フラカン、20代を振り返る。解散危機、失敗ライブ、ほしかった評価

フラワーカンパニーズというバンドは、デビューした1995年から2000年までと、2008年から2016年までの2回、メジャーレーベルに所属した時期がある。その1回目の方、ソニーミュージック傘下のアンティノスレコード所属時代にリリースした、VHS映像作品=下北沢CLUB Queでのワンマンを収録した『地下室からこんにちは』(1997年)、4thアルバム『マンモスフラワー』リリース直後に東京圏で1か月に6本のライブを行ってそれを収録した『Mammoth Club Circuit』(1998年)、日比谷野外大音楽堂と大阪球場でのライブを収めた『Live West & East』(1999年)の3作品は、これまで再発されることなく、長らくの間、入手不可能状態だった。

その3作品に、1999年2月28日に行った初の渋谷公会堂ワンマンの映像を新たに3曲加え、20年以上の時を超えて、Blu-ray2枚組という形態で2020年4月1日にリリースされるのが、『フラカン、二十代の記録-Flower Companyz Twenties Records-』である。

誰もが認める日本有数のライブバンドであるフラカンの、当時の姿を見ることができる、というだけでなく、ある意味日本のロックの歴史を知る上でも興味深い資料になっているこの作品について、当人たちに訊いた。

「ライブ中に横から走ってきてゴロゴロッて転がるのは、たぶん、俺が発明したような気がする」(鈴木)

フラワーカンパニーズ
左から:竹安堅一(Gt)、ミスター小西(Dr)、グレートマエカワ(Ba)、鈴木圭介(Vo)
名古屋が生んだ「日本一のライブバンド」フラワーカンパニーズ。通称フラカン。メンバーチェンジも活動休止も一切ないまま活動を続け、2020年4月23日には結成31周年を迎える。

―このたび再発するにあたって、映像は見直しました?

鈴木(Vo):全部見ましたよ、昨日。

―どんなことを思いました?

鈴木:めちゃくちゃおもしろかったね。

グレート(Ba)竹安(Gt)小西(Dr):(笑)。

鈴木:俺、とにかく自分の映像を見返さないから。でも取材があるから、そこで「見てない」じゃ話になんないな、と思って嫌々見たら、これがおもしろい(笑)。20年ぐらい前だから客観的に見られるというか、もう自分じゃないような感じ。

―20年前の自分はどうでした?

鈴木:「姿勢が悪いなあ」と思ったな(笑)。アゴがずっと前に出てるっていうのと、落ち着きがないよね。そんなにたくさん走り回らなくてもいいじゃない? って思ったり。ゴロゴロ転がっちゃったりしてるじゃない?

ライブ中に四つん這いになったりするのはさ、(忌野)清志郎さんが先にやってたし、ジャンプするのも(甲本)ヒロトさんが発明したと思うけど、ライブ中に横から走ってきてゴロゴロッて転がるのは、たぶん、俺が発明したような気がする。

グレート竹安小西:はははは。

鈴木:いないもん、他に。渋公の最後でも、わざわざ走って、受身とってゴロゴロ~ッて転がってるじゃない? あれは俺からあと、銀杏BOYZまで出てないよね?

鈴木圭介

グレート:(笑)。ゴロゴロ転がるのが、かっこいいか、かっこ悪いかは──。

鈴木:それは置いといて。「発明してんなあ、俺」と思った。

竹安:だってあれ、ちょっとした自傷行為だもんね(笑)。

グレート:あれで竹安のエフェクター、踏んじゃったりしてたじゃん。

鈴木:そう、音出なくなっちゃってさ。

グレート:それ、このCLUB Queの映像にそのまま残ってる。あれが日常だったからね。

竹安:音が止まってもいい、音より大事なことがある、みたいな。

鈴木:ほんとそうだよ。今日はどんだけ転がったかが、ライブの良し悪しだと思ってたから。でも俺、それを見て「ヤバい! 今の俺、負けてる」とはまったく思わなかった。あの頃は「歌を伝える」っていうことをしてないんだよね。動きを出さなきゃいけないとか、ステージングのことばっかり考えてる。ああいうふうに、必要以上に動かないといけないというのは、今はなくて。逆に、止まった方が伝わるっていうふうに考え方が変わってるから。

「音楽に対する姿勢、ライブに対する姿勢が、今と全然違う。『俺、このガッツは、今のフラカンでは出せてねえな』と思った」(グレート)

―いつ頃からそう変わったんでしょう?

鈴木:30代の、やっぱり“深夜高速”ぐらいからかもしれない。それまでは、やっぱさ……特に今回のBlu-rayになってるライブの時期、何にいちばんジレンマを感じてたかっつったらさ、正当に評価されてないっていう。

グレート:そうね。

鈴木:売れる売れないじゃなかったんだよ、俺。男のお客さんが来ないとか、業界の人がまったく評価しない、アイドルバンドみたいな扱いをされてるのが不満だった。歌も評価されてなかったし、演奏も評価されてなかったし。それが“深夜高速”ぐらいから、ちゃんと歌が評価されてる、ちゃんと自分の歌が届いてるっていう自信につながって、完全にシフトが変わったんだよね。

深夜高速 [LIVE at 東京日比谷野外大音楽堂(2013年4月21日)]

鈴木:それを考えると、この映像作品の時期のライブは、その必死な感じが、「ああ、今は絶対できないなあ」という。やりたいとも思わないし。たとえば10代の気持ちをずっと歌い続けるバンドってあるじゃん。そういうバンドじゃないから、俺らは。歳をとった自分を歌いたいと思ってるから。だから距離感がとれて、嫌じゃなく見られたんだよ。

―竹安さん、今はギター、SG1本でライブをやるじゃないですか。この当時は1回のライブでやたらとギターを持ち替えてますよね。

竹安:そうだね。機材もいろいろ試してるし、いろんなギター使ってるし。ギターソロとかも、弾きまくっていて、やり散らかしてる。すっごいわがままなギター弾いてんだけど、でもなあ……かっこいいなあ、と思って(笑)。あきらかに、自分のピークはこのへんにあったな、っていうか。

竹安堅一

鈴木:痩せてるもん。

竹安:しかもね、途中から「あ、太りだしたな」っていうのがわかる(笑)。特に『Mammoth Club Circuit』あたりはね、かなりイケイケだった気がする。あの頃はなんか、自分でもわかんない力が作用してたのかな。

グレート:これを発売するにあたって、ボーナストラックにするライブ映像を探して、いろいろ見ていて。それで、初めてやった渋谷公会堂、1999年2月のやつの映像が、スペースシャワーTVの番組になって残ってたんだ。そっから3曲ボーナストラックにしたんだけど。

その番組を見たら……渋公ってさ、ことあるごとに俺らも言っとったけど、失敗だったって思っとったじゃん。(インタビュアーも)そう書いてたでしょ?

―はい、フラカンの単行本にそう書きました。あのライブの日、失敗だと思って、重い気持ちで帰ったのを憶えています。

グレート:初めてのホールライブだったし、ライブハウスのノリと全然違うから、俺たちも戸惑ったっていうのもあるんだけど。でも、こと演奏に関しては、映像を見たら、「こんなによかったんだ?」と思って。緊張感もあるし、「俺たちこんなに爆発しとったんだな」って。音楽に対する姿勢、ライブに対する姿勢が、今と全然違う。特に自分は、もうあきらかにテンションが違うよね。「ここで一発絶対やったる!」みたいな。動きとかじゃなくて、うまい下手でもなくて……それを見た時にね、ヤバいなと思ったんだ、俺は。鈴木と違って。

グレートマエカワ

―この頃の自分に負けていると。

グレート:「俺、このガッツは、今のフラカンでは出せてねえな」と思ってね。まあ、しょうがないとこもあるのはわかるんだけど──。

―ライブの本数の多さとかね。

グレート:あるけど、でもそれは言い訳なんだよ、やっぱり。これはいかんぞと思って、年末ぐらいからライブのやりかたを全然変えた。気持ちの入れ方が絶対足りねえなと思って、今すごい模索してる。全然まだ見つかってないけど。昔の自分に負けてる。このままじゃダメだなと思った。それぐらいショックだった。

小西:若いから勢いがあるっていうだけじゃなくて、今は絶対出せないような……4人でバーッて行く時の勢いに、まずびっくりした。歳をとってくるとさ、いい意味で力を抜いて余裕を持ちたいなって思うようになるじゃない? そうしないと続けられないとも思うし。でも、そんなこと一切考えてない、ほんとにしゃかりきだったのが、見て改めてわかった。

ライブって自分たちでは見られないじゃないですか。当時、「フラカン、ライブいいよね」って言われても、うれしいけど自分たちではわからなかったし。それが、この映像を見て「あ、こういうことだったのかも」って、ちょっとわかった気がした。

「まだライブの文化ができあがる過程の時代だよね」(鈴木)

―下北沢CLUB Queで収録した『地下室からこんにちは』と、都内で1か月に6本やってそれを追った『Mammoth Club Circuit』は、映像作品を作るためにライブをやっていますよね。

グレート:そう、映像撮るためのライブ。もう1本の大阪球場もそうよ? あれ、大阪球場が取り壊しになる時……1998年の8月なんだけど、きっかけになったのはその年の4月くらいかな、(ザ・)ハイロウズが大阪球場でライブをやったのよ。当時ハイロウズの制作スタッフをやっていた人が俺たちのライブ制作もやっていたので、「思ったより安くできるみたいよ。やりたい?」「やりたいやりたい!」って。お客が集まるはずないのに大阪球場をやるのはむちゃだけど、そのあとビデオにすれば予算的になんとかできるかも、って、強引にやらせてもらった。あれこそビデオありきだったよ。

グレートマエカワ

―で、CLUB Queは逆ですよね。当時、もっと大きいキャパでワンマンやってたのに、映像作品のためにあえてQueで。

グレート:わざとああいうグシャグシャな映像でね。当時のレーベルの担当の前田さん、今のサミー前田(プロデューサー / DJ)が……フラカンのライブのよさっつうのはグシャーッてなってるガレージっぽいところだから、それを出したいっていう意向があって。あと、何よりもよかったのは、俺たちがいたアンティノスレコードのボスが、坂西伊作という、映像の人だから。

―はい。元はエピックにいて、日本のミュージックビデオの創世期を作った映像ディレクターですね。

グレート:そこが幸運だったんだよね、俺たちは。伊作さんのレーベルだったことで、あれだけ短期間のうちにライブビデオが何本も出せたと思うし、大阪球場もやれたし。

―フラワーカンパニーズの1990年代末期の記録というだけじゃなくて、当時のロックシーンや、当時のライブ状況の記録、という意味でも、おもしろいと思って。たとえば大阪球場のライブ、炎天下で、お客さんがノースリーブ着てるんですよね。

グレート:ああ、今だったらありえないね。

―スチールカメラマンが白いTシャツを着てるとか。本番中に、ソデにいるスタッフが、タバコ吸いながら舞台を見てるとか。

鈴木グレート小西:はははは。

竹安:そういう時代だったんだね。

鈴木:フェスって言葉もまだ浸透してなかったしね。『フジロック』が始まったくらい?

グレート:真夏の野外とかね、まだみんな不慣れで──。

鈴木:だから倒れちゃったんだ。

―(笑)。そうだ、大阪球場のリハで、竹安さんが熱中症でダウンするシーンが入っていますよね。

竹安:あれ、気づいた時にはもう遅いんだよ。ほんとに立ってられなくなっちゃって、リハの途中で「もうダメだ」って。本番まで横になって、ずっと冷やしていて。だから、その日のことは何も憶えてないというか、映像を見ても、架空のことみたい。

グレート小西:(笑)。

鈴木:でもそのわりには、ちゃんとライブやってるんだよね。

―あと、CLUB Queの映像、前の方のお客さん、圧死しそうじゃないですか。みんなギュウギュウ前に押し寄せていて。

グレート:ねえ? あれ、満員なのに、始まると後ろの方、全然いなくなっちゃうぐらい、みんな前に行っちゃうんだよね。

―僕はこの時、後ろの方にいたんですけど、確かにそうでした。前の方、ほんとに危ないですよね。今のモッシュの方がよっぽど安全というか。

竹安:そういう暗黙のマナーみたいなのが、まだない時代だよね。暴れてる子たちも、みんな自分勝手に暴れてる。

グレート:ミッシェル(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)とかは、もっとだと思うよ、あの当時ね。

―豊洲の第2回の『フジロック』(1998年)で、将棋倒しが起きて演奏中断しましたよね。

鈴木:まだダイブとかが定着してないよね。お客同士の助け合いみたいなのも、まだ……あれ? でももうハイスタ(Hi-STANDARD)、いたよね?

―ハイスタのライブもけっこうグシャグシャでした。下北沢SHELTERで、お客がいっぱいステージに上がってきて、エフェクター踏んじゃって、メンバーが「これじゃ演奏できないよ!」ってキレていたのを見たことがあります。

鈴木:まだライブの文化ができあがる過程の時代だよね。

鈴木が脱退を表明した、貴重な場面も。フラカンの31年の中で「いちばんヤバかった」時代

―大阪球場と日比谷野音がミックスされているライブ映像の、野音の方に貴重なシーンが入っていて。鈴木圭介が、実は脱退を決意していて、“元気ですか”の最後に「今までありがとうございました!」って叫ぶ。

鈴木:そうそう。

グレート:俺らの単行本にもそのことが書いてある。そのシーンが入ってるという。

鈴木:今見ると、あっさりしてんね。俺はもっとさ、「今まで、ありがとうございました」みたいに、かしこまって言ってるもんだと思ったら、「あれ? 今のとこ? これが、後に俺がインタビューとかでさんざん言った、脱退を決意しての言葉?」と思ってさ(笑)。逆にグレート、これでよく気づいたなと思った。

グレート:だから、いかにこの時のバンドの状態が悪かったか、ってことだよね。バンドに求心力がまったくない、俺はリーダーだからよけいそれを感じる、「これはもう本当にヤバいぞ」と思っとった時だから。

鈴木:ああ、という状態の時に、あの言葉が出たから──。

グレート:そう。鈴木があれを言った次のカットの俺、「あ、こいつ、言いよったな」と思った顔、してるしね。フラカンの31年の中で、いちばんヤバかったのはこの頃だから。『Prunes & Casterd』(1999年)をレコーディングしていて、なかなかうまくいかんし、自分の気持ち的にも最悪だったし。その頃のことは鮮明に憶えとる、いろいろ。

フラワーカンパニーズ『Prunes & Casterd』を聴く(Apple Musicはこちら

時代を先取りした画期的なライブ演出。失敗だと思っていたが、今振り返ると気づくこと

―ボーナストラックの渋谷公会堂の“夜明け”。曲中にスクリーンを出して映像を映すっていう演出、工夫したんだろうけど、フラカンには合わん! と、客席で思ってました。でもこのたび見直したら「あれ? いいじゃん!」と。

鈴木:(笑)。そう! そうなのよ!

グレート:まったく同じことを思った、俺らも。当時、スタッフから出たあのアイデアを……まあやってみようか、初めてのホールライブだし、そういうのもいいのかな、と思ってやったんだけど。その時は、お客さん、全然喜んでる感じしなくて、それがダイレクトにわかったから、終わったあとに「失敗だな」と思ったんだよ。そんなことやったのも忘れて、20年ぶりに見たら「あれ? 意外といいな」って思ったんだよね。

―ステージの前にスクリーンを出して、映像を映して、後ろでメンバーが演奏しているっていう。あれ、今はめずらしくないけど、当時はあんまりなかったですよね。

鈴木:そう、新しかったんだよ。まだビョークとかRadioheadぐらいしかやってなかったんじゃないの?

―Corneliusより早かったかも。

鈴木:え、俺たちCorneliusより早いの?(笑) すごいじゃん!

だからさ、そういう演出が似合わないバンドっていうふうに自分たちで思ってたし、身近な人とかお客さんもそう思ってたんじゃない? 「そういう小細工、要るかなあ?」っていうのも俺はあった。4人の演奏だけじゃもたないから、そういう小細工を入れるんだ? っていう。そういう信頼されてない感じが寂しかったな、と思ってたんだけど、今見ると感動的だよね(笑)。

小西:あのスクリーンが、アウトロまで結局上がらないっていうのがびっくりした。途中で上がってメンバーが見えると思うじゃん。だから、当時としては斬新なことをやってたんだなと思うのと、あと、ステージセットが組んであって、ドラムの後ろに高台があって、間奏で圭介がそこに上るとか。ああいうのって、中学高校の頃に、Aerosmithのライブビデオで──。

ミスター小西

鈴木:そう、上った時に「スティーヴン・タイラーだな、これ」って思ったもん。

小西:最後にはグレートと竹安が、そこに上がってバーッと弾いて。

グレート:しかも、竹安がジャンプするなんて、今まで3000本近くやってきたライブの中で、たぶんあれだけじゃないかな。俺、ビデオを見て、「うわ、飛んだ!」って笑っちまって(笑)。

―セットも豪華だし、機材も多いですよね。

グレート:そう。大阪球場もそうだけど、ギターアンプが俺の側にもあったし、ベースアンプが竹安の側にもあったし。

―というセットや機材が、2015年の日本武道館では、なんにもなかったという(笑)。ライブハウスと同じ仕様で。

グレート:そうそう。それはいいよね、俺たちらしくて。

竹安:まあでも、贅沢な時代だったよね。それを経験できただけでも、よかったなあと思う。

グレート:でも、大阪球場でやるって言ってもさ、グラウンドの一角しか使ってないっていうのがさ(笑)。

鈴木:スタンドにお客、ゼロっていう。

グレート:なんとも言えない、フラカンらしい感じの。あれは、その画も含めて最高だけどね。

―これからの話ですが、4月に、30周年のファイナルシリーズで、東名阪でホールライブをやるんですよね。

グレート:そう、それぞれテーマを設けて。まず、名古屋は、緑文化小劇場。緑区っていう、竹安の実家があって、俺ら3人の実家も近いところで……そこから出て来たんだよ、ってことを再確認できるようなライブをやろうと。

で、東京は世田谷区民会館。“深夜高速”も入ってる2004年の『世田谷夜明け前』っていうアルバムの全曲再現ライブをやってみたいな、やるなら世田谷がいいなと思って。4月23日がフラカンの31歳の誕生日だから、その日にやろうと。

フラワーカンパニーズ『世田谷夜明け前』を聴く(Apple Musicはこちら

グレート:大阪は、4月29日にメルパルク大阪。俺ら、47都道府県、どこもお世話になってるんだけど、特に関西って……デビューした時、大阪は東京よりも動員よかったし、最初にメジャーを切られた時も、よくしてくれる人がおってさ。清水音泉の清水さんとか。

―フラカンがお世話になっているフェス、『OTODAMA~音泉魂~』のイベンターですね。

グレート:そう。そういうふうにすごくお世話になった人が、大阪には多いから。30周年の本当のファイナルで……鈴木が51歳になる前の日なのね。だから、最後は大阪にしよう、っていうね。

リリース情報
フラワーカンパニーズ
『フラカン、二十代の記録-Flower Companyz Twenties Records-』(Blu-ray)

2020年4月1日(水)発売
価格:7,150円(税込)
DQXL-3582~3

[DISC1]
『地下室からこんにちは』(1997年3月21日発売)
『Mammoth Club Circuit」(1998年9月9日発売)

[DISC2]
『Live West & East』(1999年3月20日発売)
特典映像『1999.2.28 渋谷公会堂』ーSPACE SHOWER TV ROCKS presents フラワーカンパニーズ SPECIAL “Prunes & Custard”よりー(「台風8号」「夜明け」「小さな巨人」)

販売場所:Sony Music Shop、フラワーカンパニーズ ライブ会場、フラワーカンパニーズ web shop「ニワトリ堂」予定

プロフィール
フラワーカンパニーズ

名古屋が生んだ「日本一のライブバンド」フラワーカンパニーズ。通称フラカン。鈴木圭介(Vo)、グレートマエカワ(Ba)、竹安堅一(Gt)、ミスター小西(Dr)の4人組。1989年、地元の同級生によって結成。1995年にソニー・ミュージック内のレーベル・Antinos Recordsよりメジャーデビュー。インディーズレーベル・TRASH RECORDSからSony Music Associated Recordsを経て、2017年、自分たちのレーベル、チキン・スキン・レコードを設立。メンバーチェンジも活動休止も一切ないまま活動を続け、2020年4月23日には結成31周年を迎える。2020年4月1日に、Antinos Records時代にVHSでリリースされたライブビデオ作品をデジタルリマスターしたBlu-ray『フラカン、二十代の記録-Flower Companyz Twenties Records-』を発売する。



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