2019年に結成10周年を迎えたシャムキャッツが、ツアーファイナルとして自身最大規模のワンマンとなる新木場STUDIO COASTでのライブを成功させた。2010年代における「インディペンデント」のあり方を体現し続けたことに改めてリスペクトを送りつつ、彼らの音楽とともにあった泣き笑いの日々に想いを馳せる、そんな記念すべき1日となったに違いない。
一方、ギタリストの菅原慎一は年間を通じて個人でも多岐に渡る活動を展開。アジアのポップカルチャーを題材とした執筆活動やトークショー、カセットテープでのDJを行ったり、ライター / 編集者の小柳帝らとともにチーム「Tripod」を結成して、様々なカルチャーを伝えるイベント『Schoolyard Council』を定期開催するなど、活躍の場を広げている。
そして、音楽家としての2019年を締め括ったのが、『MOOSIC LAB 2019』に出品された映画『ドンテンタウン』のサウンドトラックと、菅原慎一BAND名義でリリースされた7インチ『Ground Scarf / Seashell Song』。「シャムキャッツのメンバー」というポジションに止まらない、菅原慎一という「個」を確立するに至った背景には、どんな変化があったのか? 約3年ぶりの単独インタビューで、菅原の現在地を追った。
菅原がデビュー10周年を、手放しのお祝いモードで過ごせなかった理由
―まず、昨年12月13日に行われた『10周年記念公演 Live at Studio Coast』でのライブを振り返っていただけますか?
菅原:2019年は「デビュー10周年」ということでいろいろやらせてもらったんですけど、僕的には正直、振り返ることに疲れちゃった部分もあって。あの日のライブは「何かを見せる」というより、「一緒に過ごしてきた時間をみんなで振り返る」みたいな機会だったのかなって今は捉えています。あの場にいた全員で遊んだような感じで、僕はどこか他人事というか、いい意味で当事者感がなかったんです。
―「お互いこの10年でいろいろあったよね」みたいな。
菅原:そうそう。観に来てくれたお客さんもこの10年で結婚したり、就職したり、いろんな変化があったと思いますしね。だから、感傷的になることはなかったです。
そういうふうにたまに会える関係性っていいじゃないですか? 数年に一度しか会わないけど、会うとすごい話しちゃう、みたいな。そういう感じだったらいいなって思っています。その意味で、節目の年にああいう場を設けられたのはすごくよかったですね。
―ただ、別のインタビューで菅原さんは「今年前半のツアーが終わって、やり切った感があった」という話もされていましたよね。そこからSTUDIO COAST公演へと至る半年間には、どんな心の動きがあったのでしょうか?
菅原:自分個人としては、好きなこととか、興味のあることだけやって、それを自分の表現に落とし込むっていうモードに変わったんです。だから結構シンプルでした。でも、客観的にシャムキャッツを見ると、しんどい部分もあったと思います。10周年の振り返りイヤーだったけど、同時に新しい作品も作んなきゃだったわけで。
―11月にリリースされた『はなたば』は、王舟さんを共同プロデュースに迎えて制作されました(参考記事:夏目知幸と王舟の朋友対談。お膳立てで、バンドに吹いた新しい風)。
菅原:なにかしら新しさを取り入れないと、やる意味がないと思っていたんですよね。
菅原:王舟を招いたのもそういうことで。自分が作った“我来了”では中国語を拝借しましたけど、僕がアジアでの経験から着想を得たものを形にするっていう新しい作業でした。
―バンドがちゃんと進んでいることを見せることが大事だったと。
菅原:そうなんです。個人的には、アニバーサリーとかそんなに好きじゃなくて、クラウドファンディングも最初は反対してたんです。今はやってよかったと思っていますけど、それは僕たちのためじゃなくて、お客さんのためにやってよかったと思う。なんていうか……細く長く続けるロックバンドってダサくないですか?
「10周年ありがとう!」って丸くなっちゃうのはダサいから、シャムキャッツとしては、常にチャレンジしている姿を見せるべきだと思っていたんです。その意味でも、『はなたば』はすごくよかったですね。
シャムキャッツ『はなたば』を聴く(Apple Musicはこちら)
菅原:ちょっとまとまりに欠けるかなって思ったけど、ライブでやるとすごく楽しいんですよ。ニューウェイブっていうか、ちゃんと新しい感覚を持てたなって実感しています。
アジア進出で得たフレッシュな感覚、「個」を強く持つべきだという学び
―シャムキャッツの活動の一方で、個人としての2019年は素直に自分の興味に向かった1年だったと。
菅原:そうですね。ただ単になんでもやるわけじゃなくて、やっぱりいろんな出会いがあったのが大きくて。その出会いをちゃんと形にすることを考えた1年でした。ひとつがアジア、ひとつが帝さん(小柳帝)、ひとつが映画との出会いだったんです。
―前回の取材が2016年の11月で、あのあとすぐに初めて台湾と韓国に行ってるんですよね。
菅原:あのインタビューのときってまだ行ってないんでしたっけ?
―『君の町にも雨はふるのかい?』(2016年11月リリース)の発売前だから、まだですね。
菅原:あの記事の僕の顔、死んでますよね? この前読み返したらびっくりしたんですよ。すごい老けてる感じで、別人みたいに思いました(笑)。
―ちょうど「レーベルを移籍するかしないか」っていう話のあとで、疲弊していたタイミングだったというか。前向きな言葉はよくも悪くも出てこなくて、「今は考えてる最中なんです」で終わってるインタビューでした。
菅原:あれからの数年間で、僕はオープンマインドになりましたね。日本を飛び出して、新しい環境で自分たちのことを認めてくれる人たちと出会ったり会話することで、世界が広がったんです。
知らないことに触れることで、まだ自分がワクワクできるんだっていう感覚を思い出させてもらった。それはすごく大事なことでした。あとは、日本で当たり前だと思ってる常識も、向こうだと通用しなくて。それが新鮮な驚きをもたらしてくれるんですよね。
―向こうのアーティストとの対話は、ソロの音楽活動の刺激にもなりましたか?
菅原:そうだと思います。日本人は協調性を大事にして、個を強く出さない人種だと思うんですけど、向こうに行くと、「お前は何を考えているのか?」ってすごく言われるんです。
そういうときに「自分はこうだ」って、自信を持って言えることが大事だと思うようになったのは、アジアでの経験が大きいですね。「バンド」っていう枠組みに囚われすぎると、人生損しちゃうかもって思って。
―先日、折坂悠太さんの取材をしたときに、彼は韓国のアーティストに今すごくハマっていて、その理由として、「個人を表出することで社会と繋がる」という感覚を持っているからだと言っていて。
菅原:わかります。僕も、人は社会と断絶しちゃいけないと思っていますから。「人は社会性を持たないと生きてる意味がない」と思うことすらある。じゃあ、どうすれば人は社会と繋がれるのか? 社会と繋がるために馴れ合うのではなくて、ちゃんと自分をアピールすることで繋がるべきだと思います。
菅原:台湾に仲のいいアーティストが多くいるんですけど、みんな遠慮せずにパフォーマンスをするというか、ちゃんと自分の表現を自分が感じるままにやっているんですよね。そして、それを賞賛してくれる環境がある。それは正直羨ましいです。すごく勇気のいることですけど、そうあるべきだと思います。
芽生えつつある30代としての役割。ネットの時代だからこそ提示したい、豊かさの形
―2019年の作品で言うと、VIDEOTAPEMUSICの『The Secret Life of VIDEOTAPEMUSIC』にはアジアのアーティストが複数参加していて、新たな時代の価値観を提示した作品だったように思います。
VIDEOTAPEMUSIC『The Secret Life of VIDEOTAPEMUSIC』を聴く(Apple Musicはこちら)
菅原:ああやって表に出すのは立派だなと思います。形にしないと、なかなか実態が見えないですからね。考えているだけだと、流れていっちゃって、忘れられちゃうし、実態が見えないから、どんどん言ったほうがいい。
僕もなるべく発信するようにしようと思ってます。それに自分の年齢とか、バンドが10周年を迎えたのもあって、そろそろバトンを下の世代に繋げなきゃっていう気持ちも出てきたんですよね。
菅原:イベント(『Schoolyard Council』)をはじめたのはそれが理由で。帝さんと出会って、50代と30代で1990年代の話題で盛り上がったんですよ。でも2人の間で話してるだけだと、ただの懐古になっちゃうじゃないですか。それで、今の10~20代にも伝えていく場を設けることが大事なんじゃないかなって思ってイベントを立ち上げたんです。
―「ジャンルレスにいろんなカルチャーを紹介していく」という『Schoolyard Council』の目的の裏には、現状に対するなんらかの問題意識もあるのかなと。
菅原:僕らはインターネット世代で、なんでもスピーディーですけど、紙媒体がメインだった頃の情報がゆっくり広がっていく感じとか、毎週どこかでやってるDJイベントにフラッと行くみたいな感覚も大事だと思うから、そういう場所を作りたかったんです。
今って、スマホをいじれば情報が溢れてるけど、本当に自分が選択したいものにはなかなかたどり着けないじゃないですか。実は、なにかを検索するのが一番難しい時代だと思うんですよね。
菅原:これって僕がカセットテープにハマった話ともつながる話で。なんでも選べるところで選ぶより、自分で探して、ビビッときたものを手に取ることのほうが豊かだと思うんです。
―「体験の重要性」は間違いなくありますもんね。
菅原:あとは、自分が好きな人が紹介してくれるものって、なんでもいいと思えるじゃないですか? 知り合いが「美味いよ」って言う飯屋って、食べログよりも信用できる。『Schoolyard Council』は、そういうものを目指しています。
インターネットって、ある程度形式を作らないと伝播しなくて、実は閉鎖的だと思うんですよ。たとえば、Twitterだったら140字っていうフォーマットがありますよね。なんでもできるようでいて、プラットフォームごとの決まりがある。対面だとそういう形式が不要で、流動的に情報を伝えられるよさがあって、そのほうが丁寧だしいいなって思うんです。
バンド10周年の節目に、音楽家・菅原慎一に指名で舞い込んだ映画音楽の仕事
―12月には初めてのソロ作品として、映画『ドンテンタウン』のサウンドトラックがリリースされました。どういった経緯でサントラを担当することになったのでしょうか?
菅原:『Friends Again』のときに僕が書いた曲に井上(康平)監督が共鳴してくれて、着想をずっと持っていたらしいんですよ。なので、「この映画があるから、音楽をお願いします」じゃなくて、最初から「菅原さんと一緒に映画を作りたい」と言ってくれたんです。
菅原:実際にプロットを見せていただいたら、これは自分にしかできないというか、自分が一番適任だと思って。それで責任感も感じつつ、お引き受けしました。
―もともと面識があったわけではないんですよね。
菅原:なかったです。学生のときに『AFTER HOURS』(2014年)とかを聴いてくれていたみたいですね。でも、同じようなお話をいただいても「シャムキャッツで」ではなくて、「菅原さんで」って指名してもらえることってあまりなかったんですよ。
「バンドが無理だから、じゃあソロで」みたいな流れってあるじゃないですか? もしくは「夏目がダメだから菅原で」とか。そういうのはマジでファックって思うんですけど、今回はそうじゃない。これってさっきの「個」の話ともつながることで、すごく嬉しかったんですよね。
―プロットを見たり、監督の話を聞いて、どんな部分で一番共鳴したのでしょうか?
菅原:「この作品は、これからの話だ」っていうようなことが書いてあったんです。作品の幕が下りたあとも動いているし、それを問う、みたいなことが書いてあって、それがいいなって思いました。ただの団地を舞台にした感動的なお話じゃなくて、ちょっとモヤッとするような、一筋縄ではいかないお話で、それが洒落てるなと。
あと大事だったのが、プロットの書いてある紙や文字のデザインがかっこよかったことで。デザインがいい人ってイメージをしっかり持っているって証拠だと思うから、それもよかった。ただ、そこからだいぶ脚本が変わって、二転三転して、結構振り回されたんですけど(笑)。
―実際、共同作業みたいな感じだったんですか?
菅原:作曲期間と撮影期間が一緒だったから、映像がない状態で作曲しないといけなかったんですよね。なので、脚本を読んでもイメージが湧かないときは、車を走らせて撮影現場に行って、そこで実際に見ながら考えたものをその場で監督に聴かせたりして。普通は「このシーンは15秒」「このシーンは1分」みたいな感じだと思うんですけど、「この曲いいっすね。ここで使えるかもしれないです」みたいな。
―面白いけど大変そう(笑)。実際にそうやってできた曲を挙げてもらえますか?
菅原:1曲目の“hare”がそうですね。いわゆるテーマ曲なんですけど、一人で海まで行って、妄想しながら作りました。
菅原慎一『ドンテンタウン (Original Sound Track)』を聴く(Apple Musicはこちら)
菅原:あと、撮影日に僕が住んでる浦安から湘南の海まで2時間かけて朝一で行ったんですけど、撮影隊が遅れて、3時間待っても来なかったことがあって(笑)。
でも、そのとき曇り空の合間から出てきた光を見たおかげで、“晴れ間の日にでも”の<ゆっくりと 光が差してく>っていう部分がメロディーと一緒に生まれました。
―菅原さんのなかではアヴァン / モンドな要素とシンガーソングライター的な感性が自然と共存していますよね。アーサー・ラッセルとかもそうだと思うんですけど、一見遠くにあるものが、個人のなかでは自然と結びついている。その感じがこのサントラにも出てるなって。
菅原:嬉しい感想ですね。今回、プラグインではなく実機っていう縛りを設けてバンドで制作して、録音もオープンリールのテープレコーダーを使ったんですけど、全然違うアプローチにも興味があります。
自分一人だといい感じにできないことも多いから、そういうときは誰かに入ってもらうのも楽しいなって思うんです。そういう作り方でも、ちゃんと自分で責任を負って作品を作っていきたいです。
浦安出身の4人組・シャムキャッツとして。菅原が再び故郷・浦安で暮らしはじめた理由
―サントラと同日には、菅原慎一BANDとしての初の7インチ『Ground Scarf / Seashell Song』が「SECOND ROYAL」からリリースされています。“Ground Scarf”は『Friends Again』に収録されていた“October Scarf”がベースになっているんですか?
シャムキャッツ“October Scarf”を聴く(Apple Musicはこちら)
菅原:逆ですね。“October Scarf”が“Ground Scarf”を元にした曲で。“Ground Scarf”は、めっちゃ昔からある曲なんですよ。
“Ground Scarf”はメンバーが好きだったからA面にしたんですけど、今回の2曲はどっちも浦安の景色を歌った曲で、この2曲が一緒になるのは必然だったのかもしれない。
―菅原さんが地元の浦安に住み直すことにしたのは、なぜだったんですか?
菅原:理由はいくつかあるんですけど、30歳を過ぎて、新しい生活をするにあたって、ぶっちゃけもう東京には住みたくないと思ったんです。
僕は毎日一度リセットしたいタイプだから、郊外に住みたくて、そうなると必然的に地元が一番よかったんですよね。そこにはずっと住み続けてる友達がいて、彼らと大人になった自分が対面する時間ってすごく大切なんです。嫌なことも含めて自分の過去を更新できる一方で、結構チャレンジではあったんですけど。
―住み直したことで、今の菅原さんにはどんなふうに浦安が見えているのでしょうか? デビュー10周年企画のトークイベントで、夏目さんは東日本大震災後に作った『AFTER HOURS』を振り返って「『自分たちが育った街はこんなに美しい場所だったんだ』と感じさせてくれるような音楽をいま残したい」と語っていて。
シャムキャッツ『AFTER HOURS』を聴く(Apple Musicはこちら)
菅原:日常というか、普通ですよね。客観的な目線で「美しかった」って言われても、ずっと住み続けてる人からしたら「いやいや、普通だよ」ってなるだろうし。自分もそういう感覚に戻れたんですよね。それにこの感覚って浦安のことを歌ううえでの説得力になると思うんです。
昔の景色を懐かしんでるだけじゃダメで、実際に自分がそこに身を置いて、どう思うかが大事。『AFTER HOURS』を作って、もう一度地元に触れたのはすごく大きくて、『Friends Again』でも地元のことを歌ったのは、やっぱり自分のアイデンティティーがそこにあるからなんですよね。
シャムキャッツ『Friends Again』を聴く(Apple Musicはこちら)
「今もうシャムキャッツは安心できる家になったから、出かけたりもしないとなと思っています」
―最後に、2020年以降の展望もお伺いしたいです。まず、シャムキャッツとしてはいかがですか?
菅原:丁寧に作品作りがしたいです。2019年はアニバーサリーで、いろいろ振り返ったり、お客さんに対する感謝をどう伝えるかを考えたり、慌ただしかったから、次はちゃんと4人で音楽作品を作りたいです。正直に言うと、そのために僕は休みたいと思っています。
でも、それぞれメンバーはいろんなところに顔を出すと思うし、その分、いいアルバムを作るので寂しく思わないでほしいです。10年やって、ちょっとわがままを言わせてほしいなって思っています。
―では、ソロとしてはどうでしょう?
菅原:自分の想いや創作が、別のなにかと交わることで、また新しい表現として広がっていくっていうことを、映画を通じて経験できたので、そういうことはもっとやりたいと思っています。
「個人」の話もしましたけど、自分のことは他人に見られないとわからないし、また劇伴みたいな仕事はしてみたいです。その一方で、純粋に自分の声で自分の気持ちを歌う作品も作りたいと思っています。
―それは菅原慎一BANDとして?
菅原:形態はまだわからないですけど、ちゃんと自分名義のボーカルアルバムを作りたいです。この10年で、そういう自信はついたのかもしれないですね。「曇り空ではあるけど、それでもいいじゃん」って。
菅原:僕はやっぱり音楽の仕事をしてるときに、一番自分のことを好きだと思えるし、充実してるから、これからもずっと音楽にまつわる仕事をしていきたいです。10年前は音楽に携わる術がバンドしかなかったけど、今もうシャムキャッツは安心できる家になったから、出かけたりもしないとなと思っています。
家内制手工業でずっとやってきて、畑仕事で自給自足してきたけど、リクルートするのもいいっていうか(笑)、選択肢を持つってことですよね。これからも音楽という仕事で社会と関わりながら、自由気ままに生きていければなと思います。
- リリース情報
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- 菅原慎一BAND
『Ground Scarf / Seashell Song』(7インチアナログ盤) -
2019年12月18日(水)発売
価格:1,650円(税込)
EMF-094[SIDE-A]
1. Ground Scarf
[SIDE-B]
1. Seashell Song
- 菅原慎一
『ドンテンタウン(Original Sound Track)』(CD) -
2019年12月18日(水)発売
価格:2,420円(税込)
TETRA-10211. hare
2. Vintage Tile Champion
3. ソラとミドリ
4. もしも
5. Tennis
6. 毎日
7. トキオ
8. moshimo
9. スコーン
10. 晴れ間の日にでも
- 菅原慎一BAND
- プロフィール
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- 菅原慎一 (すがわら しんいち)
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音楽家。千葉県出身。4ピースバンド、シャムキャッツでリードギター、キーボード、ソングライティングを担当。管楽器を取り入れた小楽団、菅原慎一BANDを主宰。2017年、ゆうちょ銀行のテレビCMソングを手掛ける。2018年、『FUJI ROCK FESTIVAL '18』に出演。近年はアジアのポップカルチャーに目覚め、それを題材とした執筆活動、トークショー、ラジオ出演を行う。2019年、映画『ドンテンタウン』(監督・脚本:井上康平、出演:佐藤玲、笠松将)の劇伴音楽と主題歌を担当。同年、1stソロアルバム『ドンテンタウン(Original Sound Track)』をリリース。文具メーカーのコクヨが運営する「THINK OF THINGS」のコンテンツディレクター安永哲郎、各方面で執筆活動を展開しているライター/編集者の小柳帝と共にチーム「Tripod」を結成。東京・原宿のTOT STUDIOで、ジャンルの垣根を取り払って音楽、映画、アート、デザインなど様々なカルチャーを学べる場『Schoolyard Council』を定期開催している。
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