羊文学は歌い鳴らす、「声なき声」をなかったことにしないために

メジャーデビューを発表し、配信シングル『砂漠のきみへ / Girls』をリリースした、羊文学。この“砂漠のきみへ”と“Girls”という2曲は、その両極端な性格によって、羊文学というバンドの両義性を見事に表している。“砂漠のきみへ”において、その儚くも包容力のあるサウンドに刻まれた言葉は、自身の無力さを噛み締めながら、ただそこに「ある」ことを自分にも他者にも許そうとする。対して“Girls”は、激しく力強いサウンドに乗せて、愛情への飢餓感と、そこから生まれる痛みに満ちた欲望を叫ぶ。どちらも切実な感情を根に持ち、その感情を「なかったこと」にしないために、音楽は独特なフォルムを持つに至っている。

弱くあることと、強くあること。「優しくありたい」と思うことと、怒りに身を震わせること。「救いたい」と願うことと、「救えない」と許すこと。羊文学の音楽は、塩塚モエカの詩情は、その狭間を彷徨い続ける。きっとこの先もそうだろう。答えも解決もない。ただ、音楽はその眼差しによって、見つめ続けるだけだ。塩塚モエカ、単独インタビューをお送りする。バンドの状況は加速しているが、彼女の繊細な眼差しは変わらず、答えのない場所を見つめ続けているようだ。

羊文学(ひつじぶんがく)
左から:フクダヒロア(Dr)、塩塚モエカ(Vo,Gt)、河西ゆりか(Ba)
繊細ながらも力強いサウンドが特徴のオルナティブロックバンド。2017年に現在の編成となり、これまでEP4枚、フルアルバム1枚、そして全国的ヒットを記録した限定生産シングル『1999 / 人間だった』をリリース。2020年8月19日に「F.C.L.S.」より『砂漠のきみへ / Girls』を配信リリースし、メジャーデビュー。

「優しさ」や「思いやり」という言葉の先にある、塩塚モエカの音楽家としての哲学

―このコロナ禍の自粛期間は、塩塚さんはどのように過ごされていましたか?

塩塚:私、このタイミングでちょうど大学卒業して一人暮らしをはじめたんですけど、家でずっとパソコンに向かっていて。何曲かは作りましたけど、あんまり曲も作ることができなかったんです。家から出ないと、景色を見ることもできないし。

私はDVDとか家で何か映像を見るのとかが正直、そんなに好きじゃなくて。映画を見るにしても、映画館、特に夜の映画館に行って衝撃を受ける体験が好きで。最近は家で映画とかも見たりするようになりましたけど、やっぱり、あんまり心は動かないな、と思ったり。

あと、考えていたことは、やっぱりネットのことですね。会えないからこそ、「人と人がつながることって、なんなんだろう?」っていうことを考えたり。ネット上では人が記号のように見えてしまうけど、でも、その向こう側にいる人のことを想像することの大切さを改めて感じたりしました。

―8月の前半に開催されたオンラインツアーは、過去曲のタイトルでもある『優しさについて』と題されていましたよね。今、羊文学がこの言葉を掲げることにも非常に大きな意味を感じました。

塩塚:この自粛期間は、人のことを「人間」として思いやることの大切さに気づかされる期間だったと思って。でも、全部のことを思いやっていたらキリがないし、なにも言えなくなっちゃう……けど、それでも、どこかで思いやりや優しさを持っていたい。それは人間性とかの話ではなくて、もっと深い部分での「意識」みたいなところで。そうすれば世界はよくなっていくんじゃないかと思って、このタイトルにしたんです。

塩塚モエカ

―そもそも、“優しさについて”という曲は『きらめき』(2019年)に収録されていましたけど、エリオット・スミスの“Waltz #2 (XO)”(1998年に発表された『XO』に収録)をカバーしようと思っていたところから生まれた曲だったと、以前、記事で読みました。

塩塚:そうですね、エリオット・スミスって、私は歌詞をじっくり聴いたことがあるわけでもないし、なにかを読んだりしたわけでもないんですけど、想像のなかで、すごく繊細な人だったんだろうなと思っていて。

その繊細さが、あの“Waltz #2 (XO)”には表れているというか、私が想像するエリオット・スミスは、あの曲なんです。私は“Waltz #2 (XO)”が大好きだったから、あの曲のような音数で、ああいうテンションで演奏したいっていうところから生まれた曲ですね、“優しさについて”は。

羊文学“優しさについて”を聴く(Apple Musicはこちら

エリオット・スミス“Waltz #2 (XO)”を聴く(Apple Musicはこちら

―この曲だけでなくても、「優しさ」という言葉は、塩塚さんの書かれる歌詞なかでとても重要な意味を持って使われることがあるように思います。

塩塚:私自身は全然、優しくないんですけどね。優しさって、想像力だと思うんですよ。私は言っているわりに、優しくなれていないと思う。でも、もっといい人間になるために大切にしたいことだな、とも思うんです。

たとえば、今ある世界を「あまりよくない世界だ」と思っていたとして、それに対してワーッと声を上げることも大切だし、言わないと動かないこともあると思う。それはそうだけど、でも、私はワーッと声を上げるだけじゃなくて、「これをどうやって優しく伝えたら、わかってもらえるだろう?」ってことを考え続けたいし、そっちをやってきたいと思う。どっちも絶対に重要だけど、今はそっちが少ないから。

私、中学生くらいの頃に、映画作りのワークショップに参加したことがあって。それは超最悪な思い出なんですけど(笑)、ひとつだけよかったことがあったんです。もう誰かも忘れましたけど、そこに来ていた映画監督のおじさんが、「人は弱い人のことを贔屓にするけど、本質的には、強い人のほうにしかついていかない。それでもなお、弱い人のために戦いなさい」と言っていたんです。そのときに、「これだ!」と思ったんですよね。それが今でも、自分がものを作るうえでのフィロソフィーになっているような気がします。

羊文学の歌は、時代の声を代弁しようとして生まれているわけではない。「優しさ」を歌うのは「優しさ」を大事したいと思っているから

―最初から、といっても、僕が聴いているのは『トンネルを抜けたら』(2017年)以降ですけど、羊文学が表現していることの根幹にあるものは、ずっと変わっていないと思うんです。その根幹というはやはり、声なき声をすくい上げること。「今、そっちが少ない」と塩塚さんはおっしゃいましたけど、「この時代だからこそ、自分はそれをやらなければいけない」という意識が強くあったりもするんですか?

塩塚:そういうふうに周りに言われたりもするし、「今、私たちのやっていることは時代に合っているのかもな」と思ったりもするんですけど、だからといって、「これが必要だからやろう」と思っているわけではないです。根本的にそうじゃない。

もともとは高校生くらいの頃に、思っているけど言いづらいことがたくさんあって。それを曲にしようと思ったところから、自分の曲作りははじまっていて。そういう意味では、形は変わっていても、自分がやっていることには一定のテンションがずっとあると思います。今は、あくまでもそれが時代と合ってきただけだと思う。「合わせよう」と思うことはないです。……あ、でも、「言わなきゃ」って思うことはあるかも。

―「言わなきゃ」と思って作られた曲というと?

塩塚:“人間だった”はそうかも。でも、あれも「言わなきゃ」というよりは、単純に「ヤバすぎる!」と思ったから。私、すごくシンプルなんですよ。いろいろ考えているふうに見えるかもしれないけど、「ヤバい!」とか「すげぇ!」とか「ムカつく!」とか、結局は、ギャルみたいな感じで(笑)。

―(笑)。

塩塚:「言わなきゃ」っていうのも、結局は、自分のなかの衝撃や衝動から曲が生まれるってことなのかな。たとえば、自分で就活をしてみたときに「なんでスーツを着なければいけないのか、わからない!」みたいな感じで、言われているだけじゃわからなかったけど、自分でやってみたら「これはおかしい、ヤバい!」と実感したことが曲になったりします。

“人間だった”のときも、はじめは「環境問題について、いろいろ言われているから気をつけなきゃ」くらいだったんですよ。でも、それに関する展示を観たり、自分で実際に気候の変化を実感したことで、「マジで、地球ヤバい」と感じて。それで、あの曲ができたんです。

羊文学“人間だった”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

―曲は、時代の要請というよりは、あくまでも自分の実感として出てくるものである。

塩塚:そうですね、「時代にとって必要なことをやっていく」ということでは、あまりないです。「優しさ」も、自分に足りていないから意識しているっていうことですね。

―塩塚さんが歌うことは、自分自身に対して問い続けているものでもある?

塩塚:そうです、そうです。誰かに向けた曲もあるけど、自分が思ったことを、自分に向けて書いているようなところもあるし。あるいは、未来の自分に言ってあげたいこと、みたいなこともあります。たまにあるんですよ、スタジオで昔の曲を練習していて、「昔の自分はこんなことを言ってるのに、また繰り返している」とか、「この曲、今の自分に響くなぁ」とか。

―最近、自分が過去に作った曲で、響いてきた曲はありますか?

塩塚:そうですね……“Step”は、定期的に響きますね。あの曲はメンバーが辞めたときに作ったんですけど、人を大切にできなかったなと思うときに、響きます。

羊文学“Step”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

「自分は女性なんですけど、でも、毎日『自分は女性だ』と思っては生きないですから」

―新曲の話にいくと、“砂漠のきみへ”と“Girls”という2曲が配信されました。

塩塚:これは、真逆っていう感じの2曲です。

―そうですよね。“砂漠のきみへ”はどこか無力感が前提にあるような曲ですけど、“Girls”はタイトルも複数形で連帯感があるし、とても力強さを感じます。

塩塚:“砂漠のきみへ”は優しさみたいな部分を歌っているけど、“Girls”は、「そうは言っても、ただ後ろから見ているだけが女性じゃねぇぞ!」みたいな。「女性」という言葉で括るのはよくないかもしれないけど、少なくとも自分は女性だし、そう思うから。“Girls”は、自分のなかにある荒々しさが出ている曲だと思います。

―先に“Girls”の話をすると、この曲はどういったところから生まれてきた曲でしたか?

塩塚:この曲は、去年の夏に作っていた曲なんですけど、当時、付き合っていた彼とめちゃくちゃ喧嘩して、「うっせぇ!」と思って(笑)。「そんなこと言ってると、浮気すっぞ!」っていう気持ちで作りました(笑)。ただ単に、イライラしていたんです。でも、ギターのリフから作ったこともあって、そうやって怒りの勢いで爆走していく感じが、どこか楽しくもありました。

羊文学“Girls”を聴く(Apple Musicはこちら

―「女性である」ということは、塩塚さんは強く意識される部分があったり、曲に反映されていくものだと思いますか?

塩塚:う~ん、もちろん自分は女性なんですけど、でも、毎日「自分は女性だ」と思っては生きないですからね。髪を切りに行って、「ちょっとモテるような髪形にしてくれ」とかはありますけど(笑)。でも、時代的な面もあるのかもしれないけど、ありがたいことに私の周りで不快な思いをすることもないから。だから、今言った“Girls”ができたときみたいに、そう思うときにはそう思うって感じですね。

砂漠のような街で、もがくように生きるきみへ。手紙のように綴られた歌が伝える、塩塚モエカの思う「優しさ」のかたち

―“砂漠のきみへ”はどういったところから生まれてきましたか?

塩塚:すごく頑張っている友達がいて。その友達が、「勤めている場所を辞める」と言っていたんですけど、私はそれを自分事のように考えてしまって、「辞めるのはよしたほうがいいんじゃない?」と言ったんです。でも結局、友達はその仕事を辞めたんですけど、あのとき、ひとつの価値観でしか自分はモノを言えなかったし、その友達なりに考えたことを「見守る」っていう立ち位置も大事なんだなって、あとから気づいて。

羊文学“砂漠のきみへ”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

塩塚:それに、あのときの友達のように、もがいている人のことを綺麗だと思ったし、愛おしいとも思ったんです。自分にとっては貴重な経験だったので、曲にしました。

―「砂漠」というモチーフは、ご自分のなかのイメージとして出てきましたか? それともなにかの引用ですか?

塩塚:自分のなかのイメージですね。東京って、砂漠っぽいなと思って。その友達との出来事があったときは学生で、実家暮らしだったので見えてなかったんですけど、いざ自分が東京でひとり暮らしをはじめてみると、家賃も高いし、働かないと暮らしていけないし……いろんな重みが常に付きまとっているような感じがして。そこに、砂漠のなかで水がないと生きていけない人間の苦しさが重なるような気がしました。

―この“砂漠のきみへ”の歌詞は、どこか、手紙のような綴られ方をしているなと思って。

塩塚:ああ、ありがとうございます。この曲は最初、「手紙」というタイトルにしようか迷っていて。

―そうなんですね。

塩塚:頑張っている人に、私は最初ワーッと言ってしまったけど、「本当はなんと言ってあげればよかったのか?」と迷いながら、手紙を書いている……そういう設定の曲なんです。

―手紙である以上、すごく親密な優しさや温かさを感じると同時に、「でも、その場にはいない」という前提もありますよね。そこにあるのはやはり「見守る」という視点だと思うんですけど、その無力さが、僕はすごく美しいなと思いました。

塩塚:そうですね……。最初から「私にはなにもできないな」では意味がないと思うんですけど、いろいろ考えた末に、最終的になにもできなくなることもあるような気がして。でも、それはすごく大切な選択肢のひとつだと思うんです。

「私は神様みたいな存在になりたいわけじゃなくて」――それでも羊文学の音楽がもたらす「救い」の感覚について

―僕には、“砂漠のきみへ”は「君を救えない」と歌っているように聴こえました。でも、それは根本的に「救いたい」と思うからこそ行きつくことだし、塩塚さんは本質的に、「誰かを救いたい」と思っている人なんだろうとも思うんです。

塩塚:それは、思っています。私は自分が傷ついたりしやすいぶん、敏感なのかもしれないけど……。たとえば超極論ですけど、電車を待っている目の前で、誰かが線路に飛び込んだときに、それを救おうと追いかけて、死んでしまった人がいたとするじゃないですか。私には、それは絶対にできないんです。

でも、「できないから、どうしよう?」と考え続けているというか。もしかしたら、ホームに飛び込むことはできないけど、音楽ならそれができるかもしれない、とか……。

―うん。

塩塚:「救う」といったところで、実際に身体を動かすようなことだと、手が足りないし、私はミュージシャンだから、音楽以外のことに集中力は持たないんです。私は結局、音楽をやっていくしかない。

本当は、口で言っているだけじゃなくて、もっと実際にいろいろできたらいいんですけどね。いつも、気持ちは行ったり来たりしていると思います。「どうにかしたい」と思ったり、「自分のことしか考えていなかったな」と思ったり。でも、とにかく目で見える範囲の人たちのことは大切にしたいと思っているから。

塩塚:私は、超普通の人なので。むしろ、普通よりもちょっと欠けているくらいの人間だと思う。こうやって音楽をやっていてステージに立つと、「超すごい人」みたいに見られるのかもしれないけど……。まぁ、私も他のアーティストに「神なんじゃない?」とか思うこともあるけど(笑)、でも、私は神様みたいな存在になりたいわけじゃなくて。私は、普通に人であって、音楽も、人と人とのものであって。野菜とか器とかを作っている人と変わらないと思う。

―裏を返すと、野菜や器と同じくらい、音楽は必要だということですよね。

塩塚:音楽だけじゃなくて、あまり気づかれないけど、なくなったら失われるものはたくさんあると思う。「娯楽」と呼ばれるものは全般的にそうだと思う。これはよく言われることですけど、ある音楽を聴くことによって、そのときの景色や想っていたことが、その音楽に重なって保存されるじゃないですか。形がないぶん、景色や記憶に影響できることは、他にはないことだなって思うし、心が震えるっていうことは、生きていて超大切なことだと思います。

歳を重ね、周りが否応なく大人になっていくなかで塩塚が思うことーー「変に賢くなりすぎたくないし、柔軟でいたい」

―“砂漠のきみへ”には<大人になってく / いじっぱりの きみ>というフレーズもありますが、かつて『若者たちへ』という作品を作ったくらい、塩塚さんにとって「若さ」というのもまた重要なモチーフだったのではないかと思うんです。なので、「大人になっていく」ということに対しても、また感じることは多々あるのかなと。

塩塚:そうですね、その歌詞の部分は、友達がどんどん大人になっていく姿を見て歌っているんですけど、私自身、今までは親元で暮らしていたけど、そこから離れて、どんどんと環境も変わっていて。変わっていくこともあるけど、それでも、無駄に大人になりすぎないようにしよう、と思うこともあるし。

―無駄に大人になりすぎない?

塩塚:変に賢くなりすぎたくないし、柔軟でいたいなと思うんです。物事にはいろんな見方があるっていうことがわかったうえで、自分の感覚を大切にしたい。すべてを理詰めで考えるのは苦手だし、そうじゃないところが、自分のいいところだとわかっているから。それでも、4年前なんて「ムキーッ!」っていう感じだったので(笑)、日々、人とどう接するかがわかりはじめている感じもしますけどね。

―今の塩塚さんは、どんなふうに歳を重ねていきたいと思いますか?

塩塚:人間としてっていうことになっちゃいますけど、おばあちゃんになっても、可愛いワンピースとか着ていたいですね(笑)。それもブランド物とかじゃなくて、古着みたいなやつ。外見も中身も、あんまり気取らないで、自分が「美しい」と思うものの価値観をちゃんと持っていて、それが見え続けている人になれればいいなと思う。

―では、最近の塩塚さんが「美しい」と思った出来事や光景はありますか?

塩塚:最近は……撮影とかで夜の海に行くことが多かったんですけど、改めて、海はでかすぎるなって思いました。「すごいんだなぁ、海」って。海、すごいんですよ(笑)。

「包まれたいんです。私、基本的に、ひとりで立っていられないんですよ」

―海、すごいですか(笑)。

塩塚:でかいんです、海は。吸い込まれそうになる。

―そういうものを音楽で表現したいと思いますか?

塩塚:でっかいものを表現したいとは思います。私がすぐにファズを踏んじゃうのは、そのせいなんですよね。たとえば、私は中学生の頃からジェイムス・ブレイクの1stアルバム(2011年に発表された『James Blake』)が大好きなんですけど、ああいう、シュッとまとまった記号的な音楽も好きなんです。でも、めちゃくちゃ大きなものも好きで。

たとえば、前にシャムキャッツさんやDeerhunterのライブを観たときに思ったんですけど、すごいバンドって、大きなグルーヴの波に向かって体を揺らしながら進んでいく船みたいなんですよ。私も、そういうバンドがやりたいと思うんです。

塩塚:逆に、中間のものがあんまり好きじゃない。ものすごくでかいか、ものすごくシュッとまとまっているか、どっちかがいいんです。羊文学にもその中間っぽい曲はあるんですけど、そういう曲は、自分のベストではないと思うし、ライブでもあんまりやらなくなっちゃいます。

―塩塚さんが羊文学というバンドを必要とし、そしてファズを踏むのは、「でっかさ」を求めるがゆえなんですね。

塩塚:そうですね。あと、そうだ、最近、大きな木が家にほしいなと思っていて。

―木、ですか。

塩塚:最近、家に木を置くのが流行っているじゃないですか。私は実家の周りに木がいっぱい生えていたので、最初は部屋に木を欲しがる人の気持ちがわからなかったんですけど、都会に引っ越してきたら、めちゃくちゃ家に植物を置きなくなってきて。特に、大きな木が欲しいんです。

自分が「もう無理だ」と思って倒れそうなときに、頼ってもよさそうなくらいの大きな木が欲しい。そういう木のような存在って、私にとっては、海もそうだし、ファズもそうなんです。大きすぎて、周りを全部包んでくれたり、寄りかかっても倒れず、支えになってくれるものというか。

包まれたいんです。私、基本的に、ひとりで立っていられないんですよ。だから、私はファズを踏むんだと思います。ひとりではなにもできないし、寄りかかる場所がないとやっていけないから。

リリース情報
羊文学
『砂漠のきみへ / Girls』

2020年8月19日(水)配信

プロフィール
羊文学 (ひつじぶんがく)

Vo.Gt.塩塚モエカ、Ba.河西ゆりか、Dr.フクダヒロアからなる、繊細ながらも力強いサウンドが特徴のオルナティブロックバンド。2017年に現在の編成となり、これまでEP4枚、フルアルバム1枚、そして全国的ヒットを記録した限定生産シングル『1999 / 人間だった』をリリース。今春行われたEP『ざわめき』のリリースワンマンツアーは全公演ソールドアウトに。東京公演は恵比寿リキッドルームで行われた。2020年8月19日にF.C.L.S.(ソニー・ミュージックレーベルズ)より『砂漠のきみへ / Girls』を配信リリースし、メジャーデビュー。しなやかに旋風を巻き起こし躍進中。



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