おしゃれってなんだろう? パーフェクトなルックスのモデルやインタスタグラマーたちが、日々ファッション誌やInstagramを通して、しつらえのよい服やアクセサリーを身につけて理想のビジョンを提供する。そのように流通しているファッションとはいったい誰のためのものなのだろうか?
そんな悩ましい疑問も含めて「ファッションとは?」を考える機会になるのが『ドレス・コード? ―着る人たちのゲーム』展だ。時代、地域、社会階層、文化に紐づくファッションのコード(規範)を多角的にとらえる同展では、西欧を中心としたハイファッションのみならず、俗に言うヤンキーやオタク系の文化風俗も取り上げられている。
そんなファッションの多面性を考えるため、同展出品者でもある都築響一に話を聞く機会をえた。独自の視線で日本のファッションを追ってきた編集者である都築は、ファッションをめぐる社会的なコードをどのようにとらえているのか。
(メイン画像 撮影:都築響一)
ファッションはいつまでヨーロッパ中心なのか?
―このコロナ禍をいかがお過ごしですか?
都築:取材に行けなくなってしまったというのはありますけど、もともと家で原稿書いたりするのが主な仕事なので僕の生活はほとんど変わっていないです。むしろ中止や休止になってしまった美術館がオンラインで新しいことをやっていて、それをチェックするのに意外と楽しく忙しく過ごしてます(笑)。世の中の大勢の人も「なんだ、朝から晩まで会社にいる必要なかったんじゃないか」と気づいたり、いろんなことを考え直したりするチャンスになっているんじゃないでしょうか。
―都築さんが参加されている『ドレス・コード? ―着る人たちのゲーム』展も開幕延期になっていますが(7月4日から開幕)、今日は展覧会やそこから派生して、アフターコロナのファッションや社会環境などについてお聞きしたく思っています。
都築:この展覧会は巡回展で、すでに京都(京都国立近代美術館)や熊本(熊本市現代美術館)などで展示をしてきました。だから参加の依頼を受けたのはずいぶん前なんですけど、僕に期待されていたことって、きらびやかなファッションの世界と現実の日常をつなぐ「何か」だったんだろうなと思っています。まあこれはかなりよい言い方で、ハイファッションばかりの展示のなかで「色物」「添え物」的な役割を求められたんでしょうね(笑)。
―そのぶんだけ都築さんが示すファッション観は幅広いですよね。例えば九州のド派手な成人式や、ロリータファッションの老舗「BABY, THE STARS SHINE BRIGHT」。日本のファッション史の多様性に驚かされます。
都築:雑誌編集者をやっていたこともあって若い頃からファッション好きだったし、周囲にも業界の友だちがたくさんいました。でも、ある時点からファッションのシーンがおかしくなってきた気がしていたんですね。僕が子供の頃は、ハイブランドの世界が中心にあって、その頂点にはフランスで行われるパリコレがありました。
そこで今年の流行色やスカート丈なんかが発表されて、1年ぐらいかけて世界の末端まで広がっていく……例えばブランド品を買えない人はそれを真似て作られた安い国産品を愛用したり、写真や型紙を参考にして近所の洋品店で作ってもらったり、自作したりっていう憧れをともなう文化の広がりがありました。
―はっきりとしたヒエラルキーがあった、と。
都築:ところが、ある時点からハイファッションがストリートの後追いになっていくんです。元田敬三さんの撮った革ジャンみたいに、まずストリートファッションがあってそれをうまくアレンジして高い値段をつけて売るっていうゲームが主流になっていった。
都築:もはや今シーズンのパリコレがどうだったかを気にしてる人は絶滅危惧種です。それに、昔は春夏と秋冬、レディースとメンズで4回だったのが、いまや倍以上あってわけがわからない。
それと、もう1つの問題意識としてあるのが「ファッションはいつまでヨーロッパ中心なのか?」です。この展覧会にはCOMME des GARÇONS(コム デ ギャルソン)やヨウジヤマモトのような日本人のブランドも紹介されてますけど、基本はヨーロッパ。そういう服は身長が180cmとかあるヨーロッパのモデルさんが着て一番きれいに見えるものなわけです。
それを僕ら日本人は裾を詰めたりして、いわばダウングレードして着ている。その背伸びする感覚も悪くないけれど、もっと日本で暮らす日本人の体型に似合うファッションもあるはずだろうと思って、ずっと取材を続けてきたんです。ところが、どこのファッション誌にもそんな情報は載っていないわけ(苦笑)。
―都築さんは、ファッション誌に載らないニッチなトレンドを探し続けてきたんですね。
都築:いや、その認識が間違ってます。珍しいものを探したわけじゃないんです。北九州の成人式は極端な例かもしれないけれど、あれは日本の成人式のある種の象徴みたいなもので普遍性があります。
都築:フリーペーパー『鶴と亀』が取り上げる田舎のじいさんばあさんたちの作業着もそうで、着ている人はたくさんいるのに、ファッションメディアが載せてこなかったものを取り上げているだけ。東京都心で暮らすファッション関係者だけが気づかない、大きなシーンがあるんですよ。
「僕たち」とは、ハイブランドに親しむヨーロッパの人ではないはず。
―先ほど挙げられた洋品店の文化も面白いですね。ロリータ服の「BABY, THE STARS SHINE BRIGHT」も、腰回りにゴム紐を使っているので男性や大柄の海外の人も着やすいと聞いたことがありますが、その融通の効く感じは日本ならではだと思います。
都築:ベイビーがゴム紐使ってるかはわからないけど(笑)、日本はどこの町の商店街にも洋品店がある洋品店文化の国です。ジーンズなんかも10分くらいで丈詰めやウェストの直しをパッとやってくれる。
僕が驚いたのが、でかいブルドッグが目印の「ガルフィー」のような、いわゆる極道ジャージ。浅草に行くとガルフィーのメンズが売ってたりするんですけど「丈はどうするの?」って聞かれるんですよ。まさかジャージのお直しまでしてくれるなんて! 原宿のアディダスやナイキでは絶対やってくれないでしょう。
―たしかに「ちょっと体型に合ってるとは思えないけど、背伸びして買うか……」ってなりがちです。
都築:そう考えると、ハイブランドと洋品店のどっちが客にとってよい店なんだろうと考えちゃいますよね。後者だったら気に入ったジャージの袖を7分丈にして夏物にしてくれるんですよ。僕がCOMME des GARÇONSに行って「このコットンセーターの袖を短くして」なんて言ったら、ただの嫌がらせになっちゃうよね。
―出禁になりそうです(笑)。
都築:つまり、ハイファッションの世界はデザイナーの世界観に自分をいかに近づけさせるかという力学で動いてるんです。でも、正直に言ってそれは人生においては例外的なもの。野菜を食べやすいかたちに切るのと同じように、商品をいかに自分にとって使いやすいように近づけるかが生活の大部分じゃないですか。
ところが、いまの僕たちは、できあがった世界観に無理して自分を合わせることに慣れすぎちゃってる。そして、そこで考えるべき「僕たち」とは誰のことなのかを考え直す必要があると思うんです。
―僕たちが日本人であることが、ないがしろになっている。
都築:スナックのママたちが着てる「お水スーツ」の取材をして、そのことを教わりましたね。みなさんご存知ないと思いますが、お水のファッション業界ってものすごく巨大なんですよ。何しろ日本中の水商売の人たちが着ているんだから。
都築:あるメーカーの社長に聞いたんだけれど、アパレル、衣料品業界全体から見るとデザイナーの名前がブランドになっていて雑誌に紹介されるような衣料品の流通量は全体の3割ぐらいしかないそうなんです。お水スーツを作っていたりするような無名の会社が大半で、そこで経済が動いている。
でも、ファッション雑誌に広告を載せてもらえないから、ファッション好きの人たちからの知名度が低い。それを考えると、僕たちが好む「ファッション」ってなんだろうか、って思っちゃいますよね。
―ハイブランドとインディペンデントとファストファッションしか存在しないかのような。
都築:「お水スーツ」は製造環境も優れています。岐阜や大阪に本社がある場合が多いんですけど、それはいろんな業者が県内に集まっているからでデザインをおこしてサンプルを作るまでの工程がわずか3日くらいで済んじゃう。東京だったら1週間以上かかるかもしれないのに。さらに日本中の水商売のお店に無料のカタログを配布して、日英中韓4か国語対応のコールセンターが24時間動いてる。物流としてもはるかに進んでいるんです。そういった7割側の世界を知らずに、3割側の世界だけでファッションについてごちゃごちゃ言うのはすごくカッコ悪いことだと思うんですよ。
いまが、ファッションってものを考え直す時期。みんなが「このままでいいの?」と思い始めている。
―言い換えると、3割の世界は東京に象徴される「都会」のファッションで、7割の世界は地域や個人に根ざしたファッションのように思います。
都築:そうですね。そして、地方のファッションを本当にカッコいいと思ってる人が増えている気がします。都会にはない地方にあるもののよさを若い人たちが意識するようになってきている。
これって、現在の新型コロナウイルス対策にも当てはまることだと思いませんか? 過密で身動きのとれない東京よりも、地方の自治体のほうが迅速で的確な対策ができている。今回の流行で、東京の優位性が揺らいでいますが、そこにもファッションの動向と符合するものがあると感じます。
僕自身、地域の町おこしに関するトークに呼ばれたりするんですけど、結局そういうのを企画してるのは東京のプランナーとかで、「いかに賑わいを創出するか」みたいな、本人が主体的に考えたわけでもない適当なことを言って儲けてる人ばかり。そういう東京モデルを地方に輸出してビジネスしよう、っていう発想も今後揺らいでいくのではないでしょうか?
―展覧会のタイトルに紐づけるならば、それも「コード(規範)」なんでしょうね。ファッションやカルチャーの発信の仕方、流通モデルは東京中心であるべきだ、という規範にとらわれている。
都築:いまが、ファッションってものを考え直す時期なんだと思います。みんなが「このままでいいの?」と思い始めている。たった数回しか着ずに着なくなるものがあまりにも多いファッション業界は環境汚染の一大汚染源になっているし、貧しい人に分け与えるようなサイクルも慣行的に生み出しにくい。そういったいろんな歪みが、ここ数年で一気に噴出しています。
その意味でいうと、この展覧会にファッションの「これから」を無責任に定義するようなものがないことに好感を持っています。僕たちが洋服とともに考えたり感じたりしてきたことを、ここでは立ち止まって振り返ってみよう、という意思を僕は受けました。
メディアが言いたい「メジャー」と、大衆が支持する「マス」を混同しないことが大事。
―都築さん自身はファションの現在をどのようにとらえていますか?
都築:これはファッションに限らずですが、トレンドってものが通用しない世界になりつつあると思います。音楽の場合だと、昔のようなハードロック、パンク、ニューウェーブのような時代を代表するトレンドがなくなって、一人ひとりが自分の好きな曲をミックスして聴いている、全部がぐちゃぐちゃになった時代。流行色やスタイルを示せなくなったファッション業界も同様じゃないでしょうか?
―しかし、その雑多な状況はポピュリズム(大衆主義)の台頭ともリンクしているようで、不穏さも感じます。
都築:自分の仕事に引き寄せて言うと、僕がずっと取材してきたのは「マス(集団・大衆)」なんですよね。それはトレンドに関連してメディアがよく言う「メジャー」とは微妙にニュアンスを異にするもの。
例えばオリコンのランキングを見るとランキングはごく一部のアイドルに席巻されているけれど、飲み屋やカラオケでは中島みゆきの“糸”(1998年)とかが歌われ続けて、いまだにカラオケチャートの最上位に入ってたりする。そういう事実が、メディアによって脚色されてない「マス」だと思います。メディアが言いたい「メジャー」と、大衆が支持する「マス」を混同しないことが大事です。
―たしかに政治的に言われるポピュリズムの台頭も、メディアが先行してイメージづけている感覚はありますね。
都築:「見ろ」と誘導されるものだけを見てる場合じゃないよ、ってことでしょうね。『鶴と亀』のじいさんばあさんたちのファッションも、目を開けばそのあたりにたくさんあるわけです。でも「見ろ」と誰かに誘導されてこなかったから、とくにファッションやアートの人たちは見てこなかった。
―いっぽうで情報が過剰に溢れすぎていて、キュレーションと呼ばれるような「見ろ」の誘導なしには迷ってしまう人も多くいる気がします。
都築:そうですか? 情報が過剰であると考えてるのは、日常的に新しい情報、他とは違う情報に触れることを仕事にしている編集者みたいな人種だけのニッチな悩みだと思いますよ。例えばイオンタウンで生活も遊びも補うような地方の子たちにとって、情報過多で頭がパンクするような感覚はないんじゃないでしょうか。
むしろ自分がアクセスできるものが限られてることでえられる洗練のほうが面白いと僕は思います。地方にはユニクロとしまむらぐらいしかないだろうと都会の人間は言いますが、イオンタウンでうろうろしている女の子のジャージの着こなしはめちゃくちゃかっこいいですよ。
上下でサイズを変えたり、アクセサリーを加えたりして自分なりのDIYを楽しんでいる。洗練っていうのは、お金や情報のあるなしじゃないんですよ。自分が着ることについて自信を持つのが本当の洗練。大きな犬が付いてるジャージだって、かわいいなと思って30年間着続けたら、それはめちゃくちゃ似合うスタイルになっている。
―たしかに。
都築:結局ハイファッションって、お手本着こなし、お手本体型に基づいてるんですよね。どれだけ財産をはたいてお手本に近づけるか、高い服を無理して着て、雑誌に載ってるようなカフェに行って優雅に足を組んでお茶を飲めってことになっちゃう。
でも、そういう誘導から逃れて、自由になれたらもうお手本なんて関係ないわけです。自分は全身ヒョウ柄で行きます、みたいな。それを見た他人は一瞬「え!」って奇異な視線を向けるけれど、それを跳ね返す力さえあれば、それは「着こなせてる」ってこと。
半世紀近くド派手なお水スーツを着たスナックのおばあちゃんがかっこいいのも、農作業のために孫のジャージや帽子を着てるじいさんばあさんがかっこいいのもそういうことですよ。ズボンのチャック全開でも堂々としているかっこよさがある。僕はそれを見て欲しいわけです。表面的な珍しさの奥にあるに自信を見出してもらえたら、いちばん嬉しいですね。
- イベント情報
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- 『ドレス・コード? ―着る人たちのゲーム』
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2020年7月4日(土)~8月30日(日)
会場:東京都 初台 東京オペラシティ アートギャラリー
時間:11:00~19:00(入場は18:30まで)
休館日:月曜(祝日の場合は翌火曜)、8月2日(日)(全館休館日)
料金:一般1,200円、大高生800円
※中学生以下無料
※障害者手帳をお持ちの方と付き添いの方1名は無料
- プロフィール
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- 都築響一 (つづき きょういち)
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1956年、東京生まれ。1976年から1986年まで『POPEYE』『BRUTUS』誌で現代美術、建築、デザイン、都市生活などの記事を主に担当する。1989年から1992年にかけて、1980年代の世界の現代美術の動向を包括的に網羅した全102巻の現代美術全集『アート・ランダム』を刊行。以来、現代美術、建築、写真、デザインなどの分野での執筆活動、書籍編集を続けている。1993年、東京人のリアルな暮らしを捉えた『TOKYO STYLE』刊行。1996年発売の『ROADSIDE JAPAN』で『第23回 木村伊兵衛賞』受賞。現在も日本および世界のロードサイドを巡る取材を続行中である。
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