<幸せになる それがレベルだよ>。最新作『狂(KLUE)』の終曲、“I”で、マヒトはこう歌い切る。インタビュー前編でも「新たなレベルミュージック」という言葉を何度も使っていたマヒトだが、その答えをあまりに簡潔に、そして強烈な説得力をもって掲げている。
お互いにお互いの存在を愛し、心から笑い合える日がくるように。たったそれだけの理想のためにGEZANは歌い鳴らし、轟音と人間の蠢きを巻き込んだBPM100のダブミュージックで「踊れ、何からも解き放たれた本来の自分を取り戻せ」とアジテートするのだ。一人に立ち返るからこそ人への優しさと寛容さを手にできると、そう告げるための「人間解体」のアルバムだ。
後編となるこのインタビューでは、冒頭に挙げた“I”や、今作の中核を担う“東京”を切り口にして、人間・マヒトの内面を覗いた。『全感覚祭』を経て実感した自分の役割と、影響力。その一方で、自身の内面に横たわるあまりに巨大なブラックボックスに怯える心――優しさの在りかを問い続ける理由を、生きることを偏愛する背景を、真っ向から聞く。
この世界をどれくらい素晴らしいと思えているかのパーセンテージにかかわらず、「素晴らしい世界だ」って歌える側の人間でいたいと思った。
―インタビュー前編の最後に、ご自身の中のレベルミュージック観と、それによって今の世界を超えた後のイメージを語ってくれましたよね。それで言うと、“東京”と“I”は、マヒトさんがこの世界に対して叫び続ける理由と理想が直接的に伝わってくる歌だと思ったんです。
マヒト:うん。
―今までは、人と世界を歌う中にマヒトさん自身が含まれるっていう俯瞰の視点が強かったけど、自分が何を信じて、なんで歌っているのかまで踏み込んだ曲になっていると感じて。特に“I”の<ちゃんと笑うんだよ / そのために生まれてきたんだもの><幸せになる それがレベルだよ>という言葉がとても強いんですけど、どういうところからこの歌は出てきたんですか。
マヒト:『Silence Will Speak』や『Tribe Called Discord』のタームでアメリカの原住民の人と会って、本当の意味で相容れない世界を見たことで、じゃあ俺が暮らしている街にはどれだけの許容量があるのか考えたんだよね。それで、今自分が暮らす街はどうなんだ? っていうことが今回のテーマになっていったんだけど……だからこそ、“I”がなかったらこのアルバムは成立しなかったなと思っていて。
GEZAN『Silence Will Speak』を聴く(Spotifyを開く)
―それはどういう意味で?
マヒト:今この世界をどれくらい素晴らしいと思えているかのパーセンテージにかかわらず、俺は「素晴らしい世界だ」って歌える側の人間でいたいと思ったんだよね。こんなにヘイトに塗れて人が傷つけ合っている世界に絶望して終わるのは簡単だし、ヘイトで自分を動かすのは安易なこと。だからこそ、<ちゃんと笑うんだよ>っていう綺麗事を歌えなきゃ駄目だと思った。
―これまでも語ってくれた現実へのシビアな視線と同時に、マヒトさんが持っている希望とはどういうものなんですか。
マヒト:街や世界だけじゃなく、自分達一人ひとりがそもそも混乱した存在なわけだよね。体の中にも大量の菌がいっぱいいて、独りぼっちでも一人になれないっていう矛盾を最初から抱えてる。それなのに、矛盾とか不完全さを徹底的に排除しようとする大きな流ればかりが強まっていて。それに飲み込まれないようにするためには、まず自分が孤独になって、混乱や不安定さこそが自分たちを形成してるんだと個々が認識することが大事で。それこそが、お互いを許し合って尊重し合う世界のための希望だと思う。
マヒト:逆に言えば、誰もが不完全な生き物なんだから、一人ひとりの孤独に向けて放った歌じゃないと、人間の内側には飛ばないと俺は思っていて。「みんな」っていう曖昧なものに向けても、それもただカテゴリーを作って、人を塊にしているだけで。……何より、「みんな」みたいなものに向けられた音楽には俺自身が救われてこなかったから。いつだってそうなんだよ、奮い立たせてくれるのは、個人と個人の間の体験や、たった一人からの贈り物なんだよね。
だから今回は、ヘッドフォンの中から、その人の一番干渉できない孤独な部分に向けて鳴らすイメージだった。これも祭りの話に戻っちゃうんだけど、櫓の周りでみんなで踊って同じことやって、っていうのは一見没個性っぽく思えるけど、それって実は孤独な世界に入って、自分を解放していくことだと思うのね。
―没入して、自分を解放して、「みんな」っていう曖昧な主語から解き放たれる。
マヒト:そう。いかにして「みんな」とか「私たち」みたいな主語を解体していくかって部分にも、レベルっていう言葉はかかってる。そのための「踊る」っていう行為だと思うんだよね。それが、“I”で歌っていることと繋がるというか。
これまでに歌ってきた曲は、簡単に言ってしまえば、自分と世界の混乱をそのまま描いてきた感覚が強い。でもこうして生きている以上、たった数パーセントだとしても美しい世界だって歌える自分じゃなかったら、表現する意味がないんだよね。たとえば「俺はこんなに不幸だ」っていう様をシェアしながら「お前もしんどいよな、頑張ってるよな」っていう応援歌を作るミュージシャンが人気だったりするけどさ、それだけじゃ生きている意味がないと思うから。
カリスマ的なものを背負わされるほど「そうじゃないんだよ」って気持ちも出てきて。ただ、何かを象徴してしまっている自覚は生まれた。
―敢えてこう聞きますけど、ただ頑張って生きていることを肯定するだけじゃ意味がないと思うのは、生きている意味や生きている実感はどこに宿るものだと思うからなんですか。
マヒト:ただ生き残るためじゃなくて、互いの存在を尊重し合って、心から笑いたいから生きてる。それが生きる意味だと思う。国籍でもなければ他のカテゴリーでもなくて、ひとつ血の色だけで繋がって笑い合う感覚を取り戻そうとしたところはあったと思うんだよ。人間をひと塊にして自分をなきものにしようとする大きな流れから自分を守って、ちゃんと勇気を持って孤立する……そのためにも、自分が何に加担して、何を足場にしてここに立っているのかも問いかけ続けないといけない。そういう意味で、一人ひとりがさらに試される時代が始まるなあって意識はあるかな。
―“DNA”も、自分が可哀想だと思ってる暇はないという歌だったし、<幸せになってもいいんだよ>というラインは本当に素晴らしかったんですけど、この“I”ではさらに一歩進んで、マヒトさん自身が心から笑いたいっていう歌だと感じて。自分が笑いたい、自分がこう生きたいんだっていう。マヒトさん自身の奥がストレートに響いてくるから、心を掴まれるんですよ。
マヒト:まあ、ある意味では“I”が一番ストレートじゃないんだけどね(笑)。言い回しの話だけど、この曲が自分にとっては一番挑戦的だし、今までの自然さではないというか……心から笑える自分に会いたいっていう感覚に近いのかな。
GEZAN“I”を聴く(Spotifyを開く)
―現実を突きつけるんじゃなく一番純粋な願いと希望を掲げているこの歌が挑戦だったのは、今までは自分個人の理想をメッセージにすることを避けてきた自覚があるっていうことですか。
マヒト:ああ、そうかもね。なんかこう……これまでの活動や『全感覚祭』を経て、カリスマ的なものを背負わされそうになってきた実感もあるんだよ。だけど、そうなるほど「いや……そうじゃないんだよ」みたいな気持ちが出てきて。だってさ、何かの役割を背負わされそうな状況で、希望や理想をメッセージにして歌うのは危険なことじゃない?
―宗教性や扇動に結びついてしまうから?
マヒト:そう。だからこれまでは俺自身の思う理想を歌うことを避けてきたんだけど……でも矛盾する話だけど、何かを背負う覚悟はないが、何かを象徴してしまっているという自覚は生まれた。その上で、自分たちが見てきた景色の中で歌えることがあるなら、挑戦しようと思ったんだよね。
―ただ、<毒をもって毒を制す>という言葉も歌われているように、まず自分たちの音楽をある種の毒だと位置づけるのはどうしてなんですか。
マヒト:今の世界に生きながら“I”で歌っているような綺麗なものだけを放つのは、嘘になるから。一人ひとりの混乱を前提に音楽を作ると、ただ綺麗で整えられた音は不釣り合いなんだよ。俺たちは白黒黄色で分類できるものじゃない、もっと曖昧な色やノイズの中に生きてるわけで。それをまず表現しないと希望を歌えないと思ったし、カテゴライズ不可な音楽で踊ることで、今のシステマチックな世界や人間のカテゴライズを破壊することが必要だった。綺麗に整えたように見せている世界にとっては、それはある種の毒だよね。
マヒト:たとえば“狂”の詞を順番に聴いていくとさ、俺自身もすごくドキッとするのね。きっと聴いた人も、自分を言い当てられた不快感みたいなものをどこかで感じるはずなんだよ。俺もお前も間違ってないって肯定してくれるだけの歌は居心地がいいだろうけど、それは間違っているからね。新しい価値観を推進するうちに生まれている新しい差別にも、環境問題にも、俺たちはすでに参加しているんだから。
―そうですね。
マヒト:だけど、自分は不完全で、無意識のうちにいろんなものに参加していると実感することから、人への寛容さも生まれるわけでしょう。俺たちは不完全さを自覚しながら、間違えたり、謝ったりしながら変わっていくんだよ。そういう認識からしか優しさは始まらない気がしていて。そう考えると、人の不完全さを言い当てる毒のような言葉が、優しさの役目を背負うっていうことはあり得ると思うんだよね。
―カリスマを背負わされることを避けてきたという話にも繋がるけど、マヒトさんは、無意識のうちにも世界のいろんなものに関与している自覚が強烈だし、だからこそ、自分が圧倒的な存在になったらなったで、今度は集団心理を作って新たな暴力を生んでしまう側になることを恐れますよね。その癖って、一体なんなんですか。
マヒト:なんなんだろうね……? でも実際、いろんな人を傷つけながら生きている自覚が昔から強烈にあるから。だって、自分がやろうとしていることなんて本当にメチャクチャだしさ(笑)。それも、とにかく生きるしかないっていうひとつの覚悟だとは思うけど……ただ、自分も何かを傷つけているっていう自覚があるからこそ、自分が圧倒的と言われる力を持つ可能性を恐れてるんだろうね。コントロールできなくなるのを抑えているというか。
力や影響力を持つことに怯えがある。それが、自分の言葉とかに対する評価なのかもしれないね。
―ただ、その戒めや自責に引き裂かれるとか、その葛藤が表現のガソリンになるとか、あるいは明確な敵を作ることがないですよね。そこが表現者としてのマヒトさんの面白さであり、わかるようでわからない不思議な部分なんですよ。
マヒト:ああ、それって新井さんと対談した時にも言われたよね。(参考記事:GEZANマヒト×新井英樹対談。絶望が前提になった時代の生き抜き方)「マヒトさんは自分を責めたことはないの?」って。……その質問されたとき、本当に困った。だって、未だに自分でもわかんないから。ただ、全然自分の血が流れない表現をしているのかかって言われたら、それも違うしさ。
―そうですよね。<神さまを殺せ / 権力を殺せ / 組織を殺せ / GEZANを殺せ>(“赤曜日”)という言葉も歌われていて。人に優しくあるために個々が孤独になる必要性を突き詰めていくと、<GEZANを殺せ>っていう、自分を含めた集団を殺す歌になるんですか。
マヒト:これは自覚しているんだけど、俺は言葉の破壊力を持っちゃってるから。その力の使い方を間違えると、むしろ排他的で暴力的なものにすり替わる可能性があるでしょ。これは最近起こっている事件や戦争、自然災害を見渡してもそうだけど、圧倒的と言われるものはすべて、何かを傷つける結果を招く。それが元々マイノリティと呼ばれていた小さなコミュニティでも、人が集団になった時点で簡単にファシズムが生まれ得るから。そう考えていくと、自然と自分やGEZANに矢印が自分に向くところはあるよね。
―<GEZANを殺せ>というラインに感じたのは……極論、レベルミュージックを必要としない、つまり闘ったり抗ったりする必要のない世界を掴むことが、レベルミュージックの最終目的なわけですよね。息苦しい現状を壊そうとするレベルミュージックが必要なくなる時に初めて、マヒトさんの言う「美しい世界」が訪れるというか。
マヒト:これは新井さんとの対談でも話したけど、俺は小さい頃に、学校っていう社会の中の大多数に押し切られて悲しい想いをした経験があって。それも自分のひとつの背景としてはあると思うんだけど――そういう経験があるからこそ、自分が力や影響力を持つことにある種の怯えがある。それが、自分の言葉とか、自分ではよくわからない自分の力に対する評価なのかもしれないね。まあ、強気な発言だけどさ。その使い方を間違えたら、また同じ闘いのループが生まれちゃうんだよ。それだと、自分の理想とは全然違うことになるから。
―たとえば『SHIBUYA全感覚祭』の話ですけど、朝方のゴミの山を象徴に、人間の綺麗じゃない部分も全部含めて、あの街の不安定さがマグマになって噴出していたと思うんです。本当に街の景色が変わったし、それはたくさんの人がGEZANにベットした結果として表出した狂騒と膿と証だったと思うんです。「この言葉にならない閉塞感をぶっ壊してくれ」って。
マヒト:そうね……。
―そこで賭けてくれた人の気持ちも理解したと思うし、その自覚がこの作品と“I”を形成している要素だと思うんですけど。今、ちゃんと背負った自覚と、力を持ちたくない自分は、自分の中にどう存在してるんですか。
マヒト:うーん……そのふたつはずっと乖離していると思う。答えが出ずに混乱したまま日々を跨いでいる感覚かな。まあ、自分で言うのもなんだけど、GEZANの存在もサウンドも、そりゃ圧倒的だと思うんだよ。
―それはこの作品が証明してますね。
マヒト:でも、圧倒的であるっていう自覚と同時に、それと同じ強さで自分を疑う自分も用意してるっていうことだと思うの。感覚的な話なんだけど、自分の中にはいろんな人格があって、ある一定の発言力を持った強い人格を野に放つのは結構怖い。それを走らせると、自分が本当の怪物になるってわかるから。『全感覚祭』でもなんでも、GEZANは先頭を走るんじゃなくバランスを取る調整役だって常々言ってきたつもりだけど、それも、一つのキャラクターに走るのが怖いってことなんだよ。
―マヒトさんが自分の中の怪物やブラックボックスを自覚したのはいつ頃だったんですか。
マヒト:どうだろうな……物心ついた時から「これは解き放ったら駄目なのかな」と思ってたかも。学校とかでも、人の前での振る舞い方ひとつとってもね。
ただ、その違和感に病名を付けて主張して、「ここからは入ってこないでくれ」とか自分で言うのは、言い訳になるでしょう。それによって自分をカテゴリー化して、自分の場所を許してもらうための口実にするのは好きじゃない。それこそ、人を雑にジャンル分けするような、俺が間違ってると思う振る舞いになるわけだしさ。でも、誰もが何かしらの怪物を持ってるんじゃないかなって俺は思うんだよ。だから悩んだり混乱したりするわけで。それが現状の答えかなって気がする。
「意味がない」とされる声も出せるっていう意味で、歌はすごくきれいな場所だと思うから、大切にしたい。
―赤ちゃんが鳴くようにプリミティブで根源的な音楽・歌の在り方を話してもらいましたし、別人格という話もありましたけど。自分の中の赤ちゃんや、あるいは普段は抑えている怪物を歌の中では出せる、みたいな感覚もあるんですか。
マヒト:どうだろう……。いや、自分では(そういう感覚が)ない気がするな。かと言って、大人になった自分が歌ってる感覚もないんだよね。
さっき話した過去・未来・現在の話と一緒だと思うんだけど、一方向に成長している感覚も全然ないんだよ。だってさ、小さい頃の自分が無邪気に持ってた答えがあったとして、大きくなって勉強し直しても「結局、小さい頃と同じ答えに辿り着いたな」って思うこともあるじゃない?
―わかります。小さい頃の自分は今の自分を全部知ってたんじゃないかって思うことがありますよね。
マヒト:そう考えたら、それこそ赤ちゃんのシャウトが最終的な答えだと思ったりするし。一般的には、社会に触れて勉強する中で「完全」に向かって成長していくとされているけど、俺は全然そんなことないと思っていて。もちろん知識は増えていくけど、それが成長という言葉で片づけられるかというと、違和感がある。
たとえばライターさんで言っても、文章を書き始めて一年目の自分と今の自分を比べたら、あの時の自分の方が書くこと自体に情熱を燃やせていた、みたいなことがあるかもしれないよね。
それはつまり、ある角度から見たら過去とされる時点の自分の方が進歩してるとも言えるわけじゃん。だから「生きてきた年月」みたいなのも、理屈としては理解できるんだけど、感覚的にはたぶん評価してないんだよね。時を経るってことも、大人ってものの境界も、ちゃんと考えてみれば曖昧な評価基準でしょ。そこに自分は当てはまらないなって感じてきたところはあるかな。子供だろうが、大人だろうが、どちらが進歩しているとは言い切れないんだよ。同じじゃんって思うしさ。
―本当にただの純粋な生き物として人間に向き合ってるんでしょうね。それに、一般的な評価基準や時間軸の上にいない人だからこそ、名前のつけられない部分を存在させるために、声と歌と言葉にして叫んでいる人なんだろうなと思いました。
マヒト:きっと、「意味がない」とされる声でも出せるっていう意味で、歌はすごくきれいな場所だなあと思うから、大切にしたいなって気持ちはあるね。
やっぱり不完全なものを許容することが今一番大事な感覚だと思うし、ただレタッチされた景色に誤魔化されていく世の中だからこそ、不完全な生き物の声を受け入れられる歌とか、オルタナティブが前を行くべきだと思うんだよね。今オルタナティブが闘わなかったら、そんなのおかしいと思うよ。意味がないとされたものの声を許しているっていう意味で間違いなく自分たちはオルタナティブだと思うし、胸を張れますね。
―絶望に覆われているだけじゃなくて、今ここに自分が存在していること自体が希望になっていくんだと思える。そういう意味でも一歩先が歌われていると思います。
マヒト:“DNA”に<寂しさと喜び半分ずつ持って>っていう歌詞があるけど、たぶん、人が持っている希望も絶望も、同じ数だと思うんだよ。言霊って言葉があるけどさ、歌も言葉も、誰がどう発するかによって響き方は違うでしょ。で、希望をちゃんと飛ばせる人は、同じ数の絶望も持っていると思うんだよね。
―希望を本当の希望たらしめるのは希望を心から欲する切実な気持ちで、それは絶望を知っているからこそ出てくるものだっていうことですよね。
マヒト:そのくらいじゃないと想いなんて響かないよね。たとえば<僕らは幸せになってもいいんだよ>(“DNA”)っていうフレーズも、<ちゃんと笑うんだよ>(“I”)っていうフレーズも、俺が本当に幸せだったら出てこないんだよ。今幸せで満たされてますっていう人が<ちゃんと笑うんだよ>なんて歌っても、届かないよ。きっと、「希望」も「幸せ」も、逆のものを均等な量で持っている人しか歌っちゃいけない言葉なんだと思う。
―改めて、聴いたことのないサウンドまみれのアルバムでした。解体と再構築を根底に持つ「ダブ」がベースになっているのも、今マヒトさんが向き合っている街・世界の景色と繋がりますよね。なんでこんなに圧倒的なサウンドを鳴らせるんですか。
マヒト:いや、わかんないです(笑)。
―はははははは。
マヒト:だって、俺らめちゃくちゃ音楽聴くからなあ。GEZANの中でも、これいいから聴いてみてや、とか普通にやってるからね。なんならもう新曲も作り始めてるんだけど、それはサンバだもん(笑)。
―うお。やっぱり、踊るっていうことを個々の闘争表現として捉えてると。歴史を見てみても、オルタナティブが自分を解放して、存在を表明するために掲げた武器ですよね。「踊る」って。
マヒト:そうだと思う。だから、今作り中のやつも楽しみにしててほしいっすね。
GEZAN『狂(KLUE)』を聴く(Spotifyを開く)
- リリース情報
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- GEZAN
『狂(KLUE)』(CD) -
2019年1月29日(水)発売
価格:3,080円(税込)
JSGM-341. 狂
2. EXTACY
3. replicant
4. Human Rebellion
5. AGEHA
6. Soul Material
7. 訓告
8. Tired Of Love
9. 赤曜日
10. Free Refugees
11. 東京
12. Playground
13. I
- GEZAN
- ツアー情報
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- 『十三月presents GEZAN 5th ALBUM「狂(KLUE)」release tour 2020』
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2020年2月13日(木)
会場:北海道 札幌 BESSIE HALL2020年2月17日(月)
会場:青森県 弘前 Mag-Net w / 踊ってばかりの国2020年2月19日(水)
会場:山形県 酒田 hope2020年2月20日(木)
会場:宮城県 仙台 LIVE HOUSE enn 2nd2020年3月18日(水)
会場:大阪府 梅田CLUB QUATTRO2020年3月19日(木)
会場:愛知県 名古屋 APOLLO BASE2020年4月1日(水)
会場:東京都 恵比寿 LIQUIDROOM
- プロフィール
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- GEZAN (げざん)
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2009年、大阪にて結成。自主レーベル「十三月」を主宰する。2018年に『Silence Will Speak』をリリースし、2019年6月には、同作のレコーディングのために訪れたアメリカでのツアーを追ったドキュメンタリー映画『Tribe Called Discord:Documentary of GEZAN』が公開された。2019年10月に開催予定だった主催フェス『全感覚祭』東京編は台風直撃の影響で中止となったが、中止発表から3日というスピードで渋谷での開催に振り替えられた。そして、1月29日に『狂(KLUE)』をリリース。
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