無名でありながら、Spotifyのバイラルチャート1位に躍り出たシンガーソングライター・川崎鷹也。これまで大きなチャンスに恵まれることなく地道に音楽活動を続けてきたその才能が、TikTokを起点にバイラルを生み、今多くの人の耳にその歌声を刷り込んでいる。しかも、現在ヒットしている楽曲“魔法の絨毯”は最新曲ではなく、2年半前にリリースしたもの。そういった楽曲の広がり方・才能の発見のされ方は、まさに今の時代ならではの面白さだと言える。“魔法の絨毯”の中で愛する人への気持ちと、自身に対する歯痒さをおおっ広げに歌っている川崎鷹也とは、これまでどんな人生を歩んできた人物なのか。溢れ出る人間への愛と、仕事をやめる決断をするほどの音楽に対する覚悟を語った。
僕が大事にしてるのはステージ上のパフォーマンスなので、どういうふうに知ってもらうかは、正直どうでもいいんです。
“魔法の絨毯”の異変に本人が気付いたのは、8月11日。2年半前にリリースした曲が突然、ストリーミングで再生され始めた。TikTok主催プロジェクト「TikTok Spotlight」に応募した数日後、地元の友人から「使われてるよ」とたびたび連絡がくるようになり、本人も「なんで?」としか言えない状況だったという。その後再生数は右肩上がりに伸び続け、Spotifyのバイラルチャートでは1位の座をキープ、LINE MUSICのランキングでは単曲だけでなくアルバム『I believe in you』がトップ10にランクインし続けている(最高2位)。ただし、自信を持って作ったアルバムがこうして日の目を見るまでの2年半は歯痒い暗闇の期間だったと、川崎は振り返る。
―“魔法の絨毯”がこれだけ聴かれるようになったきっかけを、ご自身ではどう分析していますか?
川崎:“魔法の絨毯”を使ってTikTokに上げてくれていたカップル動画的なものがひとつあって、それがバズって何万いいねもついていて。「その人誰なんだろう?」と思ってページを見たら、フォロワー100人とかの一般人なんですよ。本当になにが起きたんだろうって感じでした。
―そうやって自分の曲が一人歩きして、ネット上で二次創作されていくことに対しては、どう思っていますか?
川崎:全然よくて。僕が大事にしてるのはステージ上のパフォーマンスなので、どう広まるとか、どういうふうに知ってもらうかは、正直自分の中でどうでもいいんです。とにかく「知ってもらえれば!」って。SNSで有名になった曲という印象が付いたとしても、自分の中でその曲を胸張って扱えていればどう言われてもいいかなって思います。
反響を受けて8月30日に自身がアップした弾き語り動画には、12万以上の「いいね」が付いている(TikTokで見る)@takaya_kawasaki 初投稿となります。皆様たくさん聴いてくれて、使ってくれてありがとうございます。##魔法の絨毯 ##川崎鷹也 ##初投稿 ##おすすめ
♬ 魔法の絨毯 - Takaya Kawasaki
―2018年3月にアルバムを出してからの2年半は、どういうモチベーションで音楽活動をされていたのでしょう。
川崎:苦しかったですよ、すっごく。お客さんが入ってくれるときも、あるっちゃあるけど、会場が満員になることはなく……。お客さんより共演者の数のほうが多いところで歌う、みたいなライブをずっとやっていました。ステージ上では楽しんでましたけど、結果がついてこないから苦しかったですね。自分は自信持って「これだ」と思ってリリースしてるのに、「どうやって広まっていくんだろう」という不安がずーっとありました。
―作品を作ったときの自信を失いそうになるときもありました?
川崎:うーん……自信を失うことはなく、ずっとあって。なんて言えばいいんだろう……サポートしてくれる人や応援してくれる人は少なからずいたのでそこを信じたし、信じてもらえている自分も信じていたし。でも、ずっとモチベーションがあるわけでもないし、ずっと前向きにいられるわけでもなく……不安とか、歯痒さとか、「なんでなんだろう」っていう気持ちが大きかったですね。
父が栃木でライブバーを経営してるんですよ。でもずっと怖くて行けなかった。
川崎鷹也の「歌」と「声」に人々の心を揺さぶる力があるということは、今回の現象が証明していると言えるだろう。ただし、その実力と自信を手にするまでにはいくつもの悔しさと努力があったことを話し、さらには、家庭環境に対する意外な反動があることも明かした。
―小さい頃から音楽はお好きだったんですか?
川崎:父が栃木でライブバーを経営してるんですよ。だから音楽というものは、少なからず小さい頃から近くにあって。高校3年生の文化祭で初めて人前に立って、HYさんの“366日”とサザンオールスターズの“真夏の果実”を同級生のピアノの伴奏で歌い、それの反響がよくて調子に乗り(笑)。音楽が近くにありすぎて気付いてなかったけど、自分が好きなこと、やりたいことはこれなんだろうなと思って、文化祭の次の日に「東京に行く」って親に言いました。
―お父さんが経営されているライブバーというのは、何系?
川崎:アメリカンバーで、外国のバンドとかゴリゴリのパンクバンドとかが出るライブバーです。アコースティックとかではなくて、ドラムセットがあって、トゲトゲのアクセサリーをしてる人たちがいるような(笑)。でも、僕はずっと怖かったんですよ。小学生の少年からすると、ゴリゴリの外国人のパンクバンドって怖くて、全然行けなかったんです。
―お父さんはもともとそういう音楽がお好きなんですか?
川崎:そうですね。10-FEET、Hi-STANDARD、HAWAIIAN6とかをひたすら聴いてました。CDを渡されるんですよ、「これを聴け」って。でも、小さい頃は怖くて聴けなかった(笑)。
―当時川崎さんはどういう音楽を好んで聴いていたんですか?
川崎:清水翔太さん、絢香さん、サザン、エレカシ、Superflyさんとか、J-POPを聴いてました。自分の感覚的に、歌の力があるものが好きで。音というよりかは、声や歌を感じるものを聴いてましたね。
―お父さんが好きなものに対する反動というか(笑)。
川崎:4つ上の兄がいて、兄はどちらかと言うとそういう音楽が好きだったし、お父さんの店にもよく行ってたし、バンドを組んでお父さんの店でやったりもしてたんですけど……僕は「ツーバス」とか言われても「はあ……」って感じでしたね(笑)。
―それで東京に出て、音楽専門学校のボーカルコースに通われていたんですよね。“魔法の絨毯”が世間に見つかるまで、学校の同級生とか周りの人が売れていくのを傍目で見てた、という状況もあったんじゃないですか?
川崎:ありました。専門学校のときから、僕の音楽に対する原動力は悔しさから来ていて。僕はギターがまだ弾けない状態で専門に入ったから、入学して初めての自己紹介のときに「ギターも弾いたことないし曲も書いたことないし、人前で歌ったのはあの文化祭一回きり」という状態で、でも周りはすでに曲を書いてるしライブもやってるし対バンがどうのこうのって言ってて、僕は「対バンってなんだろう?」って(笑)。その日からすごく劣等感を感じて、自分が恥ずかしいし悔しくて。「せめてこの専門学校の中では一番を取らなきゃ」と思ったのが、最初の感情でした。
自分の歌に対してそこそこ自信を持って来たけど、井の中の蛙だったなと思って、そこからはひたすら練習してました。音楽スタジオでバイトして、学校が終わったら23時くらいまでバイトして、夜中から朝7時までスタジオで練習して、布団もなにもないスタジオでドラムスティックの木屑にまみれながら2時間だけ寝て、また学校へ行ってバイトして練習して、というのを2年間ずっとやってましたね。
―その中でよく諦めなかったですね。自分は井の中の蛙だったってわかってしまうと、「違う道へ行こう」ってなりかねないとも思うんですけど。
川崎:引っ込みがつかなかったんですよ。栃木から東京に出てくるのって一大決心で、傍から見るとただ東京に出てきただけかもしれないけど、当時の僕にとってはすごく覚悟のいることで。親にも啖呵切ってるし、周りの友達にも「売れてくるわ!」って言って出てきてるから、栃木に帰るのは自分の選択肢の中であり得ないし、音楽から逃げるのもあり得ないって思い続けていたんです。
―在学中から、6人組のアコースティックユニット・Bocco.としても活動されてましたよね。
川崎:2年くらいやってました。プロデューサーの方から誘っていただいたことがきっかけだったんですけど、実は最初断ったんです。カバーをやりたくなくて。そのときはだいぶ尖ってたから(笑)、人のふんどしで有名になるのは違うんじゃないのかって思ったし、自分の曲を歌ってなんぼでしょって。でも専門の先生から「一回やってみろ」「そういう世界もあると学んだ上で判断しろ」って言われて。
実際にやってみて、アンサンブルというものを学びました。相手を立てる歌い方とか、ハモリ方とか。シンガーソングライターが6人集まると、そりゃみんな我が強いからぶつかるし、誰かとなにかをやるという意味でのアンサンブルも学びましたね。結局、みんなそれぞれやりたいことがあったりして解散したんですけど。
奥さんは「目に映るすべての人を幸せにしたい」って真っ直ぐ言うんです。尊敬しかしてない、学ぶことばっかり。
“魔法の絨毯”を含め、川崎鷹也の楽曲の多くは「たったひとりの人」に向けて歌われているように聴こえてくる。その多くは彼の愛する人であり、ときには親だったり友達だったり。“魔法の絨毯”も<お金もないし、力もないし 地位も名誉もないけど 君のこと離したくないんだ>という、川崎自身の境遇と心情を素直に表現していることが、歌とメロディに妙に強い説得力と聴いた人の心に突き刺さる力をもたらしているのだと思う。インタビューの中でも、彼は奥さんへの素直な想いを包み隠さず表してくれた。
―川崎さんが歌を書くモチベーションって、どんなものだと言えますか?
川崎:僕は、もちろんいろんな人に聴いてほしいし届いてほしいんですけど、一番根っこにあるのは、僕の一番大事な人に届くかどうかを重要視していて。なぜなら、そこに届かなかったら誰にも届かないんですよ。それは絶対に。極端な話、誰にもいいって言ってもらえなくても、この人にだけいいって思ってもらえたらそれでいいや、っていう自分のエゴある。だから、みんながみんなに共感してもらえるようには書いてなくて。
―『アカデミー賞』のスピーチで、ポン・ジュノ監督(映画『パラサイト』)がマーティン・スコセッシ監督の言葉を引用して言った「最も個人的なことが、最もクリエイティブなことだ」という言葉を思い出します。
川崎:共感! 本当にそう思います。結局はシンガーソングライターがやってることって、自己満足なんですよ。いかにそれをいろんな人にわかってもらえるかとかは別に考えてなくて。自分が書きたいことや言いたいことをただ発信して、それが誰かの心が揺さぶったり背中を押したり「もうちょっとだけ頑張ろう」ってひとりでも思ってくれたら、それでいいなって。そう思いながら僕は曲を作ってます。
―“魔法の絨毯”も、川崎さんのノンフィクションなのだろうと思っていたんですけど、これはどういう境遇のときに書かれた曲ですか?
川崎:これは3年くらい前に書いたんですけど、当時お付き合いしてた方に向けて書いた曲で。そのとき僕はパチンコ屋で働いていて、時給も低いしもちろんお金も持ってないしなにか成功してるわけでもないし、そんな僕がこんな素敵な人を守れるんだろうかという不安と劣等感を感じていて。でも、それを言ってても始まらないし、お金も地位も名誉もないけど、それでもこの人だけは離してはいけないっていう思いがあったんですよね、当時。……まあ、後の奥さんなんですけど(笑)。
―素敵!
川崎:ありがとうございます(笑)。
―「アラジン」というモチーフはどうやって浮かんだんですか?
川崎:奥さんがめちゃくちゃディズニーが好きで。年パス勢で、付き合った当初は毎月ディズニーに行ってたくらい。それであるとき奥さんが、劇団四季の『アラジン』の最前列のチケットを取ってくれたんです。奥さんの名言に「一流の人は一流のものに触れないといけない」っていうのがあって、「鷹也は一流なんだから、一流のものを観に行こう」って。
―めちゃくちゃいい話じゃないですか……奥さん、素敵な方ですね。
川崎:尊敬しかしてなくて。学ぶことばっかり。奥さんは「目に映るすべての人を幸せにしたい」って真っ直ぐ言うんです。それは僕と付き合う前から言っていて、でも正直、昔の僕にはその感覚がなくて。今は理解できるし、それを実現させようとしている彼女は本当にすごいなって。うさぎカフェの経営者なんですけど、人だけではなく動物も含めて全部が幸せになれたらいいなって本気で思ってて、それを純粋にやる人なんです。
―川崎さんの歌の中には好きな人に届かないような描写も多々見られますが、もともとは片思いから始まったんですか?
川崎:片思いが長かったんです。2つ上の高校の先輩で、高校の頃から好きでした。やっと、っていう感じでしたね。
“君の為のキミノウタ”は、付き合って初めての彼女の誕生日に書いた曲で。ずっと想像してたんですよ、付き合って一緒にいる未来のことを。いざ叶ったときに……付き合ってから2年間、ずっと信じられなかったんです。朝起きて隣にいることとか、彼女が作ってくれたご飯を食べることとかが、ずっと信じられなくて。地球規模で考えたときに、137億年の中でひとりの人間の寿命とか人生って一瞬だけど、その一瞬を大切にあなたのために捧げたいなと思って書いた曲でした。
川崎鷹也“君の為のキミノウタ”を聴く(Apple Musicはこちら)
―川崎さんの曲は、自分が相手より一歩下がったところにいる視線からの描写が多いのが特徴的だと感じていたんですけど、納得しました(笑)。
川崎:そういう女性への接し方は、奥さんと一緒にいるようになってからより強くなった気がします。というのも、僕じゃなくて奥さんがそうなんですよ。お互いに尊重し合って認め合う関係性ができているからこそ、ああいう曲しか書けないのかもしれない。
―“魔法の絨毯”についてもうひとつだけ聞くと、これはいくつかのJ-POPのヒットソングがそうであるように曲の全部のパートがサビになり得るくらいの強度があるし、そもそも構成が「Aメロ→サビ→Bメロ→サビ・サビ・サビ」という変わったものになっていますよね。それが多くの人に何度も聴きたいと思わせる要因のひとつになっていると思うのですが、そのあたりはどれくらいを意識して作られたんですか?
川崎:いや、僕の曲の書き方って、歌詞とメロディとコードが全部一緒に出てくるんですよ。口の動きとかが気持ちいいところを歌ってみて作っていく。言っちゃうと、即興なんです。なんとなく弾いて、なんとなく口から出た言葉が気持ちよければ、それが自分にとって一番歌ってて最高なものだって信じてるから。なので、作るときはAとかBとかCとかは考えてなくて、“魔法の絨毯”も2時間くらいで書き上がったものなんです。
―逆に言うと、書けるモードに入るまでは時間かかったりします?
川崎:めちゃめちゃかかる……。書き始めたらめちゃめちゃ早いんですけど、それまではすごく遅くて……よく怒られます(笑)。
音楽に対してより覚悟を持って真剣に向き合いたいと思ったから、仕事をやめました。
“魔法の絨毯”と2年半前にリリースしたアルバム『I believe in you』が注目されている絶好のタイミングに、新作EP『Magic』を10月1日にリリース。EPでは、これまた口ずさむのが気持ちいいフレーズが散りばめられている“Let me know”や、奥さんを浮かべながら書いたと思われる“ほろ酔いラブソング”、『小学館第84回新人コミック大賞』を受賞した漫画家・赤井千歳とのコラボ作品“エンドロール”などを収録。さらに「ステージが一番大事」と語る川崎は、11月6日にTSUTAYA O-EASTにてワンマンライブを開催し、無料配信をすることを決めた。
―新しいEPに『Magic』というタイトルを付けたのはどういう理由ですか?
川崎:今まで弾き語りのライブと音源しかやってこなかったんですけど、今回初めてバンドアレンジなんです。自分の表現できるマックスのものにバンドの音が入ることで、魔法がかかったような音源に生まれ変わるなって、自分でミックスしていたときに思って。それでストレートに「Magic」にしようと思ったのがタイトルの理由です。
川崎鷹也『Magic』を聴く(Apple Musicはこちら)
―バンドアレンジでありながらも、すごくシンプルな編成ですよね。
川崎:そうです、ギター、ベース、ドラムだけですね。ベースとギターは専門の頃の仲間で、そいつらと同じものを作りたいっていうのがあったんですよね。なにをやるにしても、「この人だから一緒にやる」とか「この人の言うことだったら信用できる」っていうことが大事だっていつも思ってるし、これはベースとギターのやつの感覚とか信頼関係で成り立ってるアルバムだから、他の音は入れたくなかったんです。ドラムは「こいつに叩いてほしい」ってやつがいたんですけど、そいつがめっちゃ忙しくてダメで。でもそこで他の人に頼む気にはなれなくて、自分で打ち込みをめっちゃ頑張りました(笑)。
―“エンドロール”は5月に発表された楽曲ですが、漫画家・赤井千歳さんとのコラボはどういう経緯で?
川崎:たまたまYouTubeで僕を見つけてくれて、SNSでDMをくれたんです。声と歌がすごくいいって褒めてくれて、「音楽の漫画を書きたくて、一緒に作りたいです」という連絡をくれて。それで一回新宿のガストでお会いして、お互いどういう人なのかという話をひたすらしたら、めっちゃ面白い方で、パッションとか夢がメラメラ燃えてるその熱量がすごくて、「一緒にやりましょう」って。
音楽以外のいろんなところとのコラボレーションっていうのは、大事にしていきたいんですよね。漫画もそうだし、小説もそうだし。YOASOBIさんのやり方とか、「うわあ、やられた」って思いました。音楽と、音楽がまったく関係ないものがコラボするっていうのは、自分の中ですごく楽しいコンテンツのひとつです。
―“光さす”は、自分の人生や音楽活動に対するもどかしさが表れている曲とも聴こえますが、いつ書いた曲ですか?
川崎:これは初期ですね、6年前とかかな。今日の冒頭で話したような、もどかしさとかやめちゃおうかなっていうマイナスな気持ちを表してますね。「曖昧な言葉じゃ誰かには伝わらないから、今思ってるマイナスな部分も含めて伝えなきゃいけない」と思った書いた曲です。そしたらきっと光さす、って自分を鼓舞する気持ちで書きました。
―当時は<世の中のせいにしてはいつも 背を向けて逃げて回ってる>ところがあった?
川崎:逃げ回ってましたね。本当に尖ってたんですよ。テレビに出てるアーティストとか売れてるアーティストとか全員しょうもないと思ってましたし(笑)。今は思ってないですよ! 当時は「俺、俺を見て」って気持ちばっかりで。今思えば、そう思ってた自分に説教したいくらいですね。
川崎鷹也“光さす”を聴く(Apple Musicはこちら)
―川崎さんの歌は、日常の尊さを歌ってるのが魅力のひとつだと思うのですが、この先自分が追い求める幸せってどんなものですか。
川崎:すごく綺麗事に聞こえるかもしれないですけど、僕自身の幸せってあんまり考えてなくて。現時点では奥さんと子どもが幸せなことが僕の幸せだって思えるから、日常の幸せをずっと大事にしたいと思ってるし、僕が音楽で売れて有名になることで家族が喜んでくれるんだったらそれも幸せだし。いくら有名になって、もし生活水準が上がったとしても、家族に対する思いは変わらないと思う。
“Luv Letter”に書いてるんですけど、幸せとか笑顔が広がると、それが結局自分に返ってくるんですよ。誰かに対する感謝とか愛情って自分に返ってくるから、それが幸せなんだと思う。まあ、それも奥さんが言ってた言葉なんですけどね(笑)。
川崎鷹也“Luv Letter”を聴く(Apple Musicはこちら)
―最近仕事をやめる決断をされたそうですが、それに対して奥さんはなんておっしゃったんですか?
川崎:二つ返事で「いいんじゃない?」でしたよ。俺はめっちゃ不安だったんですよ、この先大丈夫かなって。でも、奥さんに話したら「そうなんだ。いいことじゃない? 全然いいよ、頑張るよ」って、「今日のご飯なにがいい?」くらいの普通のテンションで(笑)。
―川崎さんにとっては大きな決断だったんじゃないですか?(笑)
川崎:めちゃめちゃ大きな決断でした。でも、音楽をやりたくてもできない人がいっぱいいるし、有名になりたくてもやめていくやつらを俺は見てきてるし、その中で「今ここでアクセルを踏まないと」って思ったんです。音楽に対してより覚悟を持って真剣に向き合いたいって思ったからですね。
―4月にはお子さんも生まれたそうで、なかなかの決断ですよね。
川崎:子どもがいたからこそかもしれなくて。子どもがしゃべれるようになったときに、「お父さん、あのとき仕事やめてまで音楽に突っ込んだんだよね」って言えないのが嫌だなって思ったんです。それ、ダサいなって。子どもに対してやりたいことをやってる親父であり続けていたいし、「父ちゃんかっけえ」って思われたいんですよ。「バカだけど、こっちのほうがおもろいっしょ」っていう道を選んでると思います。
―11月6日のライブは、久しぶりのステージであり、川崎鷹也というアーティストの状況が変わってから初めて人前で歌う場ですよね。どういったステージにしたいと思っていますか?
川崎:音源とか配信ももちろん大事ですけど、やっぱり僕が観てほしいのはステージで。ステージを観て判断してほしいんです。そこにすべてを注いでるので。
僕、「愛」って、心の中にあるものではないと思っていて。自分の中にあるものではなくて、心と心が向き合ってお互いを理解して歩み寄ろうとしてる真ん中に「愛」って存在するんだと思うんです。俺はそう感じてる。誰かと自分がコネクトした瞬間に愛ってできると思っていて、それはステージ上の僕とお客さんの間も同じで。シンガーソングライターとして、その感覚は忘れちゃいけないなってずっと思っています。
- リリース情報
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- 川崎鷹也
『Magic』 -
2020年10月1日(木)配信
1. Let me know
2. エンドロール
3. 光さす
4. ほろ酔いラブソング
- 川崎鷹也
- イベント情報
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- 『川崎鷹也ワンマンライブ “Magic~魔法の絨毯にのって~”』
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2020年11月6日(金)
会場:東京都 渋谷 TSUTAYA O-EAST
定員:300名
料金:3,000円(ドリンク別)
- プロフィール
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- 川崎鷹也 (かわさき たかや)
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1995年、栃木県生まれ。2018年、アルバム『I believe in you』をリリース。一度聴いたら忘れられないハスキーな歌声と美しいビブラート、癖になるメロディーラインが魅力。2020年8月、TikTokで“魔法の絨毯”が人気となり同曲を使った動画が27,000本以上アップされ、トータルの再生回数は約1億3千万回となる(2020年9月現在)。また、Spotify「バイラルTop50」で1位を獲得。LINE MUSIC「アルバムトップ100」で2位にランクイン。2020年10月1日に、EP『Magic』をニューリリース。11月6日にはワンマンライブ(有観客&無料配信)『Magic~魔法の絨毯にのって~』を開催する。
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