意識もまったく違うから。楽器に声を乗せるということ自体は自然だったけど、以前は「歌いたい」って欲求がそんなになかったんです。自分の話をされていると感じる歌が俺はあんまり好きじゃなくて。今でも俺は、「自分の話をする」って感覚で歌は作らない。
矛盾しているけど「俺に注目しないでくれ。あんまり見ないで」って気持ちがあるんです(笑)。「じゃあ、なぜ人前でやってんだよ」って話になるけど、そこは「人に向かって音を出したい」っていうところが一番大きくて。だからライブも好きだし。みんなが音だけ感じてくれていたら一番いいんですけどね。でも、俺が歌ってたらやっぱりみんな俺を見るじゃないですか。その視線が怖いというか(笑)。
―じゃあ、そういう葛藤を拒否して音としての声を出すだけだったら「わー」とか「あー」でもいいわけだし、日本語じゃなくてもいい。だけど、北里彰久としての音楽は日本語ポップスとしての骨格がしっかりしていますよね。
北里:そうじゃないと音楽として成立しにくいと思ったから、ということなんですけどね。自分はミュージシャンとして自分を楽器に託すタイプじゃないし、声とか言葉のグルーヴやリズムがサウンドに乗ることでようやく自分のしていることが形になるという感覚があったから。それぞれの要素が「ハモる」って感覚ですね。
同じ言葉でもそのときの音色とかメロディーによって全然意味が変わるじゃないですか。そういうものが最終的にどういうふうに音になるかってことにずっと興味がある。今まではっきりとは意識してなかったけど、そこが今回のアルバムで一番やれてるところかも。
「その日の、そのときのこと」を歌にするというよりは、そのときの温度感とか雰囲気を曲にするような感覚。
―『Tones』の曲に関しては、音もメロディーも言葉も最初から最低限の要素だけで成立しているものを作りたかったんじゃないかと感じました。
北里彰久『Tones』を聴く(Apple Musicはこちら)北里:曲を作るうえでは、具体的なイメージは思い浮かんでいるんですよ。たとえば、ピザ屋でメシ食ってたら友達が店の外で待ち伏せしてて、そのまま車で夜の海まで行って、その車内でロイ・エアーズがかかってよかったな、みたいなこと。でも、曲にするときは「その日の、そのときのこと」を歌にするというよりは、そのときの温度感とか雰囲気を曲にするような感覚。
過去のことを思い出話として語りたいんじゃなくて、未来のことを言うためにわざわざ過去の話をするとか、現在の話をするために未来にことを持ち出すとか。それが自分にとってのサイケな感覚なんですよ。時間が伸び縮みしてるとか、自分がしゃべってる言葉が誰の言葉かわからなくなる。そういうつもりで曲は作りました。
―そういう感覚って、特に初期のAlfred Beach Sandalの曲では、エキゾ的な言葉をモチーフとして入れたりしていた部分にもありましたよね。その意味での異国とか異世界的な言葉は、今はほとんどなくなった。
北里:そのときは素直にやっていたし、今でも好きな手法なんですけど、今回はそういう飾りをどんどん削ぎ落としていく感覚で。「ここじゃないどこか」を想像しながら作る感覚ともちょっと変わりましたね。「ここじゃないどこか」のことを考えるのって、今いる「ここ」のことを考えるのと一緒だなとも思うようになったし。
―逆にいえば「ここ」も「どこか」になりうるというか。
北里:そう。それを自分のインナースペースから広げたいっていう感覚はありました。外に出ていつもと少し違う道を通って、みたいな感覚というか。そのうえで、そのとき体感したことを音楽に落とし込めたらいいなと。タイトルを『Tones』にしたのも、具体的な物事じゃなく、音色とか温度感とか、そういう調子みたいなものがいろいろあるということを言いたかったからなんです。
zAkさんにお願いしたのは、とにかく音の感じを親密にしたかったから。
―ひとりではじめたアルバムだという話がありましたけど、そういう意味では、デモからベーシックへの流れも自分でかっちり決めて臨んだんですか?
北里:ほぼほぼそうですね。これまでと比べたら、他人のアイデアで鳴っている音って本当に少ないと思います。
―STUTSが今回も参加しているとクレジットを見て思う人もいるでしょうけど、関与の仕方はコラボのときとは全然違う。
北里:今回はトラックメイカーとして参加してもらってないですからね。リズムのパターンも自分で組んでいたけど、STUTSはいい音、いいブレイクをいっぱい持ってるから、「こういうふうにしたいんで、ドラムの音を入れてほしい」っていう参加の仕方です。今回はマニピュレーター的な立場というか。あとは、パーカッションとか鍵盤とかもやってもらっています。
STUTSがビートプログラミングや鍵盤、パーカッションで参加した北里彰久“チークタイム”を聴く(Apple Musicはこちら)―zAkさんが共同プロデューサーにクレジットされています。『Unknown Moments』もzAkさんがエンジニアだったわけですけど、今回は制作過程にどういうふうに関与しているんでしょうか?
北里:zAkさんにお願いしたのは、サウンド面をどうまとめるかの部分です。あとは完全に俺がひとりで作っている曲のアレンジの枝葉の部分を切り落としたり、整頓してくれる作業もやってもらっています。わざわざ言葉で確認しない方ですけど、最初にデモを持っていった時点でシンプルにしたいっていう意図はわかってくれてたと思いますね。
zAkさんにお願いしたのは、サウンドがすごく好きだからというのもあるけど、とにかく音の感じを親密にしたかったからで。それはzAkさんだけじゃなく、演奏メンバーにも思っていました。
北里:テクニックも大事だけど、距離の近さみたいなものがある人に頼みたかったんですよね。自分がここ数年で見ているニュアンスをなんとなく感じ取ってくれる人。つまり、「シンプルにしたいんだ」って説明しなくてすむ人です。最初に「シンプルにしたい」って外枠を決めると、そこから目減りしていくのがイヤだったので。zAkさんに関しては、そういうことを演奏のなかから感じとってくれるうえに、さらに音に落とし込んでくれる抜群の耳とセンスの持ち主ってことで、そこに甘えちゃいました。
シンプルさと「ゆるい」みたいな感覚は、俺にとってはイコールじゃない。
―アルバムは全9曲ですが、制作の起点になった曲はどれですか?
北里:起点か……。ライブで早くからやっていた曲だと“夏のさなか”とか“出発”とかですけど、「いけるんじゃないか?」って自分で思えたのは“子午線”ですね。順番的には“夏のさなか”“出発”が一番古くて、そのあとが“チークタイム”“Easy Tempo”、それで“子午線”って感じですね。
北里彰久“子午線”を聴く(Apple Musicはこちら)―“子午線”が決め手の曲だと思えたのはなぜ?
北里:とにかく音を減らしたかったんですよ。音の密度を減らして、隙間に気配があるような曲にしたかった。“子午線”はそれを全体的なアンサンブルの構成含めてうまくやれたし、自分で作っていてハッとできたという感じですね。“子午線”ができたときに「これが1曲目だな」と思ったんですよ。全体の流れもはっきり見える感じがして、あとは今あるパーツの情景をつなげられる曲があればいいと思った。
―過去のアルバムにはドーンと迫力のある曲もハイライト的に入っていたりしたけど、そういう意味での主張も本当に控えめになっていますよね。
北里:それも「(音を)減らしたい」という主張ですね。とにかく引く。隙間を鳴らしているような感覚で音楽をやりたいんです。自分が思うドープさっていうのは、音そのものは軽いけど奥にある情景が深いってこと。そういうことがやりたい、って今回一緒にやる人みんなに言いました。
―それは、周りや同時代を見て何か感じている部分もある?
北里:わかんないすね。年齢的な部分もあるのかな? 自分と人を比較してどうこうって感じじゃないんで。時代に対しては思うことめちゃありますけど。
―そういう意味で今回は、こういうリファレンスとなる音源があって、みたいな話でもないですよね。
北里:あるっちゃあるけど言わないですね。それに、リファレンスっていうのともちょっと違うんですよね。「あのアルバムのここが」っていう感覚は俺にはあんまりないし、そういうことよりは別のことがきっかけになるって感じで。結局、リファレンスも先に外枠を決めるっていう話になるじゃないですか。
―そうか、外枠じゃなく、むしろリファレンスすべきは自分の内側ということかもしれない。
北里:内を形にするために外がある、って感じですね。
―そういう意味では自分の歌声で外に向けて実現できている何かがある、というのは多かれ少なかれ感じるでしょう?
北里:まあ、この声だったことしかないからいいも悪いもないんですけど、音楽を作ってくうえで声は出してますからね。この声が自分の音楽に向いてるってことなんだなと思いはしますね。
―これだけシンプルな音作りしていても、歌声がひとつの楽器として機能してるからプアな感じはまるでないし、むしろ歌が前面に出たことでさらに豊かになっていますよね。
北里:その豊かさは言葉の意味もあってのことだし、本当にいろんな要素があると思います。音の積み重ねというか、一つひとつの音をもっとシンプルにして、一音一音に音量という意味でない重さがあるものにしようという意識はあったかな。シンプルさと「ゆるい」みたいな感覚は、俺にとってはイコールじゃない。
―その一音へのこだわりって、「この一音の置き場がちょっとでもズレたら全体が成立しない」っていうような窮屈さとも違いますよね。
北里:自由度というか、よいルーズさは欲しいですね。それが音楽なんだとも思うし。本当にすべてをひとりでやったらストイックな方向にいくのかもしれないですけど、フレーズを指定したとしても他人に弾いてもらったらその人の音に変わるじゃないですか。自分と他人との関係性が作用する部分は絶対あるから、それも含めて自分の音楽は懐の深いものでありたいなと思います。
北里彰久“Fortune”を聴く(Apple Musicはこちら)―そういう意味で『Tones』は、これまで人とやることで得ていたバンド感を自分発信のものとして作られた作品だと言えるのかも。これを作ったことで、北里彰久としてのこれからのビジョンも見えている?
北里:そうですね。それを語るのは野暮だから言わないですけど。でもまあ、名義の変化はそんなに劇的なものでもないんですよ。俺はもともと北里彰久として生まれてきてるから(笑)。今までやってきたことも間違ってないし、今作もそれがあったからできたことだと思うし。Alfred Beach Sandal名義も自分のなかでは地続きのことだから、捨ててしまうわけではないんで。使い方が思い浮かべばまたいつか使うかもしれないですね。
- リリース情報
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- 北里彰久
『Tones』(CD) -
2019年7月10日(水)発売
価格:2,700円(税込)
PECF-11751. 子午線
2. Easy Tempo
3. チークタイム
4. Flowers for a Stranger
5. エンドオブヴァケイション
6. 夜光のスケッチ
7. 出発
8. 夏のさなか
9. Fortune
- 北里彰久
- イベント情報
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- 『北里彰久“Tones”release tour』
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2019年7月28日(日)
会場:長崎県 崇福寺 Coffee & clayworks 笠
Live:北里彰久(Acoustic Band Set)
料金:前売2,800円 当日3,300円(共にドリンク別)
2019年7月30日(火)
会場:福岡県 正屋 本店
ライブ:
北里彰久(Acoustic Band Set)
Cobalt boy
料金:前売2,500円 当日3,000円(共にドリンク別)2019年9月1日(日)
会場:兵庫県 神戸 旧グッゲンハイム邸
ライブ:北里彰久(Band Set)
前売:前売3,300円 当日3,800円(共にドリンク別)
2019年9月14日(土)
会場:東京都 青山 CAY
ライブ:北里彰久(Band Set)
DJ:nutsman
料金:前売3,300円 当日3,800円(共にドリンク別)
2019年10月5日(土)
会場:愛知県 名古屋Live&Lounge Vio
ライブ:北里彰久(Band Set)/ odd eyes
DJ:nutsman
料金:前売3,300円 当日3,800円(共にドリンク別)
- プロフィール
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- 北里彰久 (きたざと あきひさ)
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2009年よりフリーフォームなソロユニットAlfred Beach Sandalとして活動開始。3枚ほどアルバムを作る。ロックからMPB、ブラックミュージックまでを三次元的にイビツに迷走していく手腕には一定の評価をいただく。「DJ的発想で曲を作っている」と言われ、いい気になって「そうですね」と答えたことがある。最近はよりひとりぼっち方面の活動が増え、歌にフォーカスしていく傾向がみられる。ギターもちょっと弾ける。
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