2015年の映画『走れ、絶望に追いつかれない速さで』でタッグを組んで以来、俳優と監督という立場は異なれど、同世代の表現者として互いに意識しつづけてきたという仲野太賀と中川龍太郎。そのふたりが再びタッグを組んで生み出した映画『静かな雨』が、2月7日より公開される。
パチンコ屋の駐車場でたい焼き屋を営むこよみと、生まれつき足の悪い行助の切なくも愛おしいラブストーリー──『羊と鋼の森』などで知られる作家・宮下奈都のデビュー作を、仲野太賀と元・乃木坂46で映画初出演となる衛藤美彩のW主演で映画化した本作。それは、『四月の永い夢』(2018年)、『わたしは光をにぎっている』(2019年)など、近年コンスタントに作品を作りつづけている中川監督にとっても、新たなチャレンジに満ちた一作であるという。
2019年11月に開催された『第20回東京フィルメックス』で観客賞を受賞するなど、大きな注目を集めているこの映画に、中川監督が込めた思いとは。そして、監督自身が「自らの分身的な存在」であると語る、仲野太賀との関係性とは。同世代の表現者として彼らが共有する「リアリティー」と「闘い方」の話も含めて、大いに語ってもらった。
太賀が主演してくれるのであれば、できるかもしれないって思ったんです。(中川)
―『走れ、絶望に追いつかれない速さで』以来懇意にしているというおふたりですが、改めてお互いはお互いにとってどんな存在なのでしょう?
仲野:初めて中川監督に会ったのは、その映画に出演する前だから、もう5年以上前になるんですかね。友人の紹介で渋谷の居酒屋で会ったんですけど、僕が知っている同世代の表現者というとだいたい俳優さんで、映画を作っている人に会うのはそのときがほとんど初めてだったんです。
映画監督って、20代で花を咲かせるのがなかなか難しい仕事だと思うんですけど、それでも中川監督は、当時から着実に存在感を示していて。もちろん、若い映画監督っていまはチラホラ出てきてはいるんですけど、中川監督はその中でも、ちょっと異質な存在だと思うんですよね。
―中川監督にとって太賀さんは?
中川:『走れ、絶望に追いつかれない速さで』という映画は、自分にとって、とても重要な位置づけの作品だと思っているので、その作品に主演で出てもらったというのは、やっぱり特別な存在です。
あと、当時は僕も太賀も、いま以上に将来がどうなるのか見えづらい状況で。そういう状況を共有しながら一緒に仕事をするのは、やっぱり得難い経験でした。その後ご一緒したどの役者さんとも違う濃密さがあったし、ある意味、僕の原体験みたいなものになっているような気がします。
仲野:まあ、僕も当時はまだ22歳だったので……。
中川:若いよね(笑)。俺が24歳とかだもん。
仲野:あのときの経験は自分にとってもすごく濃密でしたし、とにかくいい時間でした。監督も若いし、映画を一緒に作っているTokyo New Cinemaの人たちもみんな若かったし、現場のスタッフも監督の昔からの知り合いだったりして、みんなで補い合いながら、ひとつの映画を作っていったような感じがありましたね。
―そんな太賀さんが、久しぶりに中川監督の映画に戻ってきたわけですが、そもそもこの『静かな雨』という映画は、どのような経緯で生まれたのでしょう?
中川:『四月の永い夢』『わたしは光をにぎっている』と、僕の映画をずっとプロデュースしてくれているWIT STUDIOの和田丈嗣さんが「次は原作ものに挑戦してみないか?」と、宮下奈都さんの小説『静かな雨』を僕に渡してくれたんです。
最初に読んだときは、非常に美しい小説だと思ったと同時に、ある意味抽象度が高い内容なので、これを映画にするのはなかなか難しそうだとも感じました。その後、いろいろと考えていく中で、太賀が主演してくれるのであれば、できるかもしれないって思ったんです。僕は僕なりに、この作品の中にテーマを見出すべきですし、そのテーマを表現できるのは太賀なのかなって。
―ここ最近は、朝倉あきさん(『四月の永い夢』)、松本穂香さん(『わたしは光をにぎっている』)と、女性が主人公の映画が多かった印象ですが、今回は実質的には男性が主人公であり、しかもその役を満を持して太賀さんが演じるという。
中川:そうですね。初めての原作ものだったし、今回の作品はスタッフもけっこう変わったので、やっぱりちょっと不安もあったんです。だからこそ、主演は気心の知れている人間であり、なおかつ自分がいまの時代に必要だと思う「誠実さ」を表現できる人にやってもらいたいなと思いました。
僕が見出したものは、ひと言でいうと、「行き止まりを生きる覚悟」。(中川)
―そのオファーを受けて太賀さんは?
仲野:いま監督がおっしゃっていたことは、言わずもがな僕もわかっていたので、少しでも力になれたらなと思って、引き受けさせていただきました。ただ、『走れ、絶望に追いつかれない速さで』のときに、やれる限りのことをやった感覚もあったんですよね。なので、せっかくまた中川監督と一緒にやるんだったら、以前とは違う場所に行きたい。そう思って臨んでいました。
中川:そう、その違う場所へ行くために、どういうテーマを見つけ出せばいいのかということに、一番苦労したんですよね、お互い。その部分のディスカッションが、実は撮影前にかなりあったんです。
―今回の映画は、中川監督が翻案した要素も、実はかなり多く入っていますよね。
中川:恐らくそれは、原作者の宮下先生とはまた違う、プラスアルファで僕がこの作品に見出したものだと思うんですけど……それをひと言でいうと、「行き止まりを生きる覚悟」になるのかな。
若い世代にとっては、これから経済発展が見込めるわけでもないし、未来に対して明るい展望を抱けるわけでもない。そういう社会において、露悪的な映画を作ることもできるし、自堕落なものであったり、投げやりになるような映画を作ることもできると思うんです。あるいは、ナルシスティックに内向したりとか。
だけど、それを「絶対にしない」という覚悟のもとに映画を作るというか、そういう時代だからこそ、目の前の生活のディテールと向き合って生きていくことを、誠実に表現する必要があると僕は思っているんです。この小説の型があれば、それができるのではないかと思い、そこをひとつのテーマとして持ってきたんですよね。
映画がよりよくなるためにはどうすればいいのか、自分の感覚を誠実に提示したい。(仲野)
―なるほど。そういう話を、事前に太賀さんとすり合わせていったのですか?
中川:すり合わせたというか、正直どうしたらいいのか悩んだり、迷走していた時期もあったんですよね。脚本も何度も書き換えたりして。そういうときに、太賀が「これをいま一緒にやる意味、いま撮る意味って何だろう?」っていうことを、撮影直前の1か月前とかギリギリまで厳しく指摘しつづけてくれてた。だからこそ、そのテーマに自分も行きつけたし、それがなければ、また違う形の作品になっていたかもしれません。
仲野:この原作をいま映画にする意味を、僕も最初は計りかねていたんです。やっぱり、小説というのは活字で書いてあるものじゃないですか。この小説も、言葉豊かに美しく物語を描いているんですけど、それをいざ映像によって可視化するっていうのは、全然違う作業だと思うんですよね。
特に、この小説は、そこまでダイナミックな物語があるわけでもないので、その静けさや美しさを、脚本からどう立ち上げるか? っていうときに、やっぱりチーム編成がすごく重要になってくるんじゃないかと思ったんです。宮下さんが産み落としたこの美しい物語を核として、映像的にも音楽的にも、それを体現するスタッフがいて、それを中川監督がまとめてる形が、いちばんいいんじゃないかなと。まあ、具体的に僕がどうこうするわけじゃないんですけど(笑)。
中川:でも、今回、撮影を担当してくれた塩谷大樹さんは、太賀が紹介してくれた方なんですよね。
仲野:実際的なことは、何もしていないんですけどね(笑)。ただ、この映画がよりよくなるためにはどうすればいいのか、自分の感覚みたいなものは、誠実に提示したい。それは本来、役者が介入することではないのかもしれないけど、そういう僕の考えを、監督は誠実に受け止めてくれたし、聞く耳を持ってくれた。そういう意味では、すごくいいキャッチボールができたんじゃないかなって思います。
合言葉として出てきたのは「カルト映画を作ろう」ってことだったんですよね。(中川)
―そこまで積極的にコミットする現場は、太賀さんにとっても珍しいのでは?
仲野:珍しいですね。この映画って、衛藤美彩さんが主演で、原作があって、新人監督で……という座組なので、いくらでも安牌は取れたはずなんですよね。でも、その安牌だけは絶対取らないでいこうっていう話は、監督やスタッフともしていました。
というのも、中川監督って、『ぴあフィルムフェスティバル』から出てきたとか、助監督からの叩き上げとか、そういうのではないところから独自のやり方で少しずつ存在感を示しつづけてきた監督じゃないですか。そういう監督が、初めて自分のオリジナルではない原作を手にしたときに何をやるかっていうのはすごく重要だから、一番美しい形を取りたいと、いち俳優部の人間としては思ったんです。それについては、本当にいっぱいディスカッションをしたんですよね。
中川:そう、撮影の1か月前ぐらいに、プロデューサーの和田さんと僕と太賀の3人でいろいろ話して……それこそ、「画角は4:3でいこう」とか「いっそ白黒で撮るのはどうだろう」と、どんどん僕が提案していきました。結果的に、みんなの合言葉として出てきたのは「カルト映画を作ろう」ということだったんですよね。
―カルト映画?
中川:さっき太賀が言ったように、原作もので衛藤さん主演で新人監督という座組だったら、いわゆる「キラキラ映画」にすることもできるわけじゃないですか。そうではなく、むしろその真逆で、地味になってもいいから先々カルト的な人気が出るような作品に振り切るべきなんじゃないかって。
―なるほど。そのために、中川監督は具体的にどのようなことをしていったのですか?
中川:ひとつは、さっき言ったように、太賀と話し合った中で出てきた「行き止まりを生きる」というテーマです。もうひとつは、高木正勝さんの音楽です。僕の中では、この映画を全編で1曲のような映画にしたいっていうコンセプトがあって、99分間全編即興で高木さんが作ってくれた音楽が流れているんですよね。
―また、すごいことをお願いしますね。
中川:そうですね(笑)。そうすれば、この映画自体が一個の「おとぎ話」のようになるんじゃないかと思って。要するに、この原作を写実で描くのは不可能だと思ったんです。とはいえ、寓話として描くにしても、妙にリアルなところがあるから、それをどう映画にしていくのかは悩みました。そのときに、一編の詩のようにするために、全編に音楽が流れているのがいいのではないかと思いついたんです。太賀が足を引きずる音や、劇中の環境音と音楽が一体になっているようなものというか。
あと、これまでの僕の作品は、引きの画面でロングショットを積み重ねることが多かったんですが、今回は初めて塩谷さんにお願いして手持ちで撮影しました。この映画の主役は、太賀と衛藤さんと、もうひとつ、それを見ている視点なんだと思ったんです。その視点はカメラであり、そこに流れている音楽でもある。そう紡いでいけば、何とかいけるんじゃないかと思ったんですよね。
結局、いま目の前に誰がいるかがすべてなんですよね。(仲野)
―もうひとつ、この映画は、記憶を失い続ける女性の話でもあって……同様の作品は、これまでたくさんあったように思いますが、本作は「記憶」の扱い方が、それまでのものとは、ちょっと違いますよね?
中川:そうですね。記憶喪失は、この物語の本質ではないんです。それは、これから起きるであろう災害であったり事故であったり……あと、高齢化多死社会。太賀演じる行助が足をひきずっていることと、衛藤さん演じるこよみが記憶を失ってしまうことは、だんだんと社会が機能不全になっていく、そういう災いの象徴なんです。だから、それ以上の意味づけを与えてしまうといけない。
なので、原作には出てきた事故の原因やディテール、その具体的な症例名は、今回の映画では全部差っ引いたんです。この映画は、あくまでも東京の郊外の片隅で暮らす名のない男女の物語であり、記憶を失ってしまったこよみを、行助がどのように愛するかという映画なので。
―そこが本作の面白いところですよね。「記憶」が戻る戻らないは、物語の本題ではない。
仲野:こういう言い方はちょっと語弊がありますけど、記憶喪失って映画やドラマにするときに、すごくいい題材なんだと思うんです。ただ、それをいま僕らがやるのであれば、セオリー通りではダメだろうなって気持ちがあって。
中川:だから、実はこの映画は、記憶という過去の話ではなく、未来に向けた話なんですよね。未来を構想するというのは、とりもなおさず、いまここにある現在地を見つめることなので。だから、記憶喪失というものを逆手にとって未来を語る、つまり「いま、ここ」を語る構造にすることは、ひとつの突破口になりました。だからこそ、その瞬間手にしたたい焼きが温かいとか、美味しいとかが大事になってくる。
仲野:結局、いま目の前に誰がいるかがすべてなんですよね。
中川:ああ、そうだね。いま誰が自分の目の前にいるのか。この映画は、そういう映画なのかもしれない。
時代が変われば、映画の中で描くリアリティーやその捉え方も変わってくるんだと感じています。(仲野)
―それは、おふたりの世代的なリアリティーや問題意識とも関連しているのではないでしょうか?
中川:ああ……それはあるかもしれませんね。友人として一緒にお酒を飲んでいると、何に不満を感じているのか、何に腹立つのか、あるいは何に憧れるのかとか、いろいろ話すんです。そういうところに時代感とか世代感みたいなものって、きっと出てくると思うんですよね。
仲野:僕らの世代だけではなく、ある種の生きづらさみたいな感覚って、たぶんいま日本で暮らしている多くの人にとってあると思うんです。でも、それってすごく不思議で。
たとえば、昔の映画を観ていると、みんなすごく饒舌にしゃべって、意見が食い違ったら殴り合って、みたいなことが平気で描かれてるじゃないですか。だけど、それを現代で描いても、何のリアリティーもない。いまは、言葉を飲むところから始まるような気がするし。
中川:そうだね。言いたいこと言えないところが起点だもんね。
仲野:それは僕らだけじゃなく、親世代もそうだと思う。でも、親世代が若かった頃は、きっとそうじゃなかったんだろうなっていうのもあって。そう考えると、どこかで歯車が狂ったんだろうし、そうやって時代が変われば、映画の中で描くリアリティーやその捉え方も変わってくるんだと感じています。
―なるほど。それは、世の中に対する「闘い方」の違いというか、太賀さんや中川監督の世代ならではの「闘い方」なのかもしれないですよね。
中川:そうですね、闘い方ですよね。背伸びして、暴力的なものや激しいものを作るのも違うと思いますし。
仲野:過激なものにいま、リアリティーがない。昔はあったのかもしれないけど。
中川:だから、ある種のファンタジーとしての過激さ……たとえば暴力がエンターテイメントとしてあるのはいいと思うんですけど、そういうものを僕がやってもしょうがない。自分はそれとは違う闘い方で、いまの時代を描きたいって思っているんです。
―中川監督って、映画の中で世代やリアリティーについて直接言及することはほとんどないですけど、こういう取材の場とかではお話されますよね。そこがすごく面白いなって思っていて。
中川:ああ、たしかにそうかもしれないですね(笑)。それをそのままやるのではなく、抽象化した地平で何を作れるかが大事だって思っているのかもしれないです。自分で観る分には、社会的な問題をストレートに描いた映画も好きなんですけどね。去年観た映画の3分の1以上はドキュメンタリーだったかもしれない。
仲野:面白いね。インプットとアウトプットが全然違うっていう。
中川:そうそう。インプットは現実的で、アウトプットは寓話的。
仲野:でも、中川監督の映画って、実際そうなってると思うよ。
ささやかな幸せをどれぐらいちゃんと見つめられるかに尽きると思うんです。たとえ、どんな困難があろうとも。(仲野)
―では最後に、おふたりは、この『静かな雨』という映画を、どんな人たちに観てもらいたいですか?
中川:生きづらさの中に生きている若い人たち……否、若い人たちだけじゃないのかな。いまの世の中で、どこか生きづらさを感じながら生きている人たちに観てもらいたいですね。で、どう感じられたのか、その意見を共有したいです。
―太賀さんは?
仲野:そうですね……しゃべっていて思いましたけど、いまっていよいよ大きなことを言えない時代になってきているじゃないですか。
中川:ああ、たしかに。
仲野:それはたぶん、大きなことを言うことにリアリティーがなくなってしまったということなのかもしれないですよね。この『静かな雨』という映画は、つまるところ、いま目の前に誰がいるかってことだし、ささやかな幸せをどれぐらいちゃんと見つめられるかっていうことに尽きると思うんです。たとえ、どんな困難があろうとも。
それはいま生きている人にとって共感できる着地点のような気もするし、それを現代におけるおとぎ話のように描こうというのが、僕らのスタート地点で。入り口は寓話的なのに、着地点がわりと現実的な映画だと僕は思っていて……。
中川:ああ、そうだね。たしかに、そうかもしれない。
仲野:そういう視点はなかなかないものだと思うので、ぜひ観てほしいですね。
- 作品情報
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- 『静かな雨』
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2020年2月7日(金)からシネマート新宿ほか全国で順次公開
監督・脚本:中川龍太郎
原作:宮下奈都『静かな雨』(文春文庫、2016年)
音楽:高木正勝
出演:
仲野太賀
衛藤美彩
上映時間:99分
配給:キグー
- プロフィール
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- 仲野太賀 (なかの たいが)
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1993年2月7日生まれ。東京都出身。2006年、俳優デビュー。2007年の『風林火山』を皮切りに、2009年には『天地人』、2011年『江~姫たちの戦国~』、2013年『八重の桜』、2019年『いだてん』と過去に4作のNHK大河ドラマに出演。このほかのドラマ出演作にNHK連続テレビ小説『あまちゃん』、『恋仲』(フジテレビ系)、『ゆとりですがなにか』(日本テレビ系)、『仰げば尊し』(TBS系)、『今日から俺は!!』(日本テレビ系)など。主な出演映画に『走れ、絶望に追いつかれない速さで』『南瓜とマヨネーズ』『タロウのバカ』など。
- 中川龍太郎 (なかがわ りゅうたろう)
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1990年神奈川県生まれ。詩人としても活動し、17歳のときに詩集「詩集 雪に至る都」(2007年)を出版。やなせたかし主催「詩とファンタジー」年間優秀賞受賞(2010年)。国内の数々のインディペンデント映画祭にて受賞を果たす。初監督作品『Calling』(2012年)がボストン国際映画祭で最優秀撮影賞受賞。『雨粒の小さな歴史』(2012年)がニューヨーク市国際映画祭に入選。東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門では『愛の小さな歴史』(2014年)に続き、『走れ、絶望に追いつかれない速さで』(2015年)と2年連続の出品を最年少にして果たす。『四月の永い夢』(2018年)が、世界四大映画祭のひとつである第39回モスクワ国際映画祭コンペディション部門に正式出品、国際映画批評家連盟賞、ロシア映画批評家連盟特別表彰をダブルで受賞。第19回台北映画祭、第10回バンガロール国際映画祭にも正式出品された。
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