SEVENTEEN AGAiNが7月10日にリリースした『ルックアウト』。バラエティ豊かなリズムと深い音響の中でポップなメロディが生き生きと跳躍し続ける今作は、彼らのディスコグラフィーの中で最も音楽的な成熟を感じさせつつ、それと同時に青春性に満ちた歌がズバリと聴こえてくる気持ちよさも持ち併せている。衝動的なパンクロックとしてスタートしたSEVENTEEN AGAiNだが、パンクが内包する愛と寛容さをかつてなく歌の中で表現し切れているからこそ、その歌が強固な軸となって、より一層自由にソングライティングが解放された作品だとも位置付けられるだろう。
インタビュー冒頭でヤブソンが「自分たちはパンクバンドである」とハッキリ言葉にしてくれたように、パンクの思想と精神性に惚れて憧れてきたバンドとして、パンクロックの「型」に収まらない音の奥にこそ一切ブレない軸を持っているのがSEVENTEEN AGAiNだ。それは、投げ銭制の自主企画『リプレイスメンツ』をはじめとして、「自分で考えること」「個の価値観に寛容であること」、そして「正解はひとつじゃないこと」を問うて、体現し続けてきた彼らの活動スタンスにもはっきりと映っている。
最高作『ルックアウト』を紐解きながら、何年経とうと変わらぬパンクの思想――ひいては人間が人間を受け入れて自由に生きていくためのアティテュードの根幹を探ったインタビューが下記だ。人と人生と世界を偏愛するからこそ愛と優しさの行方に思い悩む。そんな人間論と綺麗すぎる綺麗事を真っ向から語り合ってきた。
パンクの「自発的にやる」っていう精神性は、時代が変わっても普遍的な原理で。だからこそ自分にフィットした。
―ヤブさんが音楽やロックバンドに惹かれたきっかけは、どういうものだったんですか。
ヤブソン:確か、友達が学園祭でコピーしていたHi-STANDARD、MONGOL800、GOING STEADYを通してパンクのサウンドに出会ったのが最初でしたね。それ以前にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTとかを聴いたことはありましたけど、自分で演奏したいっていう発想になったのはその時が初めてで。なんかこう……真っ直ぐだったんですよね。
―パンクは真っ直ぐだったとおっしゃいましたが、SEVENTEEN AGAiNの歌を聴いていても、自分は世界とどう関わって生きるのかを実直に考えながら、人に優しくありたいという気持ちを感じるんですね。ご自身では、自分たちの歌と音楽をどういうものだと捉えられているんですか。
ヤブソン:SEVENTEEN AGAiNも、パンクだと思います。自分のルーツがそこにしかないので。いろんな音楽それぞれに思想があると思うけど、その思想の面で自分に一番フィットしたのがパンクだったんですよ。それこそ最初は激しさや速さに衝撃を受けたところはあったんですけど、掘れば掘るほど思想の部分に憧れていったんです。
SEVENTEEN AGAiN『ルックアウト』を聴く(Apple Musicはこちら)
ヤブソン:たとえばSNUFFY SMILE(日本のインディーズレーベル。日本のメロディックパンクの礎を作り上げた)を知って、栄森(陽一 / SNUFFY SMILE代表)さんのコラムを読むことでパンクのルーツを学んだりして。そうやって、パンクがただの「音楽の型」じゃないと知ると、それはとても社会的なものであると同時にロマンティックなものでもあると思えてきて……そこが好きだったんですよね。「パンクとは思想だ」っていうことは、そこに人間のドラマがあるっていうことだから。
―まさにおっしゃる通りだと思います。
ヤブソン:そうやってパンクが生まれていった時代を想像して、その時代に生きていた人の背景や思想を今の時代にも置き換えられるかもしれないって考えたり。たとえば今日、(筆者が)FUGAZIのTシャツを着られてますけど、FUGAZIがなぜFUGAZIのサウンドになったかって考えると、その理由は当時の社会や空気の中にあったわけですよね。
FUGAZI『13 Songs』を聴く(Apple Musicはこちら)
―まさにそうですね。イアン・マッケイがFUGAZIの前にやっていたMINOR THREATで起こった現象に対する反動もあったと思うし。
ヤブソン:そうですね。MINOR THREATがイアン・マッケイの意志とは反するくらいキッズが集まるバンドになってしまって、「ストレートエッジ」(喫煙・麻薬・アルコール・快楽目的のセックスのすべてを断じて、刹那的かつ享楽的な生き方を否定した思想・ライフスタイル)の根本とは違う、ただの流行になっていって。結局そこに残ったのはバイオレンスだけだったんじゃないかなと思うんですよ。だからイアン・マッケイはFUGAZIでは激しいサウンドから距離を置いて、BPMを落とした音楽を作った。それに当時のワシントンではファンクも流行っていたから、それをパンクに落とし込んだらどうなるのかっていう音楽的好奇心もあったと思うんです。そういうふうに、当時の状況やドラマ……それを知っていくのが面白かったんです。
―ストレートエッジって、そもそもバイオレンスとは真逆の発想から生まれた思想でしたよね。破滅的・退廃的ではなく、人に優しさを持って生きていくためのものだった。そういう思想の部分で言うと、いろんな音楽がある中でパンクにそこまで惹かれたのは、パンクの思想がご自身のどういう部分に置き換えられると思ったからなんですか。
ヤブソン:置き換えられる部分……すごく端的に言うと、パンクの「自発的にやる」っていう精神性だったんだと思います。自分の意志でやる。それは時代背景が変わったとしても、パンク……ひいては人の普遍的な原理で。だからこそ自分にフィットしたし、パンクはサウンドじゃ括れないものだと思うんですよね。
―SEVENTEEN AGAiNのサウンドの変遷を辿っていても、いわゆる「パンクロック」のサウンドからは作品ごとにはみ出していってますよね。
ヤブソン:そう、僕らがやりたいと思っていることのひとつもそこにあって。たとえばJ-POPの中にも、パンクと同じ価値観が存在したりするじゃないですか。逆に言うと、パンクの精神性はいろんなところにあるんだっていうことを体現したい気持ちもSEVENTEEN AGAiNのサウンドには複合されている気がしますね。
小学校2年生の時に先生がクラス全体に対して出した掛け算の問題で、「みんな」の仕組みがわかってしまった。
―いろんなサウンドを取り込んでいくことでむしろ、パンクとは型じゃなく精神性なんだと表したいっていうことですよね。では、その「自発的にやること」というアティテュードがヤブさんの琴線に触れたのは、ご自身にどういう背景があるからなんですか。
ヤブソン:……それは考えたことがなかったかもしれない……うーん。
―どうしてこういうことを訊くかというと、ひとりの人間として自発的に生きていくことを尊重できない世の中に対する気に食わなさも、この音楽と歌にはたくさん入っていると思ったからで。
ヤブソン:はははははは。確かに、気に食わないことはたくさんあると思います。振り返ってみたら……小学校2年生の時に、先生がクラス全体に対して掛け算の問題を出したんです。そしたら、その時クラスで一番勉強ができたAくんが答えたんですね。だけど僕はその回答が違うと思ったから、「〇〇だと思います」と言った。そしたら先生が、「ヤブくんとAくんの答え、正しいと思うほうに手を挙げてください」っていう公開アンケート方式にしちゃったんですよ。今思えば、そんなやり方は間違ってるってはっきりわかるんですけど。
―間違えたほうをギロチン台に上げるやり方ですからね。
ヤブソン:そうなんですよ! それでクラスのほぼ全員が、勉強のできるAくんの回答に手を挙げて。でも結局、俺のほうが正解だったんですよ。そしたら、教室全体が「なんだよ」って白けたんです(笑)。……人は自分で考えて動かないとこうなると思ったし、結局、「みんな」っていうものはこういう仕組みで成り立ってるんだろうなって思ってしまって。
今訊かれて初めて思いましたけど、自分がパンクの「自発的にやること」という思想に惹かれた要因としては、自分で考えていない人への違和感とか、枠によって自分が決定される気持ち悪さが大きかったんでしょうね。
―その違和感はSEVENTEEN AGAiNが歌い続けていることでもあると思うし、今回の『ルックアウト』ではより明瞭に表現されていることだと思ったんですね。たとえば最も青春性の強いメロディを持った“So Young”で<別のとこへ行け>と歌っているのは、そのまま、SEVENTEEN AGAiNの真ん中だと思ったんですよ。
ヤブソン:ああ……自分の意志でないものに動かされることに対する気持ち悪さは、強烈に持ってきましたね。だから掛け算の件で違和感を覚えた辺りから、俺はひとりで遊ぼうって自分で決めたんです。それが苦でもなかったし、ひとりで黙々とバスケットボールのシュート練習をしてましたし(笑)。そしたらね、通信簿に「ヤブくんは昼休みにひとりだけでバスケットボールの練習をしています」って、暗にイジめられてると思われそうなことを書かれたんですよ。それに対しても、全然違うのになあと思って。だから……<別のとこへ行け>っていうのも、「ひとりで遊ぼう」と自分で決めた頃の俺が最高だと思えるものをSEVENTEEN AGAiNでやりたいと思ってるのかもしれないですね。
―音に関しても、作品ごとにギターの音響が深くなって、自分や人の場所を包む防護シェルターのような音像になっていると思ったんですね。“ピリオド”もまさに、民族音楽的でトラディショナルなメロディを、音の壁で祈りのように聴かせていて。今おっしゃったことで言うと、音楽の中に自分ひとりだけの場所を求めるような感覚もあるんですか。
ヤブソン:音に関しては、割と数学みたいに理屈で作ってきたつもりだったんですけど――とはいえ、歌の内容と音が合致してるものを作りたいとは思ってますから、実際、言われたところはあるんじゃないかなって自分でも思いました。たとえば、僕もみんなで歌うことは好きなんです。だけど一人ひとりが自ずとして歌っている光景が好きなんです。自分自身も含めて「一人ひとりが歌ってほしい」っていう願いみたいな気持ちが、そこに反映されてるのかもしれないですね。
誰も味方ではない場所で、たったひとりを味方にできたら優勝だと思ってるんです。
ヤブソン:そういえば今思い出しましたけど、昔、マグネットコーティングっていうバンドがメロコア中心のイベントに出ていたことがあって。マグネットコーティングは、その中で圧倒的アウェイだったんですね。だけど死ぬほどカッコよくて、俺は初めて観たのにクラウドサーフしちゃったんです(笑)。でもアウェイのライブだから全然盛り上がってなくて……その中で飛んだら、後ろにいたヤツにめちゃくちゃ蹴られたんですよ!
―よくある「空気を読め」みたいな感じですか。
ヤブソン:そうですね。逆に言うと、誰も味方じゃない場所でたったひとりを味方にできること以上の優勝はないと思ったんですよ。アウェイでも、全然盛り上がらなくても、たったひとりを覆せることができるのか否か、というか。だから、ただ激しい音じゃなくて、自分も含めた一人ひとりの場所を尊重しようとするような……そういう音像になるのかもしれない。
―そういう意味で、今回の作品は音響の深さにしてもメロディのよさにしても、歌の中にある精神性にしても、SEVENTEEN AGAiNが作ってきた音楽の総決算になるようなものだと感じました。ご自身では、どういう作品になったと感じられてます?
ヤブソン:まさに自分でも、総決算になるものを作れた気がしているんですよ。どういうポイントかって言うと、自分の言いたいことを筋道立てて歌にできたなっていうところが大きくて。僕の場合は曲ができ上がるのが先のことが多いんですけど、歌詞からでき上がる曲は自分にとって特別な曲になることが多くて。このアルバムで言うと、“戦争は終わりにしよう”と“記念日”がそうなんですけど。このふたつは、すごく社会的な感情と、すごく個人的な感情を、1曲の中で表裏一体として書けた曲で。そういうふうに歌詞が書けたこと自体がすごく嬉しい曲なんです。
誰かを蔑んだり罵ったり、戦争は常にそこで起きている。
―今の時代に生きるヤブさんにとって、“戦争は終わりにしよう”で歌っている戦争とはどういうもので、どういう部分で個人的感情と結びついたんですか。
ヤブソン:戦争というものを、直接的なテーマとして今までは歌にできなかったんですよね。簡単に歌えるテーマじゃないし、歌にする必要もないって思っていました、それは今も思っています。なぜなら、戦争は、「歌」という抽象的な表現法よりも、もっと現実的に表さなくちゃいけないことだと思うから。だけど、今回は歌おうと思えたんです。
―それは、なにを感じたからなんですか。
ヤブソン:それはきっと……ずっと、それに対する回答は根幹として持ち続けてはいたんですよね。だってそもそも、俺はそうやって人が傷つけ合うのが嫌いだからこそパンクを好きになったんだよなって思いますし。
―個人間レベルでの争いや傷つけ合いがより一層目や耳に入る時代になったし、その中で、ヤブソンさんにとってのパンクの原風景――自発的な生き方に最も寛容な音楽であることを見つめ直したということですか。
ヤブソン:そう、パンクの、それぞれの生き方に一番寛容である部分が好きだし、それはパンクの内包している優しさだとも思うんです。だからこそ、今起きている争いって何に起因するのか考えたんです。なんでこんなに傷つけ合ってるのかなって……。それでできたのが “戦争は終わりにしよう”だったんですね。
たとえば<どんなにかわっても / 君は君のままだよ / そうだ、おわりにしよう>というところがありますけども……これは単純に人を寛容することを表すだけではなくて、今は人と人の距離感が近すぎるからこそ傷つけ合ってしまうことがあるよなと思い書いた歌詞なんです。<君は君のままだよ>っていうのは、「俺たちはよくも悪くもそんなに近くにいないぜ?」ってことでもあり。様々なネガティブな感情の根幹に、自分と他人の距離感はとても重要な原因があるんじゃないかって思うんです。だからこそ、昨今の人と人との距離感の歪さに理由がある気がしたんですね。
―SNSをはじめとして距離感がバグっているから、お互いに干渉し合ったり、お互いのことを我が物顔で語って傷つけたりするということですよね。
ヤブソン:そう。だから<どんなにかわっても / 君は君のままだよ>っていうのは、俺の中での「不関与」なんです。不寛容や無関心ではなくて。自分と人に対して優しくあるためには、距離感を間違えたらいけない。人の人生を知った気になって勝手に語る人がいるけど、それによってたくさんの争いが起こってるんじゃないかなって。
―今日ここまで話していた、ご自身の人間観やパンク観とそのまま通ずる話ですよね。つまり“戦争は終わりにしよう”は、その思想をそのまま描き切れた曲だとも言えますか。
ヤブソン:確かにそうですね。だからこそ、“戦争は終わりにしよう”に至る物語を書きたくて『ルックアウト』というアルバムを作ったところがあるんですよね。少し視野を広げてみれば、全体主義に傾きそうな時代や、ナショナリズムみたいなものは怖いっていう感情でもあるんですよ。人が大きな力で無理やり固められたとして、その瞬間だけはポジティブな気持ちで団結できるのかもしれない。でも必ずいつかそれは絶対に歪みが生じる。
その瞬間に団結できたとしても、自分たちはみんな同じだっていう感覚を持つのは無理なんですよね。逆に言えば、集まったとしても、またバラバラになってそれぞれの人生に戻っていくことが大事なんですよ。そういう距離感があるからお互いを面白がれる。作為的に団結させると、息苦しいものになってしまうんですよね。
―人と人が繋がりやすくなったと見えて、実は、どこでも監視されているような感覚を覚える人が多い時代でもあると思うんです。誰にも見せられない裏側の声ばかりが増大したり、孤独や断絶がむしろ深まったりする向きも同時にあるというか。
ヤブソン:人が寂しさを埋めたくて距離を近づけようとしたっていうのも、わかることはわかる。だけど、寂しさや手持ち無沙汰な気持ちが増大してネガティビティを生んでいるんじゃないかって……もともと俺たちはこんなに寂しかったんだっけ? って思っちゃうんですよ。俺らの前の時代の大人がどうだったかは想像することしかできないけど、でもきっと、知らないことや見えないことにもっと不関与だったと思うんです。これは、古きよき時代がどうっていう話じゃなくて。だからこそ「人の渦」みたいなところとは別の場所へ行こうとする歌になると思うんです。
「今ここに自分の居場所はない」っていう諦めから始まったからこそ、その中で通じ合える人と出会う心の旅を音楽にしている。
―“So Young”で<別のとこへ行け><与えられた景色を捨てて / 青色に塗り潰すんだ>と、今ここではない場所への憧憬が蒼さとして表出しているし、“サンライズ”では、「まだ見ぬ方」みたいに聞き慣れた言葉ではなく<誰もが 見ない方>に陽が昇ると歌っていますよね。誰もが見ない方に光を見ようとするのが面白いなあと思って。
ヤブソン:うわ……言われみたら、確かにそうだ(笑)。まだ見ぬ方とか、光射す方とかじゃなくて<誰もが 見ない方>……! 今言われて気づきました。もう、根本的な感覚で書いてるからこそ自覚できてなかったんでしょうね(笑)。ある意味、話してきたことが全部出てる歌っていうか。それこそMINOR THREATの『Out Of Step』のジャケット写真みたいなイメージですよね。
―飛び出した羊と同じ方向を向いている羊は、あの絵の中にいないですよね。
ヤブソン:おおー…………! いい話を聞きましたね。
―いや、そうじゃなくて(笑)。ご自身ではどうですか。
ヤブソン:(笑)。“戦争は終わりにしよう”が起点になった作品だからこそ、自分を取り巻いている世界のことや、その環境に自分の思うこと……全部出てきたんだろうなって。結局、僕が<誰もが 見ない方><別のとこへ行け ここでも良いけど>という言葉で歌いたいのは、選択肢はたくさんあるんだっていうことなんですよ。自分次第、選ぶのは自分。オルタナティブっていうのも、そもそもそういう意味じゃないですか。
物理的にも精神的にも行きたいところがあったとして、だけど99%の人がそんなところには行けないから悩んでる。でも考え方ひとつで、この場所でも景色が変わるっていうことを歌いたいんです。僕自身が「今ここに自分の居場所はない」っていう諦めから始まったからこそ、その中で通じ合える人に何人出会えるのかなっていう心の旅を音楽にしていると思うんですよ。
―まさに、自分の場所、自分だけの聖域、誰にわかられなくても自分にとって大事なものをとても丁寧に包む音であり、歌ですよね。
ヤブソン:できるだけ多くの人に伝わってほしいという想いももちろんありますけど、僕個人の実感や体験を納得いく形で表したいという気持ちがやっぱり強いです。それこそ最後の“記念日”という曲がそうなんですけど――僕は、東京の大田区で生まれて今も大田区に住んでるんですね。そこで、毎年8月15日に花火大会があって。その花火を歌った曲でもあるし、終戦記念日のことを思って歌った曲でもあるし、僕の祖母を思って書いた曲でもあるんですよ。
去年、祖母が急にバスに乗ってる最中に倒れてしまい。お医者さんからもかなりシビアな状況だと言われ続けていて。その後本当に奇跡的になんとか退院できたんですけど、「このまま私は死ねればよかった」って祖母が病室で言ってるのを聞いた時があったんです。そう言っている病室には、親戚全員が集まった写真が飾ってあって……それを見た時に、全部そこに、写真にだって写ってるよ、って思ったんです。というか思いたかった。
そういう祖母に対しての気持ちと、終戦記念日と、毎年終戦記念日に行われる祖母の家からも見えた花火が全部ない混ぜになったのが“記念日”なんです。
―悲しいことだったり、大事なものを失う恐怖だったりを知るからこそ、何を愛して生きていくべきかが見えてくるということですか。
ヤブソン:きっと、そういうことなのかもしれないですね。
―どう生きてどう死ぬのか、現状での答えを言うとすればどういう言葉になりますか。
ヤブソン:……憎しみや争いを知れば知るほど、そこから、それに抗うためのヒントを得られるんじゃないかって思うんですよ。だから、歴史上の戦争のこととか、人間がどんな経験をしてきたかとか、そういうところから優しさや愛みたいなことを知ることができるんじゃないかなって――そういう意識があったんじゃないかって、今日話していて改めて思いました。
パンクって一見バイオレンスなもの、あるいは反社会的な表現として部分的に切り取られることが多いかもしれないですけど、寛容さを持って一人ひとりを尊重する生き方を肯定する姿勢のことだと思うんですよ。今いる場所の居心地がもし悪いなら、自分が選んだ好きな場所へ抜け出せばいいんだよって。
―その本質を改めて見つめ直せる話を今日は聞けたと思っています。
ヤブソン:まだまだ僕はパンクに憧れていて、その本質がなんなのかを知るための志半ばだから、大それたことは何も言えないんですけど。でも、争いやネガティブな感情が可視化されて、溢れているかのように見える今の世界だからこそ、この作品を作ったんじゃないかなって思ってますね。愛という言葉の意味を、いまだに僕は全然分かっていないですし、言葉にするのも照れてしますし、とても恥ずかしいんですけど。だけど、それを知るためのヒントも、もしかしたらそこにはあるのかもしれないなって思うんです。
- リリース情報
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- SEVENTEEN AGAiN
『ルックアウト』(CD) -
2019年7月10日(水)発売
価格:2,160円(税込)
KKV-0741. ピリオド
2. サンライズ
3. ルックアウト
4. Don't Know Why
5. So Young
6. Calling Dark
7. 悲しい顔しないでよ
8. 意味はないなんて強がらないで
9. 戦争は終わりにしよう
10. 記念日
- SEVENTEEN AGAiN
- イベント情報
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- 『ルックアウト レコ発ツアー』
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2019年9月21(土)
会場:宮城県 仙台FLYING SON2019年9月22日(日)
会場:山形県 酒田hope2019年9月28日(土)
会場:神奈川県 横浜F.A.D - STARVINGMAN & LINK split CD『ichigo』
SEVENTEEN AGAiN『ルックアウト』
発売記念 合同企画ライブ -
2019年10月12日(土)
会場:宮崎県 宮崎ぱーく2019年10月13日(日)
会場:佐賀県 佐賀大学校内2019年10月14日(月祝)
会場:福岡県 博多・四次元2019年10月19日(土)
会場:大阪府 大阪 NOON2019年10月20日(日)
会場:愛知県 名古屋zion2019年10月22日(火祝)
会場:東京都 某所 ツアーファイナル
- プロフィール
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- SEVENTEEN AGAiN (せぶんてぃーん あげいん)
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2000年代中旬に活動を開始。ヤブソン(Vo,Gt)、ロッキー(Ba)、スズキカズ(Dr)による3ピースパンクバンド。ライブハウスを起点にアンダーグラウンドで広域に亘るネットワークを構築し続ける。投げ銭制の自主企画『リプレイスメンツ』を主催するなど、人それぞれの価値観を問いながらD.I.Y.な活動を展開。ギターポップからインディーロック、オルタナティブロックまでを消化した音楽性を持つ。2019年7月10日に、3rdフルアルバム『ルックアウト』をリリースした。
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