「ミュージシャンと農家の対談取材をやりませんか?」。そんなオファーをもらったときの私は、正直に言うと、「え……はあ……」「その2つの職種が交わって盛り上がる対談テーマなんてあるだろうか……?」という気持ちだった。
CINRA.NETで長年取材し続けているバンド・Czecho No Republicが、『La France』というタイトルのEPを完成させたことを記念して、日本一のラ・フランス産地である山形県へ行き、ラ・フランス農家の方と話をして、ラ・フランスの魅力を伝えよう、という心意気でスタートした本企画。
早朝に渋谷で集合し、CINRA.NETらしい「カルチャー」「クリエイティブ」の話が聞けるのかどうかと不安も抱えながら、Czecho No Republic車に乗ること約5時間。到着した「髙橋フルーツランド」で迎えてくれた農家の髙橋利洋さんは、見覚えのあるロゴデザインで「Saquranbo(さくらんぼ)」と書かれたオリジナルパーカーを着ていて、出会った瞬間から「この方はきっと、ユーモア溢れる方だな」という印象を皆に与えた。
話を始めてみると、Czecho No Republicと髙橋さんのもの作りに対するこだわり、時代的に業界全体が抱えている課題、そしてそれに対する工夫など、両者の情熱とクレバーさが次々と交差していく。「音楽」「果物」とアウトプットは違えど、両者の根っこにある「どう生きていきたいか」という心は、繋がっているように思えた。
偶然リンクした、ラ・フランスの歴史と、Czecho No Republicの歴史
武井(Vo,Ba):たまたま曲に“La France”ってタイトル付けたことが、ラ・フランス畑に来る機会にまで繋がってくるとは……まったく想像してなかったです。面白いなあ。
Czecho No Republic“La France”を聴く(Apple Musicはこちら)
―なぜ今回、“La France”と題した曲を作ったんですか?
武井:まず曲を書いて、まだ歌詞はほとんどできてない状態のときに、仮タイトルを「ラフランス(仮)」にしてたんです。曲調のかわいらしい感じと、この言葉の相性が、自分のなかでいいなと思って。
―「ラ・フランス」という言葉が浮かんだのは、どうして?
武井:いや、もう、降ってきたとしか言いようがなくて。
髙橋:すごいですね。メジャーな果物ではないのに(笑)。
武井:そこから、「歌詞に『ラフランス』って入れたら、本タイトルも“ラフランス”にできるな」と思って、特に言いたいことは決めないまま、言葉遊びの感覚で、響きを重視しながら歌詞をハメていったんです。
そうしたら……まあ多分、当時の自分の心境が反映されてはいるんだろうけど……用無しな人、役立たずな人はいないという、「用無し」と「洋梨」が自然とリンクしてきたり。自分としても曲が完成したあとに「あ、こういうメッセージか」ってわかった感じだったんですけど、そのメッセージと、ラ・フランスの歴史が見事にハマっていたり……。
―当時の心境というのは、どういうものだったんですか?
武井:みんな、楽しい日もあれば弱い日もあると思うんですけど、弱い日に、自分と周りを比べちゃって「自分って役立たずだなあ」と思うことって、きっと誰しもにあると思うんです。自分の輝きを過小評価しちゃうことってあるし、卑下しがちだったりする。でも実は、そんなことをする必要はまったくなくて。だって、みんなオリジナルの才能を持っているはずだから。用無しの人はいない。……そういう気持ちを抱えながら、イライラしてた時期があったんですよね。
武井:それで曲ができたあとに、ラ・フランスのことをもっと知ろうと思って調べたら……ラ・フランスは、誕生して100年くらいあまり注目されなかったらしくて。農家の方は美味しいって言ってるけど、市場であまり流行らなかった、と。俺らも来年結成10年で、ブレイクすることなく10年やってきて……。
砂川(Gt):さっそく卑下してんじゃん!(笑)
武井:(笑)。でもそれがすごく愛らしいエピソードであるし、勇気をもらえるなと思ったんです。変わらずに、ブレずに居続けたから、今100年経って多くの人がラ・フランスを認めている。その歴史が自分のなかでしっくりきて。
髙橋:ラ・フランスって、山形では「みだぐなす」って呼ばれているんですよ。山形弁で「見栄えが悪い、見たくもない梨」って言われるほど、見た目が悪くて、でも美味しいっていう。今でも、ドーンと流行ることはないし、誰にでも愛されるものではなくて。そういう果物なんです。
出始めの頃は「奇跡の果物」って言われていたんですけどね。こんなに美味しい果物があったのか! って。値段も今の10倍くらいしたのかな。でもやっぱり、なかなか食べ頃が難しいし、値段もそんなに安くはない果物なので、まだまだ知られてないんです。ただ、ちゃんと食べ頃に食べると、本当に美味しいんですよ。自分も、唯一毎日食べている果物はラ・フランスくらいです。
実はあまり知られていない、ラ・フランスの一番美味しい食べ方
タカハシマイ(Gt,Syn,Vo):一番いい食べ頃は、収穫してどれくらいなんですか?
髙橋:ラ・フランスって、収穫してすぐは食べれないんですよ。必ず冷蔵庫で追熟させてから、さらに冷蔵庫から出して1週間~10日くらい待ってください。
砂川:一回冷蔵庫に入れるんですか?
髙橋:必ず入れないとダメなんです。枝の元と先で熟し方が違うので、それを冷蔵庫に一回入れて合わせるんです。スーパーで売ってるのは、冷蔵庫に入ったあとのものなので、置いておくだけでいいですよ。本当にめんどくさい果物なんですよ(笑)。
うちらだと「あ、あと何日置けばいいな」ってわかるんですけど、スーパーで売ってるものは、いつ冷蔵庫から出したかわからないし、自分で判断するしかないんですよね。それを覚えるまではやっぱり、難しいなと思います。
山崎(Dr):見極める方法って、あるんですか?
髙橋:他の洋梨は色が変わるんですけど、ラ・フランスだけは、色も変わらないし香りも出ない。押して、柔らかさを確認するしかないんです。好みにもよるんですけど、耳たぶくらいの柔らかさになったら食べ頃です。
タカハシマイ:耳たぶくらい? かなり柔らかいですよね?
髙橋:うちらは、腐りかけが一番美味しいって思ってるんで。
タカハシマイ:……え、すごい!
武井:……すごいな、俺。
砂川:歌詞に入ってるんです、<隣の庭には腐りかけラフランス>って。
武井:なにも知らなかったのに……鳥肌立ってきた(笑)。どうなってるの? なにかの暗示かな? 俺、もう、山形に住もうかな?
武井:じゃあ、買って、何日か置いといて、腐りかけ待ちして、食べると。
髙橋:そうなんです。
武井:やっぱり、「腐りかけ」って悪いことじゃないんだね。人によっちゃ廃棄したり、価値のないものだと思ったりするけど、やっぱりそのなかに眠る可能性がある……はあ、すげえ!
髙橋:ラ・フランスは、「もうそろそろダメになる」という腐りかけのときのが一番美味しいですね。食べ頃過ぎちゃうと、中が黒くなっちゃうんです。その手前の、芯がちょっと黒くなるくらいで、皮を剥くとだらだらと汁が出てくるくらいが一番美味しいですよ。でも一気に食べきれなかったら、冷蔵庫に入れてもらえれば追熟は止まるので。
武井:それ知れたら逆に扱いやすいね。
砂川:保存が効くっていうことか。
武井:いやあ、いいなあ。
音楽も、果物も、飽きさせないためには「甘味と酸味のバランス」が大事
―髙橋さんはラ・フランス以外に、さくらんぼ、ぶどうなども育てられていますが、ラ・フランスならではの魅力や美味しさって、どういうところだと感じていますか?
髙橋:酸味と甘味のバランスは最高ですね。それが一番美味しいと言われているところです。甘いだけって……一番わかりやすい例だとシャインマスカットですけど、美味しくても甘いだけだと飽きちゃうんですよ。酸味がないと、どうしてもダメ。
しかも、甘い果物だけを作るのはすごく楽なんです。でも、本当に果物が好きな人にとっては、酸味もないとダメなので。酸味を入れて、味が濃く感じるように、余韻が残るようにする。そういう果物を作るように、というのは心がけています。
―音楽に置き換えても、耳に入った瞬間にパンチのあるような、わかりやすくポップでキャッチーなものもいいけれど、そういうのばかりだと……。
武井:飽きますよね。
髙橋:そうそうそう。
武井:酸味は必要。
髙橋:お客さんにリピートしてもらうためにも、本物じゃないとね。
タカハシ:うわあ、かっけー……。
砂川:音楽と一緒ですね。
大量生産・大量消費から、「一人ひとり」へ。両者が感じる、時代の移り変わり
―時代の移り変わりによって抱えている課題も、音楽業界と果物業界には通ずるものがあるのではないかと思います。音楽業界においては、ライブ市場は右肩上がりではあるけれど、日本の音源ビジネスの売上を見るとピークのときの約半分になっている。一方で果物業界も、消費量は減少傾向にあって、私たちのような20~30代の減少幅が特に大きく、60代の約半分しか果物を摂取していない。しかも日本人の果物摂取量は、世界的に見ても極めて低い水準だそうですね。
髙橋:もう、落ちていくだけじゃないですかね。剥く果物って、今もう人気がないですからね。
タカハシマイ:えー!
髙橋:人気なのは、さくらんぼとか、皮ごと食べれるシャインマスカットとか。手が汚れるものは、まず食べない。
砂川:やっぱり、めんどくさい、みたいな?
髙橋:そう。デザートとかだと売れるんですけどね。お菓子にはお金を出すけど、果物だと「高いな」って感じになっちゃう。
―そういった状況のなかで、髙橋さんはどういう工夫をされているのでしょう。
髙橋:それで2007年に、嫁とカフェ「HATAKE café」を始めたんです。スーパーで果物は買わないけどデザートだと食べてもらえるので、デザートで果物を覚えてもらえたらなと。そうやって、まずは食べてもらわないとわからないですからね。
砂川:まずは聴いてもらわないと、っていうのも僕らと一緒ですね。
髙橋:そう、まずはきっかけを自分たちで作らないといけないですからね。だから、全国へ出張に行ってます。やっぱり、山形に来た人だけに向けていると、どうしても伝わらないので。
砂川:行って販売されてる、ということですか?
髙橋:そうです。果物も、カフェのパフェも、販売してます。百貨店もですけど、あとは「山形展」「東北展」とか、「全国うまいものフェア」とか、そういうところに入れてもらって。
利益なんか出ないですけどね。でもリピートしてくれて注文が入るし、「山形いいって言うから来たわよ」って旅行に来てくれる人も多くて。やっぱり行かないとなにも始まらないなって思いますね。行って、わかってもらう、ということは、大事にしていきたいなと。大変ですけどね。
砂川:本当に一緒ですね。全国へ行くというのも、俺らもツアー行ったりするし。
―ミュージシャンには「メジャーのレコード会社に所属する」と「自分たちの足でインディーで動いていく」という選択肢があるように、農家にとっても、たとえばJAに卸すだとか、いろんな販売ルートがあると思うんですけど、髙橋さんはどういう選択を取られているんですか?
髙橋:昔は、大口の注文とか、バスの団体ツアーで果物狩りに来られるお客さんが多かったんですけど、リーマンショックと震災が起きた頃を境に、ガラっと切り替えました。それからは、一人ひとりのお客さんに対応するようになって、それが主になっていますね。果物狩りも、お店やカフェの接客も、団体で来られると話す暇がないんですよ。
武井:バスツアーの一環みたいな形で来る団体のお客さんが、昔は多かったということですよね?
髙橋:そう。1日バス50台とか。
タカハシマイ:ええー!
武井:そうなっちゃうと、アトラクション感覚になるから、その人のなかに残りにくいですよね。
髙橋:本当にそうです。バスを降りて、案内して、終わりだったんですよ。説明もできない。あんまり面白くなかったですね。でも今は、すんごいしゃべれるんで楽しいです。お客さんの顔も覚えて、「毎年来てくださってますね」という会話もできますし。
武井:絶対そっちのほうがいいですよね。通じ合うし。
髙橋:やっぱり、もうそういう時代じゃないんでしょうね。時代に合わせて変わっていかないと。
武井:過渡期ということですよね。
髙橋:個々と接したほうが、ずっと残っていけるような気がしたんです。「今までみたいに団体向けにやってたら、多分、落ちるだけだろうな」って。今はふるさと納税とかも流行ってて、それをやってる農家さんも多いですけど、うちはふるさと納税に参加するのもやめて、全国に行くほうを優先していますね。
―震災がきっかけ、とおっしゃいましたが、具体的にどういうことがその変化のきっかけとなったんですか?
髙橋:震災後はお客さんが全然来なくなって、「どうしよう?」ってなってたときに、今まで来てくださったお客様が「余ったものを全部送ってくれ」って、そういう感じで助けてもらったんですよ。そういう出会いのおかげでやってこれたので、うちは一人ひとりを大切にするやり方でいこうって決めたんです。
そうしたら、今の時代の旅行と上手く合わさりました。バスの団体旅行が一気に減って、今はほとんど個人旅行なんですね。ちょうど、その変化に上手く絡んでいけたなと思っています。おかげでうちは、ここ6年はずっと売上が右肩上がりですね。自分が父親から継いだときの5倍くらいの売上になってます。
全員:へえ~!
砂川:すごいっすね。
―チェコも今年に入ってから、メジャーのレコード会社ではなく、自分たちの事務所からリリースしていますよね。そういう選択肢を選んだ理由は?
武井:なんというか……曲作りがだんだん楽しくなくなってきていたので。周りに合わせたりとか、時代がこうだからとか、1分以内にサビがこないといけないだとか、そういうことから解き放たれて、自分の軸をちゃんと取り戻したいと思ったんです。
―楽しくなくなってきた、というのは、どうしてだったんですか?
武井:八木(類)さん(2018年4月に脱退)含めて5人で最後に作ったアルバム『旅に出る準備』で、まじで飽和しきった感があったんですよ。「こういうときにバンドって終わっていくのかな?」と思うくらい、手詰まり感があったんですよね。だから、結果的には、八木さんが抜けたのはよかったんだと思う。今思うと、ですけど。やめてないほうが、未来が見えてなかったかもしれないなって。
あと、だんだん、会社の人に褒められたくて曲を書いてるみたいになってたというか……そういうテーマは不純な気がして。担当のスタッフが「これいいじゃん」って言ってくれて、「この人喜んでるからいいか」みたいな気持ちでいたというか。そのときは見えてなかったんですけど、やっぱり俺は、自分が作ったデモをメンバーに聴かせたときに反応がいいのが一番嬉しいし、それをやりたかったのに、だんだん会社の人のために曲書いてる気がして、よくわかんなくなってたし面白くもなくなってた……今振り返ると、そう思います。
でも、当時光ったものは全部活きてると思うから、別に否定はしないです。ただ、4人になって、インディーに行ってからのほうが、曲がよくなってきてるような気がしてるんですよね。もともと、音楽なんて自由じゃないですか。その自由を、一回取り戻す必要があったんだなって思います。
髙橋:果物も、各種団体に属してると、いろいろ規定がありますからね。うちは属してないので自由に作って売ってますけど(笑)。でも自由にすると、叩かれるし、言われることは言われますしね。それなりに自分で責任を負わなきゃいけないし。
武井:うんうん(笑)。
髙橋:まあ、きっと、難しい選択ですよね。その世界のことはわからないですけど。……でもやっぱり、芯が通っていれば、必ずそれに共感してくれる人がいるので。「この味がダメだ、嫌いだ」という人はしょうがないけど、「この味が好きだ」って言ってくれる人に向けて作れば、そういう人はずっとファンでいてくれるので。それはなんの仕事でも同じなんだろうなって思います。
「光側にいるほうが生きていくのが楽な時代になってきているんだとも思う」(武井)
―話を少し戻すと、「腐りかけのラ・フランスが一番美味しい」という知識がなかったなかで、武井さんのどういった心情から<腐りかけラフランス>という言葉が出てきたんだと思いますか?
武井:いやあ、それはわかんないです。本当に、降ってきたとしか言いようがない。
髙橋:すごい!(笑)
武井:でも、そんなことばっかりですね、曲を書くときって。歌詞を書いてて、言葉が浮かんで、でも「意味をよくわかってないから調べよう」と思って調べると、「あ、言いたいことと合ってるわ」って。だから、曲を自分で作ってるという意識が本当にないんです。誰かがいるとしか考えられない。もらってる感じ。だって、俺みたいなポンコツが、曲作れるわけなくないですか? 本当にそう思うんですよ。
―また卑下が(笑)。これまでのCINRA.NETのインタビューでは、武井さんのネガティブな面や他人と比較して鬱屈としてる様を伝えてきたし、そのケツを叩くタカハシマイさん、という2人の見せ方をしていた部分もあるけど、今回のEPは全体的に根っから前向きな空気感が漂っているなと感じました。ラ・フランスのように、ときを経て、自分の美味しさに誇りを持っているかのような。
Czecho No Republic『La France』を聴く(Apple Musicはこちら)
武井:もう闇の時期は抜けて、今は光の妖精です。ふふ(笑)。
―妖精、ですか(笑)。
武井:めっちゃ前向きにやってます。比べることの無駄さに気づきました。
―それって、なかなか気づけてもすぐ変われるのもではないと思うんですけど、どうやって切り替えられたんですか?
武井:結局、誰かを真似たり、誰かと比べたりして鈍るより、自分を磨き続けるほうが尖るじゃないですか。尖ってないと刺さらないし。だから、自分を磨いていく方向にシフトすることを選んだということですよね。
―他のメンバーから見ても、武井さんの変化は如実に感じるもの?
山崎:感じますね。徐々に変化してると思います。性格って、180度ガラッと急には変わらないと思いますし。
自分を磨いて尖らせ続けるほうがハッピーだということに気づけたのは、すごい大発見だと思う。もちろん、そういうふうにしてる人もたくさんいると思いますけど、武井の場合はそこに辿り着くまでに約10年かかったということですよね。だから、これからめちゃめちゃトンガって、突き抜けていくんじゃないかなと勝手に思っています。
―年齢を重ねたゆえの変化でもあるんですかね?
武井:年齢的なものはないんですよ。俺、もう、「数字」と「形」はなくなっていく時代かなと思っていて。自分が何歳であるとか、どうでもいい。もっと重要なことがある、ということに、いろんな人がわかり始めてる気がするんです。
―武井さんの変化は、ご自身の成長による部分ももちろん大きいけど、そういう時代の流れを汲み取ったゆえの変化でもあるわけですね。
武井:うん。そういう話は、最近よくいろんな人としますね。
このあいだ、銀杏BOYZの峯田(和伸)さんとサンボマスターの山口(隆)さんが出てた『オールナイトニッポン0(ZERO)』(ニッポン放送 / 10月19日放送)を聴いてたんですけど……俺は、峯田さんって、人をけちょんけちょんに言うような印象があったんですけど、サンボの山口さんが「俺なんかよ」って言ったときに、「いや、お前、まずその考え方が古いよ」って言ったんですよ。「今2019年だよ?」みたいな。自分を下げることとか、喧嘩してバチバチしてエキサイトするトークとか、もう古いんだって。峯田さんもそういうモードになってるんだって思ったときに、やっぱり時代の流れがそうなってきているんだなと思って。お笑いだって、サンドウィッチマンとか、仲良いコンビが一番人気じゃないですか。いい時代になってきてるなと思うんです。
きっと、光側にいるほうが生きていくのが楽な時代になってきているんだとも思う。ネガティブだと死んじゃうんだと思います。
武井:髙橋さんの話を聞いていても、やっぱり、自分から前向きに攻めてるのがいいんだなあと思いました。高橋さんはもの作りを、自分がワクワクしながらやってるのが伝わってきます。その波動がどんどん広くなって、人に届いてるんだなって。ピュアな衝動が大事なんだなって思いました。俺もそこは絶対に失いたくないポイントなので。
髙橋:仕事は、楽しくするのが一番ですね。自分が楽しくないと、なにもいいものができないですからね。
武井:非常にいいお話でした、ありがとうございます。
砂川:髙橋さんの言葉一つひとつに、重みがありました。
タカハシマイ:すっごく面白かったです! こういう機会をいただけて、ラ・フランスを食べて、歴史とかいろんなことも知れて……より好きになったし、みんなに伝えたくなりました。
髙橋:こちらもいい機会をいただきました。
武井:不思議なもんですね。1曲書いて、こんなことになるって。……本当にすごいわ。きっとやるべきだったんだろうな。間違ってないわ。
そのあとに呼ばれた先で、サプライズプレゼントが……。
そのあと、山形国際ホテルへと呼ばれたCzecho No Republic御一行。到着すると、なんと、EP『La France』にちなんで作られたケーキが、ホテルのパティシエ・舟越弘二さんよりサプライズプレゼントされた。チェコが山形へ来るこの日のために、舟越さんが2週間の試行錯誤期間をかけて、「髙橋フルーツランド」のラ・フランスを使ったケーキを完成させたそう。しかもこのケーキは、EP発売日である11月6日から期間限定で、ホテルのラウンジにて特別販売されている。
本体は、メープルシュガーとバニラのムース。そのなかにラ・フランスのゼリーが入っている。上に乗っているのは、コンポートしたラ・フランス。そして下にアールグレーのソースを敷いて仕上げられている。「全体的にマッチするだろうと自分は思いまして、こういう3つを組み合わせました」と、舟越さんは山形弁で説明してくれた。
そして舟越さんから、「このケーキに名前をつけてほしい」というリクエストが。メンバー全員が頭を悩ませるなか、武井さんが「味が優しいんですよね、すごく……この優しさを伝えられる名前にしたい」と、ポロっとつぶやく。その数分後、「優心(まさみ)ってどうですか?」と。他のメンバーからは「え、自分の名前!?」と苦笑いも起きたが、次第に「いいかも……」という空気が流れ出し、そうして武井優心にとって初めて自分の名前がついたケーキが誕生した。ケーキ「優心」は、11月30日まで、山形国際ホテルにて販売される。
- リリース情報
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- Czecho No Republic
『La France』 -
2019年11月6日(水)発売
価格:1,540円(税込)1. La France
2. Hi Ho
3. Milky Way
4. Forever Summer
- Czecho No Republic
- イベント情報
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- Czecho No Republic
『~洋ナシ畑でつかまえて~脱!用無し能無し意気地なし 目指せ1つ上の男子女子ツアー』 -
2019年11月23日(土)
会場:大阪府 梅田 Shangri-La2019年11月24日(日)
会場:愛知県 名古屋 CLUB UPSET2019年12月1日(日)
会場:東京都 渋谷 STREAM Hall
- Czecho No Republic
- ウェブサイト情報
- プロフィール
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- Czecho No Republic (ちぇこ のー りぱぶりっく)
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メンバーは、武井優心(Vo,Ba)、タカハシマイ(Cho,Syn,Per)、砂川一黄(Gt)、山崎正太郎(Dr)。2010年結成。2013年に日本コロムビアよりメジャーデビュー。カラフルでポップでファンタジックなサウンドに、男女のボーカル、多重コーラスが織り成す多幸感溢れる楽曲・ステージは必聴必見。2019年4月3日にEP『Odyssey』を、11月6日にEP『La France』をリリースした。
- 髙橋利洋 (たかはし としひろ)
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「髙橋フルーツランド」代表取締役専務。1983年、山形県上山市生まれ。山形学院高卒業後、祖父が1975年に創業した「髙橋フルーツランド」を継ぐことに。2007年には、奥さんと2人で農園内にてカフェ「HATAKE Café」をオープン。
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