雨のパレードは常に聴き手に寄り添い、その人の心を救うような歌を歌い続けてきたバンドだ。最新アルバムのタイトル曲“BORDERLESS”では<愛した人 歩んだ道 何もかも全部間違いじゃない>と呼びかけているように、その目線は優しくも力強い。前に進む10~20代の若者を応援するプロジェクト「Honda×Music バイクに乗っちゃう? MUSIC FES.」に、マカロニえんぴつ、CHAI、the peggiesらとともに雨のパレードが参加しているのは、非常にしっくりくる。
Hondaとのスペシャルコラボでミュージックビデオが制作されたのは、最新アルバムに収録されている“Walk on”。インディーズ時代の名曲“Tokyo”が起点となっているこの曲で、彼らは<憧れていたこの街に 理想の自分が待っていると思っていた>と、都市の理想と現実のギャップを歌う。そこで今回は、地元の鹿児島から上京してきた当時を振り返ってもらい、環境の変化に伴う不安や迷いといかにして向き合ってきたかを語ってもらった。新たな生活をスタートさせたあなたが、確かな一歩を踏み出せますように。
鹿児島を離れることを、簡単に決断できたわけではない。三者三様だった想い
―今回は“Walk on”の歌詞になぞらえて、上京当時にどんな不安や迷いを感じていて、いかにしてそれを乗り越えていったのかをお伺いしたいと思います。そもそもは鹿児島時代に活動していた別のバンドが解散して、その後に上京したんですよね?
福永(Vo):そうですね。僕は当時から「音楽で生計を立てていきたい」という夢を持っていたので、その鹿児島で組んでたバンドでそれができるなら、行けるところまで行きたいと思ってやってたんですけど、結局は解散することになってしまって。ただ、もともと上京することを考えていたので、メンバーに声をかけて、二人も来てくれたという感じです。
―福永くんは地元の音楽の専門学校を1年でやめたそうですね。
福永:1年でやめて、1年間お金を貯めて、上京しました。高校もその専門学校と同じ系列の学校だったので、高校から打ち込みやコード理論の授業を受けていたんです。でも、専門学校に上がったら、そこから学び始める人の方が多くて、授業の内容もほぼ高校と一緒だし、あんまり意味を見出せなくて。もちろん、その中ではいい出会いもあって、(大澤)実音穂もそうだし、いい先生ともいっぱい出会えたんですけど、思ってた感じとは違ったんですよね。だったら、1年でやめて、もう1年分の学費は上京資金に充てた方がいいなって。
―学校をやめることや上京に対する不安や迷いはありませんでしたか?
福永:好奇心の方が勝っていたと思います。環境を変えることに対する恐れみたいなものはあんまり感じないタイプで、むしろ変化を求めてた気がしますね。どちらかというと、(福永以外の)二人が渋ってた(笑)。
大澤(Dr):渋ってたというか……悩みはしたけどね。
福永:(山﨑)康介さんは僕よりだいぶ歳が上だったしね。
山﨑(Gt):僕も音楽をやってる以上、漠然と「これで食っていけたらな」っていうのはあったんですけど、自分でなにか本格的に行動に移すことはなく、鹿児島でバイトしながらなんとなく音楽活動をしている感じだったんです。なので、(福永)浩平くんから「上京しよう」って言われたときは、これが自分のターニングポイントだと思ったというか、「このきっかけを逃したら、俺はこのまま腐っていく」と思ったので、「俺も行かせてくれ」って。だから、サルベージしてもらったような感じですね。
―大澤さんも、福永くんと同じ専門学校を1年でやめてるんですよね?
大澤:私もドラムでご飯を食べることをずっと考えていて、そのために学校に入ったんですけど……周りの人たちを見て、「みんな本気で音楽やってるのかな?」って感じだったので、これだったら意味がないんじゃないかって。
でも、福永が「東京でやろう」って誘ってくれたとき、私はめっちゃ不安で。レーベルの人から誘われたわけでもないし、東京に知り合いがいっぱいいたわけでもないし、親も「女の子が一人で大丈夫なの?」みたいな感じだったから、不安要素の方が大きくて。
ただ、私も康介さんと一緒で、このきっかけを逃したら東京に行く機会はないと思ったし、なにより「みんなと一緒にバンドをやりたい」という想いが強かったので、一緒に行くことにしました。不安より期待の方が勝ったということですかね。「やってみなきゃわかんない」ともすごく思ったし。
福永:康介さんに関しては、家もあらかじめ僕が決めてましたからね(笑)。
山﨑:僕だけちょっと上京のタイミングがずれて。先に二人が家を確保してくれていて、僕はそこに入り込めばよかったので、それだけでもかなり気が楽でした(笑)。でもやっぱり一番の決め手は「ここで行かないと後悔する」と思ったからですね。
上京後、順調に進んでいったバンド活動。その要因やきっかけはなんだった?
―上京後はわりとすぐにインディーズでデビューして、順調にメジャーへとステップアップした印象がありますが、バンドが軌道に乗るまではどんな活動をしていましたか?
福永:学校を1年でやめて、もう1年を上京のためのお金を貯める期間に充てた中で、上京に向けての動きをちょっとずつやってはいたんです。本格的に上京する前にも東京へ行って、知り合いに紹介してもらった関係者の人から話を聞いたり、マネジメントの本を買って読んだり。
当時は「CDが売れなくなってきた」って言われる時代だったから、「じゃあ、どうしよう?」と思ったときに「音楽は別のカルチャーに溶け込みやすいかも」と思って、最初はメンバーにペインターとか衣装作家も入れて。CDを買ってる人を振り向かせるのではなくて、CDを買ってない人をどう振り向かせるかを考えて、ファッションやアートを融合させたイベントをやってましたね。
―当時は「創造集団」という側面もありましたもんね(2015年のインタビュー:総合芸術の「創造集団」を名乗るバンド、雨のパレードって何者?)。
福永:そうやって、上京する前から「どうやったら目立てるんだろう?」ということを考えていたので、東京でただライブをやってるようなバンドよりは、目立つことができたのかなって。
あとは人とのつながりを大事にして、もともと鹿児島で知り合った事務所の人がやってるイベントに出たときに、僕ら以外のバンドを観に来たビクターの人が僕らに引っかかってくれて、結構早い段階から毎回のようにライブを観に来てくれて。だから、実際順調ではあったと思うんですけど、一つひとつにちゃんと理由があったと思います。
福永:あと、早く上京してよかったなって思うのは、音楽的な刺激がいっぱいあったこと。地元でライブをしてると、顔のわかる人たちとしかライブができなくて、偏った音楽性になりがちだと思うんです。
今でこそサブスクやらYouTubeでいろんな音楽に触れることはできるけど、実際に対バンするのは全然違うことなので。対バンの人と知り合って「最近これが来てる」みたいに情報交換したり、周りのバンドから影響を受けながら、少しずつ自分たちの音楽性を見出せたので、それが一番よかったことかもしれないです。
―上京してすぐの頃はどんなところでライブをしてたんですか?
福永:最初はメイプルハウスというライブハウスによく出てたんですけど、その頃は全バンド合わせてお客さん2人とかで(笑)。で、ゲスの極み乙女。のまりさん……ちゃんMARIが地元の先輩なので、下北沢のERAを紹介してもらって、そこでよくしてもらって。当時で言うと、コムアイ(水曜日のカンパネラ)が「まだライブ2回目」くらいのときに一緒のイベントに出たりしてましたね。
「東京って、言うほど冷たい街じゃない」――むしろ、マイノリティも受け入れてくれる街
―インディーズ時代のラストシングルとして、2016年の1月にリリースしたのが“Tokyo”で、<どうしようもなくなるほどの巨大な虚無感>や<すりきれる今日を受け入れることに慣れてしまった>といった歌詞からは、上京に伴う疲弊を感じたりもするのですが、この曲を書いた当時はどういった心境だったのでしょうか?
福永:「虚無感」とか「すりきれる今日」みたいな言葉が僕にとってマイナスかというと、そうではなくて。そういう感情をもらえたことが自分にとってプラスというか、だからこそ書ける曲もあると思っているから。今日話していて思い出しましたけど、“Tokyo”のデモは鹿児島で作っていたんですよ。だから、より俯瞰で書けたのかなって。
山﨑:当時浩平くんがよく言ってたのは、「東京って、言うほど冷たい街じゃない」ということで。田舎にいると、周りからの刷り込みもあって漠然と「冷たい街」という印象を持ったりするけど、実際は、むしろマイノリティも受け入れてくれる街だと思う。田舎だとどこにも入れないような人でも、東京にはその人たちのコミュニティがあったりするじゃないですか? だから、「冷たい街」というより「全部受け入れられちゃう街」みたいな感じがして、そう言われると、歌詞の聴こえ方も変わってくるというか。
―<夢を捨てたって 生きてけるように出来た街だ>というラインが印象的で、これもプラスにもマイナスにも捉えることのできる歌詞ですよね。
大澤:その部分はすごくグサッと来ました。私たちももしかしたらそうなるかもしれないわけじゃないですか? 東京は人が多いから、その分埋もれてしまうかもしれない。自分に置き換えたときにハッと思わされたというか、自分はそうならないようにって、改めて思わされた歌詞でしたね。
上京してから数年が経った今の心境を吐露「理想に全く近づけていない」
―同じ九州出身の南波志帆さんから「“Tokyo”のような曲を」という依頼を受けて、同じ2016年に書いたのが“City Lights”で、“City Lights”のサビの歌詞をあえてほぼそのまま使ったのが“Walk on”なんですよね。
福永:(“City Lights”の歌詞を見ながら)ちゃんと見るのひさしぶり……いい歌詞だなあ(笑)。
南波志帆“City Lights”。作詞作曲:福永浩平(Apple Musicはこちら)
福永:「理想と現実の違いを知った上で、もう一歩進めるのか」みたいな内容ですけど、当時はそこまで自分のこととしては考えてなかったと思うんですよね。でも、上京から数年経って、自分の中にある理想には全く近づけていないっていう想いがずっとあるので、今の自分にすごく刺さる歌詞ですね。
大澤:<憧れたこの街に 理想の自分が待っていると思っていた>という歌詞ですけど、当時は本当にこんな風に思ってたというか、「東京に行けばなんとかなる、東京に行けば絶対なにか起こる」と思ってたんです。でも、やっぱり自分で動かないと、なにも変わらないんですよね。福永も言ったように、私たちが思い描いてるのはもっと大きな目標で、今の自分たちにはまだまだ満足していないので、もっともっと上に行きたいと思っています。
山﨑:<変えなきゃいけないものは 暮らす場所じゃなくて 自分の方だったみたいだ>という歌詞のように、上京前は意固地なところがあったと思うけど、上京して、いろんな人と出会って、自分が瓦解していったというか。それって、いいことでもあって。今までの自分が壊れて、再構築していく中で、いろんなことが柔軟に受け止められるようになっていったわけだから。もともと変化を恐れていたわけではないけど、変化することの大事さに改めて気づける歌詞だと思います。
―福永くんは「変化すること」についてはどう考えていますか?
福永:変わらないものって、自分で選ぶんじゃなくて、どんなに変化したとしても変わらずにある根底のことだと思うんです。どんなに自由なことをしても、変わらない部分っていうのが絶対にあると思う。だから、変化しないことをその人自身が選ぶのはおかしいっていうか。自分の中で取捨選択した上で、よしとする変化にはトライすべきだと思いますね。
人生で不安や迷いにぶつかったとき、なにを指針にして選択する?
―“Walk on”のミュージックビデオはHondaとのコラボレーションで制作されていますが、雨のパレードの中にはバイクに乗る人っているんですか?
福永:僕は中免を持ってます。もともと父親がバイク好きだったんですけど、小っちゃい頃は一緒に乗るのが怖かったんですよ。でも、原チャの講習受けたら、「めっちゃ楽しいやん!」ってなりました(笑)。やっぱり、自分で乗ると楽しいですよね。
山﨑:僕は前Hondaのフュージョンに乗ってました。定期的にバイク欲しい欲が出てくるんですよ。バンドマンでもツーリングに行く人がいて、たまに単車の画像をSNSとかに載っけてるのを見ると、「やっぱり欲しいなあ、乗りたいなあ」と思いますね。
―機材好きの山﨑くんは、バイクいじったりするのも好きそうですよね。
山﨑:そうですね。バイクってメカの塊っていうか、車では見えない部分がむき出しになってたりするから、ああいうの好きです。ロマンがありますよね。
大澤:私は中学校のときに高校の先輩が原付で登校してるのを見て、めっちゃ憧れてました。車の免許はちょっと怖いけど、原付は取ってみたいなって。
ミュージックビデオ撮影時のオフショット。雨のパレードと「Dunk」(サイトを見る)
「Honda×Music バイクに乗っちゃう? MUSIC FES.」サイトより
―2月からは『BORDERLESS』のリリースツアーが始まっていて、タイトル曲の“BORDERLESS”に代表される「多くの人を巻き込んで楽しむ」というモード自体、雨のパレードにとって大きな変化ですよね。ライブの手応えをどのように感じていますか?
福永:この1年がみんなで楽しむライブのよさに気付けた1年だったので、今回のツアーは僕らの新しい一面をまた見せられてると思うし、実際“BORDERLESS”はやっててすごく気持ちよくて、楽しいです。もちろん、アルバムには違う側面の曲たちもたくさん入ってるので、いろんな表現、見せ方をしてるんですけど、同期を入れることでできるようになったことがたくさんあって。例えば、“morning”を鉄琴とオムニコードでやったりとか、いろんな変化を僕ら自身が楽しめてますね。
―新しいチャレンジをした分、その曲をライブでお客さんに披露するときの不安や迷いもあったのではないかと思いますが、それに関してはいかがですか?
福永:“Ahead Ahead”のタイミングではそういう不安もあったかもしれないですけど、でも“Ahead Ahead”をライブでやったら、自分たちが思ってた以上に盛り上がって、それは僕たちにとっても嬉しいサプライズだったんです。その手応えがあったからこそ、もっといろんな曲に挑戦したい気持ちになって、“Summer Time Magic”や“BORDERLESS”を作ることができたし、その曲を演奏することもすごく楽しめています。
大澤:私にとっても“Ahead Ahead”が大きくて。あの曲をリリースパーティーでやったときの反応を見て、「これでいいんだ」って、肯定された感じがしました。今回のアルバムはあそこからのスタートだったんですけど、今は私たちも同期に慣れて、土台がしっかりした上で、ライブでどう見せるかを考えられるようになったし、お客さんと一緒に空間を作ることがすごく楽しくて。それは『BORDERLESS』を出したからこそ、感じられることかなって。
山﨑:僕も“BORDERLESS”をライブで披露する不安とかはなくて、徹頭徹尾楽しんでできています。今まで以上にお客さんに引っ張られるというか、より相互的なライブができてる感覚があるし、曲のバリエーションもいろいろあるから、よりドープな部分が際立つ見せ方もできてると思うので、自信を持ってライブができてますね。
―では最後にもう1問。不安や迷いが生じるのって、人生における重要な選択をするときだと思うのですが、そのときに自分のなにを指針にして、選択をするようにしていますか?
福永:僕はもともとあんまり迷わないタイプなんですよね。自分の中の物差しが結構はっきりしてて、好き嫌いはちゃんと決められるので……だから、直感ですかね。スティーブ・ジョブズの「直感に素直になった方がいい。直感はなりたい自分に素直だから」みたいな言葉を聞いたことがあって、それは自分にハマる言葉だなって思いました。
大澤:私は未来の自分を想像した上で決めます。今の自分よりも、未来の自分がどうなりたいのかを考えて、この選択が本当に正しいかどうかを判断する。
山﨑:なにかを選択するときって、どうしても悩むとは思うんですけど……でもやらない後悔は一生残るので、やらないで後悔するより、やって後悔する方がいいと思うんですよね。あとのことは意外とどうにかなると思って、思い切って飛び出すのはすごく大事なことなんじゃないかと思います。
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- 「Honda×Music バイクに乗っちゃう? MUSIC FES.」
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今を全力で走るアーティストとHondaでスペシャルコラボミュージックビデオを制作し、前に進むみんなを応援するプロジェクト。雨のパレードの他、マカロニえんぴつ、CHAI、the peggiesが登場。
- リリース情報
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- 雨のパレード
『BORDERLESS』通常盤(CD) -
2020年1月22日(水)発売
価格:3,300円(税込)
VICL-652651. BORDERLESS
2. Summer Time Magic
3. Story
4. Walk on
5. Trust
6. 惑星STRaNdING (ft.Dos Monos)
7. Hallelujah!!
8. EXIT
9. Gullfoss
10. Material
11. Ahead Ahead (new mix)
- 雨のパレード
- イベント情報
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- 『ame_no_parade TOUR 2020 “BORDERLESS”』
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2020年4月24日(金)
会場:福岡県 BEAT STATION2020年5月1日(金)
会場:大阪府 なんばHatch2020年5月6日(水・祝)
会場:鹿児島県 CAPARVO HALL2020年5月20日(水)
会場:東京都 EX THEATER ROPPONGI
- プロフィール
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- 雨のパレード (あめのぱれーど)
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福永浩平(Vo)、山﨑康介(Gt)、大澤実音穂(Dr)。2013年に結成、2016年メジャーデビュー。80'sPOP、インディR&B、エレクトロハウス、アンビエントなど様々なジャンルと洋邦の枠を超えた音楽性と、アナログシンセやサンプラー、ドラムマシーンなどを取り入れた、バンドという形態に拘らないサウンドメイクを武器に新世代のポップスを提唱する。2019年に入り現在の3人編成となり、シングル『Ahead Ahead』を携えて雨のパレード第二章の幕を開けた。続けて7月に『Summer Time Magic』、9月に『Story』を配信シングルとしてリリース。その枠にとらわれないボーダレスな音楽性に、アジアを中心に海外からの注目度も高まっている。2020年1月22日には4枚目のオリジナルアルバム『BORDERLESS』をリリース、2月から全国ツアー『TOUR 2020“BORDERLESS”』を開催。
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