なんて悲しく、無力で、それでいて優しく美しい歌たちだろう。betcover!!から届けられた2ndフルアルバム『告白』は、2020年という、この混沌とした時代の騒々しいざわめきを背景にしながらも、どこまでもあたたかな手触り、耳触りを感じさせる作品だ。
前作『中学生』までの弱々しくもギラついた少年の眼差しは、いつの間にか、喪失の先を見つめる青年の眼差しへと変わった。生まれたときには世界から失われていたもの、誰もが持っているはずなのに自分の手にはなかったもの……そうした「ない」ものを思い、嘆き、それがときに怒りへと変わった季節は過ぎ去って、この2020年にヤナセジロウは、ただ率直に、「愛している」といっている。「生きたい」といっている。「優しくありたい」と願っている。
怒号も悲鳴も笑い声も銃声もけたたましく鳴り響き、街から人がいなくなっても、あらゆるノイズが耳に入り込んでくる今、この世界のなかで、「告白」――この言葉の、凛として、孤独で、生々しくも不可侵な響きに身を預けてみる。少し、安心できる。「普遍」とは、こんな音楽にこそ相応しいのだと、このアルバムを聴いていると思う。
相変わらず、苛立ちも恐れも消えてはいないし、自嘲とユーモアも冴えわたっている。しかし、取材現場に現れたヤナセジロウは、1年前と比べると格段に穏やかで落ち着いた表情を浮かべていた。
「今の世の中、つらすぎませんか? 世の中にはこんなに悪意が溢れているのかと思うと、息が詰まるんですよ」
―新作『告白』、普遍的な悲しさと優しさに満ちている作品だなと思って。素晴らしかったです。
ヤナセ:今回は、実験作です……といっても、サウンドがっていう意味ではなくて。サウンドは、むしろ『中学生』よりも統一されていると思うんですよね。急に変な音が聴こえてきたり、低音をめちゃくちゃ出したりしているわけでもない。今回、そういうものは全部削って、ストレートに曲を聴かせる方向にいきました。結果的にキラキラした、歌として聴きやすいものになっていると思います。大衆性っていうものを、自分なりにですけど、意識したアルバムです。
―「大衆性」という言葉が出たうえで不毛な質問だとは思うのですが、「このアルバムはどんな人たちに向けられているのか?」と問われれば、ヤナセさんはどう答えますか?
ヤナセ:う~ん……漠然と、「現代社会を生きる、すべての人々に向けて」っていう感じですけど。でも、より埋もれている人たちに聴いてほしいかな。どうしようもない人たち。どっちにもいけない人たち。自分の意思をハッキリと発言することもできず、かといって、なにもしたくないわけじゃないし、傍観しているだけではダメだと思っているような人たち。そういう人たちには響くんじゃないかと思います。あとは、音楽が好きな人たち。
―うん。
ヤナセ:ただ、大衆性といっても、別に曲のなかで他の誰かの話をしているわけでも、大きな規模の話をしているわけでもないんですよね。結局、「ひとりの人間の、ひとりの歌」っていうのが、ずっと自分の曲作りの根本だから。
それでも、今は生きづらい世の中じゃないですか……鮮明すぎて。この鮮明さのなかで、零れがちな本質を探りたいと思って。曲を書くにあたって一番心がけたのは、どれだけ真っ直ぐな心を持てるのか、どれだけ真っ直ぐに向き合えるのかっていうこと。
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―「鮮明すぎる」というのは?
ヤナセ:Twitterなんかを見ていても、毎日しんどくて……今の世の中、つらすぎませんか? 世の中にはこんなに悪意が溢れているのかと思うと、息が詰まるんですよ。一方的な価値観や偏見にまみれた、本当に頭が悪い猿みたいな人たちがウヨウヨいて、無防備な人たちを攻撃している。なんでそんなに悲しいことができるのか? 想像力がなさ過ぎるのか? もうブチ切れですよ、こんなクソしょうもない人間たちがいるのかと思うと。
でも、ああいう悪意って、特殊な人たちだけが持っているわけじゃなくて、誰にでも普通にあるものなんですよね。どれだけ大人しく優しい人でも、恐ろしいことは考えているものだと思う。今は時代が、普通の心のなかにある卑劣さを引きずり出してしまっている、というか……。
「ネットが普及した以上、悪意は加速していくだろうし、もう収拾がつかない」
―うん、わかります。
ヤナセ:それが目に見える形になると、怖くなっちゃうんですよね。なまじっか、その悪意には自分も心当たりがあるし、今までの自分とも重なる部分があるから。
Twitterで酷いことを書いている人だって、家に帰れば家族に優しく接するだろうし、コンビニの店員にだって「ありがとうございます」というだろうし、人への思いやりもあるだろうし。全員が全員、自分の殻に閉じこもった人間ではないと思うんです。でも、悪意が湧き出てしまう。悪意の誘惑に、誰もが負けてしまう。
ヤナセ:だからこそ難しい問題だし、この先よくなることもないだろうし……ネットが普及した以上、悪意は加速していくだろうし、もう収拾がつかなくなって、無理な人はネットから離れていくしかないと思う。でも、その悪意が現実世界にも及んでくる話にもなってきて、それがまた恐ろしくて。もう、どうしようもないのかなとも思うけど。
だから……「誰に向けているのか?」と問われれば、betcover!!を聴かないような人たちに向けているっていうのが一番かもしれない。もう聴いてくれている人たちは、わかってくれていると思うので。僕の音楽を聴かないような人たちに聴いてもらいたいです。
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自身の内面世界を研ぎ澄ます箱庭的な表現にケリをつけ、小袋成彬らの協力を仰いだ理由
―自分と価値観の違う他者や、あるいは時代そのものと向き合おうとする意識はずっとヤナセさんの音楽のなかにはあったと思うんです。ただ、『中学生』までの作品が「ヤナセジロウvs世界」という構図で成り立っていたとしたら、この『告白』は、身近な人たちとの細やかな関係性を積み重ねることで形作られている、とても穏やかな作品、という印象を受けました。
ヤナセ:今回は、陰気な感じにはしたくなかったんです。音楽的にも、一緒にライブをやっているバンド(Ba・吉田隼人、Dr・岩方ロクロー)のメンバーで録音したんです。それに、“告白”のキーボードは爆弾ジョニーのロマンチック☆安田さんに弾いてもらったし、“Love and Destroy”は小袋(成彬)さんにプロデューサーとして入ってもらったし。
―小袋さんとの制作はいかがでしたか?
ヤナセ:初めて共同作業で曲作りをしたって感じでしたね。僕は多摩出身だけど、小袋さんも子どもの頃、府中のほうの塾に通っていたらしいんですよ。なので、日本でお会いできたときに、「ああいう空気感にしましょう」と話し合って。そこから結構、データのやりとりも重ねました。
「betcover!!はあくまでソロプロジェクト」みたいな感じは、もうイヤになってきたんですよね。箱庭で終わらせたくない。僕はずっと、「あくまでもバンドのボーカルなんだ」っていう意識でやってきたし。
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―そこは一貫していますよね。もう何度も取材させてもらっていますけど、ずっと、ヤナセさんには仲間を探している感じがあった(関連記事:betcover!!の苛立ち ロックシーンへの愛憎入り交じる想いを語る)。
ヤナセ:「宅録系」みたいな括りにはされたくないから。『中学生』は、「自分が好きなものを一度突き詰めて、それから次にいこう」って最初から決めていたからああいう箱庭的なアルバムでもよかったけど、20歳になったことで年齢的な区切りもついたし、今回はもうちょっと成長した感じがします。
社会性が出てきたというか、自慰的になりたくないと思ったんです。バンドメンバーとのコミュニケーションとかも含めて、人の手に委ねる勇気を出せるようになったと思います。
「人と接することが前まではすごくイヤだったんですけど、その性格のせいで、どんどん自分がつまらない人間になっていくのがわかったんです」
―あと……今日、会ったときから思っていたんですけど、ヤナセさん、1年前と雰囲気がだいぶ変わりましたよね。穏やかになったというか。
ヤナセ:単純に、前よりも人として落ちついたからかな。捻くれが収まってきたというか。最近、笑顔のトレーニングとかしてますもん(笑)。
―(笑)。
ヤナセ:人と接することが前まではすごくイヤだったんですけど、その性格のせいで、どんどん自分がつまらない人間になっていくのがわかったんです。だから、ちょっとだけだけど、積極的に人と接するようになってきて。最近、人とのコミュニケーションがすごく面白いんですよ。
「人が今、なにを考えているんだろう?」って想像したり、「これは一方的な言い方になっていないかな?」とか、相手の立場に思いを巡らせてみたりすることが楽しい。結局、なにがよくて、なにが悪いかは、最終的には自分で決めなきゃいけないじゃないですか。
―うん、最後には自分で決めなきゃいけない。
ヤナセ:でも、そのうえで、違う人の考えを否定せず、その人の気持ちになって考えてみる。当たり前のことなんだけど、それが今まではできていなかったなと思う。「自分の考えがすべてだ」っていう子どもっぽいところがあったけど、それを意識的に直していこうと思って。なので、人間的にもだいぶ穏やかになりましたね。
―そういう人間的な変化が、このアルバムのサウンドにはすごく出ていますよね。
ヤナセ:そうなっていたらいいなと思います。……まぁ、かといって、このアルバムの大衆性がどんなもんかは、自分でも想像はついているんですけどね。
―どのくらいの想像なんですか?
ヤナセ:このアルバムが受け入れられる大きさとか広さは、きっと、今までと大して変わらないと思う。もちろん、広げていきたいっていう気持ちはあるけど……でも、現実は厳しいから。
「日本なんて、沈みゆく国じゃないですか。音楽業界だの、日本の文化だのは、もうこれ以上よくなることはないと思う」
―なんだろう……言い方は悪いかもしれないけど、諦めのようなものが、今のヤナセさんのなかにはある?
ヤナセ:これまでもずっと、諦めはあったんですよ。それがこの数年間で、より鮮明になってきたんですよね。もう仕方がないと思うんです、希望を持っても。特に日本なんて、沈みゆく国じゃないですか。音楽業界だの、日本の文化だのは、もうこれ以上よくなることはないと思う。今だって、日本の音楽は滅びかけていますよね。国にも、世間にも見離され、害悪とされて。毎日考えるんですよ、「今、音楽をやっていて、どんな意味があるのか?」って。
ヤナセ:こうやってレーベルの人がいる前で言うのはなんだけど、僕はもう、これ以上売れるとも思えない。そろそろ別の仕事を探そうと思っているくらいで。まぁ、レジもまともに打てないんで、それも難しいのかと思うんですけど(笑)。
―(苦笑)。
ヤナセ:この国でやっていくからには、諦めは付きものだと思う。そうでなければ、海外でやればいい。日本でどうこうするっていうのは、もう無理な話。日本で上手くやりたいのなら、一番大事なものを捨てて金を稼ぎにいくか? って話になるけど、できる人はやればいいけど、僕は、それもできないから。
―うーん、なるほど。
ヤナセ:……でも、そんなことを言ったり考えたりしていても、音楽しかできないし。自分が思っていることはそのまま曲になるし、作れる曲しか作れないし。
―うん。
ヤナセ:このアルバムを録ったのは2月くらいだけど、図らずとも、コロナの騒ぎがあったうえでの、今の自分の気持ちにフィットするなと思うんですよね。
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ヤナセ:コロナがあって、自粛期間があって、音楽に対するこの国の考え方が見えてきて、偏見や差別の問題があって……すごい年じゃないですか、2020年は。
目まぐるしい年だけど、このアルバムも本当に目まぐるしく変わっていく。でも、これが2020年の自分の感覚だと思うし、この感覚は、求めている人にはちゃんと響くはずだと思う。
沈みゆく国で、なぜヤナセジロウは音楽を作るのか? 日々苦闘を繰り返しているからこその現状認識
―最初にも言ってくださったように、今回のアルバムは、全体的な統一感はあるんだけど、個々の楽曲の曲調はバラバラなんですよね。でも、このコロコロと変わっていく感覚こそが、今の時代のリアルな皮膚感覚だなと思う。
ヤナセ:そう……だから、いつかわかり合える人が、この音楽に共感してくれたらいいなと思います。そして、ゆくゆくは友達になれたらいいなって思う。今、僕がなにか言ったところで、誰も聞いてくれないし。
でも、それなら瓶に手紙を入れて海に流すように、音楽を作っていければいきたい。そして、20年後でも30年後でもいいから、僕が作った音楽を誰かが拾って、共感してくれたらいい。僕も、古い音楽に出会って本当に感動してきたから。そうなるために、「ちゃんとおっさんになって、いいブルース奏でてぇな」と思うんです。
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ヤナセ:本当は『中学生』から引き続き、自分の箱庭を突き詰めていく方向でもありだったと思うんだけど、悩んだ末、僕はこっちにいくことにしました。……とりあえず、今は。
―自分から言い出しておいてなんですけど、「諦め」というとネガティブに捉えられる可能性があるけど、そういうことではないんですよね。むしろ、それは前に進むために必要なものというか。
ヤナセ:うん、諦めが一番、希望につながると思うんですよね。諦めるというのは別に、自分の夢を諦めるとか、そういうことではない。むしろ、いらないものを置いていくっていう感覚に近くて……。なんというか、「諦めブースト」みたいな(笑)。
諦めをブースターにしてロケット発射して、途中で諦めを下ろす、みたいな感覚。要は、いらない幻想やでまかせを置いていくっていうこと。そして、現実と向き合ったうえで、相手を思いやり、ファンタジックに、ロマンチックに生きる。僕はそうありたい。
―うん、よくわかりました。
ヤナセ:1曲目“NOBORU”で<いきたい>って歌ってるけど、それだけです。「死にたくねぇぜ」って。
―殺されてたまるかって。
ヤナセ:そう、殺されたくない。
奇跡は起こらないし、無駄な理想もいらない。諦めとロマンをひと抱えに、今、ヤナセジロウが歌うのは「安心」と「帰る家」
―6曲目に“家庭のひかり”という曲がありますよね。去年、町田康さんとの対談でもおっしゃっていましたけど、「家庭」というモチーフは、これまでもヤナセさんの音楽に深く入り込んでいたものなんですよね(関連記事:町田康からbetcover!!へ。約40年の表現活動で得た確信を伝える)。この曲で歌われる「家庭」というのは、ヤナセさんがこれまで表現してきた「家庭」と、地続きのものですか?
ヤナセ:いや、“家庭のひかり”は、ちょっと違っていて。自分の家庭がモチーフではないんですよ。もうちょっと大きな意味で、「家に帰りたいね」という歌です。ミュージシャンでも、普通に社会生活をしている人たちでも、すべてに言えると思うんですけど、奇跡みたいなことを信じ続けている人たちがいるじゃないですか。
僕も、こうやって音楽を作っていますけど、「1年先はどうなるんだろう?」と考えたとき、漠然と「きっと、なにかが上手くいくだろう」みたいな感覚になってしまうのが、すごくイヤなんですよ。もう奇跡頼みじゃダメじゃないですか。夢見がちじゃダメだと思う。
―それは、さっきの諦めの話にもつながってくることですよね。
ヤナセ:うん、そうです。僕も、最初のアルバムを出した頃には「売れるぞ!」みたいなのもありましたけど、アルバムを出すごとにその気持ちはどんどん薄れていって……その、最初にあった奇跡を信じる気持ちが打ち砕かれたときに、帰る家があるといいよねっていう歌です、“家庭のひかり”は。
家庭の光って、あたたかいじゃないですか。自分の家の光じゃなくてもいいんだけど、なにかつらいことがあって、街に出て、電車で帰る……その帰り道に見る、どこかの家庭の光。ホッとしますよね。そういう歌を作りたいなと思ったんです。
―今言ってくださったことを、まさに僕はこの曲から感じていて。希望や理想を求めて外に戦いに出ていく人たちがいる。そのなかには、勝つ人も、負ける人もいる。でも、みんな家に帰っていく。そのときに見る、家の光のような歌なんじゃないかって。
ヤナセ:そんなに大層なことは言えないですけど、自分にとってはそういう曲ですね。とにかく、自分が安心できるような歌を作りたいなと思って、作りました。このアルバムのなかでは一番のお気に入りの曲です。
betcover!!“家庭のひかり”を聴く(Apple Musicはこちら)
―「安心」という言葉は、このアルバムの醸し出す雰囲気を表している言葉だと思いました。
ヤナセ:それはあるかもしれないです。こういう時代だからこそ、自分の音楽はアナログなものでありたいと思うんですよね。アナログっていうのは、「フォークだ」「アコースティックだ」っていうことではなく、手触り、耳触りがアナログなものっていうこと。やっぱり、直接触れないとわからないじゃないですか。直接目で見て、鳴らさないとわからない。
暴走する悪意、狂った政治……絶望感と無力感のなかで現実から目を背けてしまうことは、必ずしも悪いことなのか?
―この『告白』という作品は、「どうしようもない世界」を見つめながら、その世界と優しさや安心感でコミュニケートしようとしている作品だと思うんです。だからこそ、この時代にこの作品に出会えてよかったなと、僕は思っていて。
ヤナセ:……「自分がやっていることって、逃げなのかな?」って思ったりもするんですけどね。
―なぜですか?
ヤナセ:「もっと現代に向き合うべきだ」という意見もあると思う。でも、結局、僕は好きなことをやっているだけ……。それが、「逃げ」なんじゃないか? って。今日、僕が話していることも漠然としていると思うんですよ。
今話すとしたら、人種差別の話とか、検察庁の話とか、セカンドレイプの話とか、いろいろトピックはあると思う。でも、正直、僕はそういうことに対して大層な意見は持っていないし、あまりわかってもいない。むしろ、僕も社会の出来事に対する関心は大きくなっているんだけど……でも、そこまでいききることができていない。
―うん。
ヤナセ:差別の話とか、ああいうのを見ていると耐えられなくなってくるんですよね。「この世の中に一体なにが残っているんだ?」と思ってしまう。もう、絶望しかない。しんどすぎて、目を背けてしまう。目を背けることは悪いことなのかもしれないけど……でも、それを悪いと思っていない自分もいる。「仕方がないじゃん、人間なんだから」って。
ヤナセ:よく自分で言うんですけど、僕の音楽は「雰囲気もの」だと思う。ファンタジーではないし、かといってリアルなドキュメンタリーでもないし、パンクでもない。「じゃあ、なんなんだ?」と言われるのかもしれないけど、自分のなかでは「これだ」っていうのがあるんですよ。それは、なんというか……絵本みたいな感じ。
『星の王子さま』とか、『かいじゅうたちのいるところ』とか。ああいうのが、小さい頃から好きだったから。僕は、そういう音楽を作ることで、優しく、なにかが少し変わればいいなって思ってる。自分に対しても、そう思う。
―僕が初めてヤナセさんに取材させてもらったとき、子どもの頃のヤナセさんにとって音楽は、現実逃避するためのものだった、ということをおっしゃっていたんですよね(関連記事:betcover!!はまだ18歳 大人への恐怖と逃避の音楽は、美しく響く)。「現実逃避」という言葉はあまり相応しくないかもしれないけど、そういうニュアンスのものを根底に抱え続けながら、今もヤナセさんは、世界と向き合い続けているわけですよね。
ヤナセ:そうですね……どこかで、自分の記憶を辿りながら音楽を作っている部分はあるのかもしれない。今日も久しぶりに渋谷に来ましたけど、やっぱり、人が怖い。歩いている人間が、仮面を着けた鬼のように見える。それぞれが、どんな悪意を持っているのかわからない。それが怖い。見かけじゃわからないから。パッと見てわかるバカもいますけど(笑)、問題はそっちじゃないんですよ。
―さっき言ってくれた、普通の心のなかにある卑劣さのほうが怖いんですよね。
ヤナセ:そう。僕は、自分の歌の悪意は曲に落とし込めているので、満足いっているんですけど。
「どうやったら、悪意を優しさに変えられるか……僕の曲作りは、そこですね」
―今回のアルバムにも、ヤナセさんの悪意は通底していると思いますか?
ヤナセ:もちろん。だって、<くたばれ人間>(“Tokyo”)ですよ?(笑)
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―うん(笑)。
ヤナセ:僕の場合は、曲を作るっていうこと自体が悪意の発露だから。嫌なことがあったときにしか曲は書かないし、ものすごい悪意ですよ。憎しみに溢れている。でも、それをどう包み込むか、どうやったら、悪意を優しさに変えられるか……僕の曲作りは、そこですね。
すごいなと思ったのが、“Love and Destroy”のミュージックビデオは吉岡美樹ちゃんっていう歳の近い子にアニメーションを作ってもらったんだけど、すごくグロテスクな、悪意を感じとれる作品になっていたんです。
ヤナセ:やっぱり、わかる人はわかるというか、どうしても悪意は付きまとうし、それは出てしまうんですよね。……どうなんでしょう、ブータンで暮らす人にも、悪意は生まれるんですかね?(笑)
―あるでしょう(笑)。悪意のない人間なんて考えられない。
ヤナセ:うん、考えられないですよ。だから、それはもちろん歌に出てくる。僕はそもそも極端な性格なんですよね。白か黒か、0か100か、はっきりさせたいタイプで。
だから、どの曲にも自分のなかにある最悪の感情と、その対極にある希望や夢が、両極端に入ってくる。悪意の対極に、自分が理想とするような……たとえば、雲とか、夢とか、虹とか、家とか、自分にとっては悪意とは無縁の漠然としたモチーフが入ってくるんです。イメージとしては、どす黒い悪意があって、そのうえに雲が覆いかぶさっている感じ。雲の切れ間から覗く悪意、みたいな。
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―話を聞くと、今回のアルバムは、「悪意を優しさに変える」ということが、今までで最も美しい形で成し遂げられているように思えます。
ヤナセ:うん、今までよりも上手くいったなって思います。でも……優しさって難しいですよね。なにが優しさかって、これからもずっと考えるんだと思うんだけど。
でも、そういう漠然としたものに力を借りて、曲をひとつ完成させてく。今回は、母国情緒みたいなことをすごく意識したんですよね。それは、右翼的なニュアンスではないんだけど……なんというか、「みんなの故郷」というか、「みんなの歌」というか、そういうことを意識しました。
ヤナセ:実際の僕の故郷なんてその辺ですけど、もっと、みんなの心の故郷ってあるじゃないですか。前世の記憶みたいな。遺伝子レベルでの話なのかわからないけど、同じものを懐かしく感じるような……。ああいうのって、科学的に解明されているんですかね?
―「集合的無意識」と言ったりしますよね。
ヤナセ:言いますよね。みんな、そこに帰っていけばいいのに。みんなに同じ「土」があるんだったら、一度みんなでそこを見てみればいいのに、と思います。
―この『告白』というアルバムは、今まで以上に、ヤナセさんが人間の奥底のつながりに辿り着こうとしたアルバムでもある?
ヤナセ:うん、そう言えると思う。
人間の弱さを知り、愛おしむことができるからこそ、彼はこう言うーー「優しさとしての強さを持たないとなって思います」
―『告白』は4曲目のタイトルでもありますけど、この言葉がアルバムを象徴する由縁というのは、ヤナセさん的にはどこにありますか?
ヤナセ:言葉の響きが好きで。この混沌とした時代に、なによりも真っ直ぐだなって思うんですよ。好きな人に告白するのでもいいし、もっと大きな意味で自分の想いを誰かに伝えるのでもいいけど、「告白」って、本当に純粋に「それ」だけじゃないですか。「好きです」、それだけ。裏の意味がない。
そういう言葉って、すごく貴重だなって思うし、一番の真実はそこにあると思うんですよね。だから、僕はこのアルバムをこの言葉に託そうと思いました。たとえば「絆」みたいな、汚れまくってる言葉もあるけど、「告白」は他に利用しようがないし、野蛮な悪意に満ちた使われ方はしないと思う。『24時間テレビ』のタイトルにも使われないと思うし(笑)。
―ははは(笑)。
ヤナセ:あと、恥ずかしそうなところもいいなって。こうやって顔を晒して、『告白』なんていうアルバムを出すの、こっぱずかしいですよ(笑)。でも、そのぐらい真っ直ぐ、恥ずかしく生きていこうぜって。
―最後に訊きたいのは、前作収録の“異星人”に引き続き、“Love and Destroy”や“告白”のMVにも同じロボットが登場しているじゃないですか。あのロボットは、なにを象徴している存在なんですか?
ヤナセ:単純に、ロボットは憧れとしてすごく好きなんです。でも、僕のMVに出てくるロボットは弱いんですよね。「テツロー」っていうんですけど。ロボットのくせに弱いっていうところに、自分なりにグッとくるところがあって。
あのMVは、僕が少年の頃に見た漫画とか映画のメッセージを、自分なりに解釈して作っているというイメージなんです。新しいMV(“告白”)でも、テツローがやられても立ちあがっていく。そういうオールドスクールな熱さがあると思う。どれだけやられても、弱くても、強い相手に立ち向かう、その姿に、自分を重ねる部分があるんですよね。どれだけやっても勝てないであろう壁があって、それでもやっぱり音楽をやるっていうのは、そういうことだと思うから。
―さっきの集合的無意識の話じゃないけど、「弱さ」というのは、人間のつながりに通じているもののような気がしますね。
ヤナセ:うん、そうですね。強いようで、脆いものですからね、人は。人は絶対、「弱さ」でつながっていると思う。僕は、「弱いもの」でい続けたいんですよね。いじめられっ子側でい続けたい。だって、強者ってつまらないじゃないですか。
だいたいの場合、強かったら主人公にはなれないですからね。弱くないと、主人公にはなれないから。……もちろん、違う弱さもありますけどね。SNSを見ていると、自分の弱さを制御できない弱さもあるんだなって思うし。そこはやっぱり、強くならないといけないですよね。弱いもののために強くなるというか、優しさとしての強さを持たないとなって思います。
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- リリース情報
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- betcover!!
『告白』(CD+DVD) -
2020年7月1日(水)発売
価格:3,850円(税込)
CTCR-96001B[CD]
1. NOBORU
2. Tokyo
3. こどもたち
4. 告白
5. さよこ
6. 家庭のひかり
7. 失踪
8. Jungle
9. さみしがりな星
10. Love and Destroy
- betcover!!
『告白』(CD) -
2020年7月1日(水)発売
価格:3,300円(税込)
CTCR-960021. NOBORU
2. Tokyo
3. こどもたち
4. 告白
5. さよこ
6. 家庭のひかり
7. 失踪
8. Jungle
9. さみしがりな星
10. Love and Destroy
- betcover!!
- ライブ情報
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- 『レコ発、無観客生配信ワンマンライブ「絆」』
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2020年7月4日(土)
開演19:00 / 終演20:30(アーカイブ期間 2020年7月7日20:30)
電子チケット:1,500円(2020年7月7日18:50まで電子チケット購入可能)
- プロフィール
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- betcover!! (べっとかばー)
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ヤナセジロウのソロプロジェクト。1999年生まれ、東京で風土を感じる多摩地区育ち。幼い頃からEarth, Wind & Fireなどソウルミュージックを聴いて過ごし、大人びた音楽指向と環境、才能と表現の狭間で揺れ動きながら、中学にあがる頃には創作を始める。2019年7月、才能、悩み、怒りを爆発させた1stアルバム『中学生』を「avex/cutting edge」よりリリース。曽我部恵一やクリープハイプなどへのRemixも評判を呼び、20歳の奇才はじわじわと熱い支持を集める。2020年7月、2ndアルバム『告白』をリリースした。
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