東京大学と日本財団が進める「異才発掘プロジェクト」のホームスカラーである18歳のピアニスト紀平凱成をはじめシンディ・ローパーら世界に名だたるミュージシャンとの共演を重ねる10歳のドラマーよよか、車椅子のシンガー小澤綾子らが世界各国の音楽家たちとジャズセッションを行うニューイヤージャズコンサート『True Colors JAZZ』(日本財団主催)が年明け、3都市にて開催される。
ディレクションを務めるのはピアニストの松永貴志で、世代や国籍、障害などを超え、ジャズという「共通言語」を用いてその日限りの演奏を行う試みは、すでに各方面から熱い注目が集まっている。なお、大阪公演では新世代ジャズシーンの旗手、黒田卓也(トランペット)も参加するという。
10代でデビューし、以降は国内外を行き来しながら大物アーティストたちとの共演や、バレエ、オーケストラなどとの異種コラボ、テレビ番組のテーマソング提供など、音楽スタイルやジャンルにこわだらない活動を続けている松永。同時に彼は、震災復興チャリティや障害者支援など社会的活動にも積極的にコミットしてきた。そんな彼のバイタリティは、一体どこからくるのだろうか。若くして世界へ飛び出し、視野を広げてきた彼が、今の若い世代に伝えたい思いとは?
阪神淡路大震災の時に、大人からゲームをもらったことがすごく嬉しかったのを覚えているんです。
―松永さんは、20代の頃から社会問題へのコミットを積極的に行っているそうですね。
松永:はい。大阪府が主催する『大阪府障がい者芸術・文化コンテスト』の審査員長を務めたり、昨年は日本財団DIVERSITY IN THE ARTSのサマースクールに参加し、合宿しながら障害のある方たちと楽曲を仕上げたり、他にも様々な取り組みに参加してきました。最初はオファーがあって始めたことだったのですが、やっていくうちに自分にもいろんな気づきがあったんです。
例えばサマースクールで曲を作っている時、僕が「こんな風に(ピアノを)弾いてみよう」と言って弾いて見せると、想像を超えるような演奏を披露してくれる 。自分で知らず知らずのうちに作ってしまっていた既成概念という「壁」や「枠」のようなものを、超えていく大切さを彼らから学ばせてもらってきました。
―2011年5月2日には、兵庫県芦屋ルナホールで『東日本大震災チャリティーコンサート~芦屋から被災地へ~』を松永さん自ら企画していました。あの時は、どんな思いがあったのでしょうか。
松永:3.11の震災(東日本大震災)では、東京で予定されていた公演が全てキャンセルになってしまったのですが、関西方面ではその翌日から普通にコンサートをやっていたんですね。なので芦屋市に電話して、市が持っているホールを無料で貸し出しさせてもらい、関西にいる人たちを集めてコンサートを開催し義援金を送りました。
で、その企画をしている間、僕は陸前高田や大船渡で実際にボランティアをしていたんですけど、現場で人手が圧倒的に足りてないし、県外からまだ人がそんなに入っていない時期でしたから、物資が届いても運ぶ人がいない状態だったんですよ。
―当時、そういう報道がされていましたね。
松永:僕は阪神淡路大震災の時に、大人からゲームをもらったことがすごく嬉しかったのを覚えているんです。なので、子供たちに一刻も早くお菓子やおもちゃを届けたいという一心で現地に行き、運ぶお手伝いをしていました。自分が子供の頃に同じ経験をしていたからこそ、被災地の子供達にとって何が嬉しいか理解できたというか。
―阪神淡路大震災の時の記憶は、松永さんの音楽以外の活動の原点になっていると思いますか?
松永:やはりそこは大きく影響していると思います。震災のあと、大人たちが毎日弁当を配ってくれているわけじゃないですか。僕も救助活動に駆けつけてくれた自衛隊の人たちのところへ、毎日水をもらいに行ったりしていて、そこで大人の優しさにも触れました。
日常生活を普通に送っていたら、小学生くらいの時に大人と触れ合う機会ってそんなにないですよね。同級生のお父さん、お母さんくらいしか接点がなかったのに、いきなり大勢の、しかも善意のある大人たちを間近にしたことで、おそらく自分の方向性みたいなものも定まった気はします。
もちろん、10代の頃はひたすらピアノに打ち込んでいたし、自分のテクニックを磨くことに集中していました。でも20代になって「自分のしたいことってなんだろう?」と自問自答していく中で、だんだん明確になっていったというか。「せっかくピアノも弾けて曲も書けるのだったら、それを使って一人でも多くの人を喜ばせたい」と。
伸びる可能性を持った子には、ちゃんとした環境を提供してあげて欲しいなと。
―松永さんは若くして注目を集めてきた音楽家です。そのことは、ご自身の生き方にどのような影響を与えましたか?
松永:若い頃にデビューさせてもらい、いろんな人と出会えたことは、自分にとってとても大きなメリットになりました。ミュージシャン同士はもちろんですが、お客さんやいろんな人との接点ができて、そこから交流が深まることが多かったので。
若い頃は、自分の中の価値観を壊し、さらにそれを広げてくれる人との出会いは重要です。ずっと一人で何時間も練習するよりも、人前で演奏したり、誰かと一緒にセッションしたりするだけで、圧倒的に上手くなる。「場所の大切さ」は強く実感しますね。そこはスポーツと一緒だと思うんですよ。
―スポーツですか?
松永:部活とかで「遠征試合」ってあるじゃないですか。ただ技術を磨くだけだったら、ずっと同じ場所で練習していればいいと思われがちなんですが、遠征して環境を変えることによって、外からの刺激を受けて新しい感覚が開いて上達していくと思うんです。
―確かにそうですね。僕も運動部に入っていましたが、遠征試合などすると自分のことを客観的に見られるようになったり、視野が広がったりするような感覚がありました。松永さんは、そういったことを10代の頃から考えていたのですか?
松永:僕自身は自分で経験して気づきました。いろんな人と交流することで、ポテンシャルもモチベーションも上がるというか。それで上達も早かったので。
―早いうちから大人の中にいることで、プレッシャーや不安を感じたことはないですか?
松永:それも経験だと僕は思うんですよ。自分の中で「好き」「嫌い」の基準を経験で築いていく必要はあるんじゃないかなと。何でもかんでもやれば良いとは思いませんが、なるべく外に目を向けていくことは大切です。特にピアニストは、遊ぶ暇も惜しんで練習に励む時間が必要ですし、そうしないと技術的な面での上達はできないのですが、他の人たちのように集団生活の中でアイデンティティを築いていく機会が少ない分、意識して外の世界に目を向ける機会を増やすべきだと思いますね。
―お話を聞いていると松永さんは、ご家族や友人に恵まれていたのかなと思います。
松永:どうでしょう。僕の場合は、ピアノが弾きたくても家になかったので、小学校に弾きに行ってましたから。「ピアノを弾くための環境」は、決して良かったとは言えない。ただ、だからこそ「ピアノを弾きたい」と強く思ったし、余計にやる気が出たところはあるかもしれません。
最初から何もかも揃っている環境ではなかったので、自分でちょっとずつ整えていったんです。なので才能のある人には、そういうところで苦しんで欲しくないという思いがありますね。伸びる可能性を持った子には、ちゃんとした環境を提供してあげて欲しいなと。
それと自分自身、通学生の高校を1年しか行っていないし学歴がとにかくないから、人一倍何か勉強していかなきゃという気持ちがありました。10代の頃にドストエフスキーやサリンジャーを読んだりしていましたね。バックパックでヨーロッパを一周したこともあります。他の人がしていないような経験をたくさん積んでおきたいという気持ちがありました。
「小さな思いやり」を、一人ひとりが持てばもっといい社会になるんじゃないかなと思っています。
―海外で演奏をしたのも10代の時でしたよね。そこでの体験についてもお聞かせいただけますか?
松永:僕はずっと関西に住んでいたのですが、デビューをきっかけに東京へ頻繁に行くようになりました。『東京JAZZ 2003』でハービー・ハンコックと共演したのが世界中継されて、それをBlue Note Recordsの社長が見て「こいつは誰だ?」ってなって(笑)。それがきっかけでBlue Noteとの契約が決まり、初めてニューヨークで演奏することになったんです。初めて海外へ行った時は……みなさん一緒だと思いますが、そりゃもうワクワクとドキドキでしたね。
―緊張したり不安になったりしませんでしたか?
松永:基本的に僕は、プレッシャーみたいなものを感じてこなかったかもしれないですね。「共演者はどんな人だろう」「どんな演奏になるのかな」みたいなことは考えるけど、いざ演奏が始まると自分のエネルギーがさらに引き上げられるような感覚があって、楽しくて仕方なかったですね。今でもその時のことを、はっきりと覚えているくらいですから。
―海外で価値観の違いを感じたり、カルチャーショックを受けたりしました?
松永:実際に演奏を始めると、日本人も外国人もあんまり関係ないと思いましたね。確かにリズムの捉え方など、細かいところは違いますけど、「この瞬間、いい音楽を作ろう」という気持ちは同じですし、演奏しているとそれが分かるのが嬉しくて。文化的な違いで衝突した記憶もほとんどないんですよね。
でも、ちょっと驚いたことはありました。僕が当時一緒にやっていた海外のメンバーを日本に呼んでツアーをした時、そのうちの一人、黒人のドラマーが待ち合わせ場所に必ず最初に来るんですね。で、その彼が「僕は黒人だから、舐められたくないので時間は厳守しているんだ」って言うんですよ。当時僕はまだ10代だったし、差別や偏見など考えたこともなかったから「ヘ~そうなんだ」っていうくらいにしか思わなかったんです。でも、だんだん自分が歳を重ねてきて、彼が言ってたことの意味がわかってきたんですよね。
―「黒人だから時間にルーズなんだろう」みたいなことを言われた経験があったんですかね。
松永:あるいは、そう思わせないために人一倍自己管理を徹底していたのかもしれない。その感覚は自分には全くなかったから、「価値観の違い」ということになるのかな。
―逆に、海外に出たことで日本に対しての考え方や視点が変わった部分はありましたか?
松永:僕は、「小さな思いやり」というものを、一人ひとりが持てばもっといい社会になるんじゃないかなとは思っています。海外へ行った時におもてなしをされたら嬉しいじゃないですか。演奏自体も「こんなに歓迎してくれているなら、頑張ろう」って思うとパフォーマンスも変わると思うんです。
同じように、海外から来た人たちにも「日本に来て良かったな」と思って帰ってもらいたい。でも、こちらの心にゆとりがないと、思いやりや優しさを持つのって難しいですよね。僕にできることは、自分の音楽を通して世の中が少しでも暖かくなるよう、努力することなのかなと思っています。
ジャズはまさに協調性が問われる音楽です。
―今回、松永さんがディレクターとして関わることになったイベント『True Color JAZZ』には、世代や国籍、ジャンルを超えてたくさんの演奏家が出演します。メンバーはどのように選んだのですか?
松永:まず小澤綾子さんは、先ほど話したサマースクールにも参加されていたボーカリストです。歌の中に「伝える力」をものすごく強く持っている方で、ご一緒した時にとても感銘を受けたので今回是非と思いお誘いしました。紀平凱成さんは現在18才で、彼を見ていると10代でデビューした自分のことを思い出します。先日、軽くセッションをしたのですが想像力豊かな方で、きっと楽しいことが一緒にできそうだなと感じています。
―よよかちゃんは10才なんですよね。先日、シンディ・ローパーの来日公演にゲスト出演していて。パワフルなドラミングに驚きました。
松永:彼女は基本ハードロックドラマーなんですけど、今回はぜひジャズに挑戦をしてもらいたいなと。コツさえ掴めば、たとえジャンルが違っても案外できちゃうというか。「壁」は自分の中で作っているだけで、一歩踏み込むことでその「壁」を突破すればきっと新しい世界が見えてくるはずです。
―最初のお話に通じるものがありますね。子供の頃の方がジャンルなどの固定概念に縛られず「壁」を突破しやすいのかもしれない。
松永:おっしゃる通りです。10歳とかそのくらいの年齢なら、スポンジのような吸収力ですからね(笑)。
―大阪公演では黒田卓也さんも出演されますね。
松永:黒田さんは出身が同じなんです。中学生くらいの頃にセッションをしたこともあって。デビューは僕の方が先で、黒田さんはニューヨークに当時はいたのかな。一度、現地で会ったことあるんですが、デビュー後はずっと共演などしていなくて。今回、中学のとき以来ほぼ20年ぶりに一緒にステージに立つので今からとても楽しみです。
―それはメモリアルな一夜になりそうですね。海外の演奏家は、ロシアや南アフリカ、スペインなど様々な国から来られるのですね。
松永:はい。今回、国籍を超えてということなので、世界中からピックアップしたメンバーというところにこだわりました。みなさん、日本で初めて顔を合わせて演奏するということになるので、それができるのはジャズの強みなのかなと。
1曲に対するそれぞれの価値観が反映された、面白い演奏になると思いますね。演奏以外でもみんなで一緒に行動するので、そこでミュージシャン同士の交流も深まってくれたらいいなと思います。そして彼らがインフルエンサーとなり、「日本でこんなことがあった」と発信してくれれば、また新たな出会いにつながるのではないかなと。
―初対面でもインプロビゼーションで合わせられるところがジャズの良さだし、ある意味、世界共通の言語によるコミュニケーションと言えるのでしょうね。
松永:ジャズはまさに協調性が問われる音楽です。誰か一人が突っ走ってしまうとアンサンブルが破綻してしまうし、目標に向かってみんながひとつになるところに醍醐味がありますよね。とはいえ、きっちりまとまり過ぎていても退屈(笑)。反発し合う部分もあったり、破綻ギリギリのところまで逸脱してみたりするところに緊張感が生まれたりするので、そこもジャズの魅力であり、コミュニケーションと共通する部分と言えますよね。
「どんなことが起こるんだろう」というワクワク感は、なかなか味わえないものだと思いますよ。
―常に新しいことに挑戦し続けている松永さんですが、もしご自身が「停滞」を感じた時など、どうやって突破口を開いていますか?
松永:これも最初の話に繋がりますが、やっぱり人に会いますね。人と話すことで「自分はどうしたいか?」が見えてくるというか。
―ちなみに、今までで最もチャレンジングだった経験というと?
松永:えー、なんだろう(笑)。あ、どうでもいい話ですが運転免許証を取るのに苦労しましたねえ。
―あははは。
松永:僕、筆記で7回落ちたんですよ。運転は楽勝なんですけど……(笑)。友人にも散々イジられてショックを受けて、もう諦めてたんですけど、ヘッドホン講習を受けたら一発で受かりました。
―新しいことやチャレンジングなことには、進んで飛び込んでいくタイプなのですね。
松永:まあ、「悪いこと」じゃなければそうかもしれない(笑)。チャレンジはしていきたいですね。
―きっと若い人の中でも、海外に行くのはハードルが高く、一歩踏み出す勇気が出ないという人も多いかと思うのですが、そういう人たちに何か伝えたいことはありますか?
松永:僕自身も、きっかけがなかったら海外には行かなかったですからね。やっぱり遠い存在ですし。行く人は頻繁に行くのでしょうけど、初めて海外へ行くのはなかなか勇気が要ると思います。中には自分が住む県外さえ出ないという人だって結構いるだろうし。
でも、一歩踏み出してみると意外と簡単ですし、その先には楽しいことがたくさん待っているかもしれない。それに「行こう!」と決めてしまえば、それまでの準備も楽しかったりするじゃないですか。「どんなことが起こるんだろう」というワクワク感は、なかなか味わえないものだと思いますよ。
- イベント情報
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- 『True Colors JAZZ – 異才 meets セカイ』
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2020年1月4日(土)
会場:大阪府 Billboard Live OSAKA
イベントディレクター:松永貴志(ピアノ)
スペシャルアーティスト:黒田卓也(トランペット)
ゲストアーティスト:小澤綾子(ボーカル)、紀平凱成(ピアノ)、Derek K Short(デレク・K・ショート、ベース)、ナカタニ タツヤ(ドラム)2019年1月6日(月)
会場:東京都 Blues Alley Japan
イベントディレクター:松永貴志(ピアノ)
ゲストアーティスト:小澤綾子(ボーカル)、紀平凱成(ピアノ)、よよか(ドラム)、Juna Serita(芹田 珠奈、ベース)、ナカタニ タツヤ (ドラム)2019年1月8日(水)
会場:熊本県 CIB
イベントディレクター:松永貴志(ピアノ)
ゲストアーティスト:小澤綾子(ボーカル)、よよか(ドラム)、田中 啓介(ベース)、ナカタニタツヤ(ドラム)
- プロフィール
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- 松永貴志 (まつなが たかし)
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1986年、兵庫県生まれ。17歳でメジャー・デビュー。ハービー・ハンコックとの共演をきっかけに、世界のミュージシャンから喝采を集める。欧米、アジア各国で「STORM ZONE」発表。NYブルーノート・レーベルで最年少のリーダー録音記録を樹立。2015年、ポーランド「Manggha 館」設立20周年式典に招待され大統領の前で演奏し、博物館のテーマ曲を作曲。2017年、世界10カ国ツアーを開催。
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